木原均の情報(きはらひとし) 医学者(遺伝学) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
木原 均さんについて調べます
■名前・氏名 |
木原均と関係のある人
本多勝一: 本多は高校で木原均の講演に感銘を受け、京都大学で遺伝学を学びたいと考えたため、父と衝突した。 ハンス=ウィンクラー: 木原均 編 編『生物学閑話: 郡場寛博士との対談』 第3集、廣川書店、1968年、190頁。 木村資生: 木原均の遺伝学研究室に所属していた。 |
木原均の情報まとめ
木原 均(きはら ひとし)さんの誕生日は1893年10月21日です。東京出身の医学者(遺伝学)のようです。
卒業、現在に関する情報もありますね。1986年に亡くなられているようです。
木原均のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)木原 均(きはら ひとし、1893年10月21日 - 1986年7月27日)は、日本の遺伝学者。位階は正三位。京都大学名誉教授。国立遺伝学研究所所長。理学博士(京都帝国大学、1924年)。 コムギの祖先を発見したことで知られる。近縁の植物のゲノムと遺伝子との関係を知り、ゲノムの遷移や進化の過程を調査するのに用いられる手法を確立したことで有名。また、スイバの研究から種子植物の性染色体も発見した。種なしスイカの開発者でもある。 木原がコムギの遺伝子の研究をすることになったのは、北大の先輩で、当時大学院生だった坂村徹の「遺伝物質の運搬者(染色体)」という題の講演を聴いたことがきっかけ。木原は話が面白くて感激のあまり坂村の研究室まで押しかけていったという。これは木原が学問に目覚め、科学者としての出発点でもあった。しかし木原はこの後、他の植物生理学の研究を続けコムギには縁なく過ごしていたが、坂村が植物生理学の教授となり外国留学することになったため、コムギの遺伝子研究を木原に委ねたのである。 恵迪寮出身であり、大正2年度寮歌「幾世幾年」の作歌を担当した。日本スキー草創期に発展に尽くした一人で、科学的トレーニングを提唱し、スキー、テニス、野球などをたしなんだ。 木原の遺した言葉として「地球の歴史は地層に、生物の歴史は染色体に記されてある」(The History of the Earth is recorded in the Layers of its Crust; The History of all Organisms is inscribed in the Chromosomes.) というものが知られている。これは1947年刊行の著書『小麦の祖先』の前書きにある以下の文章を元に後年整理されたものだという。 1893年(明治26年)10月21日、東京市に生まれる。東京市白金尋常高等小学校高等科、および麻布中学校を卒業する。 1912年(大正元年)9月11日、東北帝国大学農科大学(現:北海道大学)大学予科に入学。1915年に農学科第三部(のちの農業生物学科、現在の応用生命科学科)に進学し植物生理学を専攻。 1918年(大正7年)7月6日、北海道帝国大学農学部卒業。同大学院へ進学。
1920年(大正9年)京都帝国大学理学部植物学教室助手(1922年、講師) 1924年(大正13年)4月 京都帝国大学農学部農林生物学科助教授(農林生物学第三講座。1926年、実験遺伝学講座)
1925年(大正14年)3月 在外研究(1927年(昭和2年)6月まで) 1927年(昭和2年)7月 京都帝国大学農学部農林生物学科教授(実験遺伝学講座) 1940年(昭和15年)11月 京都帝国大学評議員(1942年(昭和17年)11月まで) 1942年(昭和17年)財団法人木原生物学研究所創設(京都)、所長を務める 1949年(昭和24年)日本学士院会員に選任される 1955年(昭和30年)
10月
京都大学農学部農林生物学科教授併任(1956年(昭和31年)3月まで) 1957年(昭和32年)5月 木原生物学研究所を横浜に移設 1959年(昭和34年)9月 京都大学名誉教授 1964年(昭和39年)農林省植物ウイルス研究所所長(1968年(昭和43年)まで) 1969年(昭和44年)10月 木原生物学研究所三島分室(静岡県三島市)開設(1978年(昭和53年)12月まで) 1983年 日本遺伝学会により木原賞創設 1984年(昭和59年)4月 木原生物学研究所を横浜市立大学に移管、横浜市立大学木原生物学研究所発足、名誉所長 1985年(昭和60年)3月 木原の業績を記念し、21世紀に向けて生命料学の振興を図ることを目的に木原記念横浜生命科学振興財団が設立される(2013年に公益財団法人に移行) 1986年(昭和61年)横浜で逝去(享年92) 1958年(昭和33年)全日本スキー連盟会長(第4代、1968年(昭和43年)まで) 1960年(昭和35年)日本原子力委員会委員長(1964年(昭和39年)まで) 1960年(昭和35年)第8回冬季オリンピック(スコーバレー)日本選手団団長 1964年(昭和39年)第9回冬季オリンピック(インスブルック)日本選手団団長 1972年(昭和47年)第11回冬季オリンピック(札幌) 組織委員 1974年(昭和49年)麻布学園理事長 1939年(昭和14年)日本遺伝学会賞 1943年(昭和18年)学士院恩賜賞 1948年(昭和23年)文化勲章受章 1951年(昭和26年)文化功労者選出 1975年(昭和50年)勲一等旭日大綬章受章 1986年(昭和61年)叙正三位 『科学者の見た戦後の欧米 - 第八回国際遺伝学会に出席して』毎日新聞社、1949年 『実験遺伝学』岩波書店〈岩波全書〉、1949年 『コムギの合成 - 木原均随想集』講談社、1973年 『一粒舎主人寫眞譜』木原生物学研究所、1985年 『最新スキー術』(遠藤吉三郎との共著)博文館、1919年 『遺伝・育種学叢書(第1輯-第11輯)』(編)養賢堂、1933年-1938年 『内蒙古の生物学的調査』(編)養賢堂、1940年 『現代の生物学』(第1集-第3集)(共編)共立出版、1949年-1950年 『小麦の研究』(編著)養賢堂、1954年 『十人百話 第2』(共著)毎日新聞社、1963年 ^ “木原均博士について”. 木原記念横浜生命科学振興財団. 2019年2月5日閲覧。 ^ 斎藤成也『自然淘汰論から中立進化論へ』NTT出版、2009年、66頁。ISBN 9784757160453。https://books.google.co.jp/books?id=UdGPGQd6dYIC&pg=PA66。 ^ 木原均『小麦の祖先』創元社〈百花文庫〉、1947年、1頁。全国書誌番号:46020621。 ^ 官報第1781号NDLJP:2953894/8 ^ 木原均 編 編『生物学閑話: 郡場寛博士との対談』 第2集、廣川書店、1966年、1-2頁。全国書誌番号:66010307。 ^ 同研究所の沿革については、「木原生物学研究所の沿革」(横浜市立大学木原生物学研究所のサイト)に詳しい。 木原記念財団学術賞 木原賞 横浜市立大学木原生物学研究所 木原記念横浜生命科学振興財団 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オーストラリア オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research レオポルディーナ Trove(オーストラリア)
SNAC IdRef 20世紀日本の生物学者 日本の遺伝学者 日本学士院賞受賞者 勲一等旭日大綬章受章者 文化勲章受章者 日本学士院会員 国立科学アカデミー・レオポルディーナ会員 日本の学校法人の理事長 京都大学の教員 理学博士取得者 国立遺伝学研究所の人物 北海道大学出身の人物 麻布中学校・高等学校出身の人物 東京都出身の人物 スキーに関する人物 1893年生 1986年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BIBSYS識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLA識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 Leopoldina識別子が指定されている記事 Trove識別子が指定されている記事 SNAC-ID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2025/01/24 17:00更新
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