もしもし情報局 > 1988年 > 2月9日 > 野球選手

岡田貴弘の情報 (おかだたかひろ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

岡田貴弘の情報(おかだたかひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

岡田 貴弘さんについて調べます

■名前・氏名
岡田 貴弘
(読み:おかだ たかひろ)
■職業
野球選手
■岡田貴弘の誕生日・生年月日
1988年2月9日 (年齢36歳)
辰年(たつ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和63年)1988年生まれの人の年齢早見表

岡田貴弘と同じ1988年生まれの有名人・芸能人

岡田貴弘と同じ2月9日生まれの有名人・芸能人

岡田貴弘と同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


岡田貴弘と関係のある人

若竹竜士: 同学年で「箕面スカイラーク」に所属していた岡田貴弘とは小学生時代から何度も対戦していた。


鶴直人: 近畿大学附属高校に進学後は、大阪桐蔭高校の辻内崇伸・平田良介、履正社高校の岡田貴弘らと共に「浪速の四天王」と呼ばれた、3年夏の大阪大会では肘を故障して満足に投げられず五回戦でPL学園高校に敗退。


濱中治: その後、二軍でシーズンを通じて岡田貴弘の21本に次ぐチーム2位の13本塁打を記録するなど腐らず結果を残し続け、7月31日に再昇格。


堀井和人: スカウト時代は西川佳明・元木大介(ダイエー時代、入団拒否)・中村紀洋・福留孝介(近鉄時代、入団拒否)・坂口智隆・岡田貴弘を担当 。


鞘師智也: この隙に鞘師は三塁を狙ったが、カバーに入った一塁手の岡田貴弘も三塁に悪送球し、鞘師はそのままホームインするという珍しいプレーとなった。


田中祐貴: なお、この年のオフにドラフト1位入団した岡田貴弘が本人の要望もあって背番号55を与えられたのに伴い、退団した岡本晃の背番号22を引き継いだ。


土井健大: 「浪速のゴジラ」と呼ばれた1年先輩の岡田貴弘にちなんで、「浪速のミニラ」と呼ばれた。


岡田貴弘の情報まとめ

もしもしロボ

岡田 貴弘(おかだ たかひろ)さんの誕生日は1988年2月9日です。大阪出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、結婚、引退、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。岡田貴弘の現在の年齢は36歳のようです。

岡田貴弘のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

T-岡田(ティーおかだ、本名・旧登録名:岡田 貴弘〈おかだ たかひろ〉、1988年〈昭和63年〉2月9日 - )は、大阪府吹田市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、左投左打)。オリックス・バファローズ所属。

箕面市立第四中学校卒業。小学生時代は「山田西リトルウルフ」中学生時代はボーイズリーグの「箕面スカイラーク」(現:大阪箕面ボーイズ)に所属。練習試合で若竹竜士から放った場外本塁打は飛距離140mともいわれている。3学年になると、同学年の平田良介とともに進路が注目された。

高校は自宅から通えるという理由で履正社高に進学。1年夏から4番を任され、打線の中軸として活躍する。1年時の秋季大阪大会では、近大附高の鶴直人からバックスクリーン弾を放った。2年夏の大阪大会では、2試合にまたがり5打席連続敬遠されるなど警戒されながら5試合で5本塁打を放った。その後、秋季近畿大会で8強入りしたが第77回選抜高等学校野球大会には選出されなかった。3年夏は平田良介、辻内崇伸、中田翔らを擁する大阪桐蔭高と大阪大会準決勝で対戦し、中田翔から9回表にバックスクリーンへの3点本塁打を放ったものの敗れた。

甲子園出場こそなかったもの、高校通算55本塁打を記録し、55という数字やヘッドスピードが約150km/hに達するという豪快なスイング、恵まれた体格から、松井秀喜の愛称であるゴジラにちなんだ「浪速のゴジラ」とマスコミから呼ばれるようになった。また、前述の平田、辻内、鶴と併せて「浪速の四天王」とも呼ばれた。なお、この4人は全員1巡目指名で高卒プロ入りしている。

2005年秋に開催されたドラフト会議にて、辻内崇伸の交渉権を抽選で逃したオリックス・バファローズから高校生1巡目指名をされ、入団。背番号は、本人の要望もあって55をそれまで着けていたユウキから譲り受けた(ユウキは22に変更)。

2006年はシーズン後半に一軍昇格し、プロ初安打を記録。ウエスタン・リーグでは外野手登録ながら主に一塁手としてリーグ戦全88試合中、喜田剛と並ぶリーグ2位の82試合に出場し、フレッシュオールスターゲームでは本塁打を放った。二軍でのシーズン成績は打率.245、5本塁打、チーム3位の27打点、共にリーグ2位の73安打と4三塁打を記録するなど高卒新人野手としては優秀な成績を残した一方でリーグワーストの75三振、一塁手としては2位と倍以上のリーグ最多11失策を記録するなど粗さも目立った。

2007年は清水隆行を参考にした一本足打法から確実性アップのためすり足打法にフォーム改造した。オープン戦では本塁打を放つなど好成績を収めるも開幕は二軍スタート。シーズン序盤は極度の不振に陥り、一時は先発出場を外れることもあったが夏場以降復調し、北京プレオリンピック野球日本代表に招集され、主軸として日本の優勝に貢献した。帰国後も好調を維持したが、二軍最終戦の試合後、練習中に球を踏んで左足首を故障、そのままシーズンを終えた。最終的には二軍で68試合に出場して8二塁打、3三塁打、4本塁打を記録し、打率も前年よりわずかに上がったが末永真史と並んで2年連続リーグワーストの69三振を記録した。守備面では外野手として1失策、一塁手としては無失策と成長が見られた。シーズン後のフェニックスリーグでは、故障が完治していない状態にもかかわらずチームトップ、リーグでも2位タイとなる4本塁打を記録。その後の秋季キャンプでもSKワイバーンズとの練習試合で本塁打を放つなど、シーズン終盤の好調をそのまま持ち込みアピールを続けた。

2008年1月にイチローと合同自主トレを行った際、面識はなかったもののイチローはすぐに岡田が将来の4番候補であることを見抜き、ロベルト・ペタジーニのようであると評した。同年は前年に引き続き一軍での出場機会はなく、二軍でチーム最多、リーグ2位の83試合に出場しリーグ最多の19二塁打(新井良太と同数)、同3位の32四球を選んだ一方で、3年連続となるリーグワーストの71三振を記録し、打率も.216にとどまった。守備でも一塁手としてリーグ最多の5失策、外野手としても36試合で森山周(外野手としての出場は5試合)に次いで低い守備率を記録した。また、ボールの見えづらさからオフシーズンにレーシック手術を受け、視力回復をしている。

2009年は内野手登録となった。アレックス・カブレラの怪我によりセ・パ交流戦で一軍に抜擢され、3年ぶりに一軍出場を果たすも結果を残せず降格となった。しかし、2度目の昇格となる8月14日の福岡ソフトバンクホークス戦でのプロ入り初本塁打を切っ掛けに最終的に7本塁打を放ち、以降最終戦まで一軍に帯同。打率こそ2割を大きく下回ったが、安打の3分の1が本塁打、チームトップクラスの飛距離を見せた。二軍では打率.295、21本塁打、59打点の成績で、ウ・リーグ本塁打王と打点王の2冠に輝き、最高長打率も獲得。三振はワースト2位の71個、失策は一塁手ワーストの7個だった。

