岩田祐吉の情報(いわたゆうきち) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
岩田祐吉と関係のある人
井上正夫: その後も松竹で数本の映画に出演し、1929年(昭和4年)1月8日には藤野秀夫、岩田祐吉、栗島すみ子、川田芳子、柳さく子らと大幹部に昇格した。 高尾光子: 『人柱四勇士』 : 監督佐々木康・佐々木恒次郎、原作・脚本池田忠雄、主演岩田祐吉 筑波雪子: 緑の朝 監督野村芳亭、主演岩田祐吉、新井淳 高尾光子: 『広瀬中佐』 : 監督蔦見丈夫、原作・脚本吉田百助、主演岩田祐吉 - 広瀬かほる子 高尾光子: 『麗人』 : 監督島津保次郎、原作佐藤紅緑、脚色村上徳三郎、主演栗島すみ子・岩田祐吉 - 八兵衛の娘お駒 花柳はるみ: 『奉仕の薔薇』 (大正10年、松竹蒲田撮影所) : 監督・原作・脚本村田実、撮影水谷文次郎、共演諸口十九、岩田祐吉、関根達発 高尾光子: 『死に行く妻』 : 監督野村芳亭、脚本伊藤大輔、主演岩田祐吉・栗島すみ子 - 「高野道子」名義 筑波雪子: 3善人 監督野村芳亭、主演岩田祐吉、押本映治 歌川八重子: 松本とのコンビで多数の映画に出演、古巣松竹での岩田祐吉・栗島すみ子に引けを取らないコンビと評された。 筑波雪子: 生活線ABC 後篇 監督島津保次郎、原作細田民樹、主演藤野秀夫、岩田祐吉 高田稔: 岩田祐吉らに代わる二枚目俳優として起用される。 筑波雪子: 生活線ABC 前篇 監督島津保次郎、原作細田民樹、主演藤野秀夫、岩田祐吉 高尾光子: 『無花果』 : 監督牛原虚彦、原作中村吉蔵、脚本小田喬、主演岩田祐吉・五月信子 高尾光子: 『海は笑ふ』 : 監督島津保次郎、原作・脚本五所平之助、主演岩田祐吉・英百合子 高尾光子: 『粉河寺』 : 監督池田義臣、脚本小田喬、主演岩田祐吉・栗島すみ子 高尾光子: 『荊の冠』 : 監督佐々木恒次郎、原作佐藤紅緑、脚本吉田百助、主演岩田祐吉・川田芳子 栗島すみ子: 大正10年(1921年)2月、松竹蒲田撮影所に入り、ヘンリー小谷監督の『虞美人草』に当時の人気俳優岩田祐吉の相手役としてデビューした。 高尾光子: 『マイフレンド』 : 監督池田義臣、脚本伊藤大輔、主演岩田祐吉・栗島すみ子 柳さく子: 同じ1929年、松竹に新しく大幹部制が敷かれると、さく子は井上正夫、岩田祐吉、藤野秀夫、川田芳子、栗島すみ子とともに、大幹部に推された。 高尾光子: 『噫呼空閑少佐』 : 監督佐々木恒次郎・佐々木康、脚本荒牧芳郎、主演岩田祐吉・藤野秀夫 川田芳子: 当時の人気俳優諸口十九とコンビを組み共演作を次々と発表、この二人の人気は、栗島すみ子・岩田祐吉のコンビと並んで松竹蒲田のドル箱コンビだった。 栗島すみ子: 当時松竹では、栗島と岩田祐吉のスターコンビで人気を呼んでいた。 筑波雪子: お坊ちゃん 監督島津保次郎、主演岩田祐吉、諸口十九 ※「羽田美津子」役 上山草人: 同期には諸口十九、岩田祐吉、勝見庸太郎、田中栄三らがいる。 筑波雪子: 恋愛行進曲 監督野村芳亭、主演川田芳子、岩田祐吉 高尾光子: 『噫無情 第二篇 市長の巻』 : 監督池田義臣、原作ビクトル・ユゴー、脚本伊藤大輔、主演井上正夫・岩田祐吉 高尾光子: 『人性の愛』 : 監督・原作・脚本牛原虚彦、主演岩田祐吉・三村千代子 井上正夫: 第1回公演はバーナード・ショー作の『馬盗坊』で、同協会には小堀誠、立花貞二郎、岩田祐吉、酒井米子らが参加した。 川田芳子: 1929年には、栗島、岩田祐吉、藤野秀夫らと共に大幹部に昇進した。 |
