佐藤真一の情報(さとうしんいち) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
佐藤 真一さんについて調べます
■名前・氏名 |
佐藤真一と関係のある人
梶本勇介: 初出場:2004年8月21日、対阪神タイガース20回戦(明治神宮野球場)、11回裏に佐藤真一の代走で出場 河野亮: 11月に佐藤真一・田畑一也との交換トレードで柳田聖人と共に福岡ダイエーホークスへ移籍。 野村克也: この年活躍した選手に投手の石井、吉井、田畑一也(ダイエーから獲得)、野手の古田、土橋、池山、宮本慎也、真中満、稲葉、シーズン前に酷評したドゥエイン・ホージー、1996年に田畑と共にダイエーから移籍した佐藤真一、青柳進、同じく1996年に西武を戦力外になり移籍した辻発彦、オリックスから移籍した馬場敏史、中日からテスト入団した野中徹博、ダイエーからテスト入団の広田浩章らがいる。 田畑一也: 1995年オフに柳田聖人・河野亮との2対2の交換トレードで、佐藤真一と共にヤクルトスワローズへ移籍。 那須野巧: シーズン最終登板のヤクルト戦でその日引退試合だった佐藤真一に流し打ちであわやホームランという大飛球(フェンス直撃の二塁打)を浴びた。 下山真二: 2015年4月21日の試合から佐藤真一に代わり一軍打撃コーチを務め、2016年シーズンは再び二軍打撃コーチを担当。 福沢卓宏: 初奪三振:同上、6回表に佐藤真一から 前田大輔: ^ 佐藤真一打撃コーチ、前田大輔バッテリーコーチ就任のお知らせオリックス・バファローズ公式サイト 2014年10月16日配信 武内晋一: 準永久欠番である背番号8を同年引退した佐藤真一から受け継いだ。 柳田聖人: 同年オフ、田畑一也・佐藤真一との交換トレードで河野亮と共に古巣・ダイエーに復帰。 荻原満: 佐藤真一と同期であった。 |
佐藤真一の情報まとめ
佐藤 真一(さとう しんいち)さんの誕生日は1965年8月7日です。北海道出身の野球選手のようです。
引退、卒業、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。佐藤真一の現在の年齢は59歳のようです。
佐藤真一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 佐藤 真一(さとう しんいち、1965年8月7日 - )は北海道札幌市南区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 東海大学、たくぎんを経て27歳でプロ入りし、40歳まで現役選手としてプレーした。バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。現役引退後は東京ヤクルトスワローズ、オリックス・バファローズでコーチを務めた。 Honda硬式野球部に所属する佐藤竜彦は長男。 小学2年の時に野球を始める。学生時代、勉学は常にトップクラスの成績だった。甲子園などの大舞台への出場はなかったが、野球部の中心選手として「文武両道」を地でいく活躍を見せ、東海大学付属第四高等学校時代には「松前賞」を受賞している。卒業後は東海大学へ進学。同期には荻原満がいる。2年の時に投手から外野手へ転向し、1988年には全日本メンバー入りする。首都大学リーグ通算28試合出場、104打数30安打、打率.288、15打点。卒業後は北海道拓殖銀行に入行。 1989年は都市対抗野球で大昭和製紙北海道の補強選手として出場して準優勝。同大会では三菱重工広島の補強選手として出場した佐々岡真司、新日本製鐵堺の野茂英雄の両者からホームランも打っている。1990年8月、アトランタでのアマチュア野球ワールドオールスターゲームで東軍代表(アジア・欧州・オセアニア、名誉監督王貞治、監督山中正竹)として出場し、ハンク・アーロンが名誉監督の西軍代表(アフリカ・アメリカ)を破り初代最優秀選手となった。 1992年のバルセロナオリンピックでは、山中監督率いる日本代表チームに、プロ入り後にもチームメイトとなる小久保裕紀や伊藤智仁らと共に選ばれた。当時から強肩で知られており、一次リーグ5試合目のイタリア戦ではピッチャーとしてマウンドにも上がっている。打撃でも全日本の3番を打ち、銅メダル獲得に貢献した。 その年のプロ野球ドラフト会議で福岡ダイエーホークスから4位指名を受け、27歳にしてプロ入りを果たした。即戦力として期待され、背番号は「7」が与えられた。契約金1億円はドラフト1位以外の下位指名では史上初であった。 1993年シーズンは、1年目から一軍で56試合に起用されている。4月17日の福岡ドーム初の公式戦、0-1で迎えた9回裏1アウト走者二塁の場面で代打で出場し、完封記録のかかる野茂英雄・光山英和のバッテリーの前にキャッチャーへのファウルフライに倒れた。またこの年福岡ドームで開催されたフレッシュオールスターにも出場している。 1994年は一軍での出場は24試合、1安打に留まった。当時の監督根本陸夫には4番を打っていた秋山幸二が負傷欠場した際、他の選手の打順を繰り上げずに佐藤を4番で起用するなど期待をかけられるも打撃で結果を出せずに徐々に出番が減っていった。 1995年には僅か7試合の出場に終わり、同年オフに田畑一也と共に、柳田聖人・河野亮との交換トレードでヤクルトスワローズへ移籍。背番号は「00」。 野村克也が監督在任中は守備固め中心の起用となった。1997年シーズンは、4月19日の対阪神タイガース戦(福岡ドーム)で4-4の同点の9回一死無走者の打席で葛西稔からサヨナラ本塁打を放った。