林家木久扇の情報(はやしやきくおう) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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林家 木久扇さんについて調べます
■名前・氏名 |
林家木久扇と関係のある人
立川談志: 同日19時より文化放送で『特別番組 立川談志13回忌 そして伝説へ」』が放送され、太田光と林家木久扇が出演し、吉田涙子が案内役を務めた。 林家木りん: 2009年3月、林家木久扇に入門。 信田朋嗣: 2017年2月3日林家木久扇にその人柄を認められ客員弟子に認定。 立川談志: 『笑点』降板時には初代林家木久蔵(現:林家木久扇)を大喜利メンバーにするよう番組スタッフに推薦し、木久蔵には「木久蔵は与太郎だよな。 春風亭小朝: 小朝は叔父弟子である林家木久扇とも関係が深く、2007年9月の木久扇・木久蔵ダブル襲名会見に同席したほか、2014年7月には喉頭癌のため休養した木久扇の状態をブログで伝えた。 清水崑: 林家木久扇は弟子の一人で、時代劇漫画を描いていた為、漫画を描きながら月形龍之介・嵐寛寿郎等往年の時代俳優の物真似をしていたら清水が「面白い喋りをしている。上述のように、河童の漫画で一世を風靡しているが、林家木久扇のネタのひとつ「河童」がこれに関係しているかは定かではない(ただし、「笑点」の2011年の長崎県での地方収録の際、大喜利の挨拶の中で、「清水崑先生を偲んで」と銘打ち、河童ネタを披露している)。 立川談志: 談志の死去を受けて、23日、8代目橘家圓蔵と林家木久扇が日本テレビのニュース番組『news every.』に生出演し、談志との想い出を語った。 桂歌丸: 1985年8月12日、当時の他の笑点メンバーである5代目三遊亭圓楽、三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)、林家木久蔵(初代、現・林家木久扇)、三遊亭小遊三、林家こん平、古今亭朝次(現・7代目桂才賀)、山田隆夫と共に翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りするために当初予約した徳島行きの航空機が大幅に遅延した上に、徳島空港が悪天候のため予約便が条件付き運行となった。 林家こん平: 1985年8月12日、当時の笑点メンバー(5代目三遊亭圓楽、桂歌丸、こん平、初代林家木久蔵(現:林家木久扇)、三遊亭小遊三、三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)、古今亭朝次(現:7代目桂才賀)、山田隆夫)とともに翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りの予定だったが、当初予約した徳島空港行きに使われる航空機は遅延した上、同空港の悪天候により条件運行となったため、1つ後に出発する日本航空123便に搭乗して、神戸港から船で移動する案が出された。 林家たい平: また、同じく絵を描くことで知られている林家木久扇の絵のアシスタントをしていたことがある。 桂歌丸: 同月11日に港北区の妙蓮寺で芸協・椎名家合同の告別式が行われ、師匠の桂米丸、落語協会会長の柳亭市馬、林家木久扇が弔辞、友人を代表して中村吉右衛門が挨拶、落語芸術協会を代表して三遊亭小遊三が謝辞を述べた。 上田吉二郎: 悪役・敵役を得意とし、弱者を痛めつけ、自分より強いものには平身低頭するような悪役が多く、独特なダミ声は、よしもと新喜劇の島田一の介や林家木久扇らによって度々声帯模写で取り上げられた。 林家たい平: 林家木久扇最後の大喜利で、前座修行を終えて仕事がなかった時に当時の林家木久蔵から「(私の)家に来て絵の手伝いをしたらどうか?」と言ってもらう。 暁テル子: 林家木久扇が「笑点」で回答で歌う事がある。 山田隆夫: 芸歴上は、林家木久扇の卒業を期に全員が後輩になったが、メンバーからは「山田くん」と呼ばれている。 林家たい平: 2004年にこん平の代理としてメンバー入りしてから、こん平が座っていた一番右端の6枠に18年の長きに渡って座っていたが、2022年に桂宮治が加入したのに伴い、既存メンバーの席替えも30年振りに行われ、林家木久扇が座っていた3枠に移動した。 