レイジー(LAZY) |Wiki【もしもし辞書】
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レイジー
レイジー(LAZY)は、日本のロックバンド。 メイン・ヴォーカリストは影山ヒロノブだが、他のメンバーも何らかの曲でリードヴォーカルを担当している。 影山ヒロノブ(ヴォーカル) 高崎晃(ギター) 井上俊次(キーボード) 田中宏幸(ベース) 樋口宗孝(ドラムス) 田中、樋口とも死去しているが、以降作成された楽曲に生前に録音した各々の演奏の音源が使用されることがある。 1973年、小学校からの同級生である景山・高崎・田中がバンドを結成(結成当初、景山はサイド・ギタリストでドラマー兼ヴォーカリストは後に44MAGNUMを結成する伊賀照幸)。それぞれ別の高校に進学後、景山が井上を、高崎が2年先輩(既に文化祭を始め、何度か競演を重ねる仲)の樋口を誘いバンドに加入。ディープ・パープルの楽曲の名前をとって、バンド名を「レイジー」とする。 初期は吉田拓郎や泉谷しげるのカバーを行っており、演奏技術の向上とともにハードロックのカバーを行うようになった。 1977年2月、朝日放送の『ハロー・ヤング』に出演、ディープ・パープルの「BURN」を演奏。これがかまやつひろしに認められ、デビューの誘いを受ける。 同年6月、デビューのため上京。 同年7月、RVC(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)のRCAレーベルよりデビュー。本来はハードロック志向のバンドだったにもかかわらず、制作サイドの意向によりベイ・シティ・ローラーズのようなイメージを要求されることになり(景山によると「上京してすぐに美容室に連れて行かれ、髪を切られた」とのこと)、ニックネームとお揃いのコスチュームを与えられた。かまやつはポール・ロジャースにデビュー曲を書かせるという約束をしていたのだが実現せず、実際のデビュー曲『Hey! I Love You!』は森雪之丞(作詞)、馬飼野康二(作曲)のコンビによるものとなった。以降、音楽プロダクションとしてはトライアングル・プロダクションに所属するが、プロデューサーはその後角松敏生やオメガトライブ等を手掛ける元アウト・キャストの藤田浩一と元ザ・タイガースの森本太郎が務め、ディレクターは元パープル・シャドウズの岡村右が務めるなどグループ・サウンズ系の人物が深く関わっていた。この方針はメンバーを困惑させることになった。しかし、「売れれば好きなハードロックができる」との説得を受け、これに応じることになる。後に景山は「生き残るということを考えれば(アイドル路線は)妥当なものだったと今なら思えるが、当時はショックの方が大きかった」と、高崎は「ロックは弾けてもポップは弾けないと分かったので、将来のことを考えて音楽性を広げるために真面目に練習したが、ストレスは溜まった」と語っている。 1978年、3枚目のシングル『赤頭巾ちゃん御用心』がオリコン32位にランクインし、レイジーの名を一躍有名にする。しかし、自分たちが望まない路線でのヒットはメンバーの苦悩をさらに強くするものであった。 シングルではポップなアイドル路線を歩む彼等だったが、ステージではロックナンバーも演奏する等、自分達の原点であるロックへのこだわりを見せていた。特に高崎のギタープレイは同世代のギタリストからも注目され、1979年には遠藤賢司が会長となって「レイジー男だけのファンクラブ」が結成された。デビュー曲を作詞した森雪之丞も参加している。その後、シングルでもアルバムでもハードロック調の楽曲を発表していき、4thアルバム『Rock Diamond』では全10曲中8曲をメンバー自身が作曲している。 しかし、その一方で依然としてアイドル路線の曲の発表も続いており、彼等は「やりたい音楽」と「求められる音楽」のギャップを感じ続けていた。 この頃新たに事務所の紹介でプロデューサーとなった伊集院静からの提案を受けて、1980年7月から始まったツアー『DOMESTIC TOUR IN SUMMER』で「ヘヴィー・メタル宣言」が行われた。これは彼等が「本当にやりたい音楽」をやるための、宣戦布告とも呼べるものだった。ただしその代償として、事務所から樋口が解雇されかけるなどの問題も発生し、しまいには「レコーディングにスタッフが誰も来なくなった」ほどに事務所から見放された。