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馬場鉄志アナウンサーの情報 (ばばてつし)
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【6月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

馬場鉄志アナウンサーの情報(ばばてつし) アナウンサー/関西テレビ 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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馬場 鉄志さんについて調べます

■名前・氏名
馬場 鉄志
(読み:ばば てつし)
■職業
アナウンサー
■馬場鉄志の誕生日・生年月日
1950年9月27日 (年齢73歳)
寅年(とら年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和25年)1950年生まれの人の年齢早見表

馬場鉄志と同じ1950年生まれの有名人・芸能人

馬場鉄志と同じ9月27日生まれの有名人・芸能人

馬場鉄志と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


馬場鉄志と関係のある人

石巻ゆうすけ: 2003年の秋華賞では、スティルインラブの牝馬三冠達成の瞬間を伝え、先輩でもある馬場鉄志より先に「三冠達成実況アナ」の称号を得た。


杉本清: 競馬実況そのものは、定年退職直後は宝塚記念・天皇賞(春)・菊花賞とその関連のレースに絞り、徐々に担当レースをかつての部下で後輩アナウンサーの馬場鉄志らに譲り(それ以前から杉本の不在時の実況や牝馬戦線を担当していた)、2000年の菊花賞で実況生活に一旦区切りをつけ、大阪国際女子マラソン開催時の京都競馬場での一般特別競走(非重賞)と宝塚記念だけ実況していたが、2004年を最後に宝塚記念の実況からも引退し、以後の実況は別のアナウンサーが務めている。


杉本清: 馬場鉄志が杉本と違う独自の実況スタイルの確立に必死だった姿を知るだけに強く思う。


志摩直人: 同年、関西テレビの第67回菊花賞の中継内において馬場鉄志アナウンサーが「この実況を志摩先生に捧げたいと思います。


小牧太: 同年のスプリングステークスをスマイルジャックで制するなど同年のクラシック世代で活躍していることから、桜花賞実況の馬場鉄志(関西テレビアナウンサー)をして「今年は小牧の年か!」と評するなどとこの年は注目されていた。


石巻ゆうすけ: 馬場鉄志


吉原功兼: 関西テレビのアナウンサーで三冠達成実況を行ったのは松本暢章(1964年)・杉本清(1983年、1984年、1986年、1994年)・石巻ゆうすけ(2003年、2010年)・馬場鉄志(2005年)・岡安譲(2011年)・大橋雄介(2012年)・川島壮雄(2018年、2020年、2023年)(達成順。


岩佐徹: 「個人的には嫌いではない」という古舘の起用については、「フジテレビとF1の風土に合わない」と判断したうえで、当時関西テレビ(フジテレビ系列の準基幹局)に勤務していた馬場鉄志(東京都出身のスポーツアナウンサー)を「番組出向」という扱いで実況陣に迎え入れた。


岡安譲: この賞は関西テレビを含むFNSの加盟局から「最も優秀」と評価されたアナウンサーに贈られるもので、関西テレビからの受賞者は、杉本・山本浩之・馬場鉄志・豊田に次いで5人目である。


川島壮雄: 関西テレビのアナウンサーで三冠達成実況を行ったのは松本暢章(1964年)・杉本清(1983年、1984年、1986年、1994年)・石巻ゆうすけ(2003年、2010年)・馬場鉄志(2005年)・岡安譲(2011年)・大橋雄介(2012年)・吉原功兼(2020年)(達成順。


岡安譲: 馬場鉄志の定年後は、桜花賞、菊花賞、天皇賞(春)とエリザベス女王杯および凱旋門賞を担当している。2011年の第72回菊花賞ではオルフェーヴルの牡馬三冠達成の瞬間を伝え、関西テレビのアナウンサーとしては松本暢章・杉本清・石巻ゆうすけ・馬場鉄志・大橋雄介・川島壮雄・吉原功兼(達成順。


豊田康雄: その一方で、大学生時代から競馬中継の実況アナウンサーを志していたことと、関西テレビ側でも競馬実況アナウンサーをより拡充することになったため、1995年から数年間は毎週日曜日の午後に放送される競馬中継(当時の番組タイトルは『ドリーム競馬』)の実況陣に名を連ねていたものの、当時のメイン実況者は杉本清や馬場鉄志であった上に、サブ実況者も石巻ゆうすけや大橋雄介らがいたことで、実況する機会は少なかった。


