小倉智昭アナウンサーの情報(おぐらともあき) アナウンサー/テレビ東京→フリー、テレビキャスター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小倉 智昭さんについて調べます
■名前・氏名 |
小倉智昭と関係のある人
大竹しのぶ: 2013年8月3日・2013年9月21日(前編)『毎日がブランニューデイ』『オーダーメイド』を歌唱 BS朝日「小倉智昭•住吉美紀の音楽夜話〜ミュージック•ヤワー〜」 伊藤滋: 報道を担当するキャスターやコメンテーターにも小倉智昭のように伊藤を批判する者が多くいた。 三宅義行: ^ 小倉智昭キャスター、重量挙げのパワハラ疑惑に「えっ、またなの?って方が大勢いらっしゃると思う」 2018年9月12日10時7分 スポーツ報知(報知新聞社、2019年3月19日閲覧) 深澤弘: 代わりに白羽の矢を立てられたのが、当時、東京12チャンネルの「土曜競馬中継」で実況、司会を担当していた小倉智昭であった。 中野美奈子: 2009年3月27日をもって『めざましテレビ』を降板、翌週からは小倉智昭が総合司会を務める『情報プレゼンター とくダネ!』のサブ司会を担当。 伊藤利尋: 総合司会の小倉智昭が休演する日には、小倉に代わり、総合司会を任されていた。 水木一郎: フリーアナウンサーの小倉智昭とは中学の同級生で、演劇部で水木が落語、小倉が漫才やバンドを披露したこともある。2010年12月11日放送の「小倉智昭のラジオサーキット」(ニッポン放送)にゲスト出演し、同窓会トークを繰り広げた。 松田麻里: 1988年4月1日に中京テレビを退社、退社後すぐに日本テレビ夕方6時~7時「NNNニュースプラス1」のニュースキャスターに抜擢、徳光和夫とともにキャスターを務める他、NHK BS1「世界の人気テレビ」等の司会、文化放送「時計の針はいま何時」(小倉智昭共演)やCBCラジオ「奈利子ジャーナル・土曜の夜は私が主役」等のラジオ・パーソナリティーなど、多数の番組司会やニュースキャスター、ナレーター、パーソナリティ等を務め人気を博す。 和田泰右: 小倉智昭のラジオサーキット(2011年4月30日、ニッポン放送) - ゲスト出演 山城新伍: 司会を務めた『独占!男の時間』で、当時東京12チャンネルアナウンサーの小倉智昭を起用した。 加山雄三: 2021年3月25日、この日放送のフジテレビ系のワイドショー『とくダネ!』で、総合司会の小倉智昭によるインタビューが放送され、久々のメディア出演となった。 藤田恵美: フジテレビ「とくダネ!」でオーディオファンで知られる司会の小倉智昭が大絶賛したところ、さらに火が付きベストアルバムがスマッシュヒットとなった。 糸永直美: TOYOTAサタデータイム 小倉智昭のラジオサーキット(ニッポン放送) 榎本よしたか: 小倉智昭のラジオサーキット(ニッポン放送、2009年) 杉崎美香: 2005年の第24回大阪国際女子マラソン中継において、本編前の事前番組で『情報プレゼンターとくダネ!』総合司会を務めるフリーアナウンサーの小倉智昭と共演。これが縁となり、ニッポン放送『小倉智昭のラジオサーキット』で初代アシスタントに就任し、2009年3月末まで“トヨタ、サタデータイム、ニッポン放送〜、(その後は同じメロディで番組タイトル)♪”というジングルを歌った。 笠井信輔: 後輩の伊藤利尋がサブ司会に就任するまで、総合司会の小倉智昭の休暇時は代理総合司会をしていた。 西川幸男: 西川哲 - 新原浩朗 - 五月みどり - 西川幸男 - 緒形直人 - 芦田伸介 - 仲村トオル - 中山美穂 - 鷲尾いさ子 - 林隆三 - 広岡瞬 - 郷ひろみ - 古舘伊知郎 - 高嶋政伸 - 松方弘樹 - 小林稔侍 - 榊原郁恵 - 井森美幸 - 大地康雄 - 細川直美 - 薬丸裕英 - 岡江久美子 - 西田敏行 - 伊藤蘭 - 小倉智昭 - 西尾由佳理 - 笠井信輔 - 中村光宏 - 軽部真一 松澤健: 小倉智昭のラジオサーキット(ニッポン放送) 絢香: これは富士山の麓で撮影された7分に及ぶものであり、メイン・キャスターの小倉智昭曰く、「甲状腺ホルモンの数値が思わしくなく、8月に予定されるライヴに体力を温存するため、プロモーション活動を全てキャンセルした。 平野義和: 小倉智昭の特命調査隊!国民は怒っているぞ!血税バラまき真相SP 羽鳥慎一: 2013年6月20日、前年を以って司会を退いた小倉智昭の後任として、『サントリー1万人の第九 "10000 Freude"』の新司会者に就任することが発表された。 千葉真子: また、その女子マラソン本番前の特別番組でも、小倉智昭らと共にゲストとして出演した。 田中大貴: 10年間務めたこの番組を自ら卒業することを報告し、司会の小倉智昭は「非常に残念」と惜しまれながらも、本人は「アナウンサーとしてスポーツキャスターとして、もう一度、一からスキルを学びなおしたいと思い、卒業させて頂くことを決めました」と卒業理由を話した。 三浦豪太: なお、出演当日の番組内で三浦の経歴を紹介した際、父・雄一郎を誤って「故人」とする字幕スーパーを表示してしまい、その直後、司会の小倉智昭が謝罪する一幕があった。 住吉美紀: 小倉・住吉のおスミつき!(BS朝日、2012年4月 - 2013年3月) - 小倉智昭と共同司会。 日高晤郎: 水道橋博士からは「北海道のたかじん」 と呼ばれ、小倉智昭からは『情報プレゼンター とくダネ!』で、やしきたかじんとともに紹介された が、日高は「私をたかじんと一緒にしないでください」と述べている。 小山真理: 小倉智昭のラジオサーキット(ニッポン放送、リポーター) 増山さやか: 小倉智昭のラジオサーキット(アシスタント)- 2009年4月4日 - 2012年3月31日 大橋巨泉: 偲ぶ会には王貞治、石坂浩二、ビートたけし、タモリ、関口宏、竹下景子、小倉智昭、菅直人ら芸能・スポーツ・政財界から約600人が参列し、弔辞は王と関口が読み上げた。 押坂忍: 2008年12月1日、アナウンサー生活50周年記念の「感謝の集い」が開かれ、露木茂・徳光和夫・小倉智昭・古舘伊知郎らが出席、祝福した。 |
