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佐々木惣一の情報 (ささきそういち)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

佐々木惣一の情報(ささきそういち) 法学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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佐々木 惣一さんについて調べます

■名前・氏名
佐々木 惣一
(読み:ささき そういち)
■職業
法学者
■佐々木惣一の誕生日・生年月日
1878年3月28日 (年齢1965年没)
寅年(とら年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
鳥取出身

佐々木惣一と同じ1878年生まれの有名人・芸能人

佐々木惣一と同じ3月28日生まれの有名人・芸能人

佐々木惣一と同じ出身地鳥取県生まれの有名人・芸能人


佐々木惣一と関係のある人

佐々木勝彦: 白洲次郎(2009年3月7日、NHK) - 佐々木惣一


田畑忍: 在学中当初は中島重に、中島が同志社を去ったのちは佐々木惣一に師事した。


近衛文麿: これを受け近衞は天皇から内大臣府御用掛に任じられ、東大の高木八尺と京大の佐々木惣一の助言を受けながら熱心に帝国憲法改正作業を進めた。


森戸辰男: 裁判では今村力三郎を主任弁護士に原嘉道、花井卓蔵、鵜沢総明、特別弁護人に三宅雪嶺、吉野作造、佐々木惣一、安部磯雄ら錚々たるメンバーが揃い、大審院まで争ったが上告は棄却され有罪が確定。


白洲次郎: 同年には憲法改正問題で、佐々木惣一京都帝国大学教授に憲法改正の進捗を督促する。


松村達雄: 憲法はまだか(1996年、NHK) - 佐々木惣一


末川博: 末川・恒藤は細野の要請を受け、復帰の内諾を得た6人と共に立命館大学学長に就任していた佐々木惣一の元を訪ねている。


佐々木惣一の情報まとめ

もしもしロボ

佐々木 惣一(ささき そういち)さんの誕生日は1878年3月28日です。鳥取出身の法学者のようです。

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現在、卒業、病気、事件、趣味、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。1965年に亡くなられているようです。

佐々木惣一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

佐々木 惣一(ささき そういち、1878年〈明治11年〉3月28日 - 1965年〈昭和40年〉8月4日)は、日本の法学者。専門は憲法学・行政法。学位は法学博士。貴族院勅選議員。京都大学名誉教授。立命館大学学長。京都市名誉市民。文化功労者、文化勲章受章者。贈正三位、贈勲一等瑞宝章(没時追贈)。

佐々木惣三郎の長男として現在の鳥取県鳥取市西町に生まれる。

1895年(明治28年)、旧制鳥取県尋常中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)卒業。現存している一年級と三年級の成績は、前者が次席、後者が首席である。

同年9月、旧制第四高等学校入学。一般家庭出身で学資に困っていた佐々木は、旧鳥取藩主池田家の奨学金や鳥取時代の友人からの援助を受けて高校に通った。学生時代にはボート部に属し、野村淳治(後に東大公法学教授)や阿部信行(内閣総理大臣)と交流し、また子規派俳句結社「北声会」に参加した。なお、憲法学者の上杉慎吉は四高法科の一年上級、商法学者の烏賀陽然良(京大法教授)は同級である。

1899年(明治32年)、新設された京都帝国大学法科大学に第一期生として入学する。当初は独法科を志して東京帝国大学に進む予定であったが、病気療養の事情や親戚の勧めから京都帝大に進学する。学費や病気の両親の治療費のために苦学し、塾講師などアルバイトに励んだ。

1903年(明治36年)、卒業論文「官吏ノ不法行為ニ因ル国家ノ責任ヲ論ス」を提出し、京都帝国大学法科大学卒業

直ちに同大学の講師、次いで1906年(明治39年)に助教授、1913年(大正2年)に教授となり、行政法を講じた。さらに1927年(昭和2年)からは退官した市村光恵に代わって憲法も担当するようになった。行政法における師匠は織田萬であり、憲法における師匠は井上密である。1921年(大正10年)以来2度、法学部長に挙げられる。

