山口淑子の情報(やまぐちよしこ) 女優、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
山口淑子と関係のある人
佐伯秀男: 『土曜日の天使』 : 監督山本嘉次郎、原作中野実、脚本梅田晴夫・山本嘉次郎、主演山口淑子、製作・配給東宝、1954年8月22日公開 - 出演 川喜多長政: 敗戦後の長政は家族は先に帰らせると上海での残務整理をしていたが、山口淑子が漢奸とされ処刑されると聞くと、この救出に尽力。 ロバート=スタック: 早川雪洲、山口淑子が共演した日本が舞台の『東京暗黒街・竹の家』では、大々的に行われた日本ロケにも参加している。 笠置シヅ子: 1981年(昭和56年)、シヅ子にとってたくさんの思い出の詰まった日本劇場の閉館が決まり、「サヨナラ日劇フェスティバル、ああ栄光の半世紀」公演が開催されたが、その公演最終日にシヅ子は、共に日本劇場の1日最大動員記録を打ち立てた李香蘭こと山口淑子や、戦争中に青森で共に九死に一生を得た長谷川一夫らと舞台挨拶を行った。 高瀬昌弘: 土曜日の天使(1954/8/24 山口淑子主演 山本嘉次郎監督 4th) 野村玲子: 生前の山口淑子は上演のたびに観劇に訪れ、親交を深めた。 三浦環: 著名な門弟に原信子・長坂好子・柳兼子・鈴木乃婦・関屋敏子・小林千代子・由利あけみ・山口淑子がいる。 明日待子: 昭和初期〜戦後にかけてムーランルージュ新宿座の看板スターの一人で、元祖・ライブアイドルの一人、また同年齢の諏訪根自子・山口淑子(李香蘭)・原節子と共に日本のアイドル黎明期をささえたアイドルの一人とされている。 北大路魯山人: また1951年(昭和26年)に結婚したイサム・ノグチと山口淑子の夫妻を星岡窯に一時寄寓させた。 三木淳: 集まった発起人は三木淳、木村伊兵衛、土門拳、亀倉雄策、早田雄二、林忠彦、西山清、尾崎三吉、彫刻家のイサム・ノグチその妻の山口淑子(李香蘭)、女優の高峰秀子、山田五十鈴、映画監督の溝口健二、作家の檀一雄、日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹、海外からはマーガレット・バーク=ホワイト、カール・マイダンス、デイヴィッド・ダグラス・ダンカン、マイケル・ルージエ、ハンク・ウォーカー、アンリ・カルティエ・ブレッソンなど国際色豊かなメンバー50余名であった。 ミラクルひかる: 山口淑子(李 香蘭) 若林映子: 演技研究所を経て最初にカメラの前に立ったのは、1958年(昭和33年)の山口淑子引退記念映画『東京の休日』でのファッションモデル役だったが、公開順としては本多猪四郎監督『花嫁三重奏』がデビュー作となる。 高峰三枝子: 自民党は山口淑子に白羽の矢を立て、山口は全国区で初当選した。 野際陽子: 李香蘭(2007年、TX) - 山口淑子 小野寺百合子: 正の双子の兄も外交官の大鷹弘であり、弘の夫人は元・参議院議員で女優の李香蘭こと山口淑子)、著書に『戦争回避の英知』朝日新聞出版等がある。 山川建夫: ベ平連に係わってベトナム戦争反対運動を行っていたこともある山川は、1970年、当時司会アシスタントとして出演していた朝のワイドショー番組「小川宏ショー」の放送内で、他番組でベトナム視察報告をした女優の山口淑子(李香蘭、のち参議院議員。 堀川とんこう: 日本人・山口淑子として生まれたが中国で育ち、中国人女優・歌手の李香蘭として活躍した。 沢口靖子: さよなら李香蘭(1989年12月1・2日、フジテレビ、フジテレビ開局30周年記念ドラマ) - 主演・山口淑子 役 小池彩夢: 李香蘭(2007年2月11日・12日、テレビ東京) - 山口淑子(幼少時代) 役 平田昭彦: しかし、映画界への興味は捨てきれず、女優の山口淑子からの勧めもあって、俳優への転身を決意。 彩夢: 李香蘭(2007年2月11日・12日、テレビ東京) - 山口淑子(幼少時代) 役 笠置シヅ子: 「支那の夜」の劇中歌の1曲であった「蘇州夜曲」は、服部がかつての訪中時から構想を温め続け、その後に李香蘭をイメージして完成させた曲であり、服部自身も戦後に李香蘭こと山口淑子から「蘇州夜曲」への思い出をたずねられた際に「蘇州夜曲が一番好きだ」「あの作品は伏水修監督に頼まれて李香蘭のために一所懸命作ったものだ」と答えて淑子を感動させている。 佐々木俊一: 「東京セレナーデ」(作詞:佐伯孝夫、歌:山口淑子 (李香蘭)) 佐伯孝夫: 夜来香(作曲:黎錦光、山口淑子(李香蘭)、1950年1月) 笠置シヅ子: ハリウッドでは、終戦後に李香蘭の芸名を返上しシャリー山口としてハリウッドに進出していた山口淑子と会っているが、シズ子と山口は前年の1949年9月27日に公開された、服部の音楽が全編を彩る歌謡映画「果てしなき情熱」で共演をしている。 甘粕正彦: 李香蘭こと山口淑子が、「満映を辞めたい」と申し出た際には「気持ちは分かる」と言って契約書を破棄したが、彼女の証言によれば「ふっきれた感じの魅力のある人だった。 井田誠一: 『東京コンガ』(昭和25年6月) 作曲:高橋忠雄、歌:山口淑子 イサム・ノグチ: 同年、山口淑子(李香蘭)と結婚する(1956年に離婚)。 藤原作弥: 山口淑子共著『李香蘭 私の半生』新潮文庫、1990年12月。 藤原作弥: 山口淑子共著 『李香蘭 私の半生』新潮社、1987年7月。 |
山口淑子の情報まとめ
山口 淑子(やまぐち よしこ)さんの誕生日は1920年2月12日です。旧 中国出身の女優、政治家のようです。
映画、結婚、引退、テレビ、父親、現在、事件、家族、卒業、離婚、再婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2014年に亡くなられているようです。
山口淑子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山口 淑子(やまぐち よしこ、1920年〈大正9年〉2月12日 - 2014年〈平成26年〉9月7日)は、日本の歌手、女優、政治家である。本名は大鷹 淑子(おおたか よしこ、旧姓:山口)。翊教女学校卒。 さまざまな名前で活動し、中華民国と満洲国、日本、戦後の香港で李 香蘭(り こうらん、リ・シャンラン)、第二次世界大戦後のアメリカ合衆国ではシャーリー・ヤマグチ(Shirley Yamaguchi)の名で映画、歌などで活躍した。日本の敗戦を上海で迎えた彼女は、中国人として祖国を裏切った漢奸の容疑で、中華民国の軍事裁判に掛けられたものの、日本人であることが証明され、漢奸罪は適用されず、国外追放処分となり、日本に帰国した。 帰国後は、山口淑子名義で芸能活動を再開し、日本はもとより、アメリカや香港の映画・ショービジネス界で活躍をしたが、1958年(昭和33年)に結婚のため、芸能界を引退し、1969年(昭和44年)にフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者としてマスメディア界に復帰、1974年(昭和49年)3月まで務めた。