小倉智昭の情報まとめ
小倉 智昭(おぐら ともあき)さんの誕生日は1947年5月25日です。秋田出身のアナウンサーのようです。
テレビ、現在、父親、母親、退社、離婚、姉妹、卒業、趣味、ドラマ、事故、結婚、引退、再婚、病気、家族、映画、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。小倉智昭の現在の年齢は77歳のようです。
小倉智昭のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小倉 智昭(おぐら ともあき、1947年〈昭和22年〉5月25日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ラジオパーソナリティ、実業家。東京12チャンネル(現:テレビ東京)元アナウンサー。元オーケープロダクション取締役で、現在はオールラウンドに所属。株式会社バイオテクニカ代表取締役社長、株式会社PTP社外取締役。東京都在住。 帝国石油の技術者だった父親と、鹿児島市出身の母親のもと、当時の父の赴任先だった秋田県 で第一子長女である姉に次ぐ第二子長男として生まれた。 祖父は宮大工。小学2、3年生の時に東京・新宿へ移り、高清水小4年生から再び秋田へ。中学進学後再び東京へ移った。 世田谷区立梅丘中学校出身。「友達を多くつくるために、勉強よりも体を鍛えること」という父親の方針のもとで育ち、子供の頃からスポーツ好きだった。そのため陸上競技の記録を伸ばすことばかり夢中になり、成績は体育だけが跳び抜けて良く、それ以外は平凡なものであった。陸上では世田谷区大会で優勝したことがある。中央大学附属高等学校では陸上部に所属。高校生時代は100m走で10秒9の記録を出したこともある。ある日父が学校に「陸上部辞めたら学校も辞めなければいけないんでしょうか」と相談しに来たことを聞き、これをきっかけに勉強と陸上の両方を頑張るようになった。大学進学時、そのまま中央大学に進学するものと思われていたが「スペイン語を学びたい」と言い出し、また中央大学には「陸上部で嫌いだった先輩が行ったから」という理由で進学せず、上智大学を受験するも不合格。最終的に獨協大学外国語学部フランス語学科へ進学した。獨協大学でも陸上部に所属し陸上競技会に出場した後、東京都陸上競技連盟から国体出場の通知を受けたこともある。しかし大学陸上部は2年で退部。足を怪我したことや、当時バンド活動で十分稼げるようになっていたからだという。バンドではボーカルとベースを担当、デパートの屋上のビアガーデンでビートルズの曲を演奏するアルバイトをやっていた。幼い頃から吃音症に悩まされ、また秋田出身であることから訛りもひどかったこともあり後にアナウンサー職に就いたのは、吃音を克服するため、あえて喋ることを仕事とする道を志したためであるという。大学時代は当時盛んだった学生運動にも参画し天野貞祐学長の退陣を迫ったのにも関わらず面接では天野を称賛した。また小倉曰くフジテレビを落とされた原因の一つは「支持政党を日本社会党。と正直に答えたから。」であるといい、テレ東の面接では「自由民主党 (日本)支持。」を明言したという。当時の獨協大学は開学して日が浅く知名度も高いとは言えず就職活動にも苦労したため、テレ東入社後は獨協大学の後輩を採用するように人事に頼んだ。 就職活動のアナウンサー試験では文化放送は1次選考、フジテレビは最終選考で不合格。東京12チャンネルのアナウンサー職で合格・採用。入社試験に合格した決め手は、フリートーク試験のお題が競馬だったからだと言う(当時東京12チャンネルが、競馬のアナウンサーが欲しかったみたいだったからとも話している)。よく似た経歴の持ち主に、元秋田テレビアナウンサーの鈴木陽悦がいる。なお、この時フジで採用されたのは大川和彦と須田哲夫で、また、テレ東での同期は藤吉次郎と川島真理子であった。 東京12チャンネル社に入社。高校生のころ東京都府中市に住んでいたことで当時から競馬をやっていたため競馬に詳しかったことから『競馬中継』実況アナウンサーとして活躍し、毎週土曜日午後のワイド番組『ザ・ロンゲストショー』の中で競馬中継を担当した。予てから小倉の実力を認めていた山城新伍が司会を務める『独占!男の時間』にも起用された。競馬ファンから「競馬中継なら小倉」と言わしめるほどであったという。 しかしながら、競馬実況アナウンサーとして周囲より早く出世したことや、後輩への競馬実況術を指導したことが当時のスタッフや同僚アナウンサーから反感を買い、さらに当時人気番組である一方で「ワースト番組」上位にも挙げられ、自身も裸の女性で実況中継するなどで出演していた『独占!男の時間』への出演を巡り、上層部と衝突を起こすようになる。 大橋巨泉が『大橋巨泉の日曜競馬ニッポン』(ニッポン放送)をスタートさせるにあたり小倉を起用することを決め、巨泉のスカウトに乗る形で29歳のときに東京12チャンネルを退社し、フリーアナウンサーとして大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)に所属した。このとき前妻と離婚した。フリーランス転身後は仕事が入らず鳴かず飛ばずの状態が続いた。