若林正恭の情報 (わかばやしまさやす) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
若林 正恭さんについて調べます
■名前・氏名 |
TOPニュース
平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。
元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕
藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ
若林正恭と関係のある人
富田鈴花: その姿勢から、日向坂46の冠番組『HINABINGO!2』(日本テレビ)のMCを務めた小籔千豊、『日向坂で会いましょう』(テレビ東京)のMCを務めるオードリーの若林正恭が、バラエティーについてのアドバイスを富田に送ることがある。 古舘伊知郎: 「トーキングブルース」は山里亮太、若林正恭、カンニング竹山といったお笑い芸人たちにも影響を与えている。 春日俊彰: 相方は若林正恭。 高本彩花: 冠番組である『日向坂で会いましょう』(テレビ東京)では、MCであるオードリーの若林正恭から、2期生の小坂菜緒と共に贔屓を受ける流れが鉄板となっている。 上田晋也: オードリーのオールナイトニッポンによると、アメフト経験者である若林正恭にルールの解説を請うため、家を訪ね試合を観戦している。 太田光: また、岩井勇気(ハライチ)、空気階段、若林正恭(オードリー)、又吉直樹(ピース)、嶋佐和也(ニューヨーク)、中田敦彦(オリエンタルラジオ)、劇団ひとり、永野、ラランドなどの後輩芸人や永山瑛太、酒井若菜、花澤香菜、真木よう子などの著名人からも慕われている。 水野良樹: 好きなお笑い芸人はオードリーで、『Music Lovers』で共演した際に若林正恭とメールアドレスを交換した。 ビトタケシ: オードリーが「キサラ」に出演していた時期、若林正恭が芸人を辞めようと考えている事を楽屋で他の芸人と話しているのを見たビトは、帰りがけの若林に向かってビートたけしの物真似で「あんちゃん、死んでもやめんじゃねーぞ」と励まし、それをきっかけに若林は芸人を辞める事を踏みとどまった。 佐々木美玲: 現場で堂々と飲酒をしていることから、MCのオードリー・若林正恭からは、自身の愛称「みーぱん」を捩り、「飲みーぱん」と言われた。 松園詩織: オードリー(若林正恭、春日俊彰) カンケ: たりないふたり 〜山里亮太と 若林正恭-presents たりふた SUMMER JAM '12 -We wanna be a human ASAP!〜 飯尾和樹: また、大喜利のイベントである『ダイナマイト関西』では、2014年の決勝トーナメントに進出し、決勝戦で若林正恭(オードリー)を破り優勝を飾った。 佐々木美玲: 日向坂46の冠番組『日向坂で会いましょう』(テレビ東京)のMCを務めるオードリー・若林正恭は、佐々木について「芯が強い」と表現している。 佐藤満春: 日向坂46ファンの間では、号泣することを「サトミツ化」、「サトミツる」などと表現することがあり、2019年4月18日に『ニンゲン観察バラエティ モニタリング』(TBS)で春日俊彰が交際相手にプロポーズした様子が放送されたとき、若林正恭が番組内で号泣したことや視聴者自身が泣いたことを「サトミツ化」などとTwitterで書いていた。 井口眞緒: 『日向坂で会いましょう』の卒業式でオードリーの若林正恭は「特に番組初期にまだみんな固かったメンバーやスタッフに緊張をほぐしてくれる力を持ってるから俺も井口に頼ったし、番組の方向付けになった人」と評価した。 小山めぐみ: お笑い芸人に対してのリスペクトも強く、中でも内村光良、山里亮太、若林正恭、岩井勇気への称賛の発言が多い。 佐藤満春: オードリーの若林正恭、春日俊彰とは親友。 新内眞衣: 同年3月9日放送のテレビ東京『あちこちオードリー』で、卒業後初めてのゲスト出演を果たし、乃木坂46時代の苦労話などをオードリーの若林正恭・春日俊彰、またゲストに来ていたファーストサマーウイカに話した。 花香よしあき: 若林正恭 相内綾香: オードリー(若林正恭、春日俊彰) 佐藤満春: 『たりないふたり』(日本テレビ)は若林正恭、山里亮太、企画・演出の安島隆、佐藤の4人で会議を行っていたが、若林と山里が漫才のようにしゃべっているのをすぐにMicrosoft Wordで打って原稿を作り、終了後に印刷して差し出した。 