一言多十の情報(ひとことたじゅう) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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一言多十の情報まとめ
一言 多十(ひとこと たじゅう)さんの誕生日は1921年5月1日です。静岡出身の野球選手のようです。
引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2010年に亡くなられているようです。
一言多十のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 2010年4月16日)は、静岡県六合村(現:島田市)出身のプロ野球選手(投手、外野手)。 島田商業学校時代、1937年春・夏、1938年春は外野手として、1939年春からはエースとして4季連続、計7回甲子園に出場。1940年夏準優勝。夏の大会では1939年の準決勝、1940年の決勝で2年続けて、嶋清一・真田重蔵のエースを擁した和歌山県の海草中学校の前に惜しくも涙をのんだ。1940年選抜では2回戦で対戦し、5-4で勝利している。 1941年専修大学へ進学。五大学リーグでは1年春のリーグ戦からエースとしてノーヒットノーランを記録するなど活躍したが、1943年戦争のためリーグ戦が中止。学徒出陣した。1945年に海軍特攻艇に配属されたものの出陣しないまま、千葉の小湊で終戦を迎えた。 兵役から帰還後は静岡県島田市の実家に戻っていたが、新球団・セネタースのマネージャー・横沢四郎の勧誘を受けて入団。11月に大宮の合宿所に移るが、まもなく合宿所にやってきた大下弘・貫井丞治と意気投合。12月に行われた大下と貫井の妹との婚約祝宴に、セネタース関係者として唯一出席している。 1946年は、セネタース(現・北海道日本ハムファイターズ)としての初戦となった4月27日の読売ジャイアンツ戦で開幕投手を任されたが、敗戦投手となった。この試合は自身だけでなく捕手の熊耳武彦にとっても初出場となる試合で、初出場選手同士が先発でバッテリーを組むことになった。4月29日の対中部日本戦(後楽園球場)では当時日本プロ野球歴代2位の13与四死球を記録するものの、中部日本の4併殺打もあって野手の失策の1失点にとどめ、6対1(自責点0)で完投勝利をおさめた。この記録は、1994年7月1日、野茂英雄が西武ライオンズ戦で16与四球完投勝利を挙げるまで、最多与四球勝利投手のプロ野球記録だった。同年はシーズン6勝を挙げる傍ら、外野手としても88試合出場で規定打席に到達。打率.232(リーグ36位)、22打点、18盗塁をマークした。 球団名が東急フライヤーズと改称された翌1947年も投手として13試合に登板しながら、109試合で外野守備に就いて規定打席の330打席を超える469打席に立ち、2年連続で規定打席に到達。しかし、打撃は得意ではなく、同年の打率.179は規定打席到達者49人中48位であった(最下位は金星スターズの辻功捕手が記録した.154)。 1948年に引退、社会人野球の新田建設に転じた。1950年に阪急ブレーブスで1年だけプロ復帰している。 再度の引退後は社会人野球の石川島重工業にて選手、監督を務めた。2010年4月16日、埼玉県さいたま市で死去。88歳。 宇佐美徹也著の「日本プロ野球記録大鑑」では「日本プロ野球5指に入る変わった名前の選手」として挙げられている。 セネタースは、1947年に東急(東急フライヤーズ)に、1948年に急映(急映フライヤーズ)に球団名を変更 セネタースは、1947年に東急(東急フライヤーズ)に、1948年急映(急映フライヤーズ)に球団名を変更 初登板、初先発登板:1946年4月27日、対読売ジャイアンツ戦 5(1946年 - 1947年) 16(1948年) 15(1950年) ^ 1939年夏は嶋にノーヒットノーランを達成された。1940年夏は7回に落球で走者を出した後に三塁打を打たれ、これが決勝点となった。 ^ 初出場選手同士が先発でバッテリーを組むのは、球団では2024年6月18日に細野晴希と進藤勇也が組んだ事例がこの時以来78年ぶりとなった。 ^ 14与四球の小松原博喜と、先に13与四球を記録した中山正嘉はいずれも敗戦投手となっているため。 ^ この試合は一言が投げる前の1回表に中部日本の先発の林直明が日本プロ野球新記録の先頭打者から5連続四球とタイ記録の1イニング6与四球を挙げており、双方で四球合戦となった。 ^ “OB NEWS Vol.46” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2010年6月). 2021年2月23日閲覧。 ^ “仙台育英と慶應義塾の「因縁マッチ」を制するのは データ上はセンバツ敗者が有利だが...”. スポルティーバ 公式サイト web Sportiva. 集英社 (2023年8月23日). 2024年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ “【決勝】仙台育英vs.慶應は「春のセンバツ初戦」の再現 同様のケースは過去3回…春に敗れたチームに共通点”. デイリー新潮. 新潮社 (2023年8月23日). 2024年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ 辺見[1995: 69] ^ “【日本ハム】かつて所属の2人の「珍名」さん一言多十と熊耳武彦は名前に負けない珍記録の当事者”. 日刊スポーツ nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2022年5月27日). 2022年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ “日本ハムの新人バッテリーが歴史的デビューへ 78年前の一言多十&熊耳武彦コンビ以来”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2024年6月18日). 2024年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ “日本ハム・上沢 球団10001試合目飾る!1試合目先発の一言投手との“縁””. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2020年10月6日). 2024年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ “【日本ハム】ドラ1細野晴希のパーフェクトデビューが「直球破壊王子」に阻止される”. 日刊スポーツ nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2024年6月18日). 2024年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ “日本ハム・ドラ1細野 プロデビュー戦は“晴れのち曇り”も新庄監督は「もう完璧」”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2024年6月19日). 2024年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ “【日本ハム】球団78年ぶり新人先発バッテリーの細野晴希、進藤勇也がフレッシュ球宴出場”. 日刊スポーツ nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2024年6月20日). 2024年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ “【7月1日】1994年(平6) 史上初 “怪腕”野茂英雄 16四球でも完投勝利”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2011年7月1日). 2011年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ “プロを舐めてると続投指令…今では考えられない「えげつない完投」列伝”. AERA dot. (アエラドット). 朝日新聞出版 (2021年2月27日). 2024年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」637ページ ^ “「煤孫」「熊耳」「無徒」「赤見内」どれだけ読める? プロ野球“難読”選手たちの歴史”. Full-Count(フルカウント) (2020年5月12日). 2024年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月22日閲覧。 ^ 『日本プロ野球記録』1947年 http://2689web.com/1947.html 辺見じゅん『大下弘 虹の生涯』新潮文庫、1995年 静岡県出身の人物一覧 専修大学の人物一覧 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 オリックス・バファローズの選手一覧 個人年度別成績 一言多十 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 1946 一言多十 1947 白木義一郎 1948 吉江英四郎 1949 白木義一郎 1950 白木義一郎 1951 米川泰夫 1952 寺川昭二 1953 米川泰夫 1954 米川泰夫 1955 米川泰夫 1956 牧野伸 1957 米川泰夫 1958 牧野伸 1959 土橋正幸 1960 土橋正幸 1961 久保田治 1962 富永格郎 1963 土橋正幸 1964 久保田治 1965 久保田治 1966 尾崎行雄 1967 森安敏明 1968 森安敏明 1969 高橋善正 1970 森安敏明 1971 金田留広 1972 藤原真 1973 金田留広 1974 渡辺秀武 1975 高橋直樹 1976 高橋直樹 1977 高橋直樹 1978 佐伯和司 1979 高橋直樹 1980 高橋直樹 1981 高橋一三 1982 高橋一三 1983 工藤幹夫 1984 田中幸雄 1985 津野浩 1986 津野浩 1987 津野浩 1988 西崎幸広 1989 西崎幸広 1990 西崎幸広 1991 西崎幸広 1992 柴田保光 1993 西崎幸広 1994 西崎幸広 1995 西崎幸広 1996 岩本勉 1997 西崎幸広 1998 岩本勉 1999 岩本ツトム 2000 岩本ツトム 2001 金村曉 2002 岩本勉 2003 C.ミラバル 2004 金村曉 2005 C.ミラバル 2006 金村曉 2007 ダルビッシュ有 2008 ダルビッシュ有 2009 ダルビッシュ有 2010 ダルビッシュ有 2011 ダルビッシュ有 2012 斎藤佑樹 2013 武田勝 2014 吉川光夫 2015 大谷翔平 2016 大谷翔平 2017 有原航平 2018 B.ロドリゲス 2019 上沢直之 2020 有原航平 2021 上沢直之 2022 北山亘基 2023 加藤貴之 2024 伊藤大海 日本の野球選手 静岡県立島田商業高等学校出身の野球選手 専修大学硬式野球部の選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 関東地方の社会人野球チームに所属する選手 オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手 日本の野球監督 IHIの人物 特攻隊員 二刀流の野球選手 静岡県出身のスポーツ選手 1921年生 2010年没 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/23 22:15更新
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hitokoto tajuu
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