当時について小倉は「税金なんか当たり前、養育費も公共料金の支払いも滞納が続いた」「質屋と古本屋には本当にお世話になった」という状態が続き、電気・ガス・水道は止められ、電車賃が払えずアパートまで歩いて帰宅し、電車賃を工面するため開店前の古本屋を叩き起こしては本を売り現金化する日々が続いた。「前妻の父が学者で、本を出すのに金がかかるから」「子供の指の手術代に」などと理由を付けて同僚から金を借りたこともあった。時折、父親から食べ物の差し入れがアパートのドアノブに引っ掛けてあり飢えを凌いだ。また、給料の前借りが日常的であったことから「バンスの小倉」とあだ名を付けられた。 その後、古巣であるテレビ東京の『タミヤRCカーグランプリ』での軽快で個性的なナレーション(自称「小倉のお兄さん」)で小中学生からの注目を集め、さらに『小川宏ショー』のリポーター、『アイ・アイゲーム』(フジテレビ)や『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)のナレーションが転機となる。『RCカーグランプリ』や『HOWマッチ』では甲高い声と早口で洒脱なナレーションで名前を知られた。当時のキャッチフレーズは “七色の声を持つナレーター” であった。 また、ラジオパーソナリティとしても頭角を現し、文化放送『とことん気になる11時』(1984年 - 1987年)、『小倉智昭の時計の針はいま何時?』(1987年 - 1991年)、『小倉智昭のニュースアタックル』、『小倉智昭の夕焼けアタックル』(1992年 - 1999年)など、平日の帯ワイド番組に長期に亘って出演した。 フリー転身後もしばらくの間は、公営競技のレース実況を手掛けており、競馬以外でも日本選手権オートレース(第10回、第13回)、第36回日本選手権競輪などで実況を担当している。 ラジオパーソナリティでの話術ぶりを評価され、『キャッチ』(日本テレビ、1989年 - 1992年)、『ジョーダンじゃない!?』(フジテレビ、1992年 - 1993年)、『どうーなってるの?!』(フジテレビ、1993年 - 1999年)などのワイドショーに次々に総合司会で起用され、着実に足場を固めて行く。 そして1999年4月から2021年3月まで『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ)の総合司会を務め、その地位を確実なものにした。大学生の頃、就職活動真っ只中の1970年、小倉の第一志望はフジテレビジョンであり、入社したら朝のワイドショーを担当したいと入社面接時に話していたが不合格に終わったため、『28年来の願いが叶った』と、番組スタートの記者会見の場で語った。 『とくダネ!』の裏番組だった『はなまるマーケット』(TBS)には出演できなかったため、2000年に『はなまるマーケット』の姉妹番組として深夜に放映された『ウラまるカフェ』(TBS)にゲスト出演して薬丸裕英との共演を果たしている。同じく、『とくダネ!』の裏番組『あさイチ』(NHK総合テレビ)を強く意識していると述べていた。『あさイチ』の初代メインキャスターを務めた有働由美子(元NHKアナウンサー)とは、コンサートで顔を合わせることもあるが、あまり口を利かないという。小倉は有働をライバル視していた。小倉が2017年5月30日放送のNHK総合テレビ『ごごナマ』で有働のことをライバルと公言した後、有働は小倉に「ライバルなんて言っていただいて光栄です」と手紙を送った。小倉はこの手紙を宝物として飾っている。また、2010年春にNHKが行った総合テレビにおける『連続テレビ小説』の放送時間を8時15分から8時に繰り上げた改編に不満を持っている。 マラソンに対する造詣は深く、フジテレビ系列のマラソン中継(北海道、大阪・名古屋の両女子と東京、並びに国際千葉駅伝)のゲスト兼応援団長をダブルで出演している。 2016年5月13日、初期の膀胱がんを公表し、翌週の5月16日から手術のため1週間休養。17日手術、21日に退院し、23日に番組復帰を果たす。 2016年7月28日、『とくダネ!』の放送回数が4452回となり、同一司会者による全国ネット情報番組としての最多放送回数を達成した。 2018年11月5日放送の『とくダネ!』で、同週いっぱい休養することを報告するとともに、膀胱がんによる膀胱全摘手術をすることを明かした。11月12日にいったん復帰。11月26日放送の『とくダネ!』で、膀胱全摘出、代用膀胱造設手術を行うため翌27日から長期休養に入ることを明かした。 2019年1月7日、予後が良好であるとして予定より1か月早く『とくダネ!』に復帰。 2021年3月26日をもって『とくダネ!』が放送を終了。22年間の歴史に幕を閉じ、小倉自身も帯番組の総合司会を勇退した。後継番組は谷原章介と永島優美が初代総合司会を務める『めざまし8』。 2021年7月13日、フジテレビの「東京五輪 情報スペシャルキャスター」への就任が発表された。番組の枠を超え、大会期間中、フジテレビの情報番組で五輪情報を伝える。 2021年9月25日、『とくダネ』卒業後、初MCとなるトーク番組『小倉ベース』に出演。『とくダネ』の1コーナーだった企画のスペシャル版で上戸彩、池田エライザ、カズレーザーをゲストに招き、トークを展開した。 2021年10月4日、がんが肺に転移し「ステージ4」の状態であることを公表。入院して抗がん剤治療を行うことになる 旧所属のオーケープロダクションで取締役を務めていたほか、小倉智昭オリジナルブランド「O-GLAND(オーグランド)」の販売なども行っている、グッズ企画や販売、輸出入を事業とする商社『バイオテクニカ』の代表取締役を務めている。 2021年4月8日、テレビの全録ハードディスクレコーダーの企画・開発などを手掛ける株式会社PTPの社外取締役に就任。 