もしもし情報局 > 1963年 > 6月3日 > 俳優

唐沢寿明の情報 (からさわとしあき)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

唐沢寿明の情報(からさわとしあき) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

唐沢 寿明さんについて調べます

■名前・氏名
唐沢 寿明
(読み:からさわ としあき)
■職業
俳優
■唐沢寿明の誕生日・生年月日
1963年6月3日 (年齢61歳)
卯年(うさぎ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和38年)1963年生まれの人の年齢早見表

唐沢寿明と同じ1963年生まれの有名人・芸能人

唐沢寿明と同じ6月3日生まれの有名人・芸能人

唐沢寿明と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


唐沢寿明と関係のある人

山口智子: 1995年に唐沢寿明と結婚してからは女優業を徐々に縮小し、CMを中心に仕事をシフトしている。


広瀬裕: 当時、同じ研究生だった唐沢寿明(4期生)らと共に日夜稽古に明け暮れた。


反町隆史: 唐沢寿明、竹野内豊、沢村一樹、水谷豊、織田裕二とは、プライベートでも親交がある。


浅野ゆう子: 俳優として駆け出しで、なかなか仕事に恵まれなかった頃の唐沢寿明に「爽やかな路線でいってみてはどうか?」とアドバイスをした結果、後のブレイクに繋がったとして「(浅野は)私の恩人」と著書で評されている。


辻親八: “『トイ・ストーリー4』唐沢寿明&所ジョージが声優を続投!”. シネマトゥディ (2018年12月20日). 2018年12月20日閲覧。


広瀬匠: 当時、同じ研究生だった唐沢寿明(4期生)らと共に日夜稽古に明け暮れた。


国分佐智子: ロッテ ブラックブラック(1997年) - お姫様役、唐沢寿明と共演


総師範KSK: 唐沢寿明Presents 記憶のチカラIII(日本テレビ系、2006年2月11日)


水野敬也: 映像作品として、DVD『温厚な上司の怒らせ方』の企画構成・脚本や、漫画『地球くん』の企画・原案を手がけ、映画『イン・ザ・ヒーロー』(主演・唐沢寿明)では、自身初となる映画脚本を手がけた。


亜希子: 芸能事務所研音に所属し『唐沢寿明 Presents 記憶の力 II』でデビュー。


遠山景織子: 新人女優だったため思うように演技ができず撮影を止めてしまうこともあったが、相手役の唐沢寿明の支えに助けられた。


エース清水: 世を忍ぶ仮の姿で居酒屋で飲んでいた時、たまたま近くに座っていた唐沢寿明とお互い何者かも知らないのに音楽の話で意気投合し、そのまま唐沢が自宅に遊びに来たというエピソードがある。


エンジェリック乱世: 唐沢寿明


藤崎桃子: 「ラストコップ THE MOVIE」唐沢寿明・窪田正孝・出川哲朗の近未来コント・ドラマ「AIのむきだし」(2017年)


及川光博: 唐沢寿明とはNHK大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』、フジテレビドラマ『白い巨塔』、映画『CASSHERN』、『20世紀少年』第1章、『イン・ザ・ヒーロー』、連続テレビ小説『とと姉ちゃん』などで幾度も共演をしている。


松村北斗: また、2013年のドラマ『TAKE FIVE〜俺たちは愛を盗めるか〜』(TBS)でゲスト出演した際も、共演者の松雪泰子や唐沢寿明の芝居を目の当たりにし、衝撃を受けたという。それまでは同じ所属事務所のジャニーズJr.や同世代の役者との共演が多かったため、唐沢寿明や稲垣吾郎らの大先輩に囲まれた現場では緊張が絶えず未知の世界であったが、共演することで大先輩の芝居を体感し、そこに存在するだけでも役に見える、いつかそんなふうになれたら、と目標とする居方について語った。


