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秋山好古の情報 (あきやまよしふる)
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【5月20日】今日誕生日の芸能人・有名人

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秋山 好古さんについて調べます

■名前・氏名
秋山 好古
(あきやま よしふる)
■職業
軍人
■秋山好古の誕生日・生年月日
1859年2月9日 (年齢71歳没)
未年(ひつじ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
愛媛出身

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秋山好古

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秋山 好古(あきやま よしふる)さんの誕生日は1859年2月9日です。愛媛出身の軍人のようです。

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人物像、軍人としての秋山などについてまとめました。現在、卒業、兄弟に関する情報もありますね。71歳で亡くなられているようです。

秋山 好古(あきやま よしふる、1859年2月9日〈安政6年1月7日〉 - 1930年〈昭和5年〉11月4日)は、日本の陸軍軍人・教育者。最終階級及び位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。通称は信三郎。予備役編入後は郷里の愛媛県松山市で私立北予中学校(現在の愛媛県立松山北高等学校)の校長を務めた。

陸軍騎兵学校を参観に来たフランス軍人に「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」と賞され、日本騎兵の父とも呼ばれている。

連合艦隊先任参謀として日本海海戦の勝利に貢献した秋山真之は実弟。

安政6年(1859年)1月7日(1859年2月9日):伊予松山城下(現・愛媛県松山市歩行町)に松山藩士・秋山久敬、貞の三男として生まれる。名前の由来は論語の一節「信而好古」より。秋山家は足軽よりも一階級上の位で家禄10石程の下級武士(徒士身分)だった。藩校・明教館(現在の愛媛県立松山東高等学校)に入学し、家計を支えつつ学ぶ。このころ、天保銭一枚(100文に相当)にて、銭湯の水汲み、釜焚き、番台の管理をやっていた。

明治8年(1875年):納金不要で月に8円の学費を支給される、官立大阪師範学校に入学。

明治9年(1876年)7月:官立大阪師範学校卒業。第三大学区十八中学区堺県河内国第五十八番小学校(現在の寝屋川市立南小学校)を経て愛知県師範学校附属小学校(現在の愛知教育大学附属名古屋小学校)に勤務。

明治10年(1877年)5月:教職を辞し、陸軍士官学校(旧3期)入校。

明治12年(1879年)12月23日:陸軍士官学校卒業。任陸軍騎兵少尉。東京鎮台に配属される。

明治13年(1880年)

    2月28日:東京鎮台騎兵第1大隊付となる。

    3月22日:秋山家の家督相続(病床の長兄・則久の代替)。

    6月5日:正八位に叙位。

    7月2日:東京鎮台騎兵第1大隊小隊長に異動。

    明治16年(1883年)

      2月28日:任陸軍騎兵中尉。

      3月16日:陸軍士官学校騎兵科教官に異動。

      4月7日:従七位に昇叙。

      4月9日:陸軍大学校(1期)入校。

      明治18年(1885年)12月28日:陸軍大学校卒業。参謀本部勤務。

      明治19年(1886年)

        4月12日:東京鎮台参謀に異動。

        6月2日:任陸軍騎兵大尉。

        明治20年(1887年)7月25日:サン・シール陸軍士官学校に留学した久松定謨の補導役としてフランスへ渡り、騎兵戦術の習得に努める。

        明治23年(1890年)12月19日:父・久敬が松山で死去。

        明治24年(1891年)

          12月13日:帰国。

          12月26日:騎兵第1大隊中隊長に異動。

          明治25年(1892年)

            4月27日:陸軍士官学校馬術教官に異動。

            11月1日:任陸軍騎兵少佐。

            明治26年(1893年)

              1月11日:従六位に昇叙。

              4月2日:佐久間多美と婚姻。

              5月5日:騎兵第1大隊長に異動。

              明治27年(1894年):日清戦争に従軍。

              明治28年(1895年)5月10日:任陸軍騎兵中佐。

              明治29年(1896年)

                3月24日:正六位に昇叙

                8月15日:陸軍乗馬学校長に異動。

                明治30年(1897年)

                秋山好古
                  10月11日:任陸軍騎兵大佐。

                  10月30日:従五位に昇叙。

                  明治31年(1898年)10月1日:陸軍騎兵実施学校長に異動。

                  明治32年(1899年)10月28日:陸軍獣医学校長を兼務。

                  明治33年(1900年)7月17日:第5師団兵站監に異動。

                  明治34年(1901年)

                    5月30日:軍司令官・山根武亮少将の清国駐屯軍参謀長に異動。

                    7月4日:清国駐屯軍守備司令官に異動。

                    明治35年(1902年)

                      6月21日:陸軍少将に昇任。

                      10月20日:正五位に昇叙。

                      明治36年(1903年)4月2日:騎兵第1旅団に異動。

                      明治37年(1904年):日露戦争において、騎兵第1旅団長として出征し、第2軍に属して、沙河会戦、黒溝台会戦、奉天会戦などで騎兵戦術を駆使してロシア軍と戦う。また秋山支隊からロシア軍の後方攪乱のために派遣された永沼挺進隊の活躍は、小説『敵中横断三百里』によって有名となっている。その後、「日本騎兵の父」とも呼ばれた。

                      明治38年(1905年)6月19日:母・貞死去。

                      明治39年(1906年)

                        2月6日:騎兵監

                        4月:金鵄勲章功2級受章。

                        明治40年(1907年)11月11日:従四位に昇叙。

                        明治42年(1909年)8月1日:任陸軍中将。

                        大正元年(1912年)12月28日:正四位に昇叙。

                        大正2年(1913年)1月15日:第13師団長に異動。

                        大正4年(1915年)2月15日:近衛師団長に異動。

                        秋山好古の墓(松山市営鷺谷墓地)

                        大正5年(1916年)

                          1月31日:従三位に昇叙。

                          8月18日:朝鮮駐剳軍司令官に異動。

                          11月16日:任陸軍大将。

                          大正6年(1917年)8月6日:軍事参議官に異動。

                          大正8年(1919年)

                            3月10日:正三位に昇叙。

                            5月12日:馬政委員会委員長に異動。

                            大正9年(1920年)12月28日:教育総監となり、陸軍三長官の内の一人となる。また、軍事参議官を併任。

                            大正12年(1923年)

                              3月31日:予備役に編入(元帥位叙任の話もあったが本人が固辞した)。

                              4月30日:特旨をもって従二位に叙位。

                              大正13年(1924年)4月:私立北予中学校(現在の愛媛県立松山北高等学校)校長就任。

                              大正15年(1926年)

                                地元愛媛県教師、井上吉利らとともに、手嶋俊郎遺著『大陸ローマンス』を出版。

                                松山高校で起きた学校騒動の調停に一役買う。

                                昭和5年(1930年)

                                  4月9日:老いに勝てなくなったことや、同郷の後進である白川義則陸軍大臣などの心配もあり、校長を辞任。その後も学校理事として松山に住む。

                                  7月:帯広の牧畜事業を視察する為松山を発つも、東京で左足の痛みが酷くなり動けなくなる。糖尿病と壊疽の初期段階と診察される。

                                  11月1日:左足を切断する手術を行なったが、既に腐敗菌が左足以外の細胞にもまわり、手遅れとなる。

                                  11月4日:士官学校同期の本郷房太郎が見舞い、言葉を交わす。これが最後の好古と言葉とされる。午後7時10分、糖尿病による心筋梗塞により入院先の東京の陸軍軍医学校に於いて薨去。享年72(満71歳没)。

                                  11月10日:葬儀が青山斎場で執り行われる。日本赤十字社社長である徳川宗家16代当主公爵徳川家達が参列し、「本社は日本赤十字社東京支部特別社員陸軍大将従二位勲一等功二級秋山好古君の薨去を聞き哀悼の情に堪えずここに社員253万7千余人に代わり弔詞を贈る」と弔辞を述べた。墓所は東京港区の青山霊園1-イ-19-2-1。なお、有志により松山市の鷺谷墓地にも分骨された。

                                  人物像

                                  風貌は特徴的な鼻から「鼻信」とあだ名され、長身で色白、大きな目であり、陸軍大学校時代には教官のメッケルからヨーロッパ人と間違えられたというエピソードがある。

                                  青年期の頃から眉目秀麗と称賛され、故郷の松山や留学先のフランスでは女性にかなり人気があったという。しかし、彼自身は「男子に美醜は無用」との価値観を持っていたため、自分の容姿を決して鼻にかけることはなく、むしろ殊更に美醜を気にする考え方を嫌っていたといわれている。

                                  士官学校教授だった作家の内田百閒は「鈴木三重吉にそっくりの意地の悪そうな顔」とも記している。

                                  酒を非常に好み、当時東京大学予備門を目指していた真之と暮らしていた時は、「秋山兄弟は茶碗一つで飯を食っている」と噂されるほど貧乏であったにもかかわらず、1日に5合は飲んでいたといわれている。また、戦場でも水筒の中に入れ持ち歩いていたが、それだけでは足りず、従兵が気を利かせて、従兵の水筒にも酒をつめていた。騎乗で身を乗り出し従兵の水筒の酒を飲み干すなどの曲芸まがいのことができ、部下たちを感嘆させた。酔って自分を見失ったり判断を誤ったりすることはなかったが、過度の酒好きにより晩年は重度の糖尿病を患った。

                                  極度の風呂嫌いで、日露戦争中に入浴したのはたったの2回だけだったと云う。軍服も全く洗濯せずに着用し続けていたため、シラミが湧き、近くにいるだけでも異様な悪臭が漂う程だった。部下や同僚が入浴し身体を清潔にする様に何度となく勧めたが、「軍人たるもの戦場においてはいつ何時でも敵に対処出来る様にしなければならない(入浴している間に異変があった時、対処出来ない)」「風呂に入るためにこれ程遠い戦場まで来たのではない」と言って断っていた。

                                  軍人としての秋山

                                  騎兵を選んだのは他の兵科より一年早く卒業でき、給金を受け取れるという理由だった。また、秋山は長身で手足も長く騎手として適性があった。

                                  日清戦争後、陸軍乗馬学校長となり、自らのフランス留学の経験を活かして騎兵研究に没頭した。その結果、騎兵以外の兵科との連携が不可欠との結論に至り、日露戦争では騎兵部隊に歩兵、砲兵、工兵などを随伴させる戦闘集団(秋山支隊と呼ばれた)を編成した。この工夫によりナポレオンを破る等、世界最強とも言われたコサック騎兵を相手に好戦することができた。

                                  さらに黒溝台合戦では奥保鞏大将率いる第2軍に属し、日本軍最左翼を守備していた。しかし、この部隊は40km余りの戦線に対し、わずか8,000人程度の人員しか配置されていなかった。このため、拠点に塹壕を掘り穴ぐらに馬ごと潜り、機関銃などの兵器で攻撃する拠点防御方式を採用した。

                                  騎兵は機動力を活用して敵の弱点に対し打撃を与える兵種であり、この戦術はその機動力を捨てるものであった。しかし、防御体制を何とか構築し、ロシア軍を退却させることに成功した。

2024/05/17 08:54更新

akiyama yoshifuru


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