秋山道男の情報(あきやまみちお) 編集者、プロデューサー、俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
秋山 道男さんについて調べます
■名前・氏名 |
秋山道男と関係のある人
林真理子: 1979年(昭和54年)、秋山道男が編集していた西友ストアのPR雑誌『熱中なんでもブック』(のちに『青春評判ブック』)の編集スタッフとなる。 荒戸源次郎: 他の団員に、杉田一夫(作曲家)、秋山道男、櫻木徹郎(さぶ (雑誌)編集長)、熊倉正雄、田中陽造、大和屋竺、河内紀、平岡正明がいた。 笹岡茜: 舞踊家「茜澤茜」の名付け親は、クリエイティブディレクターの秋山道男。 茜澤茜: 舞踊家「茜澤茜」の名付け親は、クリエイティブディレクターの秋山道男。 中野翠: 大学卒業後、読売新聞社出版局図書編集部でのアルバイト、主婦の友社勤務をへて、秋山道男が編集していた西友のPR雑誌『熱中なんでもブック』(後に『青春評判ブック』)の編集スタッフをつとめ、同僚として親友になる林真理子と出会う。 南伸坊: 秋山道男 福間未紗: 「活人」創刊号*秋山道男責任編集(1985/衣装・安野ともこ) 横町慶子: 高校時代にスーパーエディター秋山道男に「こすず」と名付けられ、雑誌『活人』でモデルデビュー。 宮城千賀子: 夢二 1991年 製作荒戸源次郎、プロデューサー秋山道男・孫家邦、監督鈴木清順、脚本田中陽造、撮影藤澤順一、音楽河内紀・梅林茂、美術池谷仙克、録音橋本文雄、写真荒木経惟、主演沢田研二、毬谷友子 ※遺作 南伸坊: プロデューサーとなった秋山道男は高校の同級生。 内田春菊: その後、ペンネームの名付け親でもある編集者・プロデューサーの秋山道男に出会い見出される。 |
秋山道男の情報まとめ
秋山 道男(あきやま みちお)さんの誕生日は1948年9月29日です。千葉出身の編集者、プロデューサー、俳優のようです。
卒業、映画、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。2018年に亡くなられているようです。
秋山道男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)秋山 道男(あきやま みちお、1948年9月29日 - 2018年9月19日)は、日本の編集者、プロデューサー、クリエィティブディレクター、装丁家、俳優、作詞家、作曲家。千葉県松戸市生まれ。スコブルコンプレックス會社・主宰。資生堂文化デザイン部編集委員。 本人いわく「都市・空間・商品・宣伝・編集・芸能・芸術・食・身体・生活・ファッションなど多領域の仕事群を『魅力づくり』として遂行」する仕事を行っている。 1960年代には「秋山未知汚」「秋山未痴汚」名義を、1970年代には「秋山ミチヲ」名義を用いていた。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。同級生には南伸坊がいた。高校時代はバンドを組んでいて、おしゃれだった。子供の頃から吃音があった。 高校卒業後、しばらくフーテン生活を送り「原宿の万引き王」と呼ばれたが、19歳で若松孝二の若松プロダクションに入社。脚本、音楽、ポスター制作、助監督を担当。秋山未知汚名義で俳優として映画にも出演した。1970年の『性賊 セックス・ジャック』では少年テロリストを演じ、大和屋竺から絶賛された。 若松プロでは「オバケ」の渾名で呼ばれており、1969年の足立正生監督作品『性遊戯』では、「オバケ」という役名で出演している。撮影場所も秋山の実家が使われた。この映画には、若松プロで「ガイラ」と呼ばれていた小水一男も「ガイラ」という役名で出演した。 作曲したサンバ「ここは静かな最前線」(作詞:足立正生)は、山下洋輔トリオの演奏で、映画『天使の恍惚』(1972年)の主題歌となった(後に渚ようこがカバーしている)。作品中にもギターを弾く男として出演し、この曲を演奏、主演の横山リエが歌っている。「状況劇場」、暗黒舞踏関係、「発見の会」など、アングラ系の人々とも知り合うが、政治色の強くなった若松プロから距離を置くことを考える。 「発見の会」の黒内直の依頼で、印刷会社の屋根裏に住み込み「無限會社・面白商会」と個人で名乗り、アングラ関係の印刷物・着ぐるみの中身担当・引越しの手伝いなどの便利屋業を行いつつ、放送作家としても活動。テレビ番組『ベルトクイズQ&Q』のクイズを担当。