竹内康博: CASSHERN(2004年) - ブライキング・ボス(唐沢寿明)吹き替え


高橋司: 唐沢寿明 presents 記憶のチカラ


松嶋菜々子: 利家とまつ〜加賀百万石物語〜(2002年1月6日 - 12月15日) - 主演・まつ 役 ※唐沢寿明とダブル主演


日下由美: “『トイ・ストーリー4』唐沢寿明&所ジョージが声優を続投!”. シネマトゥディ (2018年12月20日). 2018年12月20日閲覧。


高橋里奈: 中部電力「企業広告」 - 唐沢寿明と共演


後藤裕之: 唐沢寿明Presents 記憶のチカラ(日本テレビ)


山口智子: 1988年の『純ちゃんの応援歌』での共演で知り合った唐沢寿明と、1992年2月に発生した宅配便を装った男性の自宅への侵入事件をきっかけに交際が発覚した。


ラッキィ池田: 唐沢寿明(マツダ)


中村麻里子: 憧れの芸能人として、唐沢寿明、上野樹里、松下由樹を挙げている。


蒼澤悠: ジャニーズ事務所を辞めた後、俳優の唐沢寿明の紹介で芸能事務所研音に移籍しテレビCMや雑誌、舞台を中心に俳優活動、モデル活動をしていた。


奈良部匠平: マリア(唐沢寿明 主演)


江田友莉亜: “唐沢寿明主演の「TAKE FIVE」 第8話は8.7%”.


浦島こうじ: ““スーパー公務員”唐沢寿明が限界集落を救う TBS新ドラマ『ナポレオンの村』に主演”. ORICON (2015年5月25日). 2015年5月25日閲覧。


山口智子: この作品の義弟役・唐沢寿明とは、この共演がきっかけで後に結婚する。


唐沢寿明の情報まとめ

もしもしロボ

唐沢 寿明(からさわ としあき)さんの誕生日は1963年6月3日です。東京出身の俳優のようです。

もしもしロボ

人物、エピソードなどについてまとめました。兄弟、映画、ドラマ、退社、テレビ、結婚、現在、趣味、離婚、事件に関する情報もありますね。唐沢寿明の現在の年齢は61歳のようです。

唐沢寿明のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

唐沢 寿明(からさわ としあき、1963年〈昭和38年〉6月3日 - )は、日本の俳優。別名義は唐沢潔(旧芸名)。東京都台東区出身。研音所属。 東京都立蔵前工業高等学校中退。妻は女優の山口智子。

1963年(昭和38年)6月3日、東京都台東区で3人兄弟の次男として生まれる 。5,6歳の時、映画で見たブルース・リーに憧れ役者を志す。16歳で東映アクションクラブ(当時最年少)四期生として入所。高校は2年で中退する。不仲だった両親と喧嘩の末、家を出て伯母の家に居候する。

東映では刑事ドラマのエキストラや仮面ライダーシリーズの敵役スーツアクターとして活動。しかし2年後、「ここでは役者になれない」と仲間に言ったのが原因でクラブを解雇される。

その後、舞台やショーパブ、様々なアルバイトを経験する。ホリプロにスカウトされて歌手デビューを勧められ、自分のためにホリプロを退社した上役とレコード会社まわりをしていたこともあるが、役者志望であることを理由に決裂する。

舞台『ボーイズレビュー・ステイゴールド』のオーディションに合格したのをきっかけに、三生社(社長は俳優橋爪功の最初の妻)に所属。社長からポロシャツとVネックセーターをプレゼントされ、さわやかな青年風にイメージを変える。また芸名を「寿明」とする。

1988年、NHK朝の連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』に主役の山口智子の弟役で出演。

1989年、大河ドラマ『春日局』に出演。織田裕二、吉田栄作と並ぶ若手俳優として注目される。テレビドラマ『男について』で共演した浅野ゆう子に声をかけられ、現所属事務所の研音に所属。

1992年、テレビドラマ『愛という名のもとに』でトレンディ俳優としてブレイク。

1995年12月13日、山口智子との電撃入籍が報じられ、15日に二人で記者会見を行い、結婚を公表した。山口とは『純ちゃんの応援歌』以来交際を続けていた。

1998年、自叙伝『ふたり』を発売、ベストセラーになる。

2002年、大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』で主演を務めた。

2011年2月公開の映画『太平洋の奇跡』に元ヤクザの軍人役で出演。役作りの為、唐沢自らの提案でスキンヘッドにしたり鳥ささみ中心の食生活に変えて本格的な筋力トレーニングを行って撮影に臨んだ。