その後、シングル『感じてナイト』を経て発売されたアルバム『宇宙船地球号』はハードロック調の曲で統一され、それまでのアイドルバンドとしての彼等のイメージを根底から覆した。 本来ハードロック志向だった彼等にとっての原点回帰となったのが『宇宙船地球号』であり、これが本当のスタートになるかと思われたが、より本格的なヘヴィメタルを追求したかった高崎と田中と樋口、ハードロックより過激なヘヴィメタルという新しい音楽性に付いて行けなくなった影山と井上とのメンバー間の音楽性の違いが浮き彫りになっていった。そのため、景山の20歳の誕生日である1981年2月18日に調布グリーンホールで行われたライブで解散宣言が行われ(その模様はライブ・アルバム『燃えつきた青春』に収録されている)、同年5月31日、正式に解散した。 高崎と樋口は、ヘヴィメタルバンド「LOUDNESS」を結成(初期は田中も参加していたが正式なデビューの前に脱退)、1981年11月に『THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜』でデビュー。1985年には『THUNDER IN THE EAST』で世界進出を果たし、ビルボード総合チャートで74位を記録した。1993年に所属事務所の契約トラブルにより樋口が一度脱退し、自身のバンド「SLY」を結成。2000年からLOUDNESSに復帰。 井上はトライアングル・プロダクション所属の3人組コーラスグループ「トロワ」とのユニット「BIG BANG」に参加するも、デビュー準備段階だった角松敏生とのユニット結成をめぐる藤田との確執により事務所を離脱。LOUDNESS正式デビュー前にバンドを脱退した田中と合流し、ポップ路線のバンド「ネバーランド」を結成、1982年5月に『あした色のスニーカー』でデビュー。1990年に解散し一部メンバーをチェンジした「HUMAN NATURE」を経て、影山をボーカルに迎えた「AIRBLANCA」を結成した。AIRBLANCAの解散後、田中は音楽活動から離れ、井上は音楽プロデューサーに転身。レコード会社「スターランド」「シックスティ」「エアーズ」などのディレクターになる。井上が1993年に手掛けた『サイレントメビウス』のイメージアルバムには影山と高崎、また当時音楽活動から離れていた田中も参加している。 もっとも人気のあった景山は「影山ヒロノブ」の芸名で1981年10月に『今日を生きよう』でソロデビュー。しかし当時はロクに作詞作曲が出来ず、外部の作家による提供楽曲を中心としたリリース、ライブを続けていたが次第に人気が低迷。所属事務所側から解雇通告され、歌手活動としての年収が7万円にまで下落。建築現場のアルバイトをしながらライブを中心とした活動を続けていたが、1985年に「KAGE」名義で『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌に抜擢されアニメソング歌手として第2のデビューを飾る。以後多くのアニメや特撮ヒーロー作品の主題歌・挿入歌を歌うことになり、「アニソン界のプリンス」「長老」などの異名を持つ実力派として知られる存在となる。また2000年からは実力派アニメソングシンガーを集め結成されたユニット「JAM Project」のリーダーを務めている。 1997年秋、当時放送中の『ウルトラマンダイナ』の主題歌担当だった井上が、後期エンディングテーマにレイジーを起用することを決断。井上の誘いにメンバーが了承し再結成が決定。翌年3月からの使用に向けて再集結し、1998年3月21日、復活第1弾シングル『ULTRA HIGH』がエアーズから発売される。しかし再集結当初は当時音楽活動から離れていた田中の復帰が遅れ、ベースは代役で高崎が担当したため田中はシングルには未参加となっている。また発売前の3月8日に渋谷タワーレコードで開催されたイベントには寺沢功一が代役で出演した。 その後、フジテレビ『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(4月13日放送分)への出演が決定し、この収録と同時に田中が復帰。完全復活を遂げた。7月には完全復活第1弾アルバム『Happy Time』を発売。8月にはライブツアー『HAPPY TIME TOUR '98〜黒頭巾のなすがまま〜』を開催し、東京公演を収録したライブアルバム、VHSを秋に発売。