西武ライオンズとの1997年の日本シリーズ第4戦では、8回裏1死3塁の場面で打席が回り、ブライアン・ギブンスからダメ押しとなる2点本塁打を放っている。 監督が同じ北海道出身の若松勉に代わった1999年シーズン、4月16日の対阪神タイガース戦で両者無得点のまま迎えた9回二死満塁の打席で藪恵壹からサヨナラ安打、5月19日の対読売ジャイアンツ戦で4-4の同点の延長13回二死二塁の打席で入来祐作からサヨナラ安打と、二度のサヨナラ打を放つなど、シーズン途中の6月からシュアな打撃で3番に定着した。最終的に113試合に出場し、規定打席未到達ながら打率.341、13本塁打、10盗塁と、34歳になるシーズンで才能を開花させた。8月6日の阪神タイガース戦(明治神宮野球場)で球団記録の25試合連続安打を達成する。この時の25試合連続安打は、2023年現在もヤクルトのチーム記録である。 2000年には東海大野球部の先輩・原辰徳の現役時代と同じ「8」が与えられたが、開幕から打率が低迷しレギュラーを失陥、2001年シーズンはチームが日本一に輝く中、プロ入り後初めて一軍出場無しに終わり、一時は戦力外が報じられるほどであったがチームに残留した。 2002年シーズンはキャンプ・オープン戦共に二軍で過ごしたが、前年3番をつとめた稲葉篤紀が安定感に乏しく、5月に一軍へ昇格すると、6月には一時的に3番としてスタメンに返り咲いた。際立った成績は残せなかったものの、飯田哲也の不調などでセンターが手薄だったことから、強肩を期待されてたびたび外野手として起用されている。 2003年シーズンもほぼ1年間を一軍でプレーし、8月16日の対中日ドラゴンズ戦では、9回表に抑えの大塚晶則から逆転となる二塁打を放つなど、代打の切り札的存在としてパワーある打撃を見せた。 2004年シーズンは打席数こそ減ったものの、スタメン出場も多く、一時4割を越える高打率をマークした。最終的にも.323の打率を記録している。 2005年シーズンを最後に現役を引退。プロ入りが28歳の年と高齢入団だった事もあり、40歳まで現役を続けることが目標であり、それを叶えた上での引退となった。また、生え抜きの選手以外では珍しく、引退セレモニーも行われた。現役最終打席は代打で出場し、横浜ベイスターズの那須野巧からあわや本塁打というライトフェンス直撃の二塁打を放った。 2005年シーズンオフに守備・走塁コーチに就任し、主に二軍を担当した。2009年シーズンからは一軍打撃コーチを、2011年シーズンからは一軍打撃コーチ兼作戦担当を、2014年シーズンからは一軍ヘッドコーチを務めた。 2014年10月8日に今季限りで退団することが発表された。10月16日にダイエー時代の同僚森脇浩司が監督を務めるオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任したものの、開幕から低迷が続き、4月3日の時点でチーム打率がリーグワーストの.193まで沈むなど打撃不振の責任を取る形で4月19日の西武戦終了後、二軍打撃コーチに降格となった。シーズン終了後の10月15日に、フロント入りすることが発表された。2020年はスカウトを務めた。 2020年12月2日、2021年シーズンよりヤクルトに二軍外野守備走塁コーチとして復帰することが発表された。2022年からは一軍外野守備走塁コーチに配置転換された。2023年10月2日、契約満了に伴い退団することが発表された。 2024年3月1日付で地元・札幌大学硬式野球部のコーチに就任。 初出場:1993年4月11日、対西武ライオンズ2回戦(西武ライオンズ球場)、9回表に山口裕二の代打として出場 初先発出場:1993年5月9日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(千葉マリンスタジアム)、2番・中堅手として先発出場 初安打:同上、6回表に前田幸長から 初打点:同上、6回表に遠山昭治から 初盗塁:1993年7月11日、対オリックス・ブルーウェーブ16回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回表に二盗(投手:伊藤隆偉、捕手:高田誠) 初本塁打:1996年4月10日、対読売ジャイアンツ2回戦(明治神宮野球場)、5回裏にバルビーノ・ガルベスから 7(1993年 - 1995年) 00(1996年 - 1999年) 8(2000年 - 2005年) 82(2006年 - 2014年) 89(2015年) 81(2021年 - 2023年) ^ 「12球団全選手カラー百科名鑑2004」 (廣済堂ベストムック) ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、253ページ ^ - 都市対抗野球大会60年史 ^ 「“怪鳥”ツバメ8連勝 佐藤真がサヨナラ弾」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1997年(平成9年)4月20日付朝刊、16 - 17面(スポーツ面)。 ^ 「4安打 藪と気迫の投げ合い 石井一15K完封」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)4月17日付朝刊、19面(スポーツ面)。 ^ 「延長13回 今季最長5時間20分 Gサヨナラ負け」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)5月20日付朝刊、21面(スポーツ面)。 ^ 週刊ベースボール別冊 よみがえる1990年代のプロ野球 [Part.6] 1999年編 王ダイエー初V ベースボール・マガジン社.2021年.P84 ^ “【ヤクルト】高津氏一軍投手コーチに就任”. 