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林家こん平の情報 (はやしやこんぺい)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

林家こん平の情報(はやしやこんぺい) 落語家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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林家 こん平さんについて調べます

■名前・氏名
林家 こん平
(読み:はやしや こんぺい)
■職業
落語家
■林家こん平の誕生日・生年月日
1943年3月12日 (年齢2020年没)
未年(ひつじ年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
新潟出身

(昭和18年)1943年生まれの人の年齢早見表

林家こん平と同じ1943年生まれの有名人・芸能人

林家こん平と同じ3月12日生まれの有名人・芸能人

林家こん平と同じ出身地新潟県生まれの有名人・芸能人


林家こん平と関係のある人

山田隆夫: 部員として林家こん平が監督するらくご卓球クラブに所属。


林家源平: 1980年10月:三平没後、林家こん平門下となる。


林家源平: 1980年に三平が急死し、兄弟子の林家こん平の預かり弟子となる。


林家木りん: 一方、 師匠である木久扇(当時、木久蔵)はこの事故に危うく巻き込まれる所であった(徳島で阿波踊りに参加すべく他の笑点メンバーと共に徳島入りする予定であったが、徳島便の遅延により当便を利用して伊丹空港から神戸港を経由し船で徳島入りする案が出ていた)が、同乗予定の林家こん平が「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ」と提案したため当便には乗らず、事故を回避している。


石井正則: 昭和の爆笑王 林家三平ものがたり(2006年8月20日、テレビ東京) - 林家こん平


津島要: 笑点(1981年4月19日、NTV) - 大喜利の座布団10枚獲得の商品で沖縄バカンスをしていた林家こん平のデート相手


桂歌丸: 1985年8月12日、当時の他の笑点メンバーである5代目三遊亭圓楽、三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)、林家木久蔵(初代、現・林家木久扇)、三遊亭小遊三、林家こん平、古今亭朝次(現・7代目桂才賀)、山田隆夫と共に翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りするために当初予約した徳島行きの航空機が大幅に遅延した上に、徳島空港が悪天候のため予約便が条件付き運行となった。


若桜木虔: 当時の会長は落語家の林家こん平


林家たい平: 1988年8月に林家こん平に入門。


林家たい平: その中での"林家こん平"が強烈に印象に残っていたこともあり、こん平に弟子入りしたとのことである。


林家しん平: 1980年9月 - 師匠の三平が死去したため、兄弟子の林家こん平門下に移籍。


山田隆夫: 山田の罵倒ネタは林家たい平、桂宮治を中心に、かつては林家こん平、6代目三遊亭円楽(楽太郎)、桂歌丸なども多用していた(特にこん平とたい平が多用した)。


三遊亭小遊三: そんな中助け舟を出してくれたのは番組の先輩であり卓球仲間でもあった林家こん平だった。


小鹿みき: 1972年12月31日にTBSで放送された第14回輝く日本レコード大賞では五代目三遊亭円楽(以下、五代目円楽)、林家こん平ともに銀座四丁目交差点(三越前)からの中継レポーターとして出演。


林家たい平: 1988年8月 - 林家こん平に入門。


林家木久扇: 1985年8月12日、当時の笑点メンバー(5代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家こん平、三遊亭小遊三、三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)、古今亭朝次(現在は7代目桂才賀)、山田隆夫)とともに翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りの予定だったが、当初予約した徳島空港行きの飛行機が遅延した上に同空港の悪天候により条件運行となった。


林家らぶ平: 2005年8月、2005年に友人の保証人となり負った債務が右翼団体に渡り、その取り立てが原因で林家こん平一門から破門される。


山田隆夫: 1985年8月12日、当時の笑点メンバー(5代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家こん平、初代林家木久蔵(現在は林家木久扇)、三遊亭小遊三、三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)、古今亭朝次(現在は7代目桂才賀))とともに翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りの予定だったが、当初予約した徳島空港行きに使われる航空機が遅延した上に同空港の悪天候により条件運行となったため、徳島行きの便の1つ後に出発する日本航空123便に搭乗し神戸から船で移動する案が出された。


林家しん平: 1980年9月、師匠三平の死去に伴い兄弟子の林家こん平門下に移籍。


コロムビア・トップ: このお題に林家こん平が「お母さん。


古賀シュウ: 林家こん平


藤井恒久: このコーナーで当時座布団運びを担当していた林家こん平と親しくなり(藤井はこん平のことを「心の師」と仰ぎ、こん平もまた弟子とは違う子分としてみていた。


林家らぶ平: 1980年9月20日に師匠三平が死去したことに伴い、兄弟子林家こん平一門に移籍。


海老名香葉子: この時、泰孝は「林家こぶ平」として父・三平の門下となっていた(三平の死去に伴い、惣領弟子の林家こん平門下に移籍)が、泰助はまだ小学4年生であった。