人物

芸名の「寿明」は三生社所属時に、社長が占い師に相談し、名づけたものである。この時からしばらく年齢を2歳若く偽っていたが、取材やトーク番組でつじつまをあわせるのに苦労したという。

デビュー当初は、東映の『仮面ライダーシリーズ』『スーパー戦隊シリーズ』などの特撮番組に脇役やスーツアクターとして出演がほとんどだった。また、東映では斬られ役や吹き替え、スーツアクターなどのほか、照明や衣装のアシスタントなどの裏方も務めていた。ショッカー役をやっていたことはネタにされることがある。

コンビニエンスストアやショーパブ、結婚式場でのドライアイス係、チラシモデル、ラーメン屋など、駆け出し当時のアルバイト経験は豊富である。

菓子、デザート、佃煮などの甘いものが嫌いで、好物は納豆、ハンバーグ、伴麺、餃子などがある。

現在趣味は「ブルース・リー、車(クラッシックカー)、食事」のみであるそうだが、30代にゲーム『ストリートファイターII』にハマりすぎ、集中しすぎて呼びかけに答えなかったり、親指を脱臼したりなどしたことがある。またゲームに関しては結婚後、妻の山口とドラマで共演したことがある木村拓哉が遊びに来た際、3人で食卓を囲んだ。しかしその途中、どうしてもテレビゲームがやりたくなって席を外してゲームを始めてしまい、妻に「木村さんがいるのになんて失礼な!」と怒られてしまったという。このようなことから、最終的にゲームすべてを妻に捨てられてしまったというエピソードを持つ(ただし後に山口は雑誌のインタビューで、「意図的に捨てたわけではないです」と否定している)。捨てられてしまってからはゲームはしていない。

30代後半にスロットレーシングカーを趣味にしていた時期もあり、その際に使用するラジコンも精巧なものを多数自作していた。その際、スプレーインクを使用しすぎて壁に色が付き、妻に怒られて以後制作する際は換気扇の下にずっといたという。

中学2年生で榊原郁恵の大ファンになり、FC番号は「A-2191」。「丸顔ですこし田舎っぽい顔が好き。とにかく丸いものが好き」と好みのタイプを語っている。車のタイプも丸いラインのものが好きだという。

小学生時はリトルリーグ(硬式野球)のチームに入っていたが、相手ピッチャーの球速が速かったためにすぐに諦めた。その後は、ブルース・リーに憧れていたことから少林寺拳法を習っていた。

なぜか妻から「ゴルフをやったら離婚する」と言われているのでゴルフをしたことはない。

遊園地の乗り物は苦手で、「男だから乗る必要がない」と述べている。また、犬も苦手である。怖いものはお化け(しかし一度も見たことはないという)。

「食文化以上にその土地の文化が現れているものはない」という持論を持つ。夫婦でたまに海外旅行に行っても、妻と違って観光には興味がない。このため滞在中は、妻と食事に出かけるとき以外にはホテルの部屋に一人残り、ほとんどの時間をテレビを見るなどして過ごすという。

中学の先輩に毒蝮三太夫がいる。妻が唐沢から聞いた話では、夫が育った台東区は毒舌を愛情表現や挨拶代わりとして日常的に使う地域だったという。このため、妻からは「唐沢さんの普段の話し方は、ビートたけしさんみたい」と評されている(ただし、たけしは足立区出身)。

特撮との関わり

東映アクションクラブ所属時代は特撮番組への出演が主だった。スーツアクターを描いた映画『イン・ザ・ヒーロー』への出演はスーツアクター経験を持つゆえであり、出演に際し5か月間の肉体改造を行いアクション撮影に挑んだ。親交の深い及川光博から映画で仮面ライダー3号を演じることを報告された際には、「何だよ! スケジュールの都合が合ったら出たのに! ライダーマン役で!」と返したという。

