矢貫俊之の情報(やぬきとしゆき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
矢貫 俊之さんについて調べます
■名前・氏名 |
矢貫俊之と関係のある人
菊池俊夫: 当時は中谷翼、矢貫俊之とチームメイトだった。 中谷翼: 同期に矢貫俊之、菊池俊夫。 北篤: 2015年6月10日に、矢野謙次・須永英輝との交換トレードで、矢貫俊之と共に読売ジャイアンツへ移籍した。 隠善智也: “【巨人】矢貫俊之広報がファームディレクター補佐に配置転換 大塚副代表「若手の教育係」”. 武田航平: 第24回 矢貫俊之ファームディレクター補佐インタビュー(2020年12月号) 矢野謙次: 2015年も代打で出場するも8試合で14打数1安打、打率.071とさらに不調となり、6月10日、北篤・矢貫俊之との交換トレードで須永英輝と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍することが発表された(支配下選手登録は翌11日)。 佐々木順一朗: 矢貫俊之(日本ハム) 須永英輝: 2015年6月10日、北篤、矢貫俊之とのトレードで矢野謙次と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍、約4年半ぶりの復帰となった。 |
矢貫俊之の情報まとめ
矢貫 俊之(やぬき としゆき)さんの誕生日は1983年12月15日です。福島出身の野球選手のようです。
父親、卒業、引退、家族、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。矢貫俊之の現在の年齢は40歳のようです。
矢貫俊之のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 矢貫 俊之(やぬき としゆき、1983年12月15日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 5歳の時に父親の仕事の都合でフィリピンに移住する。フィリピンのマニラ日本人学校に通いつつ、現地の日本人の子供と共に野球と触れ合うようになる。小学校3年時に日本に帰国。小田倉小学校4年の時に小田倉スポーツ少年団でソフトボールを始め、エースで4番と活躍。その後西郷第二中学校1年から、軟式野球部で野球を始める。 中学2年時に本格的に投手へ転向したが、卒業後に進学した仙台育英高校では、公式戦に登板する機会がなかった。在学中にチームは2001年春の第73回選抜高等学校野球大会で準優勝するなど通算4度の甲子園大会に出場したが、矢貫自身はいずれの大会にも出場メンバーに入れず、甲子園球場のアルプススタンドで太鼓を担当するなど応援団の一員だった。また、高校時代のチームメイトに中谷翼や菊池俊夫がいたが、自身は「12番手ぐらいの控え投手」だったという。 高校卒業後は、AO入試で常磐大学に進学。2年春からベンチ入りし、秋にリーグ戦初勝利。関甲新リーグ通算10勝11敗。同大学の3学年上に小野寺力、久保田智之が在籍していた。 大学卒業後は、2006年に三菱ふそうトラック・バスに入社。同社の硬式野球部で、先発・中継ぎ要員として、チームの2008年夏の都市対抗野球大会出場に貢献した。 2008年のプロ野球ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから3巡目で指名。契約金5,500万円、年俸900万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は33。 2009年は一軍出場はなかったが、10月7日から11月23日までアメリカに野球留学し、フェニックス・デザートドッグスの一員としてアリゾナ秋季リーグに参加した。10試合に登板し13.2回を投げ、被安打10、四死球8、三振14、失点・自責点1、防御率0.66の成績を残し、同リーグ最優秀防御率に輝いた。 2010年6月29日の埼玉西武ライオンズ戦で先発投手を務め、6回途中まで投げ2失点に抑えてプロ初勝利を挙げた。同年8月16日に右肘関節内骨片除去手術を受けた。その後はリハビリに専念し、二軍でも登板はなかった。 2011年10月13日の福岡ソフトバンクホークス戦で先発投手を務め、5回途中まで投げ1失点に抑えたが、打線の援護が無く敗戦投手となっている。なお、一軍ではこの1試合のみで留まった。 2012年はリリーフとして22試合に登板、7月6日にプロ初ホールド、8月1日にはプロ初セーブを挙げた。 2013年は開幕戦である3月29日の西武戦で、負傷降板した武田勝の後を受け、4回途中から登板すると2イニングを1失点にまとめて1勝目を挙げた。その後は主にロングリリーフとして起用されたが、防御率1点台と安定した投球を見せていたため交流戦中から接戦でも起用されるようになった。更に監督推薦によりこの年のオールスターゲームの出場選手に選ばれ、第3戦では地元の福島(いわきグリーンスタジアム)での登板を果たした。夏場に入ると疲労の色を隠せず、8月と9月に2度登録抹消され、防御率も3点台まで下がるなど打ち込まれる場面が増えた。それでも最終的には自己最多の57試合に登板、13ホールドを記録した。 2014年は前年同様ロングリリーフとして起用され、4月10日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で3と2/3イニングを無失点に抑え勝利投手になった。しかしシーズン全体では安定感を欠いて、登録と抹消を繰り返し、登板数、防御率共に大きく数字を落とした。 2015年には、後述する読売ジャイアンツへの移籍が決まるまで、一軍公式戦9試合に登板。勝敗は付かず、防御率は3.60であった。 2015年6月10日に、矢野謙次・須永英輝との交換トレードで、北篤と共に巨人へ移籍。移籍後は、一軍公式戦3試合に登板したものの、防御率が13.50に達した。 2016年には、一軍公式戦8試合に登板。6月18日には、シーズン初の出場選手登録を経て登板した対千葉ロッテマリーンズ戦(東京ドーム)でストレートを投じた際に、自己最速の151km/hを計測した。一軍公式戦の通算防御率は2.61であったが、7月に登録を抹消。抹消後の8月にオーバーワークの影響で背中の疲労骨折に見舞われると、10月2日に球団から戦力外通告を受けた。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示。 矢貫自身は、NPB他球団での現役続行を希望していたことから、2016年11月12日に12球団合同トライアウト(阪神甲子園球場)へ参加。シートバッティング形式で打者3人と対戦すると、ストレートで最速146km/hを記録するとともに、1奪三振1被安打という結果を残した。