中島らもの情報(なかじまらも) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
中島 らもさんについて調べます
■名前・氏名 |
中島らもと関係のある人
生田朗子: 中島らも 松永玲子: AGAPEstore「超老伝2000」(作:中島らも/演出:G2) 野田晋市: こどもの一生(リリパットアーミーII)作 中島らも、演出 わかぎゑふ 中野裕之: まもなく制作に転じ、『どんぶり5656』や『AV GARDEN』など、主に深夜番組で宮沢章夫、中島らも、竹中直人らと共に多くのコントを制作。 藤谷文子: ロサンゼルスと日本に拠点を構えて活動しており、宇宙作家クラブ会員で、中島らもが晩年に率いたバンドの1つ"FATHER'S GIRLS"のメンバーでもある。 金剛寺美樹: 金曜エンタテイメント 父の日SP「中島らもの変なお父さん」(フジテレビ、1995年6月16日放送) 佐々木蔵之介: 中島らも事務所プロデュース「一郎ちゃんがいく。 船原長生: 後にコピーライターとなった中島らも、フランス文学者・作家・翻訳家となった鈴木創士とは三ノ宮で知り合い、ラジオ・パーソナリティとなった谷五郎とは同級生であった。 チチ松村: 中島らもと大変気が合い、中島の生前は、「らもチチ」というユニット名で、共同執筆や、ラジオ・テレビなどに出演をしていた。 わかぎえふ: 高校卒業後、演劇に関心を持ちつつアルバイトやOLなど職業を転々とするが、その過程で後に座長で作家となる、コピーライターの中島らもと知り合い、「中島らも事務所」の秘書になる。 牧野エミ: 中島らもの現代キィワード辞典 林美穂: 中島らもの少女肉地獄(1991年11月20日) モブ・ノリオ: 「中島らもが生きていたなら、山口冨士夫の死と、今もどのように向き合い続けているのだろうか」(特集 中島らも 没後10年 リターン・オブ・らも)」『すばる』2014年8月号 松永玲子: AGAPE store第一回公演「超老伝」(作:中島らも/演出:G2) 村橋ステム: モノマネのレパートリーは中島らも、ビートたけし、大槻ケンヂ、稲川淳二、所ジョージ、カンパニー松尾、井上陽水、峯田和伸 など。 野田晋市: 天外綺譚 -セイントイーブル-(リリパットアーミーII)作 中島らも、演出 わかぎゑふ 桂吉朝: 落語だけにとどまらず中島らもの劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」の役者としても活躍したほか、阪本順治監督の映画『王手』(1991年)に将棋の師匠役で出演もした。 藤谷文子: 中島らもの誰に言うでもない、さようなら (It's Only a Talkshow 3) (2005年3月、メディアファクトリー) 松尾貴史: 超老伝(1998年) AGAPE store公演 作/中島らも 演出/ G2 出演/山西惇、松永玲子 モブ・ノリオ: 中島らも著『頭の中がカユいんだ』(集英社文庫、2008)解説 吉田鋼太郎: こどもの一生(2012年、作:中島らも、演出:G2) 小沢真珠: 1998年に中島らもの『こどもの一生』で舞台へ進出した。 植本純米: お正月(中島らも事務所) いしいしんじ: 『その辺の問題』中島らも共著 メディアファクトリー 1998 のち角川文庫 松尾貴史: 1986年、中島らも主宰の劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」の旗揚げに参加し、約4年間在籍。 野田晋市: 白いメリーさん〜人体模型の夜(リリパットアーミーII)原作 中島らも、脚本 山内圭哉、演出 わかぎゑふ 田原加奈子: 金曜エンタテイメント 父の日スペシャル 中島らもの変なお父さん「お父さんのロックンロール」(1995年6月16日、フジテレビ) 斉藤壮馬: 好きな作家の名前として、舞城王太郎、中島らも、筒井康隆などの名前を挙げている。 ひさうちみちお: しりとり対談 (中島らも、ひさうちみちお 講談社 1997年5月) 千田訓子: 秘天閣(リリパットアーミーII)作 中島らも、演出 わかぎゑふ |
中島らもの情報まとめ
中島 らも(なかじま らも)さんの誕生日は1952年4月3日です。兵庫出身の作家のようです。
映画、兄弟、父親、母親、趣味、卒業、結婚、家族、テレビ、退社、病気、ドラマ、事故に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2004年に亡くなられているようです。
中島らものプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)中島 らも(なかじま らも、1952年〈昭和27年〉4月3日 - 2004年〈平成16年〉7月26日)は、日本の小説家、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン。 本名:中島 裕之(なかじま ゆうし)。ペンネームの由来は、無声映画時代の剣戟俳優、羅門光三郎から。活動当初は「羅門」「Ramon」「らもん」等のペンネームで雑誌に詩の投稿をしており、仲間内でも「らもん」を名乗っていたが「読者に名前を覚えてもらいやすいように」と1982年に「らも」に改名した。本項では名の表記を、原則として「らも」で統一する。 兵庫県尼崎市出身。