石巻ゆうすけ: 2010年に干支一回り先輩の馬場鉄志が当時は60歳だった定年を迎えて以降、関西テレビではGI実況のシステムを見直し、年功序列制から適性等を考慮した役割分担制に移行した。


阿藤快: 関西テレビのバラエティー番組『たかじん胸いっぱい』にゲスト出演した際、同局のアナウンサー馬場鉄志に数々のGIレースの実況を再現してもらい、感激していた。


大橋雄介: 関西テレビのアナウンサーで三冠達成実況を行ったのは松本暢章(1964年)・杉本清(1983年、1984年、1986年、1994年)・石巻ゆうすけ(2003年、2010年)・馬場鉄志(2005年)・岡安譲(2011年)・川島壮雄(2018年、2020年、2023年)・吉原功兼(2020年)(達成順。


岡安譲: 2020年に、菊花賞において三冠達成の実況アナウンサーである馬場鉄志・杉本清と3人の対談(※Number競馬特集号)が行われ、この様子はyoutubeで見ることができる。


石巻ゆうすけ: 競馬実況は山本浩之とともにサブとして始めたが、最初は山本と同じく、杉本清や馬場鉄志に次いでの起用であった。


杉本清: 2020年10月には、Sports Graphic Number1012号とのコラボレーション企画として、菊花賞において三冠達成を実況した経験を持つ馬場鉄志・岡安譲(共に関西テレビの後輩)との3人の対談を行った 。


馬場鉄志の情報まとめ

もしもしロボ

馬場 鉄志(ばば てつし)さんの誕生日は1950年9月27日です。東京出身のアナウンサーのようです。

もしもしロボ

エピソード、現在の出演番組などについてまとめました。テレビ、現在、事件に関する情報もありますね。馬場鉄志の現在の年齢は73歳のようです。

馬場鉄志のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

馬場 鉄志(ばば てつし、1950年9月27日 - )は、関西テレビ放送の元アナウンサー。現在はフリーアナウンサー(関西テレビとの「番組出演契約」)。

東京都西多摩郡日の出町の出身で、東京都内に山林を保有する裕福な家庭に出生。高校生時代から競馬に関心を持っていた影響で、早稲田大学の学生時代に地元局・フジテレビの競馬実況担当アナウンサーを志したが、就職活動の時期に同局がアナウンサーを募集しなかったことで、関西テレビ(フジテレビ系列の準基幹局で当時から競馬中継をレギュラーで編成)のアナウンサー試験を受験。

関西テレビの放送対象地域である関西地方とは学生時代まで無縁であったが、1974年に同局へ入社してからは、退職後の現在に至るまで関西での生活を続けている。

同期入社のアナウンサーには岡本栄(現在は三重県伊賀市の市長)がいたが、馬場より1歳年下である。

当時の関西テレビでは競馬中継のレギュラー実況アナウンサーが杉本清・鈴木敏郎の2人しかおらず(2人が実況できない場合はかつてのレギュラー実況アナウンサーであった松本暢章が実況することがあった)、サブ実況者を増員する必要があったことと、馬場も競馬アナウンサーを志望していたため、主に競馬を担当することとなった。

関西テレビへの入社後は、競馬以外にも大阪国際女子マラソン・野球・サッカー・ゴルフ・FISワールドカップスキーの実況を長年にわたって担当したほか、『カジノザウルス』(同局の制作で1996年7月から1997年3月まで全国ネットで放送された島田紳助司会のバラエティ番組)でも実況を務めた。

フジテレビが日本国内での放送権を保有しているF1グランプリ中継でも、関西テレビ在職中の1988年から、当時地上波で実施していた中継の実況を任されていた。地上波での中継開始当初に実況を担当していた野崎昌一(当時はフジテレビのスポーツアナウンサー)が同年4月から『プロ野球ニュース』(当時は地上波での全国ネット番組)平日版のメインキャスターへ異動したことに伴う起用だったが、1998年まで11年にわたって担当した(詳細後述)。

その一方で、関西テレビが当時は60歳を定年として規定していた(2010年代後半に65歳定年へと引き上げられた)ことから、50代の後半には担当番組を徐々に整理。主に担当していた競馬実況では、2009年11月15日の第34回エリザベス女王杯中継で京都競馬場開催分のGIレースから退くと、2010年4月11日の桜花賞中継で担当を完全に終えた。2010年9月30日付で、関西テレビを定年退職。退職の直前に公開されていたプロフィールでは「(定年後は)放送業界を離れて人間らしさを取り戻したい」とも語っていたが、実際には関西テレビとの間で番組出演者契約を結んだうえで、サッカー中継を中心に実況を続けている。

2013年からは、フジテレビワンツーネクストで放送されるスポーツ中継など、出身地の東京で主に活動。同年と翌2014年には、BSフジでの放送へ移行したF1グランプリ中継で、実況を再び担当していた。その一方で、「競馬実況のレジェンドアナウンサー」として、競馬場内のイベントやトークショーに出演することもある。

関西テレビ入社当初からの先輩アナウンサーであった桑原征平によれば、「馬場は裕福な家庭で育ったせいか、『自分は競馬中継での実況しか担当したくない』と言い放つなど、入社の直後から『新人』とは思えない振る舞いを続けていた」とのことで、終業後にポケットマネーで酒を奢られることも多かったという。その一方で、同局への在職中から高血圧の症状が現れていて、太りやすい体質であることを自他共に認めている。現に、定年退職の数年前から体重の増加が著しく、声質にも変化が生じている。もっとも、体重の急増については、桑原から「高血圧の(治療)薬(の副作用)と酒の飲み過ぎが原因」と指摘されている。

エピソード

F1グランプリ実況

F1(番組名『F1グランプリ』)の実況は1988年から1998年まで担当した(関西テレビ枠。現在は存在しない)。実況開始当初はハンガリーGP、メキシコGP、カナダGPなど、日本からは遠隔地であったり時差が大きかったりする国を多く担当させられていたが、その後はモナコGPなど、日本GP以外の主要なレースも担当するようになった。

当初の実況はオーソドックスなスタイルだったが、後に比喩法や独自表現を使用するようにもなった。

馬場はフジテレビが実況中継を開始する1987年以前よりF1ファンであり、好きなマシンはロータス・78であったと語るなど1970年代や1980年代前半期のF1にも詳しい。

1990年にはアイルトン・セナが日本GP直前に開催されたスペインGPでシリーズチャンピオンを決めそうになったため、日本GPまでチャンピオン争いをもつれ込ませたいフジテレビのスタッフが、スペインGPの会場であるヘレス・サーキットに馬場の顔写真を国際ファックスしてもらい、実況ブースに貼って放送した(このレースの実際の実況担当者は三宅正治)。さすがにセナが所属するマクラーレンのエンジンサプライヤーのホンダ関係者から「悪ふざけが過ぎる」と苦言を呈された。このレースでセナは水漏れでリタイア、結局フェラーリの1-2フィニッシュだった。

1992年はホンダがF1からの撤退を表明。ホンダエンジン最後の出走となるオーストラリアGPの実況を担当。当初はウィリアムズのナイジェル・マンセルとマクラーレンのアイルトン・セナによる一騎打ちの様相だったが、中盤でマシン同士の接触により両者は共にリタイア。その後、セナのチームメイトであったゲルハルト・ベルガーが後方より猛追していたベネトンのミハエル・シューマッハを抑え込み優勝した際には、「ホンダエンジン最後のレース、見事ゲルハルト・ベルガー勝利で飾りました!ありがとうゲルハルト!!」と喜びを爆発させ、ホンダ最終レースを優勝へ導いたベルガーに最大の賛辞を贈った。

馬場とベルガーには奇妙な縁があり、アイルトン・セナとアラン・プロストを有し常勝チームだったマクラーレンが16戦中、唯一優勝を逃した1988年イタリアグランプリや、ベルガーのF1キャリア最後の優勝となった1997年ドイツグランプリなど、通算優勝10回のうち5回は馬場が実況を担当したレースでの優勝だった。

中継初期から携わってきた関係や人柄から中嶋悟の信頼が厚く、中嶋が近畿大学で講演した際には自身の話下手を補うため、聞き手として呼ばれたことがある他、現在でもプライベートで交流を続ける仲だという。

関西テレビ退職後の2010年11月より、CS放送のフジテレビNEXTにて放送されている『F1 LEGENDS THE BEST GP '89-'90』において、当時の国際映像を基に解説者の今宮純と共に当時を振り返りながら改めてレース実況を行っている。