日刊スポーツ. (2013年10月23日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131023-1208150.html ^ 『契約満了のお知らせ』(プレスリリース)東京ヤクルトスワローズ、2014年10月8日。http://www.yakult-swallows.co.jp/news/detail/17769。2015年10月7日閲覧。 ^ “【オリックス】長内、古久保両コーチが退団 佐藤氏、前田氏が後任に”. 2014年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月20日閲覧。スポーツ報知、2014年10月17日 ^ 『佐藤真一打撃コーチ、前田大輔バッテリーコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)オリックス・バファローズ、2014年10月16日。http://www.buffaloes.co.jp/news/detail/4112.html。2015年10月7日閲覧。 ^ “オリックス佐藤1軍コーチと下山2軍コーチが入れ替え”. 日刊スポーツ. (2015年4月19日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1464056.html ^ “オリ来季コーチ陣 1軍は準総取っ替え”. デイリースポーツ. (2015年10月15日). https://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2015/10/15/0008484940.shtml ^ “ヤクルトが2021年の組閣発表 伊藤智コーチが4シーズンぶり復帰”. ベースボールキング. (2020年12月2日). https://baseballking.jp/ns/257239 2021年12月8日閲覧。 ^ “【ヤクルト組閣】松元ユウイチ作戦コーチ、大松尚逸1軍打撃コーチ” (2021年12月8日). 2021年12月8日閲覧。 ^ “【大学野球】札幌大野球部コーチに元ヤクルトの佐藤真一氏が就任”. スポーツ報知. (2024年2月22日). https://hochi.news/articles/20240222-OHT1T51050.html?page=1 2024年2月23日閲覧。 オリンピックの野球競技・メダリスト一覧 北海道出身の人物一覧 東海大学の人物一覧 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 個人年度別成績 佐藤真一 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 30 安藤喜春 31 柳俊之 32 野端啓夫 14 白井弘泰 15 江口孝義 16 潮崎哲也 17 与田剛 18 野茂英雄 19 川辺忠義 10 古田敦也 22 鈴木俊雄 23 高見泰範 1 西正文 2 南渕時高 6 樋口一紀 8 石井浩郎 9 酒井司 20 内藤雅人 23 松井達徳 26 佐藤和弘 25 佐藤真一 表 話 編 歴 山中正竹 荒井信久 鍛治舎巧 野端啓夫 石平英一 島崎毅 鈴木健 長野哲也 落合英二 小池秀郎 水尾嘉孝 定詰雅彦 高見泰範 足立修 佐藤雄樹 住吉義則 十河章浩 西正文 原井和也 若林重喜 佐藤真一 内藤雅人 中本浩 松本安司 表 話 編 歴 山中正竹 野端啓夫 荒井信久 鈴木健 長野哲也 西山一宇 落合英二 杉浦正則 若田部健一 定詰雅彦 高見泰範 足立修 佐藤雄樹 住吉義則 西正文 原井和也 若林重喜 佐藤真一 内藤雅人 中本浩 町田公二郎 表 話 編 歴 30 山中正竹 31 野端啓夫 32 荒井信久 11 新谷博 16 西山一宇 17 若田部健一 18 渡部勝美 19 杉浦正則 20 小桧山雅仁 9 三輪隆 10 高見泰範 1 大島公一 3 若林重喜 4 西正文 6 小島啓民 7 十河章浩 8 丹波健二 24 四方田勇一 12 坂口裕之 23 町田公二郎 25 佐藤真一 26 中本浩 28 川畑伸一郎 表 話 編 歴 30 山中正竹 32 荒井信久 35 野端啓夫 12 佐藤康弘 14 杉山賢人 15 渡部勝美 16 西山一宇 17 小桧山雅仁 18 伊藤智仁 19 杉浦正則 10 高見泰範 23 三輪隆 1 大島公一 3 若林重喜 4 西正文 5 徳永耕治 6 十河章浩 7 小島啓民 8 小久保裕紀 9 坂口裕之 25 佐藤真一 26 中本浩 28 川畑伸一郎 表 話 編 歴 1位:大越基 2位:久保貴裕 3位:濱涯泰司 4位:佐藤真一 5位:渡辺正和 日本の野球選手 野球日本代表選手 オリンピック野球日本代表選手 日本のオリンピック銅メダリスト 野球のオリンピックメダリスト 東海大学付属札幌高等学校出身の野球選手 東海大学硬式野球部の選手 たくぎん野球部及びその前身チームの選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 日本の野球指導者 大学野球指導者 オリックス・バファローズ関連人物 北海道出身のスポーツ選手 札幌市出身の人物 1965年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/16 08:42更新
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