島津冴子の情報(しまづさえこ[注1]) 声優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
島津 冴子さんについて調べます
■名前・氏名 |
島津冴子と関係のある人
岩永哲哉: 若い頃は『魔法の天使クリィミーマミ』のファンであり、それがきっかけで同じ声優である島津冴子のイベントに参加することになる。 喜多道枝: たけし・逸見の平成教育委員会(ナレーション)※島津冴子の代役 田中真弓: 1980年代には、島津冴子とラジオ番組『アニメトピア』に2代目パーソナリティーとして出演、少し後に『さすがの猿飛』に揃って出演した。 岩永哲哉: 岩永本人がラジオ番組を持ちたいと思ったのは、『エルハザード』の共演者である島津冴子の影響によるものである。 北島淳司: 阪神パークで開催していた島津冴子と田中真弓と三ツ矢雄二がパーソナリティを務めていたラジオ番組『アニメトピア』のイベントを見に行った時に「あぁ自分もやってみたいな~」などと思い、職業としての声優に興味を持つ。 関智一: 小学校2、3年のころ、文化放送で放送し、田中真弓、島津冴子、三ツ矢雄二が出演していたラジオ番組『アニメトピア』を夜中に聴いていた。 山形ユキオ: 恋人たちのサンバ(イメージソング) - 島津冴子とのデュエット 鈴置洋孝: 『らんま1/2』で帯刀の妹・九能小太刀役として共演した島津冴子も鈴置のことが好きだったと語っている。 世田壱恵: 島津冴子 officialblog BlueMoon |
島津冴子の情報まとめ
島津 冴子(しまづ さえこ[注 1])さんの誕生日は1959年9月8日です。神奈川出身の声優のようです。
人物、エピソードなどについてまとめました。卒業、テレビ、引退、映画に関する情報もありますね。島津冴子の現在の年齢は64歳のようです。
島津冴子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)島津 冴子(しまづ さえこ、1959年9月8日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。東京都町田市生まれ、神奈川県伊勢原市出身。フリー。既婚。 東京都町田市の病院で誕生。神奈川県伊勢原市出身。両親には、最初の子供だったことからとても大事に育てられたという。その一方で身体が弱く、幼稚園には半分ほどしか通えなかったといい、高等学校までは自宅から通える近隣の学校へ通学していた。 小学校の低学年のころ、学芸会などで演技をするのが好きだった。小学3年生の時、学芸会で、5行ぐらいのセリフがあり、凄く引っ込み思案だったため、教師が「あ、君にはこんなに長い台詞はだめだよね」とセリフを半分以下に削られ、最後は1行になってしまったという。教師が心配するくらいの引っ込み思案で、人前で話すことはできず、おとなしく、いじめられっ子だったという。芝居を見ることも好きで、朗読も好きであり、学校で「君は上手に読めるから、アナウンサーになったらいいよ」とほめてくれる教師がおり、子供の時は嬉しかったという。そういうことから少し関心が出はじめて、学校でお誕生日会のような小さな会の時のグループで劇をしていた。その出番の時の歩き方が偶然萩本欽一のようになってしまったのが大いにウケて、人にウケるということを経験したことがなかったため驚いてしまったという。それまで、芝居を見るのは好きだったため、親に色々と連れて行ってもらったが、そこからの遍歴が少し変わったという。中学、高校とも部活は演劇部で、学生時代から芸能活動には興味を持っていたという。夢みる子供であり、最初は宝塚歌劇団が好きなった。同時に『宝塚GRAPH』、『宝塚おとめ』など、雑誌、書籍を買い集めていたが、全部お蔵入りしていた。次に坂東玉三郎と尾上松緑が新橋演舞場で『オセロー』に出演していた時、母に連れて行ってくれて、この人物の一番綺麗な姿を見るには、「やっぱり歌舞伎だ」と坂東玉三郎が好きになった。最初に見に行ったのは歌舞伎座の『与話情浮名横櫛』で見て驚き「あー、素敵だな、きれいだな」と思った。学校で歌舞伎教室のようなのがあった時は、連れていってくれても全然言葉が分からないことから寝ていた。それで自分で行った時はちゃんと聞いていた。わからないが、一生懸命聞こうとしており、舞台装置もすごく感銘を受けたという。高校時代には歌舞伎に夢中となり、その後は歌舞伎が面白くてしかたなくなってしまい、歌舞伎に凝り切り新派を見るようになった。同時に坂東玉三郎写真集などの歌舞伎の書籍を買っていたが、凝りだすと、お金かかり1992年か1993年時点では「お小遣いたまらないんだろうな、つぎ込んじゃうんだろうな」とファンの皆の気持ちは分かるという。新派への所属を志望したことで水谷良重にサイン会で入団を志願。それは叶わなかったものの、水谷の助言から新派へ入るために日本舞踊と三味線を学び始める。だが、新橋演舞場が建て替えのため休館となり新人の採用がなくなったことで、高校卒業後は文化学院大学部文学科演劇コースへ進学した。 両親は当初から芸能活動に理解がなく、大学在学中も反対していた。だが、叔母の知人の役者が「ここなら信頼できる事務所」と紹介したことでプロダクション・エムスリーに所属。