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船井幸雄の情報 (ふないゆきお)
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【6月1日】今日誕生日の芸能人・有名人

船井幸雄の情報(ふないゆきお) 経営コンサルタント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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船井 幸雄さんについて調べます

■名前・氏名
船井 幸雄
(読み:ふない ゆきお)
■職業
経営コンサルタント
■船井幸雄の誕生日・生年月日
1933年1月10日 (年齢81歳没)
酉年(とり年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
大阪出身

船井幸雄と同じ1933年生まれの有名人・芸能人

船井幸雄と同じ1月10日生まれの有名人・芸能人

船井幸雄と同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


船井幸雄と関係のある人

小山政彦: 船井総研創業者の船井幸雄は「10年に一人の天才コンサルタント」と言った。


小山政彦: 『トリプル・トレンドから見た5年後』(船井幸雄と共著、ビジネス社、2002年)


浅見帆帆子: 『ちょっと話してみました』 グラフ社 2003年 (船井幸雄との対談本)


小山政彦: 『長所伸展の法則』(船井幸雄と共著、ビジネス社、2003年)


テラウチマサト: 「「癒しの世界」への旅 - 人、自然、宇宙から聞こえてくる」船井幸雄(著)・テラウチマサト(撮影)廣済堂出版、1998年3月


小山政彦: 『船井幸雄に学ぶ成功の黄金律 - 「独自固有の長所」を伸ばし、人生に勝つ』(大和出版、1995年)


春山茂雄: 船井総合研究所の会長で精神世界の一大派閥を形成した船井幸雄が春山を気に入り、1994-1995年に春山と彼が提唱した「脳内モルヒネ」「プラス発想健康法」について、盛んにPR活動を行った。


テラウチマサト: 「癒しの島々」船井幸雄(著)・テラウチマサト(撮影)PHP研究所、1995年11月


小山政彦: ^ 船井幸雄著『船井幸雄のいま知らせたいこと』(3月25日、2013年)


久司道夫: ^ 久司道夫、船井幸雄 『豊かに生きるための「食べる健康」』 ビジネス社、2002年12月。


七田眞: 船井総合研究所の会長で精神世界の一大派閥を形成した船井幸雄が七田の右脳開発法を気に入り、1996年から盛んにPRを行った。


テラウチマサト: 「癒しの場 - 生命の息づくところ」船井幸雄(著)・テラウチマサト(撮影)バウハウス、1997年8月


小久保裕紀: 読書家としても知られ、1996年に「プロ2年目でたまたまタイトルを取れて有頂天になっていた」と絶不調に陥っていた際に船井幸雄の本を目にし、船井の著作物を読みあさって以降、20代から30代にかけて貪るように自己啓発本を読み、40代以降は歴史小説に傾倒しているという。


小山政彦: ^ 船井幸雄著『船井幸雄のいま知らせたいこと』(7月7日、2006年)


桐山秀樹: 『「船井幸雄」の人間力 "癒しの時代"の人生コンサルタント、その人気の秘密』オーエス出版 1996


七田眞: 船井幸雄『エヴァへの道―地に足をつけ、ゆったりと、21世紀に向かおう』PHP研究所、1996年。


船井幸雄の情報まとめ

もしもしロボ

船井 幸雄(ふない ゆきお)さんの誕生日は1933年1月10日です。大阪出身の経営コンサルタントのようです。

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経歴、名字などについてまとめました。卒業、父親、退社、事件、現在に関する情報もありますね。81歳で亡くなられているようです。

船井幸雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

船井 幸雄(舩井 幸雄、ふない ゆきお、1933年〈昭和8年〉1月10日 - 2014年〈平成26年〉1月19日)は、経営コンサルタント、起業家、企業経営者、自己啓発書作家、精神世界・スピリチュアル系の著作家、オカルティスト。

