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増位山太志郎の情報 (ますいやまだいしろう[1])
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【4月8日】今日誕生日の芸能人・有名人

増位山太志郎の情報(ますいやまだいしろう[1]) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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増位山 太志郎さんについて調べます

■名前・氏名
増位山 太志郎
(読み:ますいやま だいしろう[1])
■職業
歌手
■増位山太志郎の誕生日・生年月日
1948年9月16日 (年齢76歳)
子年(ねずみ年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和23年)1948年生まれの人の年齢早見表

増位山太志郎と同じ1948年生まれの有名人・芸能人

増位山太志郎と同じ9月16日生まれの有名人・芸能人

増位山太志郎と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


増位山太志郎と関係のある人

徳久広司: 増位山太志郎


池田充男: 増位山太志郎『あき子慕情』


里村龍一: 日野美歌・増位山太志郎


石坂まさを: 増位山太志郎「いたわりあい」(作詞)


栃ノ心剛: なお、大関経験者で幕内勝率が5割を切っているのは、明治以降増位山太志郎以来2人目。


小島貞二: また小島は相撲時代に出羽海部屋で同僚だった増位山大志郎(9代三保ヶ関)と親友だった関係で、その息子の増位山太志郎(10代三保ヶ関)に「レコードを出してみないか」と話を持ちかけ、歌手・増位山の誕生に一役買っている。


花岡優平: 増位山太志郎


来生えつこ: 増位山太志郎


雅山哲士: 大関在位は僅か8場所となり、短命大関としての順位は年6場所制となった1958年(昭和33年)以降、大受久晃(5場所)・増位山太志郎(7場所)に次いで当時ワースト3位の不名誉記録となった。


海老名香葉子: 文筆はエッセイにとどまらず、増位山太志郎のヒット曲『そんな夕子にほれました』の作詞も手がけている。


中山大三郎: 男の背中(歌:増位山太志郎、作詞・作曲中山大三郎)


増位山太志郎の情報まとめ

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増位山 太志郎(ますいやま だいしろう[1])さんの誕生日は1948年9月16日です。兵庫出身の歌手のようです。

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引退、現在、父親、趣味、病気、テレビ、事件に関する情報もありますね。増位山太志郎の現在の年齢は76歳のようです。

増位山太志郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいしろう」、1948年9月16日 - )は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身の元大相撲力士で、最高位は東大関。

引退後は10代三保ヶ関として三保ヶ関部屋師匠を務めた。現在は歌手(ムード歌謡・演歌)として活動しており、ゴールデンミュージックプロモーションに所属している。

7代目増位山。大関・増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。生まれも育ちも東京都であるが、日本相撲協会発表の出身地は実父と同じ兵庫県姫路市となっており、番付の出身地欄も「兵庫」と記されていた。日大一中・一高では水泳部(競泳)に所属し、インターハイ出場の経験がある。

小学生の頃から相撲が好きで、入門前から三保ヶ関部屋の大部屋に入り浸る内に力士生活への憧れが芽生えた。中学2年のときに実父に相撲界への入門を志願したが断わられた。しかし、どうしても入門したかったため「ここで許されないなら他の部屋に入る!」と切り出し、父親も折れて入門を許し、1967年1月場所、瑞竜の四股名で初土俵。北の湖と同期であった。

三段目にいた1968年5月場所から父の四股名である増位山を継ぎ、1969年7月場所新十両と2年余りで関取の座を掴む。1970年3月場所に入幕したが負傷で何度か往復した。その後上位に進んでは大負けして落ちる繰り返しであったが、1979年9月場所(小結)より躍進、翌11月場所関脇で11勝4敗と三役で初の2桁勝利を達成し、2場所連続で三賞(技能賞)を獲得。

