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山口淑子の情報 (やまぐちよしこ)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

山口淑子の情報(やまぐちよしこ) 女優、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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山口 淑子さんについて調べます

■名前・氏名
山口 淑子
(読み:やまぐち よしこ)
■職業
女優、政治家
■山口淑子の誕生日・生年月日
1920年2月12日
申年(さる年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
旧 中国出身

山口淑子と同じ1920年生まれの有名人・芸能人

山口淑子と同じ2月12日生まれの有名人・芸能人

山口淑子と同じ出身地旧 中国生まれの有名人・芸能人


山口淑子と関係のある人

笠置シヅ子: 「支那の夜」の劇中歌の1曲であった「蘇州夜曲」は、服部がかつての訪中時から構想を温め続け、その後に李香蘭をイメージして完成させた曲であり、服部自身も戦後に李香蘭こと山口淑子から「蘇州夜曲」への思い出をたずねられた際に「蘇州夜曲が一番好きだ」「あの作品は伏水修監督に頼まれて李香蘭のために一所懸命作ったものだ」と答えて淑子を感動させている。


佐々木俊一: 「東京セレナーデ」(作詞:佐伯孝夫、歌:山口淑子 (李香蘭))


沢口靖子: さよなら李香蘭(1989年12月1・2日、フジテレビ、フジテレビ開局30周年記念ドラマ) - 主演・山口淑子


野村玲子: 生前の山口淑子は上演のたびに観劇に訪れ、親交を深めた。


佐伯秀男: 『土曜日の天使』 : 監督山本嘉次郎、原作中野実、脚本梅田晴夫・山本嘉次郎、主演山口淑子、製作・配給東宝、1954年8月22日公開 - 出演


堀川とんこう: 日本人・山口淑子として生まれたが中国で育ち、中国人女優・歌手の李香蘭として活躍した。


高瀬昌弘: 土曜日の天使(1954/8/24 山口淑子主演 山本嘉次郎監督 4th)


高峰三枝子: 自民党は山口淑子に白羽の矢を立て、山口は全国区で初当選した。


笠置シヅ子: 1981年(昭和56年)、シヅ子にとってたくさんの思い出の詰まった日本劇場の閉館が決まり、「サヨナラ日劇フェスティバル、ああ栄光の半世紀」公演が開催されたが、その公演最終日にシヅ子は、共に日本劇場の1日最大動員記録を打ち立てた李香蘭こと山口淑子や、戦争中に青森で共に九死に一生を得た長谷川一夫らと舞台挨拶を行った。


甘粕正彦: 李香蘭こと山口淑子が、「満映を辞めたい」と申し出た際には「気持ちは分かる」と言って契約書を破棄したが、彼女の証言によれば「ふっきれた感じの魅力のある人だった。


平田昭彦: しかし、映画界への興味は捨てきれず、女優の山口淑子からの勧めもあって、俳優への転身を決意。


三木淳: 集まった発起人は三木淳、木村伊兵衛、土門拳、亀倉雄策、早田雄二、林忠彦、西山清、尾崎三吉、彫刻家のイサム・ノグチその妻の山口淑子(李香蘭)、女優の高峰秀子、山田五十鈴、映画監督の溝口健二、作家の檀一雄、日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹、海外からはマーガレット・バーク=ホワイト、カール・マイダンス、デイヴィッド・ダグラス・ダンカン、マイケル・ルージエ、ハンク・ウォーカー、アンリ・カルティエ・ブレッソンなど国際色豊かなメンバー50余名であった。


イサム・ノグチ: 同年、山口淑子(李香蘭)と結婚する(1956年に離婚)。


山川建夫: ベ平連に係わってベトナム戦争反対運動を行っていたこともある山川は、1970年、当時司会アシスタントとして出演していた朝のワイドショー番組「小川宏ショー」の放送内で、他番組でベトナム視察報告をした女優の山口淑子(李香蘭、のち参議院議員。


野際陽子: 李香蘭(2007年、TX) - 山口淑子


井田誠一: 『東京コンガ』(昭和25年6月) 作曲:高橋忠雄、歌:山口淑子


ミラクルひかる: 山口淑子(李 香蘭)


