ピンク・レディー(PinkLady) |Wiki【もしもし辞書】
もしもしロボ調査[Wiki(ウィキ)情報]
ピンク・レディー
ピンク・レディー(Pink Lady)は日本の女性デュオ。1970年代後半、斬新な振付と衣装を伴ったユニークなヒット曲の数々で、アイドルとして爆発的なブームを巻き起こした。 メンバーは、根本美鶴代(ミー、現:未唯mie)と増田啓子(ケイ、現:増田惠子)。1976年から1981年当時の所属事務所はT&C。レコード会社はビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント〈二代目〉) ※ 1976年8月25日から1981年3月31日までの芸名でもあった。 中学2年時(1971年)に、ミーの在学する静岡市立末広中学校にケイが転校して来て演劇部に入り2人が知り合う。 1973年に、ヤマハ音楽が主催するオーディションにそれぞれ合格する。授業料免除の特待生にも合格したことから、ヤマハボーカルスクールに通うことになる。講師の勧めで、当時人気のあった「キャンディーズ」にあやかった『クッキー』というフォークソング系のデュオを結成し、プロデビューを目指すことになった。1974年のヤマハ主催のポプコン東海地区大会決勝に進出して、「恋のレッスン」を歌っている。 ヤマハ所属のセミプロ歌手として同社の新商品発売イベントやキャンペーン開催時に参加し、歌を披露することもあった。 プロをめざし、ヤマハの全国オーディションに出場しグランプリを獲得するものの、デビューの話は具体化しなかった。次にオーディション番組『君こそスターだ!』に出場するが不合格。最後の挑戦と意気込み応募したのが『スター誕生!』である。第224回(1976年1月11日放送)合格者となり、決勝大会へ進む。 1976年3月14日、『スター誕生!』第16回決勝大会に出演。白いシャツにサロペット(ミーは赤、ケイは紺青)を着用、化粧もほぼ施さず、垢抜けない雰囲気を演出して登場。当時ほとんど無名に近かったフォークグループ、ピーマンの「部屋を出て下さい」を披露。合計8社のレコード会社や芸能プロダクションから獲得の意向を示すプラカードが上がった。熱心だったのは、アクト・ワン・エンタープライズ(同年4月にT&Cに吸収される)の相馬一比古とビクター音楽産業の飯田久彦。2人は両社に所属することになる。 クッキーと契約を交わしたレコード会社・ビクター音楽産業でディレクターを務めていた飯田久彦は、ミーとケイをフォークデュオで売り出そうとする上層部に異議を唱えた。ディスコミュージックブームの波が押し寄せ、フォークの時代に陰りが見え始めており、洋楽の要素を含んだ楽曲の時代を予見していた。何よりも、ミーとケイの溌溂とした若さと魅力的なルックスは武器になり、リズムやビートの効いた楽曲を歌わせることで新たな魅力が引き出せると確信していた。上層部に粘り強く交渉して方針変更の許可を得てプロデュースに本腰を入れる。 『スター誕生!』出演時の時のような、化粧ひとつしない素朴なイメージを封印。大胆に肌を素出させたボディラインにフィットするデザイン(マイクロミニ丈のミニスカートやホットパンツ、キャミソールドレス、ワンショルダーやチューブトップなど。デザイナーは野口庸子)の衣装に身を包み、セクシーでありながら爽やかな可愛らしさを前面に打ち出した。 活動名も、大人っぽく都会的なイメージに変更。作曲家・都倉俊一が、カクテルのピンク・レディーに因んで『ピンク・レディー』と命名した。『ピンク・レディーズ』(複数形)としなかったのはこのためである。 デビュー曲選考にあたり、「乾杯お嬢さん」「ペッパー警部」の2曲が挙がり、前者が有力視されていた。しかし、楽曲提供した阿久悠と都倉がインパクトのある「ペッパー警部」を推し、デビューシングル(A面)に決定した。 1976年8月25日、レコード・デビュー。『スター誕生!』決勝大会から半年足らずでのスピードデビューである。 デビュー直後はキワモノ的な見方もされ、ミニスカートから伸びた太ももをがに股に開け閉めする振付を行うことから成人向け深夜番組の出演が多かった。しかし、リリースされる楽曲が次々とヒットチャートを駆け上がり、人気音楽番組に出始めるようになると、当時の子供たちがこぞって振付を覚えて真似をし始めた(振付師・土居甫が担当)。 人気が高まるにつれ、衣料品や文房具、食器、自転車や食品まで多くの業種のさまざまな商品に2人の姿がプリントされたキャラクターグッズが販売された。また、ミーとケイをネコに模したマスコットキャラクターも考案され、こちらもグッズ化された。 