プロダクション・エムスリーは声優業も請ける事務所だったことから、島津も自然と声優活動を始める。それまではCVに興味があったわけでもなく、そういう仕事があるという事もまるで無知だったわけであった。芝居をしたかったことからアニメは全然縁がなかったという。 声優デビュー作は、1980年にオーディションで抜擢された『タイムパトロール隊オタスケマン』の三日月ナナ役。同作で、三悪の声優である八奈見乗児、たてかべ和也、小原乃梨子から様々な指導を受けたという。その後、スケジュール調整の問題や「島津に演じてほしい」というようなオファーを受けることが多くなったことで、活動を声優業に絞った。 1982年からは田中真弓と共に、ラジオ番組『アニメトピア』の2代目パーソナリティを約1年半担当。番組は下ネタを多用するなど汚れ系に徹する田中と、主には清純派的な立場として語りつつも、時折田中に便乗する島津の掛け合いを演じた。 近年は、公認ファンクラブ主催によるトークショー「島津冴子 声物語」も開催している。 人物演じる役柄は、明るく元気な女の子が多い。一方で島津自身は「私の演技の根底には悲しみを湛える女性、悲劇のヒロイン的なものがある」と語り、『機動戦士Ζガンダム』のフォウ・ムラサメ役はその面での象徴的な役だという。 共演者など、周囲からは令嬢のような印象をもたれることが多かったという。そのため、後年に本人から経歴を聞いた古川登志夫は「あら、意外(笑)」と答えていた。 細身であるが、叫ぶ芝居もこなすため平野文は「どこからそんな声が出るのか」と感心したという。なお、このことに関しては田中真弓から「のどち●こに力こぶ」と評されたことがある。 エピソード業界に入った時にはまだ高校生だったため、初めての時は怖くて「お母さんと事務所に行った」と1990年代のラジオ番組で語っていた。 取材などで「気に入ってる役」という質問を受ける際は、「役に入り込んじゃうタイプなので、選ばれなかった子のことを考えると辛くなる」という考えから答えないようにしている。なお、「印象に残っている役」は『さすがの猿飛』の霧賀魔子だという。 出演作に関して『オタスケマン』のレギュラーにしていた頃、自身が声優を務めるナナについて「声が変だ」と近所の子供たちが話しているのを聞いて、自分の声に自信が持てない時代があったという。この経験から声優は声よりも演技が重要だと考えるようになったという。 『うる星やつら』の三宅しのぶ役はオーディションで抜擢された。作中でしのぶが発する「男なんてええ!」の台詞は、高校時代に読んだ歌舞伎の本に書かれていた目の表現などが無意識に活かされたといい、役に関しては、普段の可愛いイメージと「男なんてええ!」のような台詞とのギャップの面白さを声で表現することを意識して演じたという。好きなエピソードには、OVA第1作『夢の仕掛人 因幡くん登場! ラムの未来はどうなるっちゃ!?』を挙げている。 布川ゆうじは『うる星やつら』での島津を「凄い声優が出てきた」と評している。『魔法の天使クリィミーマミ』の綾瀬めぐみについては島津に当て書きしたキャラクターだといい、指名で役を貰った。島津は作中のめぐみが視聴者から主人公のマミを虐める役に見える事を気にしており、脚本担当の伊藤和典は島津の声を受けてめぐみの設定を変更したという。 京成3700形電車・北総開発鉄道7300形電車の乗車促進アナウンスを担当している。 『Ζガンダム』での声優変更島津は1985年から1986年にかけて放送されたテレビアニメ『機動戦士Ζガンダム』にフォウ・ムラサメ役で出演していた。同作は2005年に『機動戦士Ζガンダム A New Translation』として劇場アニメ化されたが、劇場アニメ化にあたりテレビ版から20名以上に上る大幅な声優の変更が行われ、その中で島津もフォウ役から外れた(劇場版ではゆかながフォウ役を引き継いだ)。 この件について島津の公認ファンサイトにて島津の手記が公開され「総監督、音響監督両名の許可を取っての公開」と前置きした上で、音響監督の藤野貞義が島津と連絡がとれなかったためにオーディションを受けられなかったことなど、経緯の説明がなされた。総監督の富野由悠季も「フォウは冴子にしかできない」「あらかじめ残すオリジナルキャストが決まっていて、その中にフォウも入っていた」ものの、既に声優業を引退しているという誤解からキャスト変更に至ったという。 ただし、その一方で「『Ζ』を新訳にするにあたり、復刻映画にするつもりは全くなく、主人公カミーユ・ビダン役の飛田展男でさえオーディションで改めて選び直した」「当初はアムロやシャアも含めたキャスティングの総入れ替えも検討していた」「ファースト以来のキャラクターとのバランスを考え懐かし映画にしないためフォウやサラには若い声が必要だった」とする、島津の手記とは異なる内容の説明が富野自身から語られている。 2024/06/12 12:32更新
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shimadu saeko[注 1]
島津冴子と同じ誕生日9月8日生まれ、同じ神奈川出身の人
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