岩田祐吉の情報まとめ
岩田 祐吉(いわた ゆうきち)さんの誕生日は1887年3月23日です。岐阜出身の俳優のようです。
映画、卒業、姉妹、父親に関する情報もありますね。1980年に亡くなられているようです。
岩田祐吉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)岩田 祐吉(いわた ゆうきち、1887年3月23日 - 1980年1月18日)は、日本の映画俳優。 新派から映画界に入り、初期の松竹蒲田撮影所で二枚目俳優として活躍した。栗島すみ子とのコンビで人気を博し、諸口十九・勝見庸太郎らと並んで松竹の代表的スターとなった。独特の渋い演技で幅広い役柄をこなし、後年は脇役に転向した。 1887年(明治20年)3月23日、岐阜県大垣市田町に岩田加兵衛の6男として生まれる。中学卒業時に家業の呉服屋が倒産し、単身で中国に渡るが、志敗れて2年後に帰国した。帰国後は劇界に志を向け、1908年(明治41年)11月に開所した藤沢浅二郎主宰の東京俳優養成所(後に東京俳優学校に改称)に第1期生として入所。同期に田中栄三、諸口十九、上山草人、勝見庸太郎らがいる。1911年(明治44年)に同校を卒業し、俳優学校第一回卒業生試演『廃馬』(佐藤紅緑作)に諸口、田中らとともに出演した。 その後は河合武雄の門下に入り、1913年(大正2年)に河合が設立した公衆劇団に参加。花柳章太郎と前後して新派劇の幹部に列せられた。1915年(大正4年)9月には武田正憲と川村花菱が旗揚げした新日本劇に参加。座員には五月信子、正邦宏、花柳、永井赤鳥らがいた。 1920年(大正9年)、創立間もない松竹蒲田撮影所に入社し、村田実監督の『奉仕の薔薇』(翌年に公開)で映画初出演。翌1921年(大正10年)公開の『悪魔の崖』(賀古残夢監督)で初主演し、4月公開の『虞美人草』(ヘンリー・小谷監督)で栗島すみ子と共演して好評を博す。以来、賀古監督の『酒中日記』、池田義信監督の『暮れ行く旅路』『乳姉妹』などの作品で栗島と共演し、川田芳子・諸口十九と並ぶ松竹蒲田のドル箱コンビとして人気を得た。1923年(大正12年)には池田監督の『船頭小唄』で栗島と主演、作品は大流行した主題歌とともに全国的にヒットした。その後も牛原虚彦監督の『黒川博士』『乃木大将伝』、島津保次郎監督の『お坊ちゃん』、野村芳亭監督の『父帰る』などに主演、佐々木恒次郎監督の『永遠の心』はドイツにも紹介され、その演技力は高く評価された。1929年(昭和4年)1月8日、井上正夫、藤野秀夫、栗島、川田芳子、柳さく子とともに大幹部に昇格した。 1930年代は中年の脇役に回ることが多くなり、島津監督の『隣の八重ちゃん』などでは父親役を演じた。1938年(昭和13年)以降は新興キネマに出演したが、1942年(昭和17年)公開の『春遠からじ』以降の映画出演はない。その後は鎌倉で妻と共に暮らしていたという。1979年(昭和54年)に第3回山路ふみ子映画功労賞を受賞。 1980年(昭和55年)1月18日、老衰のため東京都世田谷区の自宅で死去。92歳没。 