花香よしあき: 特に哀川翔、市原隼人、蛭子能収、若林正恭、亀田興毅のモノマネが代表的で、「…している時の…」など、細かい設定がよく付いている。 松田好花: また、『ラヴィット!』出演時のリアクションやバラエティ番組での振る舞いなどのアドバイスを若林正恭に求めた際も、答えに感極まるなど、番組内で計3回号泣した。 池津祥子: “山里亮太&若林正恭の半生描くドラマ『だが、情熱はある』 主要キャスト一挙発表”. 宮田愛萌: この際、急遽、柿崎と宮田による「ぶりっ子フリースタイルバトル」が行われ、互いに堂々とした「ぶりっ子芸」を披露し、MCのオードリー・若林正恭から「これは面白いね。 小坂菜緒: 日向坂46の冠番組『日向坂で会いましょう』では、MCであるオードリー・若林正恭から、1期生の高本彩花と共に贔屓を受ける流れが定番となっている。 増川弘明: 行きつけの洋食屋を閉業直前に訪れたところ、お笑いコンビ・オードリーの若林正恭と偶然相席になり、相席したテーブルの代金全てを支払って帰ったというエピソードを持つ。 脳みそ夫: ジョニー大蔵大臣(水中、それは苦しい)、若林正恭(オードリー)らと1対1の大喜利対決。 高本彩花: 「おたけ」という愛称は、けやき坂46の冠番組『ひらがな推し』(テレビ東京)で、MCを務めるオードリーの若林正恭が付けたものである。 三宅弘城: “山里亮太&若林正恭の半生描くドラマ『だが、情熱はある』 主要キャスト一挙発表”. |
若林正恭
若林 正恭(わかばやし まさやす)さんの誕生日は1978年9月20日です。東京出身のタレントのようです。
人物、エピソードなどについてまとめました。卒業、現在、テレビ、映画、結婚、父親に関する情報もありますね。去年の情報もありました。若林正恭の現在の年齢は45歳のようです。
若林 正恭(わかばやし まさやす、1978年〈昭和53年〉9月20日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、エッセイスト。お笑いコンビ・オードリーのツッコミ担当。相方は春日俊彰。 東京都中央区入船出身。ケイダッシュステージ所属。既婚。 9月20日、東京都中央区で生まれる。 3月、中央区立明石小学校を卒業。 3月、日本大学第二中学校・高等学校を卒業。 4月、東洋大学文学部第2部国文学科へ進学。 4月、春日俊彰とコンビ「ナイスミドル」を結成し、ケイダッシュステージよりデビュー。 3月、東洋大学文学部第2部国文学科を卒業。 4月、コンビ名を現在の「オードリー」へ改名。 2月、『R-1ぐらんぷり2008』準決勝進出。ネタの内容は野球のスイングを山手線で説明するというもの。 12月、オードリーとして『M-1グランプリ2008』において敗者復活戦から決勝進出。決勝戦では第1ラウンドを1位で通過するものの、最終決戦では松本人志ら審査員による投票でNON STYLEに敗れ、準優勝。 5月16日、『言語遊戯王2』優勝。 8月9日、『ドリームマッチ09 真夏の若手芸人祭り!!』にて石田明(NON STYLE)とコンビを組み、優勝。 8月24日、『言語遊戯王4』優勝。 9月、『第3回お笑い芸人歌がへたな王座決定戦スペシャル』で、曲:DA PUMP「ごきげんだぜっ! 〜Nothing But Something〜」 / DA PUMP 「if...」を歌い、優勝。 1月3日放送の第1回『言語遊戯王 THE TV』(テレビ東京)にて、準優勝。 2月、『言語遊戯王6』優勝。キャッチフレーズは「日本一アクティブなひきこもり」。 3月、『IPPONグランプリ09 - 10春の陣』(フジテレビ)準優勝。 5月、「ダイナマイト関西2010 first」優勝。 8月、『言語遊戯王7』通算4度目の優勝、2連覇達成。キャッチフレーズは「人見知り鬼」。 5月、「瀬戸の花嫁」の音楽配信で歌手デビュー。 6月、『オールスター歌がへたな王座決定戦スペシャル』(フジテレビ)で、曲:THE BOOM「島唄」を歌い、優勝。 8月、『芸人交換日記〜イエローハーツの物語〜』で舞台初主演。 3月、映画『ひまわりと子犬の7日間』で映画初出演。 5月、初の著書『社会人大学人見知り学部 卒業見込』を発売。 2月、映画『ひまわりと子犬の7日間』での功績により、「第37回日本アカデミー賞」話題賞を受賞。 6月、第15回『IPPONグランプリ』で初優勝。 7月、著書『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を発売。 