2013年からBSフジ制作のF1中継番組で15年ぶりに実況を行う。

大阪国際女子マラソン実況

毎年1月末の日曜日に開催される大阪国際女子マラソンで、馬場は1992年からの第11回大会から2010年の第29回まで、第一移動車での実況中継の担当となる。特に、シドニーオリンピックの選考会を兼ねた2000年の第19回大会、リディア・シモン(ルーマニア)と弘山晴美が長居陸上競技場へ入るゴール直前の死闘(デッドヒート)を実況した。

プロ野球実況

2007年まで、阪神甲子園球場で行われる阪神対巨人戦の実況を年1回担当していた。

1992年9月11日の阪神対ヤクルトの6時間26分の史上最長試合を実況している。この試合はあまりの長時間となったため、『プロ野球ニュース』の中で急遽部分的ではあるが全国に生中継され、試合終了後には解説を務めた加藤英司と共に甲子園球場の放送席から試合ハイライトも伝えた。

1998年の阪神対巨人戦にて、巨人のバルビーノ・ガルベス投手が降板の際球審に向かってボールを投げつけた試合(ガルベス事件)の実況を担当していた。

日本シリーズでは1995年のグリーンスタジアム神戸でのオリックス対ヤクルト第1戦、1996年のグリーンスタジアム神戸でのオリックス対巨人第3戦・第4戦の実況を担当した。2008年の京セラドーム大阪でマツダオールスターゲーム2008の前半部分の実況を担当した。

競馬実況

入社当時は杉本清、鈴木敏郎の2人が主に競馬実況を担当していたが、その2人に次ぐ第3の競馬アナウンサーとして、松本暢章や鈴木が馬場に競馬実況を指導して活躍を開始した。

1993年のエリザベス女王杯で「ベガはベガでもホクトベガ!!」とゴール直後に実況したことで馬場の注目度が一気に上昇した。一方、このレースでベガが勝っていれば、史上2頭目のJRA牝馬三冠実況者となっていたが、ホクトベガが勝利したことで、この栄誉は逃した。しかし先述の実況フレーズが視聴者に大受けしたことと、杉本がこの時50代後半の年齢になったこともあり、翌年以降はGI競走の実況の機会が多くなった。

かつての上司で先輩の杉本の後を継いで2001年から菊花賞の実況の担当も始めた。

2005年菊花賞にて、ディープインパクトの三冠実況を担当した。このレースでディープインパクトのゴール時に残した実況「世界のホースマンよ見てくれ!!これが日本近代競馬の結晶だ!」は高く評価され、2006年のFNSアナウンス大賞を受賞している。関西テレビのアナウンサーによる同大賞の受賞は2002年の第18回大会の山本浩之以来だった。なお、この実況はディープインパクトの勝利を見込み入念な準備の上で臨んだものであったという。

後年、菊花賞において三冠達成の実況アナウンサーである杉本清・岡安譲と3人の対談(※Number競馬特集号)が行われ、この様子は同局の競馬公式YouTubeで見ることができる。

「さぁ大歓声であります!大歓声に揺れている!先頭はこの辺りケイウーマン粘っているが、外からスターバレリーナ、外からスターバレリーナ!内からデンコウセッカだ!内からデンコウセッカ!大外の方にはベストダンシング!大外ベストダンシング!ベガは苦しい!ベガは苦しい!馬群を割れるか、馬群を割れるか!真ん中ノースフライト!真ん中ノースフライト!内からはホクトベガ!内からホクトベガ!あと100mあります!ホクトベガか!ホクトベガ!ホクトベガ先頭!ホクトベガ、1馬身半のリード!ベガはベガでもホクトベガです!!1番のホクトベガ、加藤和宏!3回目の挑戦で見事にエリザベス女王杯を制しました。3冠ならずベガ。3冠ならずベガ。勝ったのはホクトベガです!東の一等星ホクトベガ、輝いたのは北斗のベガです!」(1993年エリザベス女王杯)

