西山翠嶂の情報(にしやますいしょう) 日本画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


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西山翠嶂の情報まとめ

西山 翠嶂(にしやま すいしょう)さんの誕生日は1879年4月2日です。京都出身の日本画家のようです。

卒業に関する情報もありますね。1958年に亡くなられているようです。
西山翠嶂のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)西山 翠嶂(にしやま すいしょう、1879年(明治12年)4月2日 - 1958年(昭和33年)3月30日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家。本名は卯三郎(うさぶろう)。 1879年(明治12年)に京都伏見に生まれる。1893年(明治26年)に 竹内栖鳳の門下に入り日本画を学ぶ。翌年から各展覧会や博覧会で入賞を重ね、若くして頭角を現して同門の西村五雲、橋本関雪とともに栖鳳門下として名を馳せた。後に翠嶂は栖鳳の女婿となっている。また、京都市美術工芸学校へも入学して日本画の更なる研鑽に励んだ。 1907年(明治40年)の第1回文展に「広寒宮」を出品して3等賞を受賞したのを皮切りに、その後も文展に出品を重ねて受賞または特選が相次いだ。文展期の作品には「採桑」、「落梅」、「青田」などがある。1919年(大正8年)に帝展が開設されると過去の実績により審査員に選出された。また、自作の出品も重ねた。帝展期の作品として「春霞」、「木槿」、「乍晴乍陰」、「くらべ馬」、「牛買ひ」などが挙げられる。1929年(昭和4年)には帝国美術院会員に推薦された。 1937年(昭和12年)に帝展が改組された後は帝国芸術院会員を勤めるとともに新文展審査員の職責を果たした。この頃の作品としては「雨餘」、「洛北の秋」などがある。栖鳳死後の1944年(昭和19年)に帝室技芸員に任命され、日本画壇の長老として重んじられた。終戦後の70代となってからも翠嶂は制作を続けており、日展などに「黒豹」や「山羊と猿」などを出品している。栖鳳の画風を継承した翠嶂の作域は人物、花鳥、動物、風景などに及ぶが、中でも長けているのが京都由来の円山派や四条派を範とした人物、動物画である。 翠嶂は後進の育成に励み、母校の京都市立絵画専門学校教授及び同校長を務めた。また1921年(大正10年)頃に自身の画塾青甲社を設立して技法を指導した。青甲社からは堂本印象、中村大三郎、上村松篁、吉田鋤牛、森守明、沢宏靱、不動立山、瀬川艶久などの多くの門弟を輩出している。また、晩年は日展運営会理事、芸術院会員選考委員を務めて日本美術界の発展の為に尽力した。これらの功労により、1957年(昭和32年)に文化勲章が授与された。翌1958年(昭和33年)3月30日、心筋梗塞により京都市東山区の自宅で死去した。没後、正三位勲二等旭日重光章が追贈された。 1879年(明治12年)- 西山政治郎、さとの子として出生 1893年(明治26年)- 竹内栖鳳に入門 1894年(明治27年)- 京都市工芸品展「箕面瀑布図」褒状、日本美術協会展「鷹狩図」3等受賞 1895年(明治28年)- 第4回内国勧業博覧会「富士川水禽図」褒状、日本青年絵画共進会「対風牡丹図」2等受賞 1896年(明治29年)- 大阪私立日本絵画共進会「対風牡丹図」2等受賞 1897年(明治30年)- 第1回全国絵画共進会「義光勇戦図」2等受賞 1898年(明治31年)- 京都新古美術品展「秋口喚渡の図」1等受賞 1899年(明治32年)- 京都市立美術工芸学校卒業。全国絵画共進会「村童」、第2回全国絵画共進会「迦葉哄笑図」ともに3等受賞 1900年(明治33年)- 京都新古美術品展「韓退之図」3等、後素青年会展「悉多発心図」優等1席受賞 1901年(明治34年)- 京都新古美術品展「沙陽」3等受賞 1902年(明治35年)- 京都市立美術工芸学校へ奉職。京都新古美術品展「緑陰」3等受賞 1903年(明治36年)- 第5回内国勧業博覧会「詰汾興魏図」3等受賞 1904年(明治37年)- 京都新古美術品展「祝戸開き」3等受賞 1905年(明治38年)- 関雪、五雲らの8名で水曜会を結成、機関誌「黎明」を刊行(1909年(明治42年)迄) 1907年(明治40年)- 第1回文展「広寒宮」3等受賞 1908年(明治41年)- 第2回文展「軒迷開悟」褒状授与 1909年(明治42年)- 京都市絵画専門学校助教諭就任。第3回文展「花見」3等受賞 1910年(明治43年)- 師栖鳳の東本願寺天井絵制作に帯同し、土田麦僊と制作助手を務める 1912年(大正元年)- 第6回文展「青田」3等受賞 1914年(大正3年)- 第8回文展「採桑」3等受賞 1915年(大正4年)- 第9回文展「農夫」3等受賞 1916年(大正5年)- 第10回文展「未★の女」特選受賞 1917年(大正6年)- 第11回文展「短夜」特選受賞 1918年(大正7年)- 第12回文展「落梅」特選受賞 1919年(大正8年)- 京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)教授就任。第1回帝展審査員に選出、以降、第10回迄務める 1920年(大正9年)- 平和記念美術展審査員を務める 1921年(大正10年)- 画塾青甲社を主宰 1929年(昭和4年)- 帝国美術院会員となる 1933年(昭和8年)- 京都市立絵画専門学校校長となる。大礼記念京都美術館評議員就任 1936年(昭和11年)- 京都市絵画専門学校、京都市美術工芸学校を辞職 1942年(昭和17年)- 師栖鳳死去 1944年(昭和19年)- 帝室技芸員となる。第1回文展審査員となる 1950年(昭和25年)- 京都市立美術大学名誉教授号付与 1951年(昭和26年)- 日展運営会理事就任 1953年(昭和28年)- 日本芸術院会員選考委員就任(1957年(昭和32年)迄) 1957年(昭和32年)- 文化勲章受章、文化功労者表彰 1958年(昭和33年)- 歿。正三位勲二等旭日重光章追贈 ^ “西山翠嶂”. 東京文化財研究所 (2015年12月14日). 2017年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月3日閲覧。 ^ “西山 翠嶂 ニシヤマ スイショウ”, 20世紀日本人名事典, 日外アソシエーツ, (2004), https://archive.is/lBaJr#10% ^ 二階堂充, “西山翠嶂 にしやますいしょう”, 日本大百科全書(ニッポニカ), 小学館, https://archive.is/d7QJ9#58% ^ “竹内栖鳳”. 東京文化財研究所 (2015年12月14日). 2017年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月3日閲覧。 ^ 『官報』第5239号、昭和19年7月3日 ^ 田中日佐夫監修 『近代日本画の巨匠 竹内栖鳳とその門下生たち 海の見える杜美術館館蔵品選1』 海の見える杜美術館、2005年9月16日、pp.78-79。 ^ 泉屋博古館分館編集・発行 『特別展 関西邦画展覧会―大阪市立美術館所蔵品による―』 2004年10月16日、第3図。
西山翠嶂 - 京都市立芸術大学芸術資料館 表 話 編 歴 代理/学長 長崎太郎 1950/1950-1956 代理 須田国太郎 1956-1957 川村多実二 1957-1963 富本憲吉 1963 中田勇次郎 1963-1965 近藤雄三 1965-1969 近藤雄三 1969-1971 佐和隆研 1971-1974 代理 吉池浩 1974 梅原猛 1974-1980 佐藤雅彦 1980-1983 梅原猛 1983-1986 職務代行者 藤平伸 1974 職務代行者 浅井憲 1974 河野健二 1986-1992 上山春平 1992-1998 西島安則 1998-2004 中西進 2004-2007 潮江宏三 2007-2010 西島安則 2010 職務代行者 渡邊眞 2010-2011 建畠晢 2011-2015 鷲田清一 2015-2019 赤松玉女 2019- 事務取扱 大野盛郁 1909-1910 松本亦太郎 1910-1915 事務取扱 大森吉五郎 1915-1916 藤代禎輔 1916-1924 事務取扱 多久安信 1924-1925 心得/校長 辻宇之助 1925-1926/1926-1931 事務取扱/校長 菊池完爾 1931-1932/1932-1933 西山卯三郎 1933-1936 事務取扱 石川芳太郎 1936 事務取扱/校長 川村万蔵 1936/1936-1942 事務取扱 大石右一 1942 中井宗太郎 1942-1945 中井宗太郎 1945-1949 事務取扱 佐川一雄 1949 長崎太郎 1949-1952 代理 吉原好人 1952 堀場信吉 1952-1965 吉原好人 1965-1969 代理 吉池浩 1969-1970 代理 安部幸明 1970-1971
京都市立芸術大学
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2025/04/08 02:19更新
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nishiyama suisyou
西山翠嶂と同じ誕生日4月2日生まれ、同じ京都出身の人


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