同年シーズン終了後、新監督に就任した岡田彰布が、自身と同姓であり「ややこしい」との理由から、貴弘の登録名変更を発案。10月18日より、球団公式サイト・携帯サイトでファンからアンケートをとり、約7000通の応募の中から「T-岡田」に決定し、11月29日のファン感謝デーにて発表された。登録名の「T」は名前の「Takahiro」の頭文字や、ティラノサウルスの学名の略表記「T.rex」に由来する。

2010年は、キャンプでは「労働基準法違反」と語るほど昼夜問わず徹底的に振り込み、オープン戦では打率.324を記録し、「6番・一塁手」として開幕スタメンに名を連ねる。春先は、3月31日の日本ハム戦で9回に逆転3点本塁打を放つもなかなか打率が伸びず、5月中旬に打撃コーチの正田耕三のアドバイスで右足をステップしないノーステップ打法に変更した。5月12日の東京ヤクルトスワローズ戦で左足首を負傷し、翌日に登録抹消となったが、5月23日の読売ジャイアンツ戦で復帰し、プロ入り初めて4番打者として先発出場。この試合で先制適時打に3点本塁打の計4打点を記録した。前述のフォーム変更が奏功し、6月に入って打率も急上昇し、本塁打を量産し始める。6月2日の中日ドラゴンズ戦では、11回裏に金剛弘樹からプロ入り初のサヨナラ3ランを放ち、7点ビハインドを逆転する劇的な結末を締めた。交流戦で打率.313、6本塁打、26打点を挙げ初の交流戦MVPを受賞。同年のオールスターゲームにも初出場を果たし、第2戦目には1990年の清原和博(22歳11か月)を抜くパ・リーグ最年少4番(22歳5か月)として先発出場した。7月には打率.333、9本塁打21打点で初の月間MVPを受賞。8月3日、8月5日の西武戦では1試合2本塁打を達成し28号に到達するも、そこから一転不振に陥り本塁打も15試合出ずにいたが、8月22日の千葉ロッテマリーンズ戦に復調となる1試合2本塁打を放ち、シーズン前の目標としていた30本塁打を達成。9月8日のロッテ戦では、渡辺俊介から二塁打を放ち二塁に駆け込む際に肉離れを発症して全治6週間と診断されたが、8日後の9月16日の埼玉西武ライオンズ戦にて同点で迎えた8回裏に二死満塁の場面で代打で出場し、アレックス・グラマンからプロ初となる満塁本塁打を記録。チームでの代打満塁本塁打は2001年の藤井康雄以来9年ぶりの記録であった。最終的には33本塁打(この年パ・リーグで30本塁打以上放ったのはT-岡田のみ)を放ち、王貞治以来48年ぶりとなる22歳での本塁打王を獲得。また、本塁打王となった年で代打満塁本塁打を記録したのは1955年の中西太(西鉄)以来史上2人目の記録であった。打点でも、22歳で90打点以上を記録したのは2004年の中島裕之(西武)以来6年ぶりとなった。オリックスの選手による本塁打王は1996年のトロイ・ニール以来14年ぶりで、日本人選手に限定すると1973年で前身の阪急ブレーブスの長池徳二以来37年ぶりのことだった。

2011年は開幕4番を務めたが、好不調がやや激しく、後藤光尊・李承燁・フランシスコ・カラバイヨに4番を譲り、6番降格やスタメンから外れる試合もあった。ファン投票で2年連続のオールスターに出場し、第3戦目にオールスター初本塁打を放つなど3安打の活躍で敢闘賞を受賞したが、後半戦でも調子は安定せず、8月16日の対ソフトバンク戦で3度の好機でボール球に手を出して凡退したことが響き惜敗したことで、監督の岡田彰布の怒りを買って二軍降格を味わった。最終的には134試合に出場してリーグ4位・チーム最多の85打点を記録したものの、本塁打数は前年の半分にも満たない16本塁打にとどまり、四番としては物足りない成績に終わった。シーズン最終戦後の岡田のインタビューにて成績が低調でありながら“お仕置きの4番”として最終戦に4番で起用していたことや「翌年以降4番を打たすつもりはない」など痛烈な批判を受けた。

2012年は李大浩の加入もあり、開幕戦では6番で先発出場。オープン戦は不調に苦しんでいたものの、それまでの代名詞でもあったノーステップ打法をやめ、すり足打法にしたことで開幕から高打率を維持し、4月12日の対ロッテ戦では開幕11試合目にして12球団で最も遅いチーム第1号本塁打を放った。しかし、4月26日の対楽天戦で安打を放った際に左太腿裏の肉離れを発症し、登録抹消。万全でない状態ながらも交流戦から合流するも、5月20日の対ヤクルト戦で代打で決勝点となる内野ゴロを放った際に、左太腿裏の肉離れを再発して再度登録抹消となり、本格的な戦線復帰は6月26日まで先送りとなった。復帰後も3割超の打率、8月には月間6本塁打を放つなど好調をキープしていたが、終盤は27打席連続無安打を記録する等やや成績を落とし、最終的に103試合の出場で規定打席に到達せず、10本塁打56打点に留まったが、打率は.280、得点圏打率は.381という成績を残した。また、対右投手は.304の成績であったのに対し、対左投手は.237と左投手にやや苦戦した。オフの11月6日に、侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」で日本代表入りを果たした。

2013年は更なる飛距離アップを求め従来のノーステップ打法から右足を上げる一本足打法に改造。開幕戦を7番で先発するも打率2割台前半と低調な成績が続き、5月3日には左太もも裏の故障で登録抹消される。6月28日に復帰するが、その後も復調することはなく、8月9日には成績不振による登録抹消となる。二軍調整中の8月にも右手中指の靭帯損傷の怪我を負うなど度重なる故障に苦しんだ。シーズン終盤の10月に再昇格し、最終戦の10月13日の楽天戦では本塁打を放ったが最後まで不振に苦しみ、最終的に58試合出場、打率.222、4本塁打、18打点とレギュラー定着後以降では最低の成績に終わった。シーズンオフの契約更改では年俸25%の大幅ダウンとなる1800万円減の5500万円でサインした。

2014年は復活を期すシーズンとして、104kgあった体重を98kgに減量して臨んだが、開幕直前に腰痛を発症し開幕一軍を逃す。その後、開幕から2週間出遅れて4月12日に初出場すると以降は主に「5番・一塁手」として定着する。以降打率は2割台後半をキープし、本塁打も着実に積み重ね、9月14日の日本ハム戦には4年ぶりとなる20本塁打を放った。10月12日のクライマックスシリーズファーストステージ第2戦では8回裏に逆転の3点本塁打を放ち、チームにクライマックスシリーズ初勝利をもたらした。また、一塁手として自身初のゴールデングラブ賞を受賞した。

2015年3月24日に、モデルのますあやと結婚したことが報じられた。シーズンでは、不調や負傷等で3度登録抹消されるなど、最終的に105試合(416打席)の出場にとどまり、不本意な結果に終わった。2015年のシーズン最終戦の試合後には、この年限りでの退団が決まった坂口智隆のタオルをファンが待つライトスタンドに掲げ“無言のアピール”で自身の思いを形にしたこともあった。

2016年は左アキレス腱痛の影響でキャンプは二軍スタートとなる。開幕は一軍で迎えたが、6試合で無安打と結果を残せなかったため4月3日に登録抹消され、4月29日に一軍に昇格。シーズン前半は5番であったが、7月3日の対ロッテ戦以後は4番に定着して、チームトップの20本塁打、76打点を記録するなど、復活の兆しを見せたシーズンとなった。守備位置は左翼手(70試合)が中心であったが、一塁手(43試合)、指名打者(9試合)での出場もあった。12月8日、契約更改を行い、2019年シーズンまでの3年の延長契約(変動年俸制。2017年の年俸は1億円+出来高)を結んだ。