厳密な文理解釈と立憲主義を結合した憲法論を説き、美濃部達吉とともに、大正デモクラシーの理論的指導者として活躍し、弟子の大石義雄とともに憲法学における京都学派を築いた。1916年(大正5年)元旦から大阪朝日新聞の朝刊1面で論文「立憲非立憲」を発表。1933年(昭和8年)滝川事件に抗議して辞職。同事件では法学部教授団の抗議運動の中心として活動するなど、大学自治の擁護に努めた。

1945年(昭和20年)には内大臣府御用掛として憲法改正調査に当たり、いわゆる「佐々木憲法草案」を作成している。その後は、貴族院における日本国憲法の改正審議に参画し、日本国憲法への改正に反対した。

1951年(昭和26年)、朝日新聞に「自衛軍事行動と憲法」を発表し、自衛戦力合憲論(合憲論)を提示した。翌1952年(昭和27年)には国会に日本国憲法9条解釈に関する意見書を提出し、合憲論を主張した。

1878年(明治11年)- 3月28日 生誕

1903年(明治36年)- 7月 京都帝国大学法科大学卒業、同講師

1906年(明治39年)- 10月 京都帝国大学法科大学助教授

1909年(明治42年)- 9月 ドイツ、フランス、イギリスへ行政法研究のため3年間留学

1913年(大正2年)

    1月 京都帝国大学法科大学教授

    12月 法学博士

    1921年(大正10年)- 4月 京都帝国大学法学部長

    1934年(昭和9年)- 3月 立命館大学学長

    1939年(昭和14年)- 12月 帝国学士院会員

    1945年(昭和20年)

      10月13日 - 内大臣府御用掛。

      10月 京都帝国大学名誉教授

      11月 内大臣府御用掛として憲法改正調査を拝命しいわゆる「佐々木草案」を作成

      1946年(昭和21年)- 3月 貴族院勅選議員に勅任(12日。無所属倶楽部所属、1947年5月2日まで在任)

      1951年(昭和26年)- 「自衛軍事行動と憲法」発表

      1965年(昭和40年)- 8月4日 死去。同年8月21日には京都市公葬が営まれた。

      1952年(昭和27年)11月 - 文化勲章、併せて文化功労者

      1953年(昭和28年)11月 - 京都市名誉市民

      1965年(昭和40年)8月 - 叙正三位、勲一等瑞宝章(没時追贈)

      オールド・リベラリスト(戦前自由主義者)の一人で、自由主義者、自由保守主義者とされる。

      1916年、政党政治への不信が強まっていた時代に、論文「立憲非立憲」を発表し、「門地や職業に依て限られた範囲の国民」を「上級国民」と名付け、上級国民の意思による政治は立憲主義でなく、一般の国民がその意思を政治に反映させて初めて立憲主義が生まれるのだと、立憲主義の価値を説いた。

      1940年、革新的な新体制運動にともなって結成された大政翼賛会には一貫して反対し、自由保守主義を擁護し続けた。佐々木は中央公論1940年10月号寄稿論文「新政治体制の日本的軌道」において、日華事変の長期化を理由とした新体制運動の議会否定の思想を批判、ナチス・ドイツに範をとった一党独裁のファシズムは日本の政治的伝統とかけ離れ、帝国憲法の運用に適っておらず、非立憲的である、と主張した。

      立憲主義

      無限界説 - 憲法改正の範囲に限界はない(基本原理であっても改正可能である)と主張した。この考えに従うと、日本国憲法の成立過程において大日本帝国憲法に則った改正手続きをとりつつ大日本帝国憲法の基本原理を書き換えた(天皇主権の国民主権への改正など)ことを容易に説明することが可能である。ただし、学界では少数派であり、現在は憲法改正の範囲には限界があるとする学説が圧倒的に優勢である。