大橋巨泉に「タレントは使い捨てだから、いつ捨てられても生活していけるように事業を起こせ」と助言され、上記以外にも焼肉店を経営している他、北海道石狩郡当別町にあるラーメン店「なかむら」をのれん分けしてもらい、自らも出資してオーナーとなっており、現在、中野坂上とワイキキに出店している(なお中野坂上店は、1階にあったラーメン店を廃業し、階上にあった同名の焼肉店を階下に店舗拡張している)。 身長は173 cm。体重は75 kg。 血液型はB型。 趣味、特技はゴルフ。ビジネス誌『週刊東洋経済』にてコラム「ゴルフざんまい」を月に一度の間隔で連載している。 学生時代はクレー射撃、スキーも得意にしていた頃があった。 かつてはヘビースモーカーであったが、2003年から禁煙をしており体調管理に努めている。 オーディオマニアとして知られており、CDは毎日3枚、DVDは1枚視聴することを自らに対するノルマとしている。「とくダネ」終了後にNetflixに加入した。また、自宅や北海道にAVルームを所有しており、THXマークをクレジットすることをホームシアターとしては日本で初めて個人で許されている。オーディオマニアであることから秋葉原にもよく通い、秋葉原ラジオ会館の閉鎖が決定したときはラジオ会館の思い出を綴った。また、HD機を4台持っているという。 好きな音楽ジャンルに関しては、2008年9月26日の『とくダネ!』の「小倉智昭の週刊!エンタ☆マイスター」でブリッティッシュロックやプログレッシブ・ロックが好きだと発言した。また、同日の同コーナーで生ゲスト出演したポール・アンカは、青春時代に聞いていたようで来て早々ハグしている。 60歳手前(2006年頃)から趣味としてドラムを始めており、自宅にはドラムセットが設置されている。この部屋の模様は、2007年11月23日放送の『とくダネ!』のおやじバンド特集で紹介されており、ギターなどほかの楽器も置かれている。2008年4月23日放送の『とくダネ!』で9歳のジャズドラマー、鬼束大我が本日メジャーデビューしたことが紹介され、スタジオで生演奏を披露した際にも、ドラムをしていることを公表した。さらに、2012年1月1日に日本テレビで放送された世界1のSHOWタイム〜ギャラを決めるのはアナタ〜で、元カシオペアのドラマー、神保彰の「自称追っかけ」であることを明かし、自らのリクエストによって神保が出演し、ドラムを披露している。 プロ野球・埼玉西武ライオンズの大ファンであり、清原和博のファンでもある。西武ドームのシーズンシートを購入している。2009年には本拠地開幕戦始球式に参加した。プロ野球のクライマックスシリーズ(CS)には消極的な考えである。 『ごごナマ』出演時、午後の各局情報番組をチェックしていることを明かし、「それぞれ個性があって面白い」と発言。 猫舌の人に偏見がある。 上述のように大学受験に失敗したため学歴コンプレックスがあったとされとくダネでは東大卒の佐々木恭子アナがNGを出すと強く叱責する場面もあった。酒席では「どうせオレは獨協大学だよ。」と自嘲気味に語る事もあったという。 アニメソング歌手の水木一郎とは中学の同級生で、一緒に漫才をしたこともあるという。2010年12月11日放送の「小倉智昭のラジオサーキット」(ニッポン放送)にゲスト出演し、同窓会トークを繰り広げた。2011年10月9日放送の「ウチくる!?」(フジテレビ)に水木一郎がゲスト出演した際は、小倉智昭との中学時代のエピソードを話した。 地元の秋田テレビに在籍していた鈴木陽悦は同郷で高清水小学校、中央大附属高校の後輩にあたる。 俳優の市村正親、萩原流行とは友人であり、小倉はさんまのまんま(1998年5月5日)に萩原と2人でゲスト出演した事がある。所属事務所入りを手助けしたこともあり、2015年4月23日のとくダネで前日交通事故で亡くなった萩原について「非常にショックです。僕は、彼の芸能界の少ない友人でした。家もそばなので今朝早く、彼の家の前で手を合わせてきました。こんな形で彼の事故を伝えることになるとは…」とコメントした。 日高晤郎とも長い付き合いがあり、小倉の結婚式の司会は日高が務めた。2018年4月4日放送の『とくダネ!』のエンディングでは前日に他界した日高の訃報に触れ、追悼のコメントをした。 小倉智昭の夕焼けアタックルを通じて野村邦丸とも親交が深い。 小倉と同い年で、誕生日も一週間違いで、テレビ東京アナウンサー時代から親交もある寺尾聰とも長く、お互い「智昭」「聰」と呼び会う間柄。自身が総合司会を務めていた『とくダネ!』にも2021年3月26日放送の最終回ではサプライズでゲスト出演した。『とくダネ!』でも数回ゲストとしても出演経験もあり、プライベートでもゴルフ仲間としてでなく音楽仲間としても交流がある。 シンガーソングライターの絢香のファンでもあり、自称「お父さん」を公言している。絢香が活動休止の最中、2010年9月20日に絢香の夫で俳優の水嶋ヒロが執筆活動専念のため、所属事務所・研音を退社・俳優業引退の方向とメディアに報じられた際、絢香は小倉に、水嶋は執筆活動などと共に俳優業を続ける意向であるとし、2人は事実と異なる報道に困惑しているとの趣のメールを送り、このメールの内容を小倉は23日放送分の『とくダネ!』で公開した。また、水嶋の引退を報じたメディアは2010年9月20日時点で絢香が研音にまだ所属中ということになっていたが、絢香が小倉に送ったメールの中には活動休止前最後のステージとなった2009年12月31日のNHK『第60回NHK紅白歌合戦』終了後に研音を退社していたとのことで、実際は絢香のメールでの発言通りだったことも判明した。 WaTとも親しく、番組でも共演した嵐とは交流があり、彼らのライブにも行っている。 サンドウィッチマンの伊達みきおとも交流があり、2021年に伊達が自身と同じ膀胱癌の手術を受けた際にはメールで禁煙を促している。 