2017年、この年から選手会長に就任したこともあり、「チームリーダーの自覚を持ってプレーする」「打点、特に勝利打点に最もこだわりたい」をテーマに掲げてキャンプインした。「6番・一塁手」で開幕スタメン。3・4月の成績が「打率.351、7本塁打」を記録し、自身2度目の月間MVPを受賞。8月5日の対日本ハム戦でプロ入り後初めての1番打者として起用されるなど、チーム事情に応じて6つの打順で起用された。8月26日の対埼玉西武戦で、プロ通算150本塁打を達成。9月29日の対千葉ロッテ戦では、自身の30号本塁打が、プロ野球通算99999号となる本塁打であった。チームメイトのクリス・マレーロが続く10万号本塁打を放ち賞金100万円を手にした。なお、マレーロのプロ野球通算10万号表彰式の際に岡田へは99999号記念としてオリックス球団より賞金99999円が贈られ、プレゼンターはマレーロが務めた。最終的には、自身初めてのレギュラーシーズン全試合出場を達成して31本塁打を記録、出塁率は自己最高の.374を記録した。しかしその一方で打点は68にとどまった。2010年以来、7年ぶりとなるシーズン30本塁打を達成したが、最初に30本塁打を打ってから2回目の30本塁打達成まで7年以上のブランクを要したのは、山﨑武司、門田博光以来、史上3人目のことであった。

2018年は、「100打点、100四球」を目標に掲げてキャンプインした。しかし春季キャンプが始まって早々に右脇腹痛を発症したことなどから充分な調整ができず、オープン戦でも打撃不振に陥り、2014年以来の開幕二軍となったが、開幕戦翌日の3月31日に一軍に昇格し、同日に「7番・一塁手」で先発出場。9月1日の西武戦では7点差を逆転した8回に2か月ぶりの本塁打となる11号2ランで1点差に詰め寄り、逆転勝利に繋げた。

2019年は、不振で20試合出場にとどまり、1本塁打、2打点に終わった。FA権を行使せず、残留が決まった。オフには漆原大晟、鈴木優とともにプエルトリコのウインターリーグにアテニエンセス・デ・マナティ(スペイン語版)の一員として参加し。従来、ウィンターリーグへの派遣は飛躍のきっかけを模索する若手や中堅選手が中心だったが、ゼネラルマネージャーの福良淳一から提案され、岡田自身も参加を希望したため、31歳のベテランに位置される岡田も参加することになった。プエルトリコでも長打を期待され、23試合に出場して4本塁打を放ったものの、57打数11安打で打率.193という低打率に終わり、年内の12月25日に帰国した。

2020年は、9月9日対西武戦で5球団目となる球団通算8500号本塁打を放った。また、2017年シーズンから約3年ぶりに4番打者として先発出場している試合があるものの、調子の波が激しく、6, 7, 8番での下位打線でのスタメンも多い。9月26日京セラドームで行われた日本ハム戦で3番スタメンに入り2本の本塁打を放ち、全打順本塁打を記録した。

2021年は、9月28日ロッテ戦で石川歩から3ランを放ち、200本塁打を達成すると、9月30日同戦で益田直也から逆転3ランを放つなど、1つでも敗れるとロッテに優勝マジックが点灯するという天王山での3連戦3連勝に貢献。115試合に出場、打率.241・17本塁打・63打点でチームは自身のプロ入り後初のリーグ優勝。オフには、1000万円アップの推年年俸9500万円で契約を更改した。

2022年は、オープン戦中に負傷し、開幕二軍スタートとなったが、5月末に一軍に合流。29日の中日ドラゴンズ戦でシーズン初出場。シーズン第1号本塁打を含む3打点を記録し、8-0の勝利に貢献した。しかし、チームは26年ぶりの日本一を達成しながらも、自身は打率.149、1本塁打、10打点と絶不調なシーズンに終始。12月8日の契約更改では、2300万円ダウンの7200万円で契約を更改した。

2023年は、キャンプ直前に故障してしまい開幕二軍スタートとなり、5月13日対ソフトバンク8回戦で一軍復帰すると代打二点適時打を放ち幸先の良いスタートかと思われたが、同月17日後に感染拡大防止特例2023により登録を抹消。7月2日の対日本ハム7回戦で復帰しここでも代打適時打を放つなどここまでは内容は良かったものの、ここからは不振の内容が続き登録を再び抹消。9月20日の対ロッテ22回戦に復帰した際6試合で打点こそ1点だったが率.294(17打数5安打)と状態が上がってきたと思われたが、そこから5打数無安打でペナントレースを終える。チームは初の3連覇を遂げクライマックスシリーズも制し日本シリーズにも出場。岡田もクライマックスシリーズでは代打安打を記録したが、日本シリーズではノーヒットに終わった。成績的には一軍定着後では初の本塁打無しにも終わり年齢的にも厳しい立場に置かれたが、球団の評価はキャンプ前の怪我さえなければ来期は期待できるという判断で12月19日の契約更改では減額制限を超える半額の3600万円で契約を更改した。

2024年は、3年ぶりに開幕一軍入りし、3月29日のソフトバンク戦には「7番・一塁手」で名を連ねた。4年ぶりの開幕スタメンを含めて3試合に出場も6打席無安打。再調整を理由に4月11日に登録外となり、ウエスタン・リーグでは37試合に出場するも、81打数10安打の打率.123、1本塁打にとどまる。古傷の膝痛など度重なる故障を抱え、練習と治療の繰り返しにより本来の打撃も影を潜め、一軍戦力に加われないことで、同年限りでの現役引退の意思を9月7日までに球団に伝え、9月8日に球団から正式発表された。9月24日、同じく同年限りでの引退を表明していた同学年の安達了一、小田裕也とともに出場選手登録をされ、5回裏から代打として出場しそのまま一塁の守備につき、7回裏の第2打席では右前に安打を放った。9回裏二死一塁で迎えた現役最終打席では、右翼ポール際へ上段席まで届く特大のファウルを打ったものの、三振に倒れた。

最速156km/hを記録するスイングスピードと広角に豪快な打球を放つ技術を誇る。2010年5月ごろから一時期、ノーステップ打法を取り入れていた。目線や重心のブレを減らして確実性を上げる一方で、前足を踏み込む普通のフォームよりも体重移動の力を減少させるため打球の飛距離は低下しやすいが、日本人選手としては体格に恵まれていることもあり、岡田の場合は本塁打を放つのに十分な飛距離を出すことができる。本人曰く、「体重を右足(前足)に乗せてボールに力を伝えるイメージ」を意識しているという。しかし2012年からは統一球への対策として長打力の落ちやすいノーステップ打法はやめており、標準的な「すり足打法」に変更している。その後も「現状に満足しない姿勢」から、ほぼ毎年のように打撃フォームの改良を続けている。

2010年に本塁打王を獲得するなど、長打力や飛距離が魅力と評価されることが多い。一方で、シーズン毎の好不調や度重なる故障・負傷も見られ、「規定打席での打率3割以上」を一度も達成できていない。2014年からは飛距離より打点を意識した打撃を心掛けており、2017年2月のインタビューでは、「不調の時でも犠牲フライ、進塁打、四球でいかに打点や出塁を積み重ねるかが大事」と述べている。

長打力を示す指標であるIsoPは、2014年以後の3シーズン(2014年~2016年)では、「0.212→0.144→0.187」と、長距離打者としては比較的抑えられた数値になっていた。なお、2017年は7年ぶりに30本塁打に到達したことから、IsoPは「0.222」という高い数値を記録している。また、打球方向の「引っ張り打球割合」が、2015年~2017年の3シーズンにおいて、「42%→42%→45%」と高い数値で推移しており、日本人打者の中でも、プルヒッターの傾向の強い打者であることが示されている。

