園井恵子の情報(そのいけいこ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
園井 恵子さんについて調べます
■名前・氏名 |
園井恵子と関係のある人
丸山定夫: 連合軍占領下の日本で原爆など日米戦争の日本側犠牲者を追悼する行事や記念碑の建立は厳しく制限されていたが、そのさ中の1951年(昭和26年)8月、広島市新川場町(現在の同市中区内)のどぶ川のほとりに質素な木製の「丸山定夫・園井恵子 追慕の碑」が建てられた。 森奈みはる: 『紙屋町さくらホテル』(2003、2006、2007年、紀伊国屋ホール他) - 園井恵子 森奈みはる: 園井恵子生誕百年祭『ふるさとの丘に虹を追って』(2013年8月25日) 多々良純: 多々良が応召された後、苦楽座は桜隊と改称して広島市ヘ巡業するが、2カ月後の8月6日、桜隊は原子爆弾の投下に遭い、丸山・園井恵子・高山象三ら演劇隊員9名が犠牲となった。 松岡依都美: 紙屋町さくらホテル(2016年7月 紀伊国屋サザンシアター 演出:鵜山仁)- 園井恵子 役 丸山定夫: この劇団には新協劇団の仲みどり、そして参加経緯は不明とされているが元宝塚のプリマ女優・園井恵子など、後に丸山と共に広島で遭難することになる人々も参加した。 佐野浅夫: 丸山定夫、園井恵子、仲みどりら劇団員9人は8月6日の広島市への原子爆弾投下により後に全員が死亡し、櫻隊はこれにより壊滅した。 永田靖: 広島で移動演劇隊「桜隊」の一員として被爆し、死亡した園井恵子と『無法松の一生』(大映京都、1943年)で共演(夫の吉岡小太郎大尉役)、丸山定夫とも新築地劇団や映画で共演した関係から、1955年、広島市内の桜隊の慰霊石碑の建立に奔走し、1959年に石碑を設置した。 内海重典: 妻の内海明子が、園井恵子と懇意にしていた。 丸山定夫: 一方、丸山が文学座に客演して大ヒットした舞台『富島松五郎伝』(国民新劇場、5月6日から5月21日まで、原作:岩下俊作、脚色:森本薫、演出:里見弴)は、翌1943年(昭和18年)に大映で『無法松の一生』として映画化され、舞台では杉村春子が演じたヒロインに園井恵子が抜擢されることとなる。 松岡依都美: 紙屋町さくらホテル(2017年7-9月 保谷こもれびホール、地方公演 演出:鵜山仁)- 園井恵子 役 仲みどり: 一緒に被爆した丸山、園井恵子、高山象三(俳優・薄田研二の子)らは苦しみ悶えながら満足な医療を受けられず壮絶な最期を遂げた。 日高真弓: 園井恵子 未來貴子: さくら隊散る(1988年)- 園井恵子 役 |
園井恵子の情報まとめ
園井 恵子(そのい けいこ)さんの誕生日は1913年8月6日です。岩手出身の女優のようです。
映画、卒業、姉妹、母親、子役、結婚、解散、家族、引退、兄弟、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。32歳で亡くなられているようです。
園井恵子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)園井 恵子(そのい けいこ、1913年〈大正2年〉8月6日 - 1945年〈昭和20年〉8月21日)は、日本の女優。 岩手県出身、1930年に宝塚少女歌劇(宝塚歌劇団)入団。高い演技力をもつ名バイプレーヤーとして知られた。1942年に宝塚を退団、新劇の劇団「苦楽座」に籍を移し、翌年出演した映画『無法松の一生』における吉岡夫人役で名声を博す。1945年8月6日、所属していた移動劇団「桜隊」が当時活動の拠点としていた広島市で原子爆弾投下に遭い、同月21日に原爆症(放射線障害)のため32歳で死去した。本名:袴田 トミ(はかまだ トミ)。 1913年、岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市松尾)に、袴田清吉、カメ夫妻の長女として生まれる。