また、「クイズを歌で出せば面白いのでは」と、担当ディレクターの河内紀と探し歩いて、1972年に荒戸源次郎が創設していた劇団「天象儀館」の女性コーラス達を起用したことから、秋山も天象儀館に入団。他のメンバーには上杉清文、櫻木徹郎らがいた。美術、デザイン、俳優をこなす。 1973年には、天象儀館のメンバーの出演による、大和屋竺監督による映画『愛欲の罠(別名:朝日のようにさわやかに)』が製作され、腹話術師の殺し屋役を演じたが、生計は筋子、数の子、タラコなどを路上で売るテキヤで立てていた。この時期、糸井重里、ペーター佐藤らと出会っている。 1976年から荒俣宏監修で月刊ペン社から刊行された「妖精文庫」等、本の装丁も行う。また、伊集院彩名義で雑誌『JUNE』の表紙デザインも行った。また、ペーター佐藤の紹介で、カネボウ化粧品の広報誌「BELL」の編集長から、「産休を取るから編集長になってくれ」と依頼され、突如、編集長となる。雑誌はすぐにつぶれたが、編集についてのノウハウを学ぶ。 1978年、30歳で事務所「秋山計画」を設立。のちに「スコブルコンプレックス」に改名。なお、「スコブル」は宮武外骨が刊行していた雑誌から取った名前である。 1979年 - 1980年には西友の広報誌の編集長を務め、「こども向けのパンク雑誌」とのアイディアで『熱中なんでもブック』(のちに『青春評判ブック』)と題して刊行。スタッフに林真理子、中野翠、松川邦生 等がいた。 1980年、青春出版社の新雑誌『BIG tomorrow』に創刊ブレインとして参加。「『困っているサラリーマン』を救う、ダサイ雑誌がいい」と助言して、ヒット雑誌となる。 1983年には無印良品の青山店の開店を手伝ったことがきっかけで、無印良品全般のプロデュースを行い、人気商品とする。同じく1983年からチェッカーズの総合プロデュースを行い、髪型、ファッションなどのバンド・コンセプト、タレント本の企画編集、映画のシノプシスなどを考え、人気バンドに育てた。この頃は「すべての自分の仕事は『編集』である」と、「スーパー・エディター」を名乗っていた。その他、小泉今日子、日本新党、六本木ヒルズ内のいくつかの店などのプロデュースも行った。なお本人は「魅力化」と呼んでいる。 1984年、細野晴臣のお墨付きで、「YMO散開」後に2ヶ月間だけ「二代目YMO」を襲名する。 1985年には、高岡一弥、後藤繁雄との共同編集で雑誌『活人』(毎日新聞社)を創刊。創刊号の表紙を、裸の小泉今日子の全身黒塗り写真(イブ・クラインの写真の真似)で飾り、読者の度肝を抜くが、雑誌は2号で廃刊。1986年には小泉今日子の写真集『小泉記念艦』を企画・編集。「人体測定KYON2ver.」と題して、さまざまな色での「小泉の魚拓」(これもイブ・クラインの真似)を収録した。また、資生堂イプサの広報誌「Cawaii Click!」や「イプサ文庫」なども手がけた。 1982年頃、デビュー前で喫茶店のウェイトレスをやっていた内田春菊に声をかけられ、「面白い子だ」と認めて彼女のペンネーム「春菊」を命名したが、その縁で、1995年に内田の自伝的小説『ファザーファッカー』の映画化の際、プロデューサーを務め、監督に初監督となる荒戸源次郎を指名。逆に荒戸から「主人公の義父」役で出演を依頼され、約20年ぶりの映画出演でまたも怪優ぶりを発揮。 以降は、多くの映画、テレビドラマに俳優として出演し、リリー・フランキー原作のアニメ『おでんくん』では声優も務めた。 癌により死去。 ディスプレイ・デザイン協会最高賞(1982年) グッドデザイン賞金賞(2003年度) - 「CLASSICS THE SMALL LUXURY」六本木ヒルズ内のハンカチ専門店 性遊戯(1969年) 監督:足立正生 - 秋山未知汚名義 狂走情死考(1969年) 監督:若松孝二 - 秋山未知汚名義 ゆけゆけ二度目の処女(1969) 監督:若松孝二 - 秋山未痴汚名義 裸の銃弾(1969)監督:若松孝二 - 秋山未知汚名義 性賊 セックスジャック(1970)監督:若松孝二 - 秋山未知汚名義 噴出祈願 15歳の売春婦(1971) 監督:足立正生 - 秋山未知汚名義 (秘)女子高生 恍惚のアルバイト(1972) 監督:若松孝二 - 秋山ミチヲ名義 天使の恍惚(1972)監督:若松孝二 - 秋山ミチヲ名義 愛欲の罠(1973年) 監督:大和屋竺 - 秋山ミチヲ名義 ファザーファッカー(1995)監督:荒戸源次郎 流★星(1999) 監督:山仲浩光 ざわざわ下北沢(2000) 監督:市川準 DRUG GARDEN(2000) 監督:広田レオナ 赤目四十八瀧心中未遂(2003) 監督:荒戸源次郎 