嵐寛寿郎: 落語家林家木久扇の憧れの人であり、『笑点』でも時々アラカンの物まねをする。 高橋功一郎: 劇画寄席 落語の間(監修・林家木久扇、脚本・はちどり家木こり、COMIC魂、2018年10月号 - 2019年11月号) 真島茂樹: 初代林家木久蔵(現:林家木久扇) - 2006年元日に放送された「大笑点」で共演し、当時の初代木久蔵をはじめ彼の一門の弟子とともに、「いやんばか〜ん」を踊った。 林家こん平: 桂歌丸、林家木久扇、たい平らによるコメントの後、再度「チャラーン!」を披露し、2020年の高座復帰を目指してリハビリを継続することを明らかにした。 清國勝雄: 二男の嘉由生は林家木久扇門下の落語家、林家希林。 坂井永年: 高校時代に落語家の林家木久扇(当時・林家木久蔵)と知り合い、高校卒業後に同氏の紹介でプロデビュー。 山田隆夫: 1985年8月12日、当時の笑点メンバー(5代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家こん平、初代林家木久蔵(現在は林家木久扇)、三遊亭小遊三、三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)、古今亭朝次(現在は7代目桂才賀))とともに翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りの予定だったが、当初予約した徳島空港行きに使われる航空機が遅延した上に同空港の悪天候により条件運行となったため、徳島行きの便の1つ後に出発する日本航空123便に搭乗し神戸から船で移動する案が出された。 林家木りん: 高校で林家木久扇の「学校寄席」を聞き、これがきっかけで落語に熱中した。 綾瀬はるか: 2020年には林家木久扇指導のもと古典落語の「たらちね」を披露。 林家きく姫: テレビで『笑点』を観たのがきっかけで、1987年に高校を中退し16歳で初代林家木久蔵(現:林家木久扇)に入門、惣領弟子となる。 藤澤ノリマサ: 林家木久扇、綾小路きみまろのファン。 |
林家木久扇の情報まとめ
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林家 木久扇(はやしや きくおう)さんの誕生日は1937年10月19日です。神奈川出身の漫画家のようです。
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役職、経歴などについてまとめました。家族、現在、趣味、父親、兄弟、事故、映画、テレビ、卒業、離婚、退社、結婚、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。亡くなられているようです。
林家木久扇のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉10月19日 - )は、日本の落語家、漫画家、画家、実業家。 血液型はA型、出囃子は「宮さん宮さん」、定紋は林家彦六一門の定紋である「中陰光琳蔦」。前名の初代林家木久蔵としても知られる。 1937年10月19日、東京市日本橋区久松町の雑貨問屋に生まれる。比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。そのためか貧乏を嫌い、終生長屋暮らしだった師匠彦六を「清貧に甘んじ人情に厚い人」と評する一方で「噺家は貧乏でもいいという姿勢」を欠点とし、「噺の中に出てくる人物と同色の暮らし向きをして、若手落語家たちにあれが老成大家の未来像なんだと植えつけてしまった(例として、落語会のギャラを自分の分だけでなく、弟子達の分まで半分相手に返してしまう行動など)」と記している。 寄席に登場し一礼すると、「スーパースターの林家木久扇でございます」と挨拶し、観客の笑いを誘い、掴みを取る。 「現在の多くの若い落語家は経済観念が欠落している」とも批判している。師匠彦六の天敵でありインタビュー依頼電話に「私が喋るのは只じゃござんせん」とプロ意識を持っていた6代目三遊亭圓生、豪邸を建てた3代目古今亭志ん朝、師匠彦六と同じ長屋住まいだが「横丁の大金持ち」とあだ名されるほど貯金をして、脳溢血で倒れた際入院費・治療代を全額貯金を払って亡くなり、一方師匠彦六の友人であり亡くなる直前まで金のことを考えていた9代目桂文治を賞賛している。 木久扇が圓生の考えに賛同する部分は特に経済観念であり、噺家活動の方向性については「落語は古典でなくては、のかたまり」「指導力のある人だが、一方的」と感じていたと『ぼくの人生落語だよ』で記している。また、志ん朝の父・5代目古今亭志ん生は対極的に“貧乏長屋”の代名詞として、今なお志ん生一門中心に噺家の小咄のネタとなっている。 木久扇のライバルは“先月の売り上げ”である(ラーメンだけでなく、噺家・作家としての売り上げも含む)。 多芸多趣味であることもあり、落語界の外に多くの知己を持っている。大御所になってからも、絵の師匠に弟子入りしたりしている。 『笑点』などで脱力的なキャラクターが認知されているが、エッセイや著書からは、キャラクターのイメージとは異なる相当のインテリであることを窺わせる。時代劇や日本史に造詣が深く、NHKの歴史番組などにゲスト出演する際は、笑点でのキャラクターとは別人の描写である。 私生活では、常に帽子を目深にかぶり、絶対に有名人であることを悟られないように用心深く過ごしている。弟子もつけないことが多い。清水崑からは門弟中に「ひとり高く、孤高であれ、お前さん群れなさんなよ」とよく励まされており、その言葉の影響もある模様。 楽屋での人間関係は孤立気味であり、会話はもちろん視線を合わすことも避けられている。これは嫌われているのではなく、不意に変なもうけ話をメンバーに持ち込むため、他のメンバーが絡みづらいと感じているからだとされる。6代目三遊亭円楽は東京スポーツからのインタビューで「たまたま目が合ったら、近づいてきて、“いい木材を大量に仕入れたからそれを彫り物にして売ろうよ”と持ちかけられた」と暴露した。また、過去に象を輸入して観光料で儲けようとしたが、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)に引っかかって大儲けどころか、象が輸入されずに大損したこともある。この時の象は木久象とまで名前をつけていた。とはいえ、若い時分には、師匠連にお茶を出すのは大変だ、ということで二口急須を発明して商品化されるなど、成功した事例もある。 本人の著書によれば、1976年に(本に1967年とあるのは誤り)腸閉塞症に罹り、生存率60%といわれる手術を成功させている。この時、臨死体験に近いことを体験した。父親は胃癌で死亡したが、2000年に本人も胃癌に罹り、胃を3分の2切除している。ダブル襲名の口上で、きくお改め木久蔵は、この7年前(2000年)に木久扇がガンを患ったことに触れており、「(木久扇が)元気なうちに真打昇進できて良かった。これでいつ天国に行ってもらってもいい」と述べている。 赤塚不二夫やタモリとは長く親交があり、彼らの仕事場や宴会にはよく顔を出している。また横山やすしとは親友の間柄であり、やすしを全国ラーメン党の副会長兼大阪支部長に任命したことがある。 3代目三木助死後、三木助の死後まで残っていた門弟達は、三木助と同じ筋である8代目桂文楽、5代目柳家小さんを前に次の新たな師匠を決めさせられ、木久蔵(当時・木久男)以外の門弟は皆小さんを選択した。それにもかかわらず8代目林家正蔵一門へ移籍したのは、三木助の病床時に林家正蔵が見舞金を贈ってきたことに対し、「これが一番嬉しい」と三木助の妻が言っていたため。当時の木久男はまだ前座になりたてで、落語界の人間関係をよく理解していなかったと語る。 自身の選定により、 家が狭いこと(貧乏長屋であり、部屋数も少ない。掃除が楽) 師匠の子供が既に成人して、自立していること(子守の仕事をすることがない) ということをメリットに考えた。しかし、正蔵が道具噺をするということまでは実際その準備にかりだされるまで知らず、道具を部屋から引っ張り出し、運び出し、大道具の設置をしなくてはならず苦心した。 弟弟子林家正雀も、著書で師匠彦六の自宅稲荷町に通ってくる兄弟子の記録として、「3代目八光亭春輔、3代目桂藤兵衛、林家時蔵が毎日、九蔵が時おり、5代目はやし家林蔵はよく来た」とだけ記している。 