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河合隼雄の情報 (かわいはやお)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

河合隼雄の情報(かわいはやお) 心理学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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河合 隼雄さんについて調べます

■名前・氏名
河合 隼雄
(読み:かわい はやお)
■職業
心理学者
■河合隼雄の誕生日・生年月日
1928年6月23日 (年齢79歳没)
辰年(たつ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和3年)1928年生まれの人の年齢早見表

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河合隼雄と関係のある人

角田光代: 2014年 - 『私のなかの彼女』で第2回河合隼雄物語賞受賞。


村上春樹: 河合隼雄は、『羊をめぐる冒険』について、現代青年の直面している心理的内容が「羊男」というイメージに見事に具象化されており、夏目漱石の『三四郎』で主人公が出会った「ストレイ・シープ」のイメージと比較すると現在がどれほど違った世界になっているかよく実感できると述べている。


近藤信司: 生涯学習政策局長、初等中等教育局長、文部科学審議官を経て河合隼雄の病気退任により2006年文化庁長官に就任。


河合幹雄: 日本法社会学会理事、河合隼雄財団評議員、AV人権倫理機構理事を歴任。


河合幹雄: 早稲田大学法学部兼任講師、法務省矯正局における「矯正処遇に関する政策研究会」の委員、日本法社会学会の理事、日本被害者学会理事、日本犯罪社会学会常任理事、横浜市奨学生選考委員、警察庁警察大学校特別捜査幹部研修所教官、法務省刑事施設視察委員会委員長、公益財団法人全国篤志面接委員連盟評議員、公益財団法人矯正協会業務執行役員候補者審議委員会委員、一般社団法人モバイルコンテンツ審査・運用監視機構基準策定委員会委員、一般財団法人河合隼雄財団評議員、特定非営利活動法人知的財産振興協会AV業界改革推進有識者委員会委員等も歴任。


吉本隆明: 養老孟司、小川国夫、高橋源一郎、河合隼雄、辻井喬


ワスラフ=ニジンスキー: 『未来への記憶』 河合隼雄、岩波書店、2001年 ISBN 978-4004307075


内橋克人: 『現代日本文化論4 仕事の創造』河合隼雄共同編集 岩波書店 1997


多田富雄: 『白洲正子を読む』(青柳恵介、安土孝、河合隼雄他、求龍堂、1996)


安部公房: また、1991年12月3日に行なった河合隼雄との対談のなかで、安部は昔から椎名麟三が好きだったとし、もしかしたら日本で作家と言えるのは椎名だけではないかと述べている。


岡田淳: その前兆の一つとして『子どもと悪』(河合隼雄〈後の第16代文化庁長官〉著、岩波書店)が人気となっていたことを挙げ、「数年来加速化してきている子どもの本や子どもの文学といった枠組みの揺らぎとも微妙に重なってくる」と指摘。


佐々木孝次: 日本における父親権力の弱さを指摘し、河合隼雄の立場に近かったが、「愛させる技術」日本語における「蠱物(まじもの)」としての言葉などを提唱し、次第に日本文化論へ向かった。


竹宮惠子: 漫画家を辞めることも覚悟して挑んだ『風と木の詩』はファンから好評で、寺山修司や鶴見俊輔といった文化人や鶴見から紹介された心理学者の河合隼雄らが高く評価したこともあり、ジャンルとして定着する転機となった。


鷲田清一: かつては大佛次郎賞、サントリー学芸賞(思想・歴史部門)、和辻哲郎文化賞(学術部門)、河合隼雄学芸賞選考委員などを務めていた。


徳永エリ: 好きな本は河合隼雄の心理学系の本。


後藤正治: 大佛次郎賞、司馬遼太郎賞、河合隼雄物語賞選考委員。


成田善弘: 『こころの科学セレクション 境界例』河合隼雄共編 日本評論社 1998


上野瞭: さらば、おやじどの (理論社 1985年 のち新潮文庫 解説:河合隼雄 復刻版 解説:酒寄進一)


河合幹雄: 父は日本におけるユング心理学の紹介者としても知られる河合隼雄(元文化庁長官)、実兄は心理学者の河合俊雄、伯父は霊長類の研究で知られる河合雅雄。


井筒俊彦: 中沢新一は河合隼雄との対談で、「井筒はイスラム教から入り仏教やユダヤ教、キリスト教にも何でも深い理解を持ち、宗教の枠組みを超えたメタ宗教の可能性を構想した。


竹宮惠子: 中学時代に長編漫画を描いたことは何度も竹宮本人が各所で述べているが、『少女マンガ家になれる本』では「中学校の三年間で全81話2400枚」、『河合隼雄対談集』では「中学から高校にかけて、30枚くらいを80数話」など、述べる時期により内容が微妙に変化している。