ナイン・ソウルズ(2003)監督:豊田利晃 性地帯 セックスゾーン(1968) 監督:足立正生 - 秋山未知汚名義 性遊戯(1969年) 監督:足立正生 - 秋山未知汚名義 新日本暴行暗黒史 復讐鬼(1969) - 監督:若松孝二 - 秋山未知汚名義 女学生ゲリラ(1969)監督:足立正生 - 秋山未知汚名義 狂走情死考(1969)監督:足立正生 - 秋山未知汚名義 女教師 私生活(1973) 監督:田中登 - 秋山ミチヲ名義 CHECKERS IN TAN TAN たぬき(1985) 監督:川島透 鉄拳(1990) 監督:阪本順治 夢二(1991) 監督:鈴木清順 外科室(1992) 監督:坂東玉三郎 ファザーファッカー(1995)監督:荒戸源次郎 秀吉(1996) NHK大河ドラマ 天うらら(1998) NHK連続テレビ小説 私立探偵 濱マイク(2002) よみうりテレビ おでんくん(2005 - ) 監督:加藤道哉、原作:リリー・フランキー ネスレ日本株式会社、ネスカフェ・香味焙煎 アゴ&キンゾー
伊武雅刀
うしろゆびさされ組
大貫妙子
小泉今日子
中原理恵
安野ともこ
Sur la Terra 作曲:細野晴臣 Mysterieux 作曲:細野晴臣 エンゼル来たる 作曲:飯島美織 女子性愛読本 三八態 面白商会編集、編集委員:黒内直、秋山ミチオ、志水誠他 映像グループ 1972 60年代のカタログ 小野耕世編(イラスト 原田治・奥村靫正) 主婦と生活社 1975
夕刊イトイ 糸井重里編 リブロポート 1984
高級藝術宣言 付・総合商社HAND-JOEの歩み(高級藝術協會編)JICC出版局 1985,1
小泉記念館 小泉今日子永久大切版・高級写真集 スコブルコンプレックス著 音楽専科社 1986 今月の困ったちゃん 内田春菊 マガジンハウス 1989.10
ベッドタイム・ストーリーズ1 コージー本舗出版部著 ビクター音楽産業 1989.12
スパイスから 荒俣宏、植島啓司、白石かずこ、春山行夫 イプサ文庫編集局(スコブルコンプレックス會社) 1990.2 THE BOOK OF SOCKS AND STOCKINGS 荒俣宏監修 スコブルコンプレックス會社編集 日本靴下協会 1993.11 これを読まずして、編集を語ることなかれ。松田哲夫著 径書房 1995.9
谷田一郎の仕事と周辺 谷田一郎著 六耀社 1999.5
SUCOBULU上キゲン生活―優良品ガイド〈2000-2001〉 秋山道男編 朝日出版社 2000.6 シンボーズ・オフィスへようこそ!完全版 南伸坊、鏡明、関三喜夫著 フリースタイル 2003
ザ・スタディ・オブ・コム デ ギャルソン 南谷えり子著、監修:秋山道男 リトルモア 2004 東京の編集 菅付雅信 ピエ・ブックス 2007.12
スペクテイター〈46号〉 秋山道男 編集の発明家 幻冬舎 2020 高級芸術宣言 1984
松田哲夫『これを読まずして、編集を語ることなかれ。』径書房 1995.9 雑誌『彷書月刊』2003年7月号(特集:PR誌の向こう側) 平岡正明『若松プロ、夜の三銃士』愛育社 2008 ^ 『SPECTATOR』Vol.46 秋山道男 編集の発明家、2020年5月15日、p114 ^ 『SPECTATOR』Vol.46、p23 ^ スーパーエディター・秋山道男さんが死んでしまった。日暮真三ブログ、2018年10月26日 ^ 『SPECTATOR』Vol.46 p130 ^ のちに主婦の友社で、林真理子の『ルンルンを買っておうちに帰ろう』や、渡辺和博の『金魂巻』の編集を担当。 ^ のち、安原顯も「スーパーエディター」と名乗るようになると、秋山はこの自称を止めた。 秋山道男 - allcinema 秋山道男 - KINENOTE 秋山道男 - 日本映画データベース VIAF イスラエル アメリカ 日本 IdRef 日本の雑誌編集者 日本のディレクター クリエイティブディレクター 日本の商品プロデューサー 日本の男優 東京都立工芸高等学校出身の人物 千葉県出身の人物 1948年生 2018年没 出典皆無な存命人物記事/2018年10月 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 VIAF識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/21 23:55更新
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