かつてはフリースインガーの傾向が強いことを課題としていて、特にボール球スイング率が高く、2015年~2016年の2シーズンでは「36.6%(リーグワースト3位相当)→34.7%(リーグワースト4位)」であった。しかし先述のように、2017年に出塁意識を高める打撃を心掛けたことで、同年は四球率が14.0%(リーグ2位。前年の四球率は9.2%)、ボール球スイング率が29.3%と大きく改善させたことで、自己最高の出塁率(.374)を記録することへと結び付けている。その一方で三振の多い打者でもあり、2015年~2017年の3シーズンにおける三振率は、「19.2%→20.5%→23.8%(リーグワースト3位)」と、リーグ平均値よりも望ましくない数値で推移しており、特に2017年はリーグワースト1位の141三振を喫した。

体重100kgと大柄だが積極的なランニングを見せ、左打者ということもあり一塁到達4.11秒を記録する。守備面は前述のように一塁守備で失策の多さが目立つものの、2014年にはゴールデングラブ賞を受賞するなど、改善も見せている。左翼守備では捕球から送球までの時間は水準以上を誇り、滑りこみながらの捕球を得意としている。2010年にはRFで守備イニング500以上の左翼手でトップの1.97を記録し、得点換算でも高い数値を残した。

愛称は「T(ティー)」。

「自分は気が利いたことを言えるタイプじゃない」と話すが、2016年のオフに3年の延長契約を結んで以後は、チームリーダーの立場としての言動が目立っている。

各年度の太字はリーグ最高

各年度の太字はリーグ最高

太字年はゴールデングラブ賞受賞

本塁打王:1回(2010年)

ベストナイン:1回(外野手部門:2010年)

ゴールデングラブ賞:1回(一塁手部門:2014年)

月間MVP:2回(打者部門:2010年7月、2017年3・4月)

セ・パ交流戦 最優秀選手賞(MVP):1回(2010年)

オールスターゲーム敢闘選手賞:1回(2011年第3戦)

月間サヨナラ賞:1回(2021年6月)

報知プロスポーツ大賞:1回(2010年)

初出場:2006年8月10日、対西武ライオンズ15回戦(京セラドーム大阪)、6回表に迎祐一郎に代わり右翼手で出場

初打席:同上、7回裏に松永浩典の前に空振り三振

初先発出場:2006年8月15日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・一塁手で先発出場、2打数無安打

初安打:2006年8月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス14回戦(スカイマークスタジアム)、6回裏に山村宏樹から左前安打

初打点:2009年5月20日、対広島東洋カープ2回戦(京セラドーム大阪)、8回裏に林昌樹から中前適時打

初本塁打:2009年8月14日、対福岡ソフトバンクホークス15回戦(スカイマークスタジアム)、5回裏にジャスティン・ジャマーノから左中間越3ラン

初盗塁:2011年4月13日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(京セラドーム大阪)、6回裏に二盗(投手:D.J.ホールトン、捕手:細川亨)

100本塁打:2015年6月10日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(京セラドーム大阪)、7回裏に新垣渚から右越2ラン ※史上274人目

150本塁打:2017年8月26日、対埼玉西武ライオンズ19回戦(メットライフドーム)、1回表に多和田真三郎から中越ソロ ※史上165人目

1000試合出場:2018年5月6日、対福岡ソフトバンクホークス9回戦(福岡ヤフオク!ドーム)、「5番・一塁手」で先発出場 ※史上490人目

1000安打:2019年5月8日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(札幌ドーム)、5回表に金子弌大から右前安打 ※史上296人目

1000三振:2020年7月23日、対東北楽天ゴールデンイーグルス6回戦(楽天生命パーク宮城)、10回表に辛島航から空振り三振 ※史上70人目

200本塁打:2021年9月28日、対千葉ロッテマリーンズ20回戦(ZOZOマリンスタジアム)、4回表に石川歩から右越3ラン ※史上111人目

オリックス球団通算8500号本塁打:2020年9月9日、対埼玉西武ライオンズ14回戦(メットライフドーム)、8回表に若月健矢の代打で出場、十亀剣から右越ソロ

全打順本塁打:2020年9月26日、対北海道日本ハムファイターズ13回戦(京セラドーム大阪)、3番で先発出場、1回裏に有原航平から右越本塁打で達成 ※史上12人目

オールスターゲーム出場:3回(2010年、2011年、2017年)

55(2006年 - 2024年

「ライトスタンド」ベリーグッドマン

「ハイライト」ベリーグッドマン

「カーニバル」ケツメイシ(チャンス時)

「Mr T-OKADA」Money Makers

「夢わたし」なにわ男子

「最高到達点」SEKAI NO OWARI

岡田 貴弘(おかだ たかひろ、2006年 - 2009年)

T-岡田(ティーおかだ、2010年 - )

^ 2017年のシーズン終了時にFA権を取得予定であることから、シーズン中から契約延長の成立の可能性が注目されていた。なお本人曰く、「実際にFAを取ったこともないし、自分としてはこのオリックスを強くしたい気持ちがありました」と述べている。

^ 1番から7番のうち、3番を除く全打順で起用された。この年はプロ入り後初めて、1番打者(23試合)、2番打者(2試合)での先発起用があった。

^ T-岡田の場合、左打者であるため、右翼への打球方向が「引っ張り打球」になる。この「引っ張り打球」の割合が40%を上回るシーズンが複数続くと「引っ張り傾向の強い打者(プルヒッター)」とみなされることの目安になる。

^ 野村宏平、冬門稔弐「2月9日」『ゴジラ365日』〈映画秘宝COLLECTION〉、洋泉社、2016年11月23日、44頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。

^ 「T―岡田 逆王手弾!京セラ最多3万6012人興奮MAX」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2014年10月13日。2014年10月13日閲覧。

^ 「イチロー「なにわのゴジラ」岡田を絶賛」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2008年1月18日。2016年10月24日閲覧。

^ 「「浪速のゴジラ」から「T-岡田」に」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2009年11月29日。2009年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月24日閲覧。

^ 「“なにわのゴジラ”新登録名は「T-岡田」」『デイリースポーツ online』2009年11月29日。2009年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月24日閲覧。

^ 「Bs岡田“最強恐竜”になる!新登録名「T-岡田」」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2009年11月30日。2016年10月24日閲覧。

^ 「T‐岡田「労働基準法違反です」」『デイリースポーツ online』2010年3月2日。2010年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月24日閲覧。

^ 『週刊現代』、講談社、2010年9月11日、173頁。 

^ 「Bs・T-岡田、パ史上最年少4番で先発も打撃沈黙」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2010年7月25日。2016年10月24日閲覧。

^ 「CS逃した岡田監督、T-岡田に怒りの矛先「お仕置きの4番やから」」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2011年10月18日。2016年10月24日閲覧。

^ 「李&T“アベック猛打賞”に岡田監督ご機嫌」『デイリースポーツ online』2012年4月5日。2012年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月24日閲覧。

^ 「侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー」『NPB.jp 日本野球機構』2012年11月6日。2015年4月14日閲覧。

^ 「侍ジャパンマッチ2012 「日本代表 VS キューバ代表」 日本代表メンバー」『NPB.jp 日本野球機構』2012年11月6日。2015年4月14日閲覧。

