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下山定則の情報 (しもやまさだのり)
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【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

下山定則の情報(しもやまさだのり) 鉄道官僚 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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下山 定則さんについて調べます

■名前・氏名
下山 定則
(読み:しもやま さだのり)
■職業
鉄道官僚
■下山定則の誕生日・生年月日
1901年7月23日 (年齢1949年没)
丑年(うし年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

下山定則と同じ1901年生まれの有名人・芸能人

下山定則と同じ7月23日生まれの有名人・芸能人

下山定則と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


下山定則と関係のある人

藤井松太郎: また、藤井は初代総裁下山定則以来の技術畑出身の総裁であった。


加賀山之雄: 当初は総裁の予定だったが、GHQが「戦中にベルリンの滞在が長かった」として難色を示し、アメリカ視察の経験があり、GHQが米国通と評価していた下山定則が初代総裁となった。


島秀雄: 1936年(昭和11年)1937年(昭和12年)には在外研究員として海外派遣され、同僚の下山定則とともにヨーロッパ・南アフリカ・南米の鉄道事情を調査した。


江原真二郎: ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる 第7回「下山総裁怪死事件 マイ・レール・ロード」(1984年、ANB) - 下山定則


磯崎叡: 下山定則総裁下では職員課長として人員整理を手がけ、加賀山之雄総裁下では文書課長として国鉄スワローズ設立の推進役となる。


桜田武: 代わって国鉄の初代総裁になったのが下山定則である。


笠置シヅ子: また、マスコミに大スター扱いされていたシズ子は、後年のワイドショーのコメンテーターの様に、世相についてコメントを求められることもあり、国鉄総裁・下山定則が1949年(昭和24年)7月に不審死した「下山事件」についても、報知新聞の記者からコメントを求められ、何とも答えようのなかったシズ子は「私は悲しいという一言に尽きる」と答えている。


服部桂吾: BS-TBS  にっぽん!歴史鑑定「国鉄総裁 謎の死 下山事件」再現 下山定則


下山定則の情報まとめ

もしもしロボ

下山 定則(しもやま さだのり)さんの誕生日は1901年7月23日です。兵庫出身の鉄道官僚のようです。

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卒業、ドラマ、事件、現在、事故に関する情報もありますね。1949年に亡くなられているようです。

下山定則のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

下山 定則(しもやま さだのり、1901年〈明治34年〉7月23日 - 1949年〈昭和24年〉7月6日、(死亡日時は不詳)は、日本の鉄道官僚。運輸次官、日本国有鉄道総裁(初代)などを歴任した。

1925年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業した後は鉄道省に入り、企画院技師、技術院第4部長、鉄道総局業務局長補佐(1945年1月 - )。後に新幹線プロジェクトのリーダーとなる島秀雄とは学生時代からの親友。鉄道省でも運輸畑と技術畑を繋ぐ役割をしていた。1936年から翌年まで島とともにヨーロッパから南アフリカ、南米、北米を視察している。

第二次世界大戦後の連合国による占領下では、名古屋鉄道局長(1945年9月-)、東京鉄道局長(1946年3月-)を歴任。その後、1948年4月に運輸次官に就任。

翌1949年6月1日、日本国有鉄道(国鉄)が発足して初代総裁に就任した。初代総裁には、参議院議員で近畿日本鉄道社長だった村上義一や元阪急電鉄社長の小林一三らの候補が挙がったが、結局内部からの起用となった。

7月1日には、国鉄発足前日に成立した行政機関職員定員法に基づき、空前絶後の職員約10万人の解雇を決定、同4日には組合側に、第一次整理の3万700人を通告した。

しかし、翌5日に三越日本橋本店に入った後に消息を絶ち、捜索願いが出されたが6日未明に、東京都足立区の常磐線と東武伊勢崎線が交差する付近で、轢死体となって発見された。行方不明および死亡の理由は不明であり自殺説、他殺説両方が飛び交った。なお、下山の死を受けて副総裁の加賀山之雄が総裁代行に就任し、同年9月24日に正式に総裁となった。墓所は多磨霊園(21-1-16-6)

父は地方裁判所の所長を歴任した下山英五郎。兄英種は銀行員、弟常夫は東京市職員であった。

妻との間に4男あり。長男定彦は後に国鉄職員となり、子会社のアド・メディアセンターの社長になった。次男俊次は電源開発に入社し日本原子力発電の役員となった。三男健三は三菱電機の役員、四男博也は東京海上火災保険の役員となった。

小林桂樹 - 『 土曜ドラマ戦後史実録シリーズ 空白の900分 - 国鉄総裁怪死事件 -(前・後編)』(1980年 NHK )

^ 高校野球名門校シリーズ8『静岡高校野球部 誇り高き文武両道 Since1896』85ページ。

^ 高橋団吉『島秀雄の世界旅行』技術評論社(2009年)ISBN 9784774135694

^ “下山事件の現場(東京・足立)「黒い霧」今も晴れず”. 日本経済新聞 (2018年12月22日). 2020年7月4日閲覧。

^ 1916年(大正5年)の静中野球部には、当時2年の好投手下山の他、キャプテン田中三郎以下、山家亨、宮幡靖、守屋富次郎、下山の弟、常夫などが在籍(旧制中学は5年制)。下山は1917年(大正6年)2学期になる前に津中学に転校。『静中静高野球部史』 73,74ページ。 昭和39年発行。

^ 静岡中学34回同期に、作曲家の大木正夫、拓殖大学理事長狩野敏、後の陸上幕僚監部衛生監で陸将の金原節三、慶應義塾大学経済学部長を務めた寺尾琢磨ら

国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ) - 下山から見て次代の国鉄総裁である加賀山之雄は球団創設時に、「鉄道マンは鉄道自殺をしない」という験(げん)によって下山定則の他殺説を報じた読売主導のセ・リーグへの加盟申請をさせている。

下山定則 とは - コトバンク

歴史が眠る多磨霊園 下山定則

下山定則1949年6月1日-1949年7月6日

加賀山之雄1949年9月24日-1951年8月24日

長崎惣之助1951年8月25日-1955年5月13日

十河信二1955年5月14日-1963年5月19日

石田禮助1963年5月20日-1969年5月26日

磯崎叡1969年5月27日-1973年9月21日

藤井松太郎1973年9月22日-1976年3月5日

高木文雄1976年3月6日-1983年12月1日

仁杉巌1983年12月2日-1985年6月24日

杉浦喬也1985年6月25日-1987年3月31日

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ISNI

VIAF

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アメリカ

日本

日本の鉄道官僚

日本国有鉄道総裁

運輸事務次官

鉄道事故死した人物

多磨霊園に埋葬されている人物

旧制第三高等学校出身の人物

三重県立津高等学校出身の人物

静岡県立静岡高等学校出身の人物

東京大学出身の人物

神戸市出身の人物

1901年生

1949年没

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2024/09/23 05:57更新

shimoyama sadanori


下山定則と同じ誕生日7月23日生まれ、同じ兵庫出身の人

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