久保田治の情報(くぼたおさむ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
久保田 治さんについて調べます
■名前・氏名 |
久保田治と関係のある人
福田昌久: 初本塁打:1960年7月7日、対東映フライヤーズ17回戦(大阪スタヂアム)、7回裏に久保田治からソロ 柳田浩一: 選手、審判の両方で日本シリーズに出場したのは久保田治(東映フライヤーズ投手→セ・リーグ審判員)、井上忠行(西鉄ライオンズ内野手→セ・リーグ審判員)に次いで3人目である。 伊藤芳明: 1965年は肩の故障により2勝に終わると、同年オフに池沢義行・久保田治・島田雄二との1対3のトレードで東映フライヤーズへ移籍。 栁田昌夫: 選手、審判の両方で日本シリーズに出場したのは久保田治(東映フライヤーズ投手→セ・リーグ審判員)、井上忠行(西鉄ライオンズ内野手→セ・リーグ審判員)に次いで3人目である。 伊奈努: 高校同期には後にプロで同僚となる外野手の足木敏郎、東映フライヤーズで投手として活躍、その後セントラル・リーグ審判員を務めた久保田治がいる。 水原茂: 前年9勝を挙げていたがショートリリーフが中心だった久保田治を土橋正幸が先発した次の日の登板させて25勝、お山の大将でわがまま放題で誰も触らなかった山本八郎に対して例外扱いせず、「プロ野球というはチームが勝たなきゃ何にもならんのだ。 杉内俊哉: また、巨人移籍初登板の投手がチームのシーズン初勝利をもたらしたのは1965年の金田正一、1966年の久保田治、1976年の水谷孝に次いで36年ぶり4人目。 種茂雅之: 土橋・富永格郎・久保田治・尾崎行雄・安藤元ら投手陣を好リードで支え、球団史上初のリーグ優勝に貢献。 西村省一郎: 1年目の最終戦で初登板初先発、東映の久保田治と投げ合うが4回1失点で敗戦投手となる。 |
久保田治の情報まとめ
久保田 治(くぼた おさむ)さんの誕生日は1934年12月19日です。愛知出身の野球選手のようです。
父親、卒業、引退、現在に関する情報もありますね。久保田治の現在の年齢は89歳のようです。
久保田治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 久保田 治(くぼた おさむ、1934年12月19日 - )は、愛知県新城市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。 父親が帝室林野局勤務のため、各地に移り住む。豊川高等学校に入学後、父の転勤で島根県立浜田高等学校へ移る。その後、本人の希望で再度豊川高校に戻る。豊川高校の同級生には中日ドラゴンズで投手として活躍した伊奈努、同じく中日に入団する外野手の足木敏郎がいた。1952年夏の甲子園県予選で準決勝に進むが時習館高に敗退、甲子園には出場できなかった。卒業後は法政大学野球部へ進むがすぐに毎日オリオンズ入りの噂が立って居づらくなり、駒澤大学へ入る。黒柳勝至(東京電電)とともに投手陣を支えるが、東都大学野球リーグでは優勝に届かず、1954年春季リーグの3位が最高成績だった。リーグ通算10勝13敗を記録。 1955年、大学を中退して東映フライヤーズに投手として入団。当時東都大学リーグも使用していた駒沢野球場が東映の本拠地で久保田をマークしており、成績不振のため戦力を求めての獲得だった。1年目から先発として起用され、同年は3勝を挙げるがその後は伸び悩む。しかし1960年にショートリリーフが中心ながら9勝、同僚だった張本勲によるとちょっと横から投げてクセ球を投げる投手だった。1961年に監督に就任した水原茂が土橋正幸に次ぐ先発として起用し25勝、防御率2.16(いずれもリーグ3位)を記録した。翌1962年にも16勝を挙げ、防御率2.12と最優秀防御率に輝く。東映のパシフィック・リーグ初優勝に貢献し、同年の阪神タイガースとの日本シリーズでも3試合に先発。最終第7戦では9回を無得点に抑え土橋につなぐ。シリーズで勝利投手にはなれなかったが、日本一に大きく力を添えた。翌1963年にも15勝を記録するが、その後は登板機会が減少。1966年に読売ジャイアンツに移籍するも、1勝を挙げたのみで引退した。サイドスローからのスライダー、カーブ、シュートが武器。 引退後セントラル・リーグ審判部に入局。審判員になった年齢は遅いが、ファームでは最優秀審判賞を受賞、早い時期から巨人戦の球審も任され、1974年に日本シリーズ初出場を果たし、1978年のヤクルトスワローズがリーグ初優勝決定試合での球審など順調にキャリアを積み重ね、2852試合に出場、日本シリーズ・オールスターゲームはともに7回出場した。1995年の日本シリーズを最後に引退、審判指導員として後任の指導に当たっていたが2001年に退職した。現在はプロ野球マスターズリーグで審判を務めている。 審判員袖番号は12(1988年初採用から2001年引退まで。専任指導員に転じた1996年以降もつけていた。その後2007年新採用の坂井遼太郎が引き継いだ。その後、坂井が審判を引退してからは青木昴が2021年から12番を引き継いだ。)。1992年には湯舟敏郎がノーヒットノーランを達成した試合や、八木裕が放った「幻のホームラン」で公式戦では最長の6時間26分となった試合の球審を務めている。また、公式戦ではないが、1975年の川上哲治引退試合(巨人の監督勇退時)に球審を務めていた。 プロ野球選手として一流の成績を残した後に審判に転進した、最後の人物といえるだろう(タイトルホルダーの現役審判としては、1990年にゴールデングラブ賞受賞経験のある柳田浩一がいる)。平光清・三浦真一郎とともに早くからインサイドプロテクターを採用していた。やや打者の内角寄りに身体を傾けて構え、ストライクのコールはその状態から右腕を真上に上げていた。