専門のマーケティング論を活用して精神世界の一大派閥を形成し、「オカルトビジネスのドン」「スピリチュアル界のドン」と呼ばれた。『脳内革命』の春山茂雄、EM菌の比嘉照夫、地球村の高木善之、波動理論の提唱者で『水からの伝言』の江本勝、右脳開発の七田眞らが船井ファミリーと言われ、船井はEM菌、脳内革命、右脳開発法、波動理論、未来の記憶など、オカルト・スピリチュアル系・疑似科学のブームの火付け役となった。

コンサルティング会社の株式会社船井総合研究所(現 船井総研ホールディングス)の創業者・代表取締役会長、船井総研グループの創始者。1969年に独立して船井総合研究所の前身を設立し、1988年には経営コンサルティング業界初と言われる株式上場を果たした(現・株式会社船井総研ホールディングス)。株式会社本物研究所、船井メディア、船井財産コンサルタンツのトップを務めた。ビジネス書や精神世界・スピリチュアル系の本などの多くの著作を執筆し、その成功哲学は中小企業の社長やビジネスマンから熱心に支持され、大企業の経営者や有名人にも支持者がいた。彼の著作は、経済や経営について学ぶのではなく「自分を変える」ことを主目的としたビジネス書の先駆となった。

船井総合研究所の会長として、精神世界・スピリチュアル系の一大イベント「船井オープンワールド」開催を主導し、日本のオカルト・スピリチュアル系ビジネスの世界では特に重要な人物であり、プロデューサー的な才能を発揮し、精神世界ブームとビジネスを結び付けることに大きな役割を果たした。日本のビジネス界のオカルト的・カルト的側面を取材した『カルト資本主義』の著者斎藤貴男は、船井を「京セラの稲盛和夫と並ぶ精神世界的ビジネスの雄」と評している。宗教学者の島薗進は、船井を日本における「成功のスピリチュアリティ」の先駆者としてニューエイジ・精神世界における先駆性と存在感を評価している。

一方、「船井オープンワールド」「船井幸雄オープンワールド」では、効能や付加価値がはっきりしない商品が精神世界ブームに乗って販売され、船井が売り出して火付け役になった数々のブームでは霊感商法まがいの販売が行われることもあり、宗教学者の櫻井義秀は、船井オープンワールドの出店者に医業類似行為やマルチ商法的ビジネス従事者が少なくないことを指摘し、斎藤貴男の『カルト資本主義』扱いが妥当であろうと、島薗の肯定的な評価に疑念を示している。また、物理学者の菊池誠 (大阪大学)は、波動などのニセ科学を信じる船井とその信奉者には、信じたいことを信じる「願望充足」の傾向が強いと述べている。

経歴

1933年1月10日、大阪府の南河内地域の松原市で、農家の子として生まれる。家は神社を管理する一族の家系であったという。大阪府立河南高等学校に入学し、高校のころから若禿に悩まされ、気胸のため希望していた東大受験ができないという挫折を体験した。京都大学農学部農林経済学科で経済を学び、1956年に卒業。朝日新聞の記者を目指していたが叶わず、財団法人「安全協会」に就職。 雑誌の編集に携わり、労務管理を学んだ。付属研究機関の産業真理研究所で働き、5年後に友人と最初の独立をし、宣伝販売を中心に扱うコンサルティング会社を始めた。若い頃はマルクス主義者であり、特に「オカルト」「神がかり」と言われるようなことに興味は持っていなかった。

1962年に、父親が癌で死去し、その直後に20代の妻も死去した。「人間存在」や「生と死」に興味を抱くようになり、エマヌエル・スウェーデンボルグやエドガー・ケイシー等の関係書を読み漁り、親しむようになった。電気技師で、のちに超古代文明の科学の存在を主張した楢崎皐月から影響を受けており、1960年頃に、彼の著作か業績を紹介する著作などに触れたと考えられている。

