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古井喜実の情報 (ふるいよしみ)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

古井喜実の情報(ふるいよしみ) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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古井 喜実さんについて調べます

■名前・氏名
古井 喜実
(読み:ふるい よしみ)
■職業
政治家
■古井喜実の誕生日・生年月日
1903年1月4日 (年齢1995年没)
卯年(うさぎ年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
鳥取出身

古井喜実と同じ1903年生まれの有名人・芸能人

古井喜実と同じ1月4日生まれの有名人・芸能人

古井喜実と同じ出身地鳥取県生まれの有名人・芸能人


古井喜実と関係のある人

三木武夫: 1960年(昭和35年)5月12日に国会の質疑に立った三木・松村派の古井喜実が、


臼井荘一: 当選同期には、福田赳夫・大平正芳・黒金泰美・内田常雄・植木庚子郎・丹羽喬四郎・灘尾弘吉・宇都宮徳馬・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実らがいる。


西尾優: しかし時を同じくして、鳥取県選出の古井喜実が次期総選挙で引退すると宣言したため、空いたポストをめぐって県議、市長、知事、副知事などの間でドミノ倒しのようなことが始まった。


宇都宮徳馬: 第二次世界大戦後、1952年の第25回衆議院議員総選挙に自由党公認で旧東京2区から出馬し、初当選した(当選同期に福田赳夫・大平正芳・黒金泰美・内田常雄・丹羽喬四郎・灘尾弘吉・植木庚子郎・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実など)。


川崎秀二: 保守合同による自由民主党結党後は、松村謙三・古井喜実らとともに日中国交回復への土台固めに務める傍ら、尾崎行雄記念財団理事長として1960年(昭和35年)に尾崎記念会館(後の憲政記念館の母体)を建設する。


岡崎嘉平太: 1968年以降は日中覚書貿易事務所代表として訪中を重ねながら、政界の古井喜実、田川誠一らとともに日中貿易冬の時代を乗り切り日中国交正常化に尽力する。


田川誠一: 親中派として知られ、日中国交回復前は松村謙三、古井喜実、川崎秀二らと共に両国のパイプ役を果たした。


入江俊郎: 『逐条市制町村制提義』古井喜実共著. 良書普及会, 1937


重政誠之: 1952年の第25回衆議院議員総選挙に自由党公認で旧広島3区から立候補し初当選、6期務める(当選同期に福田赳夫・大平正芳・黒金泰美・内田常雄・丹羽喬四郎・植木庚子郎・灘尾弘吉・宇都宮徳馬・加藤精三・山崎巌・今松治郎・町村金五・古井喜実など)。


高見三郎: 斎藤が知事に当選すると副知事に就任し1952年の第25回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる自由党公認で静岡1区から立候補し当選を果たす(当選同期に福田赳夫・植木庚子郎・黒金泰美・内田常雄・丹羽喬四郎・灘尾弘吉・宇都宮徳馬・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実など)。


平林鴻三: 1983年の第37回衆議院議員総選挙に古井喜実の後継者として鳥取県全県区(定数4)から自由民主党公認で立候補して当選。


黒金泰美: 同年10月の第25回衆議院議員総選挙旧山形1区から吉田茂率いる自由党公認で出馬し、当選(当選同期に福田赳夫・植木庚子郎・内田常雄・丹羽喬四郎・灘尾弘吉・宇都宮徳馬・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実など)。


小林與三次: しかし、読売新聞副社長の高橋雄豺や、高橋の内務省の後輩にあたる古井喜実の説得を受けて政界入りを断念した。


西尾優: これは、古井喜実の後継に鳥取県知事の平林鴻三が出馬するなど、保守系による政治ポストのたらい回しに市民の強い反発があったことと、官僚出身の首長ばかりが続いていることに対する市民の倦怠感もあったためとされている。


