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山田修爾の情報 (やまだしゅうじ)
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山田修爾の情報(やまだしゅうじ) テレビ プロデューサー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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山田 修爾さんについて調べます

■名前・氏名
山田 修爾
(読み:やまだ しゅうじ)
■職業
テレビ プロデューサー
■山田修爾の誕生日・生年月日
1945年9月10日 (年齢2013年没)
酉年(とり年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和20年)1945年生まれの人の年齢早見表

山田修爾と同じ1945年生まれの有名人・芸能人

山田修爾と同じ9月10日生まれの有名人・芸能人

山田修爾と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


山田修爾と関係のある人

南野陽子: 『ザ・ベストテン』のプロデューサー・山田修爾は、南野の番組初出演時を振り返り、「会う前は、また、ちょっと可愛コちゃんか、くらいにしか思ってなかった。


田中和泉: 山田修爾『ザ・ベストテン』新潮文庫、2011年12月。


田中和泉: 1989年(平成元年)のゴールデンウィーク中日、『ザ・ベストテン』のプロデューサー山田修爾は、原田俊明編成部長(のちTBS執行役員・トレソーラ社長)から食事に誘われ、その席で「ベストテンまだ続けるか? お前に任せるから考えて答えをくれ」と言われ、それから2ヶ月間悩み、7月6日の放送で司会の黒柳徹子から9月末で番組が終了すると発表される。


南野陽子: 『ザ・ベストテン』のプロデューサー・山田修爾は、年一回、年末に『ザ・ベストテンスペシャル』をやる時、ランスルーで自分の出番が終わっても最後まで3~4時間、ずっとMC席に座って他の歌手の歌を聞いていたのが南野と中森だったと語っている。


松宮一彦: 番組プロデューサーの山田修爾とは『ザ・ベストテン』以降も音楽番組のキャスティングの相談もしており、GLAYがまだ無名の頃から、「これは買いですよ」と松宮が言っていたという。


久米宏: 後年、アナウンサーの2年後輩で『ザ・ベストテン』のプロデューサーだった山田修爾が亡くなった際、降板の顛末をキチンと謝罪できなかったことを悔やむ発言をしている(『ザ・ベストテン』関係者では黒柳のみ謝罪している)。


阿部龍二郎: テレビ部門に配属、人気音楽番組『ザ・ベストテン』のプロデューサーだった山田修爾の部下的な存在でアシスタントディレクターとして活動。


弟子丸千一郎: 山田修爾


山田修爾の情報まとめ

もしもしロボ

山田 修爾(やまだ しゅうじ)さんの誕生日は1945年9月10日です。東京出身のテレビ プロデューサーのようです。

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卒業、家族、兄弟、テレビ、ドラマ、現在、結婚に関する情報もありますね。2013年に亡くなられているようです。

山田修爾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

山田 修爾(やまだ しゅうじ、1945年9月10日 - 2013年8月28日)は、日本の演出家、プロデューサー。愛称は「修爾さん」、「マムシ」。

東京都渋谷区出身。1969年4月、TBSに入社。アナウンサー、ラジオ制作を経て『ザ・ベストテン』、『輝く!日本レコード大賞』を企画・演出等、TBS音楽番組の中心的存在として活躍した人物でもある。2005年9月にTBSを定年退職後は、TBSグループのキャスト・プラス(クリエイティブ・メディア・エージェンシー)に移り常務取締役→代表取締役社長(2008年)→取締役相談役(2013年)を歴任、演出・プロデュース活動も行う。

清廉潔白であり、曲がった事が大嫌いで、えらく真面目で几帳面な部分があり、銀行の総務課や経理課の様な人物だったという。

1965年4月、一浪により慶應義塾大学法学部政治学科入学。

1969年3月に卒業後、4月にTBSへ入社、放送界入り。

2005年9月30日、TBSを定年退職。同年10月1日にクリエイティブ・メディア・エージェンシー常務取締役へ就任。2008年7月、同社代表取締役社長に昇格(その間、2010年にキャスト・プラスへ社名変更)。2013年7月、社長を退き、取締役相談役に。