1974年(昭和49年)から1992年(平成4年)までの18年間、参議院議員を3期務めた。2006年に日本チャップリン協会(会長大野裕之)の名誉顧問に就いた。 祖父は士族出身の漢学者であり、その影響で父親は親中であった。父親は1906年に中国に渡った。 1920年(大正9年)2月12日に、中華民国奉天省(現在の遼寧省)奉天近郊の北煙台で生まれた。南満洲鉄道(満鉄)で中国語を教えていた佐賀県出身の父・山口文雄と福岡県出身の母・アイ(旧姓石橋)の間に生まれ「淑子」と名付けられる。本籍は佐賀県杵島郡北方町(現:武雄市)。 生後まもなく撫順に引っ越した。父親は撫順の満鉄研修所で日本人職員に北京語を教えていた。この影響で、幼少期から、父親の方針で中国語に親しんだ。撫順炭鉱襲撃事件や楊柏堡事件、平頂山事件の影響もあり、撫順を離れることになった。このとき、匪賊の処刑を目撃している。 13歳の頃、家族で奉天(現:瀋陽)へ移住した。隣人で父親の友人であり家族ぐるみで交流のあった瀋陽銀行の頭取・李際春(中国語版)将軍の、義理の娘分(乾女児)となり、「李香蘭(リー・シャンラン)」という中国名を得た。「香蘭」という名は、父親の俳号由来である。その後、のちに天津市長になった潘毓桂とも義理の娘として縁を結んだ。中国の旧習では、元来縁を深めるために互いの子供を義子とする習慣があった。これは実際に戸籍を移す法的な養子という関係ではなく、それぞれの姓で互いの子女に名前を付けあうなどのものである。 奉天の女学校に転入するはずだったが、欠員がないため、一時的に奉天女子商業学校に通うことになる。この頃、肺浸潤を患い、一ヶ月の入院と半年の休学をすることになる。自宅静養の間、医者の勧めで歌を習うことになる。奉天に住む幼なじみのユダヤ系白系ロシア人であるリューバ・モノソファ・グリーネッツの母からの紹介を受け、白系ロシア人と結婚したイタリア人オペラ歌手のマダム・ポドレソフのもとに通うことになる。発声試験では不合格になるが、リューバの必死の懇願もあり、ここで声楽を習うようになった。 この後、マダムの紹介で満鉄直営のヤマトホテルで行われる秋のリサイタルの前座を務めることになる。そこで、和服を着て「荒城の月」「シューベルトのセレナーデ」「イッヒ・リーベ・ディッヒ」「ソルベイグの歌」を歌った。このリサイタルには奉天広播電台(放送局)の企画課長が来ており、歌手として目にとまることになる。 1932年(昭和7年)、満洲国誕生と共に開局した奉天政府局は、新満洲歌曲という番組を企画していた。日本語も中国語も堪能であり、またその絶世の美貌と澄み渡るような歌声から、この番組の歌手に抜擢された。1934年(昭和9年)、淑子は「潘淑華」の名(潘毓桂の義子としての名前)で北京のミッション・スクールである翊教女学校(翊教女子中学(中国語版))に編入し、1937年(昭和12年)に卒業した。 日中戦争開戦の翌1938年(昭和13年)には満洲国の国策映画会社・満洲映画協会(満映)から中国人の専属映画女優「李香蘭」(リー・シャンラン)としてデビューした。映画の主題歌も歌って大ヒットさせ、女優として歌手として、日本や満洲国で大人気となった。そして、流暢な北京語とエキゾチックな容貌から、日本でも満洲でも多くの人々から中国人スターと信じられていた。また、この頃「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子との親交があった。 日中戦争中には満映の専属女優として日本映画に多く出演し、人気を得た。人気俳優の長谷川一夫とも『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓ひ』で共演した。1941年(昭和16年)2月11日の紀元節には、日本劇場(日劇)での「歌ふ李香蘭」に出演し、大盛況となった。大勢のファンが大挙して押し寄せ、日劇の周囲を7周り半もの観客が取り巻いたため、消防車が出動・散水し、群衆を移動させるほどの騒動であったと伝えられている(日劇七周り半事件)。 1943年(昭和18年)6月には、阿片戦争で活躍した中国の英雄・林則徐の活躍を描いた長編時代劇映画『萬世流芳(英語版)』(151分)に、林則徐の弟子・潘達年の恋人(後に妻)役で主演した。この映画は、中華電影股份有限公司、中華聯合製片股份有限公司、満映の3社による合作で、阿片戦争敗北100周年記念に作られた映画であった。中国全土で映画が封切られるや、劇中、彼女が歌った主題歌「賣糖歌」と挿入歌「戒煙歌」は大ヒットした上、映画『萬世流芳』自体も、中国映画史上初の大ヒットとなったのである。また内容は、阿片戦争の相手国であったイギリスを当時の日本に見立てて、中国民衆の抗日意識を鼓舞するものだった。 『萬世流芳』の大ヒットにより中国民衆から人気を得た李香蘭は、上海から北京の両親のもとへ帰郷し、北京飯店で記者会見を開いた。 当初、この記者会見で彼女は自分が日本人であることを告白しようとしていたが、父の知人であった李記者招待会長に相談したところ、「今この苦しい時に、あなたが日本人であることを告白したら、一般民衆が落胆してしまう。それだけはやめてくれ」と諭され、告白を取りやめた。この記者会見が終わりかけた時、一人の若い中国人新聞記者が立ち上がり、「李香蘭さん、あなたが『白蘭の歌』や『支那の夜』など一連の日本映画に出演した真意を伺いたいのです。あの映画は中国を理解していないどころか、侮辱してます。それなのに、なぜあのような日本映画に出演したのですか? あなたは中国人でしょう。中国人としての誇りをどこに捨てたのですか」と質問した。これに対し彼女は、「20歳前後の分別のない自分の過ちでした。今は後悔しています。あの映画に出たことを後悔しています。今後、こういうことは決して致しません。どうか許してください」と答えるや、記者会見会場内からは大きな拍手が沸いたという。 記者会見と前後して、上海の百代唱片公司で収録した「夜来香」「海燕」「恨不相逢未嫁時」「防空歌」「第二夢」などがヒットした。このうち汪兆銘政権(南京国民政府)による愛国歌曲「防空歌」は、中国人の祖国防衛意識をかきたてた。また、1945年(昭和20年)6月23・24・25日に上海・静安寺路(現・南京西路)の大光明大戯院Grand Theatre(現・大光明電影院)で行われたリサイタルでは、ヒット曲「夜来香」を含む中・日・欧米の歌曲などが披露され、観客の喝采を浴びた。そして人気の勢いは留まることを知らず、李香蘭は、周璇、白光、姚莉、呉鶯音らと共に上海灘の「五大歌后」の1人に数えられた。 