「そしてローズバドはどうしているか。ようやく今ティコティコタック、ティコティコタック6~7番手に上がってくる、その後ろからトゥザヴィクトリー、レディパステル、ローズバドがインコースへ入ってきた!先頭はまだヤマカツスズラン!池添(謙一)が逃げる逃げる逃げる!外からテイエムオーシャン!外からテイエムオーシャン!大外からポイントフラッグ!真ん中からトゥザヴィクトリー!真ん中トゥザヴィクトリー!内からティコティコタックだ!テイエムオーシャン先頭!内からレディパステル、大外からローズバド!トゥザヴィクトリー先頭!内からティコティコタック~!!ティコティコタックか!?トゥザヴィクトリーか!?ローズバド!!際どい!トゥザヴィクトリー、ローズバド、ティコティコタック!ゴール前激しい競馬になりました。実に激しい競馬になりました。」(2001年エリザベス女王杯)

「3歳クラシック最終戦、蕭条と降る秋霖に馬体を濡らしていざ、18頭今スタート、あーっと内で落ちた、ノーリーズン落ちた!ノーリーズン落馬!ノーリーズン落馬!スタート直後、あっという間に武豊、ノーリーズンが消えました!」(2002年菊花賞)

「ダンツシェイクまで、17頭が一団で第4コーナー。さぁどっからでも来い!直線コースを向きました。先頭はシンデレラボーイ。シンデレラボーイ、ヒシミラクル。外から、外から懸命にヤマノブリザード!ヤマノブリザード、アドマイヤドン!大外からダンツシェイクが追い込んできた!ダンツシェイクが追い込んできた!審議のランプが灯っている!先頭はヒシミラクル!ヒシミラクル、メガスターダム!ヒシミラクル先頭!外から来たのはなんと、ファストタテヤマだ~!!今年も大波乱になるぞ!!ヒシミラクル、そして、ファストタテヤマ~!!」(2002年菊花賞)

「第4コーナーを回り切った!しかし先頭はまだイングランディーレ、この馬はスタミナがあるぞ!イングランディーレ粘っている!懸命にゼンノロブロイ、外からネオユニヴァース!ネオユニヴァース、ヴィータローザ!懸命に、リンカーン!リンカーン!しかし、イングランディーレ先頭だ!イングランディーレ、これは逃げ切る逃げ切る!なんと4歳4強をすべて退けて、イングランディーレの1人旅!逃げ切ってゴールイン!2着にはゼンノロブロイです!横山典弘が左手を挙げました。イングランディーレが、まんまと逃げ切りました。」(2004年天皇賞春)

「日本中の競馬ファンが、あるいは世界のホースマンが、池のスワンまでもが注目する第66回、歴史に残る菊花賞のゲートインが始まります。(中略)3000mの先に栄光の瞬間が待っています。新しい歴史の扉が開かれようとしています。テレビの前のあなたも、歴史の目撃者です。ゲートインが終わりました。いざ!今、スタート!ディープインパクト、うまく出ました、今日はうまく出たディープインパクト、きれいなスタートを切りました」(2005年菊花賞)

「シンザンが、(シンボリ)ルドルフが、そして(ナリタ)ブライアンが辿った三冠への道、ディープインパクト、ご覧のように坂の頂上で非常にいい感じ、武豊、(中略)逃げ込みを図るのはアドマイヤジャパン、横山典弘逃げる逃げる!そしてローゼンクロイツ、一番外から、一番外からディープインパクト、ムチが入った武豊!捉えた!捉えた!捉えましたあと100m!アドマイヤジャパン粘る!しかし先頭はディープインパクトだ!世界のホースマンよ見てくれ!!これが日本近代競馬の結晶だ!ディープインパクト~!!大外から足音も軽やかにディープインパクトと武豊!三冠達成!勝ちタイムは3分04秒6、実に21年ぶりシンボリルドルフ以来、無敗の三冠馬誕生であります。ディープインパクト、7戦7勝です!期せずして場内から、大きな拍手が起こりました!まさに日本競馬史に残る1ページ、一瞬であります。」(2005年菊花賞)