特撮への思い入れから『ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語』には企画主旨に賛同し、制作側の熱望に応える形でショッカー戦闘員役として特別出演した。

爽やか路線

当時の所属事務所社長のアドバイスにより、Tシャツに革ジャンからポロシャツにセーターという爽やかな青年風に路線変更した。当初は軟弱で嫌いな男のイメージだったが、周囲の評判も良く、役者としての突破口になった。

1992年の人気ドラマ『愛という名のもとに』で演じたエリート好青年の役で一気にブレイクし、雑誌の特集などで「爽やか」「好青年」という代名詞が付くことが多くなって女性ファッション誌の人気ランキングにランクインするなど、1990年代は当時のいわゆる人気若手俳優の1人といった存在だった。

趣味・特技

ブルース・リーへの思い入れは強く、中野英雄の自宅に唐沢が来て一緒に『ドラゴンへの道』と『燃えよドラゴン』を鑑賞した時に唐沢はアクションシーンで叫んだり英語でセリフも覚えており、中野もブルース・リーに詳しいつもりだったがレベルが違ったと自身の公式ブログでエピソードを紹介した。関連グッズも多数所有している。

プライベートでは熱心な自動車愛好家としても知られ、ホンダ・NSXを複数台所有するほどのNSXフリークである。またヒストリックカーの分野でもトヨタ・2000GTの後期型、フェラーリ・F355、アストンマーティン・DB4、ポルシェ・356、フォルクスワーゲン・ビートルを所有し、ヒストリックカー専門誌の取材も受けるほどである。2000GTについてはトヨタの協力を得てオープンカー(ロードスター)仕様に改造した車も所有していたが、こちらは2021年にトヨタ博物館に寄贈した。このように上質なコレクションを持つ一方、自らのドライビングで積極的に各種ラリーイベントにも参加している。JAF国内A級ライセンスを取得しサーキットレースにも参加するなどの活動により、大衆への自動車文化の流布に多大なる貢献を果たしている。

歌唱力が高い事でも知られており、『輝け隣太郎』では樹木希林とのデュエット曲でCDシングル化もされた「2人のすべて」を、『トイ・ストーリー2』では挿入歌「君はともだち」のウッディ・バージョンを、『20世紀少年』では「Kenji」名義で「Bob Lennon」を歌っている。

交友関係

真田広之のトークイベントにゲスト出演した際、無名の頃に真田の主演舞台の裏方をした時のエピソードを披露、以降も親交がある。集合時間の3時間前から現場入りして、ストイックに仕事に打ち込む真田の姿に感動した唐沢は、同時に彼の体調を心配し、誰からも頼まれていないのにいつでも代役が務められるようにと、真田より早い4時間前から現場に入り、セリフを完璧に覚えていた。真田も、その懸命な唐沢の存在に気づいていたという。

江口洋介とは大河ドラマで共演したことがきっかけとなり、深い友人関係が続いている。

『白い巨塔』で共演した西田敏行とは食事に行く仲で、60歳を過ぎてもエンターテインメントの第一線で活躍している点など心から尊敬しているという。

雑誌のインタビューで、「いい男とは?」という質問に「渡辺謙」と即答している。

下積み時代に十二世市川團十郎の実妹の市川壽紅に日本舞踊を習っていたことから、十二世團十郎の息子の十三代目團十郎白猿のことは彼の小学生時代からよく知っているという。

山崎豊子が死去した翌日、数年ぶりに『白い巨塔』の制作に関わったスタッフとの食事会を予定していたという唐沢は、「久しぶりに当時を振り返り、思い出話ができると思っていた矢先、山崎先生の突然の訃報を受けて、本当に言葉がありません」と悲痛な胸の内を明かした。