このように、ピンク・レディーの人気絶頂期は、1976年から1978年までの3年間、実質的にはブレイク後の1977年から1978年の2年間にわたって続いた。絶頂期のピンク・レディー人気を支えていたのは主に子供たちであり、1978年のオリコンの調査によると、ピンク・レディーの支持層は3歳から12歳が42.5%を占めていた。 オリコンでの連続9曲1位・10曲連続ミリオンセラー(出荷ベース)は、当時の新記録。オリコンシングルチャートにおける通算首位獲得数(63週)は、2015年1月26日付に、B'zが「有頂天」で記録更新するまで最高記録であった(ピンク・レディーは9曲で通算63週を達成。B'zは47曲で通算64週を達成。また1977年7月第3週から1978年2月第3週までの28週のうち27週にわたり、ピンク・レディーが1位を獲得していた)。 また、女性グループアーティストによる通算9曲首位も、2006年11月20日付に、モーニング娘。が「歩いてる」で記録更新するまで最高記録であった。3年ほど早くデビュー(1973年9月)していた、アイドルトリオのキャンディーズと比較されることが多かったが、当時のレコード売上枚数はピンク・レディーが圧倒的に上回っていた。 ピンク・レディーの2人の初任給は5万円であったが、1980年頃には月給350万円になったという。所属事務所「T&C」の社長だった貫泰夫は「20歳の娘に350万円の月給を出し、5000万円のマンションを買い与えた」と語っている。しかし、実際には本人たちの給与からマンションの「家賃」が月々天引きされていた。事務所を信頼して預金通帳を預けていたため、解散の頃まで気がつかなかったという。 「カメレオン・アーミー」(1978年12月)もオリコン1位を獲得、これで1976年の「S・O・S」からオリコンシングルチャート連続首位記録が9曲となった。 そんな中、1978年大晦日の『第29回NHK紅白歌合戦』への出場を敢えて辞退、日本テレビ系のチャリティー番組『ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』に出演する。しかし視聴率(ビデオリサーチ・関東地区調べ)は当時の国民的番組であった『紅白』の72.2%に対し、ピンク・レディーが出演した裏番組は8.2%と惨敗する結果となった。それでも前年度の『コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!なんてことするの!?』の6.2%を上回り善戦したともされる。 ニューミュージック全盛期を迎える翌1979年、「ジパング」(1979年3月)はオリコン4位に留まり、連続首位記録がついにストップする。その後「ピンク・タイフーン」(1979年5月)と、「波乗りパイレーツ」(1979年7月)まではオリコンベスト10内を維持した。 この頃には子どものファンも意識したエンターテインメント路線が飽きられつつあった。前代未聞の紅白歌合戦出場辞退によりマスコミから激しいバッシングを受けた上に、事務所のトラブルやメンバーの恋愛報道なども相まって逆風に晒された。1980年4月には前年から芸能活動を開始していた松田聖子が満を持して歌手デビュー。また、男性であるがたのきんトリオブーム到来と続々新しいアイドルが台頭。世代交代が進む中、以前ほどヒットに恵まれなくなる。 ただし、以前から進められていたアメリカでの活動は順調で、全米デビューシングルとなった「Kiss In The Dark」はビルボード総合37位、全米三大ネットワークの一つNBCのゴールデンタイムで、自らの名前を冠する番組を持つなど確実に実績を積んでいた。しかし、アメリカでの契約を更新することは無いまま帰国することとなり、再び日本での活動に力を入れたものの、往時の勢いを取り戻すことは全くできなかった。またマスコミによる報道は現地での実績を報道しない冷たいものであったことから、アメリカ進出について日本では失敗と言われることが多かった。冠番組の放送内容については賛否が分かれているが、米国内ではDVD化もされている。 1980年9月1日、ピンク・レディーは解散を発表。7か月後の1981年3月31日、後楽園球場で解散コンサートを開催する。しかし、そのコンサート当日はみぞれ交じりの冷雨が降り続く悪天候であり、空席が目立ったスタンドに象徴されるように絶頂期の面影はほとんど無く、何かと比較されたキャンディーズの解散コンサート(1978年4月)が超満員だったことと比べると、あまりにも寂し過ぎるものであった。感涙し抱擁する瞬間までテレビサイズに収めるためにディレクターから急かされたとされている。解散コンサートの観客動員数は主催者発表で3万人、消防署関係者の証言では1万5000人程度とされる。 