宮島義勇の情報(みやじまよしお) 映画撮影監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
宮島 義勇さんについて調べます
■名前・氏名 |
宮島義勇と関係のある人
田村道美: 兄の花嫁 1941年 監督島津保次郎、脚本山形雄策、撮影宮島義勇、音楽服部正、製作主任関川秀雄、出演高田稔、山田五十鈴、原節子、江川宇礼雄 丸木俊: 俊と位里は1964年6月に朝倉摂、出隆、国分一太郎、佐多稲子、佐藤忠良、野間宏、本郷新、山田勝次郎、宮島義勇、渡部義通とともに党改革の意見書を提出し、翌月に日本共産党を除名される。 田村道美: リボンを結ぶ夫人 1939年 監督山本薩夫、原作森田たま、脚本八住利雄、撮影宮島義勇、音楽早坂文雄、主演汐見洋、入江たか子、霧立のぼる、大日方伝、藤田進 丸木俊: 8月には美術館開館を記念して宮島義勇監督による映画『原爆の圖』が完成。 降旗康男: 東宝争議の主導者であったことで知られるカメラマンの宮島義勇と出会い、大きく影響を受けた。 丸木位里: 位里と俊は1964年6月に朝倉摂、出隆、国分一太郎、佐多稲子、佐藤忠良、野間宏、本郷新、山田勝次郎、宮島義勇、渡部義通とともに党改革の意見書を提出し、翌月に日本共産党を除名される。 八木保太郎: 燃ゆる大空 1939年 監督阿部豊、原作北村小松、撮影宮島義勇、主演大日方傳、月田一郎、灰田勝彦 丸木位里: 8月には美術館開館記念として宮島義勇監督による映画『原爆の圖』が完成した。 梅津明治郎: 影響を受けた人物に宮島義勇と渡辺邦男がいたが、同僚と師匠を持たないことを申し合わせた。 |
宮島義勇の情報まとめ
宮島 義勇(みやじま よしお)さんの誕生日は1910年2月3日です。長野出身の映画撮影監督のようです。
卒業、映画、現在、退社、兄弟、事故に関する情報もありますね。1998年に亡くなられているようです。
宮島義勇のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)宮島 義勇(みやじま よしお、1909年2月3日 - 1998年2月21日)は、日本の撮影監督。 長野県上高井郡高山村で出生、東京都で育つ。学生時代よりアナキズムなどの左翼思想に傾倒する。1929年、横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)卒業。同年、父の知人から増谷麟を紹介され松竹蒲田撮影所入社、現像技術を学ぶ。1931年、増谷が写真化学研究所(略称:P.C.L.、後の東宝映画、現在の東宝)を設立したのに伴い移籍。1933年、同社の劇映画製作開始により撮影部に異動、1935年に撮影技師に昇格。1936年、『唄の世の中』が第1回作品となった。1940年、『燃ゆる大空』で一躍その名が高まる。陸軍などから評判により国策映画・反米映画を撮る一方、日本映画カメラマン協会の書記長として活動した。 1945年12月、東宝従業員組合を結成。組合最高幹部として東宝争議(1946年 - 1948年)を主導した。1948年、第3次東宝争議の際の労使会談においての合意事項により、東宝を自主退社。日本共産党書記局で活動し、レッド・パージで共産党に対する弾圧がおこなわれた際には書記長の徳田球一の伝書使として中国に渡航し、中国側の「日本共産党の指導者を迎え入れる用意がある」という伝言を日本に持ち帰っている(その後、1960年代に共産党から離れた)。1951年、レッド・パージで解雇された今井正監督の復帰作『どっこい生きてる』で自らも撮影指揮として映画界に復帰。以降、近代映画協会・現代ぷろだくしょん・独立映画・文芸プロダクションにんじんくらぶなどの作品に参加、独立プロダクションの牽引役となった。 なかでも、小林正樹監督と組んだ『人間の條件』(1959年、1961年)、『切腹』(1962年)、『怪談』(1965年)は、国内外から高く評価された。また俳優からの評価も高く、『お吟さま』(1962年)では監督を務めた田中絹代の指名により参加、『赤穂城断絶』(1978年)、『仕掛人梅安』(1981年)では主演を務めた萬屋錦之介の指名により参加した。 一方、ドキュメンタリーも製作。1963年に北朝鮮を取材した『チョンリマ(千里馬)』、1960年代末から1970年代初頭の安保闘争を記録した『怒りをうたえ』三部作などを監督した。1980年代以降は、国鉄千葉動力車労働組合の取材をライフワークとし『俺たちは鉄路に生きる』などを製作。また、1963年には碧川道夫・内田吐夢とともに「碧川映画科学研究室」を開設した。 1998年2月21日、玄関先で倒れて石畳に頭を打ち死去した。89歳没。 生涯で撮影した映画は60本以上。撮影技師が照明に指示・注文をだす手法は、「撮影監督」のシステムとなった。