日本橋出身であることを誇りに思い、上を走る首都高速道路を地下に移設してほしいと、時々笑点の挨拶で訴えている。 『クジラ食文化を守る会』の副会長を務めている事でも分かるように、捕鯨文化の維持を主張しており、『正論』2018年5月号では「食べていい生物といけない生物 決めるのは誰?」というタイトルで、『ビハインド・ザ・コーヴ 〜捕鯨問題の謎に迫る〜』の監督を務めた八木景子との対談が掲載された。 1985年8月12日、当時の笑点メンバー(5代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家こん平、三遊亭小遊三、三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)、古今亭朝次(現在は7代目桂才賀)、山田隆夫)とともに翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りの予定だったが、当初予約した徳島空港行きの飛行機が遅延した上に同空港の悪天候により条件運行となった。そのため、徳島行きの便の1つ後に出発する日本航空123便に搭乗し、神戸港から船で移動する案が出された。しかし、こん平が「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ、きっと徳島空港に着陸できるよ」と提案したために、当初の予定通り徳島行きの便に搭乗し、123便の墜落事故を逃れた。墜落事故については、徳島空港到着後宿泊先のホテルへタクシーで移動中に知ったという。 『笑点』には1967年10月放送の「若手大喜利」で初出演。1969年11月から出演し、2024年3月まで約55年間出演していた。これは歴代大喜利メンバーの中で最も長い出演期間であった。 大喜利メンバーに入った当初、特徴が無かった木久扇は自分をどうキャラ付けしようか迷っていたが、ある日TVで流れていた嵐寛寿郎の出演するチャンバラ映画を見たのを思い出し、大喜利の回答で鞍馬天狗になりきって「杉作、日本の夜明けは近い」と話したら、これが見事にハマった。そこから目覚めて、時代劇言葉で返すようになって、自身のキャラクターが確立していった。しかし実は鞍馬天狗には原作にも映画にも「杉作……」などというフレーズは出て来ず、木久扇の創作である。それがのちに、木久扇が扮する鞍馬天狗でCMが作られ、賞を受けた。 大喜利で歌を歌うのも木久扇の特徴である。昔からミュージカルが好きであった木久扇は、植木等や榎本健一のようにセリフの合間に歌を盛り込んだら会場も盛り上がるだろうと考え、自身以前にはいなかった歌を歌う大喜利メンバーとなった。 木久扇の持ちネタの落語『林家彦六伝(明るい選挙)』にも出て来るが、木久扇の『笑点』起用は初代司会者七代目立川談志が推薦したことが大きく影響している(現在のキャラクター「与太郎」についても同様である)。その一方、時折与太郎キャラと大きく異なる回答(社会風刺・反戦・メンバー罵倒など)を出して驚かせることもあり、先述の司会者によるフォローも、こうした回答を受けてから発せられることが多かった。自身が襲名の後見を勤めた二代目林家三平が加入後から降板までの間は三平に対して説教やダメ出しをする事が多かった。 色紋付の復活当初は「一番目立つ色」という理由で赤い色紋付を着用していたが、1年ほどですぐに黄色に変わり、そのまま現在まで至る。このため、歌丸などからは指名された際に「黄色い人」と呼ばれたりしている。 回答の多くはシンプルな駄洒落が多い一方でそのシンプルさ故に観客や司会者から先に答えを言われて座布団を没収されてしまう事も多い。その中でも番組内で多用している「やぁねぇ」 の駄洒落から、屋根の発展に貢献したとして2004年(平成16年)に神奈川県瓦屋屋根工業連合会の名誉総裁に任命された。 時代劇への造詣の深さから、嵐寛寿郎が『笑点』の「伸介のなんでもコーナー」(1975年7月6日放送)にゲスト出演した際に共演している。また、演芸コーナーで時代劇コントグループカンカラが出演する場合、ゲストで出演することもある。 「いやんばか〜ん・・・・」は、1978年4月12日にレコード化(原曲はジャズナンバーの「セントルイス・ブルース」)されており、振付師の真島茂樹が考案したこの歌への新しい振り付けを2005年10月22日放送の「BS笑点」にて初披露、2006年1月1日放送の「大笑点」では「いやん、ばか〜ん、ツー」と紹介された。 50年間メンバーとして出演していることから、それに触れる際に「司会者を5人(初代司会者立川談志、2代目司会者前田武彦、3代目司会者三波伸介、4代目司会者五代目三遊亭圓楽、5代目司会者桂歌丸)送っている」とネタにする事が多い。 80代を迎えた辺りから「高齢になり、家への帰り道が分からない」といった認知症キャラクターも演じることもある。2021年に大腿骨を骨折し復帰後は、座布団には座らずに座布団を前に置く形で椅子に着席したうえで出演している。 1986年から長年3枠に座っていたが、2022年に桂宮治が加入したのに伴い、既存メンバーの席替えが30年振りに行われ、木久扇は4枠に移動した。また、1992年から長年2枠で木久扇の隣に座っていた弟弟子の好楽も5枠に移動したため、引き続き好楽とは隣同士で座ることになった。 少年時代に東京大空襲を経験している事もあり、世界平和を願う回答をする事もしばしばある。 2023年8月27日、毎年恒例の『24時間テレビ』内の「笑点チャリティー大喜利」において、2024年3月をもって『笑点』を卒業(勇退)することを発表した。コメントでは「芸というものは次の世代にバトンタッチしなければいけません。私の座布団も芸も新しい人にバトンタッチいたします。今日の24時間テレビ、『明日のために今日をつなごう』というテーマで、私は背中を押されたわけであります」と述べ、後進へ席を譲ることを卒業の理由としている。 YouTuberとしてデビューしたのは一部報道によると、HIKAKINの年収が数十億円に上るという噂を聞いて俄然やる気になったためという。動画投稿のノウハウについてはHIKAKINから教えを得ており(YouTuber名のKIKUKINもあやかったもの)、その様子は2020年1月1日放送の「笑点 正月スペシャル」でも放送された。 2021年3月をもって、YouTubeでの活動を休止。 落語芸術協会(当時は日本芸術協会)から落語協会に移籍した3代目桂三木助(芝浜の三木助)の直弟子である。3代目三木助は弟子にはほぼ全員に「木久」の字をつけていた。彼も例外ではなく、「木久男」という名をもらった。ちなみに木久扇の息子の2代目木久蔵の前名である「きくお」は、木久扇が最初に名乗ったこの名前から取られたものである。 3代目桂三木助没後、三木助の未亡人(女将さん)に連れられて8代目林家正蔵(後の彦六)宅へ行き、8代目林家正蔵門下に移籍した際、既に新しい芸名が用意されていた。正蔵は芸名の名付けについて「三木助の弟子だったから「木」と言う字は残そう。私は正蔵だから「蔵」と言う字をあげる。永く続くように(永く久しいから)「久」と言う字で繋いだらどうだ」と語り、 「林家木久蔵」と新たな芸名を与えられた。本人は「二人の師匠の名前が入っているから凄く誇りにしている」と語っていた。 彦六が8代目として名乗っていた「林家正蔵」という名は、7代目林家正蔵没後、7代目の子息・初代三平(海老名家)から一代限りという約束で借りたものなので、8代目林家正蔵はその義理から、自分の一門で「林家」の亭号を増やさないように、弟子が真打になると全員春風亭・橘家など「林家」以外の名に改名させることとした。 ただし、木久蔵は三平に気に入られていたことから、真打になっても「林家」の名を変えずに済んだ(「笑点」での木久蔵の真打昇進披露の時には三平、8代目正蔵、9代目桂文治と共に高座に上がった)。林家三平没後は、林家九蔵(同名で真打昇進してから彦六没後1年後に五代目圓楽一門に移り三遊亭好楽に改名)、林家時蔵、林家正雀は、「林家」亭号の変更をしない方針となった。 こうした経緯もあってか、初代三平の長男・こぶ平の「9代目正蔵」襲名および次男・いっ平の「2代目三平」襲名に際しては、「笑点」の共演者でもあり多発性硬化症により休養を余儀なくされ、高座を離れていた二人の師匠・こん平の代理として後見を務めている。 実子も落語家であり、上述のように、自らの初名「桂木久男」に因み、「林家きくお」と名づけた。 