活動期間は4年7ヶ月。なお当時の所属事務所は解散直後に倒産し、社長であった貫泰夫も芸能界を離れた。ピンク・レディーが稼ぎ出したのは500億円とも言われているが、実際に所属事務所に入ったお金は50億円ほどであり、そのお金も「制作費などの諸費用により出費して全て消え、口座が維持できなくなってパンクしてやめた」と言う。 解散後の2人には、「女優やアーティストにならないか?」という誘いが殺到したという。しかしミーは、「これまで通り、ピンク・レディーをプロデュースしてくださった方のお世話になりなさい」と親が移籍に反対したことから断念している。数年ほど活動を続け、解散前と変わらぬ多忙さだったが、不完全燃焼のような気持ちは拭えず、袂を分かつことを決意。 1987年、ミーは同世代のミュージシャン仲間から誘われ29歳で独立。その仲間たちと新会社を設立するが、経営に興味がなく他人任せで、大きな利益はあったものの一方で過剰に出費をしていたため、経営に失敗して億単位の借金を抱える。33歳になり、借金だらけの会社を自分の手で経営を立て直すことを決意。ピンク・レディー全盛期並みの睡眠時間で働き続けて、3年後にようやく借金返済の目途がたったという。 解散後はそれぞれ女優やタレントとしてソロ活動。ピンク・レディーとしては、2005年までは期間限定ながら数度、再結成して活動。二人でテレビ出演する際の衣装は、ケイがピンク、未唯はブルーで登場することが多い。これは、現役の頃から今までもケイがピンクが大好きだということの表れである。 1984年 - 1度目の再結成。 1989年 - 2度目の再結成。 1996年 - 3度目の再結成。 2003年 - 4度目の再結成。 2010年 - 5度目の再結成。 それ以外にも、1993年にはポッカコーポレーション(現:ポッカサッポロフード&ビバレッジ)「つぶコーンスープ」のCMソングをレコーディングするために、一時的に再結成したことがあるほか、2000年の第51回NHK紅白歌合戦にも出場している。 2010年、解散宣言からちょうど30年後の9月1日に「解散やめ!」を宣言、ピンク・レディーとしての活動を再開しソロ活動と並行して継続することを表明。2011年5月から本格的な再始動として全国ツアー「ピンク・レディー Concert Tour 2011 "INNOVATION"」を開催。 2017年12月30日、TBSの『第59回日本レコード大賞』に39年ぶりに特別ゲストとして出演した。これはピンク・レディーの歌詞を担当した作詞家、阿久悠が特別賞を受賞したことを祝したものである。披露した曲は「ペッパー警部」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」の3曲ノンストップメドレーを歌った。翌2018年12月30日の第60回日本レコード大賞にも、「UFO」での1978年レコ大受賞当時の司会者・高橋圭三への追悼で再びステージに立った。2017年よりも1曲多い「UFO」「S・O・S」「渚のシンドバッド」「サウスポー」の4曲ノンストップメドレーを歌った。 1971年 - 中学2年生の時、ケイがミーの在学する中学校に転校し、演劇部に入ったことで2人が知り合う。 1973年 - 当時、浜松市幸にあった音楽教室「ヤマハ四ツ池センター」のヤマハミュージックスクールに通い始める。 1974年 - コンビ結成。元々は「クッキー」(当時人気の有った「キャンディーズ」にあやかった)というフォークユニットだった。 1976年 - 日本テレビの番組『スター誕生!』にて合格し、8月25日、ビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)よりシングル「ペッパー警部」でデビュー。 1977年 - 1978年 - 日清焼そばU.F.O.のテレビCMに起用される。又テレビの露出がこの時期に極端に増え、この2年間がピンク・レディーの「全盛期」とも言われる。 1977年 - 「ウォンテッド (指名手配)」で第19回日本レコード大賞大衆賞受賞。4分30秒のノンストップメドレーを歌った。レコード大賞を沢田研二の「勝手にしやがれ」と同点投票で逃す。 1978年 - 「UFO」で第20回日本レコード大賞受賞、「サウスポー」で第9回日本歌謡大賞受賞。 1979年 - シングル「Kiss In The Dark」で全米デビュー。 1980年 - 9月1日に7ヵ月後の解散を宣言。 1981年 - 解散。 1984年 - 1度目の再結成。 1989年 - 2度目の再結成。第40回NHK紅白歌合戦に出場。更にWinkと共演し、新旧女性アイドルデュオ同士での共演が実現した。 