しかし、NPB他球団から獲得のオファーを受けるまでには至らず、同年12月に現役から引退することを決断した。 2017年以降も球団職員として巨人に所属。同年1月1日付で、営業企画部兼運営部の職員に転身する。2019年からは広報部に異動。 2020年8月1日付けでファームディレクター補佐に就任。 2021年5月24日、三軍投手コーチに就任した。背番号は107。2023年限りで退任、2024年からは再びファームディレクターとなる。 身長190cmという長身からのオーバースローで、平均球速約144km/h・最速151km/hの速球を投じたほか、スライダー、縦のカーブ、フォークボールを武器にしていた。 初登板・初先発登板:2010年6月10日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(札幌ドーム)、5回9被安打4失点で敗戦投手 初奪三振:同上、1回表に青木宣親から空振り三振 初勝利・初先発勝利:2010年6月29日、対埼玉西武ライオンズ10回戦(HARD OFF ECOスタジアム新潟)、5回1/3を2失点 初ホールド:2012年7月6日、対福岡ソフトバンクホークス10回戦(札幌ドーム)、6回表無死に2番手で救援登板、1回無失点 初セーブ:2012年8月1日、対千葉ロッテマリーンズ13回戦(QVCマリンフィールド)、10回裏に7番手で救援登板・完了、1回無失点 オールスターゲーム出場:1回 (2013年) 33 (2009年 - 2015年途中) 48 (2015年途中 - 2016年) 107 (2021年5月24日 - 2023年) 「Rising Sun」EXILE (2012年 - 2016年) ^ 週刊ベースボール2013年8月26日号 P56 ^ “【巨人 球団スタッフがマニラ日本人学校で野球教室 OB矢貫俊之氏の母校”. スポニチ Sponichi Annex (2020年1月16日). 2022年1月29日閲覧。 ^ 週刊ベースボール2013年8月26日号 P57 ^ 週刊ベースボール2013年8月26日号 P58 ^ “日本ハム7人完封 ブルペン投球なしの矢貫 2年ぶり白星”. スポニチ Sponichi Annex (2012年8月16日). 2012年8月17日閲覧。 ^ “【決断】巨人・矢貫、あえて家族呼ばずも…トライアウトが“最後の登板”に”. スポニチ Sponichi Annex (2016年12月8日). 2016年12月8日閲覧。 ^ 北海道日本ハムファイターズ公式サイト ^ “今江、矢貫が福島開催に思いはせる/球宴”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2013年7月23日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130723-1161644.html 2014年2月18日閲覧。 ^ 日本ハム 西川逆転3ラン!斎藤佑乱調もリリーフ陣が無失点リレー スポーツニッポン 2014年4月10日付記事 ^ “読売ジャイアンツとトレードが成立”. 北海道日本ハムファイターズ. http://www.fighters.co.jp/news/detail/5459.html ^ “来季の契約について”. 読売巨人軍公式サイト (2016年10月2日). 2016年10月3日閲覧。 ^ “自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。 ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1736002.html 2016年11月13日閲覧。 ^ “巨人戦力外の矢貫が現役引退 昨年日本ハムから移籍”. 日刊スポーツ. (2016年12月7日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1748388.html 2016年12月7日閲覧。 ^ “矢貫氏 再出発は巨人球団職員「自分の中で区切りをつけた」”. スポーツニッポン. (2016年12月20日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/12/20/kiji/20161220s00001173251000c.html 2016年12月20日閲覧。 ^ “元巨人・小山雄輝ら、プロ野球の現場でセカンドキャリアを広げる男たち”. DRAMATIC BASEBALL (日本テレビ). (2019年2月22日). https://www.ntv.co.jp/baseball/articles/34bbzfvyu58hyj4bqk.html 2020年6月25日閲覧。 ^ “【巨人】矢貫俊之広報がファームディレクター補佐に配置転換 大塚副代表「若手の教育係」”. スポーツ報知 (2020年7月31日). 2022年1月17日閲覧。 ^ “巨人コーチ陣を配置転換 パ・リーグ知る実松2軍バッテリーコーチを1軍に”. 日刊スポーツ (2021年5月24日). 2021年5月24日閲覧。 ^ “2021年度 監督・コーチ一覧”. NPB. 2021年5月24日閲覧。 ^ 『2014 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、92頁頁。ISBN 978-4-905411-17-8。 福島県出身の人物一覧 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 個人年度別成績 矢貫俊之 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube 表 話 編 歴 1位:大野奨太 2位:榊原諒 3位:矢貫俊之 4位:土屋健二 5位:中島卓也 6位:杉谷拳士 7位:谷元圭介 日本の野球選手 仙台育英学園高等学校出身の野球選手 常磐大学硬式野球部の選手 三菱ふそう川崎硬式野球部及びその前身チームの選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 日本の野球指導者 NPBオールスターゲーム選出選手 帰国子女 福島県出身の人物 1983年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/21 19:12更新
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yanuki toshiyuki
矢貫俊之と同じ誕生日12月15日生まれ、同じ福島出身の人
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