それまで、李香蘭は満洲国と日本のスターだったが、映画『萬世流芳』とその主題歌「賣糖歌」、挿入歌「戒煙歌」そして「夜來香」「海燕」「恨不相逢未嫁時」「防空歌」「第二夢」などのヒット曲により、中国でも人気スターとなった。そして『萬世流芳』の後、『香妃』という映画が企画されたものの、撮影開始前に終戦を迎え、上海での映画出演は1本に終わってしまった。また歌においては、1945年(昭和20年)にカップリングで吹き込み発売された「第二夢」と「忘憂草」とが、中国での最後の収録曲となった。なお「第二夢」は2012年、中国で蒼井そらによりリヴァイヴァルされ、現代の中国人にも創唱者は李香蘭であるということが知れわたった。その「第二夢」は、台湾のトップ・シンガー費玉清が、「夜來香」「何日君再來」「只有你」等と共に、台湾は元より東南アジアや中国大陸各都市でのコンサートでも歌い継いでいる。 李香蘭は中国人と思われていたため、日本の敗戦後、中華民国国民政府から漢奸(売国奴・祖国反逆者)の廉で軍事裁判にかけられた。そして、李香蘭は来週上海競馬場で銃殺刑に処せられるだろう、などという予測記事が新聞に書かれ、あわや死刑かとも思われた。しかし奉天時代の親友リューバの働きにより、北京の両親の元から日本の戸籍謄本が届けられ、日本国籍であるということが証明された。 結果、漢奸罪は適用されず、国外追放となった。無罪の判決を下す際、裁判官は「この裁判の目的は、中国人でありながら中国を裏切った漢奸を裁くことにあるのだから、日本国籍を完全に立証したあなたは無罪だ。しかし一つだけ倫理上、道義上の問題が残っている。それは、中国人の名前で 『支那の夜』 など一連の映画に出演したことだ。法律上、漢奸裁判には関係ないが、遺憾なことだと本法廷は考える」と付言を加え、李香蘭は「若かったとはいえ、考えが愚かだったことを認めます」と頭を下げて謝罪した。 1946年(昭和21年)2月28日、李香蘭と似ても似つかぬように化粧を落とし、もんぺ姿で引揚船に乗船しようとしたが、中華民国側の女性出入国管理官に李香蘭と見破られ、再度収容所に連れ戻された。10日後に誤解は解け、1か月後の3月末に今度こそ出国できることになった。李香蘭は乗船するや否や、一旦は便所に身を潜めたが、船が港を離れてからデッキで遠ざかる上海の摩天楼を眺めていると、船内のラジオから聞こえてきたのは、奇しくも自分の歌う「夜来香」だった。 帰国した後、翌年には旧姓(当時の本名)「山口淑子」に戻って銀幕に復帰。以降、日本映画を中心に活躍した。復帰作は1948年(昭和23年)の『わが生涯のかがやける日』で森雅之と共演。1950年(昭和25年)の『暁の脱走』では池部良と共演、『醜聞』では三船敏郎と共演している。 またアメリカに渡り、アクターズ・スタジオの講師から演技を学び、シャーリー山口(Shirley Yamaguchi)の名でハリウッド映画に主演したり、ブロードウェイでのミュージカルにも主役で出演した。その際に受けたインタビューで山口は「キスの勉強にやって参りました」と渡米の理由を述べている。その頃ニューヨークで彫刻家イサム・ノグチと知り合い、1951年に結婚した。鎌倉の北大路魯山人の邸宅敷地内にアトリエと住まいを構えたが、1956年(昭和31年)に離婚する。 1952年(昭和27年)から1958年(昭和33年)にかけては香港で映画『金瓶梅(中国語版)』『神秘美人』『一夜風流』に主演し、中国語圏で「李香蘭」の名を復活させた。また同時に、香港の百代唱片公司で十数曲の主演映画の主題歌を吹き込み、映画と共にリリースしてヒットさせる。それらは今日もスタンダード・ナンバーとして、「三年」「梅花」「小時候」「十里洋場」「分離」「只有你」等が、世界の中国人・華人の間で歌い継がれている。 1958年(昭和33年)に、駐ビルマ日本大使館の三等書記官で国連大使の加瀬俊一の秘書官も務めた日本人外交官の大鷹弘(のち駐フィジー・スリランカ・ミャンマー特命全権大使を歴任、1928年 - 2001年)と再婚し、20年にわたる女優業を引退する。引退直前には原節子の呼びかけにより、芸能生活20周年記念映画として『東京の休日』が製作された。それは三船敏郎、池部良、越路吹雪などの東宝オールスターが出演する豪華なものとなった。そしてこの映画が最後の出演映画となった。 その後はマスコミに一切姿を見せなかったものの、1969年(昭和44年)に、「山口淑子」の名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者になり、芸能界へのカムバックを果たす。番組ではベトナム戦争中の南ベトナムやカンボジア、中東などの海外取材も行う。1973年(昭和48年)には日本赤軍の重信房子とのインタビューに成功した。参議院議員当選後の1975年(昭和50年)に自民党議員団の一員として北朝鮮を訪問、金日成国家主席と面会している。1979年(昭和54年)に朝日放送が製作した番組『こんにちは!北朝鮮 山口淑子レポート』の企画で再度、金日成と面会している。 1974年(昭和49年)、田中角栄首相の要請で自由民主党から第10回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、初当選した。国会では「大鷹淑子」の名で活動した。田中派に所属。1980年(昭和55年)、再選。1984年(昭和59年)2月、日本愛玩動物協会会長就任(2004年より名誉会長)。1986年(昭和61年)、3期目の当選を果たす。 1987年(昭和62年)7月4日、竹下登、金丸信らによる新派閥「経世会」が結成され、田中派は竹下派、二階堂グループ、中立系の3派に分裂する。山口はそのうち中立系に属した。1990年(平成2年)2月の衆院選直後、旧田中派中立系の所属議員は山口と後藤田正晴の2人だけとなった。それから間もなくして後藤田は無派閥となり、山口は6月7日に宮澤派に移った。 環境政務次官(福田赳夫内閣)・参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長・参議院外務委員長・自民党婦人局長などを1992年(平成4年)に引退するまで歴任した。1993年(平成5年)11月3日、勲二等宝冠章受章。 政界引退後は1993年から98年まで天理大学非常勤講師を務める傍ら、『女性のためのアジア平和国民基金』の呼びかけ人となり、同基金の副理事長を務めた。 2014年9月7日、心不全のため、東京都千代田区一番町の自宅で死去した。94歳だった。叙正四位。 