「早々とディープインパクトは先頭だ!早くもディープインパクト先頭で、あとゴールまで600mの標識を過ぎている!さあ第4コーナー!2番手はローゼンクロイツ、シルクフェイマス!外から猛然とリンカーン!横山典弘の、左ムチが飛んでいる!大外からマッキーマックスとストラタジェム!マッキーマックスと、ストラタジェム!リンカーン、追い込んだ!リンカーン、追い込んだ!逃げる、逃げる、逃げる、逃げる、懸命に逃げるディープインパクト!あと200m差は詰まらない!ディープインパクト!3馬身、4馬身のリードがある!2番手はリンカーン!3番手ストラタジェム!ディープインパクトです、ディープインパクト~!!ハーツクライよ、ハリケーンランよ待っていろ~!!ディープインパクトです!これで文句なく世界の桧舞台へ、ディープインパクト~!勝ち時計は3分13秒4。天皇賞レコードが記録されました!なんと、あのマヤノトップガンのレコードを1秒更新しています!大変なタイムであります、そして大変な勝ちっぷり!改めてこの馬の強さ、怪物ぶりを十分に堪能致しました。」(2006年天皇賞春)

「先頭はアマノチェリーラン、内へ入ったショウナンタレント、真ん中から、真ん中からアストンマーチャン、そして外から四位(洋文)の左ムチ!ウオッカ来た、ウオッカ来た!ちょっと苦しそうか?まだダイワスカーレット、まだダイワ先頭だ、ダイワスカーレット先頭!ウオッカ捉えきれないか?ウオッカ捉えきれない!3番手にはカタマチボタンが上がって来た、ダイワスカーレット!ゴール手前10mで早々と安藤勝己が右手を挙げました!ウオッカ届かない!ダイワスカーレットです。ウオッカ敗れました。」(2007年桜花賞)

「さあ第4コーナーです。逆光の中から先頭はダイワスカーレット、うっすらと靄のかかる第4コーナー、先頭は黄色い帽子ダイワスカーレット、内へ入ったスイープトウショウ、デアリングハート、外からアサヒライジング、さらにフサイチパンドラ突っ込んで来るが、先頭はダイワスカーレット、フサイチパンドラ追い上げる、フサイチパンドラ!内からスイープトウショウ、内からスイープトウショウ!しかし、先頭はダイワスカーレット、ダイワスカーレット!最強3歳牝馬世代、ダイワスカーレット!!ウオッカのためにも負けられない!!ダイワスカーレットです。フサイチパンドラを、そしてスイープトウショウを一蹴しました。」(2007年エリザベス女王杯)

「さあ、前2頭はゴールまで600mでありますが、20馬身と千切っている、20馬身と千切っている。後方集団懸命に差を詰めて、今ブエナビスタ、ブエナビスタが外から3番手に上がって来た、ブエナビスタ3番手に上がる、直線を向いて、まだクイーンスプマンテとテイエムプリキュア、クイーンスプマンテとテイエムプリキュアが粘っている、あと300mは切っている。ブエナビスタは届くのか?これはとんでもない波乱になるのか?これはとんでもない波乱になるのか?これが競馬だ、これが競馬の恐ろしさ、ブエナビスタ猛追!ブエナビスタ猛追!しかし、しかし!クイーンスプマンテ!田中博康やりました若武者!これが競馬の恐ろしところ!逃げた2頭なめた訳ではありませんがこれが競馬の怖いところ、クイーンスプマンテ・テイエムプリキュアの1着2着、ブエナビスタはどうやら3着か?ヨーロッパで競馬が行われて310余年、日本に伝わって100年以上は経ちますが、大穴というのを得てして先行・人気薄が残る場合でありますが、こんなケースはしかし滅多にありません。これが競馬の怖いところ、面白いところ、恐ろしいところです。」(2009年エリザベス女王杯)

桜花賞(1988年、1992年 - 2010年)

天皇賞・春(1991年、2001年 - 2009年)

宝塚記念(1985年、1986年)

秋華賞(1998年 - 2000年)

菊花賞(2001年 - 2009年)

エリザベス女王杯(1991年 - 2009年)

マイルチャンピオンシップ(1997年 - 2006年)

ジャパンカップダート(2008年、2009年)

阪神3歳牝馬ステークス(1991年、1993年 - 2000年)

凱旋門賞(2007年 - 2009年)

金杯(西)→京都金杯(1982年、1990年、1991年、1997年、2003年)

シンザン記念(1991年 - 1993年、1998年、2000年、2008年、2010年)

平安ステークス(1999年)

日経新春杯(1994年、1995年、1999年 - 2003年、2006年)

京都牝馬特別→京都牝馬ステークス(1995年、1999年、2003年、2009年)