2013年8月28日、特発性間質性肺炎のため死去。享年67。

代々木西原生まれ。ラジオで育ち、夕食後の家族団欒は六畳の居間にラジオを囲んで、落語やクイズをよく聴いて、落語は覚えてしまうくらいだったという。学校放送では春・夏・冬休みのほうが大好きであり、中でも『マイクさんこんにちは』が大好きだった。『笛吹童子』に『ヤン坊ニン坊トン坊』での黒柳徹子の小猿のトン坊はかわいかったと評価していた。山田にとってラジオとは「想像の世界をよりかき立ててくれる最高の玉手箱だった。」という。ステレオ実験放送では、兄弟先を争って中心の位置を取り合ったが、これがステレオ立体音なのか!?よくわからなかったという。『こども音楽コンクール』に出場した事があり、放送当日は家族が顔をつきあわせて聴いたという。主催は後に入社するTBSであったが、この局に入社するとは思わなかったが、いつも家族の真ん中にラジオがあった時代は決して派手ではないが実のある平穏でいい時代だったような気がすると振り返っている。小学校高学年の頃には、テレビが話題になってきたときに好きだった番組は『デン助劇場』『ひょっこりひょうたん島』『シャボン玉ホリデー』『ピンク・ムード・ショー』。『デン助劇場』では大宮デン助の気っぷが良くて人情家、早とちりでいつも大混乱、ハゲ頭にドロボーひげ、いつも首を振っているところが大好きとなりサインまでもらったことがある。山田にとってテレビとは「娯楽を与えてくれる最高の玉手箱」だったという。大病により小学校6年生の2・3学期を全休する。

渋谷区立代々木中学校ではブラスバンド部所属、トランペットを担当。

浪人中に見た東京オリンピック開会式の生中継を機に、テレビ最全盛の世の中となってきて、娯楽、文化、スポーツ、政治、すべてはテレビなしでは語れなくなってきて、頭の中の一部になり、幼少の頃からラジオやテレビが大好きだったため小学校の時に好きだった学校放送もいい、『シャボン玉ホリデー』みたいな楽しいものもいいと、就職先を放送局に選択する。

テレビ制作を志望していた為、入社時の『TBS社報』には「みんなが行ってみたいと思っている所、国内外問わず行ってそこから生中継で、その土地の良さを紹介するような番組を作ってみたい」と綴っている。

アナウンス部に配属されアナウンサー第14期生として放送界にデビューする(同期には石原俊爾、稲生二平、木脇豊、杉崎一雄、田中啓生、田中良紹)。総合系アナウンサーとして各種番組に出演、報道記者、ナレーション等を担当後、ラジオ局第二制作部に異動、ディレクターに転身する。『キンキン・ケンケンのそれ行け歌謡曲』「ミュージックキャラバン」等を担当する。 制作局制作部に異動し『TBS歌えファンファーレ』を手始めに、以降、『火曜歌謡ビッグマッチ』、『トップスターショー・歌ある限り』、『輝く!日本レコード大賞』、『山口百恵さよならコンサート』、『キラリ・熱熱CLUB』、『音楽派トゥギャザー』、『アイラブバンド』等数多くのバラエティ・音楽番組を担当。

TBSではドラマや報道では盤石の強さを誇っていたが、ゴールデンタイムの音楽番組では苦戦し、山田が担当していた火曜20時枠も次々と打ち切りの憂き目に遭いドラマ制作へ。再び音楽班に戻り『トップスターショー・歌ある限り』を担当する。

制作局演出部の時、1978年1月から1989年9月には音楽番組の歴史を変えた『ザ・ベストテン』を企画・演出。独自集計のランキングや生中継などのアイデアを考え、画期的な演出で人気番組に育て第1回から最終回まで全ての放送分に関わった唯一の社員スタッフであり、『ザ・ベストテン』の生みの親と呼ばれていた。

飛行機が好きで得点ボードを羽田空港のソラリーボードを参考にして特注したり、とても冒険が好きで、番組名物でもある新幹線などのホームから生中継するなどの斬新な演出、異例の斬新で明るくて華やかで、毎週贅沢で奇抜なスタジオセットでの生放送。出演歌手に何もない所にスポットライトを当ててくれてから、陽の当たる芸能の道を歩くようになれたり、結構な無理難題を要求されたが、それに応えるのが快感だったり、演出もこだわりがあって妥協を許さず、歌と全く無関係であり、意味不明であり、謎のダンサーを歌手の周りに配置する「山田演出」が大きな話題を呼び、歴史に残る番組を手掛け、出演者の特徴を見極め、執念と情熱を出した結果の番組であり、一時代を築いた。山田自身は「何千万の人を一瞬だけど笑顔にする。そのために働くんだ。」と周囲に語っていて、「移動中の生放送出演は何よりリアリティを証明できる。今思うとよく撮影が許可されたものだ。旬の歌手が勢いよく成長していく時期を共有できたのが何より幸せ。歌詞や曲の世界観を元に毎週産みの苦しみでセットや演出を考え抜いた。作り手側の強いイメージを真摯に説明することで歌手からもアイディアをもらった。誰もが時間と知恵を惜しみなく注ぎ込んだ番組だった。」と回想している。追っかけマンの松宮一彦には『ザ・ベストテン』以降も音楽番組のキャスティング相談もしていた。司会者の黒柳徹子とアシスタントディレクターの阿部龍二郎は山田の事を「木曜日は、台風の中にいるみたいだった」としている。