1980年1月場所は年齢的に最後のチャンスという覚悟で大関昇進に挑み、初日に対戦成績で18連敗中だった苦手の横綱・輪島を外掛けで破り勢いに乗った。この場所を12勝3敗で終え、高砂審判部長(元横綱朝潮)は「今場所の十二勝の成績や大関が現在一人である点を考慮する」と述べ、場所後の理事会で増位山の大関昇進を決定した。この前場所から大関は貴ノ花1人しかいない番付上の状況が増位山には有利に働き、この3場所合計31勝で直近の大関昇進の事例と比較すると勝率で劣ることや、副業(歌手)によるイメージダウンも「反対意見として押し切るには至らないとみられる」とされた。春日野理事長(元横綱・栃錦)は「増位山は多彩な技の持ち主だから、いかに自分を有利な体勢に持ち込むかが今後の課題」「優勝をねらえる大関になってほしい」とエールを送った。年6場所制が定着した1958年1月場所以降初土俵の力士では、旭國の28歳11ヶ月を上回る31歳2ヶ月の当時最年長(現在では琴光喜の31歳3ヵ月に次ぐ2番目)。新入幕から所要52場所での昇進は当時の最長記録で、史上初の親子大関が実現した。昇進に際し増位山は「今後は栄誉ある大関の地位を汚さぬよう努力していきたい。(中略)ここ三場所は自分の相撲が取れたので、それを忘れず、さらに上(横綱)をめざす気持ちでがんばる。番付ではおやじに追いついたが、本当はまだまだと思っている」と述べた。

しかし新大関の1980年3月場所は、右ヒジ関節挫傷で途中休場。場所後に昇進披露宴が行われ、俳優・歌手も含めた1500人余りが出席したが、昇進場所での不振との対比で「一億円の角番披露」と揶揄された。いきなり大関角番となった翌5月場所は、8勝7敗と勝ち越して角番脱出。その後も2場所連続の9勝6敗と1桁勝ち星がやっとで、1980年11月場所は3勝12敗と大きく負け越した。2度目の角番となった1981年1月場所は、10勝5敗と増位山自身大関として唯一の二桁勝利を挙げたが、これが大関としての最高成績だった。

1981年3月場所、2連勝の後2連敗したところで左ヒジ痛の悪化を理由に、同3月場所5日目限りで現役引退を表明した(取組相手の予定だった隆の里は不戦勝となる)。

増位山の大関在位はわずか7場所で、「短命大関」としては年6場所制以降、大受(在位5場所・関脇陥落)に次ぐ当時2位の最短記録となった。大関の地位で引退した力士としては、現在でも増位山が歴代1位の短命大関である。現役引退後は18代小野川を襲名するとともに、三保ヶ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたった。

取り口はふわっとした立合いで相手の突進をそらし、右で廻しをつかむと投げや内掛け・外掛け・内無双と多彩な技を繰り出した。中でも相手を引きずるように打つ上手投げ・上手出し投げは増位山独特のものであった。

1984年11月に実父である9代三保ヶ関が定年退職し、10代三保ヶ関を襲名して部屋を継承した。親方としては、名門・日本大学相撲部で活躍した学生相撲出身者を数多く入門させ、小結・濱ノ嶋、幕内・肥後ノ海、十両・増健などをはじめ、エストニア出身の把瑠都、ロシア出身の阿覧らをスカウトして関取に育てた。一方で先代三保ヶ関と同じく運営方針として所属力士の個人後援会を認めなかったことで「けち」と指摘されることもあった。

なお、三保ヶ関部屋からは2003年12月に11代木瀬が7人の内弟子を連れて分家独立、2006年8月に17代尾上が6人の内弟子(幕内・把瑠都、十両・里山など)を連れて分家独立している。また、父に似たのか多彩な趣味の持主で、絵画は二科展入選の常連である。

大相撲野球賭博問題に揺れていた時期には11代木瀬と10代清見潟が暴力団と交際していることを暴露し、結果としてこの2人は維持員席問題により協会から処分を受けた。23歳から50歳くらいまでは1日に150本くらい吸うヘビースモーカーだったが、病気をしてから一切吸えなくなった。

日本相撲協会では、後述のように美声で通る声であるために審判委員を長期間務め、物言いがついた場合場内説明を任されるケースが審判部副部長就任前から多かった。2002年2月に監事(2008年に副理事に改称)に就任し、2012年1月まで5期10年務めた。在任中は審判部副部長を長く務めた。停年退職が近くなったため2012年2月に退任し、最後は役員待遇委員として監察委員会副委員長を務めた。

2013年11月場所限りで65歳の停年退職を迎えたものの、後継者がいないことから同年9月場所限りで三保ヶ関部屋の消滅が決定。三保ヶ関部屋消滅時に所属していた部屋関係者のうち床山だけは北の湖部屋へ、自身を含む親方2人と力士6人、世話人・行司各1人、呼出2人は春日野部屋へ、それぞれ10月3日付で移籍した。停年に際して1980年1月場所の初日に輪島を破った一番を思い出の相撲として挙げ「これまで十八連敗中でしたから、輪島関に勝って親子二代で大関昇進も決まりうれしかったです」と語っていた。