1976年のフリー転身当時、最初の妻と離婚。 38歳の時、15歳年下の女性(さゆり夫人)と再婚(当時女子大生で大学卒業と同時に結婚)。極秘挙式の際には大橋巨泉夫妻が仲人となっている。 最初の妻との間に息子が1人いるが、現在の妻との間にはいない。 2016年に68歳で膀胱がんを発症。2021年には膀胱がんが肺に転移。ステージ4となる。発症後の2年間は、内視鏡手術を避けていたが、その理由について2021年6月7日に公開された同じくがんで闘病経験のある笠井信輔との対談で、膀胱を全摘するときに前立腺も精嚢も勃起神経も切れるので、性生活はあきらめるよう医師に告げられたが、小倉は性欲が人並外れて強かったため、未練があった。しかし、手術後1年経過したときに、相変わらず性欲が強く、男性ホルモンはなくなってはおらず、勃起神経はなくなっているために勃起はしないが、「いける」ことに気付き医師に尋ねたところ、「実は射精神経は切ってない」と言われた。精嚢はないから精子は作れないが、興奮し射精と同じような気分を味わうことができるとわかったという。小倉はこれを「朗報」だとトークで包み隠さず公開した。 1997年5月にTBSテレビで放送された『そこが知りたい』(アナウンサーを取り上げた回)では、夢はオリンピックの実況と語っていた。2000年のシドニーオリンピックは弾丸ツアーに参加してまで観戦。2008年の北京オリンピックでは、フジテレビから派遣されて現地で生観戦し、日本がメダルを獲得した25種目のうち24種目を生観戦し、金メダルは全て生で見たという。 1964年の東京オリンピックで、聖火ランナーを務めた(高校2年生、東京都府中市)。 30代で糖尿病を発症し、その治療の影響もあって薄毛となり、かつらを装着するようになったことは講演会などでカミングアウト済みである。講演などではかつらを外すこともあるが、「テレビやラジオで取り立てて言うことではない」として、既に公表済みという姿勢を貫いている。 『週刊文春』はかつらについて2度記事に取り上げ、2度目の際には「10年前にも同じ質問したでしょ」と小倉からたしなめられている。 2002年、『週刊文春』1月31日号の「阿川佐和子のこの人に会いたい」でかつら着用について「別に隠してもいないし、皆知ってますよ」「ズレたりなんかしないし、長いのとか短いのとか持ってませんよ。僕は総かつらじゃないんだから(笑)。ほとんどが自分の髪なんだから」「ちゃんと1ヶ月に1回、美容院行って髪は切ってるし、スッポリ被ってるわけじゃないですよ」と語った。 2003年、『とくダネ!』のオープニング(同年3月28日放映)で、頭を下げて挨拶をした時にかつらがとれたという動画が流れ、東京スポーツの一面に載る程にまで話題となった。実際に生放送中に外れたことは無く、動画作成者が手を加えたものである。 仕事中はほとんどコンタクトレンズを装着しているため、それについての話題になると熱くなる傾向がある。ただし、2012年4月6日に両眼の白内障手術を受けたことを明らかにし、現在は裸眼で両眼とも視力が1.5に回復したことを語っている。 『週刊文春』(2016年9月8日号)に覚醒剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された庄司哲郎に小倉が資金提供をしていたと報じられた。小倉は資金援助をしていたわけではなく、画家としての庄司の才能に惚れ込んでいたため絵画を購入して応援していたと釈明し、結果的に自身が覚醒剤の資金源となっていたことについては「つらい…自分のがん告知より悲しかった」と思いを語った。 2009年4月9日『とくダネ!』の放送中、ボルチモア・オリオールズに移籍した上原浩治投手の初登板を中継していた場面で、「オレ、上原って、1シーズン(昨シーズン?)は自分で演出してダメになってたと思うんだよね」との発言し、翌10日のオープニングでも「巨人は出してくれなかった。それでちょっと腐っちゃったな」と勝手な自説を展開し、「ボルティモアはとっても安い買い物をした」と語った。 2011年8月24日放送分の『とくダネ!』では、右翼団体との間のトラブル解決をきっかけとした暴力団関係者との交際発覚で前日に芸能界引退を発表した島田紳助に絡み、「皆さんの周辺でも、知らないうちにそういう人が解決してくれるってことは起こるはず」「ダメなこととは分かってても、それしか解決方法がなかった、って人はいると思うのね」と、反社会勢力を容認するとも受け取れる発言をしたことで、ネット掲示板などで批判が多数寄せられた。8月26日、番組内で釈明の上、「誤解があったら申し訳ない」と謝罪した。 2012年9月27日に『とくダネ!』の放送の中で、「潰瘍性大腸炎」(全国に11万人以上の患者がいる厚生労働省指定の難病)の悪化で2007年9月12日に辞任した安倍晋三(内閣総理大臣第1期時代、病気を理由に辞任)の自民党総裁選出馬について、共演者の田中雅子が「辞め方が...。1年で、もうお腹痛くなっちゃって辞めちゃったということで…」と発言し、この発言に続けて小倉が「(安倍の2007年の病気による辞任は)ちょっと子供みたいだったと思うよ」と発言し、続けて田中は「そうなんで すよ、そうなんですよ」と発言した。小倉と田中が、厚生労働省指定の「難病」である潰瘍性大腸炎を、単なる「腹痛」と軽視して、潰瘍性大腸炎に罹患する患者全体に対する誤解を生む差別的発言をしたことに対して、「好き好んで病気になる人がいますか?」「難病だし、苦しんでる人がいるのに」「同じ病気の私は複雑な気持ち」といった批判や疑問が相次いだ。 同年10月1日同番組の放送で、「さて、ここでお詫びをさせていただきたいと思います。