二階堂ゆかりの情報(にかいどうゆかり) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
二階堂 ゆかりさんについて調べます
■名前・氏名 |
二階堂ゆかりと関係のある人
近藤智子: 二階堂ゆかりの結婚により1990年3月31日に解散。 いとうあさこ: 『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」では、1980年代のアイドルなど(菊池桃子、荻野目洋子、BaBeの二階堂ゆかり、柏原よしえ)や、アイドルのバックダンサー(スクールメイツ、キャプテン、ジャPAニーズ、Dee-Dee)またはバックバンド(シブがき隊のバックバンド、シブ楽器隊)、「ヤヌスの鏡」のオープニングなどの物真似をしている。 香瑠鼓: 1980年代後半から1990年代前半に活躍した、BaBe(近藤智子・二階堂ゆかり)、Wink(鈴木早智子・相田翔子)、Mi-Ke(宇徳敬子他)のほか、SMAP香取慎吾のもうひとつの顔とされている「慎吾ママ」の振付で人気を集める。 都倉俊一: 鈴木雄大や南野陽子、BaBeを擁した芸能プロダクション「株式会社エスワン・カンパニー」を経営していたが、1989年に南野が独立、翌年の1990年にはBaBeの二階堂ゆかりの妊娠・結婚で急遽グループは解散。 近藤智子: 二階堂ゆかり(にかいどう ゆかり、 (1965-08-29) 1965年8月29日(58歳) - ) 満月あいり: 母は1980年代後半にアイドルデュオ「BaBe」で活躍した二階堂ゆかり。 |
二階堂ゆかりの情報まとめ
二階堂 ゆかり(にかいどう ゆかり)さんの誕生日は1967年8月29日です。東京出身の歌手のようです。
結婚、解散、卒業、母親、映画、テレビ、引退、子役、兄弟、ドラマに関する情報もありますね。去年の情報もありました。二階堂ゆかりの現在の年齢は57歳のようです。
二階堂ゆかりのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)BaBe(ベイブ)は、1980年代後半に活動した日本の女性デュオ、タレントである。 表記は "BaBe" が正しく、"Babe"、"BABE" は誤り。片仮名表記は、2ndシングルまでは「ベイヴ」と表記されていた。 1987年に、当時流行だったマイケル・フォーチュナティのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。ジャズダンス教室で結成されたユニットが元になっているため、当時としては他に類を見ない激しいダンスを踊りながら歌う「歌って踊る」スタイルで人気を得た。そのため、ダンスパフォーマンスを売りにする女性アイドルグループの元祖となった。二階堂ゆかりの結婚により1990年3月31日に解散。 活動当時の所属事務所はエスワン・カンパニー。別名義:Vis-à-Vis(ヴィザヴィ)。前身ユニット:ブレイカーズ → ハートブレイカーズ。 近藤智子(こんどう ともこ、 (1966-02-17) 1966年2月17日(58歳) - )
二階堂ゆかり(にかいどう ゆかり、 (1965-08-29) 1965年8月29日(59歳) - )
近藤と二階堂の2人は、それぞれ別のアマチュアバンドでボーカルとして活動していた。「アルバイトをしながら好きなことを探そうと思っていた」近藤と、「短大に行って保母さんになろうと思っていた」二階堂は、高校卒業後から通い出したジャズダンス教室「一の宮はじめ ジャズダンスアカデミー」で出会う。(教室に入ったのは二階堂の方が先だった。なお、1985年11月中旬に教室が移転。移転後の所在地は東京都渋谷区宇田川町25-4 ダッキープラザビル6F) 1984年、ダンス教室内で近藤と二階堂の2名に対し、「ブレイカーズ」のユニット名が与えられる。そして同年11月17日公開の映画『ザ・オーディション』に、「ブレイカーズ」名義で出演。 1985年10月、同ジャズダンス教室が主催した『ダンシングミュージカル フィナーレには花束を』に近藤と二階堂が出演。そして、ミュージカルで共演したセイントフォーの所属事務所「日芸プロジェクト」(当時の所在地:文京区音羽1-24-10)にスカウトされ、近藤、二階堂、そして映画『ザ・オーディション』に出演していた年下の佐伯万里子を加えた3名で、ダンスボーカルユニット「ハートブレイカーズ」を結成。センターポジションは近藤。デモテープを作成したり、各地のイベントや学園祭でライブ活動を行ったり、ラジオ番組出演、雑誌掲載などの仕事を行う。 1986年、斉藤さおり(後の麻倉あきら)がデビューする際にライブに帯同し、「斉藤さおり&ハートブレイカーズ」名義で活動。 その後、近藤、二階堂の2名で「エスワン・カンパニー」(当時の所在地:港区赤坂5-1-5 管野ビル4F → 1988年夏より赤坂6-3-16 赤坂瀬戸ビル3F)に移籍し、新ユニット「BaBe」として1987年2月21日にレコードデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「DANCIN' ANGELS」。 