松浦築枝の情報(まつうらつきえ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


松浦 築枝さんについて調べます
■名前・氏名 |
松浦築枝と同じ出身地の人 |
松浦築枝と関係のある人
松田定次: 妻は女優の松浦築枝、脚本家の松田寛夫は長男(養子)。 大林静子: 1930年(昭和5年)、マキノ・プロダクションでの女優ランクでマキノ智子、松浦築枝に続く第3位に位置した。 住乃江田鶴子: 1929年(昭和4年)7月25日、牧野省三が亡くなり、同年9月にマキノ正博を核とした新体制が発表になると、住乃江は、マキノ智子、松浦築枝、岡島艶子、大林梅子、桜木梅子、生野初子、河上君栄、三保松子、泉清子、都賀静子らとともに「俳優部女優」に名を連ねた。 稲葉蛟児: 強者 1928年 脚本西条章太郎、撮影田中十三、主演嵐長三郎、松浦築枝 ※監督デビュー作 牧野省三: 牧野が育てた映画人には、内田吐夢、衣笠貞之助、息子のマキノ雅弘、松田定次、二川文太郎、沼田紅緑、滝沢英輔、金森万象、井上金太郎、並木鏡太郎などの映画監督、尾上松之助、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介、市川右太衛門、高木新平、松浦築枝、森静子、鈴木澄子、岡島艶子、娘のマキノ輝子などの俳優・女優がいる。 |
松浦築枝の情報まとめ

