唐沢なをきの情報(からさわなおき) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
唐沢 なをきさんについて調べます
■名前・氏名 |
唐沢なをきと関係のある人
すがわらくにゆき: 藤子・F・不二雄、唐沢なをき、高野文子といった漫画家の影響が多く見られる。 なりたもえこ: 唐沢なをき とり・みき: とり自身があげるこの路線の作家に唐沢なをきがいる。 永野のりこ: 同嗜好の唐沢なをきによる「怪獣王」では、全体の1/3を占めるロング対談の相手をつとめ、怪獣ものTV番組や映画に関する思いを吐露しており、臨月でオールナイトの「ウルトラQ」上映会に参加したエピソードなどのほか、「(怪獣が)もう、好きで好きで、大人になっても好きで好きで、好きで好きで、好きで好きで、好きで好きでしょうがないんですよね」という、誤植と見まがうほどの熱烈な発言まで見られる(対談の文字起こしは唐沢よしこ)。 ソルボンヌK子: 唐沢俊一と弟で漫画家の唐沢なをきの共同名義唐沢商会にスタッフとして参加していた漫画評論家の伊藤剛(のち離脱)から岡田斗司夫編「国際おたく大学」(光文社、1998年)誌上で夫、俊一とともに寄稿した原稿が元で名誉毀損で告訴される。 永田竹丸: 唐沢なをきの漫画『電脳なをさん』で『おにいちゃん』のパロディが描かれたことがある。 スタパ齋藤: さらには同コーナーで、『ゲームセンターあらし』のパロディ4コマギャグ漫画『ゲームセンターいがらし』も連載(雑誌『EYE-COM』および後続の『週刊アスキー』の唐沢なをき連載漫画『電脳なをさん』にて不定期に掲載されていた同名漫画とは別)。 瀬奈陽太郎: “唐沢なをき公式blog「からまんブログ」:漫画会議”. 唐沢なをき (2010年6月14日). 2022年4月18日閲覧。 大石まさる: 42号(とらのあな、2004年)唐沢なをき『さちことねこさま』レビュー 小野栄一: 甥に評論家の唐沢俊一、漫画家の唐沢なをきがおり、1991年(平成3年)にはONOプロダクションの仕事を唐沢俊一が引き継いだ。 陽気婢: 星里もちる、永野のりこ、ふくやまけいこ、黒田硫黄、福島聡、植芝理一、あさりよしとお、桜玉吉、うすた京介、伊藤潤二、松本次郎、岩明均、谷川史子、小畑健、渡辺多恵子、天竺浪人、SABE、古屋兎丸、桑田乃梨子、園田健一、藤島康介、士郎正宗、武富智、ウエダハジメ、山本直樹、櫻見弘樹、喜国雅彦、島本和彦、奥浩哉、藤田和日郎、細野不二彦、浦沢直樹、高橋留美子、諸星大二郎、外薗昌也、竹本泉、すぎむらしんいち、花見沢Q太郎、唐沢なをき、吉田戦車、ロクニシコージ、田丸浩史、吉田蛇作、末広雅里、森永みるく、福山庸治、こうの史代、松本剛、華倫変、坂口尚、手塚治虫 阿部洋一: 高校時代は漫画研究部に所属し、林田球やウエダハジメ、唐沢なをき等の漫画と出会ったことで「太く個性的なタッチでも商業誌に描けるのか」と感動したという。 瀬奈陽太郎: 唐沢なをきの元アシスタントである。 一ノ関圭: 唐沢なをきは『電脳なをさん』にて「きゅーぶの下」という題の回を描いており、これは一ノ関の『らんぷの下』が雑誌掲載された当時の形式を模したパロディとなっている。 品田冬樹: 『ヌイグルメン!』(唐沢なをき)や『月刊comicリュウ』2011年2月号、4月号「チョロ恐」(唐沢なをき)にエピソードや体験談を提供している。 原克玄: “唐沢なをき、原克玄ら登場のギャグ祭り、オリジナルにて”. 唐沢俊一: 漫画家の唐沢なをきは弟。 |
唐沢なをきの情報まとめ
唐沢 なをき(からさわ なおき)さんの誕生日は1961年10月21日です。北海道出身の漫画家のようです。
現在、テレビ、卒業に関する情報もありますね。今年の情報もありました。唐沢なをきの現在の年齢は63歳のようです。