笠置シヅ子: ハリウッドでは、終戦後に李香蘭の芸名を返上しシャリー山口としてハリウッドに進出していた山口淑子と会っているが、シズ子と山口は前年の1949年9月27日に公開された、服部の音楽が全編を彩る歌謡映画「果てしなき情熱」で共演をしている。


藤原作弥: 山口淑子共著 『李香蘭 私の半生』新潮社、1987年7月。


藤原作弥: 山口淑子共著『李香蘭 私の半生』新潮文庫、1990年12月。


久慈あさみ: 東京の休日(1958年、東宝) 監督:山本嘉次郎 共演:山口淑子、上原謙


北大路魯山人: また1951年(昭和26年)に結婚したイサム・ノグチと山口淑子の夫妻を星岡窯に一時寄寓させた。


彩夢: 李香蘭(2007年2月11日・12日、テレビ東京) - 山口淑子(幼少時代) 役


明日待子: 昭和初期〜戦後にかけてムーランルージュ新宿座の看板スターの一人で、元祖・ライブアイドルの一人、また同年齢の諏訪根自子・山口淑子(李香蘭)・原節子と共に日本のアイドル黎明期をささえたアイドルの一人とされている。


小野寺百合子: 正の双子の兄も外交官の大鷹弘であり、弘の夫人は元・参議院議員で女優の李香蘭こと山口淑子)、著書に『戦争回避の英知』朝日新聞出版等がある。


小池彩夢: 李香蘭(2007年2月11日・12日、テレビ東京) - 山口淑子(幼少時代) 役


川喜多長政: 敗戦後の長政は家族は先に帰らせると上海での残務整理をしていたが、山口淑子が漢奸とされ処刑されると聞くと、この救出に尽力。


若林映子: 演技研究所を経て最初にカメラの前に立ったのは、1958年(昭和33年)の山口淑子引退記念映画『東京の休日』でのファッションモデル役だったが、公開順としては本多猪四郎監督『花嫁三重奏』がデビュー作となる。


佐伯孝夫: 夜来香(作曲:黎錦光、山口淑子(李香蘭)、1950年1月)


ロバート=スタック: 早川雪洲、山口淑子が共演した日本が舞台の『東京暗黒街・竹の家』では、大々的に行われた日本ロケにも参加している。


山口淑子の情報まとめ

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山口 淑子(やまぐち よしこ)さんの誕生日は1920年2月12日です。旧 中国出身の女優、政治家のようです。

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主な出演映画、主なテレビ・ラジオ番組などについてまとめました。映画、結婚、引退、テレビ、父親、事件、家族、卒業、離婚、再婚に関する情報もありますね。

山口淑子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

山口 淑子(やまぐち よしこ、1920年〈大正9年〉2月12日 - 2014年〈平成26年〉9月7日)は、日本の歌手、女優、政治家である。本名は大鷹 淑子(おおたか よしこ、旧姓:山口)。 翊教女学校卒。

さまざまな名前で活動し、中華民国と満洲国・日本・戦後の香港で李 香蘭(り こうらん、リ・シャンラン)、第二次世界大戦後のアメリカ合衆国ではシャーリー・ヤマグチ(Shirley Yamaguchi))の名で映画、歌などで活躍した。日本の敗戦を上海で迎えた彼女は、中国人として祖国を裏切った漢奸の容疑で、中華民国の軍事裁判に掛けられたものの、日本人であることが証明され、漢奸罪は適用されず、国外追放処分となり、日本に帰国した。

帰国後は、旧姓(当時の本名)山口淑子の名前で芸能活動を再開し、日本はもとより、アメリカや香港の映画・ショービジネス界で活躍をしたが、1958年(昭和33年)に結婚のため、芸能界を引退し、1969年(昭和44年)にフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者としてマスメディア界に復帰、1974年(昭和49年)3月まで務めた。1974年(昭和49年)から1992年(平成4年)までの18年間、参議院議員を3期務めた。2006年に日本チャップリン協会(会長大野裕之)の名誉顧問に就いた。