蜜月快車(1938年、満映) 富貴春夢(1939年、満映) 冤魂復仇(1939年、満映) 東遊記(1939年、東宝、満映) 美しき犠牲(原題・鉄血慧心 1939年、満映) 白蘭の歌(1939年、東宝、満映) 支那の夜(1940年、東宝・中華電影公司) 孫悟空(1940年、東宝) 熱砂の誓ひ(1940年、東宝、華北電影公司) 君と僕(1941年、朝鮮軍報道部) 蘇州の夜(1941年、松竹) 迎春花(1942年、満映、松竹) 黄河(1942年、満映) 戦ひの街(1943年、松竹) 萬世流芳(英語版)(1943年、中華電影公司・中華聯合製片公司・満映) サヨンの鐘(1943年、松竹、台湾総督府) 誓ひの合唱(1943年、東宝、満映) 私の鶯(1944年、東宝、満映)(1984年発見, 1986年東京で上映) 兵隊さん(1944年、朝鮮軍報道部) 野戦軍楽隊(1944年、松竹) わが生涯のかがやける日(1948年、松竹) 情熱の人魚(1948年、大映) 流星(1949年、新東宝) 人間模様(1949年、新東宝) 果てしなき情熱(1949年、新世紀プロ・新東宝) 帰国(ダモイ)1949年、新東宝) 初恋問答(1950年、松竹) 暁の脱走(1950年、新東宝) 女の流行(1950年、松竹) 醜聞(1950年、松竹、黒澤明監督)…西条美也子 東は東 Japanese War Bride (1951年、アメリカ映画、Shirley Yamaguchi名で主演) 風雲千両船(1952年、東宝) 霧笛(1952年、東宝) 戦国無頼(1952年、東宝) 上海の女(1952年、東宝) 抱擁(1953年、東宝) 土曜日の天使(1954年、東宝) 金瓶梅(中国語版)(1955年、香港 ショウ・ブラザーズ 李香蘭名で主演) 東京暗黒街・竹の家 House of Bamboo (1955年、アメリカ映画、Shirley Yamaguchi名で主演) Navy Wife(英語版)(1956年、アメリカ映画 Shirley Yamaguchi名で出演) 白夫人の妖恋(1956年、東宝、香港 ショウ・ブラザーズ) 神秘美人(1957年、香港 ショウ・ブラザーズ 李香蘭名で主演) 一夜風流(1958年、香港 ショウ・ブラザーズ 李香蘭名で主演) 美しき哀愁 アンコール・ワット物語(1958年、連合映画・東宝) 東京の休日(1958年、東宝) 山口淑子の時間(ラジオ東京、1952年) 3時のあなた(フジテレビ、1969年4月 - 1974年3月) にっぽんの歌(NETテレビ、1973年4月 - 1974年3月) 徹子の部屋(テレビ朝日、1991年8月12・13日) 世界・わが心の旅 「李香蘭 遥かなる旅路~中国、ロシア」(ハイビジョン試験放送、1998年11月29日/NHK衛星第2、1999年1月9日) 山口淑子・激動の半生〜わが内なる李香蘭〜(BS朝日、2002年3月27日) ハイビジョン特集・世紀を刻んだ歌「何日君再来~アジアの歌姫が紡いだ愛の歌」(NHKデジタル衛星ハイビジョン、2006年4月19日/NHK衛星第2、2006年9月1日) 歴史大河スペシャル・女たちの中国(日本テレビ、2008年7月21日) 報道発 ドキュメンタリ宣言「昭和史最大のスクープ 男装の麗人・川島芳子は生きていた! 2時間スペシャル」(テレビ朝日、2009年4月13日) 我們的青春(映画『蜜月快車』挿入歌、中国語、百楽唱片版) 甜蜜的新婚(映画『蜜月快車』挿入中国語、百楽唱片版) 滿洲姑娘(中国語) 桃源春夢(映画『富貴春夢』主題歌、中国語、百楽唱片版) 滿園春色 冤魂復仇(映画『冤魂復仇』主題歌、中国語、百楽唱片版) 鐵血慧心(映画『鐵血慧心』主題歌、中国語、百楽唱片版) 天涯路(中国語、百楽唱片版) 時代姑娘(中国語、百楽唱片版) 望春曲(中国語、百楽唱片版) 幻想的你(中国語、百楽唱片版) 樂しい滿洲 握手の日滿支 関東軍凱旋歌(百楽唱片版) 滿洲國國歌(中国語、百楽唱片版) 日本國國歌(百楽唱片版) 愛國行進曲(百楽唱片版) 何日君再來(中国語) 樂しい朋友 さらば上海 夜悲曲(中国語、百楽唱片版) 陽春小唄(日本語) 陽春小唱(中国語、百楽唱片版) 中華民國國歌(中国語、百楽唱片版) 薔薇處處開(中国語、百楽唱片版) 夢の太湖船 離別了姑娘(日本語) 青い月の夜に 故郷之春天(朝鮮語で歌唱) 大日本帝國國歌(百楽唱片版) 蘇州夜曲(映画『支那の夜』挿入歌)映画の中で歌唱 支那の夜(映画『支那の夜』主題歌)映画の中で歌唱 心に咲く花/日滿支親善歌 興亞三人娘/日滿支親善歌(奥山彩子・白光 共唱) 紅い睡蓮(映画『熱砂の誓ひ』挿入歌) 夕月乙女(映画『熱砂の誓ひ』挿入歌) 荒城の月(映画『熱砂の誓ひ』挿入歌) 夜霧の馬車 北京の子守唄 濱邊の歌 宵待草(明治大学マンドリン倶楽部演奏) さうだその意氣(霧島昇・松原操 共唱) 月下の胡弓 黒き寶 花占ひ さくら咲く國 旅人の歌 港つばめ 春鶯曲 蘇州の夜(映画『蘇州の夜』主題歌) 乙女の祈り(映画『蘇州の夜』挿入歌) 迎春花(映画『迎春花』主題歌) 若き日の夢(映画『戦ひの街』主題歌) 花の生命(霧島昇 共唱) 花白蘭の歌(楠木繁夫 共唱) 母は青空(映画『誓ひの合唱』挿入歌) サヨンの歌(映画『サヨンの鐘』主題歌) 私の鶯(映画『私の鶯』主題歌) 新しき夜(映画『私の鶯』挿入歌) ペルシャの鳥(映画『私の鶯』挿入歌)映画の中でロシア語で歌唱 台湾軍の歌(映画『サヨンの鐘』の中で歌唱) 天涯歌女(映画『野戦軍楽隊』挿入歌、中国語で歌唱) 情熱の人魚(映画『情熱の人魚』主題歌) 月に寄せて(映画『情熱の人魚』挿入歌) 懐かしのタンゴ 夜来香(映画『上海の女』『東京の休日』の中でも歌唱) 思い出の白蘭 東京夜曲(映画『東京夜曲』主題歌) 愛の花びら〜ラヴィ・アン・ローズ〜 珊瑚礁の彼方に ロンドンデリーの歌 何日君再来(映画『上海の女』挿入歌) ふるさとのない女(映画『上海の女』挿入歌) 春風春雨(映画『上海の女』挿入歌) 郊外情歌(映画『上海の女』挿入歌) 花はなんの花(五木の子守唄) 花のいのちをたれか知る 沙漠の太鼓 愛の誓い 暗い部屋 歩きましょう 蘇州夜曲(映画『抱擁』挿入歌) 黒い百合(映画『抱擁』挿入歌) 七人の侍(映画『七人の侍』主題曲) とこしえに(映画『ライムライト』主題歌) しらとり韶(映画『白夫人の妖恋』主題歌) 大東亞勝利之歌(黄世平 共唱) 賣糖歌(中国映画『萬世流芳』主題歌) 戒煙歌(中国映画『萬世流芳』挿入歌) 賣糖歌(花腔版) 百代進行曲 恨不相逢未嫁時(上海録音版) 花香爲情郎 夜來香 海燕(黄飛然、黄源尹 共唱) 忘憂草 第二夢 防空歌(黄明・黄天 共唱) 天涯歌女 山谷中玫瑰 郊外情歌 進酒杯莫停 青春一去不復囘 春風春雨 明月之夜 不要告訴我 空閨残夢 青春讃歌 為甚麼要煩惱 綠野之春(香港映画『新西廂記』挿入歌) 蘭閨寂寂(香港映画『金瓶梅』挿入歌) 烏鴉配鳳凰(香港映画『金瓶梅』挿入歌) 身世飄零(香港映画『金瓶梅』挿入歌) 梅花(香港映画『神秘美人』挿入歌) 分離(香港映画『神秘美人』挿入歌) 歌舞今宵(香港映画『神秘美人』挿入歌) 三年(香港映画『一夜風流』挿入歌) 小時候(香港映画『一夜風流』挿入歌) 情枷愛鎖(香港映画『一夜風流』挿入歌) 十里洋塲(香港映画『一夜風流』挿入歌) 他總有一天囘來(香港映画『一夜風流』挿入歌) 恨不相逢未嫁時(香港録音版) 只有你 河上的月色 心曲(チャップリンの映画『ライムライト』主題曲「エターナリー(テリーのテーマ)」) August Moon(「さくらさくら」、映画『八月十五夜の茶屋』挿入歌、米MGMレコード/日本コロムビア) 「憧憬(あこがれ)」(テイチク・1979年、歌・菊池章子、作曲・遠藤実) 『誰も書かなかったアラブ “ゲリラの民”の詩と真実』サンケイ新聞社出版局、1974年4月1日。