唐沢なをきのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)唐沢 なをき(からさわ なをき、男性、1961年10月21日 - )は、日本の漫画家、同人作家。 本名は唐沢 直樹。別筆名に南里 こんぱる。兄の唐沢俊一との共著では唐沢商会名義を使っていた時期もあるが、現在は両名の並記が主である。 北海道札幌市出身。薬局を営む両親の元に生まれる。生まれてからしばらく、昼間のうちは親戚の家に預けられて育てられていた。幼少時代はテレビアニメ『鉄人28号』や特撮『ウルトラQ』、『ウルトラマン』に熱中。 漫画では特に赤塚不二夫から大きな影響を受けて育った。実家である薬局に余っていた大学ノートとボールペンを利用して怪獣図鑑や漫画を描き始め、高校時代までに約50冊分のノートに漫画を描いていた。 高校に入ると、兄に誘われて同人誌活動を始める。同時期、札幌では島本和彦とあさりよしとおが同人活動しており、同人誌即売会で机を並べることもあった。高校卒業後は多摩美術大学付属の専門学校に入学するために上京。卒業を控えて就職活動でデザイン会社にいくも、担当者から生活態度まで全否定を受けてその帰りの電車の中で漫画家を目指すようになる。 漫画家デビューのため小学館へ持ち込みを開始するが 持ち込み時代はギャグや絵柄について否定され続け、時として高橋留美子の絵柄を真似るように言われたという。この時期に小学館の編集者から紹介されて弘兼憲史のアシスタントを1年ほど勤める。 白泉社の担当から評価されて、1985年に「南里こんぱる」のペンネームで同社の『月刊コミコミ』1986年1月号に掲載された『無敵刑事』でデビュー。同年末にコミコミ編集部の紹介でとり・みきのアシスタントを始める。『コミコミ』での仕事は3ヶ月に1回しかなく他に月数回のアシスタントのとエロ雑誌のカットだけが収入源 だったが、作品については特に文句を言われなくなったという。 徳間書店の『ハイパーゾーン』に持ち込んだのをきっかけに『月刊少年キャプテン』から読切の仕事を貰う。それ以後、連載も増えて順調に仕事を続けられるようになり、20年以上精力的に執筆している。 2009年、NHK『マンガノゲンバ』の取材を受けるが、この時のスタッフの態度があまりに非常識だったため、途中で出演を辞退している。この件は「まんが極道」の中でネタにしている。 2012年10月1日より読売新聞夕刊にて4コマ漫画『オフィス ケン太』の連載を開始。同紙夕刊での4コマ漫画連載は、鈴木義司『サンワリ君』(2004年7月2日連載終了)以来8年3ヶ月ぶりとなる。 日本漫画家協会の参与を務めている。 もっぱらギャグ漫画のフィールドで活躍している。漫画の常識や漫画という体裁・メディア性そのものをネタとする、実験的なメタ・ギャグを得意とする。その作風はデビュー以前からほとんど変わっていないという(ただし、初期はほとんどなかった下ネタやプライベートな内輪ネタを扱うようになるなどの変化もある)。パロディ・オマージュ・揶揄・露悪も好んでネタとし、ギャグとして他の漫画家の絵柄や作風を模倣することも多い。特に杉浦茂など、昭和の漫画家の作風をリスペクトしている。 兄・唐沢俊一原作のものを除き、ほとんどの作品は短編連作または4コマ漫画。また非常に多作であることも特徴で、一時期は月30本の締切を抱えていた。本人の弁によれば「細かい仕事をたくさんこなしていかないと食べられないだけ」という。 『電脳炎』『電脳なをさん』『パソ犬モニ太』などパソコンをネタにした漫画も生み出しているが、自身はパソコンなどコンピューターが苦手であると語り、『電脳炎』に出てくるパソコン嫌いのお父さんは自分がモデルだとしている。 血液型はB型。 妻はエッセイストの唐沢よしこ。作家で「と学会」元運営委員でもある唐沢俊一は実兄。 叔父:小野栄一 妻:唐沢よしこ 兄:唐沢俊一 俺とねこにゃん(モバMAN) パチモン大王(フィギュア王) ぶよ通信(ガンダムエース) モニ太のデジタル辞典(YOMIURI ONLINE)- イラスト担当、文は唐沢よしこ担当 唐沢なをきの必殺! 屋根落とし!!(時代劇専門チャンネル) オフィス ケン太(読売新聞夕刊) カスミ伝シリーズ
カスミ伝S(アスキーコミック→コミックビーム) カスミ伝△(月刊マガジンZ) ホスピタル(月刊アニマルハウス) 鉄鋼無敵科學大魔號(月刊少年キャプテン)