松村謙三: 古井喜実、竹山祐太郎、笹山茂太郎、川崎秀二、佐伯宗義とともに三木派を脱退し、松村派として独自の活動をとるようになった。


三木武夫: 結局松村は古井喜実、川崎秀二ら議員5名とともに三木・松村派を脱退して松村派を結成し、三木・松村派は三木派となった。


白浜仁吉: 1947年より長崎県議会議員を2期務めたのち、1952年の衆議院議員選挙に改進党から立候補し当選、以後当選12回(当選同期に大平正芳・黒金泰美・内田常雄・植木庚子郎・丹羽喬四郎・宇都宮徳馬・灘尾弘吉・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実など)。


松村謙三: 田川誠一は松村の秘書を務めた後政界に入り、田川以外の松村の弟子には古井喜実・川崎秀二・鯨岡兵輔らがいる。


灘尾弘吉: 1939年4月大臣官房会計課長となり、人事課長の町村金五・文書課長の古井喜実とともに「三羽がらす」と呼ばれた。


笹山茂太郎: 松村は派閥を離脱し、笹山、古井喜実、川崎秀二、竹山祐太郎とともに松村派を結成した。


藤山愛一郎: 政界引退後も石橋湛山の後を継いで国際貿易促進協会第4代会長を務めるなど松村謙三・古井喜実らと共に日中国交正常化に心血を注いだ。


坊秀男: 戦後財政経済弘報社取締役社長、財政詳報社取締役社長を経て、1952年第25回衆議院議員総選挙で当選(当選同期に大平正芳・黒金泰美・内田常雄・丹羽喬四郎・灘尾弘吉・植木庚子郎・宇都宮徳馬・加藤精三・山崎巌・今松治郎・町村金五・古井喜実など)。


高見恭子: 義伯父 - 古井喜実(政治家)


灘尾弘吉: だが、かえって誠実であるということで2位当選を果たした(当選同期に福田赳夫・大平正芳・黒金泰美・内田常雄・丹羽喬四郎・宇都宮徳馬・植木庚子郎・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実など)。


竹山祐太郎: 保守合同後は松村・三木派に所属し、自由民主党国会対策委員長、副幹事長等を歴任するかたわら、古井喜実らとともに松村側近として、日中国交回復推進に尽力した。


居安正: 『ある保守政治家 古井喜実の軌跡』御茶の水書房 1987


古井喜実の情報まとめ

もしもしロボ

古井 喜実(ふるい よしみ)さんの誕生日は1903年1月4日です。鳥取出身の政治家のようです。

もしもしロボ

映画、事件、引退に関する情報もありますね。1995年に亡くなられているようです。

古井喜実のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

古井 喜実(ふるい よしみ、1903年1月4日 - 1995年2月3日)は、日本の内務官僚、政治家。日中友好議員連盟会長を務めた。

鳥取県八頭郡国中村(現・八頭町)に、古井實壽の二男として生まれる。生家は祖父久次郎の代からすでに田五町歩、山林三町歩をもつ小地主だった。父實壽は古井が生まれたころ、郡役所の書記だったが後に国中村の村長を務めた。

旧制鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、第三高等学校を経て、1922年東京帝国大学法学部英法科に入学する。なお中学時代の同期生に政治学者の矢部貞治がいる。1925年内務省に入省する。

埼玉県、東京府等での勤務を経て本省に戻り、1937年に地方局地方監査課長となる。ここからの昇進のスピードは異例というほど速かった。地方局行政課長、大臣官房文書課長、そして大臣官房人事課長と兼任で1941年から約1年半東條英機も含む4人の大臣の秘書官を務めた後、1942年地方局長、1943年茨城県知事(この頃、当時東京財務局長の池田勇人、側近の大平正芳と知り合う)、1944年本省警保局長、1945年6月愛知県知事を経て、1945年8月半ばに東久邇宮稔彦王内閣内務大臣山崎巌の要請を受け、42歳で内務次官に就任する。同年10月の東久邇宮内閣総辞職まで2ヶ月間務めた。戦後は公職追放に遭い、弁護士を開業する。追放中の1948年兵器処理委員会に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。

