井上栄一の情報(いのうええいいち) 経営者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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井上栄一の情報まとめ
井上 栄一(いのうえ えいいち)さんの誕生日は1913年8月18日です。埼玉出身の経営者のようです。
卒業に関する情報もありますね。1993年に亡くなられているようです。
井上栄一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)井上 栄一(いのうえ えいいち、1917年〈大正6年〉1月1日 - 1993年〈平成5年〉3月3日)は、日本の農林技官、気象学者、農業気象学者、微気象学者。理学博士。元農林省農業技術研究所物理統計部気象科科長。日本農業気象学会名誉会員。 新潟県新潟市出身。新潟尋常小学校を経て、1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1937年(昭和12年)3月に第一高等学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に東京帝国大学工学部航空学科を卒業。 1941年(昭和16年)4月に陸軍航空技術学校に入校、軍曹に任官、6月に見習士官に任官、8月に陸軍技術中尉に任官、陸軍航空本部に配属。 航空技術将校として、太平洋戦争の戦地や大日本帝国軍の占領地に出向き、そこに残された戦闘機スーパーマリン スピットファイアや戦闘機P-40 キティホークなどの敵国の航空機や文書などを調査した。 奥田教久と亘理厚とともに、撃墜したアメリカ軍の航空機の搭乗員を尋問したり、東京帝国大学航空研究所の糸川英夫と話をしたりして、大型戦略爆撃機B-29などのアメリカ軍やイギリス軍の未見の新型航空機の性能を計算して推定した。 1945年(昭和20年)8月15日に太平洋戦争が終戦、最終階級は陸軍技術大尉。朝日新聞社の航空雑誌『航空朝日』に記事を執筆していた縁で、奥田教久とともに朝日新聞社の学芸部に科学記者として入社。 1946年(昭和21年)5月から1951年(昭和26年)5月まで東京大学理学部大学院の地球物理学教室の気象学研究室で正野重方のもとで小倉義光と岸保勘三郎とともに研究。 1947年(昭和22年)2月から1952年(昭和27年)2月まで東京大学理工学研究所の河田三治研究室で研究生として河村龍馬、竹山寿夫、内田茂男、小口伯郎とともに研究。 1951年(昭和26年)5月に農林省農業技術研究所物理統計部気象科物理第二研究室室長に就任、1952年(昭和27年)10月に東京大学から理学博士号を取得。 1954年(昭和29年)に小倉義光とともに「大気乱流の研究」で第1回日本気象学会賞を受賞、1962年(昭和37年)に「穂波に関する研究」で第10回日本農業気象学会賞を受賞。 1966年(昭和41年)4月に農林省農業技術研究所物理統計部気象科科長に就任、1970年(昭和45年)6月に農林省農業技術研究所物理統計部気象科主任研究官に就任。 1973年(昭和48年)1月に発行の日本農業気象学会の学術誌『農業氣象』第28巻第3号で "Aerobiology"「空中生物学」を日本で最初に紹介した。 1977年(昭和52年)7月に農林省農業技術研究所を退官。 農業気象研究の近代化に大きな業績を上げ、日本における農業気象学の知名度を世界的に高めた。 1954年(昭和29年) - 第1回日本気象学会賞「大気乱流の研究」 1962年(昭和37年) - 第10回日本農業気象学会賞「穂波に関する研究」 『流れと渦』目黒書店、1948年。 CiNii収録論文 - CiNii ^ 1938年(昭和13年)4月に東京帝国大学工学部航空学科に入学。 ^ 大日本帝国陸軍の戦闘機や爆撃機などを設計。のちに「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。 ^ 太平洋戦争後、航空研究は禁止のため、1946年(昭和21年)3月に東京大学航空研究所は東京大学理工学研究所に改組。 ^ 管理職は予算のことや人事のことで忙しいという理由で気象科科長から主任研究官に希望降任。 ^ 1971年(昭和46年)10月に開催の日本気象学会秋季大会と1972年(昭和47年)6月に発行の日本農芸化学会の学術誌『化学と生物』第10巻第6号で既に紹介している。 ^ 『農業氣象』第49巻第1号、巻頭。 ^ 『日本風工学会誌』第19号、84頁。 ^ 『青山同窓会會報』第33号、3面。 ^ 『天気』第40巻第9号、709頁。『農業氣象』第49巻第1号、巻頭。 ^ 『日本風工学会誌』第19号、85頁。 ^ 『日本風工学会誌』第19号、85-86頁。