新生(1920年、松竹) 光に立つ女(1920年、松竹) 女の力(1921年、松竹) - 脇屋中尉 悪魔の崖(1921年、松竹) 虞美人草(1921年、松竹) 電工と其妻(1921年、松竹) 酒中日記(1921年、松竹) 奉仕の薔薇(1921年、松竹) 己が罪(1921年、松竹) - 医学士塚口 生さぬ仲(1921年、松竹) 金色夜叉(1922年、松竹) 不如婦(1922年、松竹) - 川島武男 乳姉妹(1922年、松竹) 祇園夜話(1922年、松竹) 傑作集枠 金色夜叉(明治文壇海岸の悲劇)(1922年、松竹) - 貫一 船頭小唄(1923年、松竹) - 船頭律太 噫無情(1923年、松竹) - テナルディユ 水藻の花(1923年、松竹) 幽芳集 乳姉妹(1923年、松竹) 彼女の運命(1924年、松竹) 嬰児殺し(1924年、松竹) 無花果(1924年、松竹) 黒川博士(1924年、松竹) 詩人と運動家(1924年、松竹) 乃木大将伝(1925年、松竹) - 乃木希典 お坊ちゃん(1926年、松竹) - 宇田恭三 広瀬中佐(1926年、松竹) - 広瀬武夫 父帰る(1927年、松竹) - 黒田宗太郎 永遠の心(1928年、松竹) 民族の叫び(1928年、松竹) 今年竹(1929年、松竹) レヴューの姉妹(1930年、松竹) - 舞台監督土屋四郎 麗人(1930年、松竹) - 水原七郎 愛よ人類と共にあれ(1931年、松竹) - 銀行頭取 真理の春(1931年、松竹) 生活線ABC(1931年、松竹) 七つの海(1931年、松竹) - 曽根伸吾 金色夜叉(1932年、松竹) - 荒尾譲介 乳姉妹(1932年、松竹) - 松平昭定 忠臣蔵(1932年、松竹) - 大野九郎兵衛 島の娘(1933年、松竹) - 船長・岩瀬信造 東洋の母(1934年、松竹) - 実業家・大村 母を恋はずや(1934年、松竹) - 父・梶原 隣の八重ちゃん(1934年、松竹) - 父・服部昌作 与太者と花嫁(1934年、松竹) - 緒方正之 都会の感傷(1934年、松竹) - 老警官 永久の愛(1935年、松竹) - 職工長森田 虞美人草(1935年、第一映画) - 井上孤堂 男性対女性(1936年、松竹) - 清瀬支店長 あの道この道(1936年、松竹) - 大丸氏 少年航空兵(1936年、松竹) - 海軍航空隊司令 男の償ひ(1937年、松竹) - 黒須博士 静御前(1938年、新興キネマ) - 北條時政 噫!南郷少佐(1938年、新興キネマ) - 南郷少将 五人の兄妹(1939年、松竹) - 石岡孫次郎 舞ひ上る情熱(1941年、新興キネマ) - 周一の祖父清吉 ^ 岩田祐吉、新撰 芸能人物事典 明治〜平成、コトバンク、2014年12月24日閲覧 ^ 『大正人名辞典III 上巻』p.87 ^ 『日本映画俳優全集・男優篇』、キネマ旬報社、1979年、p.71 ^ 『世界映画俳優名鑑 大正十一年度』、キネマ同好会、1922年、p.68 ^ 『日本演劇史年表』、八木書店、1998年、p.236 ^ 柳永二郎『木戸哀楽 新派九十年の步み』、読売新聞社、1977年、p.93 ^ 『松竹七十年史』、松竹株式会社、1964年、p.263 岩田祐吉 - 日本映画データベース 日本の男優 サイレント映画の俳優 松竹の俳優 戦前の松竹の俳優 新興キネマの俳優 新派 岐阜県出身の人物 1887年生 1980年没 プロジェクト人物伝項目
2024/11/20 10:07更新
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iwata yuukichi
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