先週の木曜日、自民党の安倍新総裁の体調に触れた際、潰瘍性大腸炎という難病であるにもかかわらず不適切な表現をしてしまいました。もちろん、病気に苦しむ方を傷つけるつもりはありませんでした。お詫びをさせていただきます。」と謝罪した。 J-CASTテレビウォッチは、2013年1月11日付の配信記事で、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部に所属する生徒が自殺した問題に関して、『スポーツに一家言持つ小倉智昭キャスターはそうしたコメンテイターたちに比べると「規律重視」派のようだ。けさは「勝つことを目指すのは人格形成に役立つ」と勝利志向主義の意義を力強く訴え、別の段では、体罰について「もちろんよくないが、目をつぶってもいいんじゃないという体罰もあるかもしれない」と、一定の宥和的な態度を示した』と、小倉の体罰に関する見解を消極的容認派ではないかという解釈のもと、報道した。 2014年12月3日の『とくダネ!』海外ニュースコーナーでは、レディー・ガガが過去に披露した奇抜な衣装をVTRで紹介。小倉は呆れ顔で「名前変えたほうがいいよ。レディー・バガ」とばっさり。これには、ガガファンや一部視聴者が、不快感を露わに。ネット上では「『とくダネ!』が、ガガ様を嘲笑ってる」「小倉に謝ってほしい」「小倉ってそんなに偉いんですか?」といった声が見受けられた。 2020年9月17日の「とくダネ」で、HSPに関する特集の際、チェックリストの一部に該当した共演者に対し「嘘つきなの?」と発言し、SNSを中心に批判が多発している。 その他、フジテレビでのマラソンの実況放送等にも出演。 報道・情報ワイドショー番組 バラエティ・クイズ関連・教養・特別番組・その他 オーディオ入門(NHK) 独占!男の時間(東京12チャンネル) サタデーナイトショー(テレビ東京)ナレーション ぐんま・雷・からっ風(群馬テレビ) アイ・アイゲーム(フジテレビ) ヤンヤン歌うスタジオ(テレビ東京)※一時期ナレーション 世界のプロレス(テレビ東京)ナレーション 世界まるごとHOWマッチ(毎日放送)ナレーション 巨泉のこんなモノいらない!?(日本テレビ) ナレーション ※巨泉夏休み中は代行司会も担当 紅白そっくり大賞(フジテレビ)※ナレーション キモチいい恋したい! 最終話 (フジテレビ、1990年9月24日) - ナレーション 世界バリバリ★バリュー(毎日放送)※一時代行司会を担当 タミヤRCカーグランプリ(テレビ東京)※初代ナレーション(2代目は関口伸が担当) メトロポリタンジャーニー(フジテレビ、旅の提案者「チーフトラベルプランナー」) アイ・アイゲーム(フジテレビ)※オープニングナレーション せきらら白書(テレビ朝日) こんな学園みたことない!(読売テレビ)※ナレーション 衝撃の映像クラッシュ(TBS)※ナレーション 闘え!脳筋カップルズ(朝日放送) 不思議な世界!→やっぱり不思議!?(テレビ東京) 爆発ホンネ修羅バトル(テレビ東京) 金ロマン人生いろいろ(フジテレビ) 痛快!知らぬはオトコばかりなり(フジテレビ) しらばかッ!!(フジテレビ) わけありバラエティー みんなのヒミツ(フジテレビ) 絶品!地球まるかじり(テレビ東京) 明治政府の遺産 海底に眠るニール号の謎(テレビ静岡、2007年8月5日) オジサンズ11(日本テレビ、2007年10月15日 - 2008年9月8日) わかるテレビ(フジテレビ)天の声 嵐の宿題くん(日本テレビ) 小倉智昭の特命調査隊!国民は怒っているぞ!血税バラまき真相SP(テレビ朝日) デッドエイジ(フジテレビ) 人生が変わる1分間の深イイ話(日本テレビ) 走れ青春 42.195キロ 涙と汗のマラソン野郎(テレビ東京、1984年4月11日)※開局20周年特別企画ドラマ TOKYOエアポート〜東京空港管制保安部〜(フジテレビ、2012年 第9話ゲスト) - 上本仁史 役 小倉・住吉のおスミつき!(BS朝日、2012年4月 - 2013年3月) 小倉智昭・住吉美紀の音楽夜話(BS朝日、2013年4月 - 9月) 土曜プレミアム 一千兆円の身代金(フジテレビ、2015年) - 本人 役 国際千葉駅伝(フジテレビ) ヨルタモリ(フジテレビ)筋肉プレゼンター すじダネ!のMC 恋するクラシック(BS日テレ、2018年4月2日 - 2019年3月25日) 小倉ベース(フジテレビ、2021年9月25日) 大橋巨泉の日曜競馬ニッポン(ニッポン放送、レース実況) とことん気になる11時(文化放送、1984年4月2日 - 1987年4月3日) 小倉智昭の時計の針はいま何時(文化放送、1987年 - 1991年) 小倉智昭の丸出し好奇心(STVラジオ、1991年10月6日 - 1992年4月5日) 小倉智昭のニュースアタックル(文化放送、1992年) 小倉智昭の夕焼けアタックル(文化放送、1992年 - 1999年) 小倉智昭のラジオサーキット (ニッポン放送、2006年 - 2012年) 小倉智昭のオールナイトニッポンGOLD(ニッポン放送、2015年6月12日) くにまるジャパン 極(文化放送、2016年10月 - 2021年10月) - 月1回レギュラー出演 Changeの瞬間 〜がんサバイバーストーリー〜 (2021年8月1日・8日、朝日放送ラジオ) 旅の贈りもの 0:00発(2006年)(ラジオのアナウンサー) 犬とあなたの物語 いぬのえいが(2011年)(愛犬家・鈴木さん役) Mr.インクレディブル(2004年)(米ディズニーアニメ、ギルバート・ハフ役) UDON(2006年)(劇中で讃岐うどんブームの紹介をする「とくダネ!」のオープニングシーン) 噂の刑事トミーとマツ 第32話「ああ! トミマツの4回戦ボーイ」(1980年、TBS / 大映テレビ) - リングアナウンサー 役 木曜劇場 非婚家族(フジテレビ、2001年 第1話ゲスト 影山部長役) ガリレオ 第2シーズン(フジテレビ、2013年 第9話ゲスト) - 本人 役 Chef〜三ツ星の給食〜(2016年) ‐ 本人役 ジャングル大帝 勇気が未来をかえる(2009年、テレビスペシャル)(ドルフ役) 週刊 小倉智昭〜担当者でてこい!〜 (Bee TV) 1980年代はナレーションを務めたCMが多かったが、1990年代以降は顔出し出演のCMが多くなった。主な出演CMは下記のとおり。 エスビー食品
