マジカル・パワー・マコの情報(本名:栗田誠) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
マジカル・パワー・マコさんについて調べます
■名前・氏名 |
マジカル・パワー・マコと関係のある人
武満徹: また、クラシック出身者以外にもマジカル・パワー・マコや鈴木昭男といった独自の楽器音響を追求する後輩たちとも交流を持ち、劇音楽の仕事を通してコラボレーションを行っている。 灰野敬二: 1972年頃、マジカル・パワー・マコと出会って親交を深め、ともに活動するようになる。同年、マジカル・パワー・マコらとNHK『ひるのプレゼント』に出演するも、視聴者から苦情が殺到して担当プロデューサーが降格する事態となる。1974年、マジカル・パワー・マコのアルバムに参加。 丹波博幸: マジカル・パワー・マコ 鷹匠訓子: 1987年、新宿のライブハウスでマジカル・パワー・マコと共演したことを契機に、音楽活動を開始する。 |
マジカル・パワー・マコの情報まとめ
マジカル・パワー・マコ(本名:栗田 誠)さんの誕生日は1956年1月15日です。静岡出身のミュージシャンのようです。
卒業、映画、ドラマに関する情報もありますね。マジカル・パワー・マコの現在の年齢は68歳のようです。
マジカル・パワー・マコのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)マジカル・パワー・マコ(本名:栗田 誠、1956年1月15日 - )は、静岡県田方郡修善寺町(現伊豆市)生まれの音楽家。通称、マコ。以下、本文でもマコと表記する。 中学生時代から曲を作り始め、14歳ですでにオープンリール・テープレコーダーを使って自作曲の録音を始める。1971年、中学卒業とともに上京。鉄工所等でアルバイトをしながら、実兄と紫雲英(げんげ)というバンドを組み、渋谷ジァン・ジァンを中心に音楽活動を始める。 1972年頃より注目を浴び始める。同年5月には16歳の若さでNHKのドキュメンタリーなどの音楽を担当し、天才音楽少年として脚光を浴びる。また、この頃灰野敬二と出会い、親交を深める。 1973年渋谷ジァン・ジァンのパフォーマンスを見た、作曲家広瀬量平に認められNHKに出演する。『ひるのプレゼント』に灰野敬二とともに出演するも、その演奏に視聴者から苦情が殺到した。同年、武満徹と知り合い、武満が音楽を担当した映画『化石の森』の録音に参加。さらには映画『卑弥呼』、『未来への遺産』の音楽を担当。このころより、自宅でテープコラージュなどの手法を使って録音を重ね、粗いながらきわめて実験的な、膨大な量の作品を作る。当時、自宅には300種にもおよぶ楽器があったという。 1974年、ポリドールより、デビューアルバム『マジカル・パワー』を発売。奇想天外で実験的な音楽性が一部で絶賛される。 1975年、アルバム『スーパーレコード』発売。以後、中原挌(ギター)、仁科啓一(ベース)、渡辺昭司(ドラムス)と組み、バンドという形態での活動にも力を入れる。 1976年、NHKドラマ『タウン』出演。第16回日本テレフィルム技術賞受賞(録音)作品。 1977年、このバンド編成でアルバム『JUMP』を発売。なお、中原らのメンバーは録音のみに参加。実際のバンド活動は「L5(エルファイブ)バンド」という名義で行われ、そのメンバーは、マコ、ジャン(キーボード)、キッド(ベース)、リム(吉田和正)(ドラムス)であった。彼らはしばらく共に福生市の米軍ハウスを借り切って拠点とし、音楽活動を続けていた。主な演奏場所は、「チキンシャック」「UZU」であった。また、渋谷西武デパートB館(当時)の地下にあったレコードショップで『JUMP』の発売記念イベントを2日間に渡って行っている。マジカル・パワー・マコの生演奏を聴く事は当時から珍しかったので、当イベントを目撃した中には著名人も多々いると聞く。この年、イタリア国際放送賞受賞。また、NHK-FMのラジオドラマ主題歌を作曲している。 1980年頃には修善寺に戻る。その後、マコを訪ねて吉田和正が修善寺に移り住み、共に新しい音楽活動を開始する。主に、アナログシンセサイザーとパーカッションを駆使した音を創り続けたが、この頃の音は一部CDで聞くことが出来る。既に二人でアンビエント・テクノ、ハウステクノの基盤を制作していた。また、マコと吉田は伊豆を中心にライブハウスのプロデュースも行っている。 1981年、『Welcome To The Earth』を発売。 1982年、『Music from heaven』をレーベル「Marquee」より発売。新宿ロフトにてライブ(ゲスト:Katra Turana)。 1983年、「コンピュータグラフィックス&ミュージックライブショー」を企画。演奏とオペレーションを担当。 1985年、CBS・ソニーより『mAgicAl compUteR MusiC』を発売。楽曲作成に、MSXパソコンを使用。 1986年、NHK局長賞受賞。NHK-FMのラジオドラマ『アディオスケンタウルス』(斉藤由貴主演)を企画し、作曲をする。 1990年代に入ると、「宇宙人との交信のための音楽」を作り始める。 1993年、1973年から1975年の間に自主的に作成した膨大な量の作品が、宇川直宏により5枚のCDとして発売される。 1997年、『No government after Revolution』を「Marquee」より発売。愛知の幻庵にてオマルズとライブ。 2001年10月7日、渋谷CLUB QUATTROにて「ウダガワロック」と冠されたインディーズバンド集結のフェスティバルに大トリで出演した。尚このライブに、「オリジナルメンバーであるので」と言うマコの要望により、最初のバンドのドラマー吉田和正がパーカッションで20年振りに参加していた。 2007年12月12日、当月で閉店する恵比寿のクラブMILKに、元NORDの伊藤まく率いるInner Trance Orchestra(ITO)と共に出演した。ギターは元ボアダムスの田畑満、ベースはChoro Clubの沢田穰治。 1974 1st Album 『MAGICAL POWER』(Polydor) 1975 2nd Album 『SUPER RECORD』(Polydor) 1977 3rd Album 『JUMP』(Polydor) 1981 4th Album 『WELCOME TO THE EARTH』 (TOSHIBA EMI) 1982 5th Album 『Music from heaven』(Marquee) 1985 6th Album 『Magical Computer Music』(CBS SONY) 1993 7th Album 『HAPPY EARTH』(TTV) 8th Album 『Next Millennium Vibrations』(UAA) 9th Album - 13th Album 『HAPMONIYM #1-5』(MoM'n' DaD) 1994 14th Album 『TRANCE RESONANCE』(Marquee) 1995 15th Album 『LO POP DIAMONDS』(Marquee) 16th Album 『COSMO VISION』(八幡書店/KeroJetter Records) 17th Album 『Next Millenium Vibrations』(八幡書店/KeroJetter Records) 18th Album 『KeroJetter NO.1』(八幡書店/KeroJetter Records) 19th Album 『Human! Get out from the earth quickly』(八幡書店/KeroJetter Records) 20th Album 『BLUE DOT』(Marquee) 1996 『Tokyo Compilation』(Virgin Records) 21st Album 『No Government after Revolution』(Marquee) 1998 『EROtic ELOhim』(KeroJetter Records) 『Magic/Magical Power Mako』(Marquee) 公式サイト マジカル・パワー・マコ (@magicalmako) - X(旧Twitter) ■ Magical Power Mako Biography ■ マジカル・パワー・マコ - Discogs(英語) MusicBrainz 日本のシンセサイザー奏者 日本の打楽器奏者 日本の反原発活動家 MSX 静岡県出身の人物 1956年生 存命人物 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/20 06:57更新
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本名:栗田 誠
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