及川光博とは大河ドラマから、谷原章介とは連続ドラマ『小早川伸木の恋』から、長谷川博己とは蜷川舞台『冬物語』から、宇多田ヒカルとは映画『CASSHERN』から、窪田正孝とは連続ドラマ『THE LAST COP/ラストコップ』から、広瀬アリスとは連続ドラマ『ハラスメントゲーム』から親交があり、飲み友達である。飲み会のセッティングはほぼ唐沢が行い、払いも唐沢である。また、この会は人見知りをまったくしない唐沢が撮影現場等で行き当たりばったりに出会った人を誘って開かれる飲み会で、「芸能界がんばって生き残ろう会(通称・唐沢会)」と命名されている。他にも有名・無名、先輩・後輩を問わず、俳優・芸人・アイドル・歌手・一般人等幅広い参加メンバーであるが、会のレギュラーメンバーは及川光博と谷原章介である。その交友関係の広さから、友情出演も多い。

エピソード

結婚

1988年放送のNHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』の共演が交際のきっかけ。唐沢は山口の第一印象を「デカイ女」と思ったとのこと。また、山口は唐沢の第一印象を「日本一、顔の小さい男だと思った。握り拳くらいしかない」と結婚後に雑誌インタビューで語っている。この作品がデビュー作で初主演の山口は、舞台や東映の特撮スーツアクター、スタントや声の吹き替えなどで既に下積み経験の長い唐沢に「女優としてやっていく自信がない」などと撮影の合間にたびたび悩みを打ち明けていた。週5日の大阪での撮影中、二人はホテルの内線電話でよく話をするようになったという。撮影終盤のクリスマスに山口からプレゼントを贈られたことや打ち上げの会場に向かう車で初めて二人きりになったことなども著書に綴っている。また、1992年元日放送の『平成あっぱれテレビ』では、山口とともにグアム島から生中継リポーターを務めた。

1992年、ガムテープと手錠とカメラを持った二人組の男が宅配業者を装って山口の自宅マンションに侵入する事件が発生。この時唐沢が部屋にいたことで唐沢が暴漢を撃退しことなきを得たが、この事件で二人の交際が発覚した。事件そのものの衝撃とマスコミの取材攻勢で神経がくたくただったが、山口が受けたショックを思うと参ってはいられなかったと著書で振り返っている。

連続ドラマ『輝け隣太郎』出演時に共演の樹木希林に結婚のことを相談していた。すでに長い交際期間で「結婚しているのと変わらないんだから」と先延ばしにしていたが、樹木希林から「いつでもいいなんて言っていたら、きりがないんだから、さっさと結婚してしまいなさいよ」とハッパをかけられ、いい物件があると不動産屋も紹介してくれたと著書「ふたり」で述べている。現在の自宅はその時の物件である。

1995年12月13日のスポーツ新聞の一面に入籍報道が載ったがその翌々日の15日に入籍・記者会見の予定だったことから驚きはしなかったという。1995年12月15日、7年間の交際を経て山口智子と入籍、翌々日にフジテレビにて二人で記者会見を行った。

記者会見でお互いどんなところが良かったのかという芸能レポーターの質問に唐沢は「普通の感じの女性で、家のこともちゃんとやる人だから」「料理が上手」「笑顔が素敵」などと答え、山口は「世界で一番幸せだと思っています」「仕事に対する姿勢を尊敬しています」などと答えていた。結婚でショックを受けたお互いのファンに対してどう思うかと聞かれると「たまに貸し出しますよ」と答えるなど、終始、唐沢が芸能レポーターたちを笑わせる会見となった。また、唐沢は同じ日に放送された明石家さんまの番組『生さんま みんなでイイ気持ち!』に出演し、さんまのインタビューを受け、交際中の秘話や結婚までの道のりを語った。さんまの事務所の女性スタッフが唐沢の大ファンでショックを受けているとさんまに言われると「ありがたいことです。だけど、もういい大人なんで」と答えていた。