2007年(平成19年)9月の真打昇進にあたり、きくお(当時)が「有名になりたい」と言ったため、木久蔵をきくおに譲ることで、きくおの知名度向上を図る事とした。そして、初代木久蔵の新しい名前を演芸番組「笑点」の企画として新しい芸名を公募。『夕刊フジ』は木久扇を「アイデアマン」と評した。 このプランは『笑点』が開いた2006年10月19日の記者会見で明らかにされた。新芸名公募の募集を行った日本テレビへの応募総数は30377通に達した。2007年5月6日放送の『笑点』で新しい名前を発表。公募開始前から「林家木久翁(はやしやきくおう)」が候補とされていたが、結果としては読みが同じ「林家 木久扇(はやしや きくおう)」という名となった。音響の専門家から「お」で終わる名前をアドバイスされたという。結果、これまでの「木久ちゃん」の愛称までは改称されていない。 その他に最終候補に残った名前は「木久彦(きくひこ)」・「木久左(きくざ)」・「木久茶(きくさ)」・「木久寿(きくじゅ)」だった。 漢字は、本人自身が林家 木久扇という字を選んだ。なお、この案で応募したのは2名。「おうぎ」という訓読みを縮めたものと思われる。このためか、立川談志は自身の番組「談志・陳平の言いたい放だい」で、この報道を聞いてすぐに「『オウ』なんて読みはねーよ」というコメントを残している。 2007年4月28日の記者会見では、「落語は聴き込んでいくと面白く奥が深い。が、入り口で誰かが宣伝マンをやらないと中に入ってきてくれない。その役を私がやってきたが、それは変わらない」と話し、従来通りのキャラをやりつづけることを明らかにした。 木久扇は三人の恩人を挙げている。 初代林家三平 - 前座時代から木久扇を可愛がっていた人物であり、木久扇をテレビの世界に誘った人物。 立川談志 - 長年レギュラーを務めた「笑点」を立ち上げた人物で、一番の恩人。ただ、「俺が「笑点」に推薦してやったんだから」と言う理由で参院選の手伝いをさせられる。 林家彦六(八代目林家正蔵)- 木久扇の師匠。 役職一般社団法人落語協会相談役、真打 公益社団法人日本漫画家協会正会員、参与 日本俳人協会会員 北海道ニセコ町観光大使 神奈川県瓦屋屋根工業連合会名誉総裁 鯨の食文化を守る会副会長 全国ラーメン党会長(党首と書かれることもある) 有限会社トヨタアート代表取締役(本名の豊田洋名義) 経歴落語家として1960年(昭和35年)、落語界入り。弟子入りしていた漫画家清水崑の紹介で三代目桂三木助に入門。三木助は弟子には「木久」の字をつけていたので、木久男の名をもらう。 1961年(昭和36年)1月、師匠三木助死去。
1965年(昭和40年)9月、二ツ目昇進。 1973年(昭和48年)9月、林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、三遊亭歌雀、柳家さん弥、金原亭桂太の十人で真打昇進。 1982年(昭和57年)1月29日、師匠林家彦六死去。 1992年(平成4年)、社団法人落語協会理事に就任。 2007年(平成19年)9月21日、「木久扇」と改名。 2020年(令和2年)5月13・14日、東京・明治座で「林家木久扇芸能生活60周年記念公演」を開催する予定が、新型コロナウイルス感染防止のため中止。延期されて2021年(令和3年)3月16・17日に開催された。 笑点1969年(昭和44年)11月9日、『笑点』のレギュラーに加入。 1982年(昭和57年)2月7日放送の『笑点』で彦六追悼特集に兄弟子二代目橘家文蔵、林家枝二(後の春風亭栄枝)、弟弟子林家九蔵(現:三遊亭好楽)とともに出演する。 2019年(令和元年)11月、『笑点』出演50周年を迎えた。 2023年(令和5年)8月27日、『24時間テレビ 愛は地球を救う46』内のチャリティー大喜利において、後進へ譲る事を理由に翌2024年3月をもって、大喜利メンバーを卒業(勇退)することを発表した。 2024年(令和6年)3月31日、『笑点』を勇退した。 自分1937年(昭和12年)10月19日、東京市日本橋区久松町(現・東京都中央区日本橋久松町)生まれ。 1944年(昭和19年)青森県八戸市へ疎開。八戸市立柏崎小学校に在学。 1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲で実家の雑貨問屋が全焼し、廃業。 1947年頃 西荻窪に移るが、両親が離婚、母側に引き取られる。 1956年(昭和31年)3月、東京都立中野工業高等学校(食品化学工業課程)を卒業。
同年8月、森永乳業を退社、漫画家を目指すため、漫画家清水崑に入門。 1958年 漫画が『漫画サンデー』に掲載され、プロの漫画家となる。 1960年 師匠清水崑に諭され、落語家への転進を薦められる。 1967年(昭和42年)5月、当時の本牧亭席亭の妹と結婚。その際に自身の結婚式と他人の結婚式の司会の営業をダブル・ブッキングしてしまい、自分の結婚式には、新郎席に柳家小きんが代理人として座るという事態となった。このことは「クイズダービー」の問題(三択問題)になり、BS笑点ドラマスペシャルでも木久扇自身のナレーションで紹介された。 1981年(昭和56年)12月、日本で初めてラーメンについての単行本を出し、ラーメン・ブームの火付け役となる。 1982年(昭和57年)5月、全国ラーメン党を結成。会長に就任。「木久蔵ラーメン」チェーンの展開を始める。
1992年(平成4年)、社団法人日本漫画家協会正会員。 弟子入り1982年12月:林家時蔵が、兄弟子の五代目春風亭柳朝門下より二ツ目で移籍(時蔵は元弟弟子)。 1985年:時蔵、真打昇進。 1987年4月:林家きく姫が入門。 1989年:林家きく兵衛が入門。 1991年:きく姫、二ツ目昇進。 1992年:林家久蔵が入門。 1993年:きく兵衛、二ツ目昇進し林家彦いちに改名。 1995年
林家きくおが入門。 1996年:林家十八が入門。 2000年
林家木之助が入門。 2001年
木之助、廃業。(二代目快楽亭ブラック門下へ) 2002年
林家ひろ木が入門。 2005年:ひろ木が二ツ目昇進。 2006年
林家たい木が入門。 2007年:きくお、二代目林家木久蔵を襲名し真打昇進。 2008年10月:林家扇が入門。 2009年3月:林家木りんが入門。 2010年
林家けい木が入門。 たい木が林家しん平門下へ移籍。 2011年:林家扇兵衛が入門。 2013年
木りんが二ツ目昇進。 2015年
扇兵衛が二ツ目昇進。 2017年
彦いち門下に林家やまびこ、林家きよひこ、林家ひこうきが入門。初の孫弟子となる。 林家木はちが入門、翌年楽屋入り。 2021年
やまびこが林家やま彦に、きよひこが林家きよ彦に改名し、同時に二ツ目昇進。 きく麿門下に林家十八が入門。 扇兵衛、木はちが廃業。 2022年
2023年
芸能1975年(昭和50年)12月、シングル「酔姫エレジー」をリリースし歌手デビュー。
1979年(昭和54年)シングル「とびだすな!!」をリリース。 1991年(平成3年)、芸歴30周年。 1998年(平成10年)、大長編ドラえもん『ドラえもん のび太の南海大冒険』に、声優としてゲスト出演。 2001年(平成13年)、芸歴40周年。 2005年(平成17年)、JAROのCMキャラクターになる。 2006年(平成18年)、野村證券のCMに出演。 2012年(平成23年)4月、メガマソのボーカルのインザーギのカバーアルバム「Visualist 〜Precious Hits of V-Rock Cover Song〜」のジャケットにビジュアル系の衣装を身にまとい登場。
2019年(令和元年)12月、自身のYouTubeチャンネル「KIKUKIN TV」を開設。翌2020年(令和2年)1月の『笑点』で、自身のYouTubeチャンネルを開設したことを発表した。 闘病2000年(平成12年)4月、初期の胃がんであることが発覚。その後、5月に手術を受けた。 2014年(平成26年)7月、初期の喉頭癌により約1カ月半に渡って休養することを明らかにした。 2021年(令和3年)5月24日、自宅で転倒し、左大腿骨を骨折して入院。6月26日、退院。 2024/06/20 14:45更新
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hayashiya kikuou
林家木久扇と同じ誕生日10月19日生まれ、同じ神奈川出身の人
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