また毒舌家で知られ、卓越した技術・裏打ちされた撮影理論に加え、監督にも遠慮なく意見をいう直言型の性格で、「天皇」「ミヤテン(宮天)」などと呼ばれた。一方、大映京都撮影所のカメラマン・宮川一夫とともに双璧をなす存在から、「西の宮川、東の宮島」とも言われた。 唄の世の中(1936年) 田園交響楽(1938年) ロッパの新婚旅行(1940年) 燃ゆる大空(1940年) 指導物語(1941年) 戦争と平和(1947年) 女の一生(1949年) どっこい生きてる(1951年) 村八分(1953年) 蟹工船(1953年) ひろしま(1953年) 夜明け前(1953年) 足摺岬(1954年) 美女と怪龍(1955年) 女優(1956年) 異母兄弟(1957年) 人間の條件(1959年、1961年) お吟さま(1962年) 切腹(1962年) チョンリマ(1964年) 怪談(1965年) 飢餓海峡(1965年)※W一〇六方式指導 若者たち(1967年) 若者は行く-続若者たち-(1969年)※撮影監督 若者の旗(1970年) 襤褸の旗(1974年) 愛の亡霊(1978年) 赤穂城断絶(1978年) 戒厳令の夜(1980年) 仕掛人梅安(1981年) 怒りのこぶしで涙をぬぐえ(1993年) 山口猛編 『「天皇」と呼ばれた男・撮影監督宮島義勇の昭和回顧録』愛育社、2002年 「郷土歴史人物事典 長野」第一法規 1978年 ^ 宮島義勇 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク 2018年8月29日閲覧。 ^ 伊藤律書簡集刊行委員会編『生還者の証言 伊藤律書簡集』五月書房、1999年、p223 - 224 宮島義勇 - allcinema 宮島義勇 - KINENOTE 宮島義男 - 日本映画データベース Yoshio Miyajima - IMDb(英語) 「怒りをうたえ」上映実行委員会 表 話 編 歴 立花幹也 (1946) 三浦光雄 (1947) 伊藤武夫 (1948) 中井朝一 (1949) 三村明 (1950) 玉井正夫 (1951) 宮川一夫 (1952) 宮島義勇 (1953) 小原譲治 (1954) 楠田浩之 (1955) 三浦光雄 (1956) 長岡博之 (1957) 伊佐山三郎 (1958) 宮島義勇 (1959) 宮川一夫 (1960) 宮島義勇 (1961) 厚田雄春 (1962) 成島東一郎 (1963) 姫田真佐久 (1964) 宮島義勇 (1965) 飯村雅彦 (1966) 竹村博 (1967) 黒田清己 (1968) 岡崎宏三 (1969) 中井朝一 (1970) 岡崎宏三(1971) 坂本典隆 (1972) 坂本典隆 (1973) 岡崎宏三 (1974) 岡崎宏三 (1975) 長谷川清 (1976) 宮川一夫 (1977) 川又昴 (1978) 小林節雄 (1979) 永塚一栄 (1980) 木村大作 (1981) 田村正毅 (1982) 椎塚彰 (1983) 宮川一夫 (1984) 前田米造 (1985) 山崎善弘 (1986) 五十畑幸勇 (1987) 林淳一郎 (1988) 森田富士郎 (1989) 斎藤孝雄、上田正治 (1990) 高羽哲夫 (1991) 川上皓市 (1992) 浜田毅 (1993) 栢野直樹 (1994) 鈴木達夫 (1995) 丸池納 (1996) 木村大作、田村正毅 (1997) 山本英夫 (1998) 阪本善尚 (1999) 上田正治 (2000) 藤澤順一 (2001) 長沼六男 (2002) 笠松則通 (2003) 鈴木一博 (2004) 柴崎幸三 (2005) 川上皓市 (2006) 中野英世 (2007) 辻智彦 (2008) 木村大作 (2009) 近藤龍人 (2010) 北信康 (2011) 芦澤明子 (2012) 今井孝博 (2013) シグママコト (2014) 藤澤順一 (2015) 斉藤幸一 (2016) 鎌苅洋一 (2017) 月永雄太 (2018) クリストファー・ドイル (2019) 西村博光 (2020) 笠松則通 (2021) 月永雄太 (2022) 鎌苅洋一(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) ISNI VIAF WorldCat スペイン イスラエル アメリカ 日本 IdRef 日本の撮影監督 日本の映像技術者 撮影技師 日本の無政府主義者 日本共産党の人物 松竹の人物 東宝の人物 横浜国立大学出身の人物 長野県出身の人物 事故死した人物 1909年生 1998年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/12 08:26更新
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