追放解除後の1952年、鳥取全県区(当時)から改進党公認で総選挙に立候補し、当選を果たす。以後当選11回(当選同期に福田赳夫・植木庚子郎・黒金泰美・内田常雄・丹羽喬四郎・灘尾弘吉・宇都宮徳馬・加藤精三・今松治郎・重政誠之・町村金五など)。この時、古井が内務省地方局行政課長時代に知遇を得ていた松村謙三の応援を受け、以後松村に師事する。保守合同後は松村・三木派に所属し、鳩山一郎首相の退陣を受けた1956年の自民党総裁選では石田博英らとともに石橋湛山政権樹立に向け、裏方で多数派工作を行う。また1959年、松村に伴われて中国を訪問し、それ以来日中友好促進への関心を強めていった。1960年には自民党内安保批判派を代表して岸信介首相に対して2時間半にわたって質問を行い(以後本会議、予算委員会での質問を封じられることとなる)、5月19日から20日の強行採決には欠席した。

1960年、第2次池田内閣において厚生大臣として初入閣する。厚相としての功績には、(1)省内および医師会の反対を押し切っての結核治療新薬カナマイシンの保険採用、(2)病院経営改善への積極的指導による病院ストの沈静化、(3)自民党内の反対を抑えての、小児麻痺予防のためのソ連からのポリオの生ワクチン緊急輸入がある。生ワクチン輸入については、映画『われ一粒の麦なれど』(松山善三監督、1964年)の主題となった。なお日本医師会会長として全盛期の武見太郎とは激論を交わし対立している。

1964年の佐藤栄作政権発足以後、親米・親台湾に傾斜する佐藤への批判を強め、党内で孤立を深めていった。同年、松村謙三らと共に、中日友好協会会長であった廖承志と日中双方の新聞記者交換に関するメモを取り結んだ。これによって国内の反中国的な言動を抑え込んだために、日本の新聞は中国に関して自由な報道が大きく規制されることになった。1967年、LT貿易の5年間の期限が切れると、古井は田川誠一、岡崎嘉平太とともに翌1968年訪中し、覚書協定を交わした(この協定に基づく貿易を「覚書貿易」と呼ぶ)。期限は1年間で、古井はその後1969年、1970年、1971年と訪中を重ね、協定継続に務める。この間、「安保条約は主権の制限でありこんな姿をいつまでも続けてよいとは思わない」という古井の発言もあり、自民党内のタカ派を中心に「屈辱外交」「土下座外交」と罵声を浴びせられ、除名も取り沙汰された。 また中国側からも「佐藤の弁護人」「佐藤と結託」という言葉を投げつけられながら(古井も松村と同様、中国側の佐藤批判に調子を合わせるようなことはしなかった)、日中間のパイプ役を務めていた。

1970年4月24日には、自宅前に防共挺身隊と名乗る右翼の集団が集結、一部が発煙筒を投げ込んで突入を図ろうとしたが、警備に当たっていた警察官に阻止されている。

やがて、時代の潮目は大きく変わり、1972年田中角栄政権のもとで日中国交正常化交渉においては田川とともに事前交渉を行い、日中共同声明の調印に貢献したが、同年の第33回衆議院議員総選挙で落選した(定数4で7人立候補し、6位で落選。当選者は自民党が徳安実蔵・赤沢正道の2名、無所属の新人島田安夫が後自民党、日本社会党の野坂浩賢が初立候補初当選)地元への利益誘導が、鳥取においても選挙で幅を利かす時代となっていた。古井落選については「外交は票にならないのか?」と、地元の支持者や一部マスメディアを賑わせた。

