立石定夫の情報(たていしさだお) 弁護士、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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立石定夫の情報まとめ
立石 定夫(たていし さだお)さんの誕生日は1928年2月29日です。広島出身の弁護士、政治家のようです。
卒業に関する情報もありますね。1995年に亡くなられているようです。
立石定夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)立石 定夫(たていし さだお、1928年(昭和3年)2月29日 - 1995年(平成7年)6月8日)は、日本の政治家、弁護士、歴史研究家。第8代福山市長(3期)。 広島県福山市東堀端町(現・福山市城見町)に生まれる。1945年(昭和20年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1948年(昭和23年)、旧制広島高等学校卒業。1951年(昭和26年)、同志社大学法学部卒業。 1955年(昭和30年)4月、弁護士を開業。1960年(昭和35年)4月、広島弁護士会福山地区会会長に就任。 1963年(昭和37年)4月、広島県議会議員に初当選。1967年(昭和42年)に再選。 1970年(昭和45年)4月25日に行われた福山市長選挙に立候補。徳永豊市長や市議会多数派の公政会の支援を受けた前助役の上田政雄らを破り、初当選した。 3選した年の翌1979年(昭和54年)5月、保守系市議21人が連名で、立石に次期衆院選への立候補を促す推薦状を手渡す。同年7月28日付で市長を辞職。同年10月7日に行われた第35回衆院選に旧広島3区から自民党公認で出馬するが落選。 1983年(昭和58年)8月21日に行われた福山市長選挙で返り咲きを狙うも落選。 1985年(昭和60年)7月、福山ワシントンホテルの代表取締役に就任した。1995年(平成7年)6月8日没。 市長職を退いた後は、水野勝成、島津義弘、杉原盛重、藤井皓玄、備前国の宇喜多氏など戦国時代の武将、人物についての歴史書を多数著した。 ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、347頁。 ^ 誠之館人物誌「立石定夫」福山市長(第8代)、弁護士、歴史研究家、茶道家 ^ 「中国新聞」1970年4月27日。『福山市史 近代現代資料編Ⅰ 政治・行財政』に転載。 ^ 「山陽新聞」1979年7月26日。『福山市史 近代現代資料編Ⅰ 政治・行財政』に転載。 ^ 「朝日新聞」1983年8月23日。『福山市史 近代現代資料編Ⅰ 政治・行財政』に転載。 ^ 備陽史探訪:66号(立石定夫先生追悼号) 『福山市史 近代現代資料編Ⅰ 政治・行財政』 福山市、2013年3月29日。 立石定夫 『あしあと 立石定夫の生涯』 立石事務所刊、1994年8月10日。 表 話 編 歴 阿武信一1916-1927 中野有光1927-1938 小林壽夫1938-1944 三谷一二1944-1946 小林和一1946-1947 藤井正男1947-1955 徳永豊1955-1966.4.30 石井謙三1954.5.2-1959.12.9 山本長市1959.12.23-1966.2.24 矢野泰之1966.3.13-1966.4.30 徳永豊1966-1970 立石定夫1970-1979 中川弘1979-1983 牧本幹男1983-1991 三好章1991-2004.8.9 羽田皓2004.9.5-2016.9.4 枝廣直幹2016.9.5- VIAF WorldCat アメリカ 日本 福山市長 広島県議会議員 自由民主党の人物 衆議院議員総選挙の立候補経験者 日本の弁護士 20世紀日本の実業家 20世紀日本の著作家 日本郷土史学者 同志社大学出身の人物 旧制広島高等学校出身の人物 広島県立福山誠之館高等学校出身の人物 広島県出身の人物 1928年生 1995年没 プロジェクト人物伝項目 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2025/01/28 20:17更新
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tateishi sadao
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