1999年には、『魔装機神サイバスター』のソングアルバムに「遥かなるマザーランド」「僕らの国でも」の新規レコーディング版を提供している。 1999年11月28日の渋谷公会堂でのライブ『LAZY ROCK COMMUNICATION SHIBUYA. 〜キタ奴の勝ち〜』を最後に、井上が伊藤善之と共に立ち上げたレコード会社「ランティス」に移籍。2枚のシングルを経て、『宇宙船地球号』の続編と呼べるアルバム『宇宙船地球号II』を2002年に発売した。 再結成後はメンバー個々の活動との掛け持ちであるため、2003年以降は活動自体が途絶えがちになっていった。 2006年9月1日、田中が死去。 その後、デビュー30周年となる2007年にも活動は一切行われなかったが、デビューのきっかけの場所となった旧ABCホールが閉鎖する事になり同ホールの最終公演者にレイジーが選ばれ、2008年6月30日に『さよなら!ABCホール〜LAZY一夜限りの復活祭〜』が開催。数年振りにメンバーが集結した。既に故人となっていた田中と肝細胞癌が発覚し療養していた樋口を除く3人がステージに立ち、サポートミュージシャンとしてベースを日野賢二、ドラムをJanne Da Arcのshujiが担当。またレイジーをリスペクトする奥田民生、斉藤和義もゲスト出演した。 同年11月30日に樋口が死去。12月24日に行われた樋口の一般本葬「Last Memorial Birthday」での弔辞では、高崎より「樋口の精神を継承し、LOUDNESSとLAZYを精進していきたい」と、レイジーの活動継続が明言された。 2009年4月22日、奥田民生、斉藤和義、JAM Projectをサポートミュージシャンに迎えたスペシャルユニット「ULTIMATE LAZY for MAZINGER」として、初期シングル『感じてナイト』のリメイク曲『感じてKnight』(アニメ『真マジンガー 衝撃! Z編』主題歌)をリリース。田中及び樋口の生前のライブ音源が素材として使用された。奥田・斎藤とのコラボのきっかけは前述の『さよなら!ABCホール〜LAZY一夜限りの復活祭〜』である。 2009年9月27日、井上が代表取締役社長を務めるランティスが設立10周年の記念で行ったライブ『10th Anniversary Live ランティス祭り』に出演。『Burn』『感じてKnight』をプレイ。2014年に開催された設立15周年記念ライブ『15th Anniversary Live ランティス祭り 2014』では7月26日の大阪公演に出演した。 2009年11月14日、樋口の一周忌イベント『樋口宗孝追悼ライブ2009 Eternal Gift of ROCK 2009 MUROCK presents Munetaka Higuchi Forever Our Hero 〜EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI〜』に参加。もともとはLOUDNESSのライブだが、影山と井上がゲスト出演しレイジーとして出演した。樋口宗孝追悼ライブは2011年を除く2013年まで開催され、レイジーは2010年、2012年にも出演している。 2011年、アニメーション映画『トワノクオン』の主題歌として『Reckless』を発売。レイジーとして歌われたシングルとしてはZone of the Enders以来実に10年ぶりのシングルである。 2012年12月1日、Zepp DiverCityで行われた『Act Against AIDS 2012「アニソンAAA Vol.1」 in Zepp DiverCity』に参加。アコースティックライブであったがレイジーのみアンプを持ち込みエレキギターで演奏された。 2013年7月7日、樋口が肝細胞癌で死去したことをきっかけに立ち上げられた、癌の疾患啓発や患者支援、治療研究の推進のための支援基金『樋口宗孝がん研究基金』が企画したチャリティーライブ「Rock Beats Cancer FES vol.2」に出演。このライブには高崎がLOUDNESS、影山がJAM Projectとしても出演しており、レイジーはアンコールで登場。2016年12月開催のvol.5、2018年12月開催のvol.6にも出演した。 2014年からは田中の命日である9月1日に追悼ライブとなる『hiroboh forever〜田中宏幸を偲んで〜』をレイジーが中心となり開催。