きさらぎ賞(1994年、1996年 - 1998年、2000年 - 2002年、2004年、2006年 - 2010年)

京都記念(1984年、1993年、1995年、1998年 - 2000年)

シルクロードステークス(1996年、1997年、2005年)

中日新聞杯(1993年)

マイラーズカップ(1984年、1995年、1997年 - 1999年)

アーリントンカップ(1996年、1997年)

4歳牝馬特別(西)→フィリーズレビュー(1992年、1993年、1996年、1998年 - 2010年)

阪神大賞典(2000年 - 2009年)

毎日杯(1993年、1995年 - 1997年)

阪急杯(1991年、1992年、1996年、2005年)

サンケイ大阪杯→産経大阪杯(1991年、2000年 - 2009年)

京都4歳特別(1995年、1997年、1999年)

プロキオンステークス(2001年、2005年、2009年)

スワンステークス(1992年、1993年)

鳴尾記念(1982年、1988年、1990年、1991年、2000年、2001年、2003年)

マーメイドステークス(1998年 - 2000年、2006年 - 2008年)

北九州記念(1998年)

小倉3歳ステークス(1982年、1984年)

朝日チャレンジカップ(1992年、1993年、1997年 - 1999年)

神戸新聞杯(1980年、1982年、2000年 - 2005年、2007年 - 2009年)

ローズステークス(1994年、1996年、1997年)

サファイヤステークス(1993年)

セントウルステークス(1996年、1998年 - 2005年、2007年)

京都大賞典(1982年、1992年、1997年、1999年 - 2004年)

デイリー杯3歳ステークス(1979年、1981年、1982年、1997年)

京阪杯(1982年、1983年)

ウインターステークス(1989年)

阪神牝馬特別→阪神牝馬ステークス(1993年、2002年)

現在の出演番組

BSフジ F1世界選手権シリーズ

フジテレビONE/NEXT ドイツサッカー・ブンデスリーガ中継

FOX SPORTS 女子アルペンスキー、BASEBALL CENTER(オリックス主催試合)

2024/06/19 14:52更新

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馬場鉄志と同じ誕生日9月27日生まれ、同じ東京出身の人

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1920年9月27日生まれの有名人 東京出身

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1984年9月27日生まれの有名人 東京出身

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中島 明子(なかじま あきこ)
2001年9月27日生まれの有名人 東京出身

中島 明子(なかじま あきこ、2001年9月27日 - )は日本の女優。劇団東俳所属。東京都出身。 劇団東俳にて芸能活動を開始(2015年) 元・T*shineベイビ→ズ(2014年5月 - 20…

内田 理央(うちだ りお)
1991年9月27日生まれの有名人 東京出身

内田 理央(うちだ りお、1991年9月27日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、グラビアアイドル。『MORE』レギュラーモデル(2015年10月 - )。 東京都出身。レプロエンタテインメ…

小宮山 晃義(こみやま てるよし)
1983年9月27日生まれの有名人 東京出身

小宮山 晃義(こみやま てるよし、1983年9月27日 - )は、NHKのアナウンサー。 幼稚園から高校までを暁星学園で過ごした(歌舞伎俳優の二代目中村七之助は暁星小学校時代の同級生)。慶應義塾大…

下田屋 有依(しもだや ゆい)
1986年9月27日生まれの有名人 東京出身

下田屋 有依(しもだや ゆい、1986年9月27日 - )は日本の女性声優、ラジオパーソナリティ。 千葉県松戸市出身(出生地は東京都)。身長156cm。ニックネームは「だやちゃん」。 かつてオフィ…

池田 勝(いけだ まさる)
1942年9月27日生まれの有名人 東京出身

池田 勝(いけだ まさる、1942年9月27日 - )は、日本の声優、俳優。東京都出身。東京俳優生活協同組合所属。 アニメの代表作に、「ヤッターマン」(ヤッターワン)、「サクラ大戦」(米田司令)、「…

今立 進(いまだち すすむ)
1975年9月27日生まれの有名人 東京出身

今立 進(いまだち すすむ、1975年9月27日 - )は、日本のお笑い芸人でエレキコミックのツッコミ担当。 東京都出身。トゥインクル・コーポレーション所属。 1997年1月1日、創価大学の落語…

細井雄二(ほそい ゆうじ)
1950年9月27日生まれの有名人 東京出身

細井 雄二(ほそい ゆうじ、本名同じ、1950年9月27日 - )は、日本の漫画家。東京都三鷹市出身。別名:秋津わたる(あきつ わたる)。京都造形芸術大学芸術学部マンガ学科長・教授。 学生時代、菅…

池上 麗子(いけがみ れいこ)
1973年9月27日生まれの有名人 東京出身

池上 麗子(いけがみ れいこ、1973年(昭和48年)9月27日 - )は、日本の元女優、元モデル・グラビアアイドル、元歌手。東京都出身。血液型O型、身長154cm、46kg。スリーサイズ(B/W/H…


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馬場 雅夫(ばば まさお)
1933年12月14日生まれの有名人 神奈川出身

馬場 雅夫(ばば まさお、1933年12月14日 - 1993年11月24日)は、日本のアナウンサー、演芸・競輪評論家。 横浜市出身。明治大学文学部英米文学科卒業後、新日本放送(現在の毎日放送)に…

馬場園 梓(ばばぞの あづさ )
1981年3月1日生まれの有名人 大阪出身

アジアンは、かつて吉本興業で活動していた日本のお笑いコンビ。2002年2月結成。NSC大阪校20期出身。2021年6月3日、解散を発表。M-1グランプリ2005ファイナリスト。 隅田 美保(すみだ…

馬場 有加(ばば ゆうか)
1996年11月8日生まれの有名人 静岡出身

馬場 有加(ばば ゆうか、1996年11月8日 - )は、日本の女優、タレントである。 静岡県出身。 芸能事務所は太田プロダクションを経て、現在は無所属(フリーランス)。 出演 映画 いちば…

馬場 ふみか(ばば ふみか)
1995年6月21日生まれの有名人 新潟出身

馬場 ふみか(ばば ふみか、1995年〈平成7年〉6月21日 - )は、日本のファッションモデル、グラビアモデル、タレント、女優。 新潟県新潟市出身。ネイムマネジメント(旧エリートジャパン)所属。 …

馬場 憂太(ばば ゆうた)
1984年1月22日生まれの有名人 東京出身

馬場 憂太(ばば ゆうた、1984年1月22日 - )は、東京都板橋区出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー及びフォワード。 Kリーグ時代の登録名は馬場(ハングル: 바바)。 俳…

馬場 賢治(ばば けんじ)
1985年7月7日生まれの有名人 神奈川出身

馬場 賢治(ばば けんじ、1985年7月7日 - )は、神奈川県平塚市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。 ジュニア、ジュニアユースとベ…

馬場 典子(ばば のりこ)
1974年4月27日生まれの有名人 東京出身

馬場 典子(ばば のりこ、1974年4月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー、大阪芸術大学教授。元日本テレビアナウンサー。 東京都豊島区出身。女子学院中学校・高等学校、早稲田大学商学部商学科…

馬場 康夫(ばば やすお)
1954年8月18日生まれの有名人 東京出身

馬場 康夫(ばば やすお、1954年〈昭和29年〉8月18日 - )は、日本の制作会社経営者であり、著述家、映画監督、漫画原作者、YouTuberである。 ホイチョイ・プロダクションズ(東京都世田谷…

馬場 憲治(ばば けんじ)
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馬場 憲治(ばば けんじ、1951年10月20日 - )は、日本のフリーライター、カメラマン、タレント。 神奈川県鎌倉市出身。東京都立新宿高等学校から早稲田大学に進学。学生時代は学生運動に没頭。新…

馬場 のぼる(ばば のぼる)
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馬場 のぼる(ばば のぼる、1927年10月18日 - 2001年4月7日)は、日本の漫画家・絵本作家。本名:馬場 登(読み同じ)。 手塚治虫・福井英一とともに「児童漫画界の三羽ガラス」と呼ばれた。…

馬場 澄江(ばば すみえ)
1967年12月12日生まれの有名人 東京出身

馬場 澄江(ばば すみえ、1967年12月12日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。81プロデュース所属。 勝田声優学院卒業生。 人物 かわいらしい声が魅力。 アニメ、外画の吹き替えで活…

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馬場 裕之(ばば ひろゆき、1979年(昭和54年)3月22日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、声優、YouTuber、料理人。お笑いトリオ・ロバートのメンバー。吉本興業所属。 身長181c…

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