師匠でもある実父から「相撲ばかりやっていては幅が出てこないし、色々な芸を経験して一芸に幅や奥行きが生まれる。何でもいいから大相撲以外で懸命にやってみろ」とアドバイスされため、現役力士時代の頃からムード歌謡・演歌歌手としても活動、レコードを多数リリースしている。1972年に「いろは恋唄」で歌手デビュー。その2年後の1974年に発売した3枚目のシングル「そんな夕子にほれました」が120万枚を超える売上を記録し初ヒットとなる。1977年8月に発売した「そんな女のひとりごと」は130万枚を超える売上を記録して、1978年に行なわれた「第11回日本有線大賞」では同曲で有線音楽賞とベストヒット賞を獲得した。リリースしたアルバムの中には、師匠・実父と共に吹き込んだ相撲甚句のレコードもあった。力士が出場する歌番組では審査員も務めたこともある。

本人は現役時代当時、印税のために歌手活動を行っていたわけではないとし、周囲が「増位山は相撲を取らないで歌ばかり歌っている」と勘違いすることに対しては釈然としなかったという。もっとも増位山の大関昇進を諮る理事会で師匠の三保ヶ関は「今後はキャバレーなどで一切歌わせない、レコーディングやテレビ出演は協会の許可を得てからにする」と公約し、協会内に根強かった歌手活動への批判をかわしている。

1985年から日本相撲協会が親方・力士のレコード発売やCM出演等の副業を原則的に禁止したため歌手活動は行っていなかったが、協会は旧譜の再発売については認めていた。その後、副業規制が緩和され、2007年10月、ともに横綱審議委員会の委員を務める内館牧子作詞、船村徹作曲の「水玉のスカーフ」で歌手として再デビューした。しかし、時津風部屋力士暴行死事件を受け公開レコーディングは中止となった。2008年6月、NHK・BS2で放送された『シリーズ 昭和の歌人たち「中山大三郎〜“人生いろいろ”から“珍島物語”〜」』に特別ゲストとして登場、生バンドをバックにかつてのヒット曲「男の背中」をテレビで久々に歌唱した。

上述の通り2013年11月場所で日本相撲協会を定年退職。同年12月4日、現役時代のしこ名である「増位山太志郎」の名義で、新曲「夕子のお店」の発表会を開催。「これからは歌一本。大相撲では大関止まりでしたが、今後は歌手で横綱を目指します」と改めて歌手として再出発の決意をコメントした。同曲および次作の「冬子のブルース」で、翌2014年の「第56回日本レコード大賞」企画賞を受賞した。

甘く囁くような歌声が持ち味。ラジオ番組『コサキンDEワァオ!』(TBSラジオ)では「小スケベ声」と呼ばれてネタにされた。鳩レースが趣味で、同じくレース鳩の飼育で知られる演歌歌手の同業・新沼謙治と意気投合している(ただし新沼は現在鳩を飼っていない)。またサックスも好きで、1日に4時間から5時間演奏している。

通算成績:597勝538敗18休 勝率.526

幕内成績:422勝435敗18休 勝率.492

大関成績:44勝44敗7休 勝率.500

現役在位:86場所

幕内在位:59場所

大関在位:7場所

三役在位:10場所 (関脇4場所、小結6場所)

三賞:5回

    技能賞:5回(1972年11月場所、1974年5月場所、1979年9月場所・11月場所、1980年1月場所)

    金星:4個(北の富士1個、輪島3個)

    各段優勝:十両優勝:1回(1972年1月場所)