落選後4年間、高齢の身を押して草の根選挙運動に走り回り、1976年にはトップ当選で返り咲く。1978年第1次大平内閣の法務大臣に就任する。法務大臣在任中にダグラス・グラマン事件が発覚した。1979年総選挙では2位当選、1980年には4位(最下位)当選と、地盤侵食・世代交代の流れには逆らえなくなった。

1981年9月28日、衆議院永年勤続表彰における謝辞演説で、古井は「いまや、民主政治のよって立つ選挙は、体力にあらずんば金力の戦いとなり、政治は、富の神の支配する領域と化した感があります」と述べ、率直な金権政治批判に翌日の新聞各紙がこぞって大きく取り上げるなど、広く反響を呼んだ。

このほか政治改革について「金のかかる選挙制度の改革」を主張していたが、一方で1982年、金権政治の象徴ともいうべき田中角栄について、総合雑誌上に「総理大臣は直接的に民間航空行政を指揮監督する権限はなく、したがってロッキード社から金銭を授受したとしても収賄罪にはあたらない」という、田中擁護とも受け取れる趣旨の時事論文を発表し(『中央公論』1982年6月号、「ロッキード裁判に思う-政治倫理と法治主義の問題」)、世間を当惑させている。

1983年に政界引退。鳥取県知事の平林鴻三(自治省出身、立候補に伴い知事を辞任)に地盤を譲り、その後は日中友好会館館長を務めた。1982年勲一等旭日大綬章、1993年東京都名誉都民。1995年2月3日午前1時41分、呼吸不全のため東京都杉並区の病院で没、92歳。葬儀と告別式は同月6日午前10時半から東京都港区の長谷寺で行われ喪主は長男が務めた。

妻 ふく(愛知県、官僚阪本釤之助長女) - ふくの父・阪本は小説家・永井荷風の叔父にあたる。

義兄 阪本瑞男(外交官) - 妻・ふくの兄で荷風の従弟にあたる。

義兄 阪本越郎(詩人・ドイツ文学者) - 妻・ふくの兄で阪本瑞男の弟にあたる。

義弟 高見順(小説家・詩人) - 義父・阪本釤之助が芸者・高間古代に産ませた庶子。

義姪 高見恭子(タレント) - 高見順が愛人・小野寺房子に産ませた庶子。

その他の親族 小鳩くるみ(童謡歌手) - 荷風の大叔父・鷲津蓉裳の曾孫。

^ 松村謙三、宇都宮徳馬、藤山愛一郎らは古井を支持した

^ 民間航空行政は運輸省(現・国土交通省)の管轄である。

^ 古井のこの論文に対し、多くの田中角栄本を著した立花隆は強い批判のトーンで、激論を書いている。(『巨悪vs言論 田中ロッキードから、自民党分裂まで』文藝春秋、のち文春文庫全2巻)に所収。なぜこのような物議を醸す議論を敢えて世に問うたのかについて、古井の伝記を書いた政治社会学者の居安正はいくつか推測を挙げているが、その一つとして、マスコミの扇情主義報道に、付和雷同的に追従する国民に対する批判があるのではないかと指摘している。論文には次のような一節がある。「国民各自は、今日、自主的に物事を考え、自らの信念に基づいて行動しているかどうか…かつて日中国交回復前、われわれ積極論者を国賊と非難した人々が、やがて豹変して昔からの友好人士のように振舞った実例を見て知っている」。

^ 朝日新聞大阪版夕刊 1995年2月5日 1面。

^ 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第48号 昭和23年8月23日

^ 「This Week 古井発言で自民分裂の危機」『週刊文春』11(16)(518)、文藝春秋社、1969年4月28日、20頁。 

^ 吉井氏宅に発煙筒投げる『朝日新聞』昭和45年(1970年)4月12日朝刊、12版、15面

^ 小谷野『日本の有名一族』、85-88頁。

古井喜実『一政治家の人生 山陰生れ 私の履歴書』(牧野出版、1979年)