『ザ・ベストテン』終了後は、制作局演出二部、制作局制作二部の副部長→部長を経て、制作局制作二部専門職部長兼ラジオ編成制作局制作部専門職部長(1993年2月25日)、スポーツ局スポーツ番組センター制作担当部長(1995年7月5日)、編成局HDソフト部長(1999年6月11日)、デジタル番組推進部長(組織変更、2000年12月1日)、編成局アナウンス部長(2001年6月4日 - 2005年6月22日。文献によってはアナウンス部長・副理事と記述あり)、経営企画局担当局次長(2005年6月23日)を歴任した。面倒見が良く、年に一度の『ザ・ベストテン』復活特番『同窓会』『復活版』のディレクター・プロデューサーも担当。

スポーツ局スポーツ番組センター制作担当部長としては長野冬季五輪閉会式、バレーボール世界選手権開会式等の演出を担当。

編成局アナウンス部長としては小島慶子、堀井美香、久保田智子、竹内香苗等多数の後輩アナウンサーを育成する。

2005年9月27日、同月末でTBSを定年退職することを記念した謝恩パーティーがキャピトル東急ホテルで開かれ、黒柳徹子、関係者などが一堂に会した。

TBS定年退職日となった2005年9月30日、直系の弟子にあたる同局プロデューサーの阿部龍二郎が自身の番組『中居正広の金曜日のスマたちへ』(以下、『金スマ』)で送別記念企画として制作した「波瀾万丈スペシャル『ザ・ベストテン』の真相」が放送され反響を呼んだ。

クリエイティブ・メディア・エージェンシー→キャスト・プラスに移り、音楽ユニット・テノール宇田松ライブ制作、ミュージカル制作等、演出・プロデュース活動も行う一方で、人の良いところを見つけるのが得意であり、惜しみ無き愛情を注いでくれたり、いつも言葉に温かみがあり、目が笑う優しい表情の人柄を表しているが、時には厳しく叱ってくれたり、公私と共に悩んでいるアナウンサーらの良き相談相手をすぐに務めたり、目の奥の鋭さでどこかを走っているように、笑顔やユーモアにとても皆を励まして、常務取締役、代表取締役社長、取締役相談役を歴任し、クリエイティブ・メディア・エージェンシー→キャスト・プラス及びTBSニュースバード各キャスターオーディション審査、タレント育成、人材発掘、テレビ番組監修も行う。

内外を問わずどこでも「修爾さん!」と、親しまれて、尊敬されて、愛されていたという。

『SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-』(以下、『SEMPO』)2008年の初演成功から5年との間に脚本変更からキャスティング、告知等、再演に向けて精力的に動いていたり、2013年3月には雑誌『昭和40年男』Vol.19取材中に何度か咳き込みながらインタビューをしていたり、5月にはCS TBSチャンネル監修番組『タマネギ頭〜徹子さん初体験バラエティー〜 久米宏とゴールデンコンビ復活』の収録にも来ていたりしていたが、7月末に入院。8月18日に病室に『SEMPO』の台本を送ってほしいと、8月24日には『SEMPO』の稽古場におにぎりの差し入れをしていたりと、『SEMPO』に対する思いやプロデュース活動に関する意欲は変わらなかったが、8月28日12時2分、東京都内の病院で死去。ストレスが影響していたとされている。『SEMPO』2013年版記者発表中に急逝したとの連絡が入り、これがプロデューサーとしての遺作で最後の作品となる(公演初日が山田の誕生日でもある)。山田の死は夜になると『SEMPO』出演者・スタッフ全員の言葉を失ってしまったという。