独立から3年ほどで、経営コンサルティング業最大手の「日本マネジメント協会」に入社。1965年(昭和40年、30代前半)から20年余り、スーパー出店のコンサルティングで全国的に活動をした。船井によると、経営コンサルタントの業務に顧客が頼りにする易者や霊能者が支障となっていたため、1965年にクライアントのトップが親くしている易者や霊能者を紹介してもらうことを、コンサルタントを引きうける条件にした。ここから占い師や霊能者、オカルト関係者と親しくなり、カルマや転生について知るようになったという。

「日本マネジメント協会」で成功し理事になったが、経営方針が対立して退社し、1969年に2度目の独立をし、「フナイ経営研究所」を設立、翌年株式会社「日本マーケティングセンター」、のちに「船井総合研究所(船井総研)」に発展した。1988年には経営コンサルティング業界初と言われる株式上場を果たした(現・株式会社船井総研ホールディングス)。船井財団は、これは「経営コンサルティング業のようないかがわしい業界の上場は絶対に無理だ」と言われていた当時の金融・証券界の常識をくつがえす出来事でもあったと述べている。船井総研ホールディングスによると、当時より属人的で仕組み化・スケール化が難しい業界にあって、「一人のカリスマコンサルタント」だけの力による脆弱な経営で後継者なきまま一代で浮き沈みする会社が多い中、いち早く新卒を多数採用し即戦力化を図ることで、多種多様な業界をリードする経営コンサルタントを多数輩出するに至った。船井は経営戦略に強く、現役時代は有能な経営コンサルタント、経営者と評価されていた。

1972年に刊行したビジネス書『変身商法』が1年で35万部のベストセラーになり、経営も順調で、ベストセラーを次々刊行した。1970年代に刊行したビジネス書を見ると、繊維・ファッション業界に強かったことがうかがわれる。

1973-75年頃から精神世界を勉強するようになり、スウェーデンボルグ、ケイシー、出口王仁三郎、イアン・スティーヴンソン、エリザベス・キューブラー・ロスらの研究を深く知るようになった。

精神世界がブームになり始めた時期であった1979年に、ビジネス書『包みこみの発想―船井幸雄の人間学』の一部として、船井が「人間学」と呼ぶオカルト・スピリチュアル的思想を初めて世に出した。地球上の生命の進化の頂点に立つのは人間であると考え、三位一体脳(英語版)(三重脳)仮説に基づいた、人間の脳には進化の前段階のあらゆる動物の脳が組み込まれているという脳理論を紹介しながら(なお、三位一体脳仮説は科学的に否定されている)、人間の特性は「生きがい」であり、社会に尽くすことが強い生きがいを生むと説き、健康の大切さを説いた。最終章では、ジナ・サーミナラの著書を通して知ったエドガー・ケイシーを大きく取り上げ、生まれ変わり(転生)に関する情報を様々に取り上げて真実性を主張し、永遠の生命(死後生存)、宇宙・造物主は目的のもとに世界を組み立て運用しているというインテリジェント・デザイン説、今の人生は前世からの因縁であり未来のための勉強・試練の場であるというライフレッスン説などのスピリチュアルな思想を語った。人間は生まれ変わるから、世のため人のために生きよう、というのが「わたしの人生観」として示されたが、「生まれ変わり」と「どう生きるべきか」の関連性は、この時点では説明されていない。本書で示された造物主(船井はのちに「造物主」を「創造主」、「サムシング・グレート」と呼んだ)も、船井の思想の重要な概念となった。

この頃までに、200人ほどの占い・スピリチュアル業界の人間と知己を得たという。『包みこみの発想―船井幸雄の人間学』以降、ニューサイエンス(ニューエイジ・サイエンス)やトランスパーソナル心理学といった、「見えない世界」を「科学的」に説明し、提示しようとするタイプの本を熱心に読み込み、解釈して自説に組み込んで、ビジネス書作家、自己啓発書作家として成功していった。新宗教GLAの教祖の高橋信次から影響を受けたと語っており、高橋は神智学やニューソートの影響を受けている。