カシオ計算機
志乃ぶ寿司
日本電装
東京ガス
雪印乳業
相乗温泉
社会保険庁
関西テレビ放送
皐月賞(1974年) 日本ダービー(1974年) 菊花賞(1974年) 有馬記念(1974年) ^ 本籍地は香川県丸亀市であるという ^ なお、2020年8月7日放送の『とくダネ!』の 本人談『私の母親は88歳で…』と実母の年齢を交えたトークからすると、放送時小倉は73歳であるので、母は15歳で智昭を出産した計算になる。 ^ 当時の中大にはスペイン語学科が無かった。 ^ 当時のアナウンス業界では、技術は盗んで覚えるものとされ、先輩から後輩への技術指導は好ましく思われなかった。 ^ 最初は競馬コーナーのみの担当だったが、その人気からレギュラー出演となった。 ^ 父は(小倉と)結婚前に亡くなっているとの前妻の談である ^ この日の朝は急遽「くにまるジャパン極」に出演(当初出演予定はなかったが入院のため出演できなくなるため予定外の出演)、経緯など詳細な説明を行った。 ^ (エピソード、失言関連情報) 自らが焼肉店を営業していることもあり、フーズ・フォーラスが起こしたユッケによる食中毒事件に関しては「焼肉食べて中毒で死ぬ人よりも、フグの毒で死ぬ人のほうが年間にしては多いんじゃないかと思う」と言及し、生肉の取り扱い規制に対して反対意見を示した。しかし厚生労働省の発表(厚生労働省:食中毒に関する情報)によると平成15年から21年にかけて、フグ毒による食中毒の年間死者数は3人以下である(この中には釣ったフグを素人が調理したことによる事故も含まれており、これを除けば更に死者数は減少する) ^ 絢香も研音に所属していた。 ^ 「とくダネ!」終了までは本番終了後、フジテレビから文化放送まで、自動車で直接移動していた。 ^ おいしいニュース(コシヒカリを使用したこと)に関するナレーション。15秒版:「おいしいニュース食べはった?何、食べはってない?」、30秒版:「おいしいニュース食べましょう」〈ともに原文ママ〉) ^ 「チェックをクリアした人は『湯上りアイス』を1本もらえたが、引っ掛かった人は風呂桶を渡された後、床が開いて浴槽に落ちる」という内容。浴槽に落ちる人を見た志村の反応は15秒版と30秒版で異なる(15秒版:浴槽に落ちた人に手を振る、30秒版:浴槽に落ちた人に驚く。30秒版では前述の反応の後、「湯上りアイス」を持った子供が映り、浴槽に落ちた人を志村と一緒に観察する)。 ^ 平松澄子 (2011年7月23日). “【プレミアムシート】キャスター・小倉智昭 「いつまで必要とされるかが勝負」”. MSN産経ニュース (産経新聞社). オリジナルの2011年12月9日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2011-1209-0050-40/sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110723/ent11072307010001-n2.htm 2011年12月9日閲覧。 ^ 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、46頁。 ^ 日刊スポーツ 2006年6月4日(28面)『日曜日のヒーロー519・小倉智昭』より。 ^ 武田鉄矢ほか『あの日あの時母の顔 私の母語り』小学館、1996年5月、180頁。ISBN 4-09-387179-5。 ^ 週刊文春 2002年1月31日号 p.142-146「阿川佐和子のこの人に会いたい」 ^ 週刊新潮 2004年11月11日号 p.46-47「短期集中連載『キャスター誕生!』最終回」 ^ 安全衛生のひろば(労働省労働基準局安全衛生部監修 中央労働災害防止協会発行)1991年2月号 p.4-7「対談 中尾彬のトークギャラリー」 ^ 本音 (新潮新書 ; 1029) ^ “【オヤジンセイ】小倉智昭 「人におべんちゃら使わないのは親父似」所持金170円の過去も…“補欠の人生”をぶった斬る”. フジテレビュー!!. (2021年3月26日). https://web.archive.org/web/20210326031454/https://www.fujitv-view.jp/article/post-274238/ 2021年12月5日閲覧。 ^ 週刊ポスト 2008年3月28日号 p.60-63「眞鍋かをりのココだけで教えて!」 ^ “「死去」山城新伍との出会い 「小倉智昭の人生」変えた理由”. J=CAST テレビウォッチ. 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(2011年8月26日)”. エキサイトニュース. 2021年9月2日閲覧。 ^ 潰瘍性大腸炎(公費負担医療) 公益財団法人 難病医学研究財団 難病情報センター ^ 安倍元首相の「腹痛」を揶揄 「とくダネ!」に疑問相次ぐ J-CASTニュース 9月28日 20時2分配信 ^ フジテレビ『とくダネ!』で厚生省指定の難病を「お腹が痛くて」と表現し安倍総裁批判 ガジェット通信 9月28日16時45分配信 ^ “安倍氏「腹痛辞任」コメントは不適切 「とくダネ!」