2014年は大阪、2015年は東京で開催され、2015年には田中と井上がレイジー解散後に活動していたネバーランドのメンバーが1990年の解散以来初めて全員揃い25年ぶりのステージを披露した。ライブ中「今後もレイジーやネバーランドの同窓会的なイベントとして毎年開催したい」と影山がMCで語り、翌2016年は『LAZY-NEVERLAND”re-union”LIVE』を大阪で開催。ヘヴィー・メタル宣言後の楽曲の他、アイドル時代の楽曲「愛には愛を」「地獄の天使」もレイジーとして久しぶりに演奏された。 2017年12月、デビュー40周年記念シングル『Slow and Steady』を発売。ブックレットには田中、樋口が生前と変わらずメンバーとして記載された。同じく12月、40周年記念ライブ『LAZY 40th Anniversary Special Live Slow and Steady』を大阪、東京で開催。2008年の『LAZY一夜限りの復活祭』以来9年ぶりのレイジー単独によるフルライブとなった。サポートミュージシャンはベースを山本直哉、ドラムを村石雅行が担当。東京公演にはANTHEMの柴田直人がゲスト出演した。 2019年12月、1980年にリリースされたアルバム『宇宙船地球号』がリリース40周年を迎えることを記念したライブ『LAZY"宇宙船地球号"完全再現ライヴ!!』を東京で開催。宇宙船地球号の全9曲を収録順で演奏するというレイジーとして初めてとなる再現ライブとなった。サポートミュージシャンはベースを瀧田イサム、ドラムを青山英樹が担当。本来田中のボーカル曲である「美しい予感」は影山がボーカルを務めたが、「DREAMY EXPRESS TRIP」はアルバムと同じく高崎がボーカルを務めた。スペシャルゲストでGRANRODEOが出演した。 2020年は新型コロナウイルス拡大の影響もあり活動は行われなかったが、翌2021年のデビュー44周年記念日となる7月25日にバンド初の無観客配信ライブとなる『LAZY「宇宙船地球号」完全再現配信ライブ』が行われた。このライブは高崎が中心となり立ち上げた「7 SAMURAI PROJECT」の活動の一環として開催。19年末に行われた再現ライブ同様に宇宙船地球号全9曲のほか、「7 SAMURAI PROJECT」の為に書き下ろされた楽曲『All will be Fine with You』も初披露された。 This is the LAZY(1978年3月5日発売、RCA/RVC) Dream a Dream(1978年12月5日発売、RCA/RVC) Rock Diamond(1979年9月5日発売、RCA/RVC) LAZY V(1980年4月5日発売、RCA/RVC) 宇宙船地球号(1980年12月16日発売、RCA/RVC) Happy Time(1998年7月21日発売、エアーズ) 宇宙船地球号II(2002年11月6日発売、Lantis) レイジーを追いかけろ(1978年6月5日発売、RCA/RVC) 燃えつきた青春(1981年4月5日発売、RCA/RVC) HAPPY TIME TOUR '98〜黒頭巾のなすがまま〜(1998年10月21日発売、エアーズ) すべてRCA在籍時の音源のみを収録 Collection〜情熱の青春(1979年3月21日発売、RCA/RVC) ベスト・ヒット・レイジー(1980年12月1日発売、RCA/RVC) ベスト(1981年発売、RCA/RVC) ベストコレクション 1977-1981(1999年2月21日発売、エアーズ) ヒット・コレクション(1999年11月20日発売、BMGファンハウス) GOLDEN☆BEST(2004年12月22日発売、BMGファンハウス) 魔装機神サイバスター Vocal Edition「EARTH ARK」(1999年発売、エアーズ) HAPPY TIME TOUR '98〜黒頭巾のなすがまま〜(VHS、1998年10月21日発売、エアーズ)
感じてナイト Pray 黒頭巾 DREAMER Hey! I Love You! Good-by My Baby Baby I make a motion LONELY STAR Ultra High EARTH ARK 今夜、LOVERS LANEで… LAZY LIVE 2002 宇宙船地球号II〜regenerate of a lasting worth〜(DVD、2003年6月4日発売、Lantis)