松浦 築枝(まつうら つきえ)さんの誕生日は1907年11月5日です。

結婚、現在、映画、解散、引退、テレビに関する情報もありますね。1999年に亡くなられているようです。
松浦築枝のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)松浦 築枝(まつうら つきえ、1907年(明治40年)11月5日 - 1999年(平成11年))は、日本の女優である。初期芸名は松浦 月枝(読み同)、出生名は大野 月枝(おおの-)、結婚後の本名は松田 月枝(まつだ-)である。 1907年(明治40年)11月5日、大韓帝国釜山(現在の大韓民国釜山広域市)に「大野月枝」として生まれる。1910年(明治43年、同地は日本領となり朝鮮釜山府となった。 やがて松竹キネマの柳さく子に演技を学び、京都の松竹キネマ下加茂撮影所に入社した。 1925年(大正14年)5月、阪東妻三郎を筆頭に、等寺院の東亜キネマを抜け出た女優らがマキノ・プロダクション創設の報を聞き、マキノ映画上映舞台挨拶のため朝鮮に渡る。釜山についた阪東に、朝鮮でマキノ映画の配給をしていた櫻庭藤夫が「松浦を女優にしてくれ」と頼み、阪妻が了承。 同年6月、マキノ・プロダクション御室撮影所が発足、阪妻の世話でこれに移籍。同年、「松浦月枝」名義で二川文太郎監督の『乱刀 前篇』に出演した。 1926年(大正15年)、同社社長の牧野省三の指示で改名、高見貞衛監督の『浪人地獄』から「松浦築枝」と名乗った。 1930年(昭和5年)12月以降のマキノ・プロダクションの経営難に際して、名古屋あるいは東京・浅草で他の所属俳優たちとともに舞台で活動し、収益金を争議資金に充てた。 1931年(昭和6年)には同社は製作停止せざるを得なくなり、最終的に解散となる。同年、新興キネマに移籍。 1932年(昭和7年)1月、牧野省三の息子の一人である松田定次と結婚し、同年、代表作となる山中貞雄監督の『磯の源太 抱寝の長脇差』に出演する。同年2月設立された正映マキノキネマ、同年11月からは宝塚キネマ興行、1933年(昭和8年)には太秦発声映画、1934年(昭和9年)にはエトナ映画社へと移籍した。 1935年(昭和10年)11月、マキノ正博がマキノトーキー製作所を設立すると、夫の松田とともに参加した。 第二次世界大戦後は、マキノ光雄が経営陣にいる東横映画で活動。 1951年(昭和26年)、同社が他の2社と合併して東映が設立されると、東映京都撮影所の専属女優となった。 1965年(昭和40年)、引退。 1999年(平成11年)、死去。満91-92歳没。 1929年(昭和4年)当時の雑誌記事によれば、当時の身長は「5尺1寸」(154.5センチ)、体重は「11貫400匁」(42.75キロ)、京都市外花園村(現在の市内右京区花園)在住とあった。 『乱刀 前篇』 : 監督二川文太郎、1925年 - 「松浦月枝」名義 『牡丹燈籠』 : 監督沼田紅緑、1926年 『照る日くもる日』第一篇・第二篇 : 監督二川文太郎、1926年 『浪人地獄』 : 監督高見貞衛、1926年 『照る日くもる日』第三篇 : 監督中島宝三、1927年 『照る日くもる日』第四篇 : 監督人見吉之助、1927年 『忠魂義烈 実録忠臣蔵』 : 監督マキノ省三、1928年 『蹴合鶏』 : 監督マキノ正博、1928年 『崇禅寺馬場』 Sozenji Baba : 監督マキノ正博、1928年 『浪人街 第二話 楽屋風呂 第一篇』 : 監督マキノ正博、1929年 『浪人街 第二話 楽屋風呂 解決篇』 : 監督マキノ正博、1929年 『首の座』 : 監督マキノ正博、1927年 『学生三代記 明治時代』 : 監督マキノ正博・阪田重則・並木鏡太郎・久保為義、1930年 『磯の源太 抱寝の長脇差』 : 監督山中貞雄、1932年 『涙の天使』 : 監督米沢正夫、1933年 『歌麿をめぐる五人の女』 Utamaro and His Five Women : 監督溝口健二、1946年 『地獄の顔』 : 監督大曽根辰夫、1947年 『三本指の男』 : 監督松田定次、1947年 『獄門島』 : 監督松田定次、1949年 『獄門島 解明篇』 : 監督松田定次、1949年 『八ツ墓村』 : 監督松田定次、1951年 『西鶴一代女』 The Life of Oharu : 監督溝口健二、1952年 『新諸国物語 笛吹童子』第一部・第二部・第三部 : 監督萩原遼、1954年 『悪魔が来りて笛を吹く』 : 監督松田定次、1954年 『紅顔の若武者 織田信長』 : 監督河野寿一、1955年 『三つ首塔』 : 監督小林恒夫・小沢茂弘、1956年 『朱雀門』 : 監督森一生、1957年 『源氏物語 浮舟』:監督衣笠貞之助、1957年 『仇討崇禅寺馬場』 Adauchi sōzenji baba : 監督マキノ雅弘、1957年 『水戸黄門』 : 監督佐々木康、1957年 『雪之丞変化』 : 監督マキノ雅弘、1959年 『壮烈新選組 幕末の動乱』 : 監督佐々木康、1960年 『反逆児』 : 監督伊藤大輔、1961年 『瞼の母』 : 監督加藤泰、1962年 『恋や恋なすな恋』 : 監督内田吐夢、1962年 『武士道残酷物語』 : 監督今井正、1963年 『忍者秘帖 梟の城』 : 監督工藤栄一、1963年 『十三人の刺客』 : 監督工藤栄一、1963年 『宮本武蔵 一乗寺の決斗』 : 監督内田吐夢、1964年 『新吾番外勝負』 : 監督松田定次、1964年 『大喧嘩』 : 監督山下耕作、1964年 『関東破門状』 : 監督小沢茂弘、1965年 『素浪人 月影兵庫 第1シリーズ』第22話 : テレビ映画、1966年 ^ 『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.189。 ^ 「菅家紅葉氏談話」、立命館大学、2009年11月5日閲覧。 ^ 『映画渡世・天の巻 マキノ雅弘伝』(マキノ雅弘、平凡社) ^ 『日本俳優名鑑 - 映画俳優の部』、「芝居とキネマ」昭和4年1月号新春付録、1929年、「松浦築枝」の項。 Tsukie Matsuura - IMDb(英語) 松浦築枝 - 日本映画データベース 松浦築枝 - KINENOTE 松浦築枝 - allcinema ISNI VIAF WorldCat アメリカ 20世紀日本の女優 松竹の俳優 マキノ・プロダクションの俳優 新興キネマの俳優 マキノトーキーの俳優 東映の俳優 サイレント映画の俳優 釜山広域市出身の人物 1907年生 1999年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事
2025/04/03 23:16更新
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matsuura tsukie
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