マネージメントは古米浩平(ふるまい こうへい)や藤原正剛(ふじわら せいごう)が務めた。公式ファンクラブ名は「BaBe & THE GANG」で、約2,000名の会員がいた。この他、ファンによる私設のサークル「BaBe LaBo」も1989年春に作られ、BaBeのライブ後には会員による情報交換、抽選会、記念撮影などの集会が開かれたり、1990年4月まで会報も毎月発行されていた(発行された会報は計10冊で、100名以上の会員がいた)。 デビュー時はいわゆるアイドルとして活動し数々の歌番組・バラエティ番組へのテレビ出演は無論のこと、その年の新人賞レースにも参戦していた。しかし、翌年からアーティスト指向に方向転換し、活動のフィールドをラジオ番組やライブハウス出演などに比重を移す。後半のアルバム『Brand-new』(1989年)や『CONTRAST』(1990年)では作詞にも挑戦している。 1990年1月中旬より二階堂が風邪をこじらせ、それが肺炎となり、同年2月4日より一週間ほど都内の病院に入院。本来であれば、同年3月11日(東京・恵比寿ファクトリーI)、3月28日(大阪)、3月29日(福岡)、4月15日(名古屋)と、春のライブツアーが開催される予定だったが、同年2月にリハーサルの遅れを理由に延期を発表。既に販売されたチケットの代金も払い戻された。 1990年2月17日、近藤の誕生日でもある日に、二階堂が入籍。相手は、二階堂が高校時代から7年に渡って交際してきた1歳年上の男性。 1990年2月18日付の『スポーツニッポン』の芸能欄にて、二階堂が妊娠4ヶ月で入籍したことにより、同年3月一杯でBaBeが解散することが報じられた。翌19日付の『東京中日スポーツ』や、同2月発売の雑誌『週刊明星』(1990年3月8日号)でも追報。2人は当初「BaBeはどちらかが結婚する時が解散する時」としていたという。 1990年3月、二階堂が挙式。この模様は、『スポーツニッポン』(3月25日付)、『週刊明星』(4月12日号)、『女性セブン』にて報じられた。 BaBe解散後、1990年8月に二階堂が第一子を出産。その後も子供をもうけ、計3人の子供を育てた。一方、近藤はしばらくソロで活動。斉藤満喜子のプロデュースやラジオ出演、関西ローカルのテレビ出演などをしていたが、やがて近藤も結婚を機に芸能活動を引退した。 二階堂はデビュー前、モスバーガー や、すかいらーく武蔵野西久保店でアルバイトをしていた。武蔵野西久保店は、(株)すかいらーくの本部横に所在していたこともあり、人事部の目に留まり店舗ビデオマニュアル「welcomeすかいらーく」に出演している。二階堂が起用されたビデオマニュアルは1992年頃まで全国の店舗で使用された。しかし、I Don't Know!のプロモーションビデオはデニーズで撮影されている。一方、近藤は高校時代から玉川高島屋、元禄寿司、東急ストア、レストランなど様々な所でアルバイトをしていた。 著名なダンサー兼振付師として知られる五十嵐薫子(のちの香瑠鼓)が、石井明美に次いで振付をしたのがBaBeである。BaBeに本格的なダンスを教えるために、ジャズダンスのレッスンを受けさせた後に、「Give Me Up」の振付を教えた。しかし、そもそも二階堂と近藤はデビュー前にジャズダンススクールで出会っていて、ミュージカルにも出演した程度の基礎はあった(近藤は痩せたくて、ジャズダンススクールに通っていたと語っている)。香瑠鼓はその後、Wink(鈴木早智子・相田翔子)の振付も担当している。 その風貌から、近藤は「富田靖子のNG」、二階堂は「クロマティに似ている」と言われたことがあった。 BaBeが解散する直前の1990年3月5日、ニッポン放送のラジオ番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』の、リスナーが意見を投稿するコーナー「悪魔で生ラジオ」にて、解散後の近藤を憂う「どうするどうなる BaBeの近藤」のテーマが取り扱われた。そして翌週の3月12日には近藤が緊急ゲスト出演し、今後の身の振り方を相談した。 なお、同ラジオ番組では、芸能人・著名人の変な言動を集めて競わせ、番付を付けていくコーナー「夜霧の横綱審議会」でも、1988年に近藤の発言が度々取り上げられ、その結果、近藤は「関脇」に認定された。 2017年7月11日、二階堂が、歌手デビューした長女の満月あいりと共に『ノンストップ!』(フジテレビ)に出演し、27年ぶりにテレビに登場した。二階堂は、前記の年齢詐称や低月給を補うためのアルバイトの件などを述べ、また、番組中に近藤へ電話をして、解散後も交流があることを語った。 Give Me Up
They Don't Know 〜哀しみは朝の雫のように〜
I Don't Know!