船井によると、本書で「オカルト」「神がかり」「宗教的であって非科学的だ」等の批判を受け、顧問先に契約を切られたり、優秀な社員が辞めたり、親しい科学者に距離を取られたりしたという。しばらくはそうした思想を表に出すのを自粛していたが、80年代には、オカルト・スピリチュアル的な執筆活動がさらに旺盛になり、コンサルタント業と精神世界への関心が密接に関連し、一体化した思想が形成された。世の中はシンプルですべて波動で説明でき「波動の法則の4つのルール」で理解・納得できるといった、オカルト・スピリチュアル系の思想を唱えた。創造主・サムシング・グレートの意志、「天の理」に沿ったものが「本物」であると考えて、船井が「本物」と考える商品や技術、場所などを推奨した。「本物」かどうかは、O-リングテストによって判別できると主張している。

また、船井は元々他者に善意をもって接することを、経営の極意として教えていたが、これと「意識進化」の信念が結び付き、「意識進化」の信念を自らの処世法と経営理念にも取り入れていった。「百匹目の猿現象」を意識進化の例に上げ、良い「思い」を抱く人を増すことで、人類全体を新たな意識状態に引き上ることができると説いた。物と金銭中心の近代工業化社会は行き詰っていると考え、終末論に基づく救済観、すなわち「千年王国」論を展開した。

船井はニューエイジで人気だった超越瞑想の実践者・支持者であり、1985年には加藤修一と共に超越瞑想の本を監修している。奇跡が起こるのは、人間が宇宙意識のレベルと同調した純粋意識 = 変性意識の状態になった時だとして、その状態に入り、直感力を得るための実践方法として、瞑想、暗示、祈り、イメージ(創造的視覚化(英語版))があると考えて、実践を推奨し、あわせて「π(パイ)ウォーター」「中村菌」等の商品を紹介した。1987年には、直感力研究フォーラムを主催し、一流企業のトップ経営者たちが参加していた。また、船井はオカルトや精神世界系の出版社である「たま出版」が、1986年に設立した「たまメンタルビジネス研究所」の役員を一時期務めていた。

1985年に京都で国際トランスパーソナル学会が開催されたことに触発され、自書でトランスパーソナル心理学を、人間の本体が魂であることの「根拠」として示し、スタニスラフ・グロフやケン・ウィルバーの学説を紹介し、物質体ではなく意識体こそが生命の本体ではないか、意識も進化する、といったことを語った。

バブル崩壊後の不況、オウム真理教による事件の後の90年代半ば以降の精神世界・スピリチュアルブームを牽引し、「オカルトビジネスのドン」「スピリチュアル界のドン」と呼ばれた 。現在精神世界・スピリチュアル系で主流となっているブース出展型イベントを最初に始めたのは船井であり、1994年から船井総合研究所の主催で、スピリチュアル系イベント「船井オープンワールド(フナイ・オープン・ワールド)」を開催した。そこで紹介された商品には、「活性酸素を抑制する健康食品」「波動エネルギーで食べ物本来の味を引き出す食器」「はめるだけで正しい呼吸法ができるようになる指輪」「生命の水を生む浄化石」「酵素ドリンク」「気の流れを正常化させる機械」「ゼロ磁場にある温泉宿」など、今でも健康食費や機器に使われている理論が目立つ。伊藤耕一郎は、この「船井オープンワールド」開催をもって「精神世界市場」の概観ができあがったとしている。

2003年、70才になったのを機に船井総合研究所の代表取締役を退任。これに伴い、2003年からは船井個人の責任の元、船井本社、船井メディア、本物研究所、船井本舗などの船井直轄の諸会社からなる船井幸雄グループを主催者として「船井幸雄オープンワールド」の名称で開催した。「船井オープンワールド」「船井幸雄オープンワールド」等の活動で多くのスピリチュアル系の人材を輩出し、スピリチュアル系の一大派閥を形成した。「船井幸雄オープンワールド」では、船井が勧めたいもの、紹介したい人が揃えられ、高輪プリンスホテルに千人を超す参加者が集まり、新しい経営ノウハウを含めた学習が行われていた。船井の思想は、年に数冊出版される書籍や様々な講演会、船井オープンワールドを通して広められていった。朝日新聞は、船井の読者を「『信者』とも呼ばれる堅い読者」と評している。