1990年 - 第41回NHK紅白歌合戦に出場 1993年 - ポッカコーポレーション(現:ポッカサッポロフード&ビバレッジ)「つぶコーンスープ」のCMソングをレコーディングする(このレコーディングのためだけに2人が再集結した)。 1996年 - 3度目の再結成( - 1997年)。 2000年 - 第51回NHK紅白歌合戦に出場。関西地区では全出場歌手中最大の視聴率を記録した。 2002年 - パチンコ「CRピンク・レディー」(大一商会)が当時メーカー過去最大の売り上げを記録。翌2003年の再結成へのきっかけとなる。 2003年 - 4度目の再結成。同年から2年間限定で全国ツアーを実施する。 2003年 - 6月2日〜2004年 - 3月27日、Vol.1のツアー・タイトルは『PINK LADY TYPHOON〜AGAIN〜ピンク・レディー メモリアル・コンサート -JAPAN TOUR 2003-』。 2004年 - 4月14日〜11月30日、コンサート・ツアー『ピンク・レディー メモリアル・コンサートVol.2 モンスターパニック』を行う。 2004年 - 7月24日、音楽番組『ミュージックフェア』にてモーニング娘。と共演、世代を超えた国民的アイドル同士の共演が実現した。ただし未唯は『ハロー!モーニング。』初回にて既にゲスト出演で共演している。 2004年-12月24日、金スマスペシャルLIVEにて、約17分のメドレーを歌った。 2005年 - 3月4日〜5月26日コンサート・ツアー『ピンク・レディー メモリアル・コンサートVol.3 LAST TOUR Unforgettable Final Ovation』を行う。 2005年 - 5月27日、最終公演は『〜グランドフィナーレ〜MEMORIAL CONCERT SPECIAL』。 2007年 - ピンク・レディーのパチンコが再び登場、パチンコで使用される曲の再レコーディングを行った。 2010年 - 最初の解散宣言から丁度30年経った同年9月1日に、「解散やめ!」宣言で5度目となる再結成。 2011年 - 3月31日、赤坂BLITZにてチャリティーイベント「初陣式」を決行。公演の模様は全てUstreamにて配信された。5月21日の市原市市民会館を皮切りに全国ツアーをスタートする。 2017年 - 12月30日、TBS系「第59回日本レコード大賞」(新国立劇場)において、阿久悠の特別賞受賞を受けて39年ぶりに出演し、5分30秒のノンストップメドレーを披露。 2018年 - 12月30日、TBS系「第60回日本レコード大賞」に出演し、6分30秒のノンストップメドレーを披露。 2019年 - 6月28日、2019年12月13日公開予定の「映画 妖怪学園Y 猫はHEROになれるか」の主題歌として15年ぶりの新曲「メテオ」が採用されたことを発表。 2020年 - 7月5日、一般社団法人プラチナエイジ振興協会が実施する第6回プラチナエイジのベストプラチナエイジストに未唯mieと増田惠子が選ばれた。 ペッパー警部(1976年8月25日 売上枚数60.5万枚)
S・O・S(1976年11月25日 売上枚数65.4万枚)
カルメン'77(1977年3月10日 売上枚数66.3万枚)
渚のシンドバッド(1977年6月10日 売上枚数100万枚)
ウォンテッド (指名手配)(1977年9月5日 売上枚数120万枚)
UFO(1977年12月5日 売上枚数155万枚)
モンスター(1978年6月25日)
透明人間(1978年9月9日)
カメレオン・アーミー(1978年12月5日)
ジパング(1979年3月9日)
ピンク・タイフーン (In The Navy)(1979年5月1日)
波乗りパイレーツ(1979年7月5日)
Kiss In The Dark(1979年9月5日)
マンデー・モナリザ・クラブ(1979年9月9日)
DO YOUR BEST(1979年12月5日)
愛・GIRI GIRI(1980年3月5日)
世界英雄史(1980年5月21日)
うたかた(1980年9月21日)
リメンバー (フェーム)(1980年12月5日)
Last Pretender(1981年1月21日)
OH!(1981年3月5日)
なおピンク・レディーが1981年解散の後、未唯mie(当時・MIE)は1984年に「NEVER」(TBS系「不良少女とよばれて」主題歌)を、増田惠子(当時・けい子)は1982年に「すずめ」(中島みゆき作詞・作曲)を、それぞれソロ歌手として大ヒットさせている。 不思議LOVE(1984年6月21日)
