久保亮五の情報(くぼりょうご) 物理学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
久保 亮五さんについて調べます
■名前・氏名 |
久保亮五と関係のある人
エミリオ=セグレ: エミリオ・セグレ 著、久保亮五・矢崎裕二 訳『X線からクォークまで――二十世紀の物理学者たち』みすず書房、1982年。 エミリオ=セグレ: エミリオ・セグレ 著、久保亮五・矢崎裕二 訳『古典物理学を創った人々――ガリレオからマクスウェルまで』みすず書房、1992年。 古澤明: 2005年 - 久保亮五記念賞。 戸田盛和: 統計物理学 / 戸田盛和, 久保亮五編. -- 岩波書店, 1972. -- 第2版 1978.- (岩波講座現代物理学の基礎 ; 6) 前野悦輝: 2000年 - 久保亮五記念賞 エミリオ=セグレ: エミリオ・セグレ 著、久保亮五・久保千鶴子 訳『エンリコ・フェルミ伝――原子の火を点じた人』みすず書房、1976年。 藤田宏: 当時は小平邦彦、久保亮五、山内恭彦、今井功、高橋秀俊らが教鞭をとっていた。 |
久保亮五の情報まとめ
久保 亮五(くぼ りょうご)さんの誕生日は1920年2月15日です。東京出身の物理学者のようです。
卒業、結婚に関する情報もありますね。1995年に亡くなられているようです。
久保亮五のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 1995年3月31日)は、日本の物理学者。東京大学、京都大学、慶應義塾大学教授。全米科学アカデミーとフランス科学アカデミー名誉会員。線形応答理論で知られる。 統計物理学、物性物理学の分野で国際的に知られた。 1920年、東京府駒込で中国文学者の久保天随の5人目の子供(4男)として2月15日に誕生。1931年、父・天随が台北帝国大学教授に就任したため、一家は台湾の台北市に移った。翌1932年、台北高等学校尋常科に入学。しかし、1934年に父が死去したことにともない、駒込に戻る。東京府立第五中学校に編入して中学校を4年で修了し、1936年に第一高等学校 (旧制)理科甲類に入学。1939年、第一高等学校を卒業し、東京帝国大学理学部物理学科に入学。1941年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。卒業後は、1943年より同大学理学部助手となった。 太平洋戦争後の1946年、上條千鶴子と結婚(1948年に長女の真知子、1950年に長男の幸夫、1957年に次女の多恵子が誕生)。同年には助教授昇進。1950年、理学博士の学位取得。1954年に教授に昇進した。1953年に冨田和久と「不可逆過程の統計力学」の一般論(線形応答理論に基づいたフーリエ変換NMRの基礎理論)を提唱。 学界では、1960年に日本物理学会会長に就任。1974年には、全米科学アカデミー名誉会員になる。また、1979年には仁科記念財団の理事長に就任。 1980年に東京大学を定年退官し、京都大学基礎物理学研究所教授となった。翌1981年に京都大学も定年退官し、慶應義塾大学教授ととして1992年まで教鞭をとった。1982年、伏見康治のあとを受けて日本学術会議会長を務め、日本学士院会員に選出された。1984年よりフランス科学アカデミー名誉会員。昭和天皇崩御に伴い、1989年1月7日に元号制定委員として平成の制定に立ち会った。世界平和アピール七人委員会の委員となる。 1991年、井上科学振興財団理事長に就任。1995年に死去。墓所は多磨霊園と文京区日輪寺。 1991年より理事を務めていた井上科学振興財団は、生前の業績を記念して1997年に久保亮五記念賞を創設した。 1943年 - 東京帝国大学理学部助手。 1946年 - 東京帝国大学理学部助教授。 1954年 - 東京大学理学部教授。 1963年 - 翌年までシカゴ大学、ペンシルベニア大学で客員教授。 1964年 - パリ大学客員教授として渡仏。 1972年 - ニューヨーク州立大学客員教授。 1980年 - 東京大学を停年退官。 1981年 - 京都大学を停年退官。退官後、慶應義塾大学理工学部教授。 1992年 - 慶應義塾大学を退官。 1957年:『非可逆過程の統計力学』の研究により仁科記念賞を受賞。 1964年: 松永賞を受賞。 1969年:『非可逆過程の統計力学における線型応答理論』で恩賜賞を受賞。 1970年:『物性基礎論とくに統計力学および確率過程論に関する研究』で藤原賞を受賞。 1973年:文化勲章を受章。文化功労者として表彰される。 1977年:ボルツマン賞を受賞。 1948年:河出書房から出版した『ゴム弾性』で毎日文化賞を受賞。 1993年: 勲一等瑞宝章を受章。 1995年:死後、従三位を追贈。 特に線形応答理論の構築に貢献し、彼の提案した理論は「久保理論」の名でも呼ばれている。 久保効果 父:久保天随は中国文学者。 兄:久保昌二は物理化学者。 妻:上條千鶴子。 長女:草原真知子(1948~) 長男:上條幸夫(1950~) 次女:多田多恵子(1957~) 『ゴム弾性』 『統計力学』 『理化学辞典』(岩波書店) 『固体物理の歩み』(岩波書店 1962年) 『統計物理学 岩波講座 現代物理学の基礎(第2版)第5巻』(1978年) 『科学の事典』(岩波書店 1980年) 『大学演習 熱学・統計力学』 『科学の教室 上中下』(G.S.クレイク著 時事通信社 1949年) 『ニュートン』(E.W.アンドレード著 河出書房新社 1968年) 『エンリコ・フェルミ伝』(エミリオ・セグレ著 みすず書房 1976年) 『X線からクォークまで』(エミリオ・セグレ著 みすず書房 1982年) ^ “特集:追悼 久保亮五博士”. 日本物理學會誌 (日本物理学会) 50 (11). (1995). オリジナルの2014年5月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140531172640/http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00196952/ISS0000136958_jp.html. ^ Ryogo Kubo; Kazuhisa Tomita (1954-6-26). “A General Theory of Magnetic Resonance Absorption” (English). Journal of the Physical Society of Japan (日本物理学会) 1954 (9): 888-919. doi:10.1143/JPSJ.9.888. http://jpsj.ipap.jp/link?JPSJ/9/888/. ^ 「93年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1993年11月3日朝刊 「量子統計力学の父─久保亮五」上山明博(『ニッポン天才伝─知られざる発明・発見の父たち』 朝日選書、2007年、ISBN 9784022599292) ある感想(久保亮五)、久保亮五先生(鈴木増雄) 東京大学理学部、昭和55年3月 『久保亮五』 - コトバンク 『久保 亮五』 - コトバンク FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ ラトビア 日本 チェコ オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research
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2024/11/25 08:25更新
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