出生名は袴田トミ。実家は菓子の製造販売業を営み、祖父・政緒は松尾村の初代村長を務めた人物であった。翌年、政緒の死去に伴い一家はそれぞれ菓子舗として独立、トミは両親と共に同郡川口村(現・同郡岩手町川口)に移った。以後しばらく同地で育つが、岩手女子師範附属小学校高等科への進学に伴い、盛岡市の叔父・袴田多助宅に身を寄せる。さらに叔父一家が北海道小樽市に移転すると、トミもこれに付き従い、1927年に小樽高等女学校に入学した。 なお、戸籍上の本名は「トミ」だが、幼少のころ、歌舞伎の演目『切られ与三』の「いやさ、お富」という台詞で散々からかわれたことに辟易し、「英子(ひでこ)」という通称を名乗り、宝塚在団中は専らこの通称の方が知られた。さらに後には「真代(まさよ)」を名乗っており、死去4日前に書かれた最後の手紙も「真代」という署名で締められている。 小学校3年生のとき少女雑誌により宝塚歌劇の存在を知り、小学校卒業のころにはすでに入団を志望していたが、当時は叶えることができなかった。その後、小樽ではじめて「宝塚少女歌劇の姉妹座とかいう劇団」による「少女歌劇らしいもの」を観劇し、古本屋で宝塚歌劇の機関誌『歌劇』を見つけては熟読していた。小樽高女は2年次1学期末の1928年7月をもって中退し、川口村の両親のもとへ戻ったが、のちに両親と親戚の反対を押し切って宝塚音楽歌劇学校受験のため単身大阪へ赴き入学を果たす。当時、正規の入学試験はすでに終了し入学式も済んでおり、特別試験を経て入学が認められ、音楽歌劇学校予科へ編入された。姓の「袴田」から「ハカマ」という愛称で呼ばれ、寮で同室だった桜緋紗子や社敬子とは特に親しい間柄となった。予科時代は平凡な存在だったという評がある一方、当時本科生だった冨士野高嶺によれば、「しっかりしている」という評判のあった予科生の中で、神代錦(1948-1951年星組トップスター)、桜緋紗子らとともに、ひときわ目立つ存在だったともいう。 ただ、宝塚が一直線な夢の成就であるような上述の説明とは異なり、本当の宿願は新劇を演じることだとも説明されている。これによれば、園井は高女時代に、築地小劇場が小樽を訪れた際に観劇しており、それ以来、新劇を演じることが願望となった。しかし、新劇の道は経済的な理由で選択することができなかったので、宝塚への入学を決めたという。宝塚では予科生の10円(あるいは15円)の給料の大部分を仕送りしていた。 築地小劇場には丸山定夫もいたが、後年、丸山の一座のもとで園井恵子はじっさい新劇女優となった。 翌1930年、音楽学校本科生となり、劇団第19期生として花組に編入。当時の芸名は「笠縫清乃」であった。同年4月から上演されたレビュー『春のをどり』で初舞台を踏み、同年12月から芸名を「園井恵子」と改めた。 1931年3月末に宝塚音楽学校を卒業し、月組配属となる。8月、白井鐵造作『ジャックと豆の木』初日において、母親役の高千穂峯子が突然倒れたことにより、予定のなかった園井が急遽代役として出演。30分で台詞を覚えて演じきり、好評を博した。10月には『ライラック・タイム』に門番婆さん役を好演し、宝塚歌劇創始者・小林一三から「今年最大の収穫」と賞賛された。以後役付きが良くなっていき、喜劇的な役どころを中心に、奥方役、老婆役など、できない役はないというほど多彩な芸を持つ名バイプレーヤーとして地歩を固めていった。親しかった桜緋紗子、社敬子、葦原邦子はいずれも、園井の好演作として主人公の母親「ローズ」役を演じた『アルルの女』(1934年)を挙げている。この作品は当時大ヒットを記録し、後に全国に宝塚劇場が開場するたびにこけら落とし作品として選ばれた。 1938年からは新規に設立された宝塚映画にも出演。時局悪化で閉鎖される1941年までに『軍國女學生』、『山と少女』、『雪割草』、『南十字星』などの作品に出演した。 1942年1月には、東宝の高峰秀子と共に古川ロッパ一座の舞台へ客演。