大人は判ってくれない Somebody Loves You 〜明日の恋人〜
わがままはお好き? Somebody Loves You 〜明日の恋人〜 Somebody Loves You 〜明日の恋人〜 (オリジナル・カラオケ) わがままはお好き? BaBeからの暑中御見舞(メッセージ) ipi-iyi 〜自分だけの呪文〜 Hold Me!
You! You! You! Hold Me! Hold Me! (Tomokoと歌おうカラオケ) Hold Me! (オリジナル・カラオケ) You! You! You! You! You! You! (Yukariと歌おうカラオケ) TONIGHT!
It's a Magic! Get a Chance!
Best Friend WAKE UP!
Keep on Rolling She has a dream
バスローブのイヴ Hold Me! (EXTENDED DANCE VERSION)(1987年)
Chance Once Again 〜ハッピーエンドは、もう少し〜(大阪「ひらかたパーク」のCMソング) It's So Wonderful (You're The Part Of Mine)(Extended Med. Club Mix)(1988年)
白井良明の楽曲 「No!Blood!」(白井の1stソロアルバム『City of Love』に収録。1988年6月21日) 斉藤由貴のシングル 「夢の中へ」(1989年4月21日) 斉藤満喜子のシングル 「鏡の中のBaby Face」(1990年7月11日) - 近藤のみ参加 愛するままに It's So Wonderful (You're The Part Of Mine) いじわる天気 Chance Once Again 〜ハッピーエンドは、もう少し〜 BaBe - Night Tempo presents ザ・昭和グルーヴ(2020年2月14日、デジタルリリース)
I Don't Know (Night Tempo Showa Groove Mix) Hey Bravo!(1987年8月21日、40分)
The Boy is Mine (Live) Somebody Loves You 〜明日の恋人〜 じゃじゃ馬ならし(近藤ソロ) ひとりぼっちのWarriors I Don't Know! My Shiny Rain(二階堂ソロ) ipi-iyi 〜自分だけの呪文〜 (Live) Give Me Up NG集 おまけ「I Don't Know!」フリツケ プロジェクトA子3 シンデレラ♥ラプソディ(OVA、1988年6月21日) Thank You(1990年6月21日、45分) - 解散後の作品
She has a dream WAKE UP!(インクスティック芝浦ファクトリーでのライブ風景を使用したPV) Get a Chance! TONIGHT! Hold Me! Somebody Loves You 〜明日の恋人〜 I Don't Know! Give Me Up Brand-new Generation NG集 CDV GOLD 〜 Mujaki Genki Suteki(1987年9月21日) I Don't Know! The Boy is Mine ひとりぼっちのWarriors ipi-iyi 〜自分だけの呪文〜 Give Me Up 1987年6月26日:第6回 メガロポリス歌謡祭新人賞(テレビ東京)優秀新人賞 1987年10月16日:全日本歌謡音楽祭(テレビ朝日)新人奨励賞 1987年10月17日:銀座音楽祭(フジテレビ)最優秀新人賞 1987年10月30日:輝け! 第18回 日本歌謡大賞(フジテレビ)放送音楽新人賞 1987年11月25日:第29回 日本レコード大賞 (TBS) 新人賞 1987年12月4日: 第20回 日本有線大賞 (TBS) 新人賞 1987年12月10日:第20回 全日本有線放送大賞(読売テレビ・日本テレビ)新人賞 1987年12月15日:第16回 FNS歌謡祭(フジテレビ)最優秀新人賞 ※ 在京キー局のテレビ番組の放送日は首都圏のもの。地方の系列局の放送日は異なる場合がある。 あまえないでョ!(フジテレビ、1987年2月12日) - 第5話にてクラブで歌うシンガー役 父と娘の季節(日本テレビ、1990年12月20日) - BaBe解散後に近藤が、長野県松本市の信用金庫に勤めるなおみ(田中美佐子が演じるOLの従妹)役で出演 アッコにおまかせ!(TBS、1987年11月29日) さんまのまんま(関西テレビ、1988年3月7日;フジテレビ、1988年3月9日深夜〈首都圏〉) ねるとん紅鯨団(フジテレビ、1988年4月9日) 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ、1988年4月11日:テレフォンショッキング;1988年6月 - 9月:レギュラー) 火曜ワイドスペシャル - 所さんの大わらい!うちら陽気なミュージシャン (フジテレビ、1988年4月19日、「アイドル声あてクイズ」に出演) 欽ちゃんのどこまで笑うの!?(テレビ朝日、1988年5月3日) Lady's Knight(日本テレビ、1988年10月15日 - 1989年3月25日) パオパオチャンネル(テレビ朝日) - ウッチャンナンチャンと共に金曜レギュラー。BaBeは番組の途中で降板したが、最終回の1989年9月29日に再び出演した。 ビショップinナイト Live King(ABCテレビ、1990年4月24日 - 1991年) - 解散後、近藤が原田伸郎と共に司会を務めた音楽オーディション番組。 なにわ友あれ赤井英和(毎日放送) - 引退後の二階堂がゲスト出演。 ノンストップ!(フジテレビ、2017年7月11日) - 引退後の二階堂が実娘と共にゲスト出演。近藤も電話でのみ出演。 他多数 ザ・オーディション(1984年11月17日、東宝東和) 一の宮はじめ ジャズダンスアカデミー第3回公演 「ダンシングミュージカル フィナーレには花束を」(1985年10月4日 - 5日、全3回公演、新橋・ヤクルトホール。作・演出・作詞・振付:一の宮はじめ) - デビュー前の出演作。近藤は「とも子役」、二階堂は「ゆかり役」。小林千絵やセイントフォーと共演。 カモン・BaBeのハロームービー夢工場(ニッポン放送) - 嘉門達夫と共演の番組 ジャジャ馬BaBeのハロームービー(ニッポン放送) ABC東京発 アーチストNOW(ABCラジオ、1988年4月 - ) - パール兄弟のサエキけんぞうと共に水曜レギュラー Lo-Dライブコンサート(1988年5月28日、エフエム東京) - 麹町のエフエム東京ホール(キャパ350人)での公開生放送ライブ。司会:井上堯之、田中美登里。 デーモン小暮のオールナイトニッポン(ニッポン放送)
1990年3月5日 - ゲスト出演ではないが、解散後の近藤の身の振り方に対し、リスナーが意見を投稿するコーナー「悪魔で生ラジオ」にて、解散後の近藤を憂う「どうするどうなる BaBeの近藤」のテーマが取り扱われる。 1990年3月12日 - 近藤がゲスト出演し、解散後の身の振り方を相談。 BaBeのハートを狙い撃ち( - 1989年3月) BaBeのGood Luck(1989年11月28日 - 1990年1月23日、毎月第4火曜日の深夜の5分番組、エフエム福岡) BaBeのBang the Beat(1989年11月28日 - 1990年1月23日、毎月第4火曜日の深夜の放送、エフエム福岡) MBSヤングタウン・キンド館(MBSラジオ、1989年7月 - 1990年4月6日〔二階堂のみ3月2日までの出演〕) - 金曜深夜に東野幸治・石田靖と共演 小林豊のスーパーギャング(TBSラジオ) - 解散後に近藤がレギュラー ABCミュージックパラダイス(ABCラジオ、1991年10月 - 1992年3月) - 解散後、近藤が山田雅人と共に月曜レギュラーとして出演 高田純次の男・夕焼けまわり道(ニッポン放送) - 解散後に近藤がレギュラー 森永製菓 キャラメル「Hi-SOFT」(1988年) 京阪電気鉄道 ひらかたパーク 「ジェットコースター ビッグファルコン」、「ひらかた大菊人形 武田信玄」(関西ローカル)