12月、第18回『IPPONグランプリ』で2度目の準優勝。 5月、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』が斎藤茂太賞を受賞。 11月、『オードリーのオールナイトニッポン』にて、15歳年下の一般女性と結婚したことを発表。 2月6日(5日深夜)、『オードリーのオールナイトニッポン』にて、同年に第1子女児が誕生していたことが公表された。 自身のエッセイ2冊などを原案とし、「たりないふたり」での山里亮太との交流を描くドラマ『だが、情熱はある』(日本テレビ)が2023年4月期の日曜ドラマ枠で放送された。 人物小学校6年生の1年間は越境通学をしていた。小学校時代は少年野球で捕手を務め、オール中央区に選抜された経験を持つ。ただ試合前に自転車の車輪を手で回して、そこに足の指を入れたところ、骨折をして出場できなくなったことがある。 中学時代のあだ名は「じゃり」。また、父親がNFL好きだった影響で、ラグビーやアメリカンフットボールに興味を持つようになった。中学ではラグビー部に所属(関東大会に出場経験あり)。ポジションはスクラムハーフだったが、バックス(後方に位置する選手)にオール東京のプレイヤーが揃っており「蹴るな、走るな」と言われてひたすらパスを回す選手だった。また、深夜放送のバラエティ番組等でとんねるずやビートたけしが暴れているところを見て、「なんだこの大人たちは…俺もこんな大人になりたい」と思い、芸人を志した。 高校時代は「合法的に人とぶち当たれるから」という理由でアメリカンフットボール部に所属。ポジションはランニングバック。東京都でベスト4になった時のレギュラーメンバー。背番号は44だった。70ヤード (64 m)を独走してタッチダウンしたことがある。ディフェンスが全員でブリッツして入って来たため、ピッチが空いた所を突いて独走したという。 大学は夜間大学に入学したので学校内に同年代の人も少なく、頻繁に春日と遊んでいた。高校時代に仲の良かった11人グループから面白い順に声をかけていき、8番目の断らなかった春日を相方に選んだ。 2000年、21歳の時に日本大学第二中学校・高等学校の同級生で中学2年次から旧知の間柄であった春日と「ナイスミドル」名義でコンビ結成。 2005年、コンビ名を現在の「オードリー」に改名。 2007年にラ・ママ新人コント大会のオーディションに参加。そこで主催の渡辺正行から「これはM-1の決勝に行ける漫才だよ」と称賛された。さらに、当時から若手トップクラスの評価をされていたスピードワゴンの小沢一敬からまったくの無名時代である自分達のネタを大絶賛されている。 2009年、お笑いライブ『潜在異色』内で、山里亮太(南海キャンディーズ)との漫才コンビ『たりないふたり』を結成。その後、同名を冠した番組が何度か放送され毎度漫才を披露してきたが、2021年5月31日に開催された無観客ライブ『明日のたりないふたり』にて12年の歴史に終止符を打った。同年12月12日には『明日のたりないふたり 特別版』として、全国の映画館で1日限定上映された。 飯塚悟志(東京03)とはお互いに芸人として尊敬し合っている。また、飯塚は『爆笑問題の検索ちゃん』(テレビ朝日)内でオードリーが披露し賛否両論を読んだネタ「CR春日」を絶賛している。 漫才師としてナイツは理想のコンビであるという。「塙君のボケにはいつもグッとくる」と話している。 岡本太郎に深く傾倒しており、オードリーの今のスタイルである春日の胸を張ったポーズは、大阪万博の太陽の塔がモデルである。 15歳のときからのヒップホップのリスナーであり、Creepy Nutsについては古くからのファンであると同時にメンバーとの深い交友もある。2014年の「ニッポン放送 開局60周年記念 オードリーのオールナイトニッポン5周年記念 史上最大のショーパブ祭り」では、MC.waka の名前で、Miwaとのコラボレーションソング『サヨナラ feat. MC.waka』にて日本語ラップを披露している(miwaのライブツアー『Miwa ARENA tour 2017 “SPLASH☆WORLD”』の横浜アリーナ公演にもサプライズゲストとして出演)。 星野源のファンであり、星野源もまたオードリーや若林のファンである。 好きな作家は村上龍、藤沢周など。 伊集院光を尊敬しており、伊集院がパーソナリティーを務めているラジオを昔からよく聞いている。 好きな芸能人は裕木奈江。