場所は、東京「日比谷の有楽座」で、これは東京宝塚劇場社(東宝の前身)の運営劇場だった。それでも当時、宝塚の現役生徒初の外部出演として話題となった。抜擢したのはロッパ一座の劇作も行っていた菊田一夫で、園井が宝塚で1940年に出演した『赤十字旗は進む』(菊田作)での芝居を非常に気に入っていたことによる。このころ、園井はすでに新劇への転向を志しており、吉岡重三郎(東京宝塚劇場社長)から「あなたは築地のような芝居をやりたいということですが、それも一案ですが、当分ロッパの舞台で続いてやられてはどうかと思う」との書簡を受け取っている。しかし結局、同年主演した『ピノチオ』(4~5月:宝塚大劇場、8~9月:東京宝塚劇場)を最後に、園井は宝塚を退団する。同作で脚本を担当した内海重典は、園井が主演に抜擢されたことに「驚いた」と述懐しているが、これはもともと春日野八千代に振られていた役で、園井の退団意志を知っていた春日野が劇団に掛け合い、役を譲ったのだとも伝えられている。内海重典の妻、内海明子(元宝塚歌劇団・加古まち子)によれば劇団は園井の退団に反対していたが、退職金を辞退しての強行退団であった。
1943年、園井は当時最大級のスターであった阪東妻三郎の相手役・「吉岡夫人」役として、映画『無法松の一生』に出演する。吉岡夫人役には当初水谷八重子、次いで入江たか子が候補として挙がっていたが、両名の所属会社はこれを断り、代わって候補となった小夜福子も妊娠中で出演不可との返事であった。制作側は「あまり動かない役だから、ともかく一度お会いしたい」と食い下がり、後日設けられた両者の面会の場で、小夜はすでに大きくなった腹を見せた上で「私よりぴったりだと思う」と園井を紹介。このとき園井はアスピリン中毒で口周りに湿疹を生じたためマスク姿で、監督の稲垣浩が別室に連れだしてマスクを取るよう促したが、園井は「この顔を見られるぐらいなら、もうお断りします」と涙ながらに拒否し、完全な顔合わせのないまま、小夜の言葉を信じて起用が決まった。 撮影に入ると園井は顔合わせの頼りなさからは打って変わって真摯に役作りに取り組み、「松五郎」役の阪東ともども、撮影中以外にも役に入りきっていたという。この時、吉岡夫人の息子・敏雄の幼少期を子役として演じたのは沢村アキオ(のちの長門裕之)だったが、結婚するならば園井のような女性がいいと言っていた。稲垣は、その後の新作の出演も園井に打診しているが、後年、当時を振り返る際には「彼女は芸達者ではなく、芸熱心だった。役の人になりきるという基本をしっかり身につけた人だった」等と評している。 完成した『無法松の一生』は検閲により約10分間に相当するフィルムに鋏が入れられてしまったが、稲垣が「こんなにほめられていいのかしらと思うぐらい」の好評を博し、園井の名も映画スターとして一躍全国区のものとなった。当年の興行収入ランキングでは黒澤明の初監督作品『姿三四郎』を上回り、『伊那の勘太郎』に次ぐ第2位の成績を挙げた。稲垣は試写後の手紙で「何か貴女に適当な役があった場合は、また飛んでいくかも知れません。映画にはこりごりでも、せめて僕のモノには出てほしい」と綴っている。園井自身はのちに「『無法松』のときは初めてで、お相手の方もずいぶん歯がゆくお思いになったでしょうと、恥ずかしくてたまらない」と自省し、稲垣監督、宮川一夫撮影で再度映画に出演することを願っていたという。なお、後に稲垣は映画『乞食大将』の主演に園井を推薦し、また『無法松-』の演技に感心した山本嘉次郎も脚本用意の上で起用を図ったが、いずれも出演は実現しなかった(#逸話)。 『無法松-』のあと大映は園井に専属契約を持ちかけたが、園井は「当分、苦楽座の人たちと舞台の修行をしたい」としてこれを断った。なお、1943年4月のもので、東宝との契約交渉についての手紙も残されており、東宝からは給与、出演範囲の提示、苦楽座や映画への出演は自由、といった具体的な条件が示されていたが、園井は後援者である中井志づへの手紙で給与や出演範囲についての不満を漏らしており、その後どのように交渉したか不明であるが、締結に至らなかった。 苦楽座は園井が宝塚を退団する約2カ月前の1942年7月8日に、高山徳右衛門、丸山定夫、藤原鶏太、徳川夢声によって結成された。同年12月3日から旗揚げ公演を行い、園井はここで上演された3本の芝居のうち『玄関風呂』(尾崎一雄原作)に出演。以後苦楽座公演に継続して参加した。1944年には丸の内邦楽座での本公演および関西地方への巡業で舞台版『無法松の一生』が上演され、園井は映画同様吉岡夫人役を演じた。 この巡業は12月に終了したが、このころ東京への空襲が激しさを増しており、苦楽座幹部は活動困難とみて年末もしくは年明けに解散を決定した。その後、幹部のひとりであった丸山定夫が地方慰問を目的とした新たな劇団設立を提案。園井を含む12名がこれに賛同し、団員13名、スタッフ4名の計17名をもって「苦楽座移動隊」が結成され、日本移動演劇連盟に加入した。移動隊は『獅子』公演のため、岩手県盛岡市の繋温泉で稽古合宿を行ったが、この最中に新しい劇団名をという提案があり、暫定的に「桜隊」となった。この名が正式名称となるのは、同年6月に広島へ赴いてからのことである。 以後1月末から3月にかけて、『獅子』と『太平洋の防波堤』をもって関東、次いで広島へ巡演する。関東では工場慰問が主だったが、広島では病院で傷病兵の慰問も行った。3月4日に東京へ戻ったが、同10日の東京大空襲で府下の主だった劇場は焼滅、桜隊の面々も焼け出された。日本移動演劇連盟は、もはや都市を巡演する公演形態は不可能と判断し、所属各劇団を全国各地に疎開させ、それぞれに常駐して公演を行わせることを決定。桜隊の疎開先は広島県広島市と決まった。隊長の永田靖と丸山定夫が中国以西の地域に通じていたこと、また、先に広島市で公演を行った際、多くの観客から好評を得たことが都市選定の要因だったともされる。しかし、広島は軍都として有名だったにもかかわらず、未だ目立った空襲がなく却って危険視されていた場所で、この決定は桜隊内部の動揺を誘った。同年4月に園井が中井志づに送った手紙にも、広島行きを断ろうとしたが、主張しきれなかったという内情が綴られている。 桜隊は6月22日に広島に到着。これに先立ち隊長の永田靖と多々良純が徴兵のため劇団を離れており、所属者はスタッフを含めて14名であった。以後桜隊は『獅子』『山中暦日』『日本の花』の三本をもって広島から山陰地方を巡演。その最中に丸山が肋膜炎を発症したため、後を吉本興業系の移動劇団「珊瑚座」に託し、予定より早く広島に戻った。これが桜隊最後の公演活動となり、園井は苦楽座旗揚げ公演からの全公演に参加したことになった。 広島へ戻ったのち、池田生二が空襲に遭った沼津に残した家族の安否確認のため離脱。ほか3名が先の見通しに不安を覚えて帰京。さらに劇団事務長の槙村浩吉も俳優補充のため一時帰京し、園井を含む9名が広島市堀川町99番地の事務所に残された。園井は8月2日ごろより、兵庫県神戸市の中井義雄、志づ夫妻のもとで静養。劇団の召集日前日だった5日までそこで過ごしたのち、広島に戻った。 園井が神戸から戻った翌日の8月6日午前8時15分、アメリカ軍占領下のテニアン島基地より飛来したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が広島上空で原子爆弾を投下。そのとき桜隊の面々は朝食を終えて各自の部屋に戻っており、園井は中井家からの持参品を皆で食べようと、盆を手に廊下を歩いていた。 爆発の衝撃により園井は廊下から庭に放り出されて気を失ったが、すぐに意識を取り戻す。下敷きになっていた壁から這い出すと、近くに高山象三(高山徳右衛門の息子)も倒れていた。高山は足先に軽傷、園井は全くの無傷であり、ふたりは約1km離れた比治山へ避難した。