NDLJP:12180031。 『中国に強くなる本 挨拶から食事まで 9億人の隣人と仲よくする法』かんき出版、1979年5月10日。NDLJP:12176894。 『李香蘭 私の半生(英語版)』(藤原作弥共著)新潮社、1987年、 のち文庫 『戦争と平和と歌 李香蘭心の道』東京新聞出版局、1993年(東京新聞・中日新聞で今日も続く夕刊連載自伝「この道」の山口分をまとめたもの) 『次代に伝えたいこと 歴史の語り部李香蘭の半生』天理教道友社、1997年 『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』日本経済新聞社、2004年 日本チャップリン協会・大野裕之篇『チャップリンの日本』2006年3月、親交のあったチャップリンの思い出を語っている。ハリウッド時代の写真も多く収録。 三好和義『四千年の楽園 中国世界遺産』小学館、2008年※序文を寄稿 『対話集・宗教に聞く』毎日新聞社、1995年(毎日新聞に掲載された中山善衞との対談「戦争・平和・信仰」を収録) 『21世紀のアジアと日本』成文堂、2002年(西原春夫との対談) 『ドキュメント時代を拓いた女性たち』中公新書ラクレ、2002年 『語るには若すぎますが』河出書房新社、2003年(『週刊朝日』掲載インタビューを収録) 第38回日本アカデミー賞 会長特別賞 奉天在住時に、歌手の淡谷のり子が山口家を訪ね、トイレを借りたことがある。 北京の女学校時代に、中国人だと思われていた李香蘭は中南海で行われた学生サークルの抗議集会に呼ばれてしまう。中国人側は、断固日本人と戦うといった意見を述べている中、意見を求められたとき「私は、北京の城壁の上に立ちます。」と中国語で返答した。これは、城壁上で中国側か日本側のどちらかの弾にあたって一番先に死ぬ、それが自分に最もふさわしい運命であるという意味である。 北京の女学校時代の夏休みに、天津の日本人租界地にある東興楼に訪れたときに、川島芳子と出会う。名前が同じ「ヨシコ」であることから打ち解けて、川島芳子は李香蘭のことを「ヨコチャン」とよび、李香蘭は川島芳子のことを「オニイチャン」と呼んだ。義理の父、潘氏に「これ以上会わないように」と忠告され、北京に戻ることになった。 1972年(昭和47年)日中国交正常化宣言の時、『3時のあなた』の司会をしていた山口は、涙を流した。 1975年(昭和50年)に北朝鮮を訪問したとき、宴会の場で金日成から「支那の夜」を観たことを告げられた。主題歌である蘇州夜曲を歌うと、金日成が抱きつくようにして喜んだ。 滞米中の山口淑子とチャールズ・チャプリンは、家族ぐるみでつき合った。1952年、「ライムライト」の主題曲を初めて披露した場にも彼女がいた。 アメリカの撮影所の待合所で、ジェームス・ディーンと知り合いになった。フォックス社長 スパイロス・スクーラスの豪邸でのパーティーに誘われ、帰宅時に、ディーンの銀色のポルシェに乗せてもらったことがある。 毎日新聞社『李香蘭 二つの祖国に揺れた青春』(毎日グラフ別冊)、毎日新聞社、1991年6月、 藤原作弥『満洲の風』集英社、1996年7月、ISBN 408781131X 山口猛『哀愁の満州映画 満州国に咲いた活動屋たちの世界』三天書房、2000年3月、ISBN 4883460541 四方田犬彦『日本の女優 (日本の50年日本の200年)』岩波書店、2000年6月、ISBN 4000263196 四方田犬彦編集『李香蘭と東アジア』東京大学出版会、2001年12月、ISBN 4130800949 羽田令子『李香蘭、そして私の満州体験 日本と中国のはざまで』社会評論社、2006年11月、ISBN 4784513248、 小林英夫『甘粕正彦と李香蘭 満映という舞台』勉誠出版、2015年7月、ISBN 9784585221234 川崎賢子『もう一人の彼女 李香蘭/山口淑子/シャーリー・ヤマグチ』岩波書店、2019年3月、ISBN 9784000253246 劇団四季では、彼女の半生を『ミュージカル李香蘭』としてミュージカル化した。1991年の初演以来、劇団四季の代表作品として人気を呼び、幾度となく再演され続けている。後に、『ミュージカル異国の丘』『ミュージカル南十字星』と共に“昭和の歴史三部作”ひとつとなった。 日中合作で『音楽劇 李香蘭 花と華』(2023年 演:西内まりや(若き日の李香蘭)、安寿ミラ(現在の山口淑子)作:岡本貴也) 『李香蘭』(藤田あつ子、1996年・角川書店あすかCDX 全1巻)。李香蘭の半生を描いた漫画。 『虹色のトロツキー』(安彦良和、1990年 - 1996年、潮出版)。キャラクターの一人として登場。ストーリー自体はフィクションである。 『さよなら李香蘭』(1989年、フジテレビ、原作『李香蘭 私の半生』、演:沢口靖子) 『李香蘭』(2007年、テレビ東京、原作『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』、演:上戸彩、野際陽子(老年期)、小池彩夢(少女時代)) 『流転の王妃・最後の皇弟』(2003年、テレビ朝日、演:天海祐希) 『男装の麗人〜川島芳子の生涯〜』(2008年、テレビ朝日、演:堀北真希) 『ブギウギ』(2023年、NHK連続テレビ小説、演:昆夏美) ^ 撫順襲撃事件という陰惨な出来事を期に移住。 ^ 戦後に漢奸罪で処刑される。 ^ 日刊ゲンダイ記事によると、後に日本で逮捕された重信が収監されていた東京拘置所で2004年に再度面会した。 ^ 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.8. ^ “第73回国会 参議院 物価等対策特別委員会 第1号 昭和49年7月27日”. 国会会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。 ^ 東宝特撮女優大全集 2014, p. 48, 文・石熊勝己「山口淑子」 ^ 日本チャップリン協会 ^ 『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』(日本経済新聞社、2004年) ^ 山口淑子・藤原作弥共著『李香蘭 私の半生』(新潮文庫、 1987年) ^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、27頁。