林家こん平の情報まとめ

もしもしロボ

林家 こん平(はやしや こんぺい)さんの誕生日は1943年3月12日です。新潟出身の落語家のようです。

もしもしロボ

病気、現在、テレビ、兄弟、事故、趣味、家族、卒業、事件、映画、母親、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。2020年に亡くなられているようです。

林家こん平のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

林家 こん平(はやしや こんぺい、1943年〈昭和18年〉3月12日 - 2020年〈令和2年〉12月17日 )は、落語家。新潟県刈羽郡千谷沢村(のち小国町、現・長岡市)出身。本名:笠井 光男。愛称は「こんちゃん」。落語協会理事などを歴任するが、後述の病気により2006年4月から相談役となった。

出囃子は『佐渡おけさ』。血液型はA型。

演芸番組『笑点』において、放送開始当初から長らく大喜利メンバーの一人だったが、後述の病気により約1年間の休演を経て降板。現在は弟子のたい平が代理出演を経て、後任として出演している。

初代林家三平に師事。当時の初代三平は二ツ目で本来ならば弟子を取れないはずだったが、米を一俵担いで弟子入りにきたこん平の熱意に負けたとされる。なお、この時点でこん平は既に「五番弟子」であったとされる。「こん平」の由来は、弟子入り当初はやせていて顔つきが狐に似ていたからだという理由と、一門できつねうどんを食べていた際の、師匠初代三平の妻でこん平にとっては女将である・海老名香葉子のひらめきによる。二ツ目時代から『笑点』など、テレビ・ラジオに出演。『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ)では構成作家を務めた。

兄弟子の珍平が俳優に転業、落語家としては廃業となった後は三平一門の惣領弟子となり、初代三平が54歳で死去した後は一門を統率する。この際、落語協会分裂騒動など三平死去の前後に起きた様々な出来事の経緯から三平の弟子たちは「落語界の孤児」とでもいうべき状態となり、結果として元々移籍組で既に真打だった三升家勝二(現:8代目小勝)と色物芸人(林家ペー、林家ライス・カレー子など)を除く三平の全弟子がこん平の弟子として直ることになる。かくして、分裂騒動の後遺症が長く尾を引いた落語協会の中で辛酸をなめつつも、林家こぶ平(現:9代目正蔵)、林家しん平といった初代三平の預かり弟子や、林家たい平、林家いっ平(現:2代目三平)ら直弟子など数多くの弟子を育て上げ、初代三平からの系譜を受け継ぐ落語家・芸人たちを事実上の一派としてまとめ上げてきた。

実際の性格は『笑点』や高座で見せる豪胆なものではなく、繊細なものであった。それ故、ストレスを紛らわすために酒量が多くなることがあり、後述の病気の要因の一つになったとも言われている。また、卓球が得意なことでも知られており『笑点』で共演する三遊亭小遊三と共に「らくご卓球クラブ」を創設。所属や芸種を問わず各業界から100名以上が参加するクラブとなり、自身は「世界ベテラン卓球大会」にも出場経験がある。

1985年8月12日、当時の笑点メンバー(5代目三遊亭圓楽、桂歌丸、こん平、初代林家木久蔵(現:林家木久扇)、三遊亭小遊三、三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)、古今亭朝次(現:7代目桂才賀)、山田隆夫)とともに翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りの予定だったが、当初予約していた徳島空港行きの便が遅延した上、同空港の悪天候により条件付運航となったため、1つ後に出発する日本航空123便に搭乗して神戸港から船で移動する案が出された。しかしこの時、こん平が「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ。きっと徳島空港に着陸できるよ」と提案したため、当初の予定通り徳島行きの便に搭乗し、結果として笑点メンバーは全員とも日本航空123便墜落事故を免れることとなった。墜落事故については宿泊先のホテルへタクシーで移動中に知ったという。ただし、123便には笑点メンバーと同行予定の広告代理店のスタッフが数名搭乗しており、墜落事故で犠牲となっている。

2004年8月、声帯を患い入院。この入院は長引き、番組開始以来降板期間を除きほぼ無欠勤で出演し続けていた『笑点』も、2004年9月5日の放送を最後に初めて数回に渡って番組を休業することになり、こん平の位置は座布団が積まれたまま空席となった。同年12月26日の放送から、こん平の弟子で若手大喜利のメンバーだった林家たい平が代役で出演することになる。

