上村松園の情報(うえむらしょうえん) 日本画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
上村 松園さんについて調べます
■名前・氏名 |
上村松園と関係のある人
安井邦彦: 上村松園 生誕140年記念 松園と華麗なる女性画家たち(山種美術館) - ナレーター 鏑木清方: 近代日本の美人画家として上村松園、彼の門下より出た伊東深水と並び称せられる。 白石涼子: おしえて北斎! -THE ANIMATION-(上村松園) 小倉遊亀: 1954年 - 「O夫人坐像」などで第4回上村松園賞 上村淳之: 上村松園は祖母で、親子三代で日本芸術院会員。 中島貞夫: 1980年代には女性画家・上村松園の生涯をモデルとした『序の舞』(1984年)を演出。 小倉遊亀: 上村松園・片岡球子と並ぶ日本を代表する女性画家の一人。 田村茂: 小倉遊亀: 1980年、上村松園に次いで女性画家2人目となる文化勲章を受賞。 佐伯勇: 奈良県奈良市登美ヶ丘にあった自宅は近鉄の出資する財団によって、1994年に上村松園、上村松篁、上村淳之3代の日本画家の作品を展示する松伯美術館となった。 堀文子: 1952年、第2回上村松園賞受賞。 跡見花蹊: シカゴ万国博覧会に上村松園らとともに招待されて特別展示施設「婦人の館」(Women's Building)に3点出展(1893年)。 朝倉摂: 1953年:上村松園賞 上村松篁: 母は近代美人画の大家、上村松園。 安井邦彦: 企画展 上村松園 -美人画の精華-(山種美術館) - ナレーター 新宮晋: 実父は古裂(骨董としての高い価値が認められる古い布)の収集家として名高く、石井柏亭や上村松園といった日本画の大家が、創作活動の参考にすべく古裂を生家へ借りに来るほどであった。 竹内栖鳳: 上村松園や西山翠嶂をはじめ、西村五雲、伊藤小坡、土田麦僊、小野竹喬、池田遙邨、橋本関雪、徳岡神泉、吉岡華堂ら、京都画壇の大半を送り出した。 安井邦彦: 山種美術館広尾開館10周年記念特別展 上村松園と美人画の世界(山種美術館) - ナレーター 片岡球子: 女性画家として上村松園、小倉遊亀に次いで三人目の授賞であり、「日本三大女流画家」と称されることもある。 田村茂: 婦人画報(1942年)2月号 上村松園 松居直: 幼時より上村松園や竹内栖鳳などの作品に接して育つ。 岸裕子: バレリーナの森下洋子と坂東玉三郎が好きであるが、女性を感じさせるものには興味がなく、宝塚歌劇団や竹久夢二は好みではなく、岩田専太郎・上村松園・蕗谷虹児など、生身を感じさせないものに関心があるという。 |
上村松園の情報まとめ
上村 松園(うえむら しょうえん)さんの誕生日は1875年4月23日です。京都出身の日本画家のようです。
映画、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。1949年に亡くなられているようです。
上村松園のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)京都府画学校 上村 松園(うえむら しょうえん、1875年〈明治8年〉4月23日 - 1949年〈昭和24年〉8月27日)は、日本画家。気品あふれる美人画を得意とした。1948年に女性として初めての文化勲章を受章。息子に日本画家の上村松篁。 京都に生まれ育ち、本名は上村 津禰(うえむら つね、「禰」は「示」偏に「爾」)、常子(つねこ)と名乗っていたこともある。 1875年(明治8年)、京都市下京区四条通御幸町の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれる。1887年(明治20年)、京都府画学校(現:京都市立芸術大学)に入学、北宋担当の鈴木松年に師事。1888年(明治21年)、雅号として「松園」を用いる。鈴木松年の辞職により京都府画学校を退学し、松年塾に入る。1890年(明治23年)、第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品、一等褒状受賞(この絵を、来日中のヴィクトリア女王の三男アーサー王子が購入し話題となった)。1893年(明治26年)、幸野楳嶺に師事。隣家からの類焼のため中京区高倉蛸薬師に転居。市村水香に漢学を学び始める。1895年(明治28年)、楳嶺の死去にともない、竹内棲鳳(竹内栖鳳)に師事。 1902年(明治35年)、長男・信太郎(松篁)が誕生。1903年(明治36年)、相手は最初の師匠松年と言われているが、先方に家庭があるため松園は多くを語っていない。彼女は未婚の母の道を選び、世間の冷たい視線に耐えながら長男松篁(しょうこう)を出産した。松篁は成長して画家になり文化勲章を受章している。葉茶屋を廃業し、中京区車屋町御池に転居。1914年(大正3年)、間之町竹屋町に画室を竣工。初世金剛巌に謡曲を習い始める。1934年(昭和9年)2月、母・仲子死去。 1941年(昭和16年)7月、帝国芸術院会員となる。10月、三谷十糸子と中国に旅行。1944年(昭和19年)7月1日、帝室技芸員。1945年(昭和20年)、奈良県生駒郡平城の松篁の画室である唳禽荘(れいきんそう)に疎開する。1948年(昭和23年)、女性として初の文化勲章を受章。1949年(昭和24年)8月27日、肺癌により死去。従四位に叙される。享年74。法名は、寿慶院釋尼松園。 京都市下京区四条通御幸町(ごこまち)の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれ、京の伝統文化に育まれた松園は、明治・大正・昭和を通して生涯、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(いずれも松園のことば)を念願として女性を描き続けた。 松園は誕生2か月前に父を亡くしている。母仲子は女手一つで松園と姉、2人の娘を育て上げた。明治の女性が画家を志すなど、世間で認めるところではなかったが、仲子は常に松園を理解し励まし支え続けた。 松園はその著書『青眉抄』で母を追憶して「私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに絵を生命とも杖ともして、それと闘えたのであった。私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである」と述べている。母を亡くした後には、「母子」「青眉」「夕暮」「晩秋」など母を追慕する格調高い作品が生まれた。 気品あふれる作品群の中で、特異な絵が2枚ある。「花がたみ」と「焔」(ほのお)である。1915年(大正4年)の「花がたみ」の題材、謡曲『花筐』(はながたみ)は、継体天皇の皇子時代に寵を受けた照日の前が形見の花筐を手に都に上り、紅葉狩りに行き逢った帝の前で舞うという内容である。208×127cmの大作である。松園は能面「十寸髪」(ますがみ)を狂女の顔の参考にしたという。 1918年(大正7年)の「焔」の題材、謡曲『葵上』は、『源氏物語』に登場する六条御息所の生霊を桃山風俗にて描いた、松園言うところの「数多くある絵のうち、たった一枚の凄艶な絵」である。誇り高い六条御息所は、光源氏の正妻葵の上への屈辱と嫉妬から生霊になり、葵の上を取り殺してしまう。後れ毛を噛む女の着物には藤の花と蜘蛛の巣が描かれている。189×90cmの大作で、大変な迫力をもって見る者に迫る絵である。 「清少納言」 - 1892年(明治25年) 「人生の花」 - 1899年(明治32年)
「娘深雪」(むすめみゆき) - 1914年(大正3年)
「舞支度」(一対) - 1914年(大正3年) 「花がたみ」 - 1915年(大正4年) 「焔」(ほのお) - 1918年(大正7年)
「楊貴妃」 - 1922年(大正11年) 「待月」「良宵之図」 - 1926年(大正15年) 「簾のかげ」「新蛍」 - 1929年(昭和4年) 「春秋図」(一対) - 1930年(昭和5年) 「伊勢大輔」 - 1930年(昭和5年) 「母子」(重要文化財) - 1934年(昭和9年) 「青眉」(あおまゆ) - 1934年(昭和9年)
