入江俊郎の情報(いりえとしお) 内務官僚、裁判官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
入江俊郎と関係のある人
幣原喜重郎: またマッカーサーとの会談で戦争放棄の明記に反対して「誰もfollowerとならない」と幣原が述べたという『芦田均日記』の記述は、憲法調査会に提出された内閣法制局次長だった入江俊郎の著書『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』と相違しているため正確ではないとしている。 |
入江俊郎の情報まとめ
入江 俊郎(いりえ としお)さんの誕生日は1901年1月10日です。東京出身の内務官僚、裁判官のようです。
卒業、事件、現在に関する情報もありますね。1972年に亡くなられているようです。
入江俊郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)入江 俊郎(いりえ としお、1901年(明治34年)1月10日 - 1972年(昭和47年)7月18日)は、日本の官僚、政治家、裁判官。法制局長官、貴族院議員、衆議院法制局長、最高裁判所判事。東京府出身。 府立三中、第一高等学校、東京帝国大学卒業。1924年に内務省に入り、1927年、法制局参事官となる。 戦後の1945年9月には法制局第一部長、同年11月には法制局次長、1946年3月には法制局長官となり、日本国憲法の立案責任者になった。1946年5月18日、昭和天皇により貴族院議員に勅選され、同和会に所属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。 日本国憲法により帝国議会及び貴族院は廃止され、国立国会図書館専門調査員であったところ、芦田内閣期の1948年7月に衆議院の法制局長に任命された。 1950年、第3次吉田内閣期の衆議院法制局では公職選挙法案に関する委員会にも出席した。 1952年8月26日、後任の法制局長が定まらないまま衆議院法制局長を辞職したが、同月30日には吉田茂内閣による任命で、史上最年少の51歳で最高裁判所判事となる。帝国議会議員の経験があったため、この人事に最高裁内部から反発があったが、最終的に内閣は入江の起用を決定し、認証式は那須御用邸で行われた。苫米地事件、チャタレー事件、砂川事件、八幡製鉄事件、練馬事件、朝日訴訟など裁判に関わる。 1952年10月1日の最高裁判所裁判官国民審査において、罷免を可とする票3,253,013票、罷免を可とする率9.67%で信任。1963年11月21日の最高裁判所裁判官国民審査において、罷免を可とする票3,101,211票、罷免を可とする率8.24%で信任。1963年の国民審査では同時に審査された9判事のうち罷免を可とする票の数が最多であった。入江を最後に、一人で2度国民審査を受けた最高裁判事はこれまで現れていない。 1971年1月9日、定年で退官した。最高裁判事在任期間は18年5か月(6707日間)で歴代1位である(2022年11月現在)。 退官後は駒澤大学教授を務めた。短歌では山下陸奥に師事し『一路』に参加、1960年には歌会始で召人を務めた。 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章 1971年 叙勲一等授旭日大綬章 1972年 叙従二位 『ユス・プレトリウムの研究 羅馬私法進化論』巌松堂書店, 1926 doi:10.11501/982861 『自治政策』雄風館書房, 1931 『新憲法の実踐』(勞働講座 勞働基準法普及會, 1948 『日本国憲法読本』海口書店, 1948 『国会と地方議会』学陽書房, 1952 『日本国憲法制定の経緯』憲法研究会参考資料 [憲法研究会], 1954.9 『憲法要論』慶応通信, 1956 『香柏』 (一路叢書) 新星書房, 1964 『天と地との間』入江静, 1974 『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題 入江俊郎論集』入江俊郎論集刊行会, 1976 『逐条市制町村制提義』古井喜実共著. 良書普及会, 1937 『憲法改正と天皇の問題 憲法普及協会パンフレット』岩淵辰雄,金森徳次郎,山浦貫一,浅井清,宮沢俊義共著. 憲法普及協会, 1948.10 『逐条地方自治法提義』第1-2 入江俊郎 等著. 良書普及会, 1949-1950 ^ 衆議院 & 参議院 1990, p. 99. ^ “Historical Figures”. Birth of the Japanese Constitution. National Diet Library of Japan. 24 May 2013閲覧。 ^ “The Constitution of Japan (The Official Gazettes, a Special Edition)”. World Digital Library. 24 May 2013閲覧。 ^ Ray A. Moore; Donald L. Robinson (18 March 2004). Partners for Democracy: Crafting the New Japanese State Under Macarthur. Oxford University Press. pp. 53, 118. ISBN 978-0-19-517176-1. https://books.google.co.jp/books?id=Ku1iq--PxN4C&pg=PA53&redir_esc=y&hl=ja 24 May 2013閲覧。 ^ 『官報』第5804号、昭和21年5月23日。 ^ “衆議院議事録情報 第7回国会 選挙法改正に関する調査特別委員会 議事録第3号”. 国立国会図書館. 20 Oct 2015閲覧。 ^ 野村二郎 1986, pp. 64–65. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。 野村二郎『最高裁全裁判官:人と判決』三省堂、1986年。ISBN 9784385320403。 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 9784426221126。 衆議院、参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。ISBN 9784171648117。 最高裁判所裁判官 l 国立国会図書館 憲政資料室 入江俊郎関係文書 『入江俊郎』 - コトバンク 表 話 編 歴 山尾庸三 井上毅 尾崎三良 末松謙澄 神鞭知常 梅謙次郎 神鞭知常 平田東助 奥田義人 一木喜徳郎 岡野敬次郎 安広伴一郎 岡野敬次郎 一木喜徳郎 岡野敬次郎 倉富勇三郎 高橋作衛 有松英義 横田千之助 馬場鍈一 松本烝治 佐竹三吾 塚本清治 山川端夫 前田米蔵 川崎卓吉 武内作平 斎藤隆夫 島田俊雄 堀切善次郎 黒崎定三 金森徳次郎 大橋八郎 次田大三郎 川越丈雄 瀧正雄 船田中 黒崎定三 唐沢俊樹 広瀬久忠 村瀬直養 森山鋭一 三浦一雄 村瀬直養 楢橋渡 石黒武重 入江俊郎 佐藤達夫 佐藤達夫 佐藤達夫 佐藤達夫 林修三 林修三 高辻正己 吉國一郎 真田秀夫 角田礼次郎 茂串俊 味村治 工藤敦夫 大出峻郎 大森政輔 津野修 秋山收 阪田雅裕 宮﨑礼壹 梶田信一郎 山本庸幸 小松一郎 横畠裕介 近藤正春 岩尾信行 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 IdRef この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 日本の最高裁判所裁判官 日本の国会職員 国立国会図書館の人物 貴族院勅選議員 昭和時代の貴族院議員 法制局長官 戦前日本の法制官僚 日本の行政裁判所評定官 日本の内務官僚 駒澤大学の教員 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 東京都立両国高等学校出身の人物 勲一等旭日大綬章受章者 従二位受位者 東京都出身の人物 1901年生 1972年没 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 法学者関連のスタブ項目 法曹関連のスタブ項目 日本の政治家関連のスタブ項目
2024/11/21 19:46更新
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irie toshio
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