祖父は士族出身の漢学者であり、その影響で父親は親中国的であった。父親は1906年に中国に渡った。

1920年(大正9年)2月12日に、中華民国奉天省(現:遼寧省)奉天近郊の北煙台で生まれた。南満洲鉄道(満鉄)で中国語を教えていた佐賀県出身の父・山口文雄と福岡県出身の母・アイ(旧姓石橋)の間に生まれ「淑子」と名付けられる。本籍は佐賀県杵島郡北方町(現:武雄市)。

生後まもなく撫順に引っ越した。父親は撫順の満鉄研修所で日本人職員に北京語を教えていた。この影響で、幼少期から、父親の方針で中国語に親しんだ。撫順炭鉱襲撃事件や楊柏堡事件、平頂山事件の影響もあり、撫順を離れることになった。このとき、匪賊の処刑を目撃している。

13歳の頃、家族で奉天(現:瀋陽)へ移住した。隣人で父親の友人であり家族ぐるみで交流のあった瀋陽銀行の頭取・李際春(中国語版)将軍の、義理の娘分(乾女児)となり、「李香蘭(リー・シャンラン)」という中国名を得た。「香蘭」という名は、父親の俳号由来である。その後、のちに天津市長になった潘毓桂とも義理の娘として縁を結んだ。中国の旧習では、元来縁を深めるために互いの子供を義子とする習慣があった。これは実際に戸籍を移す法的な養子という関係ではなく、それぞれの姓で互いの子女に名前を付けあうなどのものである。

奉天の女学校に転入するはずだったが、欠員がないため、一時的に奉天女子商業学校に通うことになる。この頃、肺浸潤を患い、一ヶ月の入院と半年の休学をすることになる。自宅静養の間、医者の勧めで歌を習うことになる。奉天に住む幼なじみのユダヤ系白系ロシア人であるリューバ・モノソファ・グリーネッツの母からの紹介を受け、白系ロシア人と結婚したイタリア人オペラ歌手のマダム・ポドレソフのもとに通うことになる。発声試験では不合格になるが、リューバの必死の懇願もあり、ここで声楽を習うようになった。

この後、マダムの紹介で満鉄直営のヤマトホテルで行われる秋のリサイタルの前座を務めることになる。そこで、和服を着て「荒城の月」「シューベルトのセレナーデ」「イッヒ・リーベ・ディッヒ」「ソルベイグの歌」を歌った。このリサイタルには奉天広播電台(放送局)の企画課長が来ており、歌手として目にとまることになる。

1932年(昭和7年)、満洲国誕生と共に開局した奉天政府局は、新満洲歌曲という番組を企画していた。日本語も中国語も堪能であり、またその絶世の美貌と澄み渡るような歌声から、この番組の歌手に抜擢された。1934年(昭和9年)、淑子は「潘淑華」の名(潘毓桂の義子としての名前)で北京のミッション・スクールである翊教女学校(翊教女子中学(中国語版))に編入し、1937年(昭和12年)に卒業した。

日中戦争開戦の翌1938年(昭和13年)には満洲国の国策映画会社・満洲映画協会(満映)から中国人の専属映画女優「李香蘭」(リー・シャンラン)としてデビューした。映画の主題歌も歌って大ヒットさせ、女優として歌手として、日本や満洲国で大人気となった。そして、流暢な北京語とエキゾチックな容貌から、日本でも満洲でも多くの人々から中国人スターと信じられていた。また、この頃「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子との親交があった。 日中戦争中には満映の専属女優として日本映画に多く出演し、人気を得た。人気俳優の長谷川一夫とも『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓ひ』で共演した。1941年(昭和16年)2月11日の紀元節には、日本劇場(日劇)での「歌ふ李香蘭」に出演し、大盛況となった。大勢のファンが大挙して押し寄せ、日劇の周囲を7周り半もの観客が取り巻いたため、消防車が出動・散水し、群衆を移動させるほどの騒動であったと伝えられている(日劇七周り半事件)。