1990年、ポリドールより「2年目のジンクス/ポロロッカ」がシングル発売される予定だったが、未唯とケイの契約上の問題など諸事情から見送られた。「2年目のジンクス」はNHKのテレビ番組出演時に披露され、同年末の第41回NHK紅白歌合戦においても、「ピンク・レディー・メドレー」の中で歌われた。 この2曲は1993年に、ビクターから発売されたベスト・アルバム『BEST ONE』に収録された。 PINK EYED SOUL(1996年11月21日)
テレビが来た日/モンスターウェーブ(2003年5月2日)
メテオ(2019年12月13日)
PINK LADY DANCE MIX TRAX(1993年9月) - リミックス・シングル リミックス・マキシ・シングル(1996年8月) - 5枚同時発売
カルメン'77 渚のシンドバッド UFO モンスター ペッパー警部(1977年1月25日) 星から来た二人(1978年11月5日) ピンク・レディーの不思議な旅(1979年8月5日) ピンク・レディー・イン・USA(1979年9月5日)
WE ARE SEXY(1979年12月1日)
SUSPENCE 〜Pink Lady Again(1984年6月21日) チャレンジ・コンサート(1977年6月5日) サマー・ファイア'77(1977年9月10日) バイ・バイ・カーニバル(1978年3月5日) アメリカ!アメリカ!アメリカ!(1978年6月25日) '78ジャンピング・サマー・カーニバル(1978年9月5日) LIVE IN 武道館(1979年2月5日) さよならピンク・レディー(1981年6月25日)
ベスト・ヒット・アルバム(1977年12月5日) ベスト・ヒット・アルバム(1978年12月5日) UFO/サウスポー(1979年6月1日) ターニング・ポイント(1980年12月5日) PINK LADY(1981年3月21日)
PINK LADY HISTORY 〜ピンク・レディー・シングル全曲集〜(1990年12月1日) BEST ONE(1993年12月1日)
TWIN BEST(1995年6月28日) Mie & Kei 〜Pink Lady Best Selection〜(1996年12月18日)
ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム(2003年6月4日)
MEGA HITS!!(2006年2月22日)
ピンク・レディー「阿久 悠 作品集」(2008年3月26日) GOLDEN☆BEST ピンク・レディー コンプリート・シングル・コレクション(2009年9月16日)
INNOVATION(2010年12月1日)
BLOOD NEW(1987年12月1日) REMIXES(1990年12月5日) RARE TRAX(2006年1月21日) ピンク・レディーの活動大写真(1978年12月25日) ピンク・レディー・プラチナ・ボックス(2006年5月31日)
PINK LADY ORIGINAL ALBUM COLLECTION BOX(2006年7月26日)
Singles Premium(2011年8月25日)
ピンク・レディ FOREVER 武道館ライブ(1984年) ピンク・レディーのすべて〜スター誕生からさよならピンク・レディーまで〜(1990年10月5日) NOW in Los Angels(1991年3月21日) PINK EYED SOUL(1997年1月1日) 再会 Pink Lady(1997年9月19日) Pink Lady & Jeff 1 [VHS](2001年6月26日) Pink Lady & Jeff 2 [VHS](2001年6月26日) Pink Lady & Jeff(2001年10月9日)米国のみで発売 メモリアル・コンサートVol.3 PINK LADY LAST TOUR Unforgettable Final Ovation(2005年8月25日) ピンク・レディーの活動大写真(2006年7月28日) ピンク・レディー IN 夜のヒットスタジオ〜フジテレビ秘蔵映像集〜(2011年5月27日) CONCERT TOUR 2011 "INNOVATION"(2011年12月28日) ピンク・レディー フリツケ完全マスターDVD vol.1(2004年7月8日) ピンク・レディー フリツケ完全マスターDVD vol.2(2004年8月31日) Pink Lady Chronicle TBS Special Edition(2023年4月19日、6枚組)[1] シャボン玉ホリデー(第2期)(日本テレビ) ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空(TBS) みどころガンガン大放送(TBS) 二十五年目の顔(1977年7月14日、NHK) 気になる季節(テレビ朝日) 24時間テレビ 「愛は地球を救う」(日本テレビ) ハロー! ピンクレディー(東京12チャンネル) ディス・イズ・ピンク・レディー(東京12チャンネル) アメリカ大陸横断クイズ!!