また、打者が見逃し三振をした時のポーズも特徴的であった(真上に手を挙げた後、打者と反対側の方を向いてストライクアウトのポーズを取る)。性格は温厚で、多芸多才、動物好きである。 各年度の太字はリーグ最高 最優秀防御率:1回 (1962年) オールスターゲーム出場:2回 (1961年、1963年) 62 (1955年) 26 (1956年 - 1965年) 19 (1966年) 初出場:1968年4月25日、サンケイ対大洋対2回戦(神宮)、右翼外審 出場試合数:2852試合 オールスター出場:7回 日本シリーズ出場:7回 (記録は1995年シーズン終了時点) ^ 神宮球場ガイドブック1995年秋号「神宮球場から翔び立ったプロ野球のスターたち」越智正典 ^ ベースボールマガジン2020年9月号、東映フライヤーズ、1954-1972、暴れん坊伝説、10頁 愛知県出身の人物一覧 駒澤大学の人物一覧 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 プロ野球審判員一覧 個人年度別成績 久保田治 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 柚木進 1952 柚木進 1953 川崎徳次 1954 宅和本司 1955 中川隆 1956 稲尾和久 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 久保田治 1963 久保征弘 1964 妻島芳郎 1965 三浦清弘 1966 稲尾和久 1967 足立光宏 1968 皆川睦男 1969 木樽正明 1970 佐藤道郎 1971 山田久志 1972 清俊彦 1973 米田哲也 1974 佐藤道郎 1975 村田兆治 1976 村田兆治 1977 山田久志 1978 鈴木啓示 1979 山口哲治 1980 木田勇 1981 岡部憲章 1982 高橋里志 1983 東尾修 1984 今井雄太郎 1985 工藤公康 1986 佐藤義則 1987 工藤公康 1988 河野博文 1989 村田兆治 1990 野茂英雄 1991 渡辺智男 1992 赤堀元之 1993 工藤公康 1994 新谷博 1995 伊良部秀輝 1996 伊良部秀輝 1997 小宮山悟 1998 金村暁 1999 工藤公康 2000 戎信行 2001 N.ミンチー 2002 金田政彦 2003 斉藤和巳, 松坂大輔 2004 松坂大輔 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 成瀬善久 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 ダルビッシュ有 2011 田中将大 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平 2016 石川歩 2017 菊池雄星 2018 岸孝之 2019 山本由伸 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 L.モイネロ 表 話 編 歴 1946 一言多十 1947 白木義一郎 1948 吉江英四郎 1949 白木義一郎 1950 白木義一郎 1951 米川泰夫 1952 寺川昭二 1953 米川泰夫 1954 米川泰夫 1955 米川泰夫 1956 牧野伸 1957 米川泰夫 1958 牧野伸 1959 土橋正幸 1960 土橋正幸 1961 久保田治 1962 富永格郎 1963 土橋正幸 1964 久保田治 1965 久保田治 1966 尾崎行雄 1967 森安敏明 1968 森安敏明 1969 高橋善正 1970 森安敏明 1971 金田留広 1972 藤原真 1973 金田留広 1974 渡辺秀武 1975 高橋直樹 1976 高橋直樹 1977 高橋直樹 1978 佐伯和司 1979 高橋直樹 1980 高橋直樹 1981 高橋一三 1982 高橋一三 1983 工藤幹夫 1984 田中幸雄 1985 津野浩 1986 津野浩 1987 津野浩 1988 西崎幸広 1989 西崎幸広 1990 西崎幸広 1991 西崎幸広 1992 柴田保光 1993 西崎幸広 1994 西崎幸広 1995 西崎幸広 1996 岩本勉 1997 西崎幸広 1998 岩本勉 1999 岩本ツトム 2000 岩本ツトム 2001 金村曉 2002 岩本勉 2003 C.ミラバル 2004 金村曉 2005 C.ミラバル 2006 金村曉 2007 ダルビッシュ有 2008 ダルビッシュ有 2009 ダルビッシュ有 2010 ダルビッシュ有 2011 ダルビッシュ有 2012 斎藤佑樹 2013 武田勝 2014 吉川光夫 2015 大谷翔平 2016 大谷翔平 2017 有原航平 2018 B.ロドリゲス 2019 上沢直之 2020 有原航平 2021 上沢直之 2022 北山亘基 2023 加藤貴之 2024 伊藤大海 日本の野球選手 島根県立浜田高等学校出身の野球選手 豊川高等学校出身の野球選手 駒澤大学硬式野球部の選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 最優秀防御率 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 日本のプロ野球審判員 愛知県出身の人物 1934年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/23 20:13更新
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