    大田テジョンブルース

三佳令二 金富海 小谷充 UE-564
B面 終列車のひと 初信之介 徐永恩
22 1984年6月21日 A面 女の横顔 中山大三郎 竜崎孝路 UE-563
B面 あじさいの別れ 横山聖仁郎
23 1985年2月21日 A面 男の真夜中 中山大三郎 久我山明 UE-579
B面 愛ある別れ 石坂まさを
24 1985年9月21日 A面 五木恋しや 初信之介 木村好夫 池多孝春 UE-583
B面 遠きふるさと 初信之介
25 1986年1月21日 A面 そして…男は 中山大三郎 竜崎孝路 UE-585
B面 止まり木夢もよう 千葉宏子 大田かおる 山田慧
26 1986年4月21日 A面 夢酒場 中山大三郎 竜崎孝路 UE-586
B面 いつか逢う日を夢みて2 伊藤雪彦
27 1988年9月25日 A面 愛・さすらい 石坂まさを 木村好夫 斉藤恒夫 ミノルフォン 7KA-44
B面 そんな夕子にほれました(新録) 海老名香葉子 山路進一 かみたかし
28 1989年9月25日 A面 昭和流行歌 三浦弘 竜崎孝路 7KA-51
B面 お馴染みさん 石坂まさを 高橋直人 小谷充
29 1990年5月25日 01 何処でどうしているだろか 横山聖仁郎 TKDA-30077
02 色はにおえど… 水上たかし 横山聖仁郎
30 2007年10月3日 01 水玉のスカーフ 内館牧子 船村徹 蔦将包 日本クラウン CRCN-1319
02 女房に捧ぐ
31 2013年2月13日 01 夢の花 咲かそう たかたかし 弦哲也 前田俊明 テイチク TECA-12410
02 男の舞台
32 2013年11月20日 01 夕子のお店 TECA-12485
02 女のきもち
33 2014年9月17日 01 冬子のブルース 池田充男 TECA-12545
02 この指と〜まれ! 岡本圭司
34 2015年5月20日 01 あき子慕情 池田充男 徳久広司 竜崎孝路 TECA-13601
02 小春酒
35 2016年1月20日 01 男のコップ酒 松井由利夫 岡千秋 南郷達也 TECA-13649
02 故郷ふるさとごころ 建石一
36 2016年9月21日 01 白雪草しらゆきそう 下地亜記子 徳久広司 TECA-13708
02 奥能登しぐれ
37 2017年4月19日 01 酒みれん 仁井谷俊也 叶弦大 TECA-13754
02 京都二寧坂 松井由利夫
38 2018年1月17日 01 泣き虫 久仁京介 花岡優平 矢野立美 TECA-13821
02 ほんの小さな過去だから 紙中礼子
39 2018年9月19日 01 港です 女です 涙です 山口洋子 徳久広司 南郷達也 TECA-13876
02 今日からふたり 徳久広司
40 2019年5月15日 01 ごめんよ麗子 麻こよみ 徳久広司 TECA-13929
02 本気で惚れた人
41 2020年1月15日 01 涙の夜風 宮下健治 TECA-20009
02 北国なみだ雨
42 2021年1月20日 01 別れの彼方 森田いづみ TECA-21003
02 かならず明日はやってくる
43 2022年2月16日 01 おとなの春に… 石原信一 浜圭介 猪股義周 TECA-22003
02 桜よ散るがいい 数丘夕彦

デュエット・シングル

発売日 デュエット 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 レーベル 規格品番
1975年 秋ゆうこ A面 いつか逢う日を夢みて 中山大三郎 伊藤雪彦 マキシムレコード MR-2022
- B面 札幌の夜(歌:増位山太志郎) 関口義明 菊池一夫
1979年10月25日 沢田嘉津枝 A面 だから今夜は… 初信之介 徳久広司 竜崎孝路 ユニオンレコード UC-86
- B面 あなた任せの私なの(歌:増位山太志郎) 石坂まさを 紺野章
1981年11月25日 長沢薫 A面 いつか逢う日を夢みて 中山大三郎 伊藤雪彦 UE-501
- B面 ゆうがお慕情(歌:増位山太志郎) みなみ修 岩崎ヒロシ
1982年8月21日 長沢薫 A面 夜の恋の物語 吉法かずさ 徳久広司 竜崎孝路 UE-525
- B面 こころ酒(歌:増位山太志郎) 石坂まさを 木村好夫 斉藤恒夫
1983年1月21日 川中美幸 A面 マイク片手にカラオケ人生 大高ひさを 村沢良介 伊藤雪彦 UE-536
B面 私はあなたの涙です
1984年12月1日 日野美歌 A面 大阪恋めぐり 幸村リウ 小林正二 馬飼野俊一 UE-574
B面 信じあえたら 山田孝雄 四方章人
2012年7月25日 松居直美 01 秘そやかに華やかに 建石一 徳久広司 池多孝春 テイチク TECA-12363
02 だから今夜は… 初信之介 竜崎孝路
2013年7月17日 01 男と女のオルゴール 建石一 池多孝春 TECA-12459
- 02 想い出さがし(歌:増位山太志郎) 前田俊明
2014年7月23日 菊地まどか 01 屋形船 岡千秋 南郷達也 TECA-12535
02 駅あかり

