小沢不二夫の情報(おざわふじお) 作詞家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小沢 不二夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
小沢不二夫と関係のある人
水沢有美: 小沢不二夫生誕100年記念作品 北条秀司: 北条以外の創設メンバーは、秋月桂太、阿木翁助、伊馬春部、池波正太郎、宇野信夫、小沢不二夫、金貝省三、上山雅輔、菊田一夫、斉藤豊吉、高橋博、知切光歳、中江良夫、二宮千尋、水木洋子、八木隆一郎、矢田弥八。 米山正夫: 『リンゴ追分』(昭和27年5月) 作詞:小沢不二夫、歌:美空ひばり 田崎潤: 1947年、たんぽぽに戻るが、戦前のスター・松山宗三郎こと小崎政房がいた空気座に移り、原作・田村泰次郎、脚色・小沢不二夫、演出・小崎による舞台『肉体の門』に娼婦たちと共に廃屋に同居する復員兵・伊吹新太郎役を演じる。 水沢有美: 父親は、作家・作詞家の小沢不二夫。 |
小沢不二夫の情報まとめ
小沢 不二夫(おざわ ふじお)さんの誕生日は1912年6月13日です。東京出身の作詞家のようです。
映画、ドラマ、テレビ、結婚、現在に関する情報もありますね。1966年に亡くなられているようです。
小沢不二夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小沢 不二夫(おざわ ふじお、 1912年6月13日 - 1966年5月15日)は、東京都出身の脚本家、劇作家、小説家、作詞家である。戦前のチャンバラ量産映画会社として知られる大都映画で、大伴麟三監督と組んだ松山宗三郎(のちの映画監督小崎政房)主演もののオリジナル脚本の作家として登場、戦後は美空ひばりの大ヒット曲『リンゴ追分』の作詞者として知られる。本名は小澤 不二雄(読みは同じ)。 1912年(明治45年)6月13日、東京都に生まれる。 1935年(昭和10年)、大都映画巣鴨撮影所に入社、同年9月19日に公開された、大伴竜三(麟三)監督、松山宗三郎主演の映画『浪人双六』のオリジナル脚本を書き、23歳で職業脚本家としてデビューする。1942年(昭和17年)の大都映画の合併による消滅まで、同社の生産ラインで脚本を量産する。その後、阿木翁助らのいる「ムーランルージュ新宿座」文芸部に参加。 戦後は小説家に転向、多くの小説が東映京都撮影所で映画化される。1946年(昭和21年)堺駿二、有島一郎らと劇団空気座の旗揚げにかかわる。1948年(昭和23年)9月、榎本健一の「エノケン一座」有楽座公演のために『禁男の楽園』の戯曲を書く。 1951年(昭和26年)、「日本演劇協会」設立に参加、久保田万太郎を会長とした同協会の理事となる。1952年(昭和27年)、美空ひばりに『リンゴ追分』を作詞 『リンゴ追分』は、ラジオ「リンゴ園の少女」の挿入歌として小沢不二夫が作詞。この歌は、友人でこのラジオドラマの音楽を担当した作曲家米山正夫氏とともに、当時住んでいた石神井の小沢不二夫宅にて、炬燵に向かい合い一番を作った。この時米山正夫氏の膝には、小沢の娘やっとつかまり立ちができるほどの有美がちょこんと座っていたという。小沢、米山のコンビは不動のものとなり「リンゴ追分」の詩とメロディは出来上がった。また中の「お岩木山のてっぺんを…」から始まるひばりが語る詩は、レコーディング時に、小沢不二夫が書き、口移しでひばりに教えるとあっという間に覚え、そのレコーディング風景は帰って妻弥生に話した。それを聴いた妻も作品の出来の良さを確信した。 1966年(昭和41年)5月15日、死去。53歳没。 戦前、大都映画で助監督などを務め、戦後はフジテレビで主にドラマのディレクターを務めた小沢效(おざわ・いさお)は実弟。また作家・脚本家の本庄慧一郎は姉の息子で師弟関係にあった。 一方、ムーラン・ルージュ新宿座に在籍していた女優・市川弥生と結婚し、二男一女をさずかる。39歳のときに生まれた娘は、のちに女優・歌手の水沢有美となり、現在も活躍中である。また息子であり有美の兄である小澤公平は大河ドラマなどの出演を経て現在は沖縄タレントアカデミーの校長として若手の育成に力を注いでいる。公平と水沢有美の弟である小澤夢生はサンテックジャパンの社長として里見の謎というゲームを発売するなどした。 特筆クレジットなきものは脚本参加である。 浪人双六 1935年 監督大伴竜三、主演松山宗三郎 ※大都映画 恋する妻 1947年 潤色 監督萩原遼、原作山岡荘八 ※新東宝映画 肉体の門 1948年 監督マキノ雅弘・小崎政房、原作田村泰次郎、主演轟夕起子 リンゴ園の少女 1952年 監督島耕二 風雲黒潮丸 1956年 原作 監督伊賀山正光 月の影法師 消えゆく能面 1958年 監督弘津三男 月の影法師 山を飛ぶ狐姫 1958年 監督弘津三男 波浮の港 1963年 原作 監督斎藤武市 ※日活撮影所 美空ひばり「リンゴ追分」「晩香玉の咲く宵」(作詞、1952年)
『天使群像』(宝文館、1955年) 『風雲黒潮丸』第1巻~第3巻( 宝文館、1956年) 桜井はじめ著、小沢不二夫原作『風雲くろしお丸』(集英社、1956年) ※『風雲黒潮丸』のマンガ化作品。「おもしろ漫画文庫 124」 『消えゆく能面 - 月の影法師』 和同出版社、1958年 『おおかげ』 ※映画『波浮の港』の原作 『青雲 - 長瀬富郎練成時代』 ^ 本庄慧一郎『幻のB級!大都映画がゆく』集英社〈集英社新書〉、2009年1月、11頁。 本庄慧一郎『幻のB級!大都映画がゆく』集英社〈集英社新書〉、2009年1月。ISBN 978-4-08-720478-0。 ISNI VIAF 日本 MusicBrainz 日本の作詞家 20世紀日本の脚本家 日本の映画の脚本家 20世紀日本の劇作家 20世紀日本の小説家 東京都出身の人物 1912年生 1966年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/20 00:30更新
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ozawa fujio
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