結婚以降、山口は女優活動をセーブしているが2005年にゲスト出演した『スタジオパークからこんにちは』で司会のアナウンサーに「奥様はお元気ですか?『家にいろよ』とかおっしゃっているんですか?」と聞かれ、「それは無いです。良かったら何かドラマの企画書を出して下さい」と答えていた。一方、山口は近年、芸術・美術やそれらに携わる職人に関する活動を熱心に行っており、2010年に自身がナビゲーターを務めた職人技を紹介する番組でスポーツ新聞の取材に対し「美術やアートって聞くと、見事に聞き流されますね」「彼の興味は役者の仕事と車。2点集中主義の人生がいいみたい」「彼も『職人』なんだと思うようになった」と語り、2013年5月号の雑誌『美ST』のインタビューでは「いい主人に巡り合えて本当に幸せ。人生を豊かにしてくれて、心から感謝してる」「彼と歩む人生はとても楽しいです」と唐沢について語っている。

家庭では、掃除・洗濯は気がついた方がするなど家事は分担制にしている。本人は「自分はまったく料理はできないので、料理を作ってもらったら洗い物は全部する。」と度々番組で述べている。妻の山口も「洗い物は全部唐沢さんがやってくれる」と発言している。

「白い巨塔」に関するエピソード

2003年のドラマ『白い巨塔』主演の際、唐沢と山崎の初顔合わせとなった食事の席(プロデューサーも同席)で原作者の作家山崎豊子に 「財前役をやるなんていい度胸してるわね。あなた大丈夫?」と言われた。当初山崎は、役のイメージに合わないという理由で唐沢が財前役を演じることに難色を示していたが、食事が進むにつれ「あなた面白い男だね。」と気に入り、唐沢の起用に納得したというプロデューサーの後日談がある。ドラマを見た山崎は 「あなたが財前で良かった。素晴らしかった。感動しました」と唐沢を評価した。また、同じく山崎豊子原作の『不毛地帯』をドラマ化したいとプロデューサーが山崎に許可を貰いに行った際、山崎は「唐沢くんでよろしくね」と述べ、6年後にドラマ化され主演した。

『白い巨塔』では主演財前五郎のNGシーンの放出がなく、宣伝効果の高い超大型連続ドラマにもかかわらず出演CMが入らなかったことから、唐沢の意向ではないかと囁かれていたが、前半と後半の間には主演映画「嗤う伊右衛門」の宣伝活動を行っており、SMAP×SMAP新年特番に出演した際、いつも通り軽快に話す唐沢が突然「今ちょっとプロデューサーから注意された」「喋らないでって言われているんでね。あまり喋りません!すいません!普段はとっても面白いんだけど」と発言していることから、白い巨塔放送中の様々な制限に関しては唐沢も同意したと思われるが主に白い巨塔制作陣の意向だったようだ。

トイ・ストーリーシリーズ

シリーズではゲームなど一部を除き、第1作から一貫して主人公ウッディ・プライド(原語版声優はトム・ハンクス)の吹き替えを担当している。よくウッディと顔立ちが似ているため「リアル・ウッディ」と言われ、これについて唐沢は「すごく嬉しいけど俳優としてはウッディに顔が似ていたら困るよね(笑)」「でも俳優としての自分の立ち位置とウッディの立ち位置は似ている気がします」と語っている。また、「声優(としての仕事)はウッディだけと決めているんです。子どもたちにウッディって呼ばれることも多いし、嬉しいですね」と語っているが、過去には他にも複数声優経験はある。

作品については「正直、ここまで愛される人気シリーズになるとは思っていなかった」と語っており、また「(シリーズの)何が良いかって、おもちゃたちや持ち主はもちろん、観客が大切なことを学びながら、成長できる点だと思うんですよ」と発言している。

その他のエピソード

無名時代にショーパブでアルバイトしていた際、東京放送(TBS)の音楽プロデューサーを務めていた砂田実の娘の引き立てで、TBSの『テレビ探偵団』に番組ギャラリーとして出演することになった。

2008年3月10日、平成19年度芸術選奨の演劇部門で文部科学大臣新人賞を受賞し、都内で行われた贈呈式に出席した。

2012年1月からWOWOWで放送された世界初の日本・韓国・中国合作のサスペンス・アクションドラマ『Strangers 6』に主演。 このドラマで共演した黄川田将也によると、唐沢は英語が堪能で、韓国・中国の共演者と英語で会話し、黄川田と共演者が話す際に唐沢が通訳をしたという。

