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湯場忠志の情報 (ゆばただし)
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【5月19日】今日誕生日の芸能人・有名人

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湯場 忠志さんについて調べます

■名前・氏名
湯場 忠志
(ゆば ただし)
■職業
ボクシング
■湯場忠志の誕生日・生年月日
1977年1月19日 (年齢47歳)
巳年(へび)、山羊座(やぎ)
■出身地・都道府県
宮崎出身

湯場忠志と同じ年に生まれた芸能人(1977年生まれ)

湯場忠志と同じ誕生日の人(1月19日)

湯場忠志と同じ出身地の芸能人(宮崎県生まれ)


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湯場忠志

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湯場 忠志(ゆば ただし)さんの誕生日は1977年1月19日です。宮崎出身のボクシングのようです。

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人物などについてまとめました。卒業、引退、現在に関する情報もありますね。現在の年齢は47歳のようです。

湯場 忠志(ゆば ただし、1977年1月19日 - )は、日本の元プロボクサー。宮崎県北諸県郡三股町出身。第47代日本ライト級王者。第28代日本スーパーライト級王者。第43代・第45代日本ウェルター級王者。第34代日本スーパーウェルター級王者。第55代日本ミドル級王者。日本王座5階級制覇王者。都城レオスポーツジムに所属していた。宮崎日本大学高等学校卒業

17歳の時にオスカー・デ・ラ・ホーヤのビデオを観て、そのボクサーとしての紳士的なあり方に近づきたいと考え、ボクシングを習うようになった。高校卒業後、19歳の時にアマチュアの試合に勝利し、ボクシングを本格的に志した。

1996年4月14日、プロデビュー戦に4回判定勝利を収めた。2戦目は前博志に4回判定で敗れるも、3戦目に2回KOでリベンジに成功した。

1997年2月15日、青木政孝を1回KOで破り、4連勝で全日本スーパーライト級新人王を獲得した。1999年2月22日に木村登勇を破って日本5位となり、同年9月20日には防衛18度のリック吉村の日本ライト級王座に挑戦した。戦前の予想を覆しダウンを奪ったが、10回引き分けで戴冠はならなかった。

2000年10月16日、日本ライト級暫定王座を小野淳一と争い、6回負傷判定勝利で暫定王者となった。11月、リック吉村が22度目の防衛達成後に正規王座を返上したことにともない、正規王者と認定された。この時期、畑山隆則がWBA世界同級王者だったこともあり、この11月には東京で「ライト級は日本に世界チャンピオンがいることだし、来年(2001年)は無理としても、再来年には(世界戦を)やりたいと思っています」と語っている。

2001年2月17日、両国国技館で行われた畑山 vs. リック吉村のアンダーで木村登勇と対戦し、負傷引き分けで初防衛を果たした。さらに大久保純斗を退け2度防衛後の9月17日、同王座を返上した。

2002年3月23日、横浜アリーナで前田宏行が返上し空位となった日本スーパーライト級王座を足立浄と争い、7回TKO勝利で2階級制覇を成功させた。

2003年2月15日、元WBF世界スーパーライト級王者でPABAスーパーライト級王者のアジブ・アルバラードを退けた次の防衛戦を、親交のある佐々木基樹と行った。戦前の予想通りにはならず9回TKO負けを喫し王座から陥落、引退を考えるが6か月後に復帰した。

2005年1月16日、5連勝で前田宏行が返上し空位となった日本ウェルター級王座を竹中義則と争い、2回TKO勝利で3階級制覇を達成した。同年9月23日、防衛1度の後パシフィコ横浜で行われた大曲輝斎との防衛戦で1回40秒KO負けを喫し、王座から陥落した。

その後、元PABAウェルター級王者のファルカド・バキロフとの対戦ではダウンを奪いながら負傷判定で自身初の2連敗を喫し、引退も考えたが、その8か月後オペティ・タギを相手に復帰を果たし、続く新井恵一との試合で2連勝となった。大曲との再戦が決定したが、大曲が眼筋麻痺の治療のために王座を返上したことにより、6位の古川明裕と王座決定戦を行うことになった。

2007年4月20日、古川明裕と日本ウェルター級王座決定戦を行い、開始早々から立て続けにダウンを奪って1回1分32秒でKO勝ち。日本王座に復帰した。同年12月6日に行われた牛若丸あきべぇ(現・渡部あきのり)との2度目の防衛戦では、開始早々ダウンを奪われたものの直ぐに2度ダウンを奪い返し、1回1分30秒KO勝ちで防衛に成功した。2007年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で努力賞・KO賞の両賞に選出された。

2008年4月20日、地元宮崎県体育館で行われた防衛戦で沼田康司に4回KO負けを喫し、王座から陥落した。この試合では顎を2か所骨折し、ブランクを余儀なくされたが、11月16日に復帰戦の決定発表とともに現役続行を表明した。この後は東京やタイでの練習を増やし、体幹トレーニングなども採用した。

2009年1月22日、4階級目となるスーパーウェルター級に階級を上げ、寺田千洋に1回KO勝利を収めて再起を果たした。同年5月19日、スーパーウェルター級8回戦で日本同級7位として日本ミドル級5位・OPBFミドル級12位の中堀智永と戦い、ボディへの一撃で自身初の2戦連続となる1回KO勝利を収めた。11月3日には都城市で行われた都城レオスポーツ主催興行で日本スーパーウェルター級6位・OPBF同級13位としてミドル級を主戦場とする戸高不乱拳大樹とスーパーウェルター級8回戦で対戦し、3回TKO勝利を収めた。

2010年2月22日、OPBF東洋太平洋スーパーウェルター級8位・日本スーパーウェルター級4位として、OPBF東洋太平洋ミドル級11位・日本ウェルター級6位の渡部あきのりと2年2か月ぶりの再戦をスーパーウェルター級8回戦で行い、初回は攻勢をとりながら2回からはペースを譲る展開となったが、5回に左アッパーから連打をまとめて、この回TKO勝利を収めた。

2010年6月29日、チャーリー太田の持つ日本スーパーウェルター級王座への挑戦者決定戦として行われた同級8回戦で、同2位として6位の西禄朋と対戦。2回にダウンを奪い、この回TKO決着により再起後5連続KO勝利とし、挑戦権を獲得した。

2010年9月4日、WBA世界スーパーウェルター級13位のチャーリー太田が持つ日本スーパーウェルター級王座とOPBF東洋太平洋同級王座に日本1位・OPBF4位として挑戦。8回終了時点の採点はドローであったものの終盤にポイントを失い、プロ45戦目にして初めて12回を戦って0-3の判定負けを喫したが、試合直後に現役続行の意思を表明した。

2011年5月19日、チャーリー太田との再戦では、チャーリーの持つOPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王座と日本スーパーウェルター級王座に挑戦。2度の公開採点ではいずれも優勢であったが、9回にタオル投入によるTKO負けを喫して日本王座の獲得に失敗し日本王座4階級制覇にも失敗、OPBF王座の獲得にも失敗した、この試合でも顎を骨折。沼田・渡部戦に次ぐ3度目の骨折だった。その後ミドル級へ転向した。

2011年10月29日、再起戦で胡朋宏に3回TKO勝利を収め、日本ミドル級王座への挑戦権を獲得。コーチの加山利治によると、ミドル級では減量の必要がないという。日本ではスパーリングパートナーを探すことが困難なため、湯場の練習拠点はタイとなっているが、この年9月下旬から10月中旬までの期間もタイでムエタイの練習をする白人選手を相手に調整をした。

2012年2月4日、カルロス・リナレスとの日本ミドル級王座決定戦に出場。この試合のために12月下旬から4週間、タイで体重が80kgある(ライトヘビー級超の)イギリス人などのキックボクサーと毎日、ミット打ちとヘッドギアなしのスパーリングをした。試合序盤はリナレスのプレッシャーとクリーンヒットにボディーを返しながらも守勢に回り、セコンドからの「絶対にチャンスが来るから」焦らずに凌げという指示通りに試合を進めた。4回に入り、湯場陣営の思惑通りにリナレスが徐々に失速し始めたところを、左フックでダウンを奪った。しかし湯場は試合の3日前に左肩を脱臼し、ストレートは打てたが、フック系のパンチが打てなくなっていた。これを空振りしていたなら再び症状を悪化させかねない状態であった。5回には再びリナレスが猛攻を仕掛けたが、セコンドからの指示は諦めずに再び我慢しろというもので、湯場もこれを得策と考えた。ペースを取り戻そうとしたリナレスは急速に疲労を蓄積させ、6回には2度目のダウンを追加、5回か6回に湯場は顎を痛めたが、7回にはカウンターの左ストレートでリナレスを倒してカウントアウトさせ、7回TKOで勝利。日本ミドル級王座を獲得し、史上初の日本王座4階級制覇を達成した。

地方ジムに所属しての記録達成について湯場は、大手だと縛られるが自由にできたことがよかった、「そのほうが本人の責任になる」から、と語っている。「勝っても負けても引退」を決意して臨んだ試合であったが、勝利後はこれを撤回し、5階級制覇への意欲を示した。

この4階級制覇達成の記録には、同年現在住まいのある都城市と出身地の三股町が即座に対応し、同月のうちにそれぞれ市民栄誉賞・町民栄誉賞を贈った。また湯場はこの勝利で第33回チャンピオンカーニバルの最優秀選手賞に選出された。

2012年6月11日、プロ50戦目となる試合で日本同級1位で指名挑戦者の氏家福太郎に2回TKO勝利を収めて初防衛に成功したが、同年10月8日、6位の佐々木左之介に4回KO負けを喫して王座を失った。

この後、再びスーパーウェルター級へ転向。2013年2月20日、同級8回戦で日本同級4位の十二村喜久と対戦し、2-1の判定で勝利。同年6月10日には長島謙吾との同級8回戦に3-0の判定で勝利した。

2013年8月12日、同年5月4日にOPBF東洋太平洋ミドル級王者淵上誠を破りOPBF2階級制覇を果たしていた柴田明雄が同年7月5日付で日本スーパーウェルター級王座を返上したため、後楽園ホールで行われた「ダイヤモンドグローブ&DANGAN80」で日本スーパーウェルター級2位の切間庸裕と日本スーパーウェルター級王座決定戦を行い、2度のダウンを奪った後、1回2分36秒KO勝ちで切間を降し、日本人史上初の5階級制覇を達成した。試合後には、防衛戦よりも村田諒太との対戦実現を優先させたい意志を表明した。

2013年11月29日、後楽園ホールにて、十二村喜久と対戦し、2-1(97-95、96-95、95-96)の判定勝ちを収め初防衛に成功した。

2014年3月4日、後楽園ホールにて、細川貴之と対戦し、0-2(93-97、94-96、95-95)の判定負けを喫し2度目の防衛に失敗、王座から陥落した。

2014年7月30日、後楽園ホールにて、ドンドン・ラプスと対戦し、初回2分42秒KO勝ちを収め再起に成功した。

2014年12月18日、後楽園ホールにて、沼田康司の引退に伴うOPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王座決定戦でデニス・ローレンテ(英語版)と対戦したが、6回2分38秒TKO負けを喫し王座獲得に失敗した。この試合を最後に引退を表明した。

人物

東京でのトレーニングは当初ワタナベボクシングジムを拠点として行っていた。当時同ジムに所属していた加山利治と親友関係になり、加山が引退後に設立したフリージム「EBISU K's BOX」の特別トレーナーを選手活動と並行して務めている。

長男の海樹もプロボクサー。

2024/05/17 11:44更新

yuba tadashi


湯場忠志と同じ誕生日1月19日生まれ、同じ宮崎出身の人

松形 良正(まつかた よしまさ)
1923年1月19日 宮崎

1月19日生まれwiki情報なし(2024/05/19 09:12時点)


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