      自衛戦力合憲論(合憲論) - 自衛戦力の保持は憲法9条に反しないと主張し、後の警察予備隊・自衛隊合憲論に発展。。

      押し付け憲法論

      佐々木惣一の生涯は、学問の自由を守るための闘いだったといっても過言ではない。その学者としての態度は1922年(大正11年)、彼が鳥取中学校『創立五十年』に送った文章の中にも見られる(表記は新字体と現代仮名遣いに改めた)。

      趣味は読書と俳句。信仰は仏教。

      第四高等学校に入学し、金沢から郷里・鳥取の両親に送った佐々木自筆の書翰から要点を適載する。手紙はまず両親が家道困窮のうちに、高等学校へ進学させてくれたことを感謝し、(以下原文のまま)

      佐々木は『立憲非立憲』の中で、「違憲と非立憲」について以下のような考えを述べている(表記は新字体と現代仮名遣いに改めた)。

      政治はもとより憲法に違反してはならぬ。しかも憲法に違反しないのみをもって、直ちに立憲だとはいえない。違憲ではないけれどもしかも非立憲だとすべき場合がある。立憲的政治家たらんとする者は、実にこの点を注意せねばならぬ。違憲とは憲法に違反することをいうに過ぎないが、非立憲とは立憲主義の精神に違反することをいう。違憲はもとより非立憲であるが、しかしながら、違憲ではなくとも非立憲であるという場合があり得るのである。れば、いやしくも政治家たる者は、違憲と非立憲との区別を心得て、その行動のただに違憲たらざるのみならず、非立憲ならざるようにせねばならぬ。彼の違憲だ、違憲ではないというの点のみをもって、攻撃し、弁護するがごときは、低級政治家の態度である。 — 佐々木惣一『立憲非立憲』弘文堂書房、1918年

      『立憲非立憲』弘文堂書房、1918年

        『立憲非立憲』解説石川健治(講談社学術文庫)2016年

        『日本憲法要論』金刺芳流堂、1930年、NDLJP:1281177

        『我が国憲法の独自性』岩波書店、1943年

        『帝国憲法改正ノ必要』1945年11月24日(日付は11月23日)に天皇に奉答した改正案

        『日本国憲法論』有斐閣、1949年

        『憲法大義』有斐閣、1950年

        『憲法学論文選』1・2・3、 有斐閣、1956-57年

        佐々木惣一博士米寿祝賀記念刊行会 編発行『法の根本的考察』1965年

        大石眞 編『憲政時論集』1・2、信山社出版、1998年

        ほか多数

        ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』125頁。

        ^ “京都市:京都市名誉市民”. 京都市情報館. 2021年6月10日閲覧。

        ^ “京都市:京都市名誉市民 佐々木 惣一氏”. 京都市情報館. 2021年6月10日閲覧。

        ^ 『第廿一版 人事興信録 』 1961年、さ一三

        ^ 『鳥取県大百科事典』363頁

        ^ 三浦百重(鳥取大学学長、鳥取市名誉市民)によれば、「先生は明治十一年三月鳥取市西町十一番地に生まれたとその履歴書(注・京都市作製)にはなっているが、この点は、私の聞いた限りでも巷間諸説があり、中には近郊の生まれで幼時両親に伴われて鳥取市に移り、その後も数次居を転じた為め諸説が生じたのであると云う人もある。いま之を明らかにする途はないが狩野教授が佐々木先生から直接依頼されて作った“夢松菴記”のうちに…教授(注・佐々木先生)曰吾郷有山曰久松其麓吾幼時居也…(注・吉川教授編―君山文巻五)とあることによっても、郷里は鳥取市としてよいであろう。」という(『鳥取県百傑伝』、224頁))

        ^ 伊藤 2024, p. 3.

        ^ 伊藤 2024, p. 10.

        ^ 伊藤 2024, p. 9-14.

        ^ 『第四高等学校一覧 明治30-32年』第四高等学校、明22-大1

        ^ 伊藤 2024, p. 14-20.

        ^ なお、京大法科では1907年に卒業論文制度が廃止されている。

        ^ 佐々木惣一「織田萬博士の追憶」(公法研究一八号)

        ^ 伊﨑文彦 2009, p. 17.