ほかに丸山定夫はひとり比治山に向かったが、途中で倒れてトラックに拾われ、傷病者の臨時収容所に運び込まれた。また、仲みどりも自力で事務所から脱出したが、すぐに体調が悪化し、京橋川の水中で難儀していたところを船舶部隊に救助され、のち東京に帰され東京帝国大学付属病院に入院した。ほかの隊員5名はこの時点で行方不明となり、後日、崩壊し全焼した事務所跡から白骨となって発見された。なお、爆心地は事務所から西方約750メートルの位置であった。 比治山で一夜を過ごした園井と高山は、翌日に海田市町の知人宅へ赴き8日昼まで過ごしたのち、鉄道が復旧したことを知って神戸に戻り、中井夫妻と再会した。このときの園井は、顔も服も薄汚れ、足元は地下足袋と男物の短靴を片方ずつ履いた「乞食のような姿」で、志づが一見して園井とは分からなかったほどだったという。後年、志づが稲垣浩に送った手紙によれば、園井は「母さん、助かったのよ、助かったのよ」と言って志づに抱きつき、周囲も安堵し喜びあっていた。 翌日から園井は衰弱著しかった高山の看病に当たったが、そのうち自身にも放射線障害の兆候があらわれはじめた。8月15日に終戦が伝えられると、園井の安否を気づかい中井家を訪れていた内海明子(宝塚の後輩、芸名:加古まち子。脚本・演出家の内海重典と結婚)に、「これで思いっきりお芝居ができるわ」と話し、目を輝かせていたという。17日には母・カメに宛てて近況報告と向後の再起を誓う手紙を出したが、これが絶筆となる。 殿堂入り人物芝居についての評価身体上の特徴交友信仰逸話宝塚時代の金銭的苦境映画出演">幻の映画出演手塚治虫への影響平成・地元岩手への波及死後の顕彰映画">出演映画
『山と少女』(1938年、宝塚映画) 『雪割草』(原作/白井鐵造、1939年、宝塚映画) 『南十字星』(1941年、宝塚映画) 『無法松の一生』(1943年、大映) 江津萩枝『櫻隊全滅 - ある劇団の原爆殉難記』 未來社、1980年1月刊 - ノンフィクション 千和裕之『流れる雲を友に 園井恵子の生涯』 パブフル、2020年7月刊 - 評伝、伝記、ノンフィクション 千和裕之『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』 国書刊行会、2023年4月刊 - 評伝、伝記、ノンフィクション 新藤兼人監督『さくら隊散る』 1988年制作 - 江津の上記著作をもとに制作。未來貴子が園井を演じた。 大林宣彦監督『海辺の映画館―キネマの玉手箱』 2020年公開 - 常盤貴子が園井を演じた。 井上ひさし作『紙屋町さくらホテル』 1997年初演。新国立劇場開場記念公演 - 園井役は初演は三田和代。幾度か再演されており娘役だが宝塚OG森奈みはるも園井を演じた。 ^ 宝塚音楽学校は2年制であり、「予科生」は一般的な学校の1年生に相当する。学年が上がると2年生相当の「本科生」となる。 ^ おそらく観たのは「海戦」だったとされる。築地小劇場や「罫線」が21世紀に至っても演劇界でタブー視されていたという、やなぎみわの説明がある。さらに、築地小劇場を小樽に招へいしたのはプロレタリア文学作家の小林多喜二であった。 ^ 上述の新劇の拠点・築地小劇場。 ^ 小樽高女同窓会の関西支部長。要は高校OBの園井後援会。「広島」の節にも言及。 ^ 園井が私淑していた河崎なつのこと。 ^ 中井志づは、園井が「六甲のママ」と呼んでいた人物で。上述したように、小樽高女の先輩で後援者。 ^ このとき、八田は珊瑚座に言付かって女優二名を伴ってきたが、そのひとり諸岡千恵子が2012年毎日新聞記事で生き証人として取材されている。 ^ 園井と丸山定夫。 ^ これまでは佐保美代子の41歳だった。 ^ タカラジェンヌで戦災死した人物には園井のほかに糸井しだれ、清美好子がいる。 ^ 親会社(阪急)のプレスリリース (2019年)に拠る。“「宝塚歌劇の殿堂」の顕彰者に 宝塚歌劇団卒業生の園井恵子さんが新たに加わります”. @press (2019年4月16日). 2020年1月31日閲覧。 ^ 資料集 1991, p. 302. ^ 資料集 1991, pp. 1–5. ^ 津金澤 & 近藤 2006, p. 151. ^ 資料集 1991, pp. 113–114. ^ 資料集 1991, pp. 146–149. ^ 資料集 1991, pp. 65–71. ^ 資料集 1991. ^ 芳賀, 登 (1993), 日本女性人名辞典, 日本図書センター, p. 611, https://books.google.com/books?id=WB8QAQAAMAAJ&q=%22園井恵子%22 ^ 盛内政志「日本映画俳優全集女優編」『キネマ旬報』第801号、388-389頁、December 1980。https://books.google.com/books?id=vds2AAAAMAAJ&q=%22園井%22。 ^ 資料集 1991, p. 310. ^ 資料集 1991, p. 206. ^ 資料集 1991, p. 209. ^ 資料集 1991, p. 119. ^ 資料集 1991, pp. 98–103. ^ 資料集 1991, pp. 29–31. ^ 井上 & 小森 2003、『座談会昭和文学史』174頁; 「すばる」 20 (4), 1998年より再掲。 ^ From contemporary art to theater, the artistic quest of Miwa Yanagi, 国際交流基金, (2013-09-02), p. 6, https://www.performingarts.jp/E/art_interview/1307/art_interview1307e.pdf ^ 倉田稔 authorlinkj=倉田稔「昭和初期多喜二の文学上の営為」『小樽商科大学人文研究』第96巻、小樽商科大学、56-57頁、1998年。ISSN 0482-458X。 NAID 110000249948。https://hdl.handle.net/10252/772。 ^ 資料集 1991, pp. 222–224. ^ 井上ひさし、小森陽一『座談会 昭和文学史二』集英社、2003年、174頁。https://books.google.com/books?id=SmU0AQAAIAAJ&dq=%22園井%22。 ^ 大笹吉雄; 今村忠純; 井上ひさし; 小森陽一「座談会昭和文学史(6)昭和戦中期までの演劇と戯曲--劇作家の言葉と仕事」『すばる』第20巻、第4号、170, 198頁、1998年。https://books.google.com/books?&id=izOSAAAAIAAJ&q=%22園井恵子%22。 ^ 横溝幸子「インタビュー 南美江」『悲劇喜劇』第37巻、第4号、90頁、1965年7月1日。https://books.google.com/books?id=ynJoAAAAIAAJ&q=%22園井%22。 ^ 資料集 1991, p. 311. ^ 津金澤 & 近藤 2006, p. 156. ^ 資料集 1991, pp. 122–124. ^ 資料集 1991, p. 312. ^ 津金澤 & 近藤 2006, p. 153. ^ 資料集 1991, pp. 106–108. ^ 資料集 1991, pp. 204–205, 214, 222–224. ^ 資料集 1991, p. 214. ^ 資料集 1991, pp. 324–331. ^ 津金澤 & 近藤 2006, p. 155. ^ 高峰秀子『わたしの渡世日記』朝日新聞社、1980年、263頁。https://books.google.com/books?id=EfUUAQAAMAAJ&q=%22園井%22。 ^ 菊田一夫「園井恵子の引き抜き」『文芸朝日』1964年4月号、pp. 95-97 ^ 資料集 1991, p. 150. ^ 資料集 1991, pp. 24–25. ^ “園井恵子 「生誕百年祭」”. e-いわてまち.ねっと(岩手県岩手郡岩手町). 2013年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月2日閲覧。 ^ 資料集 1991, pp. 293–297. ^ 栗坪良樹「女神--稲垣浩『無法松の一生』(映画) (境界を越えて--恋愛のキーワード集)」『國文學 : 解釈と教材の研究』第46巻、第3号、68-70頁、2001年。 ;『知っ得恋愛のキーワード集』、2008年に再掲。 ^ 稲垣 1981, pp. 110–112 ^ 稲垣 1978, pp. 171–172. ^ 梯久美子『昭和の遺書: 55人の魂の記録』文藝春秋、2009年。ISBN 978-4-16-660713-6。https://books.google.com/books?id=iokyAQAAIAAJ&q=%22園井%22。 ^ 稲垣 1978, p. 171. ^ 資料集 1991, p. 164. ^ 資料集 1991, p. 236. ^ 江津 1980, pp. 24–27. ^ 資料集 1991, pp. 156–158. ^ 津金澤 & 近藤 2006, p. 154. ^ 資料集 1991, pp. 137–138. ^ 江津 1980, p. 33. ^ 江津 1980, pp. 40–43. ^ 資料集 1991, pp. 143–144. ^ 江津(1980)pp. 44-45 ^ 江津 1980, p. 67. ^ 江津 1980, p. 169. ^ 江津 1980, p. 48. ^ 資料集 1991, pp. 342–346. ^ 江津 1980, pp. 57–58. ^ 江津 1980, pp. 60–61. ^ 江津 1980, p. 55. ^ 八田 1965, p. 105. ^ 広岩近広「平和をたずねて:原爆非命 桜隊は問う/6 空爆後の神戸で再会」『毎日新聞 大阪』2012年3月13日。 ^ 八田元夫; 中井志ず; 内海明子 著、東京12チャンネル報道部 編「原爆・ヒロシマの証言」『証言・私の昭和史 5 終戦前後』、学芸書林、101-119頁、1969年。https://books.google.com/books?id=eusOAAAAMAAJ。 ^ 津金澤 & 近藤 2006, p. 158. ^ Hatta 1965, p. 100-101. ^ 広岩近広 (2012年4月10日). “平和をたずねて:原爆非命 桜隊は問う/10 死しても女優であり続け”. 毎日新聞 大阪. https://o-kon.at.webry.info/201204/article_2.html ^ 資料集 1991, p. 251. ^ 江津 1980, pp. 9–10. ^ “被爆死の元ジェンヌ、「歌劇の殿堂」入り 園井恵子さん”. 朝日新聞. 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大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 鳳月杏 春海ゆう 夢奈瑠音 佳城葵 英かおと 朝陽つばさ 風間柚乃 礼華はる 甲海夏帆 彩海せら 柊木絢斗 大楠てら 瑠皇りあ 彩路ゆりか 爽悠季 毬矢ソナタ 真弘蓮 月乃だい亜 七城雅 槙照斗 遥稀れお 和真あさ乃 涼宮蘭奈 澪あゆと 綺乃ゆず 大瀬いぶき 天つ風朱李 一輝翔琉 美颯りひと 相星旬 穂波舞咲 雅耀 桜之真緒 白霧椿 翔ゆり愛 飛翔れいや 日向みなき 央河希涼 梨花ますみ 白雪さち花 彩みちる 桃歌雪 妃純凛 天紫珠李 天愛るりあ 菜々野あり 白河りり 羽音みか きよら羽龍 咲彩いちご 美海そら 静音ほたる 