Earth Ark(宇宙船地球号) Rock on Me Respect Why PRAY Make me Wonder Angelique〜永遠の約束〜 Midnight Crusing 今夜LOVERS LANEで… LONELY STAR
感じてナイト EVERYBODY WANTS LOVE Driving High Young & Innocent DREAMER ULTRA HIGH Ending〜遥かなるマザーランド (映像特典)「Legend of LAZY」(ナレーション:速水奨、特別ゲスト:かまやつひろし)/「LAZY 1998-2002」(ミュージッククリップ) LAZY 40th Anniversary Special Live Slow and Steady(DVD、2018年12月29日発売、ハイウェイスター)
フルカウント 愛には愛を Midnight Boxer 地獄の天使 ベイビー・アイ・メイク・ア・モーション 僕らの国でも EARTH ARK DREAMER 遥かなるマザーランド LONELY STAR ULTRA HIGH My Rest Pose Make Me Wonder Young & Innocent 1977 Wandering Soul Happiness〜二人で過ごすX'mas 〜 BURN 感じてナイト (映像特典)Wandering Soul Music Video 天国の悪魔(1999年の渋谷公会堂ライブで初披露) All will be Fine with You(2021年7月1日の配信ライブ「7 SAMURAI PROJECT LAZY「宇宙船地球号」完全再現配信ライブ」にて初披露。レコーディングはLOUDNESSが先に行っていたが、LAZYバージョンが先に披露された) HAPPY TIME TOUR '98〜黒頭巾のなすがまま〜
1998年8月23日、大阪HEART BEAT 1998年8月27日、札幌ZEEP札幌 1998年8月30日、赤坂BLITZ 「LAZY LIVE DUAL」〜Are You Happy?〜
1999年1月25日、名古屋ダイアモンドホール 1999年1月28日、赤坂BLITZ LAZY ROCK COMMUNICATION SHIBUYA. 〜キタ奴の勝ち〜(1999年11月28日、渋谷公会堂) NEST 4th Anniversary(2000年3月5日、渋谷NEST) LAZY ROCK COMMUNICATION(2000年6月4日、日比谷野外音楽堂) ROCK SUMMIT 2000(2000年9月16日、日比谷野外音楽堂) LAZY LIVE 2001 〜Niku-Atsu-Jigoku〜
2001年5月26日、大阪 BIG CAT 2001年6月7日、表参道 FAB LAZY LIVE 2002 "宇宙船地球号II 〜regenerate of lasting worth〜
2002年11月29日、日本青年館 さよなら!ABCホール〜LAZY一夜限りの復活祭〜(2008年6月30日、ABCホール) 10th Anniversary Live ランティス祭り(2009年9月27日、富士急ハイランド・コニファーフォレスト) 樋口宗孝追悼ライブ2009 Eternal Gift of ROCK 2009 MUROCK presents Munetaka Higuchi Forever Our Hero 〜EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI〜(2009年11月14日、中野サンプラザ) EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI 2010 樋口宗孝追悼ライブ vol.2(2010年11月14日、渋谷C.C.Lemonホール) Act Against AIDS 2012「アニソンAAA Vol.1」 in Zepp DiverCity(2012年12月1日、Zepp DiverCity) 樋口宗孝追悼ライブ vol.4 EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI 2012 5th Memorial(2012年12月2日、Zepp Tokyo) Rock Beats Cancer FES Vol.2(2013年7月7日、日比谷野外音楽堂) 15th Anniversary Live 2014 ランティス祭り つなぐぜ!アニソンの"わ"大阪公演1日目(2014年7月26日、万博記念公園もみじ川芝生広場) hiroboh forever2014〜田中宏幸を偲んで〜(2014年9月1日、阿倍野ROCKTOWN) hiroboh forever2015〜田中宏幸を偲んで〜(2015年9月1日、TSUTAYA O-EAST) LAZY-NEVERLAND”re-union”LIVE(2016年9月1日、大阪 BIG CAT) Rock Beats Cancer FES Vol.5(2016年12月29日、EX THEATER ROPPONGI) LAZY 40th Anniversary Special Live Slow and Steady
2017年12月27日、EX THEATER ROPPONGI METAL WEEKEND 第4弾 LOUDNESS & FRIENDS AMPAN RETURNS(2018年9月24日、Zepp DiverCity Tokyo) Rock Beats Cancer FES Vol.6(2018年12月29日、EX THEATER ROPPONGI) 20th Anniversary ランティス祭り2019 A・R・I・G・A・T・O ANISONG DAY3(2019年6月23日、幕張メッセ) LAZY"宇宙船地球号"完全再現ライヴ!!(2019年12月27日、EX THEATER ROPPONGI) 7 SAMURAI PROJECT LAZY「宇宙船地球号」完全再現配信ライブ(2021年7月25日、販売プラットフォーム「uP!!!」「PIA LIVE STREAM」「U-NEXT」ほか) LOUDNESS 40th Anniversary Japan Circuit 2022 SUNBURST~我武者羅 CHAPTER 3(2022年12月28日、EX THEATER ROPPONGI) ROCK BEATS CANCER presents CLASSIC ROCK JAM Tribute to Munetaka Higuchi(2023年12月28日、EX THEATER ROPPONGI) 田中・樋口の没後、ライブやレコーディングに参加したサポートメンバー。 日野賢二、shuji(ライブ「LAZY一夜限りの復活祭」、「樋口宗孝追悼ライブ2009」、「樋口宗孝追悼ライブ vol.2」) 三宅博文、青山英樹(ライブ「ランティス祭り2009」) syo-go、山内康雄(ライブ「樋口宗孝追悼ライブ vol.4」) 山下昌良、鈴木政行(ライブ「Rock Beats Cancer FES Vol.2」、ライブ「LOUDNESS 40th Anniversary Japan Circuit 2022 SUNBURST~我武者羅 CHAPTER 3」) 村上聖、岩田ガンタ康彦(ライブ「ランティス祭り2014」) 三宅博文、和田眞人(ライブ「hiroboh forever2014〜田中宏幸を偲んで〜」) 山本直哉、岩田ガンタ康彦、和田眞人(ライブ「hiroboh forever2015〜田中宏幸を偲んで〜」、「LAZY-NEVERLAND”re-union”LIVE」) 山本直哉、岩田ガンタ康彦(ライブ「Rock Beats Cancer FES Vol.5」) 山本直哉、村石雅行(シングル「Reckless」、「Slow and Steady」・ライブ「LAZY 40th Anniversary Special Live Slow and Steady」、「Rock Beats Cancer FES Vol.6」) 山下昌良、西田竜一(ライブ「METAL WEEKEND 第4弾」) 山本直哉、青山英樹(ライブ「ランティス祭り2019」) 瀧田イサム、青山英樹(ライブ「LAZY"宇宙船地球号"完全再現ライヴ!!」) 山本直哉、加藤剛志(配信ライブ「LAZY「宇宙船地球号」完全再現配信ライブ」) 柴田直人、青山英樹(ライブ「ROCK BEATS CANCER presents CLASSIC ROCK JAM Tribute to Munetaka Higuchi」) エアーズが解散した後、『Happy Time』はトライエムから再発売された。