^ 「T岡田今季絶望 右手中指じん帯負傷」『スポーツニッポン』2013年9月8日。2018年3月13日閲覧。

^ 「オリ・T-岡田、3ラン逆王手弾!崖っぷちからCS初白星」『サンケイスポーツ』2014年10月13日。2018年3月13日閲覧。

^ 「金子千尋投手、伊藤光選手、T-岡田選手、糸井嘉男選手が三井ゴールデン・グラブ賞受賞!!」『オリックス・バファローズ』2014年11月6日。2019年3月5日閲覧。

^ 「T―岡田結婚!お相手は美女モデル・ますあや、俳優升毅のめい」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2015年3月25日。2015年3月25日閲覧。

^ 「オリックスT岡田、腰痛で抹消「あさっては難しい」」『日刊スポーツ』2015年7月18日。2017年2月8日閲覧。

^ 「オリT-岡田「全てを教わった」ヤクルト坂口の存在 離れても続く“師弟関係”」『Full-Count』2018年6月11日。2019年9月4日閲覧。

^ 「オリックスT岡田に指揮官“愛のムチ”2軍スタート」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2016年1月27日。2016年10月24日閲覧。

^ 「オリックスの4番T-岡田完全復活。『僕が打つことでチームの雰囲気が変わればいい』【どら増田のオリ熱コラム #75】」『ベースボールチャンネル』2016年6月9日。2017年2月8日閲覧。

^ 「オリックスT岡田1億円&3年契約で「強くしたい」」『日刊スポーツ』2016年12月8日。2016年12月22日閲覧。

^ 『週刊ベースボール』2017年3月13日号、116頁~120頁。

^ 「T―岡田、殻破れるか 選手会長就任 フル出場狙う」『日本経済新聞』2017年7月29日。2018年3月13日閲覧。

^ 「3・4月の月間MVPが決定!オリックスから金子&T-岡田がW受賞」『BASEBALL KING』2017年5月9日。2018年3月13日閲覧。

^ 「オリ、プロ初1番T-岡田&2番吉田正が連発!超攻撃的オーダーで札幌D初星」『サンケイスポーツ』2017年8月6日。2018年3月13日閲覧。

^ 「T岡田31本塁打&全打順本塁打に王手/データ連載」『日刊スポーツ』2017年12月20日。2018年3月13日閲覧。

^ 「オリックス・T-岡田が通算150本塁打達成「何とか入ってくれた」」『サンケイスポーツ』2017年8月26日。2018年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月13日閲覧。

^ 「【オリックス】T―岡田、プロ野球通算本塁打9万9999号打った!」『スポーツ報知』2017年9月29日。2017年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月13日閲覧。

^ 「オリックス・T-岡田が得た12年目の確信「自分が動けばチームが動く」」『BASEBALL KING』2017年10月12日。2018年3月13日閲覧。

^ 「22年ぶりリーグV狙えるオリックスのポイントはT-岡田のさらなる奮起 強力ラインアップの4番は?」『サンケイスポーツ』2018年1月6日。2018年3月13日閲覧。

^ 「【オリックス】T岡田、打点も四球も「ダブル100」狙う」『スポーツ報知』2017年12月15日。2017年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月13日閲覧。

^ 「オリ・T-岡田、2軍行きに「とんだ誕生日。この先どうなるかは…」」『サンケイスポーツ』2018年2月8日。2018年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月8日閲覧。

^ 「打撃不振のオリックスT岡田 4試合いまだ無安打」『日刊スポーツ』2018年3月24日。2018年4月8日閲覧。

^ 「オリックスT岡田開幕2軍、打撃不振で4年ぶり屈辱」『日刊スポーツ』2018年3月28日。2018年4月8日閲覧。

^ 「オリックスT-岡田が“最速”1軍昇格 開幕翌日の復帰に「いいキッカケを」」『Full-Count』2018年3月31日。2018年4月8日閲覧。

^ 「オリT-岡田、復帰戦で適時打「いい形でつなぎたかった」」『サンケイスポーツ』2018年3月31日。2018年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月8日閲覧。

^ ベースボール・マガジン社『週刊ベースボール』2018年10月1日号 p.45.

^ 「オリ・T-岡田が残留を決意したファンの声」『サンスポ』2019年10月12日。2019年11月4日閲覧。

^ 「【オリックス】T岡田らがプエルトリコへ出発「楽しみ」」『スポーツ報知』2019年10月29日。2019年11月4日閲覧。

^ 中島大輔「T-岡田の苦悩は解かれたか、それとも。 プロ15年目で参加を決めたプエルトリコWLで聞く」『パ・リーグ インサイト』2020年1月18日。2020年2月11日閲覧。

^ 「T岡田、両目でボール捉える意識「感覚良くなった」」『日刊スポーツ』2019年12月26日。2019年12月26日閲覧。

^ https://baseball-data.com/lineup/bs.html

^ 「オリックスT岡田が12人目の全打順本塁打/一覧」『日刊スポーツ』2020年9月27日。2022年1月16日閲覧。

^ 「オリックス勝利、T-岡田200本塁打達成/ロッテ戦ライブ詳細」『日刊スポーツ』2021年9月28日。2022年2月12日閲覧。

^ 「オリックスが首位ロッテに3連勝、9回T岡田が逆転弾 ロッテ益田5敗目」『日刊スポーツ』2021年9月30日。2022年2月12日閲覧。

^ 「【オリックス】T-岡田は1000万円増サイン 初のリーグ優勝の感想を問われ…」『中日スポーツ』2021年12月9日。2022年2月12日閲覧。

^ 「【オリックス】T―岡田 今季1軍初昇格で即スタメン3打点 中嶋監督「心配したんですけど さすが」」『中日スポーツ』2022年5月29日。2022年5月30日閲覧。

^ 「T-岡田、ほぼ減額制限いっぱいの2300万円減でも「契約してくれたことに感謝」【オリックス】」『中日スポーツ』2022年12月8日。2022年12月8日閲覧。

^ 「T―岡田が特例で抹消 プロ野球・オリックス」『時事ドットコムニュース』2024年4月12日。2023年5月17日閲覧。

^ 「【オリックス】T―岡田、減額制限超え50%減の3600万円でサイン「振り返りたくない」と前向く」『スポーツ報知』2024年4月12日。2023年12月19日閲覧。

^ 「オリックス・T-岡田が今季限りで引退 通算204本塁打 チーム支えた「和製大砲」が19年目の決断」『スポーツニッポン』2024年9月8日。2024年9月8日閲覧。

^ 「T-岡田選手 現役引退のお知らせ」『オリックス・バファローズ公式』2024年9月8日。2024年9月8日閲覧。

^ 「【オリックス】引退試合のT-岡田、2度目の打席で有終の右前打」『日刊スポーツ』2024年9月24日。2024年9月30日閲覧。

^ 「オリックス T-岡田が最終打席で特大ファウル ポール際5階席へ 惜しくもファウルにスタンドため息 安達&小田と有終の美」『デイリースポーツ』2024年9月24日。2024年9月30日閲覧。

^ 武内絵美「T-岡田(プロ野球・オリックス)打法改革「ゴジラ」飛躍」『asahi.com』朝日新聞社、2010年9月7日。2010年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月24日閲覧。

^ 覚醒せよ T-岡田 『野球小僧』4月号、白夜書房、雑誌18801-4、84-91頁。

^ 「T-岡田 独占インタビュー」『高校野球ドットコム』WoodStock、2012年5月31日、1頁。2016年10月24日閲覧。

^ 「悩み、苦しみ、12年目― 「浪速の轟砲」T-岡田が描く本塁打という芸術」『Full-Count』2017年10月6日。2018年3月13日閲覧。

^ 「【オリックス好き】T-岡田、さらなる進化を遂げる、かつてのホームラン王」『J SPORTS』2015年3月16日。2015年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月8日閲覧。

^ 「「ブランコは不動の4番ではない」 ファンが寄せる、浪速の大砲・T-岡田への期待【どら増田のオリ熱コラム #7】」『ベースボールチャンネル』2015年1月31日。2017年2月8日閲覧。

^ 『2018プロ野球オール写真選手名鑑』69頁、226頁~228頁。

^ 『2016プロ野球オール写真選手名鑑』83頁、223頁~225頁。

^ 『2017プロ野球オール写真選手名鑑』101頁、226頁~228頁。

^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2007』白夜書房、2007年、65頁。ISBN 978-4-86191-246-7。

^ 「NPB選手 一塁かけ抜け測定」『野球太郎』第3号、廣済堂出版、2013年、132 - 135頁、雑誌69411-16。 

^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年6月13日、。 

^ 「守備「選手別」左翼手データ」『Baseball Lab Archives』データスタジアム。2016年10月24日閲覧。

^ 蛭川皓平「守備を得点換算で評価する」『Baseball Lab Archives』データスタジアム、2010年12月6日。2016年10月24日閲覧。

^ 道作「Baseball Lab守備評価〜Left Fielder」『Baseball Lab Archives』データスタジアム、2011年1月25日。2016年10月24日閲覧。

^ 「55 T-岡田 選手名鑑2019|オリックス・バファローズ」『オリックス・バファローズ オフィシャルサイト』。2021年8月20日閲覧。

大阪府出身の人物一覧

オリックス・バファローズの選手一覧

個人年度別成績 T-岡田 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

55 T-岡田 選手名鑑 - オリックス・バファローズオフィシャルサイト

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

T-岡田オフィシャルウェブサイト

マネージメント事務所「株式会社オフィスS.I.C」

T-岡田 (@55t_okada) - X(旧Twitter)

T-岡田 (@okada_takahiro_official) - Instagram

71 岸田護

88 水本勝己(ヘッド)

87 齋藤俊雄(戦略)

75 厚澤和幸(投手)

77 比嘉幹貴(投手)

78 嶋村一輝(打撃)

82 川島慶三(打撃)

83 安達了一(内野守備・走塁)

70 松井佑介(外野守備・走塁)

74 山崎勝己(バッテリー)

81 波留敏夫(監督)

76 風岡尚幸(ヘッド)

89 小林宏(育成チーフ)

73 牧野塁(投手)

72 平井正史(投手)

85 髙橋信二(打撃)

79 福川将和(打撃)

80 小島脩平(内野守備・走塁)

86 由田慎太郎(外野守備・走塁)

97 松井雅人(バッテリー)

90 小田裕也(育成)

91 飯田大祐(育成)

84 鈴木昂平(育成)

00 エスピノーザ

11 山下舜平大

12 東晃平

13 宮城大弥

14 宇田川優希

15 椋木蓮

16 平野佳寿

17 曽谷龍平

19 山岡泰輔

20 阿部翔太

21 山﨑颯一郎

22 村西良太

23 吉田輝星

26 齋藤響介

28 富山凌雅

29 田嶋大樹

35 比嘉幹貴

42 マチャド

43 前佑囲斗

46 本田仁海

48 東松快征

52 横山楓

54 カスティーヨ

56 小木田敦也

57 山田修義

58 井口和朋

59 ペルドモ

63 河内康介

66 鈴木博志

93 佐藤一磨

94 川瀬堅斗

95 才木海翔

96 髙島泰都

97 古田島成龍

98 権田琉成

2 若月健矢

4 森友哉

32 福永奨

37 石川亮

44 頓宮裕真

62 堀柊那

3 安達了一

5 西野真弘

6 宗佑磨

8 ゴンザレス

9 野口智哉

10 大城滉二

24 紅林弘太郎

25 内藤鵬

30 廣岡大志

31 太田椋

34 横山聖哉

36 山足達也

40 セデーニョ

53 宜保翔

64 大里昂生

67 中川圭太

0 渡部遼人

1 福田周平

7 西川龍馬

27 元謙太

33 杉澤龍

38 来田涼斗

39 池田陵真

41 佐野皓大

50 小田裕也

55 T-岡田

61 茶野篤政

99 杉本裕太郎

032 入山海斗

041 寿賀弘都

042 大江海透

043 宮國凌空

044 芦田丈飛

130 小野泰己

034 村上喬一朗

045 河野聡太

126 香月一也

76 山田久志

77 山田久志

78 鈴木啓示

79 C.マニエル

80 木田勇

81 江夏豊

82 落合博満

83 東尾修

84 ブーマー

85 落合博満

86 落合博満

87 工藤公康

88 門田博光

89 阿波野秀幸

90 野茂英雄

91 秋山幸二

92 石井丈裕

93 辻発彦

94 イチロー

95 イチロー

96 イチロー

97 松井稼頭央

98 イチロー

99 松坂大輔

00 中村紀洋

01 T.ローズ

02 松井稼頭央

03 城島健司

04 松中信彦

05 渡辺俊介

06 ダルビッシュ有

07 山﨑武司

08 岩隈久志

09 鉄平

10 T-岡田

11 内川聖一

12 吉川光夫

13 田中将大

14 大谷翔平

15 柳田悠岐

16 大谷翔平

17 D.サファテ

18 山川穂高

19 森友哉

20-21 中止

2005 小林宏之

2006 小林雅英

2007 R.グリン

2008 川﨑宗則

2009 杉内俊哉

2010 T-岡田

2011 内川聖一

2012 内海哲也

2013 長谷川勇也

2014 亀井善行

2015 柳田悠岐

2016 城所龍磨

2017 柳田悠岐

2018 吉田正尚

2019 松田宣浩

2020 (中止)

2021 山本由伸

2022 村上宗隆

2023 岡本和真

2024 水谷瞬

1950 別当薫

1951 大下弘

1952 深見安博

1953 中西太

1954 中西太

1955 中西太

1956 中西太

1957 野村克也

1958 中西太

1959 山内和弘

1960 山内和弘

1961 野村克也, 中田昌宏

1962 野村克也

1963 野村克也

1964 野村克也

1965 野村克也

1966 野村克也

1967 野村克也

1968 野村克也

1969 長池徳二

1970 大杉勝男

1971 大杉勝男

1972 長池徳二

1973 長池徳二

1974 C.ジョーンズ

1975 土井正博

1976 C.ジョーンズ

1977 L.リー

1978 B.ミッチェル

1979 C.マニエル

1980 C.マニエル

1981 T.ソレイタ, 門田博光

1982 落合博満

1983 門田博光

1984 ブーマー

1985 落合博満

1986 落合博満

1987 秋山幸二

1988 門田博光

1989 R.ブライアント

1990 O.デストラーデ

1991 O.デストラーデ

1992 O.デストラーデ

1993 R.ブライアント

1994 R.ブライアント

1995 小久保裕紀

1996 T.ニール

1997 N.ウィルソン

1998 N.ウィルソン

1999 T.ローズ

2000 中村紀洋

2001 T.ローズ

2002 A.カブレラ

2003 T.ローズ

2004 松中信彦, F.セギノール

2005 松中信彦

2006 小笠原道大

2007 山﨑武司

2008 中村剛也

2009 中村剛也

2010 T-岡田

2011 中村剛也

2012 中村剛也

2013 M.アブレイユ

2014 E.メヒア, 中村剛也

2015 中村剛也

2016 B.レアード

2017 A.デスパイネ

2018 山川穂高

2019 山川穂高

2020 浅村栄斗

2021 杉本裕太郎

2022 山川穂高

2023 G.ポランコ, 近藤健介, 浅村栄斗

2024 山川穂高

1950 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫

1951 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫

1952 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫

1953 大下弘, 別当薫, 堀井数男

1954 大下弘, 関口清治, 山内和弘

1955 飯田徳治, 戸倉勝城, 山内和弘

1956 杉山光平, 戸倉勝城, 山内和弘

1957 大下弘, 毒島章一, 山内和弘

1958 杉山光平, 関口清治, 毒島章一

1959 杉山光平, 高倉照幸, 山内和弘

1960 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘

1961 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘

1962 張本勲, 山内一弘, 吉田勝豊

1963 張本勲, 広瀬叔功, 山内一弘

1964 高倉照幸, 張本勲, 広瀬叔功

1965 張本勲, 広瀬叔功, 堀込基明

1966 高倉照幸, 張本勲, 毒島章一

1967 土井正博, 長池徳二, 張本勲

1968 G.アルトマン, 土井正博, 張本勲

1969 長池徳二, 永淵洋三, 張本勲

1970 G.アルトマン, 長池徳二, 張本勲

1971 門田博光, G.アルトマン, 長池徳二

1972 長池徳二, 張本勲, 福本豊

1973 長池徳二, 張本勲, 福本豊

1974 D.ビュフォード, 張本勲, 福本豊

1975 佐々木恭介, 白仁天, 弘田澄男

1976 門田博光, 弘田澄男, 福本豊

1977 門田博光, 福本豊, L.リー

1978 佐々木恭介, 福本豊, 簑田浩二

1979 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊

1980 栗橋茂, 福本豊, L.リー

1981 島田誠, テリー, 福本豊

1982 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊

1983 島田誠, テリー, 簑田浩二

1984 高沢秀昭, T.クルーズ, 簑田浩二

1985 金森永時, 熊野輝光, 横田真之

1986 秋山幸二, 新井宏昌, 横田真之

1987 秋山幸二, 新井宏昌, T.ブリューワ

1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙

1989 秋山幸二, 藤井康雄, R.ブライアント

1990 秋山幸二, 石嶺和彦, 西村徳文

1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平井光親

1992 秋山幸二, 佐々木誠, 高橋智

1993 秋山幸二, 佐々木誠, 藤井康雄

1994 イチロー, K.ライマー, 佐々木誠

1995 イチロー, 佐々木誠, D.ジャクソン

1996 イチロー, 田口壮, 村松有人

1997 イチロー, 佐々木誠, T.ローズ

1998 イチロー, 大村直之, 柴原洋

1999 イチロー, 谷佳知, T.ローズ

2000 イチロー, 柴原洋, S.オバンドー

2001 礒部公一, 谷佳知, T.ローズ

2002 谷佳知, T.ローズ, 小関竜也

2003 谷佳知, T.ローズ, 和田一浩

2004 和田一浩, SHINJO, 谷佳知

2005 和田一浩, 宮地克彦, M.フランコ

2006 稲葉篤紀, 松中信彦, 和田一浩

2007 稲葉篤紀, 森本稀哲, 大村直之

2008 稲葉篤紀, 栗山巧, リック

2009 鉄平, 糸井嘉男, 稲葉篤紀

2010 多村仁志, T-岡田, 栗山巧

2011 糸井嘉男, 内川聖一, 栗山巧

2012 糸井嘉男, 角中勝也, 内川聖一

2013 長谷川勇也, 内川聖一, 中田翔

2014 柳田悠岐, 糸井嘉男, 中田翔

2015 秋山翔吾, 柳田悠岐, 清田育宏

2016 角中勝也, 糸井嘉男, 西川遥輝

2017 柳田悠岐, 秋山翔吾, 西川遥輝

2018 柳田悠岐, 秋山翔吾, 吉田正尚

2019 荻野貴司, 秋山翔吾, 吉田正尚

2020 柳田悠岐, 吉田正尚, 近藤健介

2021 杉本裕太郎, 吉田正尚, 柳田悠岐

2022 松本剛, 柳田悠岐, 島内宏明

2023 近藤健介, 万波中正, 柳田悠岐

 投  和田毅

 捕  嶋基宏

 一  A.カブレラ

 二  田中賢介

 三  小谷野栄一

 遊  西岡剛

 外  多村仁志 / T-岡田 / 栗山巧

 指  福浦和也

1972 大杉勝男

1973 C.ジョーンズ

1974 W.パーカー

1975 加藤秀司

1976 加藤秀司

1977 加藤秀司

1978 柏原純一

1979 柏原純一

1980 小川亨

1981 柏原純一

1982 柏原純一

1983 片平晋作

1984 山本功児

1985 山本功児

1986 ブーマー

1987 ブーマー

1988 清原和博

1989 愛甲猛

1990 清原和博

1991 J.トレーバー

1992 清原和博

1993 清原和博

1994 清原和博

1995 J.フランコ

1996 片岡篤史

1997 髙木大成

1998 髙木大成

1999 小笠原道大

2000 小笠原道大

2001 小笠原道大

2002 小笠原道大

2003 福浦和也

2004 松中信彦

2005 福浦和也

2006 小笠原道大

2007 福浦和也

2008 A.カブレラ

2009 髙橋信二

2010 小久保裕紀

2011 小久保裕紀

2012 稲葉篤紀

2013 浅村栄斗

2014 T-岡田

2015 中田翔

2016 中田翔

2017 銀次

2018 中田翔

2019 内川聖一

2020 中村晃, 中田翔

2021 中村晃

2022 中村晃

2023 中村晃

2024 山川穂高

 投  金子千尋

 捕  伊藤光

 一  T-岡田

 二  藤田一也

 三  松田宣浩

 遊  今宮健太

 外  陽岱鋼 / 糸井嘉男 / 柳田悠岐

希望入団枠:平野佳寿

3巡目:岸田護

4巡目:森山周

5巡目:中山慎也

6巡目:妹尾軒作

1巡目:岡田貴弘

3巡目:柴田亮輔

本名のリダイレクト

人物の愛称

野球の愛称

人物の愛称

野球の愛称

野球日本代表選手

オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手

NPBオールスターゲーム選出選手

本塁打王 (NPB)

履正社高等学校出身の野球選手

大阪府出身のスポーツ選手

1988年生

存命人物

Pages using the JsonConfig extension

出典のページ番号が要望されている記事

野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2024/11/17 12:14更新

okada takahiro


岡田貴弘と同じ誕生日2月9日生まれ、同じ大阪出身の人

中嶋 野乃(なかじま のの)
1993年2月9日生まれの有名人 大阪出身

中嶋 野乃(なかじま のの、1993年2月9日 - )は、日本の女優、モデル、タレント、プロ雀士。 大阪府出身。 2022年に日本プロ麻雀連盟の試験に合格し、2023年にプロデビューする。 20…

吉岡 ひとみ(よしおか ひとみ)
1955年2月9日生まれの有名人 大阪出身

吉岡 ひとみ(よしおか ひとみ、1955年2月9日 - )は、日本の元女優。本名(旧姓)は同じ。 大阪府出身。身長163cm、体重47kg。大阪女子短期大学高等学校卒業。 大阪女子短期大学高校では…

村上 聡美(むらかみ さとみ)
1967年2月9日生まれの有名人 大阪出身

村上 聡美(むらかみ さとみ、1967年2月9日 - )は、日本の女優。大阪府出身。 高校時代に、谷村新司の「夢の世代(1983年5月発売)」のキャンペーンガールとしてデビュー。 明石家さんまに気に…

松田 芹香(まつだ せりか)
2011年2月9日生まれの有名人 大阪出身

松田 芹香(まつだ せりか、2011年2月9日 - )は、日本の子役女優、ファッションモデルである。 大阪府出身。ヒラタオフィス所属。 モデル事務所GRAMのキッズ部門gramkidsに所属し、2…

島田 貴裕(しまだ たかひろ)
1965年2月9日生まれの有名人 大阪出身

島田 貴裕(しまだ たかひろ、1965年2月9日 - )は、大阪府出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 1987年、大阪体育大学を卒業して松下電器産業サッカー…


秀平 真由美(ひでひら まゆみ)
1964年2月9日生まれの有名人 大阪出身

秀平 真由美(ひでひら まゆみ、1964年2月9日 - )は、日本の女性ナレーター、フリーアナウンサー。大阪府高石市出身。 大阪テレビタレントビューロー( - 2018年3月)、タカラ(2018年4…

高橋 大作(たかはし だいさく)
1983年2月9日生まれの有名人 大阪出身

高橋 大作(たかはし だいさく、1983年2月9日 - )は、朝日放送テレビ(ABC)報道局ニュース情報センターのデスクで、元・同局アナウンサー。アナウンス職から報道記者職への異動(2017年6月)を…

小田 美智子(おだ みちこ)
1975年2月9日生まれの有名人 大阪出身

小田 美智子(おだ みちこ、1975年2月9日 - )は、日本の元声優。大阪府出身。青二塾 大阪校を経て、青二プロダクションに所属していた。 生地の大阪にて声優養成所の青二塾 大阪校に入塾、才能を認…

増田 英彦(ますだ ひでひこ)
1970年2月9日生まれの有名人 大阪出身

増田 英彦(ますだ ひでひこ、1970年(昭和45年)2月9日 - )は、日本のお笑いタレント。お笑いコンビ・ますだおかだのボケ担当。相方は岡田圭右。大阪府守口市出身。松竹芸能所属。 単独で出演する…

YOSHI(よし)
1988年2月9日生まれの有名人 大阪出身

YOSHI(よし、本名:藤田 祥弘、1988年2月9日 - )は、日本のタレント兼マジシャン、MCであり、札幌観光大使でもある。所属事務所は44プロダクション、過去の所属事務所はサンミュージックプロダ…


杉本あきこ(すぎもと-)
2月9日生まれの有名人 大阪出身

杉本 あきこ(すぎもと あきこ、12月9日 - )は、日本の漫画家。大阪府出身。血液型はAB型。 りぼん漫画スクール2006年9月号で準りぼん賞を受賞した『Light!』でデビュー。 同期にりぼん…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


岡田貴弘と近い名前の人

岡田 太郎_(テレビプロデューサー)(おかだ たろう)
1930年7月20日生まれの有名人 東京出身

7月20日生まれwiki情報なし(2024/11/18 03:31時点)

岡田 武史(おかだ たけし)
1956年8月25日生まれの有名人 香川出身

岡田 武史(おかだ たけし、1956年8月25日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現在はFC今治運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」代表取締役、日本エンタープライズの社外取締役、城西国…

岡田 達也(おかだ たつや)
1968年2月13日生まれの有名人 鳥取出身

岡田 達也(おかだ たつや、1968年2月13日 - )は、日本の俳優、声優。演劇集団キャラメルボックスおよびクリオネ所属。鳥取県鳥取市出身。身長174cm、体重64kg。血液型はAB型。 好物はイ…

岡田 貴之(おかだ たかゆき)
1975年4月2日生まれの有名人 群馬出身

岡田 貴之(おかだ たかゆき、1975年4月2日 - )は、日本の男性声優。群馬県出身。ケンユウオフィス所属。 劇団の稽古場所ホームグランドでがむしゃらに芝居をしていたことがきっかけで声優を目指した…


岡田 茂_(三越)(おかだ しげる)
1914年8月3日生まれの有名人 京都出身

岡田 茂(おかだ しげる、1914年〈大正3年〉8月3日 - 1995年〈平成7年〉7月20日)は、日本の実業家。三越社長(1972年 - 1982年)。 1972年(昭和47年)から老舗百貨店・三…

岡田 茂_(東映)(おかだ しげる)
1924年3月2日生まれの有名人 広島出身

岡田 茂(おかだ しげる、1924年〈大正13年〉3月2日 - 2011年〈平成23年〉5月9日)は、日本の映画プロデューサー。東映・東急レクリエーション社長、東映会長、同名誉会長、同相談役を経て20…

岡田 奈々_(1997年生のアイドル)(おかだ なな)
1997年11月7日生まれの有名人 神奈川出身

岡田 奈々(おかだ なな、1997年〈平成9年〉11月7日 - )は、日本の女優、歌手、YouTuberであり、女性アイドルグループ・AKB48の元メンバーである。2017年3月から2022年3月にか…

岡田 吉夫(おかだ よしお)
1926年8月11日生まれの有名人 兵庫出身

岡田 吉夫(おかだ よしお、1926年8月11日 - 2002年6月22日)は兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。元丸紅参与。 兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸…

岡田 れえな(おかだ れえな)
1987年5月23日生まれの有名人 東京出身

岡田 れえな(おかだ れえな、1987年5月23日 - 2014年4月26日)は、日本のタレント・女優である。東京都世田谷区出身。所属事務所はディスカバリー・エンターテインメント。 父は鮫島秀樹で、…


岡田 理江(おかだ りえ)
1973年12月9日生まれの有名人 岐阜出身

岡田 理江(おかだ りえ、1973年12月9日 - )は、日本のタレント、女優。本名同じ。 岐阜県揖斐郡大野町出身。キャストパワー所属(業務提携)。以前はアミューズ→ジャパン・ミュージックエンターテ…

岡田 佑里恵(おかだ ゆりえ)
1987年7月29日生まれの有名人 東京出身

岡田 佑里恵(おかだ ゆりえ、本名同じ、1987年7月29日 - )は、日本の女性タレント、モデル。 2012年6月までGMAエンタープライズに所属していたが、ヴィズミックに移籍し「岡田ユリエ」名義…

岡田 祐佳(おかだ ゆか)
1972年7月19日生まれの有名人 奈良出身

岡田 祐佳(おかだ ゆか、1972年7月19日 - )は、日本のタレント、元お笑い芸人。リクエージェンシー所属。旧芸名及び結婚前の本名は上嶋 祐佳(うえしま ゆか)。 奈良県出身。金光八尾高等学校出…

岡田 結実(おかだ ゆい)
2000年4月15日生まれの有名人 大阪出身

岡田 結実(おかだ ゆい、2000年〈平成12年〉4月15日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、タレント。Viivo所属。 大阪府大阪市出身。身長:T=160cm、スリーサイズ:B=80cm,…

岡田 唯(おかだ ゆい)
1987年12月28日生まれの有名人 大阪出身

岡田 唯(おかだ ゆい、1987年12月28日 - )は、日本の元歌手、タレント。元ハロー!プロジェクトの一員で、美勇伝の元メンバー。大阪府八尾市出身。血液型はA型、身長は158.5cm。 2004…


岡田めぐ(おかだ めぐ)
1999年9月7日生まれの有名人 東京出身

岡田めぐ(おかだ めぐ、1999年9月7日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント。東京都出身。 芸能界デビューのきっかけは、母親の知り合いが事務所を作るという話をしていたことから、興味本位で始…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
岡田貴弘
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

9nine SixTONES Kis-My-Ft2 THE ポッシボー TEAM★NACS ベイビーレイズ ももクロ やるせなす predia Timelesz 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「岡田貴弘」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました