矢島勝彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
矢島 勝彦(やじま かつひこ、1943年9月12日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)。
法政大一高では、2年生の時に三塁手として1960年春の選抜に出場。2回戦(初戦)でエース木原義隆を擁する海南高を延長11回裏サヨナラで降すが、続く準々決勝では北海高の佐藤進に完封負けを喫する。翌1961年は遊撃手に回り、夏の甲子園にも出場するが、1回戦で関根知雄のいた銚子商に延長12回裏サヨナラ負け。
高校卒業後は、社会人野球の日産自動車に入団。1965年の都市対抗に出場、1966年の産別大会でもダイハツに補強され、本塁打を放つなど活躍。
1966年のドラフト外で近鉄バファローズへ入団。小柄ながら好打攻守、ベース1周を13秒8で走る俊足もあって即戦力として期待された。
1年目の1967年から一軍に定着、遊撃手、二塁手として31試合に先発出場する。同年のジュニア・オールスターにも選出された。その後は打撃面で伸び悩み、出場機会が減少。1969年限りで引退した。引退後は横浜市鶴見区に在住。浅井物産株式会社に勤務。