「序の舞」(重要文化財(平成12年(2000年)指定)) … 1936年(昭和11年)絹本着彩 233cm×141.3cm 「草子洗小町」(そうしあらいこまち)- 1937年(昭和12年) 「雪月花」 (三幅対) - 1937年(昭和12年) 「砧」(きぬた) - 1938年(昭和13年) 「晴日」 - 1941年(昭和16年) 「夕暮」 - 1941年(昭和16年) 「晩秋」 - 1943年(昭和18年) 「静」 - 1944年(昭和19年) 松伯美術館 『青眉抄』六合書院、1943年 『青眉抄その後』求龍堂、1985年 ISBN 978-4763085221 『青帛の仙女・上村松園』同朋舎出版、1996年4月 ISBN 978-4810421767 『上村松園全随筆集 青眉抄・青眉抄その後』求龍堂、2010年 ISBN 978-4763010278 『岡本かの子/上村松園』(青眉抄)新学社・近代浪漫派文庫、2004年3月 『上村松園随筆集』平凡社ライブラリー、2022年9月 ISBN 978-4582769340 『松園美人画譜』五車楼、1903年(明治36年) 『松園美人画譜』青木嵩山堂、1909年(明治42年) 『上村松園画集』講談社, 1972 『日本の名画 18 上村松園』内山武夫 編著 講談社, 1973 『日本の名画 9 上村松園』 馬場京子編、中央公論社, 1975 『現代日本美人画全集 第1巻 上村松園』飯島勇編、集英社, 1977.8 『日本画素描大観 2 上村松園』塩川京子 編・解説 講談社, 1983.8 『上村松園』上村松篁 編、講談社, 1987.3 『上村松園 日経ポケット・ギャラリー』 上村松篁 編. 日本経済新聞社, 1991.11 『上村松園 秘めた女の想い』巨匠の日本画 塩川京子 編. 学習研究社, 1994.1 『上村松園』塩川京子 責任編集、光村推古書院, 1994.11、改訂版2010.9 『上村松園 新潮日本美術文庫』 新潮社, 1996.9 『上村松園画集』上村松篁監修, 塩川京子 責任編集. 光村推古書院, 2003.8 『上村松園画集』平野重光 監修. 青幻舎, 2009.2 『上村松園画集』青幻舎, 2021.7。記念展図録 円地文子「上村松園」『人物日本の女性史 第9巻 (芸の道ひとすじに)』集英社, 1977.11 加藤類子『もっと知りたい上村松園 生涯と作品』(アート・ビギナーズ・コレクション)東京美術, 2007.2 上村松園の遺作展の収益を基金に若手女流日本画家を対象とする上村松園賞が設けられ、5人の画家が受賞した。 第1回(1950年度):秋野不矩 第2回(1951年度):堀文子 第3回(1952年度):朝倉摂 第4回(1953年度):小倉遊亀 1954年度:該当者なし 第5回(1955年度):広田多津 美術誌『Bien(美庵)』Vol.47、藝術出版社、2008年 ^ 宮尾の作品『序の舞』はさらに映像化もされており(映画『序の舞』:1984年(昭和59年)、東映、名取裕子主演 / テレビドラマ『序の舞・新春ドラマスペシャル』:1984年(昭和59年)、テレビ朝日、大原麗子主演)、明治時代の周囲の無理解に屈することなく画業を貫いた松園と、それを支えた母勢以の生き方が活写されている。 ^ 上村松園|美術手帖(2021年7月3日閲覧) ^ 「上村松園略年譜」『青帛の仙女』同朋舎出版、1996年、pp.265-269 ^ 「略年譜」『青眉抄』講談社文庫、1977年、pp.123-126 ^ 『官報』第5239号、昭和19年7月3日。 ^ 上村松園 母への追慕 - 青空文庫 ^ 特集陳列 2011年(平成23年)新指定重要文化財 ^ 国指定文化財等データベース ^ 松園美人画譜 - 国立国会図書館デジタルコレクション ^ -松園・遊亀・不矩- 松園賞・文化勲章受章の女流日本画家たち - 滋賀県立近代美術館(2021年4月28日閲覧) ウィキメディア・コモンズには、上村松園に関するカテゴリがあります。 上村松園(足立美術館:Adachi Museum of Art) 上村 松園:作家別作品リスト(青空文庫) 東京国立博物館 館蔵品ギャラリーに「焔」 東京藝術大学大学美術館 収蔵品データベースに「序の舞」 財団法人 ウッドワン美術館 『上村松園』 - コトバンク
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2024/11/12 02:04更新
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