(フジテレビ) ピンク・レディー物語 栄光の天使たち NTVザ・ヒット! ピンク百発百中(日本テレビ) たまりまセブン大放送!(TBS) 走れ! ピンク・レディー(テレビ朝日) UFOセブン大冒険(TBS) ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!(1978年12月31日、日本テレビ) ザ・チャンス!(TBS) ピンクレディーショウ(1979年1月1日、テレビ朝日) シャボン玉スペシャル ピンクレディータイフーン(1979年5月19日。関西テレビ) Pink Lady and Jeff(アメリカNBC) さよならピンクレディー(1981年3月31日。日本テレビ) Forever'84 Pink Lady〜お元気でした?〜(1984年9月9日、TBS) 出演順は「出演順/出場者数」で表す。 江崎グリコ
アーモンドダン チョコリロ グリコしぐれ 雪印乳業
宮坂醸造
日清食品
めんくらべ 牛乳石鹸共進社
シャワラン トリートメントセブン 大日本除虫菊
松下電器産業
ナショナル電子制御エアコン クールクール 日本コカ・コーラ 日本ハム
学習研究社 アサヒ玩具 カンロ ポッカ
美女放浪記 (1977年3月19日、松竹)※映画初出演 ピンク・レディーの活動大写真(1978年12月16日、東宝) ピンク・レディーと春休み(『東映まんがまつり』内で公開された24分作品の映画。1979年3月17日、東映) ピーマン80(1979年9月8日、東宝) ピンク・レディーのスーパー・ポップ・ステーション (1978年10月 - 1979年3月、ニッポン放送) ひかりのくに ピンクレディー絵本(1)うたっておどろう サウスポー/ウォンテッド/カルメン'77 ひかりのくに ピンクレディー絵本(2)UFO/ペッパー警部/渚のシンドバッド ひかりのくに ピンクレディー絵本(3)モンスター ひかりのくに ピンクレディー絵本(4)透明人間 ひかりのくに ピンクレディー絵本(5)カメレオン・アーミー ひかりのくに ピンクレディー絵本(6)ミラクル伝説 ジパング ^ ワンステージで3曲程度歌い、ギャラは3000円ほどであったという。 ^ 歌い出し前に「コンビを組んで1年半。聴かせるタレントより魅せるタレントが目標です」とナレーションされている。 ^ ピーマンのメンバーのうち、叶正子は後にコーラス・グループ「サーカス」のメンバーとして再デビュー。 ^ それ以前にも、『8時だョ!全員集合』で志村けんが「勝手にシンドバッド」というギャグを披露している。 ^ 地方公演に行った際、驚異的な数の観衆が集まっているのを見て、初めて自分たちが爆発的な人気を得ていると実感したという。当時の多忙ぶりを象徴するエピソードとして『欽ドン!』にゲスト出演した際、最後に出演者一同が布団に入り「お休みなさい」と言って番組終了を伝えるシーンで、演技ではなく本当に眠ってしまったことがある。 ^ このようなファン層を意識して近年のツアーでは会場は全てオールスタンディング、キャパシティーに対して一人一人それぞれ肩がぶつからない程度のスペースを保てるように販売数が調整されており、客が振り付けを完コピして全員が一体となって踊りくるうというライブが繰り広げられている。 ^ 公園のベンチにいるカップルに「早く帰りなさい」と諭す巡査が主人公の歌。「ペッパー警部」と同じビクターより発売。 ^ モールス符号による通信は、1999年に廃止されている。 ^ 「サウスポー <未発表バージョン>」として収録。CMソングの「シャワランきらめきの夏」で一部分が使用されている。(当時の)未発表曲をCMソングに流用していたことがうかがえる。 ^ 正式な発売日以前にフライング発売された分がオリコンに集計されたため。この当時はフライング販売は一部店舗で行われていたに過ぎない稀だったために、集計日にあわせる発売日が1日早かった。 ^ 解散コンサートでのアンコール前のラストナンバーは舟木一夫が1980年に発表した自作曲『グッド・バイ・ソング』のカバーだった(『舟木一夫の青春賛歌』2012年 産経新聞出版 ISBN 978-4-8191-1157-7 P185・186、アルバム『さよならピンク・レディー』で『OH!』