1943年(昭和18年)6月には、阿片戦争で活躍した中国の英雄・林則徐の活躍を描いた長編時代劇映画『萬世流芳(英語版)』(151分)に、林則徐の弟子・潘達年の恋人(後に妻)役で主演した。この映画は、中華電影股份有限公司、中華聯合製片股份有限公司、満映の3社による合作で、阿片戦争敗北100周年記念に作られた映画であった。中国全土で映画が封切られるや、劇中、彼女が歌った主題歌「賣糖歌」と挿入歌「戒煙歌」は大ヒットした上、映画『萬世流芳』自体も、中国映画史上初の大ヒットとなったのである。また内容は、阿片戦争の相手国であったイギリスを当時の日本に見立てて、中国民衆の抗日意識を鼓舞するものだった。

『萬世流芳』の大ヒットにより中国民衆から人気を得た李香蘭は、上海から北京の両親のもとへ帰郷し、北京飯店で記者会見を開いた。 当初、この記者会見で彼女は自分が日本人であることを告白しようとしていたが、父の知人であった李記者招待会長に相談したところ、「今この苦しい時に、あなたが日本人であることを告白したら、一般民衆が落胆してしまう。それだけはやめてくれ」と諭され、告白を取りやめた。この記者会見が終わりかけた時、一人の若い中国人新聞記者が立ち上がり、「李香蘭さん、あなたが『白蘭の歌』や『支那の夜』など一連の日本映画に出演した真意を伺いたいのです。あの映画は中国を理解していないどころか、侮辱してます。それなのに、なぜあのような日本映画に出演したのですか? あなたは中国人でしょう。中国人としての誇りをどこに捨てたのですか」と質問した。これに対し彼女は、「20歳前後の分別のない自分の過ちでした。今は後悔しています。あの映画に出たことを後悔しています。今後、こういうことは決して致しません。どうか許してください」と答えるや、記者会見会場内からは大きな拍手が沸いたという。

記者会見と前後して、上海の百代唱片公司で収録した「夜来香」「海燕」「恨不相逢未嫁時」「防空歌」「第二夢」などがヒットした。このうち汪兆銘政権(南京国民政府)による愛国歌曲「防空歌」は、中国人の祖国防衛意識をかきたてた。また、1945年(昭和20年)6月23・24・25日に上海・静安寺路(現・南京西路)の大光明大戯院Grand Theatre(現・大光明電影院)で行われたリサイタルでは、ヒット曲「夜来香」を含む中・日・欧米の歌曲などが披露され、観客の喝采を浴びた。そして人気の勢いは留まることを知らず、李香蘭は、周璇、白光、姚莉、呉鶯音らと共に上海灘の「五大歌后」の1人に数えられた。

それまで、李香蘭は満洲国と日本のスターだったが、映画『萬世流芳』とその主題歌「賣糖歌」、挿入歌「戒煙歌」そして「夜來香」「海燕」「恨不相逢未嫁時」「防空歌」「第二夢」などのヒット曲により、中国でも人気スターとなった。そして『萬世流芳』の後、『香妃』という映画が企画されたものの、撮影開始前に終戦を迎え、上海での映画出演は1本に終わってしまった。また歌においては、1945年(昭和20年)にカップリングで吹き込み発売された「第二夢」と「忘憂草」とが、中国での最後の収録曲となった。なお「第二夢」は2012年、中国で蒼井そらによりリヴァイヴァルされ、現代の中国人にも創唱者は李香蘭であるということが知れわたった。その「第二夢」は、台湾のトップ・シンガー費玉清が、「夜來香」「何日君再來」「只有你」等と共に、台湾は元より東南アジアや中国大陸各都市でのコンサートでも歌い継いでいる。

李香蘭は中国人と思われていたため、日本の敗戦後、中華民国国民政府から漢奸(売国奴・祖国反逆者)の廉で軍事裁判にかけられた。そして、李香蘭は来週上海競馬場で銃殺刑に処せられるだろう、などという予測記事が新聞に書かれ、あわや死刑かとも思われた。しかし奉天時代の親友リューバの働きにより、北京の両親の元から日本の戸籍謄本が届けられ、日本国籍であるということが証明された。

結果、漢奸罪は適用されず、国外追放となった。無罪の判決を下す際、裁判官は「この裁判の目的は、中国人でありながら中国を裏切った漢奸を裁くことにあるのだから、日本国籍を完全に立証したあなたは無罪だ。しかし一つだけ倫理上、道義上の問題が残っている。それは、中国人の名前で 『支那の夜』 など一連の映画に出演したことだ。法律上、漢奸裁判には関係ないが、遺憾なことだと本法廷は考える」と付言を加え、李香蘭は「若かったとはいえ、考えが愚かだったことを認めます」と頭を下げて謝罪した。

1946年(昭和21年)2月28日、李香蘭と似ても似つかぬように化粧を落とし、もんぺ姿で引揚船に乗船しようとしたが、中華民国側の女性出入国管理官に李香蘭と見破られ、再度収容所に連れ戻された。10日後に誤解は解け、1か月後の3月末に今度こそ出国できることになった。李香蘭は乗船するや否や、一旦は便所に身を潜めたが、船が港を離れてからデッキで遠ざかる上海の摩天楼を眺めていると、船内のラジオから聞こえてきたのは、奇しくも自分の歌う「夜来香」だった。

帰国した後、翌年には旧姓(当時の本名)「山口淑子」に戻って銀幕に復帰。以降、日本映画を中心に活躍した。復帰作は1948年(昭和23年)の『わが生涯のかがやける日』で森雅之と共演。1950年(昭和25年)の『暁の脱走』では池部良と共演、『醜聞』では三船敏郎と共演している。

またアメリカに渡り、アクターズ・スタジオの講師から演技を学び、シャーリー山口(Shirley Yamaguchi)の名でハリウッド映画に主演したり、ブロードウェイでのミュージカルにも主役で出演した。その際に受けたインタビューで山口は「キスの勉強にやって参りました」と渡米の理由を述べている。その頃ニューヨークで彫刻家イサム・ノグチと知り合い、1951年に結婚した。鎌倉の北大路魯山人の邸宅敷地内にアトリエと住まいを構えたが、1956年(昭和31年)に離婚する。

1952年(昭和27年)から1958年(昭和33年)にかけては香港で映画『金瓶梅(中国語版)』『神秘美人』『一夜風流』に主演し、中国語圏で「李香蘭」の名を復活させた。また同時に、香港の百代唱片公司で十数曲の主演映画の主題歌を吹き込み、映画と共にリリースしてヒットさせる。それらは今日もスタンダード・ナンバーとして、「三年」「梅花」「小時候」「十里洋場」「分離」「只有你」等が、世界の中国人・華人の間で歌い継がれている。

1958年(昭和33年)に、駐ビルマ日本大使館の三等書記官で国連大使の加瀬俊一の秘書官も務めた日本人外交官の大鷹弘(のち駐フィジー・スリランカ・ミャンマー特命全権大使を歴任、1928年 - 2001年)と再婚し、20年にわたる女優業を引退する。引退直前には原節子の呼びかけにより、芸能生活20周年記念映画として『東京の休日』が製作された。それは三船敏郎、池部良、越路吹雪などの東宝オールスターが出演する豪華なものとなった。そしてこの映画が最後の出演映画となった。

その後はマスコミに一切姿を見せなかったものの、1969年(昭和44年)に、「山口淑子」の名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者になり、芸能界へのカムバックを果たす。番組ではベトナム戦争中の南ベトナムやカンボジア、中東などの海外取材も行う。1973年(昭和48年)には日本赤軍の重信房子とのインタビューに成功した。参議院議員当選後の1975年(昭和50年)に自民党議員団の一員として北朝鮮を訪問、金日成国家主席と面会している。1979年(昭和54年)に朝日放送が製作した番組『こんにちは!北朝鮮 山口淑子レポート』の企画で再度、金日成と面会している。

1974年(昭和49年)、田中角栄首相の要請で自由民主党から第10回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、初当選した。国会では「大鷹淑子」の名で活動した。田中派に所属。1980年(昭和55年)、再選。1984年(昭和59年)2月、日本愛玩動物協会会長就任(2004年より名誉会長)。1986年(昭和61年)、3期目の当選を果たす。

1987年(昭和62年)7月4日、竹下登、金丸信らによる新派閥「経世会」が結成され、田中派は竹下派、二階堂グループ、中立系の3派に分裂する。山口はそのうち中立系に属した。1990年(平成2年)2月の衆院選直後、旧田中派中立系の所属議員は山口と後藤田正晴の2人だけとなった。それから間もなくして後藤田は無派閥となり、山口は6月7日に宮沢派に移った。

環境政務次官(福田赳夫内閣)・参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長・参議院外務委員長・自民党婦人局長などを1992年(平成4年)に引退するまで歴任した。1993年(平成5年)11月3日、勲二等宝冠章受章。

政界引退後は1993年から98年まで天理大学非常勤講師を務める傍ら、『女性のためのアジア平和国民基金』の呼びかけ人となり、同基金の副理事長を務めた。

2014年9月7日、心不全のため、東京都千代田区一番町の自宅で死去した。94歳だった。叙正四位。

主な出演映画

「李香蘭」時代(戦前・戦中)

蜜月快車(1938年、満映)

富貴春夢(1939年、満映)

冤魂復仇(1939年、満映)

東遊記(1939年、東宝、満映)

美しき犠牲(原題・鉄血慧心 1939年、満映)

白蘭の歌(1939年、東宝、満映)

支那の夜(1940年、東宝・中華電影公司)

孫悟空(1940年、東宝)

熱砂の誓ひ(1940年、東宝、華北電影公司)

君と僕(1941年、朝鮮軍報道部)

蘇州の夜(1941年、松竹)

迎春花(1942年、満映、松竹)

黄河(1942年、満映)

戦ひの街(1943年、松竹)

萬世流芳(英語版)(1943年、中華電影公司・中華聯合製片公司・満映)

サヨンの鐘(1943年、松竹、台湾総督府)

誓ひの合唱(1943年、東宝、満映)

私の鶯(1944年、東宝、満映)(1984年発見, 1986年東京で上映)

兵隊さん(1944年、朝鮮軍報道部)

野戦軍楽隊(1944年、松竹)

「山口淑子」時代(戦後)

わが生涯のかがやける日(1948年、松竹)

情熱の人魚(1948年、大映)

流星(1949年、新東宝)

人間模様(1949年、新東宝)

果てしなき情熱(1949年、新世紀プロ・新東宝)

帰国(ダモイ)1949年、新東宝)

初恋問答(1950年、松竹)

暁の脱走(1950年、新東宝)

女の流行(1950年、松竹)

醜聞(1950年、松竹、黒澤明監督)…西条美也子

東は東 Japanese War Bride (1951年、アメリカ映画、Shirley Yamaguchi名で主演)

風雲千両船(1952年、東宝)

霧笛(1952年、東宝)

戦国無頼(1952年、東宝)

上海の女(1952年、東宝)

抱擁(1953年、東宝)

土曜日の天使(1954年、東宝)

金瓶梅(中国語版)(1955年、香港 ショウ・ブラザーズ 李香蘭名で主演)

東京暗黒街・竹の家 House of Bamboo (1955年、アメリカ映画、Shirley Yamaguchi名で主演)

Navy Wife(英語版)(1956年、アメリカ映画 Shirley Yamaguchi名で出演)

白夫人の妖恋(1956年、東宝、香港 ショウ・ブラザーズ)

神秘美人(1957年、香港 ショウ・ブラザーズ 李香蘭名で主演)

一夜風流(1958年、香港 ショウ・ブラザーズ 李香蘭名で主演)

美しき哀愁 アンコール・ワット物語(1958年、連合映画・東宝)

東京の休日(1958年、東宝)

主なテレビ・ラジオ番組

山口淑子の時間(ラジオ東京、1952年)

3時のあなた(フジテレビ、1969年4月 - 1974年3月)

にっぽんの歌(NETテレビ、1973年4月 - 1974年3月)

徹子の部屋(テレビ朝日、1991年8月12・13日)

