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シジマールの情報まとめ
シジマール(Sidmar Antonio Martins)さんの誕生日は1962年6月13日です。
引退、事件、テレビ、結婚、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。シジマールの現在の年齢は62歳のようです。
シジマールのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)シジマール・アントニオ・マルチンス(Sidmar Antônio Martins、1962年6月13日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手・サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。 1993年に日本に渡り、Jリーグを代表するGKとして活躍した。現役引退後はサッカー指導者として活動している。 サンパウロ州サン・ジョゼー・ド・リオ・プレトで生まれ、幼少時から好んでゴールキーパーとしてプレーする。14歳のときにサンパウロFCのテストに合格し、17歳のときにグアラニFCとプロ契約。U-20ブラジル代表に選出され1981年の南米ユース選手権に準優勝、1983年のトゥーロン国際大会に優勝した。キンゼ・デ・ピラシカーバへ移籍後、1988年はECバイーアへと貸し出され、同年のブラジル全国選手権に優勝した。その後はポルトゥゲーザ、再びキンゼ・デ・ピラシカーバと移籍した。 ポルトゥゲーザ時代に監督だったエメルソン・レオンから直接連絡を受け、ゴールキーパーコーチとして来日したが、現役に復帰。レギュラーとして活躍した。1993年7月に日本の清水エスパルスと契約。2ndステージ第2節でデビューすると、第3節から6試合連続で無失点に抑えた。清水は1stステージに18試合25失点したが、シジマールが加入した2ndステージでは18試合9失点となり、ステージ優勝争いを演じた。サッカーマガジンの2ndステージにおいての全選手の採点では、6.65でビスマルクと並んで最高得点を記録した。同シーズンに達成した731分間連続無失点は、長らくJ1の無失点記録だった(2021年にミッチェル・ランゲラックが823分で更新。またJリーグ記録としては、2006年に横浜FCのGK菅野孝憲がJ2で770分を記録)。 清水は1994年の1stステージでは優勝争いをするも、2ndステージに監督がレオンからリベリーノに代わり、FWジャウミーニャが加入すると、シジマールは外国人枠の関係上構想から外れ、控えに回っていた真田雅則が再びレギュラーとなった。1994年10月17日に退団記者会見を行い、その5日後の試合後に退団セレモニーが行われた。退団発表から間もなく清水サポーターにより彼の復帰を求める署名運動が起こり、1995年シーズン前にはGKコーチ兼任で復帰した。1995年4月26日の大宮サッカー場における浦和レッドダイヤモンズ対清水エスパルスにおいて、シジマールの行動を過度な挑発であると解釈した浦和サポーターたちが激怒し物を投げ込むなどでスタジアムが混乱した為、事態収拾の為に衆目で土下座する事件が起きた。 日本ではリーグ戦61試合、カップ戦7試合、天皇杯4試合に出場した。 現役引退後は2003年から2006年3月まで静岡県菊川市の国際開洋第一高等学校サッカー部コーチを務めた。その後はプーマサッカークリニックの講師を経て、静岡県西部1部リーグに所属するVOLARE FC(現・浜松シティF.C)の監督に就任するとともに大阪学院大学サッカー部の特別コーチも務めた。2009年からは柏レイソルのGKコーチに就任し高橋真一郎新監督の下で菅野孝憲、南雄太らを指導した。2011年、チームスタッフとして同クラブ、リーグ優勝の場に立ち会う。 2013年、ヴィッセル神戸のゴールキーパーコーチに就任。2014年12月12日、ヴィッセル神戸のゴールキーパーコーチから退任することが発表された。 2015年2月から、浜松開誠館高等学校のGKコーチを務め、翌年の2016年は、タイ・プレミアリーグのタイ・ポートFCのGKコーチを務めた。 2017年からはJ3の藤枝MYFCのGKコーチに就任直後、開幕前にGKの佐藤隼が負傷離脱し、所属GKが2人になったため、負傷や退場などによるGK不在という最悪のケースを防ぐためにGKコーチだったシジマールがサポート役として現役復帰することになり、3月31日にJリーグに選手登録され、実に22年ぶりに選手として復帰することになった。4月16日のJ3・グルージャ盛岡戦で控えGKとしてベンチ入りを果たした後、4月28日に選手登録を抹消。 2018年、藤枝MYFCのヘッドコーチに就任した。その後、再びGKコーチとなり2022年に退団。 2023年、ヴィッセル神戸のGKコーチに約8年ぶりに就任した。 身長は183cmだが、両腕を広げた際の長さは193cmである。 名前の由来は、兄のシジネイと、出生当時のブラジル代表GKジウマールから名付けられた。 テレビ番組『やべっちFC』に番組専属ゴールキーパーとして度々出演し、宮本恒靖とのフットサル対決や中村俊輔とのフリーキック対決などで活躍を見せている。 2006年に結婚した妻のホザンジェラ・岩瀬・マルチンスは1990年に来日した日系ブラジル人で、浜松を中心に大学、市民講座などでポルトガル語の教師を務めている。シジマール自身も流暢な日本語を話す。 2013年、クラブ100週年を記念してファンとジャーナリストの投票により選定されたキンゼ・デ・ピラシカーバの歴代ベストイレブンに選ばれた。 2013年、Jリーグ20週年を記念してJリーグが実施したJクロニクルベストにて、サポーター投票により川口能活、楢﨑正剛に次ぎ歴代ベストイレブンGK部門の3位となった。 2019年に雑誌Numberのアンケートで、これまでJリーグでプレーした最強の外国人GK部門で第1位に選ばれた。 やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜(テレビ朝日、2007年7月1日) ガレッジ×ビレッジvsキンコンヒルズ まとめてゴールデンやっちゃえよSP(テレビ東京、2008年3月28日) ピラメキーノ(テレビ東京、2011年4月4日 - 4月8日) VS嵐(フジテレビ、2017年2月2日) ピエール瀧のしょんないTV(静岡朝日テレビ、2017年8月25日) バックキングカム宮殿(静岡第一テレビ、2018年2月24日) 1976年 - 1978年 サンパウロFC 1979年 - 1983年 グアラニFC 1984年 - 1988年 ECキンゼ・デ・ノヴェンブロ 1988年 ECバイーア 1989年 - 1990年 アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス 1991年 - 1992年 グレミオFBPA 1992年 - 1993年 ECキンゼ・デ・ノヴェンブロ 1993年7月 - 1994年 清水エスパルス 1995年 ECキンゼ・デ・ノヴェンブロ 1995年2月 - 同年9月 清水エスパルス 2017年3月 - 同年4月 藤枝MYFC Jリーグ初出場 - 1993年7月31日 J NICOSシリーズ 第2節 サンフレッチェ広島F.C戦(清水市日本平運動公園球技場) 1997年 - 現在 プーマ・サッカー・アカデミー GKコーチ 1998年 - 1999年 ECキンゼ・デ・ノヴェンブロ GKコーチ 1999年 - 2000年 ECキンゼ・デ・ノヴェンブロ 監督 2000年 - 2002年 ニッチカ・サッカースクール 代表 2003年4月 - 2006年3月 国際開洋第一高等学校 監督 2006年9月 - 2007年12月 VOLARE FC 監督 2007年10月 - 2009年2月 大阪学院大学:GKコーチ 2008年1月 - 2011年 ヴォラーレFC浜松 テクニカルアドバイザー 2009年6月 - 2011年 ヴォラーレ代表取締役 2009年 - 2012年 柏レイソル GKコーチ 2013年 - 2014年 ヴィッセル神戸 GKコーチ 2015年2月 - 2016年 浜松開誠館高等学校 GKコーチ 2016年1月 - 2016年11月 タイ・ポートFC GKコーチ 2017年 - 2022年 藤枝MYFC
2018年 ヘッドコーチ 2019年 - 2022年 GKコーチ 2023年 - ヴィッセル神戸 GKコーチ ^ “清水エスパルス、歴代最強外国籍選手5人。シジマールの“クモ男”伝説、そして日本代表になった男も”. www.footballchannel. https://www.footballchannel.jp/2020/04/27/post372028/ 26 April 2020閲覧。 ^ 加部究 「海を越えてきたフットボーラー シジマール」 『サッカー批評』 Issue 43、双葉社、2009年、100-104頁。 ^ “SELEÇÃO BRASILEIRA SUB-20”. RSSSF Brasil. 2017年3月6日閲覧。 ^ “Sidmar - Que fim levou?”. Terceiro Tempo. 2017年3月6日閲覧。 ^ “浦和サポに土下座した清水の守護神。今も愛され続けるクモ”. sportiva. (2021年1月25日). https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2021/01/25/post_24/#:~:text=1962%E5%B9%B4%EF%BC%96%E6%9C%8813%E6%97%A5%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AF17%E6%AD%B3%E3%81%A7%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%81%97%E3%80%8119%E6%AD%B3%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F1981%E5%B9%B4%E3%81%AB%EF%BC%B5%E2%88%9220%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%81%AB%E9%81%B8%E5%87%BA%E3%80%822,20%E4%BB%A3%E3%81%AF%E5%9B%BD%E5%86%85%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%92%E9%80%81%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8C%E3%80%8131%E6%AD%B3%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F1993%E5%B9%B4%E3%81%AB%E6%9D%A5%E6%97%A5%E3%82%92%E6%9E%9C%E3%81%9F%E3%81%97%E3%80%812nd%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B8%85%E6%B0%B4%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%93%A1%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82 2021年1月26日閲覧。 ^ http://www.s-pulse.co.jp/club/history/1993/ ^ サッカーマガジン 1994年1月5日-12日号 p .22-30 ^ “名古屋、“無失点記録”は823分でストップ 9試合ぶりの得点者は鳥栖のU-24代表FW林”. FOOTBALL Zone WEB. (2021年4月18日). https://www.football-zone.net/archives/318197 2021年7月21日閲覧。 ^ “菅野 シジマール超えだ!無失点記録も狙う”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2009年2月16日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2009/02/16/kiji/K20090216Z00002290.html 2017年3月6日閲覧。 ^ 田中孝一 『清水エスパルス 新たなる挑戦』 TOKYO FM出版、1998年、179-182頁。 ^ “No.100 相手への憎悪を応援と思うな”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1995年5月2日). 2012年6月7日閲覧。 ^ “浦和サポに土下座した清水の守護神。今も愛され続けるクモ ページ3”. sportiva. (2021年1月25日). https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2021/01/25/post_24/?page=3 2021年1月26日閲覧。 ^ 日刊スポーツ (2015年6月3日). “(サッカー現場発) シジマール氏「いくよ」流ちょう日本語で高校生指導”. 2015年6月4日閲覧。 ^ 『シジマール・アントニオ・マルチンス氏 GKコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)藤枝MYFC、2017年1月8日。http://myfc.co.jp/news/20170108/17817/。2017年3月6日閲覧。 ^ 日刊スポーツ (2017年3月28日). “藤枝シジマールGKコーチ、明日にも選手復帰へ”. 2017年3月31日閲覧。 ^ 『シジマール氏 選手再登録のお知らせ』(プレスリリース)藤枝MYFC、2017年4月1日。http://myfc.co.jp/news/20170401/18492/。2017年4月1日閲覧。 ^ 54歳GKシジマール、J3でベンチ入り! 藤枝、盛岡戦でベンチGK2人体制 - フットボールチャンネル 2017年4月16日 ^ 最年長出場はならず…GKシジマール、わずか1か月で“現役引退” - ゲキサカ 2017年4月28日 ^ 『シジマールGKコーチ ヘッドコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)藤枝MYFC、2017年12月27日。http://myfc.co.jp/news/20171227/21216/。2017年12月27日閲覧。 ^ 『トップチームコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2023年1月6日。https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/20932.html。2023年4月26日閲覧。 ^ シジマール監督支える妻ホザンジェラさん ^ “Definida a seleção do centenário do XV de Piracicaba”. Futebol Interior. (2013年9月23日). https://www.futebolinterior.com.br/futebol/XV-de-Piracicaba-SP/noticias/2013-09/Definida-a-selecao-do-centenario-do-XV-de-Piracicaba 2017年3月6日閲覧。 ^ 『Jリーグ20周年記念企画『Jクロニクルベスト』最終投票結果発表』(プレスリリース)Jリーグ、2013年5月17日。http://www.jleague.jp/release/article-00005072/。2017年3月6日閲覧。 ^ Sports Graphic Number 2019年3月14日号 973号 文藝春秋社 Jリーグ最強外国人は誰だ 1993-2019 p12-13 ^ 2/2 シジマールGKコーチ フジテレビ「VS嵐」出演のお知らせ 藤枝MYFC公式サイト 2017年1月31日付。 ^ “VOLARE FCの概要”. ヴォラーレFC浜松. 2017年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月4日閲覧。 Jリーグの外国籍選手一覧 清水エスパルスの選手一覧 藤枝MYFCの選手一覧 シジマール・アントニオ・マルチンス - WorldFootball.net (英語) シジマール・アントニオ・マルチンス - Transfermarkt.comによる選手データ (英語) シジマール・アントニオ・マルチンス - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語) シジマール・アントニオ・マルチンス - J.League Data Siteによる選手データ シジマール・アントニオ・マルチンス - ジャパン・スポーツ・プロモーション 表 話 編 歴 監督 吉田孝行 コーチ 菅原智 / 北本久仁衛 GKコーチ シジマール ヤングプレイヤーデベロップメントコーチ 宮原裕司 分析コーチ 吉村俊希 フィジカルコーチ 梅木暁 1 前川黛也 21 新井章太 39 髙山汐生 50 オビ・パウエル・オビンナ -- 亀田大河(2種) 3 マテウス・トゥーレル 4 山川哲史 15 本多勇喜 19 初瀬亮 23 広瀬陸斗 24 酒井高徳 55 岩波拓也 81 菊池流帆 2 飯野七聖 6 扇原貴宏 7 井手口陽介 14 汰木康也 16 齊藤未月 18 井出遥也 22 佐々木大樹 25 鍬先祐弥 30 山内翔 31 中坂勇哉 44 日髙光揮 88 森岡亮太 96 山口蛍 -- 岩本悠庵(2種) -- 岡奨瑛(2種) -- 山田海斗(2種) -- 濱﨑健斗(2種) 9 宮代大聖 10 大迫勇也 11 武藤嘉紀 26 ジェアン・パトリッキ 35 冨永虹七 12 サポーター / モーヴィ 前身 スタジアム
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2024/11/21 18:03更新
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Sidmar Antonio Martins
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