朝香ゆらら 奏羽美緒 一乃凜 花妃舞音 蘭叶みり 澪花えりさ 華羽りみ 愛梛ちとせ 彩姫みみ 美渦せいか 星丘しずく 八重ひめか 乃々れいあ 帆華なつ海 朱鷺あおい 梨乃すずらん 天津乙女・・門田芦子・・小夜福子・・佐保美代子・・久慈あさみ・・南悠子・・故里明美・・藤里美保・・内重のぼる・・古城都 - 大滝子&榛名由梨 - 大滝子 - 榛名由梨 - 大地真央 - 剣幸 - 涼風真世 - 天海祐希 - 久世星佳 - 真琴つばさ - 紫吹淳 - 彩輝直 - 瀬奈じゅん - 霧矢大夢 - 龍真咲 - 珠城りょう - 月城かなと - 鳳月杏(現役) 住江岸子・・笹原いな子・・初代有明月子・・雲野かよ子・・勿来なほ子・・轟夕起子・・浦島歌女・・淡島千景・・固定スター不在(筑紫まり、加茂さくらら)・・八汐路まり - 初風諄 - 小松美保 - 五條愛川 - 黒木瞳 - こだま愛 - 麻乃佳世 - 風花舞 - 檀れい - 映美くらら - 固定スター不在 - 彩乃かなみ - 固定スター不在 - 蒼乃夕妃 - 愛希れいか - 美園さくら - 海乃美月 - 天紫珠李(現役) 初瀬音羽子 - 天津乙女 - 門田芦子 - 小夜福子 - 佐保美代子 - 室町良子 - 美吉左久子 - 畷克美 - 故里明美 - 沖ゆき子 - 美山しぐれ - 水代玉藻 - 麻月鞠緒 - 朝みち子 - 汝鳥伶 - 邦なつき - 汝鳥伶 - 立ともみ - 夏河ゆら - 出雲綾 - 越乃リュウ - 飛鳥裕 - 憧花ゆりの - 光月るう - 梨花ますみ(現役) 山部志賀子 - 野花千代 - 天城月江 - 沖ゆき子 - 葦城まこと - 朝倉道子 - 畷克美 - 清川はやみ - 睦千賀 - 恵さかえ - 恵さかえ・岬ありさ - 岬ありさ・小柳日鶴 - 葉山三千子 - 榛名由梨 - 有明淳 - 汝鳥伶 - 京三紗 - 葵美哉 - 梨花ますみ - 夏河ゆら - 光樹すばる - 嘉月絵理 - 越乃リュウ - 花瀬みずか - 憧花ゆりの - 綾月せり - 光月るう - 夏月都 - 白雪さち花(現役) 奏乃はると 透真かずき 真那春人 久城あす 朝美絢 桜路薫 天月翼 叶ゆうり 諏訪さき 眞ノ宮るい 縣千 麻斗海伶 咲城けい 稀羽りんと 壮海はるま 紗蘭令愛 蒼波黎也 絢斗しおん 風雅奏 和奏樹 紀城ゆりや 海咲圭 希翠那音 月瀬陽 華世京 夢翔みわ 霧乃あさと 藤影ゆら 彩名美希 絢月晴斗 風立にき 瞳月りく 乙瀬千晴 苑利香輝 水月胡蝶 榊歩 千乃新 律希奏 結翔恋 杏野このみ 愛すみれ 妃華ゆきの 夢白あや 愛羽あやね 莉奈くるみ 愛陽みち 麻花すわん 音彩唯 琴峰紗あら 愛空みなみ 美影くらら 華純沙那 夢陽まり 白綺華 瑞季せれな 妃奈環 星沢ありさ 清羽美伶 紗香にいな 琴華ひまわり 音綺みあ 祈菜さあや 桜菜みのり 星姫あやか 高峰妙子・・雪野富士子・・初音麗子・・春日野八千代・・明石照子・・真帆志ぶき・・郷ちぐさ&汀夏子 - 汀夏子 - 麻実れい - 平みち - 杜けあき - 一路真輝 - 高嶺ふぶき - 轟悠 - 絵麻緒ゆう - 朝海ひかる - 水夏希 - 音月桂 - 壮一帆 - 早霧せいな - 望海風斗 - 彩風咲奈 - 朝美絢(現役) 御垣悦子・・初代紅千鶴・・櫻町公子・・深緑夏代・・乙羽信子・・固定スター不在(東郷晴子ら)・・新珠三千代・・浜木綿子・・加茂さくら・・大原ますみ・・摩耶明美&高宮沙千 - 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2024/11/21 17:52更新
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sonoi keiko
園井恵子と同じ誕生日8月6日生まれ、同じ岩手出身の人
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