芸能界に入ってから「いつか会いたい」と思っている。また、『あちこちオードリー』で本人を目の前に元AKB48の横山由依に好意的であると話し、横山由依の卒業コンサートに行くか迷っていたとも発言し、相方の春日から「ファンじゃん」とツッコまれていた。 学生時代に爆笑問題やとんねるず、くりぃむしちゅーから影響を受ける形で芸人を目指すようになったと話している。また、高校時代には自身が『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』を観ていた影響から爆笑問題、くりぃむしちゅーについては世代的にファンで、番組のアンケート等で高校時代に憧れていた芸人として名前を挙げることがある。特に爆笑問題は春日とアメフトの部活終わりに漫才を観に行ったり、事務所があった阿佐ヶ谷に自転車で漕いでバッタリ会えないか散策したりしたほどファンである。人生で初めて生で漫才を観た際、太田光が噛み倒して本来のネタと違う笑いになっていたため「そういう漫才が観たいんじゃない」とひどくガッカリしたことがあると本人の前で笑い話として語っている。 現在の愛車はボルボ・XC60。過去には三菱・パジェロ、トヨタ・ランドクルーザー、トヨタ・C-HRに乗っていた。 前述のアメリカンフットボール部の経験もあるように、芸能界きってのNFLファンである。現在、オードリーで出演しているオードリーのNFL倶楽部では、「若林の熱視線」というプレー解説コーナーを持っており、また2010年(2009年シーズン)以降日本テレビ系列のスーパーボウル中継においてゲスト解説も務めている。応援チームは長らくヒューストン・テキサンズで、2018年シーズンにプライベートでNRGスタジアムへ観戦に訪れたほどだったが、2020年シーズン途中からディアンドレ・ホプキンスの移籍もあり、アリゾナ・カージナルスへ変更した。 かつては喫煙者であったが、吸う場所が限られたことや、「喫煙室で嫌な先輩と2人になるのが嫌だったから」という理由から、アレン・カーの『禁煙セラピー』を読んで禁煙に成功している。 先輩に打ちっぱなしに誘われたことを機にゴルフに始めた。1回のスイングで色々な要素を気にすることが漫才に似ていると思い、試すことの楽しさに気付いたという。自身の著書『ナナメの夕暮れ』では「今後僕がゴルフを続けるかは分からないが、飲み会よりは全然マシでした」と書き記している。 『オードリーのオールナイトニッポン』がテアトルアカデミーが実施した20代から40代の男女500人を対象にした調査では好きなラジオ番組の1位に選ばれたり、2021年6月に発表された「リスナーが本気で選んだラジオ番組最強番付2021」芸人部門で1位を獲得したりするなど、ラジオパーソナリティとして目覚ましい活動を見せる傍ら、リスナーとしてもラジオを拝聴しており、『ファーストサマーウイカのオールナイトニッポン0(ZERO)』『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』『爆笑問題カーボーイ』『玉城ティナとある世界』『河北麻友子のマユコレ!』などを聴いている。 エピソード2004年に失恋した直後、そのショックで過呼吸に陥る。呼吸も上手くできない状態で携帯電話を使って春日に助けを求めた。「それは多分過呼吸だ」と春日はすぐ判断し、続けて「ビニール袋に口を当てて息をしろ!」と対処法を教えた。即座に若林は近くのコンビニへ駆け込み、レジ近くにあった缶コーヒー1本を手に取ると店員から「袋はいりますか?」と聞かれ若林は「当たり前でしょ! そっちが大事なんだから!」と言ってから店を出て、春日に言われた通り実行すると症状は治まった。春日がこの対処法を知っていた理由は医療を題材にした漫画『スーパードクターK』を読んで覚えていたからであった。 テレビに出られないことへの不満が溜まりすぎて、久我山の商店街で「車に轢かれて、死んでテレビに出てやる!」と叫んで道路に寝っ転がっていたこともあった。しかし待てども車は全く来ず、丁字路の奥の方と安全なポジションにいたので轢かれることはなかった。『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』ではコンビ結成から9年間全くテレビに出られなかった当時の状況を回顧し「1回でもテレビに出られたら芸人を辞めようと思っていた」と述べていた。 父親(2016年に肺癌で他界)は阪神タイガースファンで少年野球のコーチをしており、自身も少年野球をやっていた。