BURAIKEN(ぶらいけん)(月刊アニマルハウス) 夕刊赤富士(夕刊フジ) 必殺山本るりこ(コミックガンマ) 学園天国(小説すばる) ヌルゲリラ(ファミ通) からまん(週刊SPA!) 二十一世紀科学小僧(コミックビンゴ) 怪奇版画男(ビッグコミックスピリッツ21) 唐沢なをきのうらごし劇場(B-CLUB、AX、1994年 - 2000年)2001年に単行本化 けだもの会社(MANGAオールマン) さちことねこさま(コミックビーム) パソ犬モニ太(読売新聞夕刊) 漫画家超残酷物語(月刊IKKIなど) 唐沢なをきの幻獣辞典(マガジンGREAT) ウルトラファイト番外地(特撮エース) 犬ガンダム(月刊ガンダムエース) 電脳炎(ビッグコミックオリジナル) がんばれみどりちゃん(イブニング) けんこう仮面(ビッグコミックオリジナル増刊) - 唐沢よしこと共著 機動戦士ぶよガンダム(ガンダムエース) ヌイグルメン!(イブニング) とりから往復書簡(月刊COMICリュウ) - とり・みきとの共著 電脳なをさん(週刊アスキー→cakes、2020年5月に連載終了) 僕らの蟹工船 小林多喜二『蟹工船』より(コミックビーム) まんが家総進撃(コミックビーム) 八戒の大冒険(1988年3月20日、徳間書店)
八戒の大冒険 2002 REMIX(2002年3月8日、エンターブレイン) 金春(1989年8月31日、白泉社)
百億萬円(1992年4月20日、扶桑社) ハラペーニョ(1996年10月22日、アスキー) 唐沢なをきの楽園座(1997年8月27日、講談社) YAPOOS - ヤプーズ -(1997年10月22日、アスキー) 爆笑三国志シリーズ 念術小僧 大江戸サイキックボーイ(加藤正和) 猫丸先輩シリーズ(倉知淳)
猫丸先輩の空論 ほうかご探偵隊(倉知淳) バラバラくん - 絵本 おへそに太陽を - 山中恒よみもの文庫 理科子先生と学ぼう! - キャラクター。読売新聞 第3水曜日掲載。 唐沢なをきの大富豪(ボトムアップ、1997年)- パソコンゲーム モロ★次元世界物語(『諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート』収録、2021年) あの日の生物都市(『諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート』収録、2021年) 兄の俊一曰く「親戚づきあいなどはかなり苦手なのだが、交友関係は広く、マンガ業界からSF業界、映像業界に至るまで人脈を持っている」という。 BSマンガ夜話『カスミ伝S』(2001年2月26日 NHK BS2)- 他に『怪奇版画男』や『電脳なをさん』についても触れた。推薦者の岡田斗司夫は、唐沢とは面識がなかったものの、兄の俊一とは親しく、また『電脳なをさん』と同じ「週刊アスキー」で連載を持つなど、縁はあった。 ^ まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月、ISBN 978-4816917608、109頁 ^ 唐沢俊一『B級学「マンガ編」』海拓舎、1999年 ISBN 4-907727-00-3、184 - 216頁。 ^ おしぐちたかし『漫画魂 おしぐちたかしインタビュー集』白夜書房、2003年 ISBN 4-89367-911-2、45-52頁 ^ 怪獣博士・マンガ家の唐沢なをき氏に聞くウルトラ怪獣の魅力(1)怪獣が来た! ^ 「「笑い」を生む技術 唐沢なをき、ギャグマンガ家一代」『野性時代』2007年7月号、角川書店、28-33頁 ^ マンガ家・唐沢なをきの軌跡 - オレのギャグマンガ道 (1) マンガを描きまくった少年時代 ^ とり、132頁 ^ 裏モノ日記2005年 :: 07月 :: 05日(火曜日) ^ マンガ家・唐沢なをきの軌跡 - オレのギャグマンガ道(2) マンガ家になることを決意 ^ 中野渡淳一『漫画家誕生 169人の漫画道』新潮社、2006年、ISBN 4-10-301351-6 、296-297頁 ^ 漫画家に訊く! ~ぶっちゃけそのへんどうなんスか!~ 第12回 唐沢なをきさん part.1(インターネットアーカイブ) ^ マンガ家・唐沢なをきの軌跡 - オレのギャグマンガ道(3) 迷走する持ち込み時代 ^ 南信長取材「'96年版〔とてもエライ5人〕その3 唐沢なをき』(別冊宝島編集部『このマンガがえらい!