ダグ=ジェニングスの情報(DougJennings) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
ダグ=ジェニングスの情報まとめ
ダグ=ジェニングス(Doug Jennings)さんの誕生日は1964年9月30日です。
現在、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。ダグ=ジェニングスの現在の年齢は60歳のようです。
ダグ=ジェニングスのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート ジェームス・ダグラス・ジェニングス(James Douglas Jennings、1964年9月30日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 日本での登録名はイニシャルのD・J。 1984年の1984年のMLBドラフト2巡目でカリフォルニア・エンゼルスに指名され契約。 1988年にオークランド・アスレチックスでメジャーデビュー。 1993年にシカゴ・カブスでメジャー再昇格。メジャーには定着できなかったものの、1994年には3Aインディアナポリスで打率.296、23本塁打、92打点を記録した。 1994年11月16日、NPBのオリックス・ブルーウェーブに入団。来日の理由について『週刊ベースボール』のインタビューで「区切りと考えていた30歳になったタイミングでオリックスから話が来たから」と明かしている。1995年開幕当初は不調だったが、新井宏昌打撃コーチと中西太ヘッドコーチの指導で変化球に対応できるようになると7月に打率.393と成績を伸ばし、12本塁打のトロイ・ニールを抑え月間MVPを獲得。8月も打率.337、8本塁打で2か月連続で月間MVPを獲得した。8月8日から9日にはプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打を放つ。この年、打率.266、16本塁打、60打点でチームの優勝に貢献。日本シリーズでも、チームが唯一勝利した第4戦で、延長12回表に伊東昭光から決勝ソロ本塁打を放った。 1996年は成績が下がったが、本拠地・グリーンスタジアム神戸での優勝を決めた9月23日の対日本ハムファイターズ戦では9回裏、2死無走者から代打で登場し、島崎毅からライトスタンドへ起死回生の同点本塁打を放ち、その次の回のイチローのサヨナラ二塁打での優勝を演出した。オフに解雇が検討されたが、大幅な年俸ダウンで残留が決まった。 1997年はクリス・ドネルスの加入もあり、外国人枠の関係でシーズンの大半を二軍で過ごし、9月10日に帰国しそのまま退団した。5月にマイク・グリーンウェルが退団し外国人枠に空きがあった阪神へ行きたかったが、オリックスが出してくれなかったとも語っている。 帰国後は、独立リーグ、マイナーリーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルで所属を行き来しながら2005年までプレーした。 現在はマイアミ近郊に住み、少年野球の指導などをしている。 2013年4月12日、オリックス対日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)の試合前に始球式を行った。 2015年6月13日、マイアミ・マーリンズの本拠地を訪れ、オリックス時代のチームメイトだったイチローと十数年ぶりに再会した。 外野手登録であるが、日本では大半は一塁手として起用された。中西太曰く、「守備は下手くそやったけど、勝負強かった」。 日本プロ野球史上初めて、姓名のイニシャルを登録名とした選手で、これは当時オリックス監督の仰木彬の発案による。「D・J」は小さい頃から家族や友達から呼ばれていた愛称で、新入団の年の春季キャンプで初対面したイチローから「本当にDJの人だと思った」と勘違いされた。当時西武にもニックネームが「D・J」のダリン・ジャクソンがいたが、「ライバル意識は?」という質問に対し「彼はD・Jで登録されていないんだろ。だったら特別意識はしないね」と答えている。 プロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打を達成したのは1995年8月8日・9日の近鉄戦(ナゴヤ球場)で、8日の試合で清川栄治から8号、佐野重樹から9号、デニス・パウエルから10号、翌9日の第1打席で江坂政明から11号本塁打を打ち達成した。次の打席はライトへの安打に終わり、史上初の5連発はならなかった。 1996年5月29日の試合で、ストライク判定を巡って球審の佐藤純一に近づいて「NO」と抗議したところ、突然退場を宣告された。この宣告は不可解なものであり、同年の珍プレー番組でも取り上げられた。 2013年9月22日放送の「世界の果てまでイッテQ!」で、出川哲朗がイチローの背面キャッチに挑戦する企画の際に、コーチとして登場した。 月間MVP:2回(1995年7月、1995年8月) 初出場・初先発出場:1995年4月1日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(グリーンスタジアム神戸)、3番・左翼手として先発出場 初安打:同上、8回裏に伊良部秀輝から 初打点:1995年4月4日、対日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、7回表に長冨浩志から 初本塁打:1995年5月17日、対福岡ダイエーホークス7回戦(鹿児島県立鴨池野球場)、9回裏に小川博文の代打で出場、ボビー・シグペンからソロ 4打席連続本塁打:1995年8月8日 - 翌9日 ※史上12人目、歴代2位タイ 4打数連続本塁打:同上 ※史上15人目16度目、歴代2位タイ 48(1988年) 21(1988年 - 1989年) 2(1990年) 13(1991年) 53(1993年) 24(1995年 - 1997年) D・J(1995年 - 1997年) メジャーリーグベースボールの選手一覧 J 北米・欧州出身の日本プロ野球外国人選手一覧#アメリカ合衆国 オリックス・バファローズの選手一覧 ^ 登録名はまさかのイニシャル!? 優勝請負人「D・J」 ^ 日本一メンバー、D・Jが始球式「久しぶりに“家族”に会えた」 ^ イチローの俊足は不変 再会のD・Jも驚く ^ 連続本塁打記録はなぜ4打数で途切れるのか? ^ 世界の果てまでイッテQ! ^ “【データ】村上宗隆プロ野球新5打席連続本塁打 20人「打数」と13人「打席」の両方を更新”. 日刊スポーツ. (2022年8月2日). https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202208020001009_m.html 2023年1月13日閲覧。 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) 個人年度別成績 D・J - NPB.jp 日本野球機構 オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手 アメリカ合衆国の野球選手 オークランド・アスレチックスの選手 シカゴ・カブスの選手 ロングアイランド・ダックスの選手 タバスコ・キャトルメンの選手 在日アメリカ人のスポーツ選手 在日外国人の野球選手 在メキシコ・アメリカ人 在メキシコ外国人の野球選手 アイルランド系アメリカ人の野球選手 アトランタ出身の人物 1964年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/19 09:34更新
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