おおえひでの情報(おおえひで) 児童文学作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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おおえひでの情報まとめ
おおえ ひで(おおえ ひで)さんの誕生日は1912年12月10日です。長崎出身の児童文学作家のようです。
卒業、結婚に関する情報もありますね。1996年に亡くなられているようです。
おおえひでのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)おおえ ひで(本名:大江 ヒデ(読み同じ)、1912年12月10日 - 1996年12月14日)は、日本の児童文学作家。 夫は小説家の大江賢次。 1912年(大正元年)12月10日、長崎県野母崎町(現・長崎市)生まれ。高浜高等小学校卒業。 19歳で上京、独学で保母となり保育園で働くなか、小説家として名の売れ始めた大江賢次と結婚。 戦時中、夫・賢次の実家である鳥取県に疎開中に長崎への原子爆弾投下によって姉や甥・姪を亡くす。夫・賢次の影響もあって、亡くなった親族や数多くの原爆犠牲者のために原爆の悲劇を記録として残し、また多くの人々に伝えるため、40歳から児童文学の創作をはじめる。 1961年(昭和36年)、長崎への原爆投下による孤児たちを題材にした「南の風の物語」で第5回未明文学賞奨励賞を受賞。 1971年(昭和46年)には、同じく長崎への原爆投下を題材にした「八月がくるたびに」で第20回小学館文学賞を受賞した。 その後も原爆児童文学の執筆を続けるなか、病院へ行く途中で倒れ、1996年(平成8年)12月14日に84歳で死去した。 1961年『南の風の物語』 第5回未明文学賞奨励賞 1971年『八月がくるたびに』 第20回小学館文学賞 『南の風の物語』(丸木俊子絵、理論社) 1961 『ベレ帽おじいさん』(理論社) 1963 『くり毛の絵馬』(理論社) 1966 『八月がくるたびに』(篠原勝之絵、理論社) 1971、のちフォア文庫・解説:久保喬 『おしゃべりらんど』(理論社) 1972 『りよおばあさん』(実業之日本社) 1972 『海べのおはなし』(高橋書店) 1975 『海べの小さな村で』(偕成社) 1978 『心でさけんでください -ナガサキの歳月-』(小学館) 1983 『浜ひるがおの花が咲く』(汐文社) 1985 ^ 長崎の証言の会(代表・鎌田定夫)『証言 - ヒロシマ・ナガサキの声 1990(第4集)』長崎の証言の会、汐文社、1990年8月、150頁 おおえ ひで「姉たち母子への幻想」。この中に長崎市城山町1の14 市営住宅(爆心地からおよそ500mのところ)に住んでいた姉たち一家について書かれている。 ^ 長崎新聞 2006年12月19日版 『児童文学辞典』(日本児童文学学会編、東京書籍) 1988年4月 『日本児童文学大事典』(大阪国際児童文学館編、大日本図書) 1993年10月 日本の小説家一覧 児童文学作家一覧 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 ISNI VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research 日本の女性児童文学作家 長崎県出身の人物 1912年生 1996年没 すべてのスタブ記事 文人関連のスタブ ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/11/20 15:52更新
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