佐伯胖: 『学ぶ力』(河合隼雄, 工藤直子, 森毅, 工藤左千夫共著、岩波書店) 2004


ワスラフ=ニジンスキー: 『深層意識への道』 河合隼雄、岩波書店、2004年 ISBN 978-4000269872


工藤直子: 聞き手『こころの天気図』河合隼雄、毎日新聞社、1990 のち三笠書房・文庫、PHPエディターズ・グループ、PHP文庫


河合雅雄: 河合隼雄の兄。


大澤真幸: 2015年『自由という牢獄』(河合隼雄学芸賞)


南伸坊: 心理療法個人授業(河合隼雄との共著、2002年)


吉本ばなな: 『なるほどの対話』河合隼雄、日本放送出版協会、2002 のち新潮文庫


白洲正子: 梅原龍三郎や秦秀雄、晩年は護立の孫で元首相の細川護熙、河合隼雄や多田富雄等との交友もあった。


山極壽一: 河合隼雄学芸賞選考委員などを務めている。


河合隼雄の情報まとめ

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河合 隼雄(かわい はやお)さんの誕生日は1928年6月23日です。兵庫出身の心理学者のようです。

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逸話、家系などについてまとめました。兄弟、母親、家族、卒業、趣味に関する情報もありますね。79歳で亡くなられているようです。

河合隼雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

河合 隼雄(かわい はやお、1928年〈昭和3年〉6月23日 - 2007年〈平成19年〉7月19日)は、日本の心理学者。教育学博士(京都大学)。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。文化功労者。元文化庁長官。国行政改革会議委員。専門は分析心理学(ユング心理学)、臨床心理学、日本文化。

兵庫県多紀郡篠山町(現:丹波篠山市)出身。日本人として初めてユング研究所にてユング派分析家の資格を取得し、日本における分析心理学の普及・実践に貢献した。また、箱庭療法を日本へ初めて導入した。臨床心理学・分析心理学の立場から1988年に日本臨床心理士資格認定協会を設立し、臨床心理士の資格整備にも貢献した。霊長類学者の河合雅雄は兄(三男)。7人兄弟で、長男が仁(外科医)、次男は公(篠山市西紀町の内科医)、3番目が雅雄、4番目が迪雄(歯科医)、5番目が隼雄、6番目が逸雄。一人は夭折している。

幼少期より、死について考えていた。死ぬと全く何もなくなってしまう、ということが耐え難い恐怖であった。目を閉じ耳をふさぎ、死がどのようなものか知ろうとし、そのように知ろうとしている自分がなくなってしまうのだと気づき、慄然としたことがある。兄・河合雅雄によると、幼少期の隼雄は繊細で泣き虫で、靴下がはけない、霜焼けがかゆい、好きな先生が転任だというような些細なことで泣いていた。一方で理屈で相手を言いくるめることが得意で逆に理屈で言い負かされたりすると相手を涙目で睨み返すようなことがあったが、同時に人の心を見透かす能力を備えており、母親は「隼雄はこわい」とつぶやくこともあった。このため家族内では「見抜き人」というあだ名を付けられていた。既成概念にとらわれず自分の頭で考え、ときに過激な発言もし、小学5年の時には「進化論的に言えば、天照大神は一番サルに近いということか」と言ったという。

感受性の強い時期に軍国主義が台頭、「日本精神」、「大和魂」などの洗礼を受けたため、「日本嫌悪症」が強くなり、文学、芸術などは西洋一辺倒となり日本に関する文化にはすべて無関心に過ごす。その後、海外へ行く機会が多くなったことでようやく日本嫌悪症は治まり、老年期に至りようやく関心を持ち始める。しかし、能だけは若い頃より関心があった。のちに世阿弥の『九位』に特に関心を示したが、心理療法家として人間の「心の成熟」を常に考えていたため興味をそそられたと述べている。

旧制神戸工業専門学校を経て、1952年京都大学理学部数学科を卒業。京都大学大学院に籍を置き、心理学を学びつつ数学の高校教諭として3年間勤務。学生時代には、雅雄がジークムント・フロイトの「夢判断」を読んで、「すごいショックを受け、夜眠れなかった」と言うと、「そうか?ショックなんか受けなかった。こんな面白い本はないと思うな」と答えた。

河合はロールシャッハテストから徐々に心理学に入っていき、ロールシャッハが彼の心理学の土台を築く上で大きな役割を果たしている。河合は約1000人にロールシャッハを施行した。

河合は、当時カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) の教授であり投影法に精通していたブルーノ・クロッパーのロールシャッハに関する本を読んだ際、間違いと思われる個所を見つけ、手紙で質問した。すると丁寧な返事が来て、河合の指摘が正しく、河合が初めてそれを指摘したと記されていた。この手紙を契機に二人の関係が始まり、後の河合の留学先にも影響を与えた。

英語で努力を積み重ねた後、1959年にフルブライト奨学生としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) へ留学し、クロッパーやJ・M・シュピーゲルマンの指導を受けた。

米国ではロールシャッハに関しては教授から大きな信頼を得た。留学期間が切れた後も助手として採用されて引き続き滞在。ネイティブアメリカンについての共同研究を行った。河合は第二次世界大戦での敗北を経験しており、西欧流の合理主義に傾倒していた。しかし、河合は米国の合理的な社会制度・思想に触れ、自分の日本人としてのアイデンティティについて深く考えさせられたという。

クロッパーはかつてドイツに在住していたが、ナチスの迫害を逃れて米国へ亡命したユダヤ系であった。ヨーロッパの精神医学・心理学に精通し、ユング研究所に1年間の滞在した経験のあった彼は、河合が米国で学位を取るよりも本場のスイスのチューリッヒでユング心理学を修める方がよいと判断し、河合にスイスへの留学を勧めた。この際、河合のために推薦書を書き、河合はユング研究所から奨学金を支給されることとなった。

1962年に天理大学で助教授になった後、大学の許可を得て1962年から1965年までスイスに渡り、ユング研究所 (C. G. Jung-Institut Zürich) で日本人として初めてユング派分析家の資格を得る。その際、C・A・マイヤー (Carl Alfred Meier) に師事した。

河合が心理療法家、なかでもユング派に属したことは、幼いころから感じていた自分自身の死の恐怖に導かれてのことであったといってもいいほどで、それは意図的になされたものではなく、多くの偶然の重なりの中で、何者かによってアレンジされたかと思うほどの流れでユング派の分析家となった、と著書『対話する生と死』の中で語り、さらにユング派のサークルでは他派に比べ、死について語られることが多いと述べている。

帰国後、1972年から1992年まで京都大学教育学部で教鞭を執る。退官後、プリンストン大学客員研究員、国際日本文化研究センター所長(1995年-2001年)を歴任する。

河合は、欧米で修めた心理学を日本では同様に適用できないことに気づき、日本的環境や日本的心性にあった心理療法を工夫して創ることに苦心したという。その影響から岩波書店の編集者大塚信一(後に社長に就任)に勧められ岩波新書「コンプレックス」を出版。その頃、後に親交ある文化人類学者の山口昌男と出会う。

また、彼の著作には「母性社会日本の病理」、「中空構造日本の深層」、「日本人の心のゆくえ」、「日本人という病」、「日本文化のゆくえ」などのように、批判的かつ創造的な問題意識をもった日本文化論がある。1979年、大塚の紹介で研究会「都市の会」に参加し、哲学者の中村雄二郎らと出会う。特に親交のある中村雄二郎との対談は「トポスの知」(TBSブリタニカ)に収められている。

そして、著書『ユング心理学と仏教』は、河合隼雄による日本人の深層心理研究の到達点にして、同人の著作の1つの頂点ともされている。同書では、元々は日本文化や仏教に懐疑的・拒絶的で、欧米の学問・思想にばかり親和的であった河合隼雄が、心理療法の臨床経験を積み重ねる中で、日本人の深層心理に根付く日本の仏教の影響を見出すようになるとともに、人間の自我(ego)・自己(self)の構造や心理療法に伴う治癒の過程が、仏教の世界観・人間観によって的確に説明できること、心理療法の方法論としても、「治療」「解決」といった目的にとらわれず、また、合理的思考による解決や意味解釈を性急に求めない姿勢といった面で、自身の心理療法が実は禅と似ていると感じるようになったことなどが、欧米の聴講者向けの講義の形で語られている。また、そこで語られる日本人に典型的な治癒過程が、確固たる「自我(ego)」を出発点とする精神分析学とは逆方向の志向性を持っているとの指摘もされた。

日本心理臨床学会を設立し、同理事長に就任。臨床心理士制度や、スクールカウンセラー制度の確立に尽力し、日本臨床心理士会会長も務めた。

1965年に河合は、スイスの心理学者ドラ・カルフがクライエントへのセラピーとして用いた箱庭療法 (Sandplay Therapy) を日本へ紹介した。最初は天理市と京都市に導入され、そこから徐々に日本に広がり、臨床場面で幅広く使用されるに至った。

河合は非言語的な表現が多い日本人に向いていると考えていたという。その後、日本箱庭療法学会の設立に携わる。また、1985年に国際箱庭療法学会が設立され、河合はその創設メンバーであった。

精神科医で風景構成法を考案した中井久夫(神戸大学名誉教授)は、東京で河合の箱庭に関する発表を聞き、箱庭に枠が使用されている点に注目した。そして、患者が箱庭の「枠」があるために、箱庭による自己表現が可能であり、治療効果があることに気づき、自身の風景構成法の「枠付け法」に応用した。中井久夫や山中康裕などの精神科医が、箱庭療法を病院に導入したため、箱庭が教育現場だけでなく、病院臨床でも使用される契機となる。

2002年1月18日より第16代文化庁長官に就任。民間人(非官僚)の起用は今日出海、三浦朱門に続き17年ぶり3人目となった。2年の任期が終了した後も、お得意の駄洒落で盛り上げる講演をするなど、文化庁の知名度向上に貢献した手腕を買われ、2度に亙って長官留任を要請され、2006年10月31日まで3期4年余在任した。

在任期間中の2002年4月、文部科学省が全国の小・中学校に配布した道徳の副教材『こころのノート』の編集に携わった。同年には「関西文化の盛り上げが東京一極集中の打破につながる」として京都国立博物館に長官分室を設置した。また、2004年には高松塚古墳の壁画がカビによって劣化していた事実を文化庁が隠蔽していたことが明らかになり、大問題となった。2006年7月から高松塚古墳壁画問題の件で国内各地で関係者に謝罪し、同年8月に公式謝罪を行った。

2006年8月17日午前、奈良県奈良市内の私邸で脳梗塞の発作を起こして倒れ、天理市の天理よろづ相談所病院に搬送され緊急手術を受けたものの容態は回復せず、2006年11月1日に文化庁長官職を休職。2007年1月17日付で任期切れにて退任した。

2007年7月19日14時27分、脳梗塞のため天理市の天理よろづ相談所病院で死去。79歳没。

2012年5月2日、一般財団法人河合隼雄財団が設立され、主たる事業として「河合隼雄物語賞・学芸賞」が設けられた。

河合が文化庁長官時代に京都に長官分室を設置したことを契機に京都では文化庁の誘致運動の熱が高まり、2016年3月には京都への省庁移転が正式決定した。この際、生前の河合と親交があり、誘致運動に尽力した門川大作京都市長は河合の妻から「主人が言っていたことが実現しそうですね」との手紙を受け取った。

逸話

冗談好きで、日本ウソツキクラブ会長を自称し、架空人物・大牟田雄三との共著もある。「うそは常備薬、真実は劇薬」という箴言も残している。

対談・座談の名手であり、対談集や共著が多い。また上記の山口昌男や中村雄二郎をはじめ、梅原猛、鶴見俊輔、森毅、白洲正子、安野光雅、山折哲雄、谷川俊太郎、柳田邦男、養老孟司、工藤直子、安藤忠雄、村上春樹、中沢新一など交友関係は多岐に渡った。

趣味はフルートを吹くことで、大学時代に京都大学交響楽団に所属、卒業後中断。58歳から再度フルートを習い始め、演奏会も度々開催していた。

ビジネスとは一線を画した演奏会運営のノウハウをもつ文化ボランティアによる演奏会を開こうと、特定非営利活動法人文化創造を設立。設立作業を整えた1か月後に脳梗塞で倒れ、本人は一度もこの組織による演奏会を聴くこと無く死去した。

ヒトラーをヒンズー教のヴィシュヌ神の10番目の化身(カルキ・アヴァタール)と崇める反ユダヤ主義の陰謀論者、ネオナチ神秘思想家であり、チリの外交官・ミゲール セラノの著書『ヘルメティック・サークル: 晩年のユングとヘッセ』の帯の推薦コメントを書いている。

家系

河合隼雄は7人の男兄弟の五男。

長男・仁は外科医、次男・公は内科医、三男・雅雄は霊長類学者(京都大学霊長類研究所元所長)、四男・迪雄は歯科医、六男・逸雄は脳神経学者(京都大学医学部元助教授)。

臨床心理学者の河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター教授)、法社会学者の河合幹雄(桐蔭横浜大学法学部教授)、イタリア文学者の河合成雄(神戸大学留学生センター教授)は息子。工学者の河合一穂(京都大学国際融合創造センター元非常勤研究員)、歯科医の河合峰雄(日本歯科麻酔学会理事)は甥。

2024/06/17 07:51更新

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