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宗猛の情報 (そうたけし)
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【6月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

宗猛の情報(そうたけし) 陸上競技/マラソン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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宗 猛さんについて調べます

■名前・氏名
宗 猛
(読み:そう たけし)
■職業
陸上競技
マラソン
■宗猛の誕生日・生年月日
1953年1月9日 (年齢71歳)
巳年(へび年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
大分出身

(昭和28年)1953年生まれの人の年齢早見表

宗猛と同じ1953年生まれの有名人・芸能人

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宗猛と関係のある人

喜多秀喜: 2時間20分10秒 優勝 1978年 ミルトンケーネスマラソン(宗猛と優勝分け合う)


小山裕史: 宗茂・宗猛兄弟を師と仰いでおり、後に小山が開発したスポーツシューズ「ビモロ」も、元々は宗兄弟が「トレーニング中にシューズが原因で故障することがあるのをなんとかできないか」と小山に相談してきたのがきっかけだったという。


瀬古利彦: しかし、迎えた1984年8月12日(日本時間13日)のオリンピック本番では、予定通り先頭集団につけていたものの、35km手前でずるずると後退し始め、優勝したカルロス・ロペスから5分近く遅れた14位という結果に終わる(日本勢最高位は宗猛の4位)。


伊藤国光: 選手としてのピークが瀬古利彦や宗茂・宗猛らの全盛期に重なり、当時はマラソンでは世界でも希少なサブ10(2時間10分以内)ランナーながら、一度もマラソン五輪代表に選ばれることはなかった。


佐藤信之: 旭化成へ入社し、宗茂・宗猛らの指導により素質が開花。


ワルデマール=チェルピンスキー: その後、目立った成績がなく、再び出場した1980年モスクワオリンピックでも事前の評価は高くなかったが、優勝候補といわれた日本3選手(瀬古利彦、宗茂、宗猛)の不参加などもあって、予想を覆してアベベ・ビキラ(エチオピア)以来の、オリンピックのマラソン2大会連続優勝を達成した。


沢田幸二: 1981年12月7日、福岡国際マラソン雁ノ巣・折り返し点リポートの際にトップを走って来た宗茂を宗猛と識別できず「宗兄弟が来ました」と言ってしまう。


新宅雅也: 1970年代後半から1980年代にかけて瀬古利彦、宗茂・宗猛兄弟、伊藤国光、中山竹通らとともに日本陸上界をリードした名選手である。


宗茂: 『振り向いたら負けや 茂と猛のマラソントーク 』(宗猛との対談集、講談社、1986/1、ISBN 978-4062026093)


武冨豊: 予選会となる北九州総体で4位に入賞して全国大会出場を決めたが、そのときの優勝は喜多秀喜、2位は宗茂、3位は宗猛と上位入賞者は全て後のオリンピック代表(ただし喜多は幻の1980年モスクワオリンピックのみの代表)だった。


宗茂: 『宗茂・宗猛のマラソン練習 (GAKKEN SPORTS MOOK)』(学習研究社、1994/10、ISBN 978-4056007121)


宗茂: 一卵性双生児の弟の宗猛とともに、兄弟で多くの国際大会に出場し、入賞を果たした。


森下広一: 旭化成入社後、故障に苦しめられた時期も長かったが、宗茂・宗猛の指導の下、駅伝でチームの核となる活躍を見せ始める。


宗茂: 『宗茂・宗猛のマラソン練習 ’96 (GAKKEN SPORTS MOOK)』(学習研究社、1995/10、ISBN 978-4056010725)


廣島日出国: 旭化成陸上部の監督時代には男子では宗茂、宗猛、児玉泰介、谷口浩美、森下広一、女子では宮原美佐子といった数多くの名選手を発掘し育て、全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)では6連覇するなど、旭化成の黄金時代を作り上げた。


瀬古利彦: 1970年代後半から1980年代にかけて宗茂・宗猛兄弟、伊藤国光、中山竹通、新宅雅也らとともに日本長距離界をリードした。


伊東巳代治: 妻:阿八重(1858年 - 1947年) - 恵宗猛の長女


野口みずき: その後レースを再開し、走行と歩行を繰り返していたが、33Km付近で宗猛・日本陸連男子マラソン部長に走るのを制止され、無念の途中棄権に終わった(救急車で医務室へ運ばれ、軽い熱中症と診断される。


関根勤: 宗茂・宗猛


瀬古利彦: ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)や宗猛を相手に40km手前の鮮やかなスパートで競り勝ち、日本人初の2時間8分台となる2時間8分38秒の日本最高記録で世界歴代3位(当時)の好記録で優勝し、名実ともに日本のトップランナーとして復帰を遂げる。


中山竹通: 1980年代後半に瀬古利彦や宗茂、宗猛兄弟、新宅雅也らと、1990年代前半には谷口浩美、森下広一らと日本マラソン界をリードした。


宗猛の情報まとめ

もしもしロボ

宗 猛(そう たけし)さんの誕生日は1953年1月9日です。大分出身の陸上競技
マラソンのようです。

もしもしロボ

著書などについてまとめました。現在、兄弟、卒業、引退に関する情報もありますね。宗猛の現在の年齢は71歳のようです。

宗猛のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

宗 猛(そう たけし、1953年1月9日 - )は日本の元陸上競技選手・指導者である。現役時代の専門は長距離走・マラソンであった。一卵性双生児の兄宗茂、瀬古利彦とともに1980年代前半日本男子マラソンのビッグ3として、マラソン界をリードした。2012年11月から2016年10月まで公益財団法人日本陸上競技連盟中長距離・マラソン部長を務め、現在は旭化成陸上部総監督を務める。