小倉キャスターが謝罪”. JCASTニュース (2012年10月1日). 2012年10月5日閲覧。 ^ 小倉智昭は体罰容認派?「目つぶってもいいんじゃないというのもある」 J-CAST1テレビウォッチ2013年1月11日付、2013年1月12日閲覧 ^ レディー・ガガを「バガ」呼ばわりした小倉智昭に、批判殺到中!「ジジイ・ヅラに改名したらいいのに」 日刊サイゾー2014年12月2日付・閲覧 ^ 小倉智昭 - オリコンTV出演情報 ^ 北海道新聞 1991年10月6日(19面)、1992年4月5日(25面)、いずれもラジオ欄より。 ^ “ラジオ「Changeの瞬間~がんサバイバーストーリー」好評放送中 【随時更新】”. 日本対がん協会. 2023年5月7日閲覧。 秋田県出身の人物一覧 笠井信輔(元フジテレビアナウンサー『とくダネ!』唯一初回から20年6ヶ月と長年共演。) 天達武史(「とくダネ!」のお天気コーナーでの呼びかけの「天達ー!」が定番) 小倉智昭 タレント / アーティスト|株式会社オールラウンド|芸能プロダクション 小倉智昭ブログ OG's Diary 表 話 編 歴 大阪国際女子マラソン - 東京マラソン - 北海道マラソン 土曜競馬中継 - 小川宏ショー - ザ・ロンゲストショー - ニューストレイン出発進行 - 独占!男の時間 - サタデーナイトショー - アイ・アイゲーム - ヤンヤン歌うスタジオ - 世界のプロレス - 世界まるごとHOWマッチ - 巨泉のこんなモノいらない!? - ザ・スクールコップ - 紅白そっくり大賞 - こんなクイズがあってもいいじゃないか大賞 - キャッチ - ジョーダンじゃない!? - どうーなってるの?! - FNSの日(平成教育テレビ・FNS27時間テレビ) - タミヤRCカーグランプリ - TONでネットワーク - とくダネ!発 GO-ガイ! - パソコンサンデー - メトロポリタンジャーニー - せきらら白書 - こんな学園みたことない! - 世界まるごと2001年 - 衝撃の映像クラッシュ - スポーツ特Q - 闘え!脳筋カップルズ - 不思議な世界!→やっぱり不思議!? - 爆発ホンネ修羅バトル - 金ロマン人生いろいろ - 痛快!知らぬはオトコばかりなり - しらばかッ!! - しらばかプラス - まかせて!!エキスパ - わけありバラエティー みんなのヒミツ - いまどき!ごはん - 絶品!地球まるかじり - 世界バリバリ★バリュー - ハッケン!! - オジサンズ11 - 奇跡をくれた動物たち - サキヨミLIVE - わかるテレビ - 嵐の宿題くん - 驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能SP - 国民は怒っているぞ!血税バラまき真相SP - わ・す・れ・な・い - 1億3000万人が選ぶニッポン人が好きな偉人ベスト100 - 探そう!ニッポン人の忘れもの - デッドエイジ - 小倉・住吉のおスミつき! - 十八番で勝負!!新春!オールスター対抗歌合戦 - 小倉・高田の55BOYS - テレビ東京52年分の映像大放出!モヤモヤ映像廃棄センター〜こんなVTR新社屋に持って行けません〜 - 情報プレゼンター とくダネ! - FNS歌謡祭 大橋巨泉の日曜競馬ニッポン - 小倉智昭の時計の針はいま何時 - 小倉智昭のニュースアタックル - 小倉智昭の夕焼けアタックル - ニュース・パレード - 小倉智昭のラジオサーキット テレビ東京 - オーケープロダクション - オールラウンド - お台場オトナPARK - ふるさと祭り東京 - 朝のヒットスタジオ 田原総一朗 - 杉浦滋男 - 藤吉次郎 - 川島真理子 - 茅原ますみ - 高妻由美 - 落合昭彦 - 大橋巨泉 - 小川宏 - 萩原流行 - 天達武史 - 三宅正治 - 笠井信輔 - 中村江里子 - 伊藤利尋 - 佐々木恭子 - 深澤里奈 - 内田恭子 - 梅津弥英子 - 中野美奈子 - 立本信吾 - 山﨑夕貴 - 新美有加 - 海老原優香 - 菊川怜 - 大塚範一 - 徳光和夫 - 羽鳥慎一 - 嵐 - 住吉美紀 - 坪内一樹 - 鈴木陽悦 - 寺尾聰 - 市村正親 - 水木一郎 表 話 編 歴 小倉智昭1999.4-2021.3 笠井信輔1999.4-2018.3 伊藤利尋2018.4-2020.9 立本信吾2020.10-2021.3 フジテレビ 日枝久 村上光一 豊田皓 亀山千広 宮内正喜 遠藤龍之介 ISNI VIAF 日本 テレビ東京のアナウンサー スポーツアナウンサー 競馬アナウンサー フリーアナウンサー 日本のナレーター 日本のタレント 日本の司会者 日本のニュースキャスター 日本のラジオパーソナリティ 埼玉西武ライオンズ関連人物 日本の競馬に関する人物 競輪アナウンサー オートレースに関連する人物 20世紀日本の実業家 21世紀日本の実業家 吃音の人物 時事通信社の人物 獨協大学出身の人物 中央大学附属中学校・高等学校出身の人物 秋田県出身の人物 1947年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension 説明が求められている文章がある記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/21 06:09更新
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ogura tomoaki
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