世界・わが心の旅 「李香蘭 遥かなる旅路~中国、ロシア」(ハイビジョン試験放送、1998年11月29日/NHK衛星第2、1999年1月9日)

山口淑子・激動の半生〜わが内なる李香蘭〜(BS朝日、2002年3月27日)

ハイビジョン特集・世紀を刻んだ歌「何日君再来~アジアの歌姫が紡いだ愛の歌」(NHKデジタル衛星ハイビジョン、2006年4月19日/NHK衛星第2、2006年9月1日)

歴史大河スペシャル・女たちの中国(日本テレビ、2008年7月21日)

報道発 ドキュメンタリ宣言「昭和史最大のスクープ 男装の麗人・川島芳子は生きていた! 2時間スペシャル」(テレビ朝日、2009年4月13日)

2024/06/09 05:46更新

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山口淑子と近い名前の人

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1975年5月6日生まれの有名人 香川出身

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山口 喜久一郎_(政治家)(やまぐち きくいちろう)
1897年5月11日生まれの有名人 長崎出身

山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年5月11日 - 1981年5月6日)は日本の政治家、第52代衆議院議長(在任期間・1965年12月20日 - 1966年12月3日)。長崎県佐世保市出…

山口 純(やまぐち じゅん)
【新選組リアン】
1990年5月13日生まれの有名人 兵庫出身

山口 純(やまぐち じゅん、1990年5月13日 - )は、日本の男性歌手、ファッションモデル、タレント。兵庫県出身。身長187cm。立命館大学卒業。 男性アイドルグループ・新選組リアンの元メンバー…

山口 達也(やまぐち たつや)
【TOKIO】
1972年1月10日生まれの有名人 埼玉出身

山口 達也(やまぐち たつや、1972年1月10日 - )は、日本の実業家(「株式会社山口達也」代表)。かつてタレントとしてジャニーズ事務所に所属していた。 2018年5月までジャニーズ事務所の男性…

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山口 悟(やまぐち さとし)
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山口 敏弘(やまぐち としひろ)
1971年11月19日生まれの有名人 熊本出身

山口 敏弘(やまぐち としひろ、1971年11月19日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手(FW)、サッカー指導者。 近畿大学を中退して1993年にガンバ大阪に入団。突破力と強力なシュートが武器…

山口 素弘(やまぐち もとひろ)
1969年1月29日生まれの有名人 群馬出身

山口 素弘(やまぐち もとひろ、1969年1月29日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロサッカー選手(元日本代表キャプテン)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)、サッカー解説者。現役時代のポジシ…

山口 蛍(やまぐち ほたる)
1990年10月6日生まれの有名人 三重出身

山口 蛍(やまぐち ほたる、1990年10月6日 - )は、三重県名張市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。ポジションはミッドフィールダー(守備的ミッドフィールダー)。元日本代表。 …

山口 豊(やまぐち ゆたか)
1967年10月22日生まれの有名人 埼玉出身

山口 豊(やまぐち ゆたか、1967年10月22日 - )は、テレビ朝日のエグゼクティブアナウンサー。 埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学商学部を卒業し1990年に日本航空の京都支店へ入社するも、半…

山口 リエラ(やまぐち りえら)
1977年8月5日生まれの有名人 東京出身

山口 リエラ(やまぐち りえら、1977年8月5日 - )は、日本の元タレント。所属事務所は芸映プロダクション→Bon Vivant、所属レコード会社はポリドール・レコード~マジックアイランドレコード…

山口 もえ(やまぐち もえ)
1977年6月11日生まれの有名人 東京出身

山口 もえ(やまぐち もえ、本名:田中 もえ〈旧姓:山口〉、1977年〈昭和52年〉6月11日 - )は、日本のタレント、女優。東京都台東区出身。スターダストプロモーション所属。血液型はAB型。 …

山口 めろん(やまぐち めろん)
11月4日生まれの有名人 兵庫出身

山口 めろん(やまぐち めろん、11月4日、公表している年齢は「食べごろ期」)は、日本のタレント、シンガーソングライター。松竹芸能所属(2020年1月から)。かつては山口 水季(やまぐち みずき)の名…

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