大分県臼杵市出身。茂とともに中学時代より陸上競技を始める。中学2年で兄弟揃って大分県内一周駅伝に出場するなど、早くから地元では注目されていたが、同じ2年生からは学校の指導者が不在となり、茂とともに自主的に考えてトレーニングをしたという。親の薦めで茂とともに大分県立佐伯豊南高等学校に進学、下宿生活を送る。高校在学中には全国高校駅伝にも出場を果たし、3年生時の1970年の大会では3区で6人を「ごぼう抜き」する走りを見せた。

高校卒業とともに1971年、旭化成陸上部に入部。1973年3月、延岡西日本マラソンで初マラソンを走り、2時間17分46秒6のタイムで茂に次ぐ2位となる。1975年にはモントリオールオリンピックのプレ大会に派遣され、6位となった。同年12月の福岡国際マラソンでは6位入賞。しかし、翌1976年4月の毎日マラソン(現・びわ湖毎日マラソン)では38位と惨敗したことから、モントリオールオリンピック代表の選からは漏れ、出場した茂を見守ることとなった。同年10月のコシチェ国際マラソン(チェコスロバキア)で初優勝。茂が世界歴代2位の記録(2時間09分05秒6)で優勝した1978年2月の別府大分毎日マラソンでは2位だったが、サブテンはならなかった。同年4月の毎日マラソンで国内レース初優勝(同年の毎日マラソンは日本選手権を兼ねていた)を飾る。1979年12月の福岡国際マラソンでは、ゴール前のトラックで瀬古・茂とのデッドヒートの末3位となり、翌1980年のモスクワオリンピック代表に選出された。しかし、日本がモスクワオリンピックをボイコットしたため、幻の代表となる。1980年12月の福岡国際マラソンでは優勝した瀬古に次いで2時間9分49秒で2位となり、初のサブテンを果たした。

1983年2月の東京国際マラソンでは日本歴代2位の2時間8分55秒で瀬古に次ぐ2位となり、茂の記録を上回った。

1983年春、猛は茂とともに、同年1月の大阪国際女子マラソンにおいて摂食障害による栄養失調(当時は一過性の脳貧血と発表された)で途中棄権した増田明美と、旭化成の地元宮崎とニュージーランドで一緒に練習をしている。増田は、宗兄弟とともに練習することで食事の意識を改め、ロサンゼルスオリンピックの代表選考会を兼ねた1984年1月の大阪国際女子マラソンで日本人最上位の2位に入り、代表選手となった。

ロサンゼルスオリンピックの選考レースだった同年12月の福岡国際マラソンは4位となり、モスクワオリンピックに続いて茂とともに代表となる。8年越しの出場となったオリンピック本番では、瀬古が14位と惨敗する中で上位にとどまり、4位入賞を果たす。マラソンで瀬古に先着したのはこれが初めてであった。

1985年10月の北京国際マラソンではゴール前まで茂と争い、同タイムながら2位となった。国際マラソンでの兄弟1・2位独占は世界初の快挙であった。茂が1987年に引退して監督に就任した後も現役を続行。2時間10分台(10分59秒以内)の記録は1988年10月の北京国際マラソンが最後で、それ以後は2時間12~19分前後が主なゴールタイムとなるが、日本の男子選手としては高いレベルで長い選手生活を送った一人である。40歳となった1993年2月の別府大分毎日マラソンでは7位入賞。そして3年後のマラソンで8位となったのを最後に初マラソンから約23年に及ぶ現役生活を退いた。

引退後は副監督を経て2008年から旭化成陸上部の監督に就任し、後進の指導に当たった。2014年4月1日付で、旭化成陸上部監督を退き、総監督に就任。

兄弟で利き手が異なり、茂の左利きに対して猛は右利きである(いわゆるミラー・ツイン)。また、茂はおおざっぱで天才肌であるのに対して、猛は几帳面で努力家である。したがって、マラソンへの取り組み方も違い、「マラソンは練習より調整」とし、自分の感性のまま走る茂に対して、猛は「練習あるのみ」とひたすら練習に励んだ。ピッチ走法を用いていた。

猛と茂が揃って出走したフルマラソンは22回あるが、兄弟で先着した回数は茂が12回、猛が10回で茂が上回る。また、上記の初マラソンや1985年の北京国際マラソンのように兄弟で1・2位となったレースは4回(他の2回はいずれも別府大分毎日マラソン)あり、そのすべてで猛は茂に敗れている。

長男の宗洋和は帝京大学時代に箱根駅伝に出場。西鉄駅伝部に所属した(退部後も社員として残っている)。長女の宗由香利は2010年3月まで旭化成陸上部に所属した(退部後も社員として残り、競技は継続している)。妻の恵子(旧姓・小川)は、走幅跳の日本選手権優勝者(1975年)である。

著書

『振り向いたら負けや 茂と猛のマラソントーク 』(宗茂との対談集、講談社、1986/1、ISBN 978-4062026093)

『シャカリキ!ズッコケ!愛すべき選手たち だからオリンピックがおもしろい ’88ソウルを10倍楽しむ法』(山下泰裕・田中幹保との共著、ベストセラーズ、1988/6、ISBN 978-4584006696)

『宗茂・宗猛のマラソン練習 (GAKKEN SPORTS MOOK)』(学習研究社、1994/10、ISBN 978-4056007121)

『宗茂・宗猛のマラソン練習 ’96 (GAKKEN SPORTS MOOK)』(学習研究社、1995/10、ISBN 978-4056010725)

2024/06/26 09:47更新

sou takeshi


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