その2日後の2013年8月30日に放送された『金スマ』では、エンディング後に退職日と2010年3月5日放送の「金スマ波瀾万丈スペシャル 近藤真彦 前編」のVTRを一部放送して追悼テロップと共に哀悼の意が表される。さらに2013年9月27日放送の『金スマスペシャル』で“ザ・ベストテンの真実”と題した特集が放送され、『ザ・ベストテン』で長年司会を務めた久米宏と黒柳徹子がゲスト出演、その中で久米は『ザ・ベストテン』司会の降板に際し、他局で新たな報道番組(後の『ニュースステーション』)のキャスターを務める事を、報道が先行する中、真意を直接打ち明けないまま番組を去ることになってしまい、その事に関して山田に謝罪していなかったと告白した。

戒名は、「創見院篤誉修慧居士」(そうけんいんとくよしゅうえこじ)。墓所は青山霊園。

女優の吉永小百合は小・中・高校の1年先輩。歌手の荒木一郎は友人。ブラスバンド部の後輩等にはジャニーズがいたため、代々木西原の町は"芸能人"が生まれるところみたいだと随想していた。

黒柳徹子とは、『火曜歌謡ビッグマッチ』司会で山田と初めて組む。『ザ・ベストテン』司会以来、公私共に信頼関係を結ぶ。それ以降、『音楽派トゥギャザー』『輝く!日本レコード大賞』(第19,33-34回)『ドリーム・プレス社』『キズナ食堂』『スパモク!! THEテッパン』『タマネギ頭』でも組んでいる。黒柳の誕生会を開く際には阿部龍二郎、放送作家の野村正浩らと共に何人かで現れ、毎年には必ず、黒柳に花をくれたりもしていた。

中森明菜とは、デビュー当時から『ザ・ベストテン』に出演、家族ぐるみでの付き合いがある。

松田聖子はデビュー当時から『ザ・ベストテン』に出演していた。山田が毎年松田のコンサートを見に行っていた。内、2002年ではTBSが放送権を所有していた最初の収録会場のさいたまアリーナで、松田の娘・神田沙也加(当時・SAYAKA)が登場した際には、「親でもないのに、しょうがなくとも涙が出てしまった。」と回想している。

監修テレビ番組『タマネギ頭』に出演したクリス松村は、山田と音楽談義にやり取りをしていたり、『タマネギ頭』収録の合間には山田に『ザ・ベストテン』や歌について質問すると丁寧に答えてくれたといい、また、「『ザ・ベストテン』全放送を収めたDVD全集を出して欲しい!」と、クリスの無茶苦茶なリクエストにも山田はそれを答えてくれたという。

ラジオでザ・ベストテン〜放送30周年!みんなの「ザ・ベストテン」大検証〜(2009年4月26日、TBSラジオ)コメンテーター

テレビがくれた夢 山田修爾編(2013年3月24日、TBSチャンネル)

※特記ない限り、TBSテレビのもの。

TBS歌えファンファーレ(1971年 - 1973年)

火曜歌謡ビッグマッチ(1973年 - 1974年)アシスタントディレクター・ディレクター

トップスターショー・歌ある限り(1976年 - 1977年)ディレクター

第19回輝く!日本レコード大賞(1977年12月31日)制作スタッフ

ザ・ベストテン (1978年 - 1989年)ディレクター・プロデューサー

    SAMBA・TV ザ・ベストテン(2000年12月30日)プロデューサー・総合演出

    ザ・ベストテン2001(2001年12月30日)プロデューサー・総合演出

    ザ・ベストテン2002(2002年12月30日)プロデューサー・総合演出

    ザ・ベストテン2003(2003年12月30日)プロデューサー・総合演出

    ザ・ベストテン2004(2004年12月30日)プロデューサー・総合演出

    第20回輝く!日本レコード大賞(1978年12月31日)中継担当

    山口百恵さよならコンサート(1980年10月5日)ディレクター

    キラリ・熱熱CLUB(1988年 - 1990年)プロデューサー

    音楽派トゥギャザー(1989年)演出・プロデューサー

    アイラブバンド(1990年)プロデューサー・演出

    第33回輝く!日本レコード大賞(1991年12月31日)プロデューサー・演出

    第34回輝く!日本レコード大賞(1992年12月31日)プロデューサー・総合演出

    第35回輝く!日本レコード大賞(1993年12月31日)プロデューサー・演出

    第36回輝く!日本レコード大賞(1994年12月31日)プロデューサー・演出

    TBS新局舎完成記念 テレビ新世紀!感動の超有名人300人大集合 (1994年10月3日)プロデューサー・演出

    ドリーム・プレス社(2006年 - 2009年)

      ドリーム・プレス社SP(2006年7月26日)

      ドリーム・プレス社2時間SP(2006年10月20日)

      ドリーム・プレス社スペシャル(2007年4月6日)

      サカスさん(2009年)「サカス ザ・ベストテン」セット - ノンクレジット。

      キズナ食堂(2009年 - 2010年)

      スパモク!!「THEテッパン」(2011年6月3日)

      タマネギ頭(2012年 - 2013年、TBSチャンネル)

        タマネギ頭SP第1弾〜徹子さんおもてなしクイズ!〜(2012年)

        タマネギ頭SP第2弾〜徹子さんおもてなしクイズ!〜(2012年)

        タマネギ頭〜徹子さんおもてなしクイズ!〜(2012年)

        タマネギ頭〜徹子さん初体験バラエティー〜(2012年 - 2013年)

        タマネギ頭〜徹子さん初体験バラエティー〜 久米宏とゴールデンコンビ復活(2013年6月23日)

        ※特記ない限り、TBSラジオのもの。

        キンキン・ケンケンのそれ行け歌謡曲「ミュージックキャラバン」ディレクター

        民主党全国キャラバン政策アピールミュージカル「ふるさと再生-土と緑と水に」「幸福の王子-逆転の夏」(2007年)演出

        SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-(2008年、2013年)プロデューサー - プロデューサーとしての最後の作品。

        ザ・ベストテン 中森明菜 プレミアムBOX(2012年)映像制作

        ザ・ベストテン(2008年12月、ソニー・マガジンズ)ISBN 978-4789733724

        2012年1月に、新潮文庫で再刊(上記単行本の内容に「文庫版あとがき」を追加)ISBN 978-4-10-136341-7

        「エンタテインメンツ スポットバック 山田修爾さん 「ザ・ベストテン」でヒット順位を決めるTBS制作局演出部」『週刊朝日』第83巻第42号、朝日新聞社、1978年9月22日、45頁。 

        山田修爾(インタビュアー:STUDIO VOICE)「特集『歌謡曲の神話 ベストテン時代へのレクイエム』 証言 「ザ・ベストテン」TBSテレビ 元チーフ・ディレクター」『STUDIO VOICE Vol.197, INFASウェーブ』、1992年5月号。オリジナルの2014年12月5日時点におけるアーカイブ。https://web.archive.org/web/20141205060258/http://studiovoice.jp/?p=40154。2015年5月18日閲覧。 

        山田修爾「VIEWS-INTER-VIEWS テーマ特集 なぜTVから歌番組が消えたのか 今こそ、もう一度歌番組を作ってみようと考えている」『VIEWS』第3巻第9号、1993年5月12日、57頁。 

        山田修爾(インタビュアー:井上佳子)「TV・オブ・ザ・イヤー2005 各アワード受賞番組スタッフ&キーマンインタビュー 「ザ・ベストテン」元プロデューサー」『Quick Japan Vol.64, 太田出版』、2006年2月10日。 

        鈴木健司「interview 山田修爾 "異端"を目指し、自由奔放な発想が生んだ伝説の音楽番組」『調査情報』NO.487、TBSメディア総合研究所、2009年1 - 2月号、NAID 40016543896、NCID AA12288965。 

        山田修爾(インタビュアー:横田由美子)「週刊図書館 ひと」『週刊朝日, 朝日新聞出版』、2009年2月13日。 

        山田修爾(インタビュアー:波)「年末年始に読みたい新潮文庫の新刊『ザ・ベストテン』【インタビュー】いつまでもあの感動を」『波, 新潮社』、2012年1月号。オリジナルの2013年10月30日時点におけるアーカイブ。https://archive.is/20131030045050/http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/136341.html。2016年7月16日閲覧。 

        濱口英樹「連載特集 夢、あふれていた俺たちの時代。『ザ・ベストテン』放送開始 木曜9時は歌謡曲にクギ付け!」『昭和40年男』第2巻第3号、クレタパブリシング、2013年5月11日。 

        日刊ゲンダイ「今だから明かすザ・ベストテン秘話」(2010年、日刊現代)