1996年には月刊誌「Evah(エヴァ)」(サンマーク出版)が刊行され(四日市大学の寺石悦章は、船井編集の雑誌ではないが、タイトルからも背後に船井がいたことは間違いがないと述べている)、健康食や自然食、環境問題、統合医療、転生、神話の復活、予言、ニューサイエンス、瞑想、ヒーリング、潜在意識、ポジティブシンキング、気、汎神論、精霊、ニューエイジ音楽、幽体離脱、ルドルフ・シュタイナー、右脳とユングの理論を関連付けた脳理論、進化論などのテーマを扱い、様々な人物や商品を紹介し、「船井オープンワールド」を宣伝した。

2009年からは、それまで開催していた本物研究会、直感力研究会、TOP塾を統合し、会員制非公開の勉強会・懇親会「船井塾」を毎月開催した。「舩井メールクラブ」によると、2011年の東日本大震災以降、急激に船井への注目が集まったという。生涯にわたり出版された著書は、単行本の文庫化や新装版までカウントすると、400冊を越える。

2014年1月19日、肺炎のため死去。81歳没。舩井は、様々なスピリチュアルや波動、EM菌などの疑似科学の支援者で、それらで病気も治るとしてきたが、亡くなる数日前に書いた最後のブログには、スピリチュアルを否定するような内容が書かれていた。

舩井の死後、スピリチュアル的な活動は、船井の息子で株式会社船井本社社長の舩井勝仁が引き継いだ。舩井の設立した「にんげんクラブ」は、現在も多くの会員を抱え、根強い支持者がいる。

『脳内革命 脳から出るホルモンが生き方を変える』(サンマーク出版、1995年)の著者春山茂雄、EM菌を開発した比嘉照夫、地球村代表の高木善之、波動理論の提唱者で『水からの伝言』の著者江本勝、右脳開発の七田眞などが「船井ファミリー」と言われており、船井は、エクサピーコ、EM菌、脳内革命、右脳開発法、波動理論、未来の記憶などのオカルト・スピリチュアル系・疑似科学のブームの火付け役となった。船井自身、1996年の『エヴァへの道―地に足をつけ、ゆったりと、21世紀に向かおう』(PHP研究所)で「私には案外、広報、宣伝力というか情報発信力があるようです。それだけに時々、これは本物だと思いますと、世の中に向けまして強力に情報発信をしたくなります。また、その効果には、われながらびっくりしてしまいます」と、意識して人や商品のPRを行っていること、その影響力の大きさの自覚を語っており、1992-1993年に比嘉とEM菌、1994-1995年には春山茂雄と「脳内モルヒネ」「プラス発想健康法」、1995年-1996年には佐藤一男と「イオン・セラミックス」、形態波動エネルギー研究家・チャネラーの足立育朗、環境活動家の高木善之、1996年からは飯田史彦の生まれ変わりに関する論文、七田眞の右脳開発法を強くPRしており、その理由として「ともに『エヴァの時代』への顕著な動きの一つととらえたからです」と語っている。