アルバム

    LP

    CD

    大江戸捜査網 第528話「易者は殺しの暗号」(1982年) - 伊之吉役でゲスト出演

    紀文食品

    ^ 『相撲』2013年11月号78頁には具体的に「ウチでやらせてもらえないんだったら、オレは春日野部屋へ行く!」と強い決意を表わしていた様子が記述されていた。実父は当初「数年で芽が出なければちゃんこ屋でもやらせればいい」という感覚で息子の希望を認めかけたが、実母が「ちゃんこ屋でも…ぐらいの感覚でさせるならば止めて下さい!」と意見したことで、父も本気で関取に育て上げる決意をしたという。

    ^ 5日目の対戦力士・隆の里は、右膝の切開手術のために当初不戦敗・休場するはずであったが、増位山の引退報告を聞いて急遽春場所の会場に駆け付け、不戦勝の勝ち名乗りを貰ったという

    ^ 現在は栃ノ心・朝乃山と並ぶ史上3位タイ。

    ^ 『相撲』2013年11月号79頁には「右上手からの技であるからこそ相手の後ろ廻しの結び目の先の細く折られた先端部分を効率的に掴むことができ、威力が高まるのだ。廻しの構造上、左ではそのような掴み方は出来ない。」とその「独特の上手出し投げ」の詳細が説明されていた。

    ^ 右胸部挫傷により10日目から途中休場、12日目から再出場。

    ^ 右足首関節骨折、右下腿部下端骨折により初日から休場、6日目から出場、10日目から途中休場

    ^ 右肘関節挫傷により8日目から途中休場。

    ^ 角番(全2回)

    ^ B面は国錦の「相撲甚句 当地興行」。

    ^ 編曲者の表記無し。

    ^ デュエット:長沢薫。

    ^ デュエット:北の富士。

    ^ 共演:日野美歌。

    ^ ナレーション:叶和貴子。

    ^ 蘇る名大関 増位山太志郎 - goo大相撲

    ^ 増位山が歌手復帰!「不倫にピッタリ」は11月16日生まれとしている。

    ^ 増位山太志郎さんが振り返る、2017年の大相撲その4 おすもうさん 2018年1月13日 (2023年3月9日閲覧)

    ^ 朝日新聞1980年1月4日付朝刊スポーツ面

    ^ 朝日新聞1980年1月7日付朝刊スポーツ面

    ^ 朝日新聞1980年1月21日付朝刊スポーツ面

    ^ 朝日新聞1980年1月23日付朝刊スポーツ面

    ^ 朝日新聞1980年1月23日付夕刊社会面

    ^ 朝日新聞1980年1月24日付朝刊スポーツ面

    ^ スポーツ報知 2010年5月26日

    ^ 三保ケ関から阿覧ら6人が春日野部屋へ nikkansports.com 2013年10月3日

    ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号102頁

    ^ “美声”の元大関 増位山太志郎さんが感謝する2人の恩師、日刊ゲンダイDIGITAL、2016年8月1日。

    ^ <2>「増位山は相撲を取らないで歌ばかり歌っている」と周囲から勘違いされた 日刊ゲンダイDIGITAL 2021/08/17 06:00 (2021年8月18日閲覧)

    ^ 22年ぶりも…増位山、時津風暴行事件余波、ZAKZAK、2007年9月28日。

    ^ 増位山「歌手で横綱目指す」新曲「夕子のお店」発表スポニチアネックス 2013年12月5日

    ^ <1>コロナ禍で運動もしないから1日4、5時間サックスを吹いてます(1/3ページ) 日刊ゲンダイDIGITAL2021/08/03 06:00 (2021年9月1日閲覧)

    昭和平成 大相撲名力士100列伝(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p111-112

    大関一覧

    増位山 太志郎 - 日本相撲協会

    増位山太志郎 - テイチクエンタテインメントによる公式ページ

    増位山太志郎 - ゴールデンミュージックプロモーションによる公式ページ

    161代 能代潟錦作

    162代 常陸岩英太郎

    163代 豊國福馬

    164代 玉錦三右エ門

    165代 武藏山武

    166代 清水川元吉

    167代 男女ノ川登三

    168代 双葉山定次

    169代 鏡岩善四郎

    170代 前田山英五郎

    171代 羽黒山政司

    172代 安藝ノ海節男

    173代 五ツ嶋奈良男

    174代 照國万蔵

    175代 名寄岩静男

    176代 佐賀ノ花勝巳

    177代 東冨士謹一

    178代 汐ノ海運右衛門

    179代 増位山大志郎

    180代 千代ノ山雅信

    181代 吉葉山潤之輔

    182代 鏡里喜代治

    183代栃錦清隆

    184代 三根山隆司

    185代 大内山平吉

    186代 松登晟郎

    187代 若乃花勝治

    188代 朝汐太郎

    189代 琴ヶ濱貞雄

    190代 若羽黒朋明

    191代 柏戸剛

    192代 大鵬幸喜

    193代 北葉山英俊

    194代 佐田の山晋松

    195代 栃ノ海晃嘉

    196代 栃光正之

    197代 豊山勝男

    198代 北の富士勝昭

    199代 玉乃島正夫

    200代 琴櫻傑將

    201代 清國勝雄

    202代 前の山太郎

    203代 大麒麟將能

    204代 輪島大士

    205代 貴ノ花利彰

    206代 大受久晃

    207代 北の湖敏満

    208代 魁傑將晃

    209代 三重ノ海剛司

    210代 旭國斗雄

    211代 若三杉壽人

    212代 増位山太志郎

    213代 千代の富士貢

    214代 琴風豪規

    215代 隆の里俊英

    216代 若嶋津六夫

    217代 朝潮太郎

    218代 北天佑勝彦

    219代 大乃国康

    220代 北尾光司

    221代 北勝海信芳

    222代 小錦八十吉

    223代 旭富士正也

    224代 霧島一博

    225代 曙太郎

    226代 貴ノ花光司

    227代 若ノ花勝

    228代 貴ノ浪貞博

    229代 武蔵丸光洋

    230代 千代大海龍二

    231代 出島武春

    232代 武双山正士

    233代 雅山哲士

    234代 魁皇博之

    235代 栃東大裕

    236代 朝青龍明徳

    237代 琴欧洲勝紀

    238代 白鵬翔

    239代 琴光喜啓司

    240代 日馬富士公平

    241代 把瑠都凱斗

    242代 琴奨菊和弘

    243代 稀勢の里寛

    244代 鶴竜力三郎

    245代 豪栄道豪太郎

    246代 照ノ富士春雄

    247代 髙安晃

    248代 栃ノ心剛史

    249代 貴景勝貴信

    250代 朝乃山英樹

    251代 正代直也

    252代 御嶽海久司

    253代 霧島鐵力

    254代 豊昇龍智勝

    255代 琴櫻将傑

    256代 大の里泰輝

    MusicBrainz

      2

      兵庫県出身の大相撲力士

      三保ヶ関部屋

      日本の男性歌手

      テイチクエンタテインメントのアーティスト

      徳間ジャパンコミュニケーションズのアーティスト

      20世紀日本の実業家

      日本相撲協会の役員

      元大相撲力士のタレント

      演歌歌手

      21世紀日本の実業家

      兵庫県出身の人物

      日本大学第一高等学校出身の人物

      東京都区部出身の人物

      1948年生

      存命人物

      ウィキデータにある日本相撲協会識別子

      MusicBrainz識別子が指定されている記事

2025/04/01 18:36更新

masuiyama daishirou[1]


増位山太志郎と同じ誕生日9月16日生まれ、同じ兵庫出身の人

高井 恒昌(たかい つねまさ)
1916年9月16日生まれの有名人 兵庫出身

9月16日生まれwiki情報なし(2025/04/08 21:06時点)

杉田 篤史(すぎた あつし)
1978年9月16日生まれの有名人 兵庫出身

INSPi(インスピ)は、ワタナベエンターテインメント所属の6人組アカペラグループ。 日立CMソング「日立の樹」9代目を担当している。 杉田 篤史(すぎた あつし、 (1978-09-16) 197…


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増位山太志郎と近い名前の人

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1919年11月3日生まれの有名人 兵庫出身

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増位山 大志郎 〈2代目〉(ますいやま だいしろう)
1948年11月16日生まれの有名人 兵庫出身

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増位山太志郎
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