広告代理店社員のコピーライターとしてキャリアをスタートさせ、劇団・笑殺軍団リリパットアーミーを主宰し、俳優としても活動したほか、自主的団体「全国まずいもの連盟」会長を自称した。 一男一女の父で、長女は作家の中島さなえ。 兵庫県尼崎市の立花駅近くで、2人兄弟の次男として生を受ける。後にらもは「躁鬱病は父親から、アル中は伯父から受け継いだ」と語っている。父親は開業歯科医をしていた。後のらもと同じく、父親も躁鬱病を患っていたといい、それに起因すると思われる奇行を度々繰り返していた(小学生だったらもに突然「裕ちゃん、今日は太陽が西から昇る」と言い出しそのまま入院する、自宅の庭にローラースケート場やプールを突発的に自作する、大量の砂糖を備蓄する、弓を始める、突然、宗派を変えるなど)。また伯父(父の実兄)は酒販店を経営していたが失敗して「浮浪者同然」になり、泥酔して中島家に金の無心に来て断られては玄関先で暴れていたという。 尼崎市立七松小学校に入学。10歳の時、母親の勧めで神戸市立本山第一小学校に転入。スポーツ嫌いで、友人の野球の誘いを断って偉人伝を読むような子供だったという。また、将来は漫画家になりたいと思っていた。成長につれ、貸本を通じ、白土三平などの漫画や、山田風太郎などの小説に親しむ。 灘中学校に、約150人の入学者中8位の成績で合格。しかし、ある教師の一言から、自分を取り巻いている環境に幻滅し、「親や教師に言われるままの勉強ロボット」になっていたことに気付いたらもは、灘校在学中に、以下の趣味に没頭した。 ギター演奏およびバンド活動 漫画投稿 深夜ラジオ B級映画 自慰 本の窃盗 そして、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』や、ヒッピームーブメントに衝撃を受け、酒、たばこ、そして薬物にも手を出し始める。これらの「悪さ」のために、成績が急降下。授業もテストも受けずに「番外地」で灘校を卒業することになった。 神戸YMCA予備校の受講生となるも、同校に顔を出したのは数回で、同校が所在する三宮のパチンコ店やジャズ喫茶へと足繁く通うようになり、ジャズ喫茶にたむろする「フーテン」と共にアルコール、有機溶剤、鎮静薬・睡眠薬、大麻に耽溺。文学論、思想について雑談するなどして過ごす。らもはこの頃のことを、「ずいぶんいろんな面白い体験をしてるはずなのだが」、将来に対する不安から「あまり覚えていない」「あまりに憂うつだったので、無意識に記憶を消し去ろうとしている」と述べている。 1年間のフーテン生活の後、らもはフーテン友達による大阪芸術大学芸術学部放送学科の受験に同行し、合格。同校への入学を決める。授業にあまり出なかったため、友人はほとんどおらず、何もせず芝生に寝転がり、トンビをながめたり、構内に迷い込んできた犬の世話をしたりするなどして時間を潰していたという。この頃から急に饒舌になったかと思うと、翌日には寡黙になる、といった不安定さを見せたという。大学時代は高校在籍時から伸ばした髪が、腰まで届くほどの長髪になる。1975年に大学を卒業。卒業論文のテーマは「放送倫理規定」であった。 この間の1970年、神戸山手女子短期大学の学生だった(のち、学校図書館の司書となる)長谷部美代子と、三宮のジャズ喫茶「バンビ」で知り合い、4年間の交際の末、1975年に結婚。2LDKのアパートで新婚生活をスタートさせた。 らもは学生と主夫の兼業をこなしていたが、妻の妊娠のため、就職の必要が生じた。しかし、らもは大学卒業間際になっても就職活動をしておらず、慌しくなる周囲を傍観しているだけであり、見かねた公認会計士の叔父の紹介により、1976年4月、印刷会社の株式会社大津屋にコネ就職。同社で5年間勤める。 大津屋入社後、数ヶ月で仕事のシステムを覚え、広告の制作・営業を担当。新規開拓の飛び込み営業、受発注、校正、見積もり、不渡り手形の回収、差し押さえ、印刷ミスによる謝罪と何でもこなした。受け持った得意先は建築会社やボイラー会社などであった。酒が強かったらもは、親の跡目を継いだ二代目社長に新地やミナミにお供として連れられ、日付が変わってからの帰宅がほとんどであった。酒の席で社長が得意先の社員の頭を太鼓に見立てて叩いたのを見たらもは、「あんな奴でも社長になれるんや」と妻にボヤいたという。 1980年(当時28才)のある日、会社で上司が経理の女子社員ににぎりっ屁を嗅がせ、泣かせたのを見て「この会社は長くない」と感じたらもは、取引先の社員と一緒に雑誌『宣伝会議』主催のコピーライター養成講座に通い、藤島克彦、林均らに師事。半年の受講で「一等賞」を8回受賞し、賞状と「ミッキーマウスの時計」をもらって講座を修了した。 この間、1976年4月に長男が誕生。1978年に長女を授かる。「食うに困らないように」との願いを込め、息子には「穂」、娘には「苗」の字を含めた。 大津屋時代の1977年(当時25才)、宝塚市に月2万7千円の30年ローンで一戸建ての邸宅を購入している。 1980年5月、「フリーのコピーライターで食っていく覚悟をきめ」大津屋を退職。その後、この宝塚の自宅は、「中島が暇らしい」と押しかけた友人知人の他に、「自称ミュージシャン、パンクス、スキゾ、フーテン、ジャンキー、山師、グルーピー、不良外国人」のたまり場となり、学生時代の薬物遊びが再燃。知り合いの医師から処方箋を入手してハイミナールを集めたり、酒やコデインを飲んでヨタ話をしギターを弾いたり、夫婦で居候達と性交渉をしたりして過ごすうちに、この家は外国人バックパッカーらの間で「ドラッグが回ってくる家」として口コミで広がるなどし、やがて「ヘルハウス」と呼ばれる。ただ、この頃のらもはマリファナなどの違法薬物の持ち込みには厳しく、持ち込んだ者に対して「家族を巻き込むな!」と叱責してもいる。 「ヘルハウス」の1ヶ月の累計宿泊者は、100人を超えた時もあり、汲み取り式便所の汲み取り口から排泄物が溢れそうになったという。このほか、顔にドーランを塗って夜の道路を徘徊したとか、猫に睡眠薬を飲ませたら翌朝、飼っていたウサギが首だけになっていた、といったエピソードが残っている。このころの生活は、2000年に出版された自伝的な小説『バンド・オブ・ザ・ナイト』の元になった。 また、「パンクで一発、当てるつもりで」ロックバンド・PISSを結成。仲間からレコーディング費用を集めるも、レコーディング直前に費用を女に騙し取られたため頓挫した。 1981年3月、らもは藤島克彦の紹介で広告代理店の株式会社日広エージェンシーに再就職。社長の宮前賢一は、藤島の関西学院大学時代の1年先輩に当たる人物で、卒業後も親交があった。宮前はらもの灘中高卒業という経歴に惹かれ、「カバン持ちにして連れ回したら優越感にひたれる」という理由で採用を決めた。 日広エージェンシーはその年に設立されたばかりで、宮前をふくめ、経理の女性とらもの3人しかいない会社であった。宮前はらもをほぼ毎日、夜の繁華街に連れ出して飲み歩かせ、業務に関しては「なんぼ失敗してもええぞ。全部責任はわしがとったる」と告げ、放任した。らもはそんな宮前から「仁義の切り方」を学んだという。らもは当初、得意先を回る営業を担当したが、やがて自発的に広告・テレビCM・新製品の制作企画を兼務するようになり、のちに「企画課長」の肩書を与えられた。 あまりにも仕事が暇だった(自分で営業をかけない限り仕事がなかった)ため、電柱から次の電柱まで歩く気力が無くなり「これはうつ病だ」と直感、最寄の精神科に飛び込み、渋る医師を説得してリタリンを処方してもらうことで一旦寛解したものの、依存を断ち切るために断薬し、症状を再発させているまた、在籍末期には離人症気味になり、東京・月島にあった支所(アパートの一室)にこもって仕事をおこなった。 灘高校時代の同級生、村上健が常務を務めていた(のちに代表取締役社長)、かねてつ食品(のちのカネテツデリカフーズ)をスポンサーに1982年、雑誌『宝島』に同社の広告シリーズとして『啓蒙かまぼこ新聞』を企画・制作。広告に不信感を持つ層をあえてターゲットとして、広告の構成としては異例だった投稿コーナーと漫画を通じ、スポンサー企業と読者=消費者が一緒になって広告上で遊ぶことを通じて、消費者に商品に対する関心を持たせるという独特の方法で、翌1983年開始の同社の広告シリーズ『微笑家族』(『プレイガイドジャーナル』→『ぴあ』掲載)とともに、注目を浴びる。らもは『啓蒙かまぼこ新聞』でTCC準新人賞を受賞した。 同年、テレビのあまりの下らなさに激怒したらもは、広告・CMのプレゼンとして書き溜めていた台本を「成仏させるため」にコント用に書き直した。このコント原稿はテレビ番組『どんぶり5656』として結実した。 1984年から朝日新聞大阪本社版日曜版「若い広場」で、独特のユーモアを交えた人生相談コーナー『明るい悩み相談室』連載が始まる。 1986年6月には、知人の関係する舞台のあまりの下らなさに激怒して、「笑殺軍団リリパットアーミー」を、キッチュ(現・松尾貴史)、鮫肌文殊、若木え芙(現・わかぎゑふ)、ガンジー石原、ひさうちみちお、桂吉朝らと結成、脚本執筆のほか、自ら出演もこなした。 1987年、らもは宮前に独立を申し出て、快諾を受け、日広エージェンシーを退社(宮前の回想では、宮前の側から独立を促したとしている)。同年7月、「有限会社中島らも事務所」を設立し作家活動を本格化させる。宝塚の自宅には全く帰らなくなり、事務所で寝泊りするようになる。戯曲、エッセイ、小説、新作落語、バラエティ番組の脚本やコントなどを、多数執筆する。その「ひねくれたユーモア感覚」で、「関西独特のおかしさ」や「市井の奇人や奇現象」などを描き、多くの読者、ファンを獲得。元来、責任感が強い上に営業マン時代のクセで依頼された仕事を片っ端から引き受けていたらもは「仕事を断る仕事」として女性を電話番に雇う。 多忙な人気作家となるも、飲酒や薬物の摂取がもたらす酩酊から着想を得ていたらもは、やがて連続飲酒を繰り返すようになる。アルコール依存を自覚していたらもは極度の疲労感、食欲の減退、体重減少、嘔吐、失禁、異常な尿の色、黄疸を自覚するようになり、1988年秋、アルコール性肝炎と診断され、大阪府池田市内の病院に50日間入院。後にこの体験を基に、小説『今夜、すべてのバーで』を書いている。 1991年、単行本版『微笑家族』のあとがきにおいて「広告屋としての自分は、正直に言ってあまりモノにならなかった」「雑文や脚本、小説、落語などを書いて口を糊しているが(略)広告屋の看板が降ろせない。が、これは考えてみればどちらのフィールドの人にとっても気分の悪いことだろう」として、「コピーライターの看板を降ろす」と表明した。同文章では、「僕は広告を信じない。信じない人間に広告が作れるわけはない」ともしている。 1994年(当時42才)、かつて頓挫したPISSを再結成し、ボーカルとギターを担当。2003年に結成された「らも& MOTHER'S BOYS」ではボーカルとサイドギターを担当するなど、音楽のジャンルでも活動の場を広げる。その一方、リリパットアーミーを2001年に「あほらしくなって」退団している。 『バンド・オブ・ザ・ナイト』上梓後の一時期、処方されていた薬の副作用のため目のかすみがひどくなり、自分で文字を書き、原稿を読み返すことに支障をきたすようになったため、妻の手を借り、口述筆記で執筆をおこなった。のちに、らもの処方箋を見た歯科医の実兄が副作用が激し過ぎると教え、減薬を行い、本が読めるまで回復。また、持病の躁鬱病に加え、ナルコレプシーを発症。これらの症状のため、時間概念の喪失、運動障害、躁状態がもたらす万能感からくる支離滅裂の言動がたびたび見られた。減薬と入院治療により、ある程度の回復を繰り返すも、飲酒は続けていた。 2003年2月に「オランダで尻から煙が出るほど大麻を吸ってきた」と大阪のラジオ番組で公言。この数日後、2月4日に麻薬及び向精神薬取締法違反、大麻取締法違反で逮捕。この時の家宅捜索で、大麻のほか、冷蔵庫から干からびたマジックマッシュルームが見つかる。大阪地方裁判所での初公判では弁護士から自重するよう求められていたにも関わらず持論の「大麻開放論」を展開。同年5月26日に懲役10ヶ月、執行猶予3年の判決を受ける。同年の夏、自らの獄中体験をつづったエッセイ『牢屋でやせるダイエット』を出版、手錠姿でサイン会を開くなど精力的に活動を再開した。 2004年7月15日、神戸市内で行われた三上寛、あふりらんぽのライブに飛び入り参加。終演後に三上寛と酒を酌み交わし別れた後、翌16日未明、飲食店の階段から転落して全身と頭部を強打。脳挫傷による外傷性脳内血腫のため神戸市内の病院に入院、15時間に及ぶ手術を行うも、脳への重篤なダメージにより深刻な状態が続き、自発呼吸さえ出来ない状態に陥る。 入院時から意識が戻ることはなく、事前の本人の希望に基づき、人工呼吸器を停止。同月26日8時16分死去。52歳没。 故人の生前の希望で葬式は身内と近親者のみで密葬として行われた。遺骨は妻の手で散骨され、墓は建てていない。同年12月に中島らも事務所は閉所。 親交のあった人物らによる追悼イベントがたびたび行われている(後述)。 敬愛する作家について、バロウズ、セリーヌ、ヘンリー・ミラー、山田風太郎、野坂昭如、東海林さだおなどを挙げている。一番好きな作家はマンディアルグだという。 かねてつ食品→カネテツデリカフーズ
「父の日」全面広告 - 神戸新聞広告賞受賞 かねてつ食品→カネテツデリカフーズ
『微笑家族』(プレイガイドジャーナル) かねてつ食品→カネテツデリカフーズ
はも板 クラブスティック ほたて風味フライ 樋屋製薬
大島屋
宇治霊園 東宝東和
尼崎市
どんぶり5656(読売テレビ) 『全ての聖夜の鎖』(自費出版 1979年)※「らもん」名義
『啓蒙かまぼこ新聞』(ビレッジプレス 1987年12月)『定本 啓蒙かまぼこ新聞』(新潮文庫 2008年8月) 『微笑家族』(ビレッジプレス 1991年8月) 『ネリモノ広告大全 ちくわ編』(双葉文庫 1996年7月 ISBN 4-575-71073-3) 『ネリモノ広告大全 ごぼてん編』(双葉文庫 1996年7月 ISBN 4-575-71074-1) 『株式会社日広エージェンシー企画課長中島裕之』(双葉社 2005年7月 ISBN 4575298247) 『舌先の格闘技 必殺へらず口大研究』(アニマ2001 1986年7月)
『中島らものたまらん人々』(サンマーク出版 1987年8月)
双葉文庫 1995年11月 ISBN 4575710652 講談社文庫 2009年4月 ISBN 4062763338 『恋は底ぢから』(宝島社 1987年10月)
『獏の食べのこし』(宝島社 1989年3月)
『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』(PHP研究所 1989年6月)
『変!!』(双葉社 1989年11月)
『ビジネス・ナンセンス事典』(メディアファクトリー 1990年4月)
『しりとりえっせい』(講談社 1990年12月)
『とほほのほ』(双葉社 1991年2月)
『こらっ』(広済堂出版 1991年4月)
『西方冗土 カンサイ帝国の栄光と衰退』(飛鳥新社 1991年7月)
『愛をひっかけるための釘』(淡交社 1992年5月)
『僕にはわからない』(白夜書房 1992年12月)
『空からぎろちん』(双葉社 1995年2月)
『アマニタ・パンセリナ』(集英社 1995年12月)
『固いおとうふ』(双葉社 1997年7月)
『エキゾティカ』(双葉社 1998年5月)
『さかだち日記』(講談社 1999年4月)
『砂をつかんで立ち上がれ』(集英社 1999年11月 ISBN 4087744299)
『とらちゃん的日常』(文藝春秋 2001年10月)
『世界で一番美しい病気』(角川春樹事務所 2002年6月 ISBN 4894561239) 『心が雨漏りする日には』(青春出版社 2002年10月)
『牢屋でやせるダイエット』(青春出版社 2003年7月)
『休みの国』(講談社 2003年9月 ISBN 4062117398)
『ロバに耳打ち』(双葉社 2003年10月)
『異人伝 中島らものやり口』(KKベストセラーズ 2004年6月 ISBN 4584187932)
『人生のエッセイ 中島らも その日の天使』(日本図書センター 2010年6月 ISBN 4284700391) 『頭の中がカユいんだ』(大阪書籍 1986年2月)
双葉文庫 1995年11月 ISBN 4575710679 集英社文庫 2008年1月 ISBN 4087462609 『中島らものぷるぷる・ぴいぷる 異能作品集』(白水社 1988年12月 ISBN 4560049084)
『お父さんのバックドロップ』(学習研究社 1989年12月)
『超老伝-カポエラをする人』(角川書店 1990年8月)
『今夜、すべてのバーで』(講談社 1991年3月)第13回吉川英治文学新人賞、第10回日本冒険小説協会大賞特別大賞受賞
『人体模型の夜』(集英社 1991年11月)
『ガダラの豚』(実業之日本社 1993年3月)第47回日本推理作家協会賞受賞
文庫版2 (集英社文庫 1996年5月 ISBN 4-08-748481-5) 文庫版3 (集英社文庫 1996年5月 ISBN 4-08-748482-3) 『白いメリーさん』(講談社 1994年8月)
『永遠(とわ)も半ばを過ぎて』(文藝春秋 1994年9月)
『水に似た感情』(集英社 1996年9月)
『寝ずの番』(講談社 1998年10月)
『バンド・オブ・ザ・ナイト』(講談社 2000年5月)
『空のオルゴール』(新潮社 2002年4月 ISBN 4104531014)
『こどもの一生』(集英社 2003年12月 ISBN 408774678X)
『酒気帯び車椅子』(集英社 2004年12月 ISBN 4087747352)
『ロカ』(実業之日本社 2005年4月 ISBN 4408534706)
『君はフィクション』(集英社 2006年7月 ISBN 978-4087748192)
『X線の午後』(ENBU研究所 2001年8月 ISBN 4-89987-059-0) 『中島らも戯曲選 1 こどもの一生/ベイビーさん』(論創社 2011年11月 ISBN 4846009769) 『らも咄』(角川書店 1991年12月)
『らも咄2』(角川書店 1993年5月 ISBN 4048727427)
共著者は括弧内。 『訊く』(講談社 1996年4月)
『逢う』(講談社 1996年9月)
『イッツ・オンリー・ア・トークショー』(鮫肌文殊、メディアファクトリー 2003年3月 ISBN 4840107572) 『It's Only a Talkshow 2 ひそひそくすくす大爆笑』(鮫肌文殊、メディアファクトリー 2004年2月 ISBN 4840110425) 『なれずもの』(イースト・プレス 2004年10月 ISBN 4-87257-480-X)
『It's Only a Talkshow 3 中島らもの誰に言うでもない、さようなら』(鮫肌文殊、メディアファクトリー 2005年3月) 『中島らもの明るい悩み相談室』(朝日新聞社 1987年1月)
『中島らものもっと明るい悩み相談室』(朝日新聞社 1988年12月)
『中島らものさらに明るい悩み相談室』(朝日新聞社 1990年9月)
『中島らものますます明るい悩み相談室』(朝日新聞社 1991年10月)
『中島らものばしっと明るい悩み相談室』(朝日新聞社 1992年10月)
『中島らものつくづく明るい悩み相談室』(朝日新聞社 1994年1月)
『中島らものやっぱり明るい悩み相談室』(朝日新聞社 1995年6月)
『中島らもの特選明るい悩み相談室 その1・ニッポンの家庭篇』(集英社文庫 2002年8月 ISBN 4-08-747475-5) 『中島らもの特選明るい悩み相談室 その2・ニッポンの常識篇』(集英社文庫 2002年9月 ISBN 4-08-747493-3) 『中島らもの特選明るい悩み相談室 その3・ニッポンの未来篇』(集英社文庫 2002年11月 ISBN 4-08-747516-6) 『中島らもの置き土産 明るい悩み相談室』(朝日文庫 2013年7月 ISBN 4-08-747475-5) 『あの娘は石ころ』(双葉社 1999年6月)
『何がおかしい 笑いの評論とコント・対談集』(白夜書房 2006年8月 ISBN 978-4861911866) 『ポケットが一杯だった頃 単行本未収録原稿〈エッセイ、対談集〉』(白夜書房 2007年7月 ISBN 978-4-86191-287-0)
輝きの一瞬 短くて心に残る30編(講談社文庫、ISBN 4062639688) - 『ココナッツ・クラッシュ』を収録。 『日本の名随筆 別巻78 毒薬』(作品社、ISBN 4878936584) - 自著の『哀しみの鋳型』の他、25人の随筆を収録。 Lie lie Lie(1997年、東映、原作「永遠も半ばを過ぎて」) お父さんのバックドロップ(2004年、シネカノン) 寝ずの番(2006年、角川映画) 真・中島らも劇場 掌(1996年、毎日放送、原作「人体模型の夜」) 世にも奇妙な物語 春の特別編「日の出通り商店街いきいきデー」(2008年4月、フジテレビ) ガダラの豚(2000年、双葉社、阿萬和俊・画、1巻:ISBN 978-4-575-82512-1、2巻:ISBN 978-4-575-82527-5、3巻:ISBN 978-4-575-82538-1) なにわのアホぢから(関西人撲滅協会編集、ひさうちみちお・鮫肌文殊、講談社 1986年3月 ISBN 978-4-06-192052-1)
講談社文庫 1995年5月 ISBN 406185951X 大阪呑気大事典(大阪オールスターズ編、チャンネルゼロ編集、JICC出版局 1988年8月) じんかくのふいっち(わかぎえふ、マガジンハウス 1992年9月)
流星シャンハイ(糸川燿史、双葉社 1994年12月 ISBN 4575283983) じんかくのふいっち2(わかぎえふ、マガジンハウス 1996年1月)
リリパット・アーミー(わかぎえふ、角川書店 1995年12月)
リリパット・アーミー ばらし篇(角川文庫 1999年1月 ISBN 4041863058) しりとり対談(ひさうちみちお、講談社文庫 1997年5月 ISBN 4062635208) その辺の問題(いしいしんじ、1998年2月 メディアファクトリー)
新潮文庫 2013年9月 ISBN 410106931X 名作コミックを読む(他25名、小学館 1998年7月 ISBN 409179811X) 夢見るごもくごはん(中島らも事務所編、チチ松村・ひさうちみちお他、双葉社 1999年6月 ISBN 4575289752) クマと闘ったヒト(ミスター・ヒト、メディアファクトリー 2000年8月 ISBN 4840100934) らもチチ わたしの半生青春篇(チチ松村、講談社 2001年12月)
らもチチ わたしの半生中年篇(チチ松村、講談社 2002年2月)
せんべろ探偵が行く(小堀純、文藝春秋 2003年10月 ISBN 4163595007)
らも・チチ 関西文化夜話(NHK大阪) ドラマ愛の詩「浪花少年探偵団」(NHK教育・NHK大阪制作) 連続テレビ小説「オードリー」(NHK大阪) ETV2001シリーズ 逆境からの脱出「酒に呑まれた日々 中島らものアルコール格闘記」(NHK教育) 世界わが心の旅「メキシコ・グアテマラの旅 中島らも」(NHK-BS2) ETV特集「マンガが時代を映してきた 60年代から90年代へ」 第1回 カウンター・カルチャーの旗手たち 「カムイ伝」の衝撃(NHK教育) イカにもスミにも(毎日放送) ジパング通信(朝日放送) - チチ松村(ゴンチチ)と共演 探偵!ナイトスクープ(朝日放送) - 特別顧問として数回ゲスト出演 どんぶり5656(読売テレビ) なげやり倶楽部(読売テレビ) - 司会、コント出演 最後の晩餐(読売テレビ) タモリ倶楽部(テレビ朝日) 爆笑問題のススメ(札幌テレビ) 誠のサイキック青年団(ABCラジオ) - ゲスト出演 すみからすみまで愛なのね(MBSラジオ) 中島らもの月光通信(1984年 - 1988年、エフエム大阪) SOUND LINE ラジウム音線(エフエム大阪) 中島らも事務所プロデュース・眠れるラジオ(1992年 - 1993年、エフエム大阪) らもチチ魔界ツアーズ(1997年 - 2000年、JFNC・JFN系列) らもチチ魔界クルーズ(2000年 - 不明、USENブロードネットワークス) 星くず兄弟の伝説(1985年、シネセゾン) - チンピラ役 SF サムライ・フィクション(1998年、シネカノン) - 木村伝兵衛 役 龍王 獣たちの掟(2002年)※特別出演 お父さんのバックドロップ(2004年、シネカノン) - 散髪屋 役 1997年
4月25日:「春一番」 5月3日:「春一番」 10月9日:「PISS」&「JIZZ MONKS」 1999年
12月31日:カウントダウン 2000年
6月3日:サナエProdused「Flying Tackle!!」PISS出演 11月6日、10日:CD「PISS FACTORY」発売記念ライブ 2002年
5月5日:「春一番2002」 5月18日:電車 8月3日:MOTHER'S BOYS、大阪・ハードレインにて初ライヴ 10月8日:“らも meet THE ROCKER”(全4回)
10月16日:「伝説とピック」怒濤のギターライブ 2003年
8月27日:大槻ケンヂLIVE『プライベート・アンプラグド』 10月4日:BONE IDOL発売記念『空が落ちる日』〜おまえらをすすってやる〜 PISS(山内圭哉、前田一知、吉村久一、コング桑田、樋野展子) MOTHER'S BOYS(元木正実、福井敏、岡部亘、岩井実利) FATHER'S GIRLS(中島さなえ、藤谷文子、行岡久恵、天辰葉菜絵) 中島らも烈伝(鈴木創士、河出書房新社 2005年1月 ISBN 978-4-309-01688-7) - 著者はフランス文学者、翻訳家。らもとは学生時代からの友人で、らもの著作に「エス」「鈴木」「sou」という名で登場している。 KAWADE夢ムック 別冊文藝 中島らも(河出書房新社 2005年2月 ISBN 978-4309976914) 中島らも Rockin' Forever(白夜書房 2005年10月 ISBN 978-4-86191-038-8) らも 中島らもとの三十五年(中島美代子、集英社 2007年7月 ISBN 978-4-08-775381-3)- 中島らもと連れ添った未亡人の回想録。 ユリイカ 中島らもについて(青土社 2008年2月) らぶれたあ オレと中島らもの6945日 鮫肌文殊 講談社 2016年11月23日 ISBN 978-4062203609 他に、蒼井上鷹の長編ミステリ『出られない五人』(2006年祥伝社)は、中島をモデルとした物故作家の強い影響下で登場人物が動く密室劇となっており、全篇にわたってオマージュが捧げられている。この作家本人はプロローグにしか登場しないが、架空の作品がたびたび引用される。 2004年
10月14日:中島らも追悼ライブ 「うたっておどってさわいでくれ〜RAMO REAL PARTY〜」 中島らも没後15周年ライブ「うたっておどってさわいでくれ」 ^ 『あの娘は石ころ』(双葉文庫)p.108では1975年としている。 ^ 大日本除虫菊の殺虫剤「キンチョール」のキャッチコピー「トンデレラ・シンデレラ」などで知られる電通大阪支社所属のコピーライター。1985年の日本航空123便墜落事故で死去。 ^ 大津屋はらもの退社後約1年で倒産したという。 ^ 『株式会社日広エージェンシー企画課長中島裕之』には、味の異なるディップを穴に注入して噛むチューイングガム「ティップ・リップ」(pp.49-54)や、風呂に浮かべて湯沸かしアラームとして使えるビニール風船の人形「おふろワラシ君」(p.6)などの、日広で保存されていた企画書原稿が掲載されているが、宮前によればいずれも採用に至らなかった。 ^ 2007年、厚生労働省は、うつ病の治療薬からリタリンを除外している。 ^ 妻の証言によれば、本人は生前から「俺は階段から落ちて死ぬ」「植物状態になったら、すぐに殺してほしい」と語っていたという。 ^ なお、らもは生前、「遠からず死ぬな、と思っていた。それも、ラリって階段から転げ落ちるか何か」と書いている。 ^ 中島 らも コトバンク - 典拠は小学館『デジタル大辞泉』、講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、小学館『日本大百科全書 ニッポニカ』。 ^ 中島 2007, pp. 252–267. ^ 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、114頁。 ^ 中島 2002, p. 140. ^ 中島らも 『逢う』 講談社〈講談社文庫〉、1999年8月、筒井康隆との対談より。 ^ 『とほほのほ』(双葉文庫)、東海林さだお『のほほん行進曲』(文春文庫)内の東海林とらもの対談など。美食を追求する風潮に抵抗し、飲食店として致命的な不味さの料理を愛でて批評する会。会員は発起人のらも本人のみであった。 ^ 中島 2007, pp. 18–19. ^ 中島 2007, pp. 54–55. ^ 中島 2007, pp. 48–51. ^ 中島 2007, p. 36. ^ 中島 1994, pp. 184. ^ 中島 1994, pp. 32–34. ^ 中島 1994, pp. 37–38. ^ 中島 2007, pp. 71–73. ^ 中島 1994, pp. 174–176. ^ 中島 1994, pp. 178–182. ^ 中島 2002, pp. 144–146. ^ 中島 2007, p. 46. ^ 中島 2007, p. 59. ^ 中島 1994, p. 41. ^ 中島 1994, p. 188. ^ 中島 2007, p. 43. ^ 中島 1999, pp. 134–148. ^ 中島 1999, pp. 16–26. ^ 中島 1999, pp. 149–161. ^ 中島 1994, p. 190. ^ 中島 1994, pp. 202–211. ^ 中島 1994, p. 214. ^ 中島 1994, p. 222. ^ 中島 1994, pp. 227–228. ^ 中島 2007, p. 99. ^ 中島 2005, pp. 4–5. ^ 中島 2007, pp. 103–105. ^ 中島 2002, pp. 134–137. ^ 中島 1999, pp. 220–223. ^ 中島 2007, p. 106. ^ 中島 2007, pp. 96–97. ^ 中島 1999, p. 23. ^ 中島 1999, pp. 37–38. ^ 中島美代子 『らも 中島らもとの三十五年』 集英社、2007年7月。 ^ TBSテレビ『人生情報バラエティ「R30」』(2008年2月放送分)より。 ^ 中島 2005, pp. 10–17. ^ 中島 2005, p. 146. ^ 中島 2005, pp. 22–27. ^ 中島 1999, pp. 27–29. ^ 中島 2007, pp. 152–153. ^ 中島らも 『啓蒙かまぼこ新聞』 ブレッジプレス版、p.74 ^ “通販生活®明るい悩み相談室 焼きじゃがみそ食べると死ぬ?”. 通販生活. 2023年8月24日閲覧。 ^ “通販生活®明るい悩み相談室 大の字で寝る力士は弱い?”. 通販生活. 2023年8月25日閲覧。 ^ 中島 2005, p. 53. ^ 中島 1994, pp. 86–94. ^ 中島らも 『微笑家族』 ビレッジプレス、1991年9月、180-181頁。 ^ 中島 2007, p. 141. ^ 中島 2007, p. 159. ^ 中島 1999, p. 40. ^ 中島らもさん死去 階段から転落、脳挫傷/復刻 ^ 中島 2007, p. 147. ^ 中島 2005, pp. 企画書、絵コンテおよび宮前賢一のインタビュー. ^ 中島らも - オリコンTV出演情報 中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』(増補版)朝日新聞社〈朝日文芸文庫〉、1994年7月。ISBN 4022640413。 中島らも『アマニタ・パンセリナ』集英社、1999年3月。ISBN 4087470253。 中島らも『あの娘は石ころ』双葉社〈双葉文庫〉、2002年4月。ISBN 4575712086。 中島らも『株式会社日広エージェンシー企画課長中島裕之』双葉社、2005年7月。ISBN 4575298247。 中島らも『異人伝』講談社〈講談社文庫〉、2007年6月。ISBN 9784062757621。 兵庫県出身の人物一覧 双極性障害 直木賞 - 候補になった『人体模型の夜』『ガダラの豚』『永遠も半ばを過ぎて』の3作で選外。作風が当時の選考委員の好みに合わなかったことが一因と言われ、らもは事務所の社員から「オッチー」というあだ名を授かった。 麻枝光一 - らもの大麻入手を幇助。ともに有罪判決を受ける。 シティボーイズ - コントを共同制作。 竹中直人 - コントを共同制作。 藤木直人 - 俳優、ミュージシャン。ライブでらもの曲「いいんだぜ」をカバー。オリジナルの歌詞が過激なため、一部改変している。 町田康 - 作家。ライブで共演。のちにアルバムでらもの曲「kyoko」をカバーしたほか、追悼ライブにも出演。 山口冨士夫 - ギタリスト。ライブで共演。 ラジカル・ガジベリビンバ・システム - コントを共同制作。 淡口憲治 - 元プロ野球選手。神戸市立本山第一小学校の同級生。運動音痴だったらもをフォローする役回りだった。 公式サイト 啓蒙かまぼこ新聞 医療大麻裁判 - らもの緑内障に対しての治療目的での大麻所持に関する裁判記録等 中島らも事務所ホームページ 中島らも事務所 (@RAMOoffice) - X(旧Twitter) 中島らも - NHK人物録 表 話 編 歴 第1回 加堂秀三『涸滝』/田中光二『黄金の罠』 第2回 栗本薫 『絃の聖域』/南原幹雄『闇と影の百年戦争』 第3回 澤田ふじ子『陸奥甲冑記』『寂野』 第4回 赤瀬川隼『球は転々宇宙間』/北方謙三『眠りなき夜』 第5回 連城三紀彦『宵待草夜情』/山口洋子『プライベート・ライブ』 第6回 船戸与一『山猫の夏』 第7回 高橋克彦『総門谷』 第8回 景山民夫『虎口からの脱出』 第9回 清水義範『国語入試問題必勝法』 第10回 椎名誠『犬の系譜』/岡嶋二人『99%の誘拐』 第11回 小杉健治『土俵を走る殺意』 第12回 大沢在昌『新宿鮫』/伊集院静『乳房』 第13回 中島らも『今夜、すべてのバーで』/宮部みゆき『本所深川ふしぎ草紙』 第14回 帚木蓬生『三たびの海峡』 第15回 東郷隆『大砲松』/薄井ゆうじ 『樹の上の草魚』 第16回 浅田次郎『地下鉄に乗って』/小嵐九八郎 『刑務所ものがたり』 第17回 真保裕一『ホワイトアウト』/鈴木光司『らせん』 第18回 服部真澄『鷲の驕り』/馳星周『不夜城』 第19回 花村萬月『皆月』 第20回 山本文緒『恋愛中毒』 第21回 宇江佐真理『深川恋物語』 第22回 野沢尚『深紅』 第23回 大崎善生『パイロットフィッシュ』 第24回 福井晴敏『終戦のローレライ』/諸田玲子『其の一日』 第25回 伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』/垣根涼介『ワイルド・ソウル』 第26回 恩田陸『夜のピクニック』/瀬尾まいこ『幸福な食卓』 第27回 今野敏『隠蔽捜査』 第28回 佐藤多佳子『一瞬の風になれ』 第29回 佐藤亜紀『ミノタウロス』 第30回 朝倉かすみ『田村はまだか』/柳広司『ジョーカー・ゲーム』 第31回 池井戸潤『鉄の骨』/冲方丁『天地明察』 第32回 辻村深月『ツナグ』 第33回 西村健『地の底のヤマ』 第34回 伊東潤『国を蹴った男』/月村了衛『機龍警察 暗黒市場』 第35回 和田竜『村上海賊の娘』 第36回 西條奈加『まるまるの毬』 第37回 薬丸岳『Aではない君と』 第38回 本城雅人『ミッドナイト・ジャーナル』/宮内悠介『彼女がエスパーだったころ』 第39回 佐藤究『Ank: a mirroring ape』 第40回 塩田武士『歪んだ波紋』/藤井太洋『ハロー・ワールド』 第41回 今村翔吾『八本目の槍』/呉勝浩『スワン』 第42回 加藤シゲアキ『オルタネート』/武田綾乃『愛されなくても別に』 第43回 小田雅久仁『残月記』/一穂ミチ『スモールワールズ』 第44回 蝉谷めぐ実『おんなの女房』 第45回 藤岡陽子『リラの花咲くけものみち』 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 20世紀日本の小説家 21世紀日本の小説家 20世紀日本の随筆家 21世紀日本の随筆家 20世紀日本の劇作家 21世紀日本の劇作家 日本のコピーライター 日本の放送作家 日本の男優 日本のタレント 日本のコラムニスト 日本の司会者 日本のラジオパーソナリティ 日本のロック・ミュージシャン 日本推理作家協会賞受賞者 落語作家 日本の男性著作家 学士号取得者 大阪芸術大学出身の人物 灘中学校・高等学校出身の人物 兵庫県出身の人物 転落死した人物 1952年生 2004年没 Pages using the JsonConfig extension 出典のページ番号が要望されている記事 正確性 2024/11/19 23:00更新
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nakajima ramo
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