        大谷隆之「ザ・ベストテンの時代。黒柳徹子×山田修爾」『REBOOT』Vol.4、ソニー・マガジンズ、2007年11月号、124-127頁、ISBN 978-4-7897-7016-3。 

        久保嶋教生、山田修爾、井口文雄、平岡正明「<特集>テレビの創る世界 “ザ・ベストテン” の場合 パネルディスカッション 日本文化の最表層 “テレビ歌謡曲”」『放送批評』No.173、放送批評懇談会発行、1983年11月号。 

        “「ベストテン」でもやってた口パク 第1号は光GENJIだった!?”. 日刊ゲンダイ. (2013年3月17日). オリジナルの2015年12月5日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20151205010003/http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/141454 2016年9月21日閲覧。 

        東京都出身の人物一覧

        慶應義塾大学の人物一覧

        TBSテレビのアナウンサー一覧

        ^ しつこさとねばりから細部までこだわり抜く演出で業界内でこう呼ばれていた事から。

        ^ 会社法人としては現在のTBSホールディングス。放送局としては現在のTBSテレビ・TBSラジオ。

        ^ 山田が学校から貸与された古いトランペットを使っているのを見かねた、兄の友人だった「“おとや”ちゃん」が、新しいトランペットを貸してくれたという。その後「“おとや”ちゃん」は17歳でこの世を去ったが、遺族からの「使ってもらいたい」という言葉もあり、そのトランペットはそのまま形見になったという。

        ^ TBSは1969年4月入社のアナウンサーについては一般職として採用後、アナウンサーとして養成していた。

        ^ 『ザ・ベストテン』放送開始当初はディレクターだったが、1981年からはプロデューサーも兼務。

        ^ 「オールアナウンサー大同窓会」『TBS社報』No.701、TBS、2002年4月号、2頁、 オリジナルの2004年6月12日時点におけるアーカイブ。「現役組は、山田修爾アナウンス部長。入社時、アナウンス部に籍を置いていたことを知る人は少なくなりましたが、50年の歴史を意識しながら、当時の社会的な出来事を織り交ぜての熱演となりました。」 

        ^ “追悼抄=遺品の思い出 山田修爾さんのラジオ”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 11. (2013年12月14日) 

        ^ 日外アソシエーツ 編『日本著者名・人名典拠録 に〜わ』 3巻(新訂増補)、日外アソシエーツ、2002年7月25日、1462頁。ISBN 4-8169-1715-2。 

        ^ 安倍寧 (2013年9月27日). “ミュージカル『SEMPO』は山田修爾さんの忘れ形見”. 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba. サイバーエージェント. 2014年5月22日閲覧。

        ^ “みのもんたの朝ズバッ! 2013/09/03(火)放送”. TVでた蔵. 富士ソフト. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。

        ^ “みのもんたの朝ズバッ! 2013/09/04(水)放送”. TVでた蔵. 富士ソフト. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。

        ^ 深津瑠美 (2013年9月3日). “修爾さん、ありがとう。”. 深津瑠美 オフィシャルブログ Powered by Ameba. サイバーエージェント. 2014年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。

        ^ 「allTBS 紳士・淑女録 第8回「制作局の巻」 ●制作二部」『TBS社報』、TBS、1992年4月16日、36頁。「シツコサとネバリで、業界ではマムシの異名を持つ山田修爾。その姿を見ると気の弱いマネージャーなどコソコソ隠れる者もいる程だが、意外、ロシアでは一番の人気者でモテまくったとか。」 。

        ^ 山田修爾 2008, p. 195, §6.

        ^ “山田修爾さん 出演番組のお知らせ”. TBS CS[TBSチャンネル]. TBS (2013年8月29日). 2014年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月8日閲覧。

        ^ “「ベストテン」生みの親、山田氏通夜”. デイリースポーツ. (2013年9月2日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/09/02/0006303905.shtml 2013年10月12日閲覧。 

        ^ “黒柳徹子 山田修爾さん告別式で涙の弔辞”. サンケイスポーツ. (2013年9月3日). オリジナルの2013年10月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131014132811/http://www.sanspo.com/geino/news/20130903/oth13090319580031-n1.html 2013年10月12日閲覧。 

        ^ “黒柳徹子が涙、山田修爾さんとの出会い「宝物」”. サンケイスポーツ. (2013年9月4日). オリジナルの2013年10月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131014133504/http://www.sanspo.com/geino/news/20130904/oth13090405010005-n1.html 2013年10月12日閲覧。 

        ^ “「ザ・ベストテン」山田プロデューサー告別式 黒柳、吉川が弔辞”. スポーツニッポン. (2013年9月4日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/09/04/kiji/K20130904006545760.html 2013年10月12日閲覧。 

        ^ “「ベストテン」ランク操作なし黒柳証言”. デイリースポーツ. (2013年9月3日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/09/03/1p_0006306341.shtml 2013年10月12日閲覧。 

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          ^ “ザ・ベストテン2004”. TBS. 2015年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。

          ^ “80's ライブコレクション キラリ・熱熱CLUB「ECHOES」(制作:1989年)”. TBSチャンネル. 2013年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月10日閲覧。

          ^ “流行歌(うた)を探して”. 日本経済新聞: p. 36. (1989年11月2日). "「だからこれからは、器楽が勝負。制作者の感性が一段と問われる」とプロデューサーの山田修爾氏は腕をさする。" 

          ^ “90’s ライブコレクション アイラブバンド「東京少年」(制作:1990年)”. TBSチャンネル. 2013年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月10日閲覧。

          ^ “90's ライブコレクション アイラブバンド「FLYING KIDS」(制作:1990年)”. TBSオンデマンド. 2013年10月10日閲覧。

          ^ “第34回輝く!日本レコード大賞”. TBSチャンネル. 2013年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月10日閲覧。

          ^ テレビ人間図鑑 TBS「レコード大賞」プロデューサー山田修爾さん”. 東京新聞朝刊: p. 10. (1994年12月28日) 

          ^ “ドリーム・プレス社”. TBS. 2015年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。

          ^ “ドリーム・プレス社SP”. TBS. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。

          ^ “ドリーム・プレス社2時間SP”. TBS. 2015年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。

          ^ “ドリーム・プレス社スペシャル”. TBS. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。

          ^ 山田修爾 2008, p. 238, §スペシャル対談.

          ^ “民主党キャラバンサイト : キャラバン概要”. 2013年10月27日閲覧。 “主なスタッフ 演出 山田修爾”

          ^ “no.486~no.491 - TBSメディア総合研究所”. TBSメディア総合研究所. 2015年5月18日閲覧。

          ^ “放送批評バックナンバー(1983年)”. 2013年10月10日閲覧。

          日本民間放送連盟 編『民間放送全職員人名簿 昭和45年度版』岩崎放送出版社、1970年11月1日。 

          神山典士「自殺松宮一彦と降板久米宏を結ぶ「運命の糸」」『現代』第33巻第12号、1999年12月、92-102頁。 

          TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報

            資料編

            付録のDVD-ROM『ハイブリッド検索編』

              ラジオ番組データベース

              『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書。PDFファイル。全34ページ)

              『TBS社報』再録(東京放送から発行された社内報掲載記事からの再録。PDFファイル)

                「TBS紳士録」『TBS社報』NO.433、TBS、1976年8月12日、8-12頁。 

                「allTBS 紳士・淑女録 第8回「制作局の巻」」『TBS社報』、TBS、1992年4月16日、34-40頁。 

                日外アソシエーツ 編『日本著者名・人名典拠録 に〜わ』 3巻(新訂増補)、日外アソシエーツ、2002年7月25日。ISBN 4-8169-1715-2。 

                『別冊ザテレビジョン ザ・ベストテン〜甦る!80' s ポップスHITヒストリー〜』角川インタラクティブ・メディア〈カドカワムック No.210〉、2004年12月24日。ISBN 4-04-894453-3。 

                日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2012〜2014』日外アソシエーツ、2015年3月25日。ISBN 978-4-8169-2527-6。 

                黒柳徹子『トットひとり』新潮社、2015年4月25日。ISBN 978-4-10-355007-5。 

                黒柳徹子「テレビ女優第一号のとっておき秘話 昭和のテレビは面白かった」『文藝春秋』第94巻第1号、文藝春秋、2016年1月、190-204頁、2017年7月15日閲覧。 

                外部リンク

                株式会社キャスト・プラス

                この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。

                VIAF

                日本

                TBSテレビのアナウンサー

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                日本のテレビプロデューサー

                21世紀日本の実業家

                ザ・ベストテン

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                東京都区部出身の人物

                1945年生

                2013年没

                言葉を濁した記述のある記事/2013年

                外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年6月

2025/04/03 16:39更新

yamada syuuji


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