小学校6年生の時、阪神が低迷し、巨人ファンが大多数の少年野球チーム内でバカにされることが嫌になったことから、近鉄バファローズを応援しようと決意し、1人で近鉄百貨店に行き、メガホンとキャップを購入。更には東京ドームでの日本ハムファイターズ対近鉄戦のチケットも購入した。父は「お前とんでもないことをしているんだぞ」と諭すも、若林の言葉に折れ親子で観戦に訪れる。しかし、その初観戦の試合で日本ハムの投手がノーヒットノーランを達成し、帰るまで悔しくて泣きじゃくり、家に帰ってから父に「こんな負けばかりの人生は嫌だ」と言うと、父から「勝つことの難しさを学ぼう」と諭され、近鉄のグッズを捨て阪神ファンに戻った。 まだ売れていなかった時代、定職にも就かずに芸人を続けている息子に業を煮やした父が、芸人を辞めて定職に就くか家を出て芸人を続けるかを迫った。父は司法書士に念書の作成まで依頼するほど本気だった(若林は、これが実質「絶縁状」のようなものだったと回顧している)。結局、芸人を続けることを選んで家を出た。そして2008年末、この年準決勝まで進出した『M-1グランプリ』でのエントリーナンバーが「4431」だったことを知った父は「俺のためにその番号を選んだのか」と考えた。阪神タイガースファンである父は、4431という番号はランディ・バースの背番号44と掛布雅之の背番号31を合わせたものと思い込んで感動したという。これがきっかけで若林と父との間に雪解けが生じ、2009年の正月は久々に実家へ帰って父と長い話をしたと伝わっている。 2009年7月16日放送の『関口宏の東京フレンドパークII』にコンビで出演。5つのアトラクションのうち4つをクリアし、金貨4枚を獲得。ダーツで豪華賞品を獲得できるビックチャレンジでは、2本目に放った矢が「パジェロ」に当たり、パジェロを獲得した。しかし、視聴者プレゼントで投げた矢は「たわし」に当ててしまった。 2018年1月、一部スポーツ紙で女優の南沢奈央との交際が報じられた。これに関して若林は後日、レギュラーラジオ番組である『オードリーのオールナイトニッポン』2018年1月7日放送分にて春日から問い詰められた末に「ゴリゴリ付き合っています」と答え、交際を認めた。なお、このニュースについて春日は塾に向かう途中でネットニュースを見るまで知らなかった。 同年11月3日、南沢と9月に破局していたことが報じられ、同日深夜(4日未明)の『オードリーのオールナイトニッポン』において自らこれを認めた。 ストレス解消法は「ジェンガを部屋でやり始めて、いきなり蹴っ飛ばす」「音楽をかけてクイックルワイパーを2本持って全裸で踊りながら掃除する」「帰りの車の中で大声を出す」「家に着くなり靴下を脱いで壁に投げつける」「一日にあった嫌なことを紙に箇条書きで書いてシュレッダー機にかける」。 一番つらかった仕事に『いきなり!黄金伝説。』の「○○のメニューを全て食べきる男」シリーズにコンビで挑戦したサイゼリヤ編を挙げた。スパゲッティメニューのミートソースやペペロンチーノを食べた後に、同じ味の卵のせが別メニューとして出てくるため、トイレに向かう途中の厨房で発見した卵を親指で割ったところ、スタッフに羽交い締めにされた。また、伝説挑戦は全メニューを食べきるまでサイゼリヤに寝泊まりして過ごすが、最終日にバスでサイゼリヤから逃走を図った。しかし、夜中の時間帯で最終便を過ぎていたため結局戻ってきた。 前述の『たりないふたり』の配信ライブ後、救急車で病院搬送されたことを2021年6月5日放送の『オードリーのオールナイトニッポン』で明かした。診断の結果は「過換気症候群」。なお、6月2日放送の『ヒルナンデス!』には春日と共に何事もなく生出演したが、6月13日未明放送(6月1日収録)の『日向坂で会いましょう』は前述の理由により欠席し、日向坂46メンバーの加藤史帆が春日と共に代理のMCを担当した。同様の理由で、6月20日・27日・7月4日の3週分も欠席し、こちらは春日が単独でMCを担当した。 長女からパンチをされて右目を内出血したため、2022年7月26日放送の『午前0時の森』にはメガネを掛けて出演する。 「ナイスミドル」時代から『M-1グランプリ』に2001年の第1回大会に出場を続け、2006年までに出場した大会で全て3回戦敗退に終わっていたものの、2007年に準決勝進出。2008年には、その年に和歌山県で営業に行った際、オードリーのネタを観たサンドウィッチマンが「オードリーはM-1決勝行く」と太鼓判を押し1度準決勝で敗れたものの、敗者復活で勝ち上がり、初の決勝進出を果たす。