2024/06/12 08:57更新

karasawa toshiaki


唐沢寿明と同じ誕生日6月3日生まれ、同じ東京出身の人

おしの 沙羅(おしの さら)
1995年6月3日生まれの有名人 東京出身

おしの 沙羅(おしの さら、1995年6月3日 - )は、日本の女優、書家、元グラビアアイドル、元レースクイーン。 東京都出身。ワンエイトプロモーションやフリップアップでの所属を経て、2023年5月…

黒田 知永子(くろだ ちえこ)
1961年6月3日生まれの有名人 東京出身

黒田 知永子(くろだ ちえこ、1961年6月3日 - )は、日本のファッションモデル、タレント。旧名、樫本 知永子。東京都出身。アクラ所属。 成城学園高等学校を経て、成城短期大学在学中からファッシ…

潘 めぐみ(はん めぐみ)
6月3日生まれの有名人 東京出身

潘 めぐみ(はん めぐみ、本名:潘 芽具実(読み同じ)、1989年6月3日 - )は、日本の声優、女優。東京都出身。アトミックモンキー所属。声優・女優・西洋占星術師の潘恵子は実母。母・恵子は台湾の籍を…

竹島 由夏(たけしま ゆか)
1986年6月3日生まれの有名人 東京出身

竹島 由夏(たけしま ゆか、1986年6月3日 - )は、日本の女優。東京都出身。カートプロモーション所属。双子座。血液型はA型。身長157cm。 趣味はダンス、映画鑑賞、読書。特技はフルート、バト…

桜 京美(さくら きょうみ)
1930年6月3日生まれの有名人 東京出身

桜 京美(さくら きょうみ、1930年6月3日 - 1988年11月10日ごろ)は、日本の女優、声優。最終所属はアクターズプロモーション。 東京出身。5歳の時、キングレコードから童謡歌手としてデビ…

小倉 舞子(おぐら まいこ)
1998年6月3日生まれの有名人 東京出身

小倉 舞子(おぐら まいこ、1998年6月3日 - )は、日本の声優、アイドル。東京都出身。オスカープロモーション、青二プロダクション同時所属。elfin'メンバー。 趣味は屋上めぐり、メイク・ヘ…

道傳 愛子(どうでん あいこ)
1965年6月3日生まれの有名人 東京出身

道傳 愛子(どうでん あいこ、1965年6月3日 - )は、NHK国際報道局チーフプロデューサー兼解説委員 、元アナウンサー。文部科学省日本ユネスコ国内委員会副会長。 東京都文京区小石川出身。国際…

島津 保次郎(しまづ やすじろう)
1897年6月3日生まれの有名人 東京出身

島津 保次郎(しまづ やすじろう、1897年〈明治30年〉6月3日 - 1945年〈昭和20年〉9月18日)は、大正・昭和期の映画監督。松竹蒲田撮影所で蒲田調と呼ばれる小市民映画を多数製作し、松竹の代…

藤巻 健史(ふじまき たけし)
1950年6月3日生まれの有名人 東京出身

藤巻 健史(ふじまき たけし、1950年6月3日 - )は、日本の政治家、経済評論家、債券・為替・株式トレーダー。日本維新の会所属の参議院議員(2期)。株式会社フジマキ・ジャパン代表取締役、東洋学園大…

清水 芽衣(しみず めい)
1990年6月3日生まれの有名人 東京出身

清水 芽衣(しみず めい、1990年6月3日 - )は、日本の元子役、元女優、元声優。日本芸術高等学園卒業。東京都出身。以前はスペースクラフト、ブロッサム・エンターテイメントに所属していた。 太字…

小松 真奈(こまつ まな)
6月3日生まれの有名人 東京出身

小松 真奈(こまつ まな、6月3日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。プロダクション・エース預かり所属。プロダクション・エース演技研究所出身。 デビュー作は、テレビアニメ『R-15』の名機来夏…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