        ^ 人物紹介 | 日本国憲法の誕生

        ^ Company, The Asahi Shimbun (2016年3月21日). “[2]佐々木惣一と吉野作造 - 石川健治|論座 - 朝日新聞社の言論サイト”. 論座(ロンザ). 2020年1月27日閲覧。

        ^ 松尾尊兊 2009, p. 117、133-136.

        ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、346頁。ISBN 4-00-022512-X。 

        ^ 『官報』第5748号、昭和21年3月14日。

        ^ 「故佐々木氏の告別式」『日本経済新聞』昭和40年8月5日.15面

        ^ 伊﨑文彦「佐々木惣一の立憲主義論と自由主義思想の展開」2009年

        ^ 山田航 (2020年1月25日). “(耕論)「上級国民」流行する国 吉川徹さん、與那覇潤さん、山田航さん:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年1月27日閲覧。

        ^ 伊﨑文彦 2009.

        ^ 江崎, pp. 235–239.

        ^ 伊藤 2024, p. 381-389.

        ^ 魚問屋勤務

        ^ 近代日本思想大系33『大正思想集I』所収、筑摩書房、1978年

        盛秀雄『佐々木惣一博士の憲法学 帝国憲法論から日本国憲法論へ』(成文堂、1978年)

        伊藤孝夫『佐々木惣一』(ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2024年

        『新日本人物大観』鳥取県版、人事調査通信社、1958年、サ…345-346頁

        『鳥取県百傑伝』山陰評論社、1970年、 224-230頁

        鳥取県大百科事典編集委員会 編『鳥取県大百科事典』新日本海新聞社、1984年、363頁

        衆議院・参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

        伊﨑文彦「佐々木惣一の立憲主義論と自由主義思想の展開 ―第一次大戦前後の時期を中心に―」『都市文化研究』第11号、大阪市立大学大学院文学研究科都市文化研究センター、2009年3月、14-25頁。 

        松尾尊兊「敗戦前後の佐々木惣一 ―近衛文麿との関係を中心に―」『人文学報』第98号、京都大学人文科学研究所、2009年12月、117-142頁、doi:10.14989/134785。 

        江崎道朗『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』PHP新書、2017年8月。ISBN 978-4-569-83654-6。 

        佐々木・和辻論争 -『新編 国民統合の象徴』 中公クラシックス。双方の論争を収録 

        滝川事件

        和辻哲郎

        森戸辰男

        大内兵衛

        『憲法はまだか』(1997年のNHKドラマ、演:松村達雄)

        日本国憲法制定に関する談話録音|国立国会図書館 憲政資料室

        歴代総長・学長|歴史|大学紹介|立命館大学

        佐々木惣一の「憲法第九条と自衛権」 REAL-JAPAN

        佐々木惣一「帝国憲法改正ノ必要」 - 日本国憲法の誕生

        館長/総長 中川小十郎 1913-1931/1931-1944

        事務取扱 中川幹太 1944-1946

        末川博 1948-1949

        事務取扱 橋本循 1949

        末川博 1949-1951

        末川博 1951-1969

        事務取扱/総長 武藤守一 1969-1970/1970

        事務取扱 近藤繁人 1970

        細野武男 1970-1978

        天野和夫 1978-1984

        谷岡武雄 1985-1990

        大南正瑛 1991-1998

        長田豊臣 1999-2006

        川口清史 2007-2014

        吉田美喜夫 2015-2018

        仲谷善雄 2019-

        富井政章 1900-1903

        富井政章 1903-1904

        富井政章 1904-1913

        富井政章 1913-1922

        富井政章 1922-1927

        田島錦治 1927-1933

        佐々木惣一 1934-1936

        事務取扱 織田萬 1936-1940

        田中昌太郎 1940-1941

        松井元興 1941-1945

        末川博 1945-1948

        1948- 総長が兼任

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        1878年生

        1965年没

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2024/11/13 20:31更新

sasaki souichi



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