決勝ファーストラウンドを1位で通過するも、最終決戦でNON STYLEに敗れて準優勝に終わった。 当時の参加資格はコンビ結成10年以内で、初決勝及び準優勝のときは9年目だった。1度準決勝で敗れた時と同じ審査員が決勝進出の1組を選ぶため、同じようなスタイルだと落とされることから「9年目の時に行くしかない」と覚悟を決めていた。 2008年に準優勝の成績を収め、2000年結成のオードリーにとっては実質あと1回だけ出場が可能であったが、敢えてエントリーしなかった。その理由として「東京の芸人で舞台数が少なくて、漫才のテンポや間で勝負が出来ずに、形を決めたうえでやっていた。その形を2008年で見せて、翌年と審査員が変わらないため、一度形を見せてしまい、全く同じモノをやるよりはスカシとか変えなきゃいけないのに、それはスカシであるから進化でない。在りものを外すだけで(自分たちのネタを)退化させたくない」思いがあったと述懐している。 自身を「想像を絶する頑固」と評しており、結果が出ないことへの焦りや自身の漫才スタイルに胸を張れなかったことで評価されることを恐れておりM-1のときですら「何点でもつけてみろって思って出てた」と回想している。 ケイダッシュステージに所属した最初の月に前田健の楽屋に挨拶に行った際、他の先輩からは淡々と済まされるのに対して、前田だけ胸に手を当てて「前田健です。よろしくお願いします」と綺麗に頭を下げていた。若林は前田の姿勢に「後輩にこんな頭下げる人いるんだな」と思い、以降「挨拶は後輩が相手でも敬語でしよう」と思ったほど前田に強く影響を与えられた。その後「みんな死んじゃえって顔してるね」と言われ、そこで何か胸中を見抜かれたか気がして、この人(前田)には嘘は通用しないと思ったという。これ以降、ショーパブでの仕事終わりは必ず食事に連れて行ってもらったり、所持金が足りなくてライブに参加できないときには、原付バイクを貰ったりしたほどの関係性であったが、若林自身テレビ出演やネタに関して褒められたことはなく、「良かったね」とは言われても「面白い」とは言われたことが無かったという。また、若林のクセで話の初めに「でも」を付けることを前田に何度も注意されていたこともあった。 前田が44歳で急逝した後のラジオ収録では、前日の出来事を振り返り、前田が倒れた日の夕方に搬送された病院の集中治療室に立ち会い、前田の兄の計らいで少しの間だけ面会できるように場を設け、そこが前田との最後のやり取りとなった。治療室での前田は「普通にすぐ起きそうな、なんか寝てるだけみたいな気がして、手も握ったんですけど、全然温かくて、顔色も悪くないしっていう感じで……」と述べていた。また、過去に『しくじり先生』の授業で、松村邦洋が心肺停止の状態から回復した出来事を聞いていたこともあって「(マエケンさんも)絶対意識戻るだろうな」と確信していた感じがあったという。 2020年11月17日更新のInstagramで、プライベートでバスケットボールをしていた時に左膝の靭帯を損傷する全治2か月の大怪我を負い、松葉杖を突く姿の写真がアップロードされた。翌日11月18日の『ヒルナンデス!』出演時は松葉杖をしていないが、スタッフの配慮で低いテーブルと椅子が用意された。若林が担任役として出演する『しくじり先生 俺みたいになるな!!』のスタッフには「それこそしくじりです」と言われ、2021年6月7日と14日放送の同番組で自らしくじり先生として教壇に立ち、バスケットボールを始めたきっかけ、大怪我をしてしまった経緯、仕事への影響、澤部佑がこの大怪我に大きく関わっていることなどの詳細を授業形式で説明した。また、怪我をした際に病院からは全治2か月と診断されていたが、『しくじり先生』の収録時には既に怪我から6ヶ月近く経過しており「おじさんだから全然治んない」と述べていた。 第37回日本アカデミー賞・話題賞『ひまわりと子犬の7日間』(2014年) 第3回 斎藤茂太賞 受賞 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(2018年) 2024/05/25 04:57更新
|
wakabayashi masayasu
若林正恭と同じ誕生日9月20日生まれ、同じ東京出身の人
若林正恭と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「若林正恭」を素材として二次利用しています。