居安正『ある保守政治家 古井喜實の軌跡』(御茶の水書房、1987年)ISBN 4275007204

『一政治家の直言 古井喜実遺文集』、松尾尊兊編(日中友好会館、1997年)

鹿雪瑩『古井喜実と中国 日中国交正常化への道』(思文閣出版、2011年)ISBN 9784784215904

小谷野敦『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』(幻冬舎新書、2007年)ISBN 9784344980556

とっとりデジタルコレクション--古井喜実

日中友好会館/とりネット/鳥取県公式サイト

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塩崎恭久

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加藤勝信

田村憲久

後藤茂之

加藤勝信

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2001年の省庁再編により厚生大臣と労働大臣は統合された。

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赤間文三

西郷吉之助

小林武治

秋田大助

植木庚子郎

前尾繁三郎

郡祐一

田中伊三次

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稲葉修

福田一

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谷川和穂

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左藤恵

田原隆

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三ヶ月章

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中村正三郎

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杉浦正健

長勢甚遠

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保岡興治

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千葉景子

柳田稔

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平岡秀夫

小川敏夫

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田中慶秋

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古井喜実

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石破茂

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相澤英之

村田氏寿 1876-1877

川路利良 1877-1879 警視局大警視

西村捨三 1881

田辺良顕 1881-1883

勝間田稔 1883-1884

清浦奎吾 1884-1891

小松原英太郎 1891-1892

大森鍾一 1892

高崎親章 1892-1893

小野田元熈 1893-1896

寺原長輝 1896-1898

牧朴真 1898

小倉久 1898-1899

安楽兼道 1899-1900

田中貴道 1900-1901

鈴木定直 1901-1902

安立綱之 1902-1903

有松英義 1903-1904

仲小路廉 1904-1906

久保田政周 1906

古賀廉造 1906-1908

有松英義 1908-1911

古賀廉造 1911-1912

太田政弘 1912-1913

岡喜七郎 1913-1914

安河内麻吉 1914-1915

湯浅倉平 1915-1916

永田秀次郎 1916-1918

川村竹治 1918-1921

湯地幸平 1921-1922

後藤文夫 1922-1923

岡田忠彦 1923-1924

藤沼庄平 1924

川崎卓吉 1924-1925

松村義一 1925-1927

山岡萬之助 1927-1928

横山助成 1928-1929

大塚惟精 1929-1931

次田大三郎 1931

岡正雄 1931

森岡二朗 1931-1932

松本学 1932-1934

唐沢俊樹 1934-1936

萱場軍蔵 1936-1937

大村清一 1937

安倍源基 1937

富田健治 1937-1938

本間精 1938-1939

安藤狂四郎 1939

本間精 1939-1940

山崎巌 1940

藤原孝夫 1940

橋本清吉 1940-1941

今松治郎 1941-1942

三好重夫 1942-1943

町村金五 1943-1944

古井喜実 1944-1945

水池亮 1945

橋本政実 1945

小泉梧郎 1945-1946

谷川昇 1946-1947

田中楢一 1947

久山秀雄 1947

内務省廃止

久山秀雄 1948

国家地方警察本部設置

斎藤昇 1948-1954

警察庁設置

斎藤昇 1954-1955

石井榮三 1955-1958

柏村信雄 1958-1963

江口俊男 1963-1965

新井裕 1965-1969

後藤田正晴 1969-1972

高橋幹夫 1972-1974

浅沼清太郎 1974-1978

山本鎮彦 1978-1981

三井脩 1981-1984

鈴木貞敏 1984-1985

山田英雄 1985-1988

金澤昭雄 1988-1990

鈴木良一 1990-1992

城内康光 1992-1994

國松孝次 1994-1997

関口祐弘 1997-2000

田中節夫 2000-2002

佐藤英彦 2002-2004

漆間巌 2004-2007

吉村博人 2007-2009

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