2005年5月22日に退院。当初「軽い脳梗塞も患っていた」と週刊誌で報道されたが、その後、同年3月に国立精神・神経センターの医師から多発性硬化症と診断されていたことを公表。退院後も通院しながらリハビリを行っていた。同年9月には笑点40周年記念本の撮影に参加し、他メンバーとは1年ぶりとなる顔合わせが実現した。

2006年、当時こん平は趣味の卓球ができるまで回復はしたものの噺家としての復帰は当面困難ということから、同年5月の『笑点』40周年を機に番組を降板し、こん平の代役だった弟子のたい平が後任として正式メンバーに昇格。『笑点』40周年スペシャルのエンディングでは、自身が直筆したメッセージが読まれた(歌丸が代読)。

なお、たい平が正式にメンバーとなってからもこん平の生前時は形式上は一時降板扱いとアナウンスされていたが、2020年に死去後に「たい平が正式にメンバーに就任した(2006年5月)時点で正式に降板」という形に変わっている。

先述の多発性硬化症により一時入院を余儀なくされたが、2008年2月28日の『スーパーニュース』(フジテレビ)内のコーナーや、同年4月の『発見!人間力』(民教協・テレビ朝日ほか)で、卓球や発声練習、運動のリハビリを続けている様子が放送された。また、同年9月14日放送の『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ)ではこの日のゲスト出演者だった三遊亭小遊三と卓球をする姿が放送されている。小遊三は「らくご卓球クラブには毎週顔を出し、体調に合わせてプレーをしている。1年前の復帰当時は球をラケットに当てるのがやっとの感じだったが、今ではラリーもできるようになった。右肩上がり(の回復)だ」とコメントしている。

2009年11月8日に放送された『笑点』の5代目三遊亭圓楽追悼番組の前半部分(思い出トーク)にて5年ぶりに同番組に出演し、元気な姿を見せた。

2013年、かねてより患っていた糖尿病が悪化し、左足の壊死が進んで呼吸困難に陥り、緊急入院し一時は心肺停止の状態となった。一命は取り留めたものの、壊死した左足の指を切断し、半年後に退院。退院後は自宅で家族による介護を受けた。

2014年5月、こん平の介護およびマネージメントをしていた二女の咲(えみ)が「一般社団法人林家こん平事務所」を設立。8月、都電荒川線を走る都電1両を借り切っての興行「都電落語会」のプロデュースを発表。同年8月22日に第一回の「都電落語会」が開催された。2014年10月15日放送の「笑点特大号」(BS日テレ)では、「都電大喜利」で三遊亭小遊三と弟子の林家ぼたんと共演している。

同年8月31日には『24時間テレビ 愛は地球を救う37』に出演。2013年に起きた自身の病状のエピソードとともに、その後遺症による左足壊死と右手の麻痺と闘いながらリハビリに取り組む姿が特集された。メインスタジオの日本武道館には次女とともに車椅子で訪れ「1、2、3、チャラーン!」を10年ぶりに披露した。

翌年、2015年8月23日の『24時間テレビ38』にも出演。車いすでの登場だった昨年とは異なり、笑点の舞台(降板直前に座っていた右端である6枠、降板後はたい平がそのまま座り、現在は桂宮治が座っている)に、弟子のたい平とぼたんの力を借りて登場。正座が困難とされている中、笑点メンバーに見守られての着席となった。MCに促されるまもなく、声を振り絞り「1、2、3、チャラーン!」を披露。桂歌丸、林家木久扇、たい平らによるコメントの後、再度「チャラーン!」を披露し、2020年の高座復帰を目指してリハビリを継続することを明らかにした。

2016年4月17日放送の『笑点』の真打昇進披露口上において、三本締めの発声として笑点本編に12年ぶりに出演した(新真打の中に、こん平の弟子である林家ぼたんが含まれていることによるもの)。

2016年8月27日の『24時間テレビ 愛は地球を救う39』には、同年のチャリティーマラソンのランナーを務めるたい平のスターターとして登場。直筆のメッセージが書かれたタオルをたい平に手渡し、「1、2、3、チャラーン!」の掛け声でマラソンがスタートした。8月28日のエンディングにも出演し、武道館にゴールしたたい平を出迎えた。

2019年4月17日、病院のMRI検査で小脳梗塞が発見され、そのまま緊急入院。手術は行わず投薬治療で回復し、5月3日に退院した。

2020年4月に体調を崩し、入院。一時は危機的な状況となったが持ち直して退院。しかしこの時点で「あと数か月」と余命宣告を受け、自宅で最期を迎えたいと終末医療を選択し、亡くなるまで療養していた。