1991年に船井総合研究所は、船井の著作を多数刊行していた出版社のビジネス社の全株式を取得し、連結子会社とした(2011年に全株式を譲渡)。船井の後押しでベストセラー本となったオカルト・スピリチュアル系・疑似科学の本も少なくなく、西田健は、サンマーク出版の関係者によると、『脳内革命 脳から出るホルモンが生き方を変える』の企画は、船井自身が出版社に持ち込んだと述べており、朝日新聞は、ベストセラーには仕掛けが大切だが、『脳内革命』の場合はそれが船井だったと指摘している。船井は出版前から自著で春山を自分の読者に紹介し、出版直後には全国紙の全面広告で春山と対談し、「自分が唱えてきたプラス思想が医学的にも正しいことを証明した」と、春山を賞賛した。国立福島大学経済学部助教授・経営学者で「生まれ変わり」論者の飯田史彦の『生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える』(PHP研究所、1996年。船井がPRしていた論文を発展させた著作)を推薦文を書くなどして後押しし、「生まれ変わり」ブームに火をつけた。また2007年に、ハワイの伝統から考案された、4つのマントラを唱えて自己を癒す実践ホ・オポノポノ(SITH=Self I-dentity Through Ho'oponopono)の指導者イハレアカラ・ヒューレンと面談し、2008年に船井の雑誌『ザ・フナイ』(ビジネス社)に対談を掲載し、船井の公式サイトでも推奨する等、ホ・オポノポノ(SITH)の日本での普及を後押しした。

月刊誌「Evah(エヴァ)」では、春山茂雄やニューエイジ関連書籍の翻訳家山川紘矢・山川亜希子、『神々の指紋』のグラハム・ハンコック、形態波動エネルギー研究家・チャネラーの足立育朗、エコロジストの高木善之、飯田史彦などが執筆・対談していた。

船井は、「聖書の暗号」を解読すると、「船井幸雄という人は“本物”と“びっくり”を世の中に知らせる」と書かれているらしいと考えており、「本物」「びっくり現象」を教えてくれた人物として特に5名上げて賞賛しているが、その中に、病気や痛みを治す、水や酒の味を変える、野菜大きく育てるなどが可能な「ハンド・パワー(手かざし)」が習得できるという70万円の高額セミナーを企画・開催する「株式会社アースハート」(本社・福岡)代表で、船井の直感力研究会メンバー、「舩井メールクラブ」執筆者の野中邦子がいる。多くの人が高額のセミナー代をだまし取られて社会問題化し、アースハート被害弁護団が結成され、セミナー料の返金を求める集団訴訟が行われている。野中邦子らアースハート関係者は、宗教法人を悪用した脱税で逮捕されている、2021年時点で、アースハートの後続団体とみられる一般社団法人セントマザーが活動しており、2021年にアースハート・セントマザー両社に対して被害者らが損害賠償を求め提訴している。

船井塾では、経済予測の専門家として、副島隆彦、朝倉慶、藤原直哉、社会変化予測専門家として、日月神示の教えを説く中矢伸一、「世界の動きについての本当の情報をもたらす専門家」として、超常現象研究家の飛鳥昭雄、陰謀論者のベンジャミン・フルフォード(古歩道ベンジャミン)、太田龍などを講師に招いていた。

自衛官の池田整治による陰謀論本『マインドコントロール 日本人を騙し続ける支配者の真実』(ビジネス社、2009年)の出版を後押した。本書は船井総合研究所の連結子会社のビジネス社から出版されている。

また、人工地震や爬虫類宇宙人陰謀論、ユダヤ陰謀論を唱える太田龍と対談本『日本人が知らない「人類支配者」の正体』(ビジネス社、2007年)を出版するなど、舩井の超科学を求める姿勢は、陰謀論が主張する「闇の勢力(ディープステート)が陰謀に利用する超技術」と一緒になっていた。

船井が気に入って「ほんもの」だと取り上げたことから、世間での認知に拍車をかけた(船井は著作で、1992-1993年に比嘉やEMについて盛んに書いたり語ったりして、意識的にPRを行ったと書いている)。

名字

息子の舩井勝仁によると、戸籍上は「舩井幸雄」であるが、本人は1998年までそれを知らなかったという。戸籍の名字を知った船井幸雄が船井と舩井の違いを調べたところ、舩井は認められた高貴な人しか使えない名前だとわかったため、使命をきちんと果たすために舩井姓を使うようになったという。

2024/06/01 06:54更新

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