1987年5月31日 - 日本青年館 1987年8月20日 - 京都会館 1987年10月29日 - 新宿歌舞伎町のディスコ「XENON(ゼノン)」 1988年1月31日 - 中野サンプラザ 1988年3月21日 - 大阪厚生年金会館 大ホール DANCE & LIVE FACTORY「BaBe, FRIDAY NIGHT LIVE!」 BaBeフレッシュサウンズコンサート(1988年8月24日、倉敷市児島駅前「瀬戸大橋架橋記念博覧会」) SUNPU博アイドルステージ(1989年3月26日、静岡市・駿府公園「SUNPU博'89」) Brand-new heart(1989年4月 - 、BaBe初の全国ツアー) Sun downconcert(1989年5月、国立代々木競技場「国際スポーツフェア」) 世界デザイン博覧会 オープニングイベント(1989年7月、名古屋市・白鳥センチュリープラザ しろとりステージ) Bang! THE Beat '89 Bang! THE Beat '89 vol.2「共感」(このツアーは男性ダンサーを1名ゲストに迎えて開催)
1989年12月6日 - 名古屋 1989年12月10日 - 恵比寿ファクトリーI 1989年12月19日 他、福岡などでも開催。 この他、CLUB CITTA'など数か所 1987年10月22日 - 徳山大学 1987年10月25日 - 東北学院大学 1987年10月31日 - 北九州大学(近藤は体調不良で欠席。二階堂が単独でコンサートを行った) 1987年11月2日 - 大分医科大学 1987年11月3日 - 早稲田大学 1987年11月4日 - 金沢大学 1987年11月5日 - 中央大学 1987年11月7日 - 三重大学 1987年11月8日 - 中京女子大学 1987年11月14日 - 東洋女子短期大学、東洋英和女学院大学短期大学部、東京外国語大学 1987年11月21日 - 産業能率短期大学 1987年11月22日 - 電気通信大学 1987年11月23日 - 駿河台大学 1988年 - 三重県立四日市工業高等学校(ライブの途中で公演中止) 1989年11月3日 - 高岡短期大学「第4回 創己祭」(富山県高岡市) 1989年10月 - 多摩そごうのオープニングイベント 『BaBeのおもしろ絵本 Oh!SUSUME(オ・ス・ス・メ)』近代映画社、1988年4月。ISBN 4-76-481511-7。 Catch the BaBe(音楽雑誌『Hundred』。1989年12月号 - 1990年3月号。発行:プラネット) ^ 作曲家の都倉俊一が経営していた芸能事務所で、当時は南野陽子などが在籍していた。 ^ 近藤の「こんちゃん」、二階堂の「にかちゃん」の呼び方は、テレビ朝日『パオパオチャンネル』内でウッチャンナンチャンの2人が命名したあだ名。 ^ 名称は「KOOL & THE GANG」をもじったもの。ファンクラブの会報名も、同名の『BaBe & THE GANG』。 ^ 活動時は年齢を2つサバ読みしていた。 ^ 『読売新聞』1987年3月5日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年3月号p.190)および夕刊第16面(同前p.206)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年5月17日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年5月号p.656)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年5月21日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年5月号p.836)および夕刊第16面(同前p.854)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年5月25日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年5月号p.1002)および夕刊第16面(同前p.1026)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月6日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.1154)および夕刊第16面(同前p.1174)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月1日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号.24)および夕刊第16面(同前p.48)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月4日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.166)および夕刊第16面(同前p.182)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月8日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.326)および夕刊第12面(同前p.346)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月11日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.466)および夕刊第16面(同前p.482)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月15日朝刊第14面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.583)および夕刊第16面(同前p.618)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月17日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.696)および夕刊第16面(同前p.712)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月18日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.740)および夕刊第16面(同前p.756)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『週刊TVガイド』1987.7.4-7.10番組表p.70に番組放送予定と「ベイブ」の記載あり。 ^ 「音楽」(『週刊TVガイド』1987.7.4-7.10)p.44に番組放送予定と「ベイブ」の記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年7月19日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年7月号p.836)のテレビ番組表に「ベイブ新曲」として放送定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月5日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.162)および夕刊第16面(同前p.178)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月6日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.202)のテレビ番組表に番組放送予定と「ベイブ」の記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月6日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.202)および夕刊第12面(同前p.214)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月10日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.354)および夕刊第12面(同前p.366)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月13日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.462)および夕刊第12面(同前p.474)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月17日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.618)および夕刊第16面(同前p.640)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年10月17日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年10月号p.774)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年10月28日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年10月号p.1316)および夕刊第16面(同前p.1332)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年11月16日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年11月号p.680)および夕刊第20面(同前p.708)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年11月22日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年11月号p.984)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年12月4日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年12月号p.176)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年12月4日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年12月号p.176)および夕刊第20面(同前p.196)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年12月27日朝刊第20面(『読売新聞縮刷版』1987年12月号p.1156)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年1月3日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年1月号p.112)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年1月20日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1988年1月号p.834)および夕刊第16面(同前p.852)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年1月31日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1988年1月号p.1324)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年2月6日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1988年2月号p.254)および夕刊第12面(同前p.274)のテレビ番組表に「ベイブとピヨコ隊」として放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年2月21日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年2月号p.922)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年3月5日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年3月号p.216)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年5月1日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.24)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年5月18日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.244)のテレビ番組表に「ベイブも吹き出す珍プレー特集」として放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年5月11日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.388)および夕刊第16面(同前p.406)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年5月21日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.872)および夕刊第16面(同前p.892)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年5月30日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.1294)および夕刊第20面(同前p.1322)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1988年第23号)p.39(各地方版共通)に放送・出演・曲目予定記載あり。 ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年5月30日号)pp.8-9にBaBeの共演者・大西結花、島田奈美の収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年6月11日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年6月号p.512)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年5月30日号)p.8にBaBeの共演者・麻田華子の収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年8月12日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1988年8月号p.478)および夕刊第12面(同前p.490)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年8月27日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1988年8月号p.1162)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年8月15日号)pp.8-9にBaBeの共演者・岩井由紀子、佐野量子、立花理佐の収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年9月17日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1988年9月号p.826)および夕刊第16面(同前p.846)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年9月25日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1988年9月号p.1238)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年10月24日号)p.8にBaBeの共演者・小川範子の収録予定記載あり。 ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年11月7日号)pp.8-9にBaBeの共演者・島田奈美、西田ひかるの収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年12月17日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年12月号p.810)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1988年第51号)p.43に放送・出演・曲目予定記載あり。 ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年11月28日号)p.8にBaBeの共演者・国実百合、佐野量子の収録予定記載あり。 ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1989年第1号の番組表p.141に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年2月11日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年2月号p.508)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年1月23日号)p.16にBaBeの共演者・藤谷美紀の収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年3月4日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年3月号p.196)および夕刊第12面(同前p.212)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年3月10日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年3月号p.510)および夕刊第20面(同前p.534)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年3月11日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年3月号p.566)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1989年第11号)p.55(各地方版共通)に番組放送・出演・曲目予定記載あり。 ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年2月20日号)pp.16-17にBaBeの共演者・Wink、小川範子、国実百合、佐野量子、仲村知夏、西村知美の収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年3月22日夕刊第20面(『読売新聞縮刷版』1989年3月号p.1122)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1989年第15号の深夜番組表p.78に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1989年第20号)p.41(各地方版共通)に番組放送・出演・曲目予定記載あり。 ^ 『朝日新聞』大阪版1988年3月7日朝刊第24面のテレビ番組表に「「今年は漫才で新人賞を狙ってみたら!?」ベイブ」として番組放送予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年4月9日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年4月号p.416)および夕刊第12面(同前p.428)のテレビ番組表に番組放送予定と「ベイブ」の記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年4月19日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年4月号p.886)および夕刊第16面(同前p.910)のテレビ番組表に番組放送予定と「アイドル声あてクイズ」および「ベイブ」の記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年5月3日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.100)のテレビ番組表に「騒然、ベイブ大暴れ」として番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『週刊明星』1987年2月5日号p.20。 ^ 『明星』1987年5月号p.228。 ^ 『ラジオパラダイス』1988年1月号pp.4-5。 ^ 『Oh!SUSUME』 1988, p.69。 ^ 『近代映画』1988年9月号pp.134-135。 ^ 『Oh!SUSUME』 1988, p.115。 ^ 『週刊明星』1987年4月23日号p.67。 ^ 『週刊明星』1987年11月5日号p.67。 ^ PV集ビデオ『Thank You』(ポニーキャニオン、1990年6月21日)。 ^ 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社. 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nikaidou yukari
二階堂ゆかりと同じ誕生日8月29日生まれ、同じ東京出身の人
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