しかし2004年以降に発売されたCDでは、「ULTRA HIGH」の権利をプリズム(日本コロムビア系列の会社)が所有していることになっている。一つの楽曲の権利を二つの会社が共有することは少なく(全くないわけではない)、トライエムからプリズムへの権利の譲渡が行われたと考えるべきであろうが、円谷ミュージックもこの楽曲の権利に関わっているため原盤権の所在は不明確である。 ^ 「君たち解散したら」社長のひと言にあっさり承諾 バンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(9) - NIKKEI STYLE・2020年7月31日 ^ 影山ヒロノブ『ゴールをぶっ壊せ』(2018年 中公新書ラクレ)pp37 ^ BURRN! JAPAN Vol.10(2018年 シンコーミュージック・エンタテイメント)pp26 ^ レイジー解散で新グループ 「ポッキー」から井上へ NIKKEI STYLE 2020年8月7日 2020年9月12日 閲覧 ^ このアルバイト時代に、ネバーランドのメンバー及び井上、田中と再会し、後のAIRBLANCA結成のきっかけとなる。 ^ アニソンシンガー・影山ヒロノブがどん底生活で手に入れたもの【インタビュー】 ダ・ヴィンチニュース 2018年5月3日 2019年3月9日 閲覧 ^ Reckless - 劇場版『トワノクオン』 - LAZY Lantis web site ^ 『ジャパンヘヴィメタル大全 不屈の魂』(2004年、音楽専科社)pp82 ^ 『ROCKOMANGA!』(2013年、リットー・ミュージック)98p(BURRN! 1997年9月号掲載分) ^ 『永久保存版 樋口宗孝』(2010年、リットーミュージック)pp137 ^ shuji [@ShujiDrummer] (2020年1月10日). "樋口さんからオレの代わりはshujiしかいない". X(旧Twitter)より2020年6月3日閲覧。 ^ 『ランティス祭り2014オフィシャルパンフレット』pp22 ^ A面は井上の、B面は田中の各ソロに近い扱いになっており、ジャケットも井上と田中の2人のみの写真となっている。 ^ ULTIMATE LAZY for MAZINGER名義。 ^ デビュー40周年記念シングル。シングルのタイトルは「Slow and Steady」。 JAM Project - 影山がリーダー、井上がプロデューサーを務めるアニメソンググループ LOUDNESS - 高崎と樋口のバンド ネバーランド - 田中と井上のバンド AIRBLANCA - 影山、井上、田中のバンド ランティス - 井上が社長を務め、現在レイジーが在籍しているレコード会社 1977年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手 藤田浩一 Official Fan Site - レイジーの初期の頃のプロデューサーで、オメガトライブ、角松敏生、菊池桃子などのプロデューサーとしても著名なプロデューサー 1.HAPPY TIME TOUR '98〜黒頭巾のなすがまま〜 - 2.LAZY LIVE 2002 宇宙船地球号II〜regenerate of a lasting worth〜 RCA - エアーズ - ランティス ナニコレ。 〜なつかしい にんきの これくしょん〜 10th anniversary Best ランティス組曲
2014 ランティスウェブラジオ Run Run LAN! Run LAN Radio! Kiramuneカンパニー ランティス祭り みちのくアニソンフェス 〜Eastern Gale 井上俊次(創業者) ランティス アーティスト 楽曲 アルバム ウェブラジオ 製作参加アニメ 日本のハードロック・バンド 日本のヘヴィメタル・バンド 日本のボーイ・バンド ランティスのアーティスト BMG JAPANのアーティスト 1973年に結成した音楽グループ 1981年に解散した音楽グループ 1998年に再結成した音楽グループ MusicBrainz識別子が指定されている記事
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