の後に歌われているのが確認できる)。実際に最後に唄ったのはレイフ・ギャレットの「ダンスに夢中(I was made for dancin')」である。これは、当時発売のライヴ・アルバム『さよならピンク・レディー』にも、同時放送の時間内の中でも放映されず、収録されているのは現行ではVHSの『ピンク・レディーのすべて〜スター誕生からさよならピンク・レディーまで〜』だけである。 ^ 「S・O・S」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「2年目のジンクス」のメドレー。 ^ 「ペッパー警部」「UFO」「サウスポー」のメドレー。 ^ Bentz, Zac (2012年7月2日). “J-Pop: A Video Guide”. Red Bull Music Academy. 2021年6月21日閲覧。 ^ McCombs, Joseph. Pink Lady | Biography & History - オールミュージック. 2021年6月21日閲覧。 ^ 『国文学解釋と鑑賞』 46巻、1-4号、至文堂、1981年、151頁。 ^ "運命を変えたボーカル講師の「ソロよりデュオ」ケイ「2人一緒のほうが心強いと思うよと」". ZAKZAK. 株式会社産経デジタル. 10 April 2023. 2023年4月10日閲覧。 ^ 増田惠子『あこがれ』幻冬舎、2004年9月1日。ISBN 978-4344006768。 ^ "踊り&ヒット曲封印〝作戦〟成功で「スター誕生!」決戦へ!!ピンク・レディー念願のデビュー". ZAKZAK. 株式会社産経デジタル. 11 April 2023. 2023年4月11日閲覧。 ^ 『週刊ポスト』2021年10月29日号「スター誕生!」あの熱狂をもう一度・後編より萩本欽一と都倉俊一の対談p148-149 ^ 【1977年8月】渚のシンドバッド/日本中を席巻したピンク・レディー 4作目でミリオン スポニチ 2011年8月16日記事 ^ 「ニュースすくらんぶる “透明人気”じゃないのよ… ピンク・レディーはモンスター」『読売新聞』1978年11月1日付夕刊、2-3頁。 ^ “首位獲得週数でB'zが歴代単独1位”. 産経ニュース. (2015年1月23日). オリジナルの2015年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/T3oHP 2015年3月3日閲覧。 ^ https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/310090/3 ^ 増田惠子『あこがれ』幻冬舎、2004年。ISBN 4-344-00676-3。 ^ 『読売新聞』1979年1月4日付夕刊、6頁、1979年1月6日付夕刊、7頁。 ^ 速水健朗、円堂都司昭、栗原裕一郎、大山くまお、成松哲『バンド臨終図巻』河出書房新社、2010年、141頁。 ^ 『アサヒグラフ』1981年4月17日号、20頁。 ^ 「週刊大衆」1983年5月23日号) ^ “独立するも億単位の借金…ピンク・レディー解散後に「それでも追いかけた夢」”. shuchi.php.co.jp. 2023年3月9日閲覧。 ^ 「談話室 ピンクレディー期待」『日経産業新聞』1993年9月8日付、7頁。 ^ 「マーケティング勝敗の分岐点 ポッカつぶコーンスープ」『日経産業新聞』1993年9月9日付、15頁。 ^ “「解散やめ!」ピンク・レディーが再結成 年内ニュー・アルバム&来年復活コンサート”. ORICON NEWS. 2023年3月9日閲覧。 ^ “ニュース&エンタメ”. 株式会社共同通信社 | 株式会社共同通信社の情報ポータルサイト. 2023年3月9日閲覧。 ^ ピンク・レディーが39年ぶりに「レコ大」出演へ2017年12月18日 ハフィントンポスト ^ ピンク・レディー、15年ぶりの楽曲が映画『妖怪ウォッチ』新作のテーマ曲に - ORICON NEWS 2019年6月28日(2019年6月29日閲覧) ^ “第6回プラチナエイジ受賞者様のご紹介”. 一般社団法人プラチナエイジ振興協会. 2023年12月10日閲覧。 ^ “元ピンク・レディー増田恵子が生島ラジオ出演「デビュー前に芸名は『白い風船』に決まっていた」”. 日刊スポーツ (2023年3月17日). 2023年3月17日閲覧。 ^ “SANSPO.COM”. web.archive.org (2005年3月5日). 2023年3月9日閲覧。 ^ “ピンク・レディー 「モンスター神話」の真実(1)デビュー時はゲテモノ扱いされ…”. アサ芸プラス. 