南野陽子の情報(みなみのようこ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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南野 陽子さんについて調べます
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南野陽子と関係のある人
山崎静代: 幼い頃からおニャン子クラブや南野陽子などのアイドルに憧れ、全日本国民的美少女コンテストやモーニング娘。 広谷順子: 南野陽子「HELLO GOOD MORING」「私だけ見てて」「真夜中のメッセージ」「聖夜(クリスマス)物語」 都倉俊一: 鈴木雄大や南野陽子、BaBeを擁した芸能プロダクション「株式会社エスワン・カンパニー」を経営していたが、1989年に南野が独立、翌年の1990年にはBaBeの二階堂ゆかりの妊娠・結婚で急遽グループは解散。 浅香唯: 女性歌手では南野陽子、工藤静香、中森明菜に次ぐ記録であった。 おおた慶文: 『SNOWFLAKES』(CBSソニー、歌・南野陽子、CD付録のブックレット、1988) 旭孝: 南野陽子 西村知美: 2012年2月28日、南野陽子・森口博子との3人組ユニット「Blooming Girls」の結成を発表した。 芳本美代子: 芳本もまた歌手一本でのスタートとなったが、社会現象にまでなったおニャン子クラブを始め、斉藤由貴、南野陽子、中山美穂など、超激戦区となった85年デビュー組の中で大健闘を見せた。 森永奈緒美: 秋のドラマSP「南野陽子のおかしなおかしな大脱走」(1988年10月5日、TBS) 橋本美加子: 同期デビューに、本田美奈子・森川美穂・中山美穂・南野陽子・森口博子・斉藤由貴・大西結花・芳本美代子・井森美幸・浅香唯・石野陽子・松本典子・おニャン子クラブなど、のちにトップアイドルになる華々しい顔ぶれと並んでのデビューだった。 木戸やすひろ: 南野陽子「せいいっぱいの想い出」「エイプリル・フール」「ガラスの海で」「トラブル・メーカー」作曲 森川美穂: 同期には本田美奈子、中山美穂、南野陽子、大西結花、斉藤由貴、森口博子、芳本美代子、浅香唯など、のちにトップアイドルになる顔ぶれと並んでの華々しいデビューだった。 浅香唯: 中山美穂、工藤静香、南野陽子と共に「アイドル四天王」と称され、「日本一忙しいアイドル」とも称された。 中山美穂: 同期には浅香唯、おニャン子クラブ、河合その子、斉藤由貴、本田美奈子、松本典子、南野陽子、森川美穂、芳本美代子など、のちにトップアイドルになる華々しい顔ぶれと並んでのデビューだった。 いしのようこ: 堀越高校時代は、本人を含めた同級生に「ようこ」が複数人いた(長山洋子、南野陽子)ため、本人曰く「仲間内での愛称問題が勃発した」という。 来生えつこ: 南野陽子 広川ひかる: 南野陽子 伊藤かずえ: いとうまい子、比企理恵 、南野陽子、田中美奈子とは仲良しで長年の交流がある。 土屋統吾郎: アリエスの乙女たち(1987年、大映テレビ、フジテレビ)主演:南野陽子 若林志穂: 同時期のアイドルに本田美奈子、中山美穂、南野陽子、斉藤由貴、井森美幸、浅香唯、森口博子らがいる。 菊地陽子: 高校の同級生に岡田有希子、本田美奈子、南野陽子、長山洋子、高部知子、倉沢淳美、宮崎ますみ(宮崎萬純)、田中久美、岡村有希子(渡辺かえ)、松本友里、柴田くに子(森丘祥子)、長沢由利香、河上幸恵、松尾久美子、森奈みはる、永瀬正敏、片岡孝太郎などがいた。 岡田有希子: 1984年の同期デビューだった菊池桃子や荻野目洋子、1967年度生まれで堀越高校の同級生だった南野陽子、いしのようこ、長山洋子、宮崎萬純らと仲が良かった。 松田聖子: これはピンク・レディーが当時持っていた9曲連続を大幅に塗り替える記録であり、1980年代当時「アイドル四天王」と呼ばれた南野陽子・中山美穂・浅香唯・工藤静香の1位獲得記録の合計を上回るものであった。 喜多川拓郎: 秋のドラマSP「南野陽子のおかしなおかしな大脱走」(1988年、TBS) ミラクルひかる: 南野陽子 酒井法子: 女性アイドルでは南野陽子、工藤静香、中森明菜、浅香唯、中山美穂、荻野目洋子、松田聖子に次ぐ記録であった。 長戸大幸: 南野陽子 田中秀夫: 『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』主演の南野陽子について、根性があり叱っても泣いたりしなかったと評している。 大谷和夫: 南野陽子「土曜日3時ステラ・ホテル」「カリブへ行きたい」「どうやって愛したらいいの?」「眠り姫の不幸」「SPLASH」「天使のアーチェリー」 田中久美: クラスメイトには同じホリプロ所属の河上幸恵(ホリプロの寮でも一時期同室だった)や桑田靖子、岡田有希子、岡村有希子、倉沢淳美、高部知子、長山洋子、本田美奈子.、松尾久美子、南野陽子、宮崎萬純などがいる。 |
南野陽子の情報まとめ
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南野 陽子(みなみの ようこ)さんの誕生日は1967年6月23日です。兵庫出身の女優のようです。
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人物、ディスコグラフィなどについてまとめました。現在、父親、母親、テレビ、ドラマ、映画、卒業、結婚、離婚、病気に関する情報もありますね。去年の情報もありました。南野陽子の現在の年齢は56歳のようです。
南野陽子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)南野 陽子(みなみの ようこ、1967年〈昭和42年〉6月23日 - )は、日本の女優・タレント、歌手。愛称はナンノ。兵庫県伊丹市出身。1999年から2022年末までケイダッシュ所属。現在の所属は個人事務所サザンフィールド。 1967年6月23日、近畿中央病院で産声を上げる。父親が島田陽子のファンであったことと、太陽のように明るく育って欲しいとの思いから、「陽子」と名付けられる。尼崎市立塚口小学校・伊丹市立伊丹小学校を経て、神戸市の私立松蔭女子学院中学・高校へ入学。同校在学中、友人と大阪の公開番組を観覧したときスカウトされる。両親から猛反対を受けるが、「私の人生なんだから、私が決める」と芸能界入りを決意。衣替えしていたのを見た母親は娘が家出すると勘違いし学校に相談。教師が「南野が歌手になるらしい」と他の生徒に発表して級友からお別れのカードを贈られるなどあとにひけない状況になったため、やむなく上京したという。 高校2年生の夏に上京し、CBSソニーのオーディションを受けて合格する。CBSソニーでは山口百恵をプロデュースした酒井政利のセクションの担当となる。堀越高等学校に3学期から編入。1984年秋、テレビドラマ『名門私立女子高校』(日本テレビ系)の生徒役で女優デビュー。 18歳の誕生日である1985年6月23日に「純だね、陽子」「可憐だね、陽子」のキャッチフレーズのもと、CBSソニーから「恥ずかしすぎて」で歌手デビュー。この時講談社の週刊少年マガジンで表紙を、「DELUXEマガジン」でいきなり36ページの巻頭ページを飾る。 1985年8月:日生劇場「リトルウィミン-若草物語」で舞台デビュー。 1985年11月:フジテレビ系ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で主人公の2代目・麻宮サキ役を演じる。アイドルが孤独と戦いながらハードアクションに挑むという過去に例を見ない設定は、小さい子供からハイティーンまで熱烈なファン層を生み、一躍トップアイドルの座を獲得。「おまんら、許さんぜよ!」の決め台詞も流行した。1986年3月発売の写真集『陽子をひとりじめ……』は、それまで最高に売れたと言われる薬師丸ひろ子の記録を抜き、当時の女性アイドルの写真集の発行部数でトップとなる。出演ドラマ・CMもヒットし、「10代の女神」と称されるなど当時のティーンエイジャー層に絶対的な人気を誇った。 デビュー時からニッポン放送でラジオ番組「南野陽子 落書きだらけのクロッキー・ブック」でパーソナリティを務め、1986年10月2日からニッポン放送の『南野陽子 ナンノこれしきっ!』開始。1990年6月24日に終了。当時ニッポン放送で2番目にハガキの多かった番組の3倍のハガキが届く伝説の番組となった。アイドル番組史上最も人気のあったラジオ番組のひとつとされ、ドラマや歌番組では伝わらない素顔や魅力を、ラジオが最大限に引き出すことを証明した。 1987年:2月、映画『スケバン刑事』主演。主題歌の『楽園のDoor』で初のオリコンチャート第1位を獲得。ドラマ、映画、レコード、写真集とヒット作を連発し、「カリスマアイドル」「ナンバーワン・アイドル」と称される活躍を示す。 1987年にリリースされた『楽園のDoor』『話しかけたかった』『パンドラの恋人』『秋のIndication』の4作全てで週間チャート1位を獲得し、この年の日本レコードセールス大賞アーティスト別年間シングルセールスで1位を獲得。 その後も『はいからさんが通る』『吐息でネット。』『あなたを愛したい』『秋からも、そばにいて』などヒット曲を連発。 8曲連続オリコン1位を記録(間をおいて「フィルムの向こう側」で1位を獲得。計9曲)。1987年2月から1990年2月までの3年間で、1位を最も多く獲得した歌手となった。 曲と同名映画『はいからさんが通る』では、主演・南野の衣装が評判を呼び、卒業式や成人式に女子が大正ロマン風に袴を履くスタイルが広まった。 1988年:NHK大河ドラマ『武田信玄』に出演。1人2役を演じて注目を集める。初回視聴率42.5%と歴代大河ドラマ初回視聴率の最高記録を塗り替え、"ナンノ現象"と呼ばれた。この頃ハードスケジュールから腎盂腎炎を発症し13日間入院。仕事は続けていたため病院からテレビ局に通い、当時のヒット曲『吐息でネット。』を歌った。カネボウ化粧品の春のキャンペーンガールに起用され、CMソングとなった同曲は、自身最大のセールスを記録する代表曲となる。3月リリースのベスト・アルバム『NANNO Singles』はオリコンアルバムチャートで2週連続1位、4月のマンスリーチャートでもアルバム・LP・カセット・CDの四部門全てでトップと四冠を達成する。 またフジカラー、ONKYO、グリコ、富士通、JR西日本などCF出演クライアント数11社、関連商品数15件と、多数の企業のイメージキャラクターに起用されCMに出演。 この年のフジテレビ系ドラマ『熱っぽいの!』『追いかけたいの!』の二作品に主演し、コミカルで愛らしいキャラクターを演じた。当時の『ザテレビジョン』誌上のランキング人気投票では人気タレントやトップアイドルの名前が並ぶ中、俳優部門・歌手部門の両方で1位を獲得している。全投票合計数でも、1987年から1990年まで4年連続で、女性タレントでトップであった。 ブロマイド年間売上成績でも第1位を獲得。また同年グレナダが発行する『世界のスター切手』にティナ・ターナー、マドンナ、エルトン・ジョン、ブルース・スプリングスティーンと共に、日本のスターとして切手の題材となる。 1989年:7月リリースのスタジオ・アルバム『GAUCHE』がオリコンアルバムチャート1位を獲得。8月、日本テレビ系列『24時間テレビ』のチャリティー・パーソナリティを務める。東南アジアの各国(カンボジア・タイ王国・ベトナム)を取材し学校や病院、孤児院などを訪問。現地の子供たちと交流した様子をリポート。同国への小児病院建設のための募金を呼び掛けた。また、自身の楽曲「思いのままに」が番組のメイン・テーマ曲として使われた。12月、フジテレビ系ドラマ『あいつがトラブル』主演。 同年、当時の所属事務所エスワン・カンパニーから独立、個人事務所サザンフィールド設立、歌手活動はビーイングと業務提携した。 80年代後半に最も活躍した女性アイドル4人(南野、中山美穂、浅香唯、工藤静香)は当時アイドル四天王と呼ばれていた。 別冊宝島の調査によると、1980年代のシングル総売上は年間ベスト50位以内に限っても232.2万枚と当時の女性アイドル中6位。年間ベスト50位以内ランクイン曲数も10曲と当時の女性アイドルでは中森明菜、松田聖子に次ぐ3位であった。 90年代以降は主に女優業を中心に活動。舞台を含め250作以上の作品に出演。文芸作品からサスペンス、時代劇、コメディなど、幅広いジャンルで活動を続けている。 1990年:ウィーン・オーパンバルでデビュタントとして、社交界デビュー。 1992年:歌手活動休止。女優業に専念。映画『寒椿』、映画『私を抱いてそしてキスして』主演。第16回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。 1995年3月:帝国劇場で公演された舞台『ゆずり葉の井戸』に出演。以後、舞台出演は年1本ペースで女優として活動の幅を広げる。 1999年:ケイダッシュへ移籍する。 2005年:歌手デビュー20周年で、ソニー・ミュージックエンタテインメントより6月22日全アルバムを収納したCD-BOX『南野陽子 ナンノ・ボックス』9月28日『ナンノ・DVDボックス』、ポニーキャニオンより7月27日「はいからさんが通る/吐息でネット」をセルフカバー・マキシシングルとして発売。 2006年:芸能生活20周年企画として、自身のドラマ・歌手・映画・舞台の各シーンを再現したフィギュア「NANNO FIGURE」を発売。同年12月、第2弾としてグラビア編も登場。 2006年10月2日:ニッポン放送のラジオ番組『南野陽子 今日はナンノ日っ!』がスタート。十数年のブランクを経てラジオ番組のパーソナリティを5年間にわたり務めた。 2007年4月4日:フジテレビ系『森田一義アワー 笑っていいとも!』の水曜日レギュラーとなった。 2008年4月3日:笑っていいとも木曜日レギュラーへ移動し、2009年10月1日まで2年6か月間出演した。9歳から住んでいた兵庫県伊丹市から、同市をPRする「伊丹大使」の委嘱を受けた。 2008年12月:テレビショッピング専門チャンネルのQVCにて、女優の普段着をコンセプトにした本人企画・デザインのブランド「Actress Princess」を立ち上げる。 2010年4月:NHKEテレ「芸能百花繚乱」進行役就任。2013年4月からは、番組リニューアルにより「にっぽんの芸能」全体の司会進行をNHKアナウンサーの古谷敏郎と共に務める。 2010年11月:『ナンノ・アニバーサリー25th』、2011年2月『ReFined-Songs Collection 〜NANNO 25th Anniversary』リリース。 2011年3月:知人を介して焼肉店で知り合っていた4歳年下の会社経営者の男性と結婚。報告会見で自身も晩婚と認めていたことと代表作がスケバンであったことから「スケバン(晩)婚」とギャグを行った。 2012年6月13日:森口博子・西村知美とのユニットを結成。(「Blooming Girls」として「Knock!! Knock!! Knock!!」でCD発売。) 2013年8月:公式ファンクラブ「Nanno Club」会報100号(通巻101号)で9月30日付でファンクラブ活動終了を発表。9月2日: Facebook南野陽子公式ページ「Nanno Club part3」開設。 2015年12月9日: 歌手デビュー30周年記念盤として、『ゴールデン☆アイドル 南野陽子 30th Anniversary』をリリース。 2016年2月:約25年振りとなるソロコンサート「~南野陽子デビュー30周年記念コンサート~NANNO 30th ANNIVERSARY」を大阪・東京で、計6公演開催。同年6月26日:デビュー30周年記念コンサートの追加公演「〜南野陽子デビュー30周年記念コンサート〜NANNO 31st ANNIVERSARY〜シンデレラ城への長い道のり〜」を舞浜アンフィシアターにて開催。 2018年:NHK大河ドラマ『西郷どん』に出演。 2020年:TBS『半沢直樹』に出演。 2023年:カンボジア親善大使に任命される。 2023年11月27日:夫と離婚したことを発表。南野は「お互いに今向き合うべきことから目を背けることなく、今後の人生を歩んでいきたいと思います」とコメントしている。 人物人柄アイドル時代、ロケ先などで缶飲料はそのまま口を付けては飲まずに、缶にストローを刺して飲む独特のスタイルで知られた。 小学6年生当時の自身の将来の夢は、イラストレーターか中国語の通訳か社長秘書。高校生時代にスカウトされるまで、芸能界への興味はあまり無かったという。 仕事などから帰宅してすぐに、必ず5分は、自宅の清掃を行うという。これは、オンとオフを切り替えるための儀式のようなものであるという。また、日課として最低1時間は風呂に入り、様々なことをしてリラックスするという。 美肌女優の評判がある南野 ではあるが、仕事時のメイクの9割以上は自分でこなしているという。 髪型は「スケバン刑事Ⅱ」の頃からハーフアップにすることが多く、南野の定番スタイルとなっている。ハーフアップやポニーテール、レースやモヘヤの衣装といった柔らかいイメージのビジュアルとなっていったのは、多くのアイドルがひしめいていた中で他と差別化する意図もあったと語っている。 香水は資生堂の「シャワーコロン」から始まり、資生堂「インウイ」、カルバンクライン「エスケープ」を経て、イヴ・サンローラン「ベビードール」、エスティローダー「プレジャーズ」などを愛用していた。 基本、運動はしないものの、36歳の時に行った富士登山をきっかけに、登山を楽しむようになった。 南野の愛称は「ナンノ」であるが、実はそれこそが一族本来の名字の読みだったことがNHKのファミリーヒストリー(2023年6月2日放送)で判明した。 親族・交友関係南野の父方の先祖は明治の頃、兵庫県前坂村(現・西脇市黒田庄町前坂)で農業や馬喰を生業としていた。南野は2011年に母を亡くし、兵庫県の実家に、一人残された父は気分が沈みがちになったため、心配した南野は東京の自宅に父を呼び寄せ、一緒に生活をしていたが、2022年に父も亡くなった。 本田美奈子.とは芸能界で最大の親友であり、CMで共演した。また、岡田有希子とも仲が良かった。二名とも南野の堀越高等学校在校時のクラスメートである。堀越高校のクラスメートには他に倉沢淳美、桑田靖子、柴田くに子(セブンティーンクラブ)、田中久美、長山洋子、松尾久美子、松本友里、宮崎萬純などが居る。 松本典子が南野のコンサートを観に行った際に関係者の紹介で楽屋へ訪問したところ、南野の方から「電話番号おしえてください」と声をかけられ、同じレコード会社で考えも似ているところがあることから交友が深まったという。松本はその後南野のラジオ番組に出演しその際のエピソードを披露している。また南野が病気で倒れた際は、南野に代わり『ナンノこれしきっ!』の代理パーソナリティを務めた。 逸話『ナンノこれしきっ!』で南野のモーニングコールが録音された「ナンノで起きろカセット」のプレゼント企画をしたところ、それまで最大だったチェッカーズの10万枚を上回る、ニッポン放送史上最大の15万通のハガキの応募が集まった。また、上記の企画で集まった大量の応募ハガキを、雑誌のカメラマンが「上に投げてみて」とリクエストしたところ、南野は「リスナーが書いてくれた大切なハガキを投げるなんて、できません」とはっきり断った。番組ディレクターの松島宏は、南野を「ファンの気持ちをとても大切にする人」であると語っている。 「好きなヒーロー、テレビ番組は『超人バロム1』」と公言し、『ナンノこれしきっ!』内でもしばしば話題に取り上げていた。また、TBSで放送されていた『テレビ探偵団』において、子供の頃好きだった番組は「北斗と南が2人で変身するまでの『ウルトラマンA』」と答え、「2人で変身してこそエース」と発言している。 マイクロキャビンのアクションロールプレイングゲーム『サーク』に、南野演じる南条円そっくりの看護師が出てくる。主人公ラトクに「熱っぽいの?」と聞くと、ラトクは「ナンノこれしき!」と答える。 新曲を発売する度に歌番組で着用する衣装を自らデザインしていたが、先輩の中森明菜からは大きな影響を受けていたという。衣装の自作は自分の個性を出すためであると同時に、ファンが真似て着てもいいようにと、派手にならず価格も安くあげていたという。歌番組では他の出演者の衣装の色と被らないようにしたり、セットと衣装との兼ね合いなど、画面で見たときに華やかに見えて視聴者に喜んでもらえるようにと、様々な部分でこだわりがあったと語っている。また、振付は多忙でレッスンを受ける時間が無かったため、移動中の車の中で自ら考案していた。当時は毎日が紅白歌合戦のようだったと述懐している。 『ザ・ベストテン』のプロデューサー・山田修爾は、年一回、年末に『ザ・ベストテンスペシャル』をやる時、ランスルーで自分の出番が終わっても最後まで3~4時間、ずっとMC席に座って他の歌手の歌を聞いていたのが南野と中森だったと語っている。 夜の9時を過ぎるとテレビが消されてしまう家庭で育ったので、『ザ・ベストテン』に自身が出演するようになった際は(第10位からカウントダウン形式で発表される中で)早く出ないと小さな子が見られなくなるのでランクは低い方が良いと番組内で語っていた。『話しかけたかった』で初めて2位になった際は「よい子のみなさん、遅くまで起きてくれてどうもありがとう。」と番組を見ている子供達へ向けてメッセージを送った。 日本テレビ系『歌のトップテン』に出演した際、南野をモデルにした作品を文化祭に出展したことがきっかけで、番組にゲストとして呼ばれた男子高校生と握手する時、衣装の長い右手袋をわざわざ取って、直に握手したというエピソードが残っている。1988年11月放送。 デビューした時、「3年間は男の子と口をきかない」と決めて、それを守った。アイドルだから変なことで噂になってはいけないと思い、他の役者とも挨拶や打ち合わせ以外では話さなかった。ストイックにファンの人が嫌がることはしないと決めていたという。歌番組で他のアイドルが男子からちょっかいを出されていても、話しかけるなオーラを出していた南野には一度も無かった。1位を獲るまでは男の子とは話さない、好きな食べ物を我慢するなど自らを律していたという。 『スケバン刑事II』に出演していた頃にフジテレビ局内でとんねるずの石橋貴明が彼女とすれ違った時、あまりの綺麗さに衝撃を受けたらしい。1988年の正月特番『ナンノこれしき とんねるず』で石橋は「前から応援していた本当の(南野)ファン」と語った。南野は、歌番組で一緒に居ると安心したのがとんねるずだったと語っている。その後TBS『時間ですよ』、フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげです』などで多く共演を果している。 『歌のトップテン』の司会者だった徳光和夫は当時を振り返り、「テレビ局のスタッフも南野さんのあまりの綺麗さにざわついた」と語っている。 『ザ・ベストテン』のプロデューサー・山田修爾は、南野の番組初出演時を振り返り、「会う前は、また、ちょっと可愛コちゃんか、くらいにしか思ってなかった。が、会った途端、ボク流の見方でいうと『スター』らしさがあった。エライ美形なんです。正直、新鮮な驚きでしたね」と語り、また、「南野陽子の魅力は、単なる可愛いコではないゾ。ということに尽きると思いますが、加えて、これまでの芸能界にはなかった品があるからではないでしょうか。しかし、スター性がある。それが南野陽子の価値だと思っています」と語っている。 GLAYのTAKUROと氣志團の綾小路翔がタクシーを止めたところ、乗車拒否された。そのタクシーが少し走った先で止まり客を乗せていたため、誰だと思い見てみるとその乗客は南野であった。また、中森明菜が後年、当時活躍していた女性アイドルでもし喧嘩したら負けそうなアイドルは誰か尋ねられた際、中森は南野の名前を挙げたという。 2007年『笑っていいとも!』レギュラー出演が決まった際の会見では、「活躍は出来ないと思います」と語った。しかし、2008年5月 - 9月まで放送されたクイズコーナー「ザ・共通10」での正答率は高く、正解回数は1位だった。また最速正解記録も持っており、わずか6秒で正解していたことが「ザ・共通10ファイナル(最終回)」にて発表された。年末恒例の『笑っていいとも!特大号』の「ものまね歌合戦」コーナーにも出演、2007年はにしおかすみこを、2008年は鳥居みゆきをそれぞれ披露した。 音楽性正統派アイドルと称された南野は、音楽志向の強かった中森明菜や本田美奈子と異なり、伝統的なアイドル・シンガーであった。『ジェラート』から『GARLAND』の頃まではひとりの少女の成長を見守るように一曲一曲が作られ、山口百恵、松田聖子の系譜に並ぶ、ソニー謹製・正統派アイドルソングの宝庫となっている。南野が学生時代を過ごした神戸三宮辺りのノーブルな佇まいを醸し出す上品でクオリティの高い楽曲群は、デビュー以来南野のサウンドを支えてきたCBSソニーの担当ディレクター・吉田格、編曲家の萩田光雄の功績に他ならない。 CBSソニーの女性アイドルには、天地真理、南沙織、浅田美代子、キャンディーズなどが居たが、ディレクターの吉田は、そうしたエンターテインメントの時代の路線ではなく、自分のライフスタイルを歌にしてポップなメロディに乗せる、松任谷由実や竹内まりやのような路線を意識していたという。作曲家陣も木戸やすひろ、岸正之、亀井登志夫、柴矢俊彦、国安わたるといったメンバーで、作詞者も小倉めぐみ、康珍化、戸沢暢美といった布陣。従来の歌謡曲やアイドル・ポップスを手掛けてきた職業作家達ではなく、バンド経験者やシティ・ポップ系のシンガー・ソングライターによる楽曲が主流であった。 太田裕美や山口百恵が所属していたCBSソニーの吉田の制作部署では、"萩田光雄"という編曲家は絶対的な存在であったという。南野のデビュー当時は既に打ち込みが主流の時代となっていたが、萩田はデジタルと生楽器をブレンドしてオーガニックな手触りを引き出す手法を用いて、軽やかな南野のボーカルを立たせるエレガントなサウンドを構築した。南野の清楚なお嬢様イメージには、萩田の上品なサウンドが大きく貢献していた。 萩田は、個人的に最も楽しかった仕事は南野のプロジェクトであったとし、次のように語った。 ディスコグラフィ※最高位はオリコン調べ シングル
アルバム
映像作品・DVD-BOX
2024/06/17 14:36更新
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minamino youko
南野陽子と同じ誕生日6月23日生まれ、同じ兵庫出身の人
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