―マンガの「いま」がわかる最新パーフェクト・ガイド』宝島社、1996年12月、ISBN 978-4796611695 、68-71頁) ^ 本谷有希子『イママン 本谷有希子マンガ家インタビュウ&対談集』駒草出版、2007年、ISBN 9784903186511、84-97頁 ^ とり、127頁 ^ 「有名マンガ家「師匠と弟子」の物語」『FLASH』光文社、2002年4月30日号、73頁 ^ とり、126 - 127頁 ^ とり・みき「解説」『八戒の大冒険 2002 REMIX』エンターブレイン、2002年、ISBN 978-4-7577-0763-4、172-174頁 ^ 「とりから対談 第二章」『とりから往復書簡』徳間書店、2008年、ISBN 978-4199500916 、32-33頁 ^ 唐沢なをき「貧乏自慢 頭のねじ」『オール讀物』2000年8月号、文藝春秋、338頁 ^ とり、128-130頁 ^ からまんブログ『マンガのゲンバ』取材中止しました ^ 『コミックビーム』2009年10月号掲載 第42話「いや、そうじゃなくて」 ^ 2012年9月24日付読売新聞夕刊(東京版)に社告が掲載されている。 ^ 西川魯介「解説」『八戒の大冒険 2002 REMIX』エンターブレイン、2002年、170-171頁 ^ 「Alternative Juke Box インタビュー・唐沢なをき」『文藝』1998年夏季号河出書房新社、12-13頁 ^ “浦沢直樹、萩尾望都、星野之宣、山岸凉子らが描き下ろし「諸星大二郎トリビュート」”. コミックナタリー (ナターシャ). (2021年9月7日). https://natalie.mu/comic/news/444103 2021年9月7日閲覧。 ^ 平成21年度の官報および唐沢俊一の個人事務所の登記簿による ^ 唐沢なをき [@nawokikarasawa] (2024年9月30日). "9月24日、唐沢俊一が心臓発作により自宅で亡くなりました。本日荼毘に付しまして葬儀は行いません。彼は俺に対して嘘、暴言、罵倒を繰り返してきて20年以上絶縁状態でした。晩年は金の無心も酷かったです。冷たく聞こえるかもしれませんがこの話はもうしたくないのでお悔やみの言葉はご遠慮願います。". X(旧Twitter)より2024年9月30日閲覧。 ^ マンガ家・唐沢なをきの軌跡 - オレのギャグマンガ道(5) 心の支え ^ とり、138頁 ^ とり、137頁 ^ 「本当にやった[トホホな初仕事]体験集」『週刊SPA!』2004年4月6日号、151頁。 ^ とり、127-128頁 ^ 南信長『現代マンガの冒険者たち:大友克洋からオノ・ナツメまで』NTT出版、2008年 ISBN 978-4-7571-4177-3、197頁 ^ 唐沢なをき・唐沢よしこ『なをき・よしこのパソコン夫婦バンザイ』コーエー、1995年、ISBN 4-87719-248-4、162-165頁 ^ 唐沢なをき「すごいやせなくん」(瀬奈陽太郎『博士のストレンジな愛情』シューベル出版、 ISBN 4883322602 、2002年9月、204頁) とり・みき『マンガ家のひみつ』徳間書店、1997年 ISBN 4-19-860699-4、125-148頁 唐沢俊一『B級学「マンガ編」』海拓舎、1999年発行 ISBN 4-907727-00-3、184 - 216頁 おしぐちたかし『漫画魂 おしぐちたかしインタビュー集』白夜書房、2003年 ISBN 4-89367-911-2、45-52頁 からまん[2][3] - 公式サイト。よしこ夫人が運営している。
からまんブログ - 唐沢とよしこ夫人のブログ。 唐沢なをき - cakes 唐沢なをき (@nawokikarasawa) - X(旧Twitter) 唐沢なをき - メディア芸術データベース マンガ家・唐沢なをきの軌跡 - オレのギャグマンガ道 - マイナビニュースでの唐沢のインタビュー。 ISNI VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。 日本の漫画家 SF漫画家 新聞連載の漫画家 同人作家 札幌市出身の人物 1961年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ Reflistで3列を指定しているページ ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 漫画家に関するスタブ
2024/11/20 01:44更新
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karasawa naoki
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