2023年3月9日閲覧。 ^ “ピンク・レディー 「モンスター神話」の真実(2)人気上昇の中にも様々な思惑が…”. アサ芸プラス. 2023年3月9日閲覧。 ^ 『ぶらりぶらり』2006年8月 - 貫泰夫のブログ、『ぶらりぶらり』2009年4月28日、『ぶらりぶらり』:「背中から見たピンク・レディー」発売 ^ “日本レコード大賞 炎の四番勝負!<第2回>「1978年~沢田研二VSピンクレディー~」(2)”. アサ芸プラス. 2023年3月9日閲覧。 ^ 島野功緒『「ザ・芸能プロ ウラと表」』日之出出版、1981年、22-35頁。 ^ 星野陽平『芸能人はなぜ干されるのか?』鹿砦社、2014年、87,90-92頁。ISBN 978-4846310011。 ^ 大下英治『日本最大の総会屋「論談」を支配した男』青志社、2014年、82-84,140-143頁。ISBN 978-4-905042-88-4。 ^ 哀悼 小川 薫 - 『ぶらりぶらり』 2009年4月28日付、『ぶらりぶらり』2008年12月 - 『ぶらりぶらり』 2008年12月付 ^ 『週刊サンケイ』 1977年7月17日号、151 - 152頁、朝日新聞夕刊、1981年1月24日、7頁、サンデー毎日、1978年1月22日号、111頁 ^ 『ぶらりぶらり』:相馬 一比古、『ぶらりぶらり』2014年7月12日 ^ 増田恵子著『あこがれ』(2004年、幻冬舎)ISBN 978-4344006768 ピンク・レディーX ピンク・レディー (カクテル) - ユニットの名の由来になっているカクテル 1976年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手 年代別プロマイド(ブロマイド)売上ベスト10 - 1977年 - 1979年。特に、1978年は女性1位。 ピンク・レディー|@Victor Entertainment - ビクターエンタテインメントによる公式サイト ピンク・レディー コンサートツアー2011 INNOVATION オフィシャルサイト - ウェイバックマシン mie doux 未唯mie Official Web Site 増田惠子 オフィシャルサイト ピンク・レディー - NHK人物録 シャボン玉ホリデー(第2期) - 飛べ!孫悟空 - ヤンヤン歌うスタジオ - 気になる季節 - レッツゴーヤング - みどころガンガン大放送 - たまりまセブン大放送! - UFOセブン大冒険 - 24時間テレビ(1 - 2) - アメリカ大陸横断クイズ!! - ハロー! ピンクレディー - ディス・イズ・ピンクレディー - ピンク・レディー物語 栄光の天使たち - NTVザ・ヒット! ピンク百発百中 - 走れ! ピンク・レディー - 汗と涙の大晦日150分!! - ザ・チャンス! - Pink Lady and Jeff - オールスター感謝祭 - あの真相全て聞きます ザ・プレミアムトーク CRピンクレディー ピンク・レディー フリツケ完全マスターDVD vol.1 - ピンク・レディー フリツケ完全マスターDVD vol.2 - ピンク・レディー in 夜のヒットスタジオ - Pink Lady Chronicle TBS Special Edition 池田文雄 - 萩本欽一 - 阿久悠 - 都倉俊一 - 土居甫 - 飯田久彦 - 相馬一比古 ビクターエンタテインメント - バップ - テイチクエンタテインメント - スター誕生! - 牛乳石鹸共進社 - ピンク・レディーX - ピンク・ベイビーズ ピンク・レディー 日本のガール・グループ 日本の女性アイドルグループ ビクターエンタテインメントのアーティスト バーニングプロダクション系列 オリコン年間シングルチャート1位獲得アーティスト オリコン年間アルバムチャート1位獲得アーティスト NHK紅白歌合戦出演者 日本レコード大賞受賞者 2人組の音楽グループ 日本テレビの番組発グループ 1974年に結成した音楽グループ 1981年に解散した音楽グループ ISBNマジックリンクを使用しているページ 独自研究の除去が必要な記事/2012年3月 VIAF識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
|
※文章がおかしな場合がありますがご了承ください。
もしもしロボ「ピンク・レディーに関する情報が見つかるかもしれないよ!」
最新情報を確認する
Pink Lady
注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター