上村松篁の情報(うえむらしょうこう) 日本画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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上村 松篁さんについて調べます
■名前・氏名 |
上村松篁と関係のある人
秋野不矩: 戦後は、国の補助を受けず在野にて立ちたいとの思いから、同門の上村松篁・沢宏靱・向井久万・広田多津ほか、東京の同志らとも相寄り、新しい日本画の団体「創造美術」(現創画会)を結成、以後官展との関りを断ち、いわゆる近代日本画家の主流コース(官展会員→官展審査員→日本芸術院会員→文化勲章)を外れた。 上村淳之: 花と鳥と 上村松篁・淳之画文集 大日本絵画 1985 上村松園: 息子に日本画家の上村松篁。 西山翠嶂: 青甲社からは堂本印象、中村大三郎、上村松篁、吉田鋤牛、森守明、沢宏靱、不動立山、瀬川艶久などの多くの門弟を輩出している。 吉岡堅二: 戦後は、山本丘人・上村松篁・豊四郎・高橋周桑らと創造美術を結成、西洋と東洋を融合させた常に新傾向の日本画を追求し続け「伝統日本画の亡霊と闘う画家」と評された。 上村松園: 絵のモデルは上村松篁の妻(上村淳之の母)の未婚時代の姿である。 飯島幸永: 1992年(平成 4年) 写真と名画で語る「上村松篁・魂の賛歌・写真家・飯島幸永の眼」展を開催。 上村淳之: 上村松篁の子として京都市に生まれる。 飯島幸永: 2001年(平成13年) 写真集「人間上村松篁」(小学館刊)出版。 佐伯勇: 奈良県奈良市登美ヶ丘にあった自宅は近鉄の出資する財団によって、1994年に上村松園、上村松篁、上村淳之3代の日本画家の作品を展示する松伯美術館となった。 飯島幸永: 1991年(平成 3年) 日本画家・上村松篁の写真集「歩歩清風」(中央公論美術出版社刊)を画集・色紙とともに出版。 |
上村松篁の情報まとめ
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上村 松篁(うえむら しょうこう)さんの誕生日は1902年11月4日です。京都出身の日本画家のようです。
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エピソード、主な作品などについてまとめました。卒業に関する情報もありますね。亡くなられているようです。
上村松篁のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)上村 松篁(うえむら しょうこう、1902年(明治35年)11月4日-2001年(平成13年)3月11日)は日本画家。 幼名は信太郎。母は近代美人画の大家、上村松園。父は松園の師の日本画家鈴木松年ともされるが、未婚であった松園は多くを語らなかった。息子も同じく日本画家の上村淳之である。 1902年(明治35年) - 京都に生まれる 1921年(大正10年) - 『閑庭迎秋』が帝展に初入選する 1924年(大正13年) - 京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業 1928年(昭和3年) - 『蓮池群鴦図』が帝展の特選となる 1948年(昭和23年) - 奥村厚一、秋野不矩、山本丘人らと日本画の団体『創造美術』を結成 1959年(昭和34年) - 芸術選奨文部大臣賞を受賞 1967年(昭和42年) - 日本芸術院賞を受賞 1968年(昭和43年) - 京都市立芸術大学名誉教授 1973年(昭和48年) - 勲三等瑞宝章を受章 1981年(昭和56年) - 日本芸術院会員となる 1983年(昭和58年) - 文化功労者 1984年(昭和59年) - 文化勲章 1994年(平成6年) - 松伯美術館が開館 2001年(平成13年) - 心不全のため死去。98歳 ※創造美術はその後、新制作協会日本画部を経て創画会となる エピソード鳥に関するもの鳥の写生には強いこだわりを持っており、「鳥の生活を理解しなければ、鳥は描けない」と言い、鳥の観察のためにインドやオーストラリア、東南アジア等を旅行した。 また、奈良市郊外の自身のアトリエの敷地にも大規模な禽舎(鳥小屋)を設け、1,000羽を超える鳥を飼って生涯観察を続けていた。彼の死後、この禽舎は息子の上村淳之が管理している。 とりかかると厄介なモチーフとして、ウズラを挙げている。 円山派の流れに立つが、円山派の描いた鳥に対しては、「十分、生きた鳥になりきっていない」と不満を言っていた。 母・松園に対して幼い頃の松篁には、松園は『二階の画室にこもって絵を描いている』姿程度しか記憶になかった為、松園のことを「二階のお母さん」と呼んでいた。 松園が描いた作品で好きなものとして、『春苑』、『天保歌妓』の二つを挙げている。 美人画を描かなかった(『万葉の春』の様に例外もある。)松篁だが、松園の影響を受けていることを認めている。 梅原猛の考察哲学者の梅原猛は、『アート・トップ』1978年12月号に掲載された小論で、「上村松篁の花鳥画は、鳥の世界に移された一種の美人画である。」と言う様な主旨を述べている。また、「その根底には、幼少からの『人間嫌い』がある。」とも述べている。 主な作品『金魚』(1929年、松伯美術館蔵) 『星五位』(1958年、東京国立近代美術館蔵) 『万葉の春』(1970年、松伯美術館蔵) 『樹下幽禽』(1966年、日本芸術院蔵) 『閑鷺』(1977年、山種美術館蔵) 2024/06/14 18:29更新
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uemura syoukou
上村松篁と同じ誕生日11月4日生まれ、同じ京都出身の人
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