2020年12月17日14時2分、誤嚥性肺炎のため、東京都豊島区の自宅で死去。77歳没。葬儀は近親者で行われ、訃報は同月21日に落語協会から公表された。2021年10月20日、「新潟県の名声を高め、県民のふるさと意識を高揚させた顕著な功績があったこと」を称え、新潟県民栄誉賞が授与された(受賞日は死没日の2020年12月17日付)。死去から約11か月後の2021年11月23日、「都電落語会7周年記念感謝祭」を兼ねて「偲ぶ会」が都内で行われた。また、『笑点』ではこん平の死去が発表されてから最初の放送の2020年12月27日放送のオープニングでこん平の追悼特集が放送された。

1958年3月 - 中学卒業後、初代林家三平に入門。前座名「こん平」。

1962年11月 - 三遊亭吉生と共に二ツ目昇進。

1965年4月 - 『金曜夜席』(日本テレビ)出演。

1966年5月 - 『笑点』(日本テレビ)に第1回から出演。

1969年3月 - 『笑点』初代司会者・7代目立川談志との対立により、こん平含むメンバー全員が降板。

1972年

    7月 - 『笑点』復帰。

    9月 - 三遊亭圓彌と共に真打昇進。

    2004年9月 - 『笑点』を休演。12月26日放送分から弟子のたい平が代役として出演。

    2005年 - 多発性硬化症と診断されたことを公表。

    2006年5月 - 『笑点』40周年を機に大喜利メンバーの座をたい平に譲り、『笑点』を降板。

    2007年 - リハビリを続けながらも「第26回林家三平追善興行 林家一門会」にて高座復帰。

    2010年3月 - 6年近い闘病・リハビリの日々を中心に半生をつづった著書を講談社から刊行。『笑点』ではたい平が翌月にPRした。

    2020年12月17日14時2分 - 誤嚥性肺炎により死去。77歳没。

    前身番組『金曜夜席』(日本テレビ)の第3回から参加した古参レギュラーであり、同番組ではオレンジ色の色紋付を着用。長らく隣が小難しいインテリ系のくすぐりを得意とする三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)であるため、挨拶で楽太郎の長舌を受けて「私にはそういう難しいことはわからないんですが…」と頭を振りながらうそぶくことがしばしばあった。

    地方収録の際は必ず「郷土の皆様、お懐かしゅうございます。○○(地方収録の行われている地名)で生まれて、新潟で育ったこん平が、故郷に戻って参りました」とホラを吹き、2週目は「第二の故郷というのはありがたいもので、先程から友人知人が手に持ちきれないほどのお土産を持って楽屋を訪ねてきてくれております……」で始まり、「なお、会場の皆様にお知らせがございます。私の帰りのかばんには、まだ若干の余裕がございます」と挨拶した。この新潟出身を前面に出したキャラをやり始めた当初は、まだまだ落語と言えば江戸前、東京という固定観念の強い時代であり、東京、特に下町出身者以外がこのように郷土愛をアピールする例は稀だったため批判も多かったと著書で述べている。

    田舎者の権助役であり、大食いキャラ・食いしん坊ネタを売りにしており、メンバーからも攻撃のネタにされていた。『笑点』メンバーの中では一番頭の周囲が大きく、被り物に頭が入らなかったことがあった。「大喜利」では、よく座布団運びの山田隆夫の悪口を言って山田に突き飛ばされたり、蹴り飛ばされたりして座布団を全部持っていかれることが多かった。いわゆる山田いじりで、この山田いじりは後に正式メンバーになった弟子のたい平にも受け継がれ、山田をいじる回答をして師匠こん平同様に突き飛ばされたり、蹴り飛ばされている。その他に肥溜めネタ(「2人は肥(恋)に落ちました」など)をはじめとする下品で汚いネタを得意とし、五代目圓楽から「肥溜めのこんちゃん」と渾名された。 また故郷の千谷沢村をこん平は「チャーザー村」と呼び、「日本の小京都」と称したが、メンバーからは「人がいない」「ダムの底」などと罵倒された。その一方、「世界平和」「環境保全」などを高らかに謳うネタや、「グランドピアノを施設に寄付」「ニースの別荘」といった大金持ちキャラで回答することもあった。政治ネタを扱う場合には、同じ新潟県出身である田中角栄のモノマネをすることが多かった。

    自身が休演することになり、こん平の代役として出演し始めた弟子のたい平のことを当初は非常に心配しており、この頃は『笑点』を全く見ていなかった。しかし、徐々にたい平が大喜利に慣れ始めると実力を認めるようになり、40周年を機に自身の席をたい平に託すことを決意した。40周年記念特番ではたい平に正式に席を譲る旨が書かれた手紙を送っていた。