『零戦燃ゆ 熱闘篇』530-538頁。 ^ 『日本風工学会誌』第19号、86頁。『終戦時 帝國陸軍全現役将校職務名鑑』244頁。 ^ 『日本風工学会誌』第19号、86頁。 ^ 『日本風工学会誌』第19号、87頁。『ながれ』第20巻第6号、453頁。 ^ 『天気』第40巻第9号、710頁。『農業氣象』第49巻第1号、巻頭。 ^ 『日本風工学会誌』第19号、88頁。 ^ 『日本風工学会誌』第19号、89頁。 ^ 『日本風工学会誌』第21号、87・92頁。 ^ 日本気象学会賞 歴代受賞者一覧 | 公益社団法人 日本気象学会 ^ 日本農業気象学会賞 受賞者一覧 (PDF) |日本農業気象学会 ^ 『日本風工学会誌』第22号、48・50頁。 ^ 『日本風工学会誌』第22号、50頁。 ^ Kawashima 2004, p. 2. ^ 『農業氣象』第28巻第3号、193-194頁。 ^ 『天気』第18巻第8号、438-439頁。『化学と生物』第10巻第6号、414頁。 ^ 『日本風工学会誌』第21号、92頁。『日本風工学会誌』第23号、57頁。 ^ 論文紹介: 穂波に見る大気の乱流 - 伊川浩樹 - 農業環境技術研究所 「井上栄一博士の御逝去を悼む (PDF) 」『天気』第40巻第9号、709-710頁、内嶋善兵衛[著]、日本気象学会、1993年。 「井上栄一先生の御逝去を悼む」『農業氣象』第49巻第1号、巻頭、谷信輝[著]、日本農業気象学会、1993年。 「近くて遠い国々 (PDF) 」『青山同窓会會報』第33号、3面、井上栄一[著]、青山同窓会、1981年。 「風研究の三十年 (I)」『日本風工学会誌』第19号、83-89頁、井上栄一[著]、日本風工学会、1984年。 「風研究の三十年 (II)」『日本風工学会誌』第21号、87-93頁、井上栄一[著]、日本風工学会、1984年。 「風研究の三十年 (IV)」『日本風工学会誌』第22号、39-52頁、井上栄一[著]、日本風工学会、1984年。 「風研究の三十年 (V)」『日本風工学会誌』第23号、53-57頁、井上栄一[著]、日本風工学会、1985年。 『零戦燃ゆ 熱闘篇』柳田邦男[著]、文藝春秋、1985年。 『終戦時 帝國陸軍全現役将校職務名鑑』松原慶治[編]、戦誌刊行会、1985年。 「気象学における流体力学の回顧と展望」『ながれ』第20巻第6号、453-460頁、小倉義光[著]、日本流体力学会、2001年。 「Aerobiologyにおける乱流と拡散の役割り (PDF) 」『天気』第18巻第8号、438-439頁、井上栄一[著]、日本気象学会、1971年。 「Aerobiology」『農業氣象』第28巻第3号、193-194頁、井上栄一[著]、日本農業気象学会、1973年。 「生物と乱流 乱子生物学」『化学と生物』第10巻第6号、412-416頁、井上栄一[著]、日本農芸化学会、1972年。 Kawashima, Shigeto (2004). “Aerobiology in the world: Japan”. International Aerobiology NEWSLETTER (International Association for Aerobiology) (59): 2-3. 『井上栄一博士業績目録』農業技術研究所気象科[編]、農業技術研究所、1977年。 「私の農業気象遍歴」『農業氣象』第49巻特別号、5頁、井上栄一[著]、日本農業気象学会、1993年。 「L. プラントルさんとG. I. テイラーさんのこと (PDF) 」『天気』第36巻第5号、323-324頁、井上栄一[著]、近藤純正[加筆]、日本気象学会、1989年。 「風研究の三十年 (III)」『日本風工学会誌』第21号、95-102頁、井上栄一[著]、日本風工学会、1984年。 「風の計測」『日本風工学会誌』第32巻第2号、97-98頁、内藤玄一[著]、日本風工学会、2007年。 「日本風工学会の成立ちと思い出」『日本風工学会誌』第41巻第3号、218頁、吉田正昭[著]、日本風工学会、2016年。 VIAF 日本 大日本帝国陸軍軍人 日本の軍事技術者 日本の航空機技術者 日本のサイエンスライター 農林技官 日本の気象学者 太平洋戦争の人物 朝日新聞社の人物 農業環境技術研究所の人物 理学博士取得者 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 新潟県立新潟高等学校出身の人物 新潟市出身の人物 1917年生 1993年没 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/18 01:50更新
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