唐沢寿明と近い名前の人

唐沢 美帆(からさわ みほ)
1983年7月15日生まれの有名人 長野出身

唐沢 美帆(からさわ みほ、1983年7月15日 - )は、日本の女性歌手、作詞家。東京都出身。CAT entertainment所属。所属レーベルはランティス。2014年より「TRUE(トゥルー)」…

唐沢 もえ(からさわ もえ)
1992年6月19日生まれの有名人 東京出身

唐沢 もえ(からさわ もえ、1992年6月19日 - )は、東京都出身のジュニアアイドル。かつてはベリーベリープロダクションに所属していた。 天才てれびくんMAX「幸せの黄色いソウジキ」(2006…

唐沢 潤(からさわ じゅん)
1960年12月10日生まれの有名人 長野出身

唐沢 潤(からさわ じゅん、1960年12月10日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。長野県出身。演劇集団 円(円企画)所属。 東京女子大学短期大学部教養科美学専攻卒業。 1982年、円演…

唐沢 民賢(からさわ みんけん)
1935年1月3日生まれの有名人 長野出身

唐沢 民賢(からさわ みんけん、1937年1月3日 - )は、日本の俳優、タレント。長野県上伊那郡箕輪町出身。宝井プロジェクト所属。長野県箕輪町ふるさと大使(上伊那郡箕輪町のふるさと大使)。 実家…

唐沢 拓磨(からさわ たくま)
1981年3月15日生まれの有名人 東京出身

ぐたく(1981年3月15日 - )は、日本の元お笑い芸人。本名及び旧芸名、唐沢 拓磨(からさわ たくま)。 東京都出身。かつての所属事務所はげんしじん事務所。 東京都立西高等学校を卒業し一浪後…

唐澤 祥人(からさわ よしひと)
1942年4月20日生まれの有名人 東京出身

唐澤 祥人(からさわ よしひと、旧姓臼井)は医師(内科・小児科・消化器科)、医学博士(日本大学、1977年)、日本医師会会長(第17代)、NPO法人日本防災士機構評議員、元日本会議代表委員。唐澤医院オ…

柄沢 とし子(からさわ としこ)
1911年5月7日生まれの有名人 北海道出身

柄沢 とし子(からさわ としこ、本名:松島 登志子(と志子とも)、1911年5月7日 - 2013年12月2日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(日本共産党公認)を2期務めた。夫は日本共産党名…

唐沢 俊一(からさわ しゅんいち)
1958年5月22日生まれの有名人 北海道出身

唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - )は、日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、劇作家、演出家。元朝日新聞書評委員。 サブカルチャー、カルトとされる文化…

唐沢 俊二郎(からさわ しゅんじろう)
1930年6月24日生まれの有名人 東京出身

唐沢 俊二郎(唐澤 俊二郎、からさわ しゅんじろう、1930年6月24日 - 2021年11月19日)は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。第3次中曽根内閣の郵政大臣、海部俊樹総裁の下で自民党総務…

柄沢 次郎(からさわ じろう)
1962年9月7日生まれの有名人 東京出身

柄沢 次郎(からさわ じろう、1962年〈昭和37年〉9月17日 - )は、東京都出身の日本の俳優。本名同じ。 父親は駐日フィリピン大使館に勤務するフィリピン人、母親は日本人のハーフ。 1981…

唐沢 なをき(からさわ なおき)
1961年10月21日生まれの有名人 北海道出身

唐沢 なをき(からさわ なをき、男性、1961年10月21日 - )は、日本の漫画家、同人作家。 本名は唐沢 直樹。別筆名に南里 こんぱる。兄の唐沢俊一との共著では唐沢商会名義を使っていた時期もある…

柄沢 康喜(からさわ やすよし)
1950年10月27日生まれの有名人 長野出身

柄澤 康喜(からさわ やすよし、1950年10月27日 - )は、日本の実業家。MS&ADインシュアランスグループホールディングス株式会社取締役会長。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
唐沢寿明
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

E-girls ALLOVER palet GEM 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「唐沢寿明」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました