甲斐正人: 1988年に松山善三と共にミュージカルショップを結成。
佐藤輝: 母 - 長男弘役 松山善三監督 (1988年)
乙羽信子: 父と子 続・名もなく貧しく美しく(1967年、松山善三監督)
ながやす巧: その人は昔(原作:松山善三、1970年 - 1971年、別冊少年ジャンプ、集英社)★
中平康: 昭和23年(1948年)、東京大学を中退し、川島雄三に憧れ松竹大船撮影所の戦後第1回助監督募集に応募、1500人中8人(鈴木清順、松山善三、斉藤武市、井上和男、生駒千里、今井雄五郎、有本正)の内に撰ばれ、松竹入社。
西郷四郎: 1962年(昭和37年)秋に公開された松山善三監督の『ぶらりぶらぶら物語』(東宝)に小林桂樹が尾道浄土寺道で荷車を押すシーンがあり、カメラが少し右に動いていたら西郷四郎記念碑が映っていた。
林光: 名もなく貧しく美しく(1960年、松山善三監督)
藤本真澄: 監督では堀川弘通、松林宗恵、松山善三、須川栄三、岩内克己ら。
沢井桂子: 同作は加山雄三の主演作であり、加山の歌う数々のヒット曲が全編を覆っているが、松山善三脚本による物語の実質的な主人公は、沢井の演ずるホテルのレストラン従業員である露木晶子であった。
木下惠介: このいわゆる「木下学校」からは小林正樹、川頭義郎、松山善三、勅使河原宏、吉田喜重、山田太一など、多数の映画人が巣立っていっている。
小林桂樹: 1960年に『黒い画集 あるサラリーマンの証言』、1961年には松山善三の監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』に主演し、喜劇のみならずシリアスなドラマでも活躍、特に『黒い画集 あるサラリーマンの証言』ではキネマ旬報男優賞、ブルーリボン大衆賞、毎日映画コンクール主演男優賞と、各映画賞を総なめにした。
伊藤実: 戦場にながれる歌(1965年 松山善三監督):正規兵
中村登: 鏡の中の裸像(原作:松山善三。
ながやす巧: 潮騒伝説(原作:松山善三、コミックトム、潮出版社)
赤羽末吉: これを契機に、主に名古屋西川流の舞踊劇(脚本は木下のほか、松山善三、北條秀司ら)10作で舞台美術を担当した。
蔵忠芳: 窓からコンチワ 1967年 脚本松山善三、主演大橋巨泉 ※TBS系
御木本伸介: ほかのレギュラー出演作に、松村達雄と沢村貞子演じる老夫婦の磊落な次男を明朗に演じた松山善三原作のホームドラマ『ひげとたんぽぽ』、坂口良子主演の『幸福ゆき』のヒロインの父親役などがある。
芳村伊十七: 1986年(昭和61年) 名古屋西川流「名古屋をどり」において松山善三とコンビを組み、新作舞踊劇の作曲を担当する(松山とのコンビは1997年(平成9年)までであったが、久満の作曲担当はその後も継続した)。
楠田浩之: 『山河あり』 : 監督松山善三、1962年
井上和男: 新藤兼人に師事し、その勧めで助監督試験を受け、12月に助監督となる(松山善三と同期)。
高峰秀子: 1955年(昭和30年)に松山善三と結婚し、麻布十番近くの瀟洒だが、大女優と呼ばれる人物の邸宅としては質素な家に住んでいた。
川頭義郎: ※川頭義郎と松山善三の共同シナリオ。
一の宮あつ子: 1955年(昭和30年)の東宝復帰後も『社長シリーズ』や『サザエさん』シリーズに常連出演したほか、堀川弘通監督の『裸の大将』、松山善三監督の『名もなく貧しく美しく』などの秀作にも出演場面は少ないが、食料品店のおかみや女中、母親役などで存在感を示した。
仁科貴: 1993年、『虹の橋』(松山善三監督)でエキストラとしてデビュー。
佐野浅夫: 中学校の同期生には松山善三がいる。
舟木一夫: これは作家松山善三の長編抒情詩を正味1時間すべて舟木の歌唱で埋めるという、前代未聞の作品であり舟木の歌唱力が最大限に発揮されている。
中村登: 結婚式・結婚式(原作:松山善三。
三上寛: 典子は、今(1981年、東宝 / 監督:松山善三) - 富永健一
桑野みゆき: 山河あり(1962年・松山善三監督) - ハワイロケ作品
片岡礼子: 虹の橋 (1993年) 監督:松山善三