高安右人のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
高安 右人(たかやす みきと、万延元年7月19日(1860年9月4日) - 昭和13年(1938年)11月20日)は、日本の医学者で高安動脈炎(高安病)の発見者。
1860年(万延元年) 肥前国小城郡西多久村(現・佐賀県多久市)に、武岡家の四男として生まれる。
1887年(明治20年) 帝国大学医学部を卒業。
1888年(明治21年) 第四高等中学校に開設された医学部の教授に就任。(改組を通じて1924年まで在任)
1901年(明治34年) 金沢医学専門学校の設立(四高医学部から分離独立)に伴い、同校長に就任。
1908年(明治41年) 日本眼科学会にて、後に高安病と命名されるに至る病の発見を示した論文を発表。
1923年(大正12年) 金沢医科大学の設立(金沢医学専門学校から昇格)に伴い、初代学長に就任。
1938年(昭和13年) 直腸癌のため死去。
栄典
1910年(明治43年)6月24日 - 勲三等瑞宝章
1918年(大正7年)6月29日 - 勲二等瑞宝章