ISBN 9784309225043。 ^ cf. 大鷹家との関係 ^ “プレイバック芸能スキャンダル史 山口淑子 日本赤軍・重信房子に直撃インタビュー”. 日刊ゲンダイ. (2013年6月14日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/142965 2022年2月19日閲覧。 ^ 歌とともに流れる情 ^ 金日成主席 自民党訪朝議員団と会談 山口淑子さんに語ったこと 1975年(2023年4月14日)【映像記録 news archive】 - YouTube ^ 朝日放送社史編修室 編『朝日放送の50年』 III《資料集》、朝日放送、2000年3月、202頁。 ^ “もう一度読みたい <平和と民主主義>山口淑子さん 「二つの祖国」をみつめて”. 毎日新聞. (2015年10月22日). https://mainichi.jp/articles/20151020/org/00m/200/028000c 2020年8月23日閲覧。 ^ 『朝日新聞』1990年6月10日付朝刊、2面、「自民各派、無派閥議員の勧誘活発 総選挙後、14人が新加入」。 ^ 日本愛玩動物協会設立四十周年記念誌『四十年のあゆみ』 ^ 安藤俊裕 (2011年8月28日). “田中角栄に反旗、竹下派旗揚げ 「政界のドン」金丸信(5)”. 日本経済新聞. https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1902K_V20C11A8000000/ 2020年8月2日閲覧。 ^ 『国会便覧 昭和62年8月新版』(第76版)日本政経新聞社、1987年9月1日、333-336頁。 ^ 『国会便覧 平成2年2月新版』日本政経新聞社、1990年4月10日、342-345頁。 ^ 『国会便覧 平成2年8月新版』日本政経新聞社、1990年9月1日、342-346頁。 ^ 「93年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1993年11月3日朝刊 ^ 大鷹淑子副理事長に聞く「21世紀のいま、若い人々に伝えたいこと」 女性のためのアジア平和国民基金2014年9月15日閲覧 ^ “山口淑子さん死去”. 時事ドットコム (時事通信社). (2014年9月14日). オリジナルの2014年9月14日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20140914225009/http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2014091400041 2014年9月14日閲覧。 ^ 官報平成26年10月14日 ^ 原曲はエルネスト・デ・クルティス作曲のカンツォーネ「Non ti scordar di me」。 ^ 台湾軍の歌 - 李香蘭 - YouTube ^ 天涯歌女 - 李香蘭 - YouTube ^ 誰も書かなかったアラブ - Webcat Plus ^ 第38回日本アカデミー賞最優秀賞発表!、日本アカデミー賞公式サイト、2015年1月18日閲覧。 ^ “チャプリン、J・ディーン…李香蘭、世界を駆けた交遊録:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2019年8月6日). 2022年9月12日閲覧。 ^ 李香蘭 - Webcat Plus ^ 社会評論社 李香蘭、そして私の満州体験 羽田令子(2008年1月22日時点のアーカイブ) ^ https://worldcode.co.jp/rikoran2023/ 別冊映画秘宝編集部 編 編『<保存版>別冊映画秘宝 東宝特撮女優大全集』洋泉社、2014年9月24日。ISBN 978-4-8003-0495-7。
山家亨 三浦環 大野裕之 小野寺信 小野寺百合子 満洲映画協会 東宝 東宝スタジオ 年代別プロマイド(ブロマイド)売上ベスト10 - (李香蘭 名義)1941年 - 1948年、男女総合1位。 山口淑子 - KINENOTE 山口淑子 - 日本映画データベース Shirley Yamaguchi - IMDb(英語) 中文電影資料庫: 李香蘭(中文繁體版) PChome 個人新聞台: 李香蘭專題網站(中国語) “山口淑子 1920年生まれ。第二次大戦前に旧満州…:日本の大女優 写真特集”. 時事ドットコム. 2016年10月25日閲覧。 “銃殺刑をまぬかれた山口淑子波乱万丈の人生”. 文春写真館. 文藝春秋 (2014年10月27日). 2016年12月15日閲覧。 李香蘭「バカな戦争だった」吐露 晩年インタビュー公開 山口淑子~李香蘭~ - NHK人物録 表 話 編 歴 佐藤尚武 野田俊作 櫻内辰郎 大隈信幸 有馬英二 徳川頼貞 佐藤尚武 石黒忠篤 山川良一 梶原茂嘉 小瀧彬 笹森順造 寺本広作 青柳秀夫 杉原荒太 鹿島守之助 草葉隆圓 木内四郎 近藤鶴代 井上清一 岡崎真一 黒川武雄 青柳秀夫 小柳牧衞 寺尾豊 木内四郎 赤間文三 三木與吉郎 山本利壽 長谷川仁 松平勇雄 八木一郎 平島敏夫 伊藤五郎 二木謙吾 高橋雄之助 寺本広作 安孫子藤吉 菅野儀作 石破二朗 秦野章 稲嶺一郎 増田盛 後藤正夫 平井卓志 最上進 宮澤弘 森山眞弓 堀江正夫 山東昭子 岡野裕 大鷹淑子 野沢太三 井上章平 田村秀昭 木庭健太郎 釘宮磐 寺澤芳男 大久保直彦 廃止 表 話 編 歴 山本利寿 伊藤五郎 山本茂一郎 塚田十一郎 米田正文 長谷川仁 星野重次 金井元彦 古賀雷四郎 稲嶺一郎 岡田広 西村尚治 志村愛子 上田稔 大鷹淑子 佐々木満 板垣正 堀江正夫 夏目忠雄 矢野俊比古 川原新次郎 守住有信 田代由紀男 田沢智治 福田宏一 大浜方栄 木宮和彦 坪井一宇 成瀬守重 楢崎泰昌 志村哲良 中尾則幸 立木洋 笠井亮 沓掛哲男 佐藤雄平 本田良一 谷林正昭 木俣佳丈 高橋千秋 黒岩宇洋 市川一朗 中川雅治 岸信夫 猪口邦子 羽田雄一郎 林久美子 風間直樹 江崎孝 石田昌宏 藤井基之 石井浩郎 石橋通宏 小西洋之 鈴木宗男 榛葉賀津也 表 話 編 歴 星一↓ 柳川宗左衛門† 早川慎一 松本治一郎† 高橋龍太郎 田中耕太郎↓ 梅原真隆 佐々木良作 山本勇造 尾崎行輝 堀越儀郎 柏木庫治 伊藤保平 西園寺公一 岡部常 膳桂之助† 西田天香 赤松常子 岩間正男 徳川宗敬 和田博雄↓ 鈴木清一 広瀬与兵衛 宮城タマヨ 大野幸一 楠見義男 東浦庄治↓ 奥むめお 原虎一 高瀬荘太郎 木下辰雄 金子洋文 青山正一 高良とみ 河崎なつ 岡田宗司 木内キヤウ 大隈信幸↓ 慶松勝左衛門† 稲垣平太郎 水橋藤作 高田寛 兼岩伝一 中村正雄 鈴木直人↓ 荒井八郎↓ 岡村文四郎 鬼丸義斎 井上なつゑ 小泉秀吉 岡本愛祐 川上嘉 中山寿彦 中川以良 丹羽五郎 羽仁五郎 寺尾豊 下条康麿 河野正夫 佐々弘雄↓ 重宗雄三 宿谷栄一 市来乙彦 安部定 大西十寸男↓ 藤井新一 水久保甚作 鎌田逸郎 中野重治 安達良助 堀真琴 松野喜内 木村禧八郎 寺尾博 穂積真六郎 矢野酉雄 藤井丙午 飯田精太郎 小川友三↓ 小野光洋 塚本重蔵 松井道夫 吉松喬† 星野芳樹 北條秀一 三島通陽 小林勝馬 中西功↓ 来馬琢道 新谷寅三郎 松嶋喜作 内村清次 大山安 浅岡信夫 江熊哲翁 松村真一郎 伊東隆治 細川嘉六 小杉イ子 仲子隆 国井淳一↑ 山川良一 高木正夫 加藤正人 杉山昌作 岩沢忠恭 加藤シヅエ 泉山三六 荒木正三郎 大谷瑩潤 長島銀蔵 菊川孝夫 三浦辰雄 常岡一郎 野田卯一↓ 高橋道男 瀧井治三郎 岡田信次 一松定吉 野溝勝 内村清次 平井太郎 藤原道子 栗山良夫 溝口三郎 石川清一 愛知揆一↓ 上条愛一 小笠原二三男 松原一彦 小酒井義男 片柳真吉 宮本邦彦 重宗雄三 堀木鎌三 高田なほ子 羽仁五郎 松本昇↓ 大矢半次郎 石川栄一 矢嶋三義 小野義夫 小林政夫 鈴木文四郎↓ 白波瀬米吉 小林孝平 田中一 須藤五郎 木村禧八郎 細川嘉六† 森八三一 中山寿彦 小川久義 鈴木恭一↓ 椿繁夫 山花秀雄↓ 寺尾豊 加藤シヅエ 加藤正人 高田なほ子 中村正雄 下条康麿 藤原道子 竹中恒夫 柴田栄 重宗雄三 天坊裕彦 鈴木強 占部秀男 野溝勝 北村暢 田中一 杉山昌作 迫水久常 栗山良夫↓ 松村秀逸 泉山三六 大谷藤之助 岩沢忠恭 辻武寿 小笠原二三男 手島栄 平林剛 小野義夫↓ 勝俣稔 阿部竹松 塩見俊二 一松定吉 小酒井義男 大谷瑩潤 荒木正三郎 本多市郎↓ 矢嶋三義 石黒忠篤↓ 常岡一郎 岩間正男 横川正市 谷口弥三郎 大竹平八郎 小林孝平↓ 北条雋八 江藤智 森八三一 堀木鎌三 光村甚助 稲浦鹿蔵 内村清次 柴谷要 小西英雄† 上条愛一↑ 中上川アキ↓ 加藤シヅエ 長谷川仁 迫水久常 源田実 浅井亨 山崎斉 丸茂重貞 北条雋八 鈴木一弘 山下春江 大谷藤之助 渋谷邦彦 二宮文造 小林武 岩間正男 鈴木市蔵 稲浦鹿蔵 森八三一 野知浩之 天坊裕彦 小西英雄↓ 林塩 田中一 重宗雄三 辻武寿 野々山一三 中村順造 藤原道子 鬼木勝利 北村暢 高山恒雄 鈴木強 占部秀男 江藤智 日高広為 横川正市 小酒井義男 野溝勝 豊田雅孝 竹中恒夫 向井長年 手島栄↓ 中村正雄 川野三暁 大竹平八郎 柴谷要 森田たま 光村甚助 松村秀逸↓ 阿部竹松↑ 山高しげり↑ 石原慎太郎↓ 青島幸男 上田哲 今春聴 重宗雄三 長谷川仁 大松博文 三木忠雄 小林国司 二宮文造 田渕哲也 鈴木一弘 上林繁次郎 小笠原貞子 塩出啓典 岩間正男 永野鎮雄 峯山昭範 森八三一 沢田実 加藤シヅエ 小林武 内田善利 向井長年 山田勇 松本英一 藤原房雄 渡辺武 中村正雄↓ 上田稔 若林正武 玉置猛夫 迫水久常 源田実 鈴木強 大竹平八郎 長田裕二 和田静夫 藤原道子 田口長治郎 大谷藤之助 江藤智 亀井善彰 長屋茂 山下春江 田中一 安永英雄 阿具根登 高山恒雄 横川正市 北村暢 宮田輝 市川房枝 青島幸男 鳩山威一郎 山東昭子 斎藤栄三郎 丸茂重貞 小林国司 目黒今朝次郎 田渕哲也 三木忠雄 秦豊 糸山英太郎 鈴木一弘 峯山昭範 片山甚市 佐藤信二↓ 和田静夫 二宮文造 内田善利 山中郁子 案納勝 岡田広 江藤智 迫水久常↓ 阿具根登 藤原房雄 太田淳夫 長田裕二 松本英一 坂野重信 野田哲 向井長年↓ 大谷藤之助 内藤功 福間知之 源田実 立木洋 塩出啓典 柄谷道一 粕谷照美 安永英雄 上林繁次郎 神谷信之助 和田春生↓ 大鷹淑子 神田博↓ 下村泰 渡辺武 小巻敏雄 森下泰 岩間正男 上田稔 近藤忠孝 市川房枝 青島幸男 鳩山威一郎 宮田輝 中山千夏 山東昭子 大鷹淑子 岡部三郎 美濃部亮吉↓ 大河原太一郎 田渕哲也 田沢智治 斎藤栄三郎 村上正邦 長田裕二 岡田広 井上孝 関口恵造 板垣正 源田実 山中郁子 福間知之 丸茂重貞↓ 梶原清 目黒今朝次郎 鈴木一弘 松浦功 田中正巳 峯山昭範 坂野重信 片山甚市 大川清幸 野田哲 江藤智↓ 鈴木和美 二宮文造 阿具根登 太田淳夫 塩出啓典 藤原房雄↓ 鶴岡洋 松本英一 近藤忠孝 中野鉄造 柄谷道一 伊藤郁男 立木洋 粕谷照美 和田静夫↓ 秦豊↑ 宇垣一成↓ 加賀山之雄 横川信夫↓ 鹿島守之助 上林忠次 三浦義男↓ 松本治一郎 木島虎蔵 白井勇 高良とみ 重政庸徳 津島壽一 鮎川義介 横山フク 梶原茂嘉 八木幸吉 永岡光治 鶴見祐輔 青木一男 吉田萬次↓ 早川慎一 西岡ハル 豊田雅孝 雨森常夫 久保等 森田義衛 小沢久太郎 赤松常子 前田久吉 山口重彦 岡三郎 奥むめお 藤田進 土田國太郎 高橋衛 阿具根登 野本品吉 林了↓ 岸良一 苫米地義三 大和与一 高野一夫 高瀬荘太郎 中山寿彦↓ 榊原亨 宮城タマヨ 青山正一 大倉精一†↑ 関根久蔵†↑ 大谷贇雄†↑ 八木秀次†↑ 柏木庫治†↑ 楠見義男† 平林剛↑ 米田正文 鹿島守之助 辻政信 前田久吉 石田次男 金丸冨夫 奥むめお 重政庸徳 天埜良吉 大倉精一 石谷憲男 赤松常子 加賀山之雄 中尾辰義 小平芳平 野上元 木村禧八郎 鮎川義介↓ 原島宏治↓ 下村定 北畠教真 松本治一郎 植垣弥一郎 梶原茂嘉 上林忠次 牛田寛↓ 山本伊三郎 岡三郎 青木一男 鹿島俊雄 鶴園哲夫 大谷贇雄 鈴木恭一 横山フク 岡村文四郎 山本杉 阿具根登 高瀬荘太郎 永岡光治 高野一夫 久保等 野本品吉 田中清一 山口重彦 千葉千代世 須藤五郎 川上為治 基政七 豊瀬禎一 徳永正利 中村順造 向井長年 鹿島守之助 春日正一 玉置和郎 田中寿美子 須藤五郎 楠正俊 柏原ヤス 岡本悟 野上元 内藤誉三郎 山崎昇 小林章 多田省吾 木村美智男↓ 山田徹一 山内一郎 西村尚治 山本伊三郎 瓜生清↓ 大倉精一 小平芳平 矢追秀彦 青木一男 平泉渉 岡村文四郎↓ 重政庸徳 松本治一郎↓ 山本茂一郎 久保等 鹿島俊雄 鶴園哲夫 鈴木力 片山武夫 宮崎正義 徳永正利 原田立 大谷贇雄↓ 永岡光治 山本杉 黒柳明 千葉千代世 横山フク 北畠教真↓ 八田一朗 中尾辰義 内田芳郎 黒木利克 金丸冨夫 山高しげり 梶原茂嘉 米田正文 石本茂 田英夫 志村愛子 鈴木美枝子 町村金五 栗林卓司 柏原ヤス 山本茂一郎 山田徹一 梶木又三 矢追秀彦 玉置和郎 西村尚治 原田立 須藤五郎 春日正一 岡本悟 小平芳平 村上孝太郎↓ 多田省吾 内藤誉三郎 中尾辰義 加藤進 古賀雷四郎 野上元↓ 細川護熙 平泉渉↓ 田中寿美子 宮崎正義 塚田大願 中村利次 野々山一三 星野力 徳永正利 檜垣徳太郎 片山正英 鹿島俊雄 石本茂 伊部真↓ 山本伊三郎↓ 山崎昇 山内一郎 楠正俊 藤井恒男 柴田利右エ門↓ 今泉正二 水口宏三↓ 鈴木力 宮之原貞光 青木一男 松岡克由 黒住忠行↑ 野末陳平↑ 田英夫 江田五月 福島茂夫 玉置和郎 梶木又三 内藤誉三郎 楠正俊 町村金五 増岡康治 栗林卓司 柳沢錬造 古賀雷四郎 伊江朝雄 野末陳平 西村尚治 柏原ヤス 竹内潔 矢追秀彦 徳永正利 前島英三郎 中尾辰義 堀江正夫 松前達郎 中野明 片山正英 大森昭 小平芳平 扇千景 下田京子 大木正吾 多田省吾 渋谷邦彦 山田勇 和泉照雄 藤井恒男 高橋圭三 安西愛子 中村利次↓ 宮本顕治 宮崎正義 円山雅也 安恒良一 山崎昇 田中寿美子 藤井裕久 石本茂 宮之原貞光 佐藤三吾 市川正一 穐山篤 表 話 編 歴 徳永正利 林健太郎 梶木又三 岡野裕 竹内潔↓ 伊江朝雄 矢野俊比古 増岡康治 吉村真事 海江田鶴造 古賀雷四郎 大浜方栄 石本茂 山岡賢次 安西愛子 扇千景 柳川覚治 堀江正夫 藤井裕久↓ 石井道子↑ 寺内弘子↑ 中村哲 久保田真苗 松前達郎 大森昭 大木正吾 安恒良一 佐藤三吾 穐山篤 安永英雄 伏見康治 多田省吾 中西珠子 高桑栄松 和田教美 刈田貞子 中野明 飯田忠雄 宮本顕治 市川正一 下田京子 橋本敦 吉川春子 関嘉彦 栗林卓司 藤井恒男 柳沢錬造 青木茂 木本平八郎 前島英三郎 田英夫 野坂昭如↓ 下村泰↑ 松前達郎 久保田真苗 國弘正雄 日下部禧代子 安恒良一 大森昭 佐藤三吾 安永英雄 堂本暁子 谷本巍 穐山篤 清水澄子 北村哲男 菅野壽 肥田美代子 庄司中 村田誠醇 堀利和 翫正敏 三石久江 清水嘉与子 前島英三郎 岡野裕 山岡賢次↓ 井上章平 石川弘↓ 須藤良太郎 成瀬守重 大浜方栄 尾辻秀久 木暮山人 石井道子 田村秀昭 伊江朝雄 柳川覚治 扇千景↑ 増岡康治↑ 高桑栄松 中西珠子 和田教美 刈田貞子 中川嘉美 常松克安 市川正一 橋本敦 吉川春子 林紀子 足立良平 寺崎昭久 下村泰 横溝克己↓ 星野朋市↑ アントニオ猪木 大森礼子 扇千景 益田洋介 寺崎昭久 加藤修一 田村秀昭 水島裕 海野義孝 足立良平 但馬久美 木暮山人↓ 福本潤一 友部達夫↓ 今泉昭 渡辺孝男 畑恵 戸田邦司 星野朋市 松崎俊久↑ 金石清禅↑ 武見敬三 岡野裕 中原爽 成瀬守重 石井道子 尾辻秀久 清水嘉与子 石川弘↓ 依田智治 須藤良太郎 釜本邦茂 小山孝雄↓ 橋本聖子 海老原義彦 岩井國臣 中島啓雄↑ 柳川覚治↑ 日下部禧代子 松前達郎 前川忠夫 朝日俊弘 竹村泰子 伊藤基隆 谷本巍 清水澄子 菅野壽 橋本敦 吉川春子 須藤美也子 笠井亮 筆坂秀世 水野誠一↓ 堂本暁子↓ 黒岩秩子↑ 佐藤道夫 舛添要一 高祖憲治↓ 大仁田厚 小野清子 岩井國臣 橋本聖子 尾辻秀久 武見敬三 桜井新 段本幸男 魚住汎英 清水嘉与子 福島啓史郎 近藤剛↓ 森元恒雄 藤井基之 山東昭子 小泉顕雄 有村治子 中原爽 中島啓雄↑ 藤野公孝↑ 大橋巨泉↓ 藤原正司 池口修次 朝日俊弘 若林秀樹 伊藤基隆 佐藤道夫 神本美恵子 ツルネン・マルテイ↑ 山本香苗 木庭健太郎 遠山清彦 草川昭三 渡辺孝男 魚住裕一郎 福本潤一 加藤修一 紙智子 筆坂秀世↓ 井上哲士 吉川春子 小林美恵子↑ 西岡武夫 田村秀昭 広野允士 大江康弘 田嶋陽子↓ 大田昌秀 又市征治 田英夫↑ 扇千景 相原久美子 吉川沙織 青木愛↓ 石井一 池口修次 ツルネン・マルテイ 神本美恵子 横峯良郎 藤原正司 川合孝典 風間直樹 轟木利治 大島九州男 西岡武夫↓ 今野東↓ 藤原良信 藤谷光信 室井邦彦↓ 大江康弘↓ 山本孝史↓ 大石尚子↑↓ 広野允士↑ はたともこ↑ 玉置一弥↑ 樽井良和↑ 尾辻かな子↑ 山村明嗣↑ 舛添要一 山田俊男 中山恭子 丸山和也 川口順子 佐藤正久 尾辻秀久 石井みどり 佐藤信秋 義家弘介↓ 橋本聖子 山東昭子 衛藤晟一 有村治子 武見敬三↑ 山本香苗 木庭健太郎 山本博司 遠山清彦↓ 渡辺孝男 加藤修一 魚住裕一郎 草川昭三↑ 井上哲士 紙智子 山下芳生 又市征治 山内徳信 田中康夫↓ 平山誠↑ 自見庄三郎 柘植芳文 山田俊男 佐藤正久 石井みどり 橋本聖子 羽生田俊 佐藤信秋 赤池誠章 山東昭子 衛藤晟一 石田昌宏 有村治子 宮本周司 丸山和也 北村経夫 渡邉美樹 木村義雄 太田房江 山本香苗 平木大作 河野義博 山本博司 若松謙維 魚住裕一郎 新妻秀規 礒﨑哲史 浜野喜史 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山田俊昭↑ 有馬朗人 村上正邦↓ 岡利定↓ 大島慶久 野沢太三 阿南一成 南野知惠子 佐藤昭郎 日出英輔 加納時男 佐々木知子 脇雅史 森田次夫 久世公堯 清水達雄↑ 宮崎秀樹↑ 小宮山洋子↓ 今井澄↓ 円より子 藁科満治 直嶋正行 内藤正光 勝木健司 川橋幸子 長谷川清 高嶋良充 堀利和 江本孟紀↓ 信田邦雄↑ 中島章夫↑ 樋口俊一↑ 立木洋↓ 市田忠義 岩佐恵美 吉岡吉典 池田幹幸 小池晃 林紀子 小泉親司 大門実紀史↑ 鶴岡洋 続訓弘 森本晃司 荒木清寛 風間昶 沢たまき↓ 日笠勝之 千葉国男↑ 泉信也 入沢肇 平野貞夫 渡辺秀央 月原茂皓 福島瑞穂 渕上貞雄 大脇雅子 山本正和 小林正夫 加藤敏幸 内藤正光 家西悟 柳澤光美 直嶋正行 大石正光 白眞勲 那谷屋正義 藤末健三 喜納昌吉 高嶋良充 津田弥太郎 工藤堅太郎 円より子 下田敦子 松岡徹 前田武志 渡辺秀央 竹中平蔵↓ 秋元司 長谷川憲正 脇雅史 西島英利 山谷えり子 中村博彦 泉信也 荻原健司 加納時男 荒井広幸 水落敏栄 佐藤昭郎 南野知惠子 松村祥史 神取忍↑ 浜四津敏子 弘友和夫 谷合正明 荒木清寛 風間昶 浮島とも子 浜田昌良 鰐淵洋子 市田忠義 小池晃 仁比聡平 大門実紀史 福島瑞穂 渕上貞雄 有田芳生 谷亮子 直嶋正行 小林正夫 柳澤光美 石橋通宏 難波奨二 津田弥太郎 那谷屋正義 江崎孝 藤末健三 加藤敏幸 前田武志 田城郁 白眞勲 西村正美 片山さつき 佐藤ゆかり↓ 山谷えり子 髙階恵美子 三原じゅん子 中村博彦↓ 脇雅史 藤井基之 小坂憲次 水落敏栄 宇都隆史 赤石清美 堀内恒夫↑ 阿達雅志↑ 柴田巧 江口克彦 上野宏史↓ 寺田典城 小野次郎 小熊慎司↓ 桜内文城↓ 真山勇一↑ 藤巻幸夫↑↓ 山田太郎↑ 田中茂↑ 秋野公造 長沢広明 横山信一 谷合正明 浜田昌良 荒木清寛 市田忠義 田村智子 大門実紀史 福島瑞穂 吉田忠智 片山虎之助 荒井広幸 徳茂雅之 青山繁晴 片山さつき 中西哲 今井絵理子 足立敏之 山谷えり子 藤木眞也 自見英子 進藤金日子 髙階恵美子↓ 山田宏 藤井基之 阿達雅志 宇都隆史 小川克巳 宮島喜文 水落敏栄 園田修光 竹内功↑ 小林正夫 濱口誠 矢田稚子 有田芳生 川合孝典 難波奨二 江崎孝 那谷屋正義 石橋通宏 藤末健三↓ 白眞勲 田城郁↑ 長沢広明↓ 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