    挨拶の締めは、会場の観客と共に「1・2・3、チャラーン。こん平でーす!!」。大元は『佐渡おけさ』であり、こん平が挨拶でうれしいお知らせをするときにチャイムの代わりとして歌っていたものが、歌の冒頭の「チャラーン」の部分だけ残り、現在の形に至る。

    長らくこん平単独で「チャラーン」と叫んでいたが、2002年から観客が偶発的に呼応するようになり、同年4月14日放送分から、こん平と観客が大合唱する「視聴者参加型挨拶」と名づけた挨拶を行うようになった。初めて披露した2002年4月14日の放送では、司会の五代目圓楽から「付き合いのいいお客さんだね」と笑われた。これ以降、隣の楽太郎や歌丸は「チャラーンをやる人は愚か者」「良識ある人は絶対にやらないでください」などと観客にお願いするという、一種のフリのような挨拶を行い、全員で「チャラーン」をやる際には二人が耳を塞いで迷惑そうに対処するのが恒例化する。

    しかし、こん平の療養による休演後は楽太郎を中心に、他のメンバーも全員週替わりで「チャラーン」の代行をした。こん平の弟子のたい平が代役を務めてからはその回数は減ったが、2006年元日の『大笑点』フィナーレや、同年1月22日の2000回目の放送時、テレビ新潟開局25周年を記念して、こん平の地元・長岡市で収録された同年10月15日の放送時に「師匠こん平から言われていることでありますので」とたい平が観客と共に「チャラーン」を披露。また、「日テレアナウンサー大喜利」に定期的に出演していた藤井恒久は「こん平師匠直伝の視聴者参加型挨拶 最後の継承人」として、挨拶の際は必ず観客と一緒に「チャラーン」を行っていた。正蔵の弟でこん平の直弟子である2代目林家三平(当時の芸名は林家いっ平)もメンバーになる前の2005年4月に番組内で行われた9代目林家正蔵襲名披露口上の席上で、師匠快癒を祈念して「チャラーン」を披露した。

    ちなみに、1999年の新春師弟一門大喜利にて、当時2ッ目だったたい平と共に師弟揃い踏みで「チャラーン」を披露したが、大喜利での師弟揃い踏みの「チャラーン」はこの時が唯一である。(後にこん平の弟子でかつたい平の妹弟子でもあるぼたんの真打昇進披露口上と24時間テレビのたい平のマラソンスタートの際などで師弟「チャラーン」は実現している。)

    2003年8月10日に座布団10枚を達成し、その賞品としてタヒチ旅行を獲得した際はフランス語で「アン(un,1)、ドゥ(deux,2)、トロワ(trois,3)、チャラーン!」と叫んでいた。

    『笑点』(日本テレビ、2021年1月31日)- 大喜利では、1問目に追悼企画として「チャラーン」を使った問題が出題された。

    『ラジオ寄席 ありがとう林家こん平さん』(TBSラジオ、2021年1月24日)- 「越後育ち」を放送。ゲスト林家たい平。

    『なごやか寄席 林家こん平特別編』(東海ラジオ、2021年1月31日) - 「県人会」(1982年収録)、「鮑のし」(1984年収録」を放送。

    師匠である初代林家三平の死去に伴い、ぎん平からのん平及びとんでん平が、兄弟子であるこん平の門下に移籍した。その中には初代三平の長男で後にこん平から一門の総帥を受け継ぐことになるこぶ平(現在の九代目正蔵)もいた。いずれも初代三平死去時に真打には昇進していなかったため、預かり弟子となっている。このため、こん平の直弟子はうん平及びしゅう平以降である。

    林家源平 - 初代林家三平門下から移籍

    林家種平 - 初代林家三平門下から移籍

    林家かん平 - 初代林家三平門下から移籍

    九代目林家正蔵 - 初代林家三平門下から移籍

    林家鉄平 - 初代林家三平門下から移籍

    林家しん平 - 初代林家三平門下から移籍

    林家錦平 - 初代林家三平門下から移籍

    林家うん平

    林家のん平 - 初代林家三平門下から移籍

    林家とんでん平 - 初代林家三平門下から移籍

    林家しゅう平

    林家たい平

    二代目林家三平

    林家ぼたん

    林家まる子 - 漫談

    翁家勝丸 - 太神楽

    三増紋之助 - 曲独楽

    林家ぎん平 - 初代林家三平門下から移籍

    林家すい平

    林家ひらり

    林家謙信平 - もん平改メ

    林家ばん平

    林家らぶ平 - 2005年8月破門、現在はらぶ平としてフリーで活動

    金曜夜席(1965年 - 1966年、日本テレビ)- 笑点の前身番組。

    笑点(1966年 - 2004年、日本テレビ) - 降板後は不定期出演。

    紅白なんでも合戦(1966年 - 1969年、日本テレビ

    今週の爆笑王(1968年、TBSテレビ

    売込みハート作戦(1969年、フジテレビ

    あなたがえらぶチャレンジショー(1970年、日本テレビ

    ピロピロゲーム(1970年、テレビ朝日)

    60分笑いっぱなし!!(1972年、日本テレビ

    第14回日本レコード大賞(1972年、TBSテレビ) - 銀座4丁目交差点担当レポーター、5代目圓楽と共演

    初詣!爆笑ヒットパレード(1973年、フジテレビ

    新・底ぬけ脱線ゲーム(日本テレビ

    スターチャレンジ!!(テレビ朝日)

    クイズダービー(TBSテレビ

    森田一義アワー 笑っていいとも!(1989年4月25日、フジテレビ) - テレフォンショッキングゲスト出演(山本小鉄からの紹介)。2003年に放送されたコーナー「林家こんぺいとうゲーム」では、ジングルの音声を担当。

    探偵!ナイトスクープ(2000年、朝日放送) - 「オチはどこにある?(探偵:北野誠)」に出演(終盤では山田隆夫も座布団運びで出演)

    番組対抗かくし芸大会(日本テレビ

    ふるさと日本のことば(2000年、NHK教育)

    24時間テレビ(日本テレビ) - (1988年〜2004年(24時間テレビ チャリティー大喜利)、2014年~2016年)

    巨泉×前武ゲバゲバ90分!(日本テレビ

    窓からコンチワ(1967年、TBSテレビ) - そば屋の息子・茂

    プレイガール 第101話「男殺しの二匹の牝犬」(1971年、12ch) - 辰平

    おらんだ左近事件帖(1971年 - 1972年、フジテレビ) - 下っ引き金太

    人形佐七捕物帳 第3話「呪われた錦絵美人」(1977年、ANB) - 口上男

    新・座頭市 第2シリーズ 第2話 「目なしだるまに春が来た」(1978年1月16日、フジテレビ) - 三吉

    こん平・かえるのおしかけ歌謡曲(TBSラジオ)

    歌謡大行進(文化放送) - ジュディ・オングと共演

    東海ラジオ ショーナイター(1973年、東海ラジオ)

    二木の菓子

    二木ゴルフ

    日本電気ホームエレクトロニクス 「ハイユニケット」(電気毛布、1970年代前半ごろ)

    スズキ 「ユーディーミニ」(バイク、1970年代後半ごろ)

    SCジョンソン 「パイプユニッシュ」(師匠三平の妻海老名香葉子と共演)

    木曽路 (企業)「しゃぶしゃぶのたれ」

    三菱農機(1990年代後半ごろ)

    関西クインビーチェーン(関西ローカル)

    根本観光グループ(関東ローカル)

    新潟県交通災害共済

    きむら食品

    ペヤング 「野菜ラーメン」

    君は恋人(1967年、日活)

    ザ・スパイダースのゴーゴー向こう見ず作戦(1967年、日活)

    涙の季節(1969年、日活)

    生徒諸君!(1984年、日本ヘラルド映画) - 村の男

    お客様は神様です/○か×か(やってみなけりゃわからない)(1973年) ※共演:三沢ナミ

    コシヒカリ音頭/こん平音頭(1979年11月) ※共演:三田ゆかり。日本コロムビアのヒット賞を受賞。「コシヒカリ音頭」は1977年に雪割草が発表した曲のカバーで、後に演歌女子ルピナス組がカバーした。

    どんぶり音頭/乗んなせえや音頭(1982年6月)

    宮戸川(23分。第267回 国立名人会、大取。平成16年(2004年) 5月 22日、会場:国立演芸場。)

    チャランポラン闘病記〜多発性硬化症との泣き笑い2000日(2010年、講談社) ISBN 9784062161275

    ^ 主に「笑点」の司会の三波伸介、5代目圓楽、歌丸がこん平をこう呼んだ。弟子のたい平の愛称「たいちゃん」の由来にもなっている。

    ^ ただしこのエピソードは脚色もあり、実際は米一俵もなかったとのこと。本人の著書では母親から三平宅へ郵送されてきたと書かれている。

    ^ 直前まで生出演していた『24時間テレビ・チャリティー笑点』も意識が朦朧とする中で無理を押しての出演で、一部呂律が回らないなどの兆候が現れていた。

    ^ なお、こん平の故郷である新潟県村上市で収録を行った2001年3月18日放送分では「村上で生まれ、チャーザー村で育った〜」と言い換えている。

    ^ 下ネタを徹底的に嫌った、初代林家三平の意向が今も生きている林家三平一門としては珍しい特徴である。

    ^ 元々は挨拶の冒頭で叫んでいたが、観客と合唱する頃には締めに言うようになった。

    ^ “コシヒカリ日本一、立役者は林家こん平さん 落語の枕に”. 朝日新聞デジタル. (2020年12月22日). https://www.asahi.com/articles/ASNDP6TRVNDPUOHB012.html 2022年9月30日閲覧。 

    ^ “林家こん平さん死去 77歳 笑点「チャラーン」で人気”. デイリースポーツ. (2020年12月21日). https://www.daily.co.jp/gossip/2020/12/21/0013954608.shtml 2020年12月21日閲覧。 

    ^ “落語家の林家こん平さんが死去”. 一般社団法人共同通信社. (2020年12月21日). https://web.archive.org/web/20201221062456/https://this.kiji.is/713638380105203712 2020年12月21日閲覧。 

    ^ “林家こん平 訃報”. 一般社団法人落語協会 (2020年12月21日). 2020年12月21日閲覧。

    ^ 1999年6月13日放送の『笑点』第1669回の「私のふるさと」にて。

    ^ 本人いわく、出身地は「チャーザー村」だが、正しい読み方は「ちやざわむら(千谷沢村)」。

    ^ “24時間テレビ|2014/08/31(日)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年8月10日閲覧。

    ^ 海老名香葉子さん、こん平さんの思い出を手紙に「天国で師匠!と言って甘えていることと思います」 - サンスポ 2020年12月22日

    ^ 当時は神戸空港・明石海峡大橋・瀬戸大橋はいずれも未開業。

    ^ “24時間テレビ|2014/08/31(日)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年8月10日閲覧。

    ^ 「笑点」日本テレビ放送網 p.18-19

    ^ “林家こん平 心肺停止から2年「落語会がリハビリ」娘が明かす”. 女性自身 (光文社). (2015年7月24日). https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1612125/ 2019年8月22日閲覧。 

    ^ “[笠井咲さん]落語会で驚きの回復…こん平さん、生死の境まで”. yomiDr. / ヨミドクター. 読売新聞 (2015年4月19日). 2019年8月22日閲覧。

    ^ 2024年度まで開催されている。

    ^ 「林家こん平さんの『都電落語』』、10周年で閉幕へ 『父と歩んだ二人三脚、思い出がたくさんありすぎて』」『日本テレビ2024年8月27日。

    ^ “林家こん平、4月に小脳梗塞で緊急入院していた…投薬治療で回復 脳腫瘍の円楽にはエール”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2019年8月22日). https://www.daily.co.jp/gossip/2019/08/22/0012630226.shtml 2019年8月22日閲覧。 

    ^ “林家こん平さん、自宅で最期迎えたい…終末医療選択”. 日刊スポーツ (2020年12月21日). 2020年12月22日閲覧。 “家族葬には、子供や孫、ひ孫ら親族に、弟子の代表として直弟子最初の弟子の林家うん平だけが参列した”

    ^ 林家こん平さん死去 77歳「笑点」で人気「1、2、3、チャラ〜ン」 スポーツ報知 2020-12-21

    ^ “林家こん平さん死去 77歳 多発性硬化症で闘病”. ORICON NEWS. 2020年12月21日閲覧。

    ^ 新潟県民栄誉賞表彰式を行います - 新潟県ホームページ 2021年10月18日

    ^ 林家こん平さん偲ぶ会 卓球台に似顔絵描かれたピンポン球を“献球” - デイリースポーツ online 2021年11月23日

    ^ 吉川潮『戦後落語史』新潮社〈新潮新書〉、2009年、47頁。ISBN 978-4-10-610343-8。 

    ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』117ページ

    ^ 放送内容 第2746回日本テレビ 笑点

    ^ 林家こん平 - オリコンTV出演情報

    ^ 林家 こん平(はやしや こんぺい)、落語協会。

    ^ 資料ダウンロード | 十日町市観光協会 - 2021年10月29日閲覧。

    ^ 文化デジタルライブラリー「演芸・大衆芸能」(公演コード:YH285-3)

    新潟県出身の人物一覧

    落語協会

    藤井恒久 - アナウンサー大喜利で共演し、チャラーンを藤井に伝授した。

    三波春夫

    海老名香葉子 - 三平の妻で、三平死後一門を引き継いだこん平の後見人になった。

    恍惚

    西巣鴨 - 長年居住していた。

    松本大志 - 『BS笑点ドラマスペシャル』にてこん平役。

    一般社団法人 林家こん平事務所 公式ホームページ(日本語)

    EMIプランニング - こん平の次女が社長を務めるイベント企画会社

    林家こん平 - 落語協会

    金曜夜席

    笑点-もう笑点(ミニ番組)

    兄弟番組

      BS笑点

      笑点Jr.

      笑点デラックス

      笑点 特大号

      笑点 なつかし版

      大笑点

      おはよう笑点

      BS笑点ドラマスペシャル

      チャリティー笑点

      大喜利 (笑点)

      ちびっ子大喜利

      寿大喜利

      師弟大喜利

      振袖大喜利

      東西大喜利

      ◎□☆★6春風亭昇太

      三遊亭好楽

      三遊亭小遊三

      ◎□△林家たい平

      桂宮治

      春風亭一之輔

      立川晴の輔

      ◆6山田隆夫

      三遊亭圓彌

      柳家きん平

      ◆西〆子

      ■★1立川談志(7代目)

      ■春風亭梅橋

      鈴々舎馬風(5代目)

      春風亭一柳

      春風亭栄橋

      ◆1桂文字助(4代目)

      ◆2毒蝮三太夫

      ★2前田武彦

      三遊亭圓歌(3代目)

      三遊亭金馬(4代目)

      三升家小勝(8代目)

      柳家さん吉

      ◆3三遊亭圓遊(5代目)

      ◆3三笑亭夢丸(初代)

      ★3三波伸介(初代)

      三遊亭小圓遊(4代目)

      三遊亭圓窓(6代目)

      柳家つば女(6代目)

      三笑亭夢之助

      ▲◆4小野千春

      ◆4ヨネスケ

      ■★4三遊亭圓楽(5代目)

      ■林家こん平

      桂才賀(7代目)

      ◆5松崎真

      ■◎□★5桂歌丸

      三遊亭円楽(6代目)

      林家三平(2代目)

      林家木久扇

      鈴々舎馬るこ

      柳家わさび

      立川小春志

      蝶花楼桃花

      一龍斎貞鏡

      春風亭昇也

      林家あずみ

      林家つる子

      三遊亭わん丈

      昔昔亭喜太郎

      三遊亭遊かり

      春風亭一花

      柳家小三治(10代目)

      三笑亭茶楽

      桂歌春

      古今亭菊丸

      林家錦平

      金原亭世之介

      三遊亭貴楽

      桂幸丸

      林家正蔵(9代目)

      桂竹丸

      橘家蔵之助(2代目)

      立川談春

      伊集院光

      □五明樓玉の輔

      △春風亭勢朝

      □春風亭柳好(5代目)

      □立川生志

      ◎□三遊亭愛楽

      □林家木久蔵(2代目)

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      古今亭駒治

      桂三四郎

      三遊亭楽大

      三遊亭とむ

      □橘家文蔵(3代目)

      □春風亭百栄

      □林家彦いち

      川柳つくし

      □三遊亭王楽

      □神田蘭

      □◇セイラ

      △阪井あかね

      木久蔵ラーメン

      芝浜ゆらゆら

      笑点 大博覧会 DVD-BOX

      笑点 ありがとう円楽さん! 〜五代目 三遊亭円楽を偲ぶ映像集〜

      いやんばか〜ん

      後楽園ホール

      若竹

      チャーザー村

      大月

      秩父

      真金町

      静岡

      ブラック団

      落語協会

      落語芸術協会

      五代目円楽一門会

      落語立川流

      24時間テレビ 「愛は地球を救う」

      香取慎吾の特上!天声慎吾

      あなたの怨み晴らします

      金曜スーパープライム

      らくらくゴーゴー!

      得する人損する人

      ゴールデンまなびウィーク

      カラダWEEK

      NHK×日テレ コラボウィーク

        チコちゃんに叱られる!

        日本テレビ

        ユニオン映画

        正力松太郎

        正力亨

        小林與三次

        氏家齊一郎

        萩原敏雄

        間部耕苹

        久保伸太郎

        細川知正

        大久保好男

        小杉善信

        中島銀兵

        ISNI

        VIAF

        日本

        MusicBrainz

        落語家

        笑点

        多発性硬化症に罹患した人物

        言語障害を持つ人物

        